畠山和洋

畠山和洋(はたけやま かずひろ、1982年9月13日 - )は東京ヤクルトスワローズに所属するプロ野球選手である。ポジションは内野手(主に一塁手、三塁手、ファームでは左翼手もつとめる)。背番号は33。

==来歴・人物 ==

アマチュア時代

専修大学北上高等学校では1年から三塁のレギュラーに定着。1998年夏の甲子園では、如水館高校との1回戦(引き分け再試合を含む2試合)に5番三塁で先発出場。計7打数6安打3打点と早くも頭角を現すが、チームは惜しくも再試合で敗退。
2000年夏の甲子園で2度目の大舞台に登場。しかし一回戦で明徳義塾高校と対戦し敗退。自身も4打数無安打であった。この時の対戦チームには、後に中日ドラゴンズから2002年に1巡目指名を受けることになる森岡良介選手がいた。
1年後にヤクルトから2巡目で指名を受ける梶本勇介選手は、高校の1年後輩である。当時は2年生の梶本がエースで4番をつとめており、畠山は3番三塁での出場であった。
高校通算62本塁打。
2000年ドラフト5位でヤクルトスワローズに入団。
長打力に定評はあったものの、待って取る守備や、走塁能力の低さなどから評価を下げ、下位指名となっている。

プロ入り後

入団1年目の2001年からファームのレギュラーに定着。
翌2002年には19本塁打、56打点でイースタン・リーグの本塁打王と打点王の二冠に輝く。
ただし打率.259、72三振という数字が示す通り、この頃の打撃は確実性に欠けるものであった。
当時からその長打力にはチームの期待がかかっていた。その期待とは裏腹に池山隆寛など複数のチーム関係者から、複数の媒体にサボり癖を指摘されるなど、一軍実績の無い若手選手としては異例とも言える形で物議をかもしている。2007年現在は熱心に練習に参加しており、それに比例するように打撃の安定度のみならず、守備力も上昇中。
2003年からは打撃の確実性アップに取り組み、ファームとはいえ、.286(2003年)、.310(2004年)と安定して結果を出し始める。
その事が評価される形で、4年目の2004年8月に、ラミレスの離脱にともなって、一軍初昇格。この時は代打で2試合に出場するも、結果を出せなかった。
同2004年10月には、再度一軍に昇格。一塁で2試合にスタメン出場し、2試合目の10月7日に一軍プロ初安打を放つ。
2005年は一軍でオープン戦を迎えるも、結果を出せず降格。しかし8月19日に古田敦也の代わりに一軍登録され、その日の阪神戦(神宮)で藤田太陽から、代打でプロ初の本塁打を放った。
その後9月まで一軍に置かれたが、代打を中心に11打数2安打2打点に終わる。長打に期待されての起用にも関わらず、打席での消極性が指摘されるなど評価は芳しくなく、一軍定着の機会を逃してしまった。
2006年はキャンプから当たりが出ず、開幕は二軍戦スタート。6月に昇格するも7打数無安打と、またしても結果を残すことが出来なかった。しかしファームでは好調を維持し、101安打で最多安打のタイトルを獲得している。
確実性を意識するあまり、今度は長打が減ってしまう傾向がある。小川二軍監督などのファームの首脳陣からは、目標を高く置くよう求められている。
2007年は岩村明憲が去った後の、後継三塁手の候補として期待されている。キャンプからオープン戦では好調を維持しており、古田敦也監督をはじめ、首脳陣を喜ばせている。


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最終更新:2007年05月22日 15:19