鈴木健 (内野手)

鈴木 健(すずき けん、1970年1月13日 - )は、埼玉県越谷市出身のプロ野球選手。背番号は9。

==来歴・人物 ==

中学は、越谷リトルシニアに所属
高校は浦和学院高校に在学。高校通算本塁打83本は当時の日本最多記録。
1986年 第68回全国高等学校野球選手権大会に出場。(準決勝進出)
1987年 第69回全国高等学校野球選手権大会に出場。(2回戦敗退)
1988年 ドラフト1位で西武ライオンズに入団。背番号は8。
1989年 米1A・サンノゼビーズに留学。
1990年 打率.364でイースタン・リーグの首位打者に輝く。
1991年 打率.401で2年連続のイースタン・リーグ首位打者に。一軍ではプロ初本塁打を放つ。
1993年 指名打者に起用される。打率.270を記録。
1994年 規定打席不足ながら、打率.350を記録。
1995年 三塁手のレギュラーに定着。
1996年 打率.302でプロ初の打率3割。
1997年 巨人に移籍した清原和博(現オリックス)の後を受けて四番打者に。打率.312、19本塁打、94打点と自己最高の成績でチームのリーグ優勝に貢献。出塁率.431はリーグ最高。ベストナイン受賞。10月3日のダイエー戦では自らのサヨナラホームランで優勝を決めるなど大活躍。
1998年 プロ入り初の135試合フル出場達成。
2003年 数年に渡る成績不振や首脳陣との確執の影響もあり、金銭トレードでヤクルトへ移籍。背番号は9。岩村明憲の故障を受けて三塁のレギュラーに。打率.317、20本塁打、95打点と自己最高の成績を更新。ベストナインおよびカムバック賞受賞。
2004年 岩村の復帰に伴い一塁へ。オフにFA宣言をした後に残留。
2005年 故障と後半戦のアダム・リグスの好調もあり、打率.252、6本塁打、32打点と自己最悪の成績に終わる。更に5300万円(今期年俸2000万円)の大減俸をのんだ。追い打ちをかけるように元・広島東洋カープのグレッグ・ラロッカの入団もあり、立場は追い詰められた。
2006年 開幕は屈辱の二軍スタート。七月にようやく昇格し、専ら左の代打要員だったが、成績は34試合で4安打、1本塁打、打率.167と、レギュラー奪取後最悪のものだった。しかし11月24日の契約更改では減俸はなかった(推定2000万円)。ただメジャーに挑戦した岩村の後釜としても名前は挙がらず、2007年は代打要員としての起用が濃厚である。それでも岩村が抜けたことで貴重な左の長距離砲となるため、活躍が望まれる。


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最終更新:2007年05月22日 15:17