高井雄平

高井 雄平(たかい ゆうへい、1984年6月25日- )は、プロ野球・東京ヤクルトスワローズ所属の投手。左投げ左打ち。背番号41。神奈川県川崎市宮前区出身。

==来歴・人物 ==

左腕にして球速150kmを越える速球派投手。
しかしコントロールが悪く、与四球率は1試合あたり5.0を上回るほか死球・暴投・悪送球の記録も多く、一線級の投手になるには制球力が最大の課題とされている。
身体能力は非常に高く、公式戦で本塁打を放つなど非凡な打撃センスを持ち合わせている。

明るい性格で、先輩やコーチたちからも可愛がられている。
伊東昭光コーチの厳しい罵声を一番良く浴びているのは高井であるが、伊東コーチが一番可愛がっているのもまた、高井であるといわれる。


==略歴 ==

東北高等学校出身。高校時代はナンバー1左腕として注目される。
タレントのベッキーとは同じ小学校、中学校で高井は1つ年下にあたる。
2003年ドラフト1巡目でヤクルトに入団。ドラフトでは1巡目で近鉄とヤクルトが競合する。当初巨人の入団を希望していたがその高い評価、さらには同じ在京セリーグであることからヤクルト入団を決意した(なお、実際は近鉄の指名を受けても入団する意思を固めていたようである。ただし、事前に競合から撤退した日本ハムの指名を受けた場合は入団を拒否するつもりでいた)。
この年の4月22日に初登板(巨人戦・東京ドーム)。6月11日にプロ初勝利を挙げる。
6月28日には5回で4失点ながら10奪三振を記録し勝ち投手に。高卒1年目で二桁奪三振を記録した選手は鈴木啓示、江夏豊、桑田真澄、松坂大輔など数える程しかいない。
2006年石井一久がヤクルトに復帰したため、背番号16を石井に譲った。その結果高井は22に変更した。更に高津臣吾も復帰したため22から再変更かと思われたが、高津は本人の希望により学生時代の背番号だった11となったため再変更はなかった。
2007年高津臣吾が球団側の提示で22番に戻すことになり、41に変更。


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最終更新:2007年05月22日 14:59