度会博文

度会 博文(わたらい ひろぶみ、1972年1月26日 - )は千葉県船橋市出身。平成期(1990年代後半~)のプロ野球選手である。ポジションは内野手だが、投手と捕手以外の全てのポジションを守れるユーティリティープレイヤーである。現在東京ヤクルトスワローズに所属し、背番号は4番。181cm,78kg。

==来歴・人物 ==

八千代松陰高校から中央学院大学を経て、1993年、ドラフト3位でヤクルトに入団。
大学2年から頭角を現し始め、首位打者3回など、数々のタイトルを手中に収めるものの、それほど注目される選手ではなかった。しかしながら、神宮外苑で草野球をしていたところ、片岡宏雄スカウトの目に留まり入団に至ったという異色の経歴の持ち主。
なお、ヤクルトには他にも元市役所職員の小倉恒投手(現東北楽天ゴールデンイーグルス)、元大工の本間忠投手(2006年オフ退団)、元フリーターの城石憲之内野手、巨人→広島→リースキン(社会人野球)といった経緯を経て入団してきた宇野雅美投手等変わった経歴の選手が多い。
入団後4年間は一軍での起用は無かったが、1996年、1997年と2年続けてファームで3割以上を打つ活躍を見せていた。
翌1998年には手薄な内野陣の中、8番三塁で開幕スタメンに抜擢されるなど、レギュラーを奪うかに見えたが、宮本慎也選手の復帰で1番一塁に回されるなど、スタメン定着には至らなかった。
1999年は一軍では打撃不振で、ファーム中心のシーズンとなる。この年、.357で、ファームの首位打者のタイトルを獲得。
その後は主に代打として活躍する。また守れるポジションが多いため、緊急事態に備えて一軍ベンチに置かれることも多い。
ファームの試合に出場する事もあるが、流石に二軍では力が上で、1996年以降3割を切ったシーズンは2003年の一度だけである。
いつもニコニコと笑顔を絶やさずチームを元気付けるムードメーカーでもある。古田敦也選手兼監督からの信頼もあつい。
近年、出番が減少してファンを心配させていたが、2006年には非常に高い代打率を残し健在ぶりを示した。同年に右の代打の切り札であった土橋勝征選手が引退したため、今後は度会選手が、その任を受け継ぐことになると思われる。


タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2007年05月22日 15:10