城石憲之

城石憲之(しろいし のりゆき、1973年4月17日 - )は、埼玉県さいたま市大宮区(旧大宮市)出身。平成期(1990年代後半-)のプロ野球選手。ポジションは内野手。右投げ右打ち。身長183cm、体重73kg。元フリーターという異色の経歴を持つ。

==来歴・人物 ==

生い立ち・アマチュア時代

父親はかつて北関東でも有数の事務用品卸の会社を経営していた。この父親が野球好きであった事から、城石の野球人生は始まったと言われている。
最初はサッカーを始めたが、リフティングがうまく出来ないと言う理由からソフトボールに転向する。
中学時代は軟式野球部に所属。
春日部共栄高校野球部時代に主将。6番または3番ショートのポジションで春の甲子園及び夏の甲子園に出場。春1勝。
その後青山学院大学に進学するが1年次で中途退学。中退理由については諸説あるが、出身地である埼玉では、甲子園へ主将として出場した経歴が仇となり、上級生からのいわゆる『つぶし』を食い、それを嫌ったとの説が通っている。

プロ入り後

大学中退後、ガソリンスタンド従業員などのフリーター生活を経て1995年 ドラフト5位で日本ハムファイターズに入団。背番号は54番。
1998年パリーグ開幕の前日に、脱税事件で出場停止処分を受けた宮本慎也に代わるショートを捜していたヤクルトスワローズに、野口寿浩との交換トレードで移籍。背番号は28。宮本復帰後は主にセカンドとして活躍。
2001年背番号を00番に変更。内野手の控えとしてヤクルトの優勝に貢献。
2002年背番号を10番に変更。初の開幕スタメン(セカンド)をつかむも4月末に左肘を脱臼、長期離脱を余儀なくされる。しかし、自己最高の8本塁打を記録。
その脱臼の後遺症で、左肘は今でもまっすぐに伸ばせない。
2005年シーズン終了後、選手会長に就任。
2006年12月16日、自身の公式ブログで、テレビ東京アナウンサー大橋未歩との結婚を発表。2007年1月1日、正式に入籍した。
監督でありチームメイトでもある古田敦也とは血縁ではないが遠縁の親戚にあたる(古田の母方のいとこと、城石の父方のいとこが夫婦)

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最終更新:2007年05月22日 15:17