石井一久

石井 一久(いしい かずひさ、1973年9月9日 - )は、東京ヤクルトスワローズの投手。コントロールは粗いが、非常に切れのいい速球と左打者の後ろから入ってくるような大きく割れるカーブを投げることで知られる。マネージメントは吉本興業スポーツ部。

==来歴・人物 ==

千葉県千葉市若葉区出身。妻は元フジテレビアナウンサーの木佐彩子。
183cm、98kg、左投げ、左打ち、O型。2005年シーズンの自身の登板の際の入場曲に、松平健の大ヒット曲マツケンサンバIIを選ぶことを、毎年恒例の年1回のニッポン放送オールナイトニッポン(石井一久のオールナイトニッポン)で決めた。2006年はニッポン放送の石井一久のプロ野球バンザイのパーソナリティーをしながら、野球をするという多忙なスケジュールをこなしている。

==略歴 ==

  • 1989年、千葉市立みつわ台中学校卒業。東京学館浦安高等学校入学(当初は東洋高等学校入学予定だった。あまりの学業の悪さで入学できなかったとされるが事実は不明)。
  • 1992年、高校卒業後、ドラフト1位でヤクルトに入団。
  • 1997年、対横浜ベイスターズ戦(横浜スタジアム)でノーヒットノーランを達成。(プロ65人目)
  • 1998年、セ・リーグ最多奪三振。シーズン三振奪取率11.047は日本新記録
  • 2000年、セ・リーグ最優秀防御率と最多奪三振の二冠に輝く。
  • 2002年、ポスティング・システム(入札制度)によってメジャーリーグ、ロサンゼルス・ドジャースに移籍。開幕6連勝と好調なスタートを切ったが、9月8日のアストロズ戦で強烈なピッチャーライナーを頭部にまともに受けてしまう。病院に直行した結果「頭蓋骨の亀裂骨折」と診断され、このシーズンどころか選手生命の危機に立たされる(当たった所がボール1個分ずれていたら本当に危なかったという)。
  • 2005年、ジェイソン・フィリップスとのトレードでニューヨーク・メッツに移籍。突然のトレードで動揺し1勝にとどまった。
  • 2006年、盟友・古田敦也が選手兼任監督に就任したヤクルトへ復帰し、ローテーションをきちんと守り、期待通りの活躍を見せており、日本での5年ぶりの2桁勝利を挙げたほか、チームのAクラス復活に貢献した。


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最終更新:2007年05月15日 15:07