藤井秀悟

藤井 秀悟(ふじい しゅうご、1977年5月12日 - )は愛媛県伊予市出身の東京ヤクルトスワローズ所属の投手。左投げ左打ち。

==来歴・人物 ==

球持ちが良く、かつ躍動感あふれる投球フォームが特徴的。キレのあるストレートやスライダー、鋭く沈むチェンジアップなどが持ち球。これらのボールを低め低めに投げる制球が抜群。このコントロールがいい為、キャッチングの上手い古田敦也は、平気でワンバウンドを要求するが、バッターは手を出してしまう。石井一久の後を受けるヤクルトの左腕エースである。
試合は作っても援護点になかなか恵まれず、投手援護率も1.20と12球団の規定投球回数達成投手の中でもダントツのワーストであり、完投しても敗戦投手になることが非常に多い。当然ながら、1-0や2-1というスコアで負けることも珍しくない。逆に援護に恵まれた時には味方の中継ぎ陣が総崩れして点差を一気に埋められ勝ち星を消されてしまうなどあまりにも悲運な出来事が多い投手でもある。2005年4月の中日戦(神宮)でも1試合14奪三振で8回まで無失点に抑えたにもかかわらず、9回から交代した五十嵐亮太がまさかの背信投球をしたためにチームは逆転負け、藤井の白星はまたしても消えてしまった。
球界随一のサッカー通としても知られている。

==略歴 ==

  • 高校は今治西高校に在学。「伊予の怪腕」と呼ばれ、1993年1年夏愛媛県大会決勝で宇和島東・平井(オリックスー中日)と戦い3-5で惜敗。1995年(3年生)に悲願の春の甲子園出場、打っては4番の大活躍でベスト4に残るものの、投球中に左肘関節脱臼してしまう。左肘は以降彼の古傷となる。3年の夏の県大会では、怪我の影響で1試合も登板することができずに松山商に4-5で敗れる。
  • 早稲田大学に進学。大学時代は早稲田のエースで、通算24勝を挙げた。
  • 2000年 ドラフト2位(逆指名)でヤクルトに入団。背番号は23。プロ初勝利を挙げる。
  • 2001年開幕から先発ローテーションに定着。巨人戦に滅法強く、「巨人キラー」と呼ばれる。6月17日の札幌ドームでの広島戦でプロ初完封をおさめるなどシーズン終了まで好調を維持して、チームの日本一に貢献。セ・リーグ最多勝およびベストナインを受賞。
  • 近鉄との日本シリーズでは第2戦に先発。中村紀洋にホームランを浴びるなど、不安定な内容で6回途中降板。黒星はつかなかったが、チームは敗戦した。
  • 2002年 背番号を18に変更。開幕投手を務めた。登板回避などいい印象はあまり無いもののエースの意地をみせチームトップの195.3/2イニングを投げきる。
  • 2003年 開幕前から左ひじの違和感を訴えることがあったが、開幕直後に左肘靭帯断裂が発覚して手術。1試合登板しただけでこの年を棒に振る。
  • 2004年5月26日の中日戦で、故障からの復帰初登板を果たす。しかし不安定な投球内容が多く、ひざの怪我で離脱することもあった。
  • 2005年前半戦は初登板の中日戦で14奪三振を奪ったのをきっかけに安定感抜群の投球を披露した。防御率・奪三振でリーグトップを独走。殆ど7回まで1~3失点に抑え試合を作るも毎回のように見殺しにされ、白星に恵まれなかったが、実質エースとして投手陣を牽引した。9月だけで防御率が1点以上悪化するなど大きく失速するも、故障からの完全復活を遂げた。
  • 2006年4月16日に松山で行われた対中日戦で地元初勝利を飾った。しかし、昨年とは別人のような不安定な投球が続き、同年8月10日、不振のため2軍落ち。

==タイトル ==

  • 最多勝 1回(2001年)
  • ベストナイン 1回(2001年)
  • 最優秀投手1回(但し、ベストナインの投手に送られる賞である)(2001年)



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最終更新:2007年05月15日 15:23