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『4seasons』そしてまためぐる季節/中

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匿名ユーザー

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『4seasons』そしてまためぐる季節/前より続く
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


§3

 手を繋いで、私はこなたと歩いている。
 夕陽に照らされた川沿いの土手道を、こなたと二人で歩いている。
 ――影が、長い。
 澄み渡った空に広がる、茜色の残照。それが私たちの影を青黒く塗りつぶし、だから私たちはこの川沿いで手を繋ぎながら歩いている。この手を離したら最後、目の前の親友が覚えも知らぬ他の誰かに変わってしまうかのように、お互いの手にすがりながら歩いている。
 川の向こう、立ち並ぶ街並の奥に夕陽は没し、遠景をただ青黒い線に変えていた。
 満々と水を湛えた大落古利寝川は、春の空気にたゆたうように流れている。その水面にもう一つの落日を写しながら流れている。
 犬の散歩をする女の子。ジョギングをする中年男性。空を渡っていくカラスの群れ。河川敷の芝生で語り合う男女。同じく卒業式帰りだろうか、肩を叩きながら笑い合う男子中学生たち。
 緑多い古利寝川の土手道は、糟日部市民たちの格好の散歩道になっている。青く澄んだその古利寝川の水面は、今日も昨日も一昨日も、変わらず同じ風景を映し出していることだろう。
 今日も、この街にとっては昨日と何も変わらない一日だ。
 私たちが高校を卒業したと云っても、この世界はそんなことはまるで意に介さず回っている。ただスポーツバッグに刺さった細長い筒だけが、私たちの卒業を示して揺れていた。私たちの歩みに合わせて揺れていた。
 少し前を行くこなたの顔は、逆光になっていてよく見えない。
 黙々と私の手を取って歩く、こなたの顔はよく見えない。
「――それにしてもさ」
 ぽつりと私が云うと、こなたは魂を抜かれたような声で「んー」と唸った。
「まさかあんたが大泣きするなんてね」
「ま、まだそれでひっぱるんだ。……もうほっといてよ」
 こなたは、恥ずかしそうに顔を背けている。
 その輪郭が、夕陽を浴びて白々と輝いている。
「にひひ、ツンデレ萌え~」
 わざとらしく口調を真似て、こなたのことをからかった。
 こなたはますます顔を赤くして、私から離れるように身をよじる。
 けれどこなたは、繋いだ手を放すことまではしなかった。
 ――プアン。
 川に架けられた鉄橋を、糖武野田線の電車が渡っていく。青いラインが引かれているはずの電車は、夕闇にただ青黒く沈んでいる。

 ――どうしたの?

 なんて聞く必要もない。私たちの間で、理由なんて必要ない。
 ただ私と並んで歩いていたかった。こなたが私を引き留めた理由なんて、きっとそれだけで充分だ。

 ――私だって、同じ気持ちだったから。

    ※    ※    ※

 打ち上げと称して、みんなで糟日部駅前のファミレスになだれ込んだ。時刻はまだお昼時。卒業式の後とはいっても、そこは健全な女子高生――いや、若い女の子たちのこと。お昼になればお腹も空くし、喋りたいことだって、まだまだ沢山あるものだ。
 私たちの間で泣き出してしまったのはつかさとこなただけだったから、話題はそのことに集中していった。特にみさおは普段こなたに云い負かされていることが多かったから、ここぞとばかりにいじり倒したものだった。その度に照れながらそっぽを向くこなたが可愛くて、私も一緒になって遊んだ。
 つかさはまだぐすぐすと鼻を啜っていた。あやのに頭を撫でられても、みゆきに慰められても、なかなか涙の余韻を振り切ることはできないようだった。
 それでも、中学校の卒業式ほど酷い様子ではない。あの時は家に帰ってもまだ大泣きしていて、夜には私のベッドに潜り込んできたほどだった。
 それを云うと場は大いに盛り上がり、つかさは湯気が出そうなほど真っ赤になってテーブルに突っ伏した。こんな風に騒ぎ立てるのが迷惑だとはわかっていたけれど、今日くらいは多めに見て欲しいと思った。私たちの様子から卒業式帰りだということはわかるのか、文句を云ってくる人はいなかった。
 食事が運ばれてきても、私たちは食べながら色々なことを話した。大学で何をしたいかとか、陵桜で密かに不満だったことだとか、誰かがいつか云った面白い発言のことだとか。
 この三年間にあった全ての面白いことや面白くなかったことを語り尽くそうとするように、私たちは喋り続けた。

 二次会はカラオケボックスだった。
 おきまりと云えばおきまりのパターン。陵桜のグループが他にも二組ほど入っていて、顔を見合わせてお互いに笑った。
 あやのの歌を初めて聞いたこなたとみゆきは、目を丸くして聞き入っていた。実にこの子はカラオケが上手くて、昔から初めて聞いた子を驚かせたものなのだ。
 こなたは相変わらずアニメソングばかり歌っていたけれど、私たちももう慣れたもの。よくわからない古いアニメソングも右から左へと受け流しながら、ぱらぱらとカタログをめくっていた。
 けれど意外とみさおがそれに反応して、異様なハイテンションで男の子向けの古いアニメソングを一緒に歌っていた。
 そういえばこいつも小学校の頃は男子とばかり遊んでいたと聞いていた。そういうところでも気が合うのかもしれないと、大口を開けて笑い転げるみさおを眺めて私は思った。

 ――戯れに入れてみた『モンキーマジック』を、こなたは完璧に歌いこなした。

 私もびっくりしたけれど、歌った本人が一番びっくりしていた。
 リスニングの勉強をしているうちに身についたのだろう、発音だってちゃんとしたものだった。私はまた前のときみたいに、歌えないと云って泣き出すこなたのことを期待していたのに。
 いつのまにか、こいつも随分成長していたんだな。
 狙いとは違ったけれど、そう思うと私は酷く嬉しい気持ちになったのだ。
 ――そうして、こなたがトイレに行くと云って席を立ったときのこと。
 私は『カブトムシ』を歌い終わって、ほっとひと息吐いていた。

 ――琥珀の弓張月 息切れすら覚える鼓動
 ――生涯忘れることはないでしょう
 ――生涯忘れることはないでしょう

 自分が歌ったその歌詞が、胸に染みついて中々離れなかった。つい感情移入してしまって、私自身歌の世界に入り込んでしまっていたように思う。みんなには受けたけれど、こなたがこの場にいなくて助かったと私は思っていた。

 ――Everyday I listen to my heart

 深いブレス音のあと、流暢な英語が聞こえてくる。みゆきが『Jupiter』を歌い出していた。
 らしいなと、私は思う。みゆきは普段のほんわかぶりとは裏腹に、実にクラシカルで荘厳な曲が好きなのだ。この三年間一緒に遊んできて、私はそれを知っていた。初めてみんなでカラオケに行ったときには何を歌っていいのかわからない様子だったけれど、今はもうみゆきも慣れたものだった。
 私たちは四人で、そうやって色々なことに慣れていったのだ。
 と、ケータイが振動して、私にメールの着信を知らせていた。誰だろうと思いながら、持っていたウーロン茶のグラスをテーブルにおき、私はケータイを取り出した。

 ――差し出し人は、トイレに行っているはずのこなた。

『あとで、二人で話したいんだ』

 何事もなかったふりをして、私はそっとケータイを畳んだ。

    ※    ※    ※

「あー!」
 こなたが前方を指さして、大きな声で叫んだ。
「わ、うそっ」
 その方向を見て、私も信じられない思いでそう云った。
 古利寝川沿いの土手道から河川敷に入ったところ、緑の芝草に包まれた桜並木の方だった。

 ――満開の、桜が咲いていた。

 十数本の桜の木が、その枝に白い桜を咲かせて立っていた。オレンジ色の夕陽に照らされて、その桜並木は異様なほど幻想的な雰囲気を周囲に投げかけていた。
「あ、ちょっとこなたっ」
 立ち竦んでいた私の手を放し、こなたは一直線に桜の元へと駆けていく。えもいわれぬ不安にかき立てられて、私は慌ててこなたのことを追いかけた。
 あんな桜はきっと普通じゃない。
 こなたを一人であそこにむかわせてはいけない。全く理屈に合わない、そんな不合理な思いが頭の中を支配していた。
「――不思議。なんでここの桜だけ咲いてるんだろ」
 やっと追いついた私を振り返り、こなたは呟いた。
 舞い散る桜の花弁をその身に受けながら、こなたは茫洋とした顔つきで満開の桜を見上げていた。
「本当不思議ね。普通ソメイヨシノは同じ時期に咲くのに……」
 こなたの手を取って、私は云う。暖かいその手の感触に、私はほっと胸をなで下ろしていた。こなたはどこにもいかずにここにいる。考えてみれば当たり前のことなのに、私はそれに心から安堵した。
「そもそもそれも不思議だよ。開花予想とかあるけど、普通花ってそこまで同じ時期に咲かないよね?」
「ああ、それはほら、ソメイヨシノがクローンだからじゃない?」
「ええっ、マジ!? 桜って実はなんかの秘密結社のバイオ兵器だったりすんの?」
「しねーよ。ってかクローンって言葉に変な意味くっつけすぎだろ。全部接ぎ木だってことよ」
「ん、あ、そゆことかー」
 自分でも庭いじりをするこなたのことだから、どういうことかはすぐにわかったようだった。
 こなたは持っていた荷物をぽいぽいと放り投げて、どっかと桜の根元に座りこんだ。そうして赤茶けた幹に背を預けて、頭上の桜を振り仰ぐ。
「じゃ、この桜も陵桜の桜と同じ個体ってことなんだね。――離れてても、一緒なんだ」
 嬉しそうにそう云ったこなたの横に、私もそっと座りこむ。
「ソメイヨシノってそこら辺に植えられてるけど、サクランボがついてるところ見たことないでしょ」
「……あれ? そういえばそだね?」
「桜は自分じゃ子孫を作れないのよ。だから人間が接ぎ木しないといけないんだって――みゆきの受け売りだけどね」
 私がそう云うと、こなたはすっと目を細める。
 細めた目で満開の桜を眺めながら、こなたはしみじみと呟いた。
「そっか。どれだけ綺麗に花を咲かせても、桜って子供を作れないんだ」
 ひらり。
 春の風に吹かれて花びらがひとひら舞い散って。
 私は、三年前の春のことを思い出す。
 満開になった桜の森の下、今にも桜吹雪の中に吸い込まれそうだった青い髪の少女のこと。今よりも随分儚げで、今よりもちょっとだけ幼くて、今よりもほんの少し痩せていた、こなたのことを。
 子供を作れない桜と、子供を作る行為ができないこなた。
 全ての木が同じ個体である桜と、かなたさんを真似て髪を伸ばしているこなた。
 ひらり。
 花びらがひとひら舞い散って。
 私はこなたの身体をぎゅっと抱きしめる。
「……お、おお? デレフラグきた?」
「バカ、そんな照れ隠しいらないわよ」
「――うん」
 しばらくそのまま、言葉もなく抱き合っていた。
 あの時は冬の真っ最中で、抱き合ってても寒いくらいだったけれど、今はこうしていると随分と暖かい。川を渡る風が髪の毛を揺らしても、二人で抱き合っているだけで随分と暖かい。
「――かがみはさ、強いよね」
 ぽつりと、こなたが呟いた。
「そうかぁ? あんたの前じゃ弱いところばっか見せてきたと思うけどな」
「どこがさ。今もこうやって抱きしめてくれるじゃん」
「そりゃ、私がしたいからしてるだけじゃないの。あんたの方こそ不安じゃないの?」
「んーん、全然? だってかがみだし」
「――そう」
 変な会話だな。そう思うとおかしくて、自然と笑みがこぼれてくる。そうしてくすくすと笑い出した私を見て、こなたも同じように笑い出す。
 まるで卒業式なんてなかったかのように。
 いつまでもこのまま一緒にいられるかのように、私たちはくすくすと笑っていた。
「――わたしたちさ、このままいつまでも友達のままいられるんだよね?」
 笑いの中に紛れ込ませるように、こなたが云った。
 何気なく云ったように見せかけているけれど、そのセリフに沢山の勇気が籠められていることに、私は気づいていた。
 だって、私の腕をつかんだ掌に、ぎゅっと力が入っている。
「――うん。私はそのつもりよ」
 私が答えると、こなたは桜のように笑った。
 今満開の花を咲かせている季節外れの桜のように、それは綺麗な笑みだった。けれど少しだけ儚げな笑みだった。今咲いている、季節外れの桜のように。
「今までみたいに、特に用事がなくてもメールしたり電話したり、してもいいんだよね?」
「――勿論よ。こなたが厭って云っても、私の方からそうしてやるわよ」
「大学はちょっと遠いけど、ちょくちょくみんなで待ち合わせして遊びに行ったり、土日とかはみんなと泊まりで遊んだり、できるんだよね?」
「――そうね。みんなのスケジュール合わせるのは大変かもしれないけど、折を見て前みたいに集まりたいわね」
「コミケとかワンフェスとか一緒に行って、一緒にコスプレしたりひよりんの搬入手伝ったり、できるんだよね?」
「――ごめんそれ無理。ってかそんなこと今まで一度たりともしてないだろ」
「えーなんでー? かがみんのけちんぼー!」
 わざとらしくぷーと頬を膨らませ、こなたは腕をぱたぱたと動かした。
 それが可愛くて、私は声を立ててあははと笑った。
「一緒に行くくらいならいいけど、コスプレとかは絶対無理!」
「むぅ。でもでも、かがみんは絶対コスプレ似合うよ? スレンダーだし、肌白いし、ツンデレだし」
「そんな褒め方されても全然嬉しくないわよ。そもそもツンデレじゃないし、コスプレとも関係ないし」
「もー、わがままだなぁ、かがみんは」
「どっちがだよ」
 私は呆れながら。こなたはニマニマと笑いながら。
 こんな会話だって、これから先ずっとしていける。
 私たちはずっとこうやって、じゃれ合いながらもくっつくこともなく、二人でお互いのことを眺めながら年を取っていくことができるのだ。
 そのとき私はそう思っていた。
 ――けれどその次にこなたが云ったセリフは、そんな私の予想をまるごと吹き飛ばしてしまったのだ。
「あ、それとさ。今までみたいにお互いの家に遊びにいったりも、できるよね? 平日の夜でも、休日の朝でも、ふと思い立ったとき。自転車に乗ってって、だらだらとゲームとかして過ごすの。気がついたらつかさもいて、私たちはどうでもいいことで笑って――」

 その言葉にどんな反応も返すことができず、私は口ごもったまま固まった。

 ――私は、一人暮らしをするということを、まだこなたに伝えていなかった。

 つかさに泣かれてしまったあと、みんなに云っておかないといけないなとは思っていた。けれどあの前後こなたはずっと大変な状況だったし、その後も私はそれを告げられるような精神状態ではなかった。受験期間中は、合格後の予定なんて無邪気に云うことははばかられたし、合格が決まってからはみんなの笑顔に影を落としたくなかった。
 云おう云おうと思いながら、結局卒業式のこのときまで、私はそれをつかさ以外に云い出せていなかったのだ。
 無言のままの私に何かを感じたのだろう、腕の中のこなたの身体が凍りついていた。さっきまでこなたの身体はあんなに暖かかったのに、まるで物理的に体温が下がっているような気さえした。回した腕の下、こなたの筋肉が緊張したように固まっていくのがわかった。

「――かが、み?」

 夜の底から響いてくるような声だった。まだ陽は落ちきっていないのに。もう春だというのに。それは冬の夜の冷たさをまとった声だった。
「――ごめん」
「え? なにそれ、なんで謝ってんの?」
「私、一人暮らしするんだ。慶央って見田はともかく日良はちょっと遠いし……」
「……へ?」
「もう契約もしちゃってるから、今月末には荷物まとめることになると思う。いいところだったわよ。元住良で、キャンパスから歩いて二十分くらい。自転車買えばすぐよねー。大学行くならちゃんとメイクしないといけないし、服だって今までみたいにはいかないわよね。毎日着こなし考えるの大変そうだわ。だから、ぎりぎりまで家にいられるのって便利だと思わない? ねえ? どう思う?」
 腕の中で固まったこなたに、私は必死で声をかける。何も云ってくれないこなたの身体を揺すりながら、私は取りすがるように抱きついて、こなたに必死で問いかける。
 ――寒い。なぜだか酷く寒かった。
 けれどこなたは何も云ってくれないまま。
 するりと、私の腕の中から抜けだした。
 しっかりと捕まえていたはずなのに、気がついたら腕の中にこなたの身体はいなかった。
 途端に忍び寄る冷気に、私は桜の下で身震いをする。

「……なんで、今までそんなことわたしに云ってくれなかったの?」

 こなたの顔は逆光に沈んでいる。青黒い夕闇の色に染まっている。

「あ、あんただけじゃないわよ。つかさ以外にはまだ誰にも云ってなくて……ごめん、なんか云いづらくて……」
「なんで? わざわざ一人暮らしなんてしなくてもいいじゃん? 二時間くらいなら、通ってる人いっぱいいるよね?」
「そう……そうだけど。でもロースクールとか通うならあっちの方が便利だし、一人でやってみたいっていう思いもあるのよ。そりゃ、仕送りとかしてもらうんだし、ちゃんとした自立じゃないけど……」
「――それって、わたしと離れてでもしたいこと?」
 氷の刃のようなこなたの言葉が、私の胸に突き刺さる。途端に私の手足が、身体が、心が冷えていく。その冷たさに、凍えたように身体の感覚がなくなっていく。
「……違う、違うよ。あんたと何かを天秤にかけるなんてこと、絶対にしない……」
「――わたしが――」
 呟いて、こなたもそこで口ごもる。
 何を云うのだろうと思いながら、私はじっとこなたの顔を見つめていた。死刑宣告を待つ罪人のような気持ちで、私はこなたの顔を見つめていた。
 ――その顔に、ひとひらの桜が舞い落ちて。
 そうしてこなたが、口を開く。

「――わたしが、振ったから?」

「こなたっ!」
 その言葉を聞いた途端、弾かれたように私は飛びだしていた。
 何かを考える余裕なんてまるでなかった。ただこなたにその先の言葉を口にして欲しくなくて、こなたの身体に飛びついた。
 けれど、こなたの身体はそこにはない。
 抱えた私の腕の中に、こなたの身体は存在していない。
 ――さわさわ。
 ――さわさわ。
 頭上の梢が囁いて、どっと桜吹雪が降ってくる。
 四つんばいになったまま音がした方を眺めれば、いつの間にかそこにいたこなたが、私のことを見下ろしていた。
 桜の木に背中を預けながら、荒い息をして。
 追い詰められた獣のような眼差しで、こなたは立っていた。

「――うそつき! ずっと一緒にいてくれるって云ったじゃん!」

 夕陽が横から照らしていて、顔の半分は闇に沈んでいる。けれど影の中こぼれ落ちる涙が陽を浴びて光っている。きらきらと、真珠のように光っている。
「云った……云ったわよ。だからずっと親友でいようって、云ってるじゃないの……」
 その涙を愕然とした思いで眺めながら、私は喉の奥から言葉を絞り出していた。
 この子の涙を止めたいと、ずっとそう思ってきたのに。
 この子に泣いて欲しくなくて、ずっと私は我慢してきたのに。

 ――なのにどうして、こなたは泣くんだろう。

「じゃあ、どうして遠くに行っちゃうなんて、云うのさ!」
「そんなこと、一言も云ってない!」
「云ってなくても、遠くに行くんでしょ!」
「遠くなんてない! 精々二時間もあればいつでも会える! 会いたいときに会えるだろ!」
 ぎゅっと目を瞑って私は叫ぶ。こなたの涙を振り切るように、私は叫ぶ。
 それを聞いただろうこなたの方からは、一切反応が返ってこなかった。こなたは絶句したように言葉を止めていた。その沈黙に、私はそっと目を開く。
 こなたは、顔を歪ませて震えていた。切なげに眉尻を下げながら、何かを我慢するように全身を震わせていた。
「……遠いよぉ……遠いんだよかがみ……。それじゃ私には遠いんだよ……」
 桜の木に背中を預けたまま、力尽きたようにこなたはずるずるとしゃがみ込む。流れる涙を隠すように顔をうつむかせ、しゃくり上げながら両足を抱え込む。
「なんで……なんでそんなに……こなた……」
 膝に顔を埋めながら、こなたは泣いている。桜が舞い散る中、子供がわがままを云うときのように、全身全霊で泣いている。
 そうして私は、それを信じられない思いで見つめているのだった。
 ――なんで泣いているのかがわからない。
 こなたがこんなに苦しんでいる理由が、私にはわからない。
「かがみは……かがみは優しいから、きっとすぐ新しい友達ができるんだ……。かがみは格好いいから、すぐに人気者になっちゃうし……。かがみは、かがみは可愛いから……すぐ、彼氏だってできちゃうんだよ……」
 私はそっとにじり寄る。四つんばいになったまま、顔を伏せて泣くこなたの元へとにじり寄る。
「……そしたら、そしたらかがみは私のことなんて忘れちゃう。格好良くて優しいかがみには、きっと格好良くて優しい彼氏ができるから……。こんな、チビでオタクで頭悪い私のことなんて、かがみはきっと忘れちゃう……」
「そんなはず、ないだろ」
 低い声でそっと囁くと、こなたはびくりと身体を震わせた。私が近くにいることに気がついていなかったのだろう、驚いたように顔を上げると、目を丸くしてあとずさる。
「あるよ……」
「ないわね」
「あるってば……」
「ないって云ってんだろ」
 嫌々をするように首を振りながら、こなたは後ろ向きにあとずさっていく。
 私はゆっくりと追いかける。
「あるよ……。彼だって、可愛い彼女作ってたじゃん。魔法使いちゃんだって、あんなに好きだったのに……今はもうどこで何やってるのかもわかんない。かがみだってそうなるよ……か、かがみだって、かがみだってきっとそうなるよ……」
「絶対にならないわね。私のことバカにしてんのか?」
 私がそう云うと、こなたは喉に何かがつまったような顔をして、ぴくりと動きを止めた。そのまま止まってくれることを期待して、私はこなたの方へと這っていく。
 けれどそれも一瞬のことだった。大きな嗚咽を一つ吐き出すと、こなたはより一層動きを早めて逃げようとする。頬を伝わる涙の河が膨れあがっていた。
「――そうやって、いつまで逃げてくつもりよ」
「かがみには、わかんないよ……」
 私はそのまま追いかける。
 こなたは逃げていく。
「あんたはいつもそうだ。いつだって自分のことを卑下してて、自分自身のことに無頓着で……投げやりで……」
「かがみにはわかんないよ!!」
「ああ、わかんないわよ。云ってくれなきゃわかるもんか! 云えよ! 全部云え! 私が受け止めてあげるから!」
 私が怒鳴りながら立ち上がると、こなたも慌てて立ち上がる。
 けれどその足が震えている。
 振り返って逃げ出そうとするこなただったけれど、二、三歩走っただけで足をもつれさせてよろめいた。
 私はそのままこなたの身体に飛びついた。
 ――私も、投げ飛ばされたりするのかな。
 心の中でそんなことを考えて。よくわからないなりにこなたの身体にしがみつく。その細い腰に腕を回して、身体を持って行かれないように、腕を組んでぎゅっとこなたを抱きしめる。
 そのまま、こなたと一緒に転がった。
 投げ飛ばされるどころか、こなたは私の勢いを受け流すこともできずに、そのまま一緒に転がっていった。
 芽吹いた春の若草を押しつぶしながら、ごろごろと転がっていく。
 鼻腔一杯に広がる、青臭い草の香り。
 が頬に当たる、湿った土の感触。
 ハルジョオンかヒメジョオンかわからない、白い花が咲いていた。
 そうして気がつけば、私の下にこなたの身体があった。
 私の身体に押しつぶされて、小さなこなたがそこにいた。

 ――胸が、張り裂けそうに痛い。
 何かの予感が湧きだして、胸のどきどきが止まらない。

 こなたは息を荒げながら、涙をこらえるように瞳をぎゅっと閉じていた。閉じた目蓋の上に握り拳を乗せながら、こなたは子供みたいにすすり泣いていた。
「い、嫌だった……わたし、凄い嫌だったんだよぉ……。かがみの隣にわたし以外の子が立ってるってこと……。かがみが私以外の子に、あの、優しい笑顔を向けてるとこ……想像してみたら、胸がきゅーって締めつけられるみたいで、居ても立ってもいられなくて……」
「――こな、た……?」
 なんだろうと思う。
 こなたの胸を締めつけるその感情は、一体なんだろうと思う。

 けれど私は知っている。
 それに近い感情を、私は知っている。
 その感情を呼ぶ、一番わかりやすい名前を私は知っている。

 ――そんなはず、ないのに。

 こなたがそんな感情を持てないからこそ、今こうなっているはずなのに。
 それでもこなたが伝えたその想いは、私にとって余りにも馴染み深い感情で。
 この一年間、ずっと私の胸を締めつけてきた感情で。

 ――私の胸が、どきりと音を立てて鳴る。

「――こなた。私の目を見なさい」
 表情を隠そうとするこなたの腕を取り、顔の左右で押さえつけながら私は云う。
 ――こなたは、ぎゅっと目を瞑って震えていた。
 私は、そんなこなたを覗き込むように顔を近づける。もう二度と目をそらせないように、もう決して言葉をごまかせないように、私はこなたに顔を近づけた。
 薄く目を開けたこなたがはっと息を呑み。
 そうして、その綺麗な瞳を見開いた。
「云って、こなた。私のこと、どういう風に好きなのよ」
「――どういう、どういうって……。わ、わかってる癖に……。かがみの好きっていう感情とはまるで違うって……わたしはちゃんと人を好きになることができないって、わかってる癖にそういうこと云うんだ……?」
「いいから。云って」
 ぐっと目に力を入れて、私はこなたのことを睨みつける。
 こなたは、魅入られたように動かなかった。呆けたように口を開けながら、じっと私の目を見つめ返していた。
 ぱちくりと、涙を切ろうとするように青竹色の瞳を何度かまたたかせ。
 そうして、こなたは喋りだした。
「――大好き、だよ。……でも、わたしが恋愛感情なんて持てるわけないんだから、これってきっと本当の好きとは違うんだよね?……かがみとずっと一緒にいたい。かがみのことずっと見ていたい。かがみに、わたしのことだけ見ていて欲しい……でも、これも本当の好きじゃないんだよ、ね?」
 私は、思わずこぼれそうになった涙をぐっと抑えつけていた。今は泣いているような場合じゃない。そう思って、私は自分の感情を心の奥に押しやった。
 ――みゆきが、そうしたように。
 私にもそれができるはずだった。
「――知ってる? かがみ、気づいてる? かがみって、わたしを見るときすっごく優しい顔するんだよ? “しょうがないな”って顔するときも、しっかりしろって小言云うときも、いつだって瞳だけは優しいんだ。……それで、それでわたしはそんな目で見られる度にいっつもどきどきして、いてもたってもいられなくなって。だからなんとかしようとしてかがみのことをいじくって、そうしたら、かがみはいつでも可愛くて……だからまた、わたしはどきどきしちゃうんだ」
 ――まるで、だめだった。
 子供みたいに素直な瞳で、私を見上げながら懸命に喋るこなたを前にして、涙をこらえることなんてまるでできなかった。
 ――ぽたり。ぽたり。
 私の瞳から流れた涙が、こなたの顔に次々とこぼれ落ちていく。
 顔を背けよう、こなたを汚さないようにしよう、そう思ったけれど、私の身体は痺れたように動かなかった。
「……かがみ?」
 きょとんとした顔で、こなたは小首を傾げて問いかける。顔に降り掛かる涙を避けようともせずに、無垢な瞳で問いかける。
「どうして……」
「――え?」
「なんで……なんでこんなことになっちゃったのよ……」
「それは……わたしがアセクで生まれたりしたから――」
「違う!」
 私が怒鳴ると、こなたはその大声に驚いたか、びくりと身体を震わせた。
「いつから? いつからそんな風に思ってたのよ?」
「んー……わかんないけど、一年の二学期くらい?」
「そんなに……そんなに前から……」

 今自分が感じている感情が一体何なのか、私にはまるでわからない。
 悲しみなのか。
 喜びなのか。
 恨みなのか。
 憎しみなのか。
 まるでわからない。
 まるでわからないけれど。

 ――ただ、こなたが感じているその感情のことだけはよくわかる。

「あんた、ずっと私のことが好きだったんじゃない!」
 怒鳴るようにそう云うと、こなたは不思議そうな顔で目をぱちくりとさせた。
「そだよ? 最初にあったときから、ツンデレツインテ萌えだって――」
「違う、違うのよこなた……それが恋なの! あんたが感じてるそれが、私が感じてるのと同じ、恋なのよ! あんた、ちゃんと恋愛感情持ってるんじゃない……」
 ――涙なんて、全部流し尽くしたと思ったのに。
 あの日、クリスマスの次の日に。みゆきの胸の中で、涙の塊なんて全部溶けて流れていったと思ったのに。
 ――春の雪解け水のような涙の奔流が、心の底から湧き上がっては瞳の端から流れていった。
「――うそぉ?」
 呆然とつぶやくこなたの顔は、どこもかしこもぐしょぐしょだ。私の涙とこなたの涙が入り交じっていて、水から上がったばかりのように濡れている。
 長いまつげの先端に、涙の雫が乗っている。こなたの瞳が迷うように震える度、夕陽を照り返して宝石みたいに光っている。
「ほ、本当よ……あんた、私に恋してるの、よ……」
 そう云う私の唇も震えている。喉の奥からせり上がってくる嗚咽をこらえながら、私は懸命に言葉を絞り出す。
 もう何度、私はこうしてきたのだろう。あふれ出る涙の狭間から、何度私はその想いを伝えようと、懸命に言葉を発したことだろう。
 ――けれど違う。
 この涙は、今まで流してきたものと、まるで違うものだった。あの夏の日も、あの秋の日も、あの冬の日も、私はこんな暖かい涙を流したことは一度たりともない。
「……ねぇこなた。抱きしめても、いい?」
「……う、うん。いいよ」
 そっと、身体を重ねていく。
 壊れ物を扱うように、そっと。
 大の字に手足を投げ出したこなたの身体に取りすがり、頬と頬をすり寄せて抱きしめた。
「……どう? こなた? どう思う?」
「……暖かくて嬉しい……。凄く、どきどきするよ、かがみ……」
「あぁ……もう、こなたぁ……」
 どうしようもなく、涙が溢れてくる。
 胸が一杯になって、後から後からわき出してくる。
 ――けれど違う。
 この涙は、悲しくて泣いた涙では決してない。

 私は、この一年で初めて、嬉しくて泣いていた。

「ねぇ、こなた」
「うん」
「――私たち、つき合おう」
「――え?」
「私たち、つき合えるわよ。親友じゃなくて、恋人同士にきっとなれる。あんたが私のこと、あんな風に想ってくれるなら……」
「恋人……? わたしと、かがみが?」
「うん」
「ちょ、ちょっと待って!」
 耳元でこなたがそう叫んだかと思うと、ぐるりと私の身体が反転する。上からこなたに覆い被さっていたはずなのに、いつの間にか私の身体は地面の上に横たわっている。
 そうして、こなたの身体が離れていった。
「なんで? なんでそうなるのさ! アセクなんだよ、わたし? 恋なんてできない、アセクシュアルなんだよ?」
 私から少し離れて、けれどそれ以上距離を置こうとすることなく、こなたは真剣な眼差しでじっと私を見つめている。
 ――そういう、ことか。
 こなたが陥っているところがどこなのか。こなたを泣かせているのが何なのか、やっとそれがわかった気がした。
「――あんた、知らないの?」
「なにがさ」
「アセクって云われる人だって、恋愛できる人もいるのよ?」
「――え?」
 私はゆっくりと身体を起こす。こなたは、もう逃げようとはしていない。涙だって流していない。
 ただ、惑っていた。
 自分がどこにいるのかわからなくて迷う、自分が何者なのかわからなくてうろたえる、それは迷子の眼差しだった。
 ――クリスマスの日、みゆきに許される前の私に似ている。そんなことを考えた。
「アセクって云われる場合にも二種類あるのよ。狭義だと性に絡む一切の感情を持てなくて恋愛感情だってまるでないけど、広義のアセクはただ性欲がないだけで人を好きになれる場合もある……私だって、あれから少し調べたんだから」
「――嘘……。でも、でもわたしかがみのこと好きだけど、それ以上のことしたいなんて思えないよ? ただ一緒にいるだけで幸せで……普通の恋人がしたがることなんて、なにも……」
「わかってるってば。だから、あんたはアセクなんでしょ? でも性欲と恋愛感情は直接結びつかない。エロゲばっかやってたあんただから、もしかしたら誤解してるのかもしれないけど……」
 夕陽はほとんど水平線に沈み込み、空には瞬いた星がある。浮かんだ雲だけが残照に明るく輝いて、落日の最後の余韻を醸し出していた。
 こなたの顔も、もうすぐ夕闇に沈む。
 未だその輪郭をオレンジ色に輝かせているけれど、あと少しでこの世界にも夜が訪れる。
 ――その前に。
 暗い想いに捕われてしまう、夜が来る前に。
「――嘘……嘘、だよ。だってお医者さんが云ったんだ……あの日のクリスマスのことを話したら、お医者さんが云ったんだよ?『強い性嫌悪があるから、アセクシュアルの可能性がある』って……。まだ若いからそうじゃない可能性も充分あるって云ってたけど、でも、わたしはわたしが他の子とどっか違うって、性欲がないんだって、ずっとわかってたし……」
「おかしいじゃない」
「え?」
「強い性嫌悪があるあんたが、何でよりによって私に抱きしめられて嬉しそうにしてんのよ」
「――え?……あ、あれ?」
「そりゃ、私はそういう気持ち出さないようにしてたわよ。でもさ、嫌悪があるならもっと不安がるでしょ? ってか私があんたのことが好きだって気づいてからも、あんた平気で触れてきたじゃない」
「……そ、そだね? でも、あれ?」
 混乱した面持ちで、こなたは頭を抱え込む。頭を抱えて、そうしてその場でしゃがみこむ。
 目の焦点が合っていなかった。
 何かを必死で考え込んでいて、目の前の光景が何も見えていない。こなたの顔にはそんな虚ろな表情が浮かんでいた。
「おかしいだろ! 性嫌悪があるなら、私にキスなんてできるはずない! あんた云ったでしょ、私にキスして嬉しかったって。性嫌悪があるなら、そんな風に思えるわけないじゃない!」
「……でも、でも……だって……。みんながわたしに云ったんだ。『それは恋じゃないだろ』って……。あの日も、わたしが魔法使いちゃんのことが好きだって云ったときも、その前も、さくらと知世ちゃんの関係に萌えてたときだって……女同士で抱く感情なんて恋じゃないって、みんな……」
 こなたはがっくりと膝をついている。膝をつき、地面を眺めながら荒い息を吐いている。
「――あんた、レズビアンなんじゃないの?」
「……え?」
 顔を上げて、呆然と私のことを見つめていた。その瞳に月を写しながら、こなたは魂が抜けたような顔をして、私のことを見つめていた。
「彼に身体を触られて嫌悪感を覚えたのは、あんたが狭義のアセクシュアルだからじゃなくて、ただ単にレズビアンだからなんじゃないの?」
「――うそ……」
 そう呟いて、こなたはぺたんと座りこんだ。
 どこにも力が入らない様子で、肩を落としながらうつろな眼差しで前方を見据えていた。
 ――暖かい、春の風。
 さわさわと梢を揺らして、ひらりと桜が舞い散った。
「そ、それじゃわたし……かがみのこと、好き、なの? この気持ちが、恋なの?」
「だからさっきからそう云ってるじゃない」
 舞い散った桜が、こなたの頭の上に乗る。
 そうして私は、こなたの方へ足を踏み出した。
「……え? でもだって、え? かがみ?」
「なによ」
 ずいとこなたの顔を覗き込む。
 目を逸らそうとするこなたの肩を掴んで、強引に私の方へ向けさせた。
「……わ、わた、わたしでいいの? かがみ?」
「あんたじゃなきゃ、やだ」
 そう云って、思い切り抱きしめた。華奢で細くて、心配になるほどどこもかしこも小さいこなたの身体を。
 性の迷路の中で抜け道も見つからず、ずっと迷ってきたその身体を。
 ひきずりあげるように、私は抱きしめた。
「で、でもでも。だってわたし、きっとかがみの想いに応えられないよ? かがみがしたいって思うことに、わたしは多分応えらんないんだよ?」
「おい、私のことバカにしてんのか。この一年、私がどんな思いで過ごしてきたと思ってんのよ」
 ――こなたが、私のことを好きでいてくれる。
 それだけで、今の私はどんなことにも耐えられる。
「私の、一番大切な人になって……こなた」
「……うわっ、……うわっ……」
 私の腕の中で、こなたの身体が震え出す。喉の奥からせりあがってくる声は、言葉なのか嗚咽なのか悲鳴なのか、入り交じっていてよくわからない。

「うわあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!」

 ――小さな、子供みたいに。

 こなたは大口を開けてわんわんと泣き出した。身体全部を使って、全ての涙を絞り出すように泣き出した。今年大学生になる、大人の入り口に立った女の子としてはありえないほど、無垢であけすけで無防備な喚き泣き。
 ――これが、こなたなんだ。
 私の腕の中、私はやっとこなたのことを見つけ出すことができた。
 ――生まれつき人と違っていた。
 ただそれだけのことで、今までずっと迷って、悩んで、泣いてきた。それでも他人を憎むことなく、周りを傷つけないように生きてきた。周りに溶け込めるよう、懸命の努力を続けてきた。
 自分だけの世界に閉じこもっても仕方ないくらいなのに。それでも必死で韜晦と自制の仮面を被りながら、全身全霊を篭めて他人との関わりを求めてきたのだ。
 ――そんな優しくて、誠実で、寂しがり屋の。
 泉こなたがここにいる。

 陽が沈む。
 こなたのピンと立ったアホ毛に残照だけを残して、陽が沈む。

 夜の帳もついに落ち、今こなたは夜の底で泣いている。
 頭上にあるのは月と星と空と雲。

 ――そして怖いくらいに綺麗な桜。

 けれどその下にいるこなたに、あの日の面影は欠片もない。

 ――三年前の、春。

 あの桜の海の下にいた青い髪の少女は今にも消えてしまいそうに儚げで、私は桜の精を見たんじゃないかと夢想した。

 けれど今、私の腕の中で泣くこなたはどこまでも生身の人間だ。
 暖かくて柔らかい、血肉の通った人間だ。
 ときに男の子みたいにあけすけで、でも普段は女の子らしくお喋りで、子供みたいに無邪気かと思えば、大人みたいな考え方も持っていて、誠実で、優しくて、寂しがり屋で悪戯好きで、ちょっぴりずぼらで呆れるほどオタクな――私が大好きな女の子。

 ――その生まれながらの特性を、宝石のような輝きに代えた。

 私が大好きな女の子。




 泉こなたを、桜の下で捕まえた。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
『4seasons』そしてまためぐる季節/後へ続く












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  • やはり、かがみとこなたは
    運命共同体ですね! -- チャムチロ (2012-08-19 19:04:55)
  • SSを読んでて、この作品で初めて鳥肌が立った…。凄いとしか言いようがない。 -- 名無しさん (2009-04-10 15:00:50)
  • 最後の一行の破壊力が異常。何度読んでもぶわっとくる。 -- 名無しさん (2008-08-29 20:34:21)

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