天夜奇想譚

Do you ... know?―

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だれでも歓迎! 編集

作者:グリム

タイトル:狩猟者―存在の証明/Do you ... know?―







 この世界は狂っている。

 生きている限りに救いはなく、死ぬ事に安らぎはない。

 神は居ない、怪物だけが蔓延る。

 嗚呼、なんと嘆かわしい事か。

 彼の狂人はそんな事を言っていましたとさ。




《存在の証明/Do you ... know?》



 居なくなったあの子と関わったあの日から。傷は癒えた。少なくとも、上っ面だけ。そして僕は戻ってきた。形だけ。考えていると溜め息が漏れそうだ。だから、できるだけ考えないようにした。でも決して忘れない。

 あの雪が去ってから、一段と冷え込んでくる。学生は皆、長袖。学ラン。こうやって教室から外を眺めると、校門から出て行く黒い学生達が見える。色とりどりのマフラーや手袋。寄り添って歩くグループの生徒。外は寒そうだ。

「時枷、良い娘いるか?」

「……」

 隣には、ガタイのいい男。樫月。パソ部の部長。そして変人。

「そうだ聞いてくれよ、天夜天夜。ソロで吸血鬼街の敵に挑めるようになったんだよ。レベ八十九」

「知らないよ……」

 結局僕はあの事件のせいでプレイできなかった。彼が語っているのは天夜オンライン。今流行しているオンラインゲーム。小学生で手の届く値段のディスク一つであのクオリティは確かに凄いかもしれない。

 しかし知らないモノは知らないので樫月の言葉を聞き流して校門から流れ行く生徒達を眺める。早く帰ってしまうのもいいが、寒いので少し出るのも億劫だ。かと言って待ちつつ樫月からゲームの話を聞くのも微妙だ。などと思いつつ。校門には一人の女子生徒が立っていた。そしてこちらを見ている。

 黒い、長い髪。クリーム色の手袋。そして少し歪な、青い暖色系のマフラー。

 その女子生徒がこちらを見てにこり、と笑みを作った。……ように感じで背筋に悪寒が走る。

「ん? あれって姫月じゃないか?」

 樫月が気付く。敷地沿いの壁に隠れて、既にアヤメは確認できない。

「いいよなぁ……あんま話したことないけどよ、姫月って」

「……関わらない方がいいんじゃないかな」

 命が幾つあっても足りないから――と言う本音を呑み込む。アヤメはあれでも普通には“常識人”、“ちょっぴり天然”で通っているので、周りからは高評価だ。僕だって変な事を言って目立ちたくない。

「それはあれか。俺の女に手を出すな的な何かか?」

 取り合えず、教科書の角。

 額を押さえて悶絶する樫月をよそに、帰り支度を始める。日の入りが早い。さっきまで明るかった空が茜色になり、もう向こう側に深い藍色が見えている。これ以上寒くならない内に帰ってしまおう。

「ってぇ……お前、角はないだろ、角は」

「樫月が変なこと言うからだろ。僕とアヤメはそんな関係でもないし」

「幼馴染だろ? ギャルゲキャラ的な――あでっ」

 今度は辞書だ。

 悶絶する樫月をよそに手袋を嵌め、マフラーをカバンから探し当てる。少し歪な青い暖色系のマフラー。そして近くで見なければ分からないが、控えめに猫のワンポイントがある。

「それって姫月さんのと同じじゃね?」

 マフラーを指差しながら樫月は言う。ペアルックだとか変な事を言われる前に弁明する。

「春に姉貴がくれたんだよ。去年には間に合わなかったから、今年巻いてる」

 姉貴がアヤメと知り合いだという事は、一応(何故か)樫月は知っている。なのでこれでヘンな事を言われる心配は無いはずだ。

 樫月がポカンとした表情でこっちを見ている。何事かと、樫月の方を見た。しばらくの間、(不本意ながら)見詰め合うような構図になる。途中で気付き、気持ち悪いので少し視線を逸らす。

 やがて樫月が口を開いた。

「献身的な姉まで居るって、お前、どんだけよ」

 今度は学生カバンの角で脳天から竹割り。今度は悶絶すらできずに脳天を押さえてうずくまる樫月。

「あ、あの……そこまですることないんじゃないかな」

 視線を外すと、髪の短い内気そうな少女が立っていた。クラスメイトの穂積(ホヅミ)さん。うずくまってる奴と同じ部活だったはずだ。樫月とは結構一緒に居る所を見る。

 背は低め、気の弱そうな感じも相まってか力を入れれば折れてしまいそうなか細さ。

「ごめん。自分に嘘をつくのはよくないと思ってさ」

 適当こいてみた。

「そうだよね、うん」

 ……同意してくれる辺り、かなり天然であることが窺える。

 うずくまっていた樫月が起き上がる。額はちょっぴり赤かったが、何か意に介した様子も無い。この頑丈さが樫月が樫月たる所以でもある、と思っている。初対面の時はこの再生力に驚かされたものだ。

「学生カバンはダメだろ。普通死ぬ」

「それは樫月が普通じゃない証明なんだけど」

「そ、そんな事は無いと思うよ、たぶん」

 フォローになっているのか微妙なフォローを入れる辺り、穂積さんも律儀である。樫月と穂積さんは一緒に居る所を良く見る。一年生の時から同じパソ部だったため、仲が良いらしい。

 そして穂積さんが樫月に気があることは、本人以外には周知であった。

「じゃ、僕帰るね」

「そうか。今日も姉貴さんのために料理か?」

 首を振る。最近は物騒な事件が立て続きに起こっているらしく、姉貴は家に帰ってくることが少ない。

 この町は普通じゃない。確か、あの事件の日の朝、姉貴は言っていた。

「時枷君、お姉さんがいるんだ」

「ん。仕事忙しくてあんまり帰ってこないけどね」

 穂積さんの質問に対して答える。職業についてはちょっとアレだから言わないでおく。穂積さんも深く聞かないでくれる。

 学生カバンを持ち、外を眺める。曇り空。青空には程遠い。

「そういや海晴、知ってるか? 小等部の噂」

 樫月が窓を眺めていた僕に対して、そんな言葉を投げかけてきた。この月明学園は小学校から高校まで一貫の比較的大きな学園だ。だけど高等部、中等部、小等部、それぞれの交流は個人ではあるらしいが、団体としては殆ど無い。そして小等部に知り合いは居ないので、そんな事知るわけもなく。

 首を振ると、樫月は腕組みをして唸った。

 そして、ま、笑い話なんだけどよ、とニヤリと不敵な笑みを見せた。

「小等部の水道から、今、夜な夜なあるものが盗まれてるんだよ」

「盗まれ……盗難事件? あるもの、って事は何か特定のものが盗まれてるってこと?」

 この天夜市では事件が多い。まさか小等部の方まで及んでいるのだろうか。

「ああ。それが――石鹸らしいんだよ」

「……石鹸?」

 拍子抜けした。

「誰が盗むんだよ、そんなの」

「それが瞬間移動できる、異次元の腕が夜な夜な校内を歩き回って盗んでるんだと、証人も多数」

 そして呆れた。小等部――ならそれくらい仕方ないだろうか。小さい子供は荒唐無稽な噂を立てる。しかし、この学園ってそれなりに試験とかを受けて入るはずだ。頭が良くても子供……と言うことか。

 などと考えていると、穂積さんが横合いから言う。

「あ、私も知ってる。確か……氷と花火を出せるんだって」

「……めちゃくちゃだね」

 瞬間移動が出来て、氷と花火を出せる異次元の腕。

 ……色々ごっちゃになっている上に、めちゃくちゃだ。

「そしてその名もインヴィジィブルマン!」

「じゃ、バイバイ」

「え? あ、うん。さよなら」

 高々と宣言する樫月を無視して穂積さんと挨拶を交わし、教室から出て行く。背後から、無視するなんて酷いじゃねーか、なんて言葉が聞こえるが聞こえないフリをする。馬鹿らし。

「明々後日の晩は忘れんなよ!」

 その言葉にだけ片手を挙げて答える。

 廊下は、教室よりも寒かった。

 帰路に着く。誰も待たない家へ。




「おかえりぃ、みっちー。しょーちゅーおかありぃー」

 樋沼さんが冷蔵庫のアルコールを全て空けていた。全部姉貴の分。これより導き出される答え、僕への説教。最善策は……

 酔っ払い、真っ赤になったカンナさんを尻目に携帯電話を取り出す。高校に入ってから姉貴に交わされた代物だが、電話帳には樫月とアヤメの自宅電話番号、そして姉貴への連絡先しか入っていない。姉貴の連絡先を選択してコール。

 しばらくして留守電メッセージ。

「姉貴? 僕だけど樋沼さんが冷蔵庫のお酒全部呑んじゃったよ。じゃね」

 完結に事実だけ残して電話を切る。そしてこのへべれけをどうしようかと考える。外に放り投げるのも容易ではないし、樋沼さんは強い。昔、姉貴との組手を見たことがあるが、洒落にならない腕前だった。

 しかし職業不明。警察では無いということしか分からない。

「ねー、おーかーわーりー」

 もうねーよ。

 溜め息でその言葉を誤魔化す。しかし酔っ払いは納得しない。割り箸を使ってビール缶の端っこを叩いて鳴らす。樋沼さん、そんな事しても無いものはないんですよ。

 買ってくる事もできるが……そんな事したら全財産が酒に消えてしまう。

「樋沼さん。もうお酒はないから諦めて……」

「……すー」

 寝てる。言いかけた言葉を呑み込み、溜め息を吐く。何で僕の周りにはまともな人間が居ないのだろうか。周りに居る人々を思い浮かべ、また溜め息が漏れた。樋沼さんを見る。

 ポニーテール。シャツにジーパンのラフな格好。……締まり無い寝顔に、ヨダレ。

 平和そう――と言うか、こちらまで気を削がれてしまいそうな程の、幸せな寝顔。何を言う気もなくなってしまい、取り合えず風邪を引かないようにと毛布を背中に掛ける。掛けると、樋沼さんは気持ち良さそうに身じろぎをして息を漏らした。警戒心も全く無い。僕って案外軽く見られてるのかもしれない。

 取り合えず、床に散らばったビールの缶や焼酎瓶を片付け、軽く拭く。

 あらかた片付くと、時刻は十九時を回っていた。ちょうど飯時である。冷蔵庫の中を見ると、鶏肉があった。今日は塩焼きにしよう。野菜が少しだけ残っていたので、それは炒めるか。

 ちらりと樋沼さんを見る。幸せそうにごろりと転がった。毛布に包まったまま床に寝転がってる。……二人分、かな。

 そして手早く調理を開始した。

 それから長針が八の字を指す頃には料理は出来上がった。皿に鶏肉と野菜炒めを盛り合わせ、茶碗にご飯をつぐ。みそ椀に味噌汁を注ぎ、テーブルに並べて完成。床に転がっている毛布がモゾモゾと動いた。くすり、と笑いが漏れる。

「いただきます」

 箸を取って料理を口に運ぶ。それなり。悪くない、と思う。

 食を進める内に樋沼さんがむっくりと起き上がる。鼻をひくつかせ、眠そうな目を擦る。

「……良い匂い」

「おはようございます。……水、いりますか?」

 頭を押さえる樋沼さんの顔は若干青かった。無言で頷いたので、水道水を差し出す。

「ぁー、飲みすぎた」

 確かに。心の中で同意する。

 樋沼さんはコップの中の水をあけると、幾分顔色が良くなっていた。そして早速箸に手を伸ばして鶏肉を口に運ぶ辺り、樋沼さんはかなりタフである。と言っても、いつのものような速度は無く、人並みの食事だった。

 無言で食が進む。

「あー、そだ。みっちーにちょっとお願いあるんだけど、良い?」

 顔色が少しは良くなったとはいえ、まだ普段より悪い事には変わりない。樋沼さんは若干気だるそうだった。

 僕は無言で頷く。

「月明学園の小等部に行って欲しいの。忘れ物取りに、今から」

「……は?」

 驚いた、と言うよりも呆けた。忘れ物、と言う部分は分かる。しかし学園の小等部に樋沼さんが忘れ物をするなんて事が訳が分からなかった。もしかして、小等部で働いているのだろうか――いや、それは無い。

 考えて、否定する。

 樋沼さんが教師をして、クレームが凄い事になるのは目に見えている。教師になんかになれるわけが無い。……途中から酷い事を考えている事に気付き、自分を誤魔化すように樋沼さんに聞く。

「小等部って、何でそんなところに」

「ちょっとね。仕事で行ったんだけどさー……」

 もきゅもきゅと鶏肉を咀嚼しながら答えてくれる。ちゃんと物を食べてから喋ってください。

「自分で行けばいいじゃないですか」

「だって礼状無きゃ部外者だもん。ほら、みっちーなら肝試しとかまだ言い訳立つし」

「……見付かればどっちにしろ痛い目みるじゃないですか」

 本日何度目かの溜め息を吐く。

「でも逮捕よりは軽いでしょ。明日は私も用事があって行けないし」

「電話で問い合わせればいいじゃないですか。それか明日にでも僕が取りに行けば……」

「いいじゃないー、私とみっちーの仲でしょぉ。それにそれないと明日の仕事に差し支えるし。場所は六年のホ組でね、古くて無駄に豪華な鍵なのよ」

 それでも樋沼さんは食い下がる。いつもと違って気だるげではあるが、いつも通りのマイペースで話を進める。正直、こんなに寒い日に外に出たくはない。それにもう夜だ。“よくないモノ”も居る。

 姉貴から“ベニイシ”と“照魔鏡”を貰ってはいるが、危険な事には変わりない。

 樋沼さんは食事を終えた。そして横になる。

「ごめん、気分悪いから寝る……忘れ物も、よかったらで……」

 言葉は最後まで形にならず、寝息が聞こえてきた。仕方ないので、体を持ち上げて(樫月が言うにはお姫様抱っこと言うらしい)樋沼さんを自分のベッドの上に寝かせる。毛布を掛けるのも忘れない。

 少しだけ余った鶏肉と野菜炒めを小皿に移し、冷蔵庫に入れる。それから皿を洗うと、もう二十一時頃だった。

 寝るには早い。宿題らしい宿題も無い。つまる所、やる事はパソコンを起動して遊ぶか、ネットサーフするかぐらいだ。自分のベッドで寝ている樋沼さんを見てみる。幸せそうな寝顔。ちょっと理不尽な所とか、こういう警戒心の無い所は、姉貴に似ているかもしれない。暢気に寝返りなんぞ打っている。

「……はぁ」

 姉貴が二人居るみたいだ。

 一度息を吐く。

 それから、戸締りの確認を始めた。それが終わると、コートを羽織る。どうやら僕は押しに弱いらしい。そうでなければ馬鹿みたいなお人好しだ。ちょっぴり自嘲。

 玄関を開ける。流れ込んでくる空気はかなり冷たかった。




「って、大丈夫かなこの学園のセキュリティ」

 閉まってる校門を用意に乗り越えて、小等部の校舎前に僕は立っている。見回りの姿も無い。まだ二十二時だぞ? 最近は普通の不審者も多い。こんな事で本当に大丈夫なのだろうか。

 校舎を見上げる。光源は無く、真っ暗。見回りと思しき影も無い。辺りを見回す。周りの道からの街灯が僅かに照らすばかりで、人影は見えない。誰も居ないなんてことは無いはず。学校の教師とはどの学年でも遅くまで作業するもの、と聞いている。でもどうだろう、事実、この校舎には人の気配が無い。

「……まさかね」

 脳裏に帰り際の樫月と穂積さんの会話が過ぎる。“ベニイシ”を取り出すが特に反応無し。

 しかし一度浮かんだ考えと言うのはすぐに払拭できるものでもない。かつて自分の通っていたこの小等部の校舎が得体の知れないものに見えてくる。……校舎が新しくなったりしているからかも。

 ふと、振り返ってみる。校門前の桜の木。誰も居ない。

 人は。

「急ごう、かな……」

 だけどここまで来て帰るつもりもなかった。入り口の前に立つ。手を掛けると、軽い音を立てて扉が開いた。

 開放的な校風――にも限度がある。ここまで来ると異常だ。しばし開いた扉の前で立ち尽くす。意を決して、中に入った。目の前には下駄箱。その向こうには、一年生の教室がある。一階につき二学年の教室がある。確か樋沼さんは六年生の教室に鍵を忘れたと言っていた。六年生の教室は三階。

 ベニイシを左手で握る。右手はコートのポケットに突っ込み、いつでも照魔鏡を取り出せる状態に保つ。

 静まり返った廊下。壁に掛かった標語。誰も居ない教室。どれもこれもが余所余所しい。静かだった。外からの音も聞こえず、ぺたぺたと自分の足音だけが響く。どうせなら上靴を持ってくれば良かった。足の平が冷たい。

 階段を昇り、六年生の教室の前。ホ組。大した距離でもないのに、かなりの時間を掛けたような錯覚を覚える。

 教室の中は他と変わらない面白みの無いつくりだった。黒板には今日の日付、日直の欄には名前は無く、白ばんでは居るが落書きも無い。背の低い机には生徒が書いたと思われるアニメのキャラクター……っぽい絵。ちょっと判断できない。

 さて、樋沼さんの忘れ物はどこだろう。小さいとは言え、探すとなれば手間だ。目が慣れてきてはいるが懐中電灯すら持ってきていない。かと言って教室の電気をつければ周りにばれてしまうし。

 仕方なく手探りで探し始める。まずは教卓の中……それっぽい手応え。かなり歴史を感じる意匠の鍵が出てきた。

「古くて無駄に豪華な――恐らくこれで間違いないと思うけど……」

 暗がりでよくよく鍵を見てみる。こんなの、一体何の仕事に使うというのだろうか。仕事場に入るための鍵、だとすれば何処か古めかしい洋館で仕事をしているのだろうか。

 ……メイド?

 一瞬、樋沼さんのメイド服姿が浮かんだ。振り払う。結構似合っていた。いつもジーパンとシャツのラフな格好だけど、それなりに整った服を着れば樋沼さんだって――……と、考えて思考を止める。ダメだ、何か最近樫月の思考(嗜好?)に毒されてきてる。

 時計を見ると、もう半を回っていた。帰り着く頃には零時前後になる。

 かたん。

「ん?」

 かたん、きゅっ、ばしゃばしゃ。

 教卓の後ろに身を潜める。音源は廊下からだった。蛇口を捻った音がして、ずっと水の流れる音が聞こえてくる。見回りの人だろうか、今まで全く足音も気配もしなかったけど。

 しばらく経って、水の音は未だに消えない。それよりも、さっきから定期的に蛇口を捻る音が聞こえる。捻る音は、五回ぐらいで止んだ。水の流れる音は五倍になっていた。奇妙だ。足音は一つもしていない。蛇口を捻る音と水の流れる音が聞こえるだけ。まるで、足が無いみたいな。そこまで思い至りハッとした。

 慌てて握り締めていた左手を開く。ベニイシの色は真紅から白へと変わっていた。

「――“居る”」

 照魔鏡を掛け、携帯電話を取り出した。アヤメの自宅電話に掛ける。コール音が続く。出ない。しばらくして留守番サービスに切り替わった。また溜め息が漏れそうになる。

「アヤメ? 海晴だけど。訳あって今、学園の小等部に居て――異形と出くわした。聞いたら来てくれ」

 電話を切る。ベニイシは白いままだ。

 武器になりそうなものを探す。教卓の中には工作用のカッターナイフ。無いよりはマシだ。照魔鏡で姿を見ていれば普通の武器でも異形は傷つける事ができる。ただ、通用しない類だったらどうしようもないけど。

 そこで、黒板の脇に一メートル定規があることに気がついた。それも拝借しておく。リーチはあった方がいい。

 一メートル定規にカッターナイフ。かなり馬鹿らしい装備だけど素手よりはマシ、だと思いたい。姉貴みたいに何か格闘技でもすれば良かった、なんて今更ながら後悔が浮かぶ。

 教卓から飛び出した。まだ見えない。そのまま一気に駆け、中途半端に開いた扉を開け放つ。大きな音がする。気にしない。

「は……?」

 水道の前にそいつはいた。成人男性ほどの太さの腕。肩口から先。微かな白い燐光を放つ。それが蠢きながら、石鹸を掴んでいる。五個。そしてその石鹸を、まるで手品のように虚空へと隠してしまった。

 腕はこちらを向いた。慌てて一メートル定規を構える。


『ねぇ、知ってる?』


 肌が粟立つような少女の囁きが聞こえた。慌てて周りを見る。誰も居ない。腕すらも消えていた。


『それは異次元を通って何処にでも出てくるの』


 目の前に腕が唐突に出現した。横薙ぎに振り払われるそれを定規で受け止めるが、あっさりと砕け、体が吹き飛ばされる。冷たい廊下に何度も体を打ちつけ、痛みを感じながらも立ち上がる。

 やばい。本当に、やばい。


『それでね。花火と氷を出すの』


 真横に腕が出現していた。腕の掌が脇腹に当てられている。廊下よりも冷たい腕。そして色とりどりの光の粒が咲いた。同時に焼けるような痛み。

「が――……ぅぐ」

 よろけるが、倒れるのを踏みとどまる。コートが少し焦げていた。

 腕は歓喜するように拳を天へと突き出していた。勝てない事を悟って、僕は逃げ出す。やはり違う。人に倒せる相手じゃない事を改めて痛感した。階段を駆け下りる。


『だからぁ、異次元を通るんだから一度目を付けられたら逃げられないんだって』


 嗤うような少年の声。階段の踊り場には腕が待っていた。真っ直ぐと立ち尽くす僕へと飛来する。下腹を打ち据えられ、踊り場の壁によりかかり、何とか倒れない。

 顔を上げる。腕の周りに白い空気が集まっていた。頬を舐めるような冷気。


『氷で足止めをしてからいたぶるんだよ』


 囁く少年の声は恐れと知識をひけらかす喜びが入り混じっていた。冷気が収束されると握られていた拳を開く。腕から猛烈な冷気が放たれた。コートの表面が白くなっていき、肌が痛みを感じる。

 ×××。

 視界を閉ざす。

 あの白雪を思い出せ――

 ポケットからカッターナイフを取り出す。

 ――少女の顔を思い出せ――

 カチカチカチ。

 ――今奪われるのは己では無い!

 刃を最大限まで出し、勢いよく振り上げて、好い気になって冷気を吐き出す馬鹿野郎に振り下ろす。肉を裂く柔らかい感触がして、腕から血が噴出した。腕が床に落ちてのたうつ。それを持ち上げ、壁に叩き付ける。

 荒い息を整える間もなく階段を駆け下りた。

 足は今にももつれそう、駆け下りる階段を踏み外してしまいそう。けれど走る。まだ追って来ない。玄関から外に出る。そこには僅かな段差があった。そこで踏み外してこける。結果的にアスファルトの地面に這うような形になって倒れた。手から零れ落ちたベニイシは未だに白く、安全でない事を示している。

「逃げ、ないと……」

 息と共に吐き出した声は白く溶けた。両腕に力を込めて立ち上がろうとしても、満身創痍の体はいうことを聞かない。

 足音がした。

 見上げる。

「迎えに来たぜ、海晴」

 銀色の右腕と左手に持った錆色の刀。

 背後から迫る死の気配――対して、正面に立つ死の権化。

 死が近付いて、遠ざかる。

「さァ、狩りの時間だ」

 狩猟者が嗤う。



 逃げられないよ、逃げられないよ。

 インヴィジィブルマンは逃がした獲物を逃がさない。

 逃がしたとしても捕まえるまで呼び寄せるんだ。



『――のニュースです。今朝、学校の玄関が荒らされているのが発見されました――』

 無機質な声が耳に届いて、重い瞼を開いた。掛けられた布団をどかして、体を軽くほぐす。脇腹に鈍い痛みがあるけど、多分問題は無い。自分の格好を見る。コートのままだった。だからなのか、まだ少し体が硬い感じがする。

 暖房が効いているようなので、コートを脱ぐ。それからリビングの方を覗いてみた。

 テレビを見ている姉貴の不機嫌な後姿が見えた。身を引く。

「起きたのか」

 振り向きもせず姉貴は言った。しばらく沈黙して、諦めた。姉貴の背後に立つ。一応、間合いを取って。

「うん、おはよ」

「学校には連絡をつけた。何度休むつもりだ?」

 振り向いた姉貴。かなり怒っているのが分かった。なので素直に謝る。

「……ごめん」

 姉貴は多少面食らったような顔をして、再び目線をテレビへと移した。こちらに向ける背中からは怒気は去った事を察知する。それ以上話すことも見付からず、冷蔵庫から昨日の残り物を取り出す。それを電子レンジへ。

 時計を見る。もう昼前だった。

「姉貴、仕事は?」

「抜けてきた。夕方にまた戻る。全く、仕事がなくなる日が無い」

 テレビを見ながら姉貴は溜め息を吐いた。視線をテレビに移す。テレビには昨晩の小等部の――無残に壊された玄関が映し出されていた。横倒しになり砕けた下駄箱。振り子時計は斜めに斬られて、床から生えるオブジェに成り下がっている。下駄箱のすぐ向こうにある一年生の教室はガラスが全て割れていた。あと、バケツの中身をぶちまけたかのように辺りは濡れていた。

 一言に、酷い有様だった。

 アヤメのあの表情を思い出す。――かなり、機嫌が良かった。ような気がする。とすれば、あの光景は、はしゃいだ結果と言う事だろうか。ゾッとしない。……姉貴は知っているのだろうか。

「カンナに聞いた。夜に小等部に忍び込んだんだって?」

 どこか咎めるように姉貴が言う。

「……うん」

 レンジが鳴る。鳥の塩焼きがいい香り。ただ野菜炒めは水分を吸ってくたっていた。タッパーに詰めていたご飯もレンジに入れる。くるくる回り始めた。

「前から言ってるだろ、日暮れには出かけるなって」

 若干呆れの込められた言葉。反論しようかと思ってやめた。

 姉貴の言は間違っていない事は身に染みて分かっていた。脇腹はまだ痛い。

「……あ」

 そこで思い出す。コートのポケットを探るが中身は何も無い。あの古い鍵は樋沼さんが持っていったのだろうか。姉貴が怪訝な顔をして振り返り、またテレビへ視線を移す。ニュースは移り変わって政治の話を垂れ流している。

 レンジが鳴る。ご飯が温まった。

「姉貴、飯は?」

「要らん。食ってきた。――海晴、」

 姉貴は振り返りながら言葉を切った。僕はタッパーを持ったまま姉貴の方を向いて次の言葉を待った。

「異形に進んで首を突っ込もうとするな。お前は一般人なんだぞ」

 目を細め、咎めたり責めたりと言うよりも心配するような声音。

 分かっている。

「うん、大丈夫だよ」

 頷いて安心するような言葉を選ぶ。テーブルに食事を並べた。

「アヤメが昨晩、異形を取り逃した」

 鳥の塩焼きを掴んだ箸が止まった。鶏肉が皿の上に落ちて、気の抜けた音を鳴らす。あのアヤメが、取り逃した?

「異形の真名は“都市伝説”。噂の固まったような荒唐無稽なバケモノ」

 片肘をついて姉貴はテレビを見続ける。僕も止まってるままでは何なので、取り落とした鶏肉を摘んで口に運ぶ。肉汁の感触や味が舌の上へ。でもやはり、出来立てが一番だ。

 姉貴は苛立っているようだ。

「厄介な事に、その都市伝説は逃がした獲物を逃がさないらしい。アヤメの見立てではお前は目を付けられたのだと」

 咀嚼を止めて、また再開する。

 動揺が無いといえば嘘になるが……どうしようもない事なら慌てても仕方ない。最後の晩餐かもしれない食事を続ける。姉貴は少し心配した様子だけど、何も言わない。

「護衛としてアヤメが進言して来た。私は別件で手を回す事ができない」

「あー……うん、そっちは仕事、頑張って」

 淡々と会話。最後かもしれないなんて考えはどちらにも無かった。

 アヤメへの信頼、と言うのだろうか。不思議と、不安な気持ちは無い。

「そうだ。明後日の晩に鍋にするつもりだけど、帰って来れそう?」

 姉貴は頷いて、テレビを消した。




 夜。いつもと同じように時は過ぎて、僕は小等部の校庭に居た。昨日と同じように人の気配は無い。アヤメが人払いをしているのかもしれない。或いは、都市伝説のほうか。街灯がぼんやりと校舎を浮かび上がらせる。校庭は校舎側よりも暗い。

 アヤメを見る。赤い箱――白線引きを引いて校庭に奇妙な紋様を描いている。全体に曲を描き、直を引く。

 なので、二人の間に会話は無かった。

 虫の声が控えめに聞こえるが、オフィスビルなどが周りにあるのに車の音が聞こえないのは変な感じだ。

「海晴」

 白線引きをその辺に放り投げてアヤメが歩み寄ってきた。蓋が開いて残っていた石灰が地面に散らばる。広がった紋様は本当に不思議なものだった。六角形を組み合わせ、漢字らしきものが描かれている。

 アヤメが僕の隣に腰掛ける。

「随分と落ち着いてるじゃないか」

 いつも通りのアヤメ、不敵に笑っている。

「アヤメが守ってくれるんだろ」

 こっちも腰掛ける。校庭に腰掛けるなんて体育の時間以外に無い。ズボンがザリザリするようなちょっと嫌な感じがした。しかも冷たいし。寒い中、校庭で座っているのは結構辛いものがある。

 しばしの静寂。

 天を仰いでも暗い雲で埋まっているだけだ。

「なぁ」

 アヤメが口を開く。

 朔風が過ぎて、気温が一気に下がる。

「海晴は退魔士になる気があるか?」

 声色から感情を読み解く事はできなかった。でもアヤメの顔を直視する事もしない。天を仰いだまま答えを考える。

 退魔士。アヤメと同じ場所に立つという事。姉貴が向かい合う世界を知るということ。普通と違う世界に入るというのは魅力的にも感じる。自分達を脅かす存在と戦う。なんて魅惑的だろう。

「いや、無いかな」

 声と一緒に白い息が漏れた。

 浮かんだ魅力を打ち消した。どれだけそれを思っても、自分にできない事ぐらい分かっていた。僕は浜野さんのような、身近な人間が異形になった時、戦う事はできない。向かい合う事はできない。

 知ってしまったから。僕は――弱い人間だ。

 ×××。

「そうか――……いや、良かった」

 少しいつもと様子が違ったような気がして、顔を向ける。アヤメは空を眺めていた僕に対して、地面を睨んでいた。

 動けば触れ合う距離。

「そうじゃなきゃ、海晴を守る理由がなくなっちまう」

 静かにアヤメは笑った。

 もし。もし勘違いでなければ。それは狩猟者の凶暴なそれではなく、一人の女の子としての笑みだった。

 心臓が弾む――比喩ではなく、痛むほどに。弾んだ心臓が締め付けられるような甘い痛みを感じた。

 でも。

 “守る理由”って、なんだろう?

 心の中で生まれた疑問を尋ねるよりも早く、アヤメが僕の事を押し倒した。今まで見ていた暗い空に、アヤメの整った顔が加わる。一瞬何も分からなくて、一瞬後に顔が熱くなる妙な感覚を味わった。しかしそれもその後に消える。

 僕の頭があった場所、至近距離で色とりどりの花が咲く。

「来た――ッ」

 獰猛な笑みを湛えてアヤメは立ち上がった。脇においてあった手甲を素早く嵌めて刀を構える。僕も“照魔鏡”を掛けた。

 花火が飛んできた方向には巨大な人影があった。正確な大きさは掴めないが、三メートル以上ある。それが地響きを鳴らしながらこちらに歩み寄ってきていた。昨晩と全く違う形。


『ねぇ、知ってる?』


 囁く少年と少女。姿は見えない。

「都市伝説の“噂話流布”だよ。あいつらはああやって形を保つために自分の情報がだだ漏れになってるんだ」

 低く身構えながらアヤメは射程範囲までそれが近付くのを待っていた。巨大な人影が一歩こちらに近寄るごとに、街灯が消えていく。どういう仕組みか分からないが、多分、あの異形の仕業なのだろう。

 そして異形は立ち止まった。アヤメは怪訝な顔をする。


『インヴィジィブルマンは普段石鹸しか取らないけど、自分を見ようとした人間は殺しちゃうんだって』


『実は腕は仮の姿で、本当は――』



『『ムキムキな巨人なの!』』



 ……空気が凍った気がした。アヤメの方を見る。凄く不機嫌そうだった。むしろ無の表情になっている。

 校庭のライトが灯り、異形の巨大な姿を晒す。三メートルを越す巨大な体は、筋肉の鎧を纏っていた。不気味なほどに膨れ上がって筋肉は脈動している。顔は獣のもの。どこか猪に似ている。股間にはボディービルダーの着るようなブーメランパンツ。存在自体が色々なものを馬鹿にしている気がした。

 そいつが高々と宣言する。

「我が名は、インヴィジィブル――」

 ……よりも早く、アヤメが駆け出してその肩口を切り裂いた。鮮血が吹き出て、巨体がよろめく。よろめいた所に、着地したアヤメが更なる追撃を加えるため、跳躍。刃は真っ直ぐ巨体の首に吸い込まれていく。

 そして空を切った。

 巨体はそこには無く、アヤメの真上に出現した。

「土遁――泥塗レノ壁」

 周りの土がうねり、ドーム状の防壁を作り出す。しかし異形の攻撃の勢いを殺すだけで防ぎきれない。激しく土煙が舞い上がる。

 アヤメは離れたところに着地する。どうやら壁で勢いを削いで距離を取る時間を作ったらしい。

 巨体がまた消える。今度はアヤメの背後に出現した。天高く掲げた腕を繋ぎ、振り下ろす。アヤメはそれに気付いていたのか、攻撃を横っ飛びで躱した。土煙は舞い上がらず、代わりに凍りついた地面があった。

 ――でたらめだ。

「海晴、伏せろ!」

 アヤメの叫び。頭よりも体が先に反応して伏せた。頭上で轟音が聞こえて熱風が背中を撫でる。薄れそうになった意識を何とか繋ぎとめる。それから背後で巨大なものが転がるような音を聞いた。

 顔を上げて背後を見る。黒焦げの異形が転がっていた。遅れて肉の焼ける臭い。

 隣まで歩み寄ってきたアヤメ。嘲笑うように言い放つ。

「お得意の空間跳躍もここでは無意味だ。潔く狩られるんだな」

 黒焦げになった異形が何か気付いたように、地面に転がったまま、丸太のような腕を地面に叩き付ける。今度こそ、アヤメはその様を嘲笑った。体が震えるほどに底冷えした冷たい声。

「四柱推命を俺なりにアレンジした結界だ。何処へ出現しても俺には把握できるし、お前はここから出ることはできない。俺にしか解除できないような呪いも十重二十重に刻んである。力任せに叩くだけじゃ消えないと思うぜぇ?」

 僕にはアヤメの言っている言葉の意味が半分も理解できなかった。

 ただ分かるのは。

 アヤメが昨晩、この異形に逃げられた事を怒っていると言うこと。

 この瞬間でアヤメの勝ちが決まったということ。

 それから、今から一方的な惨殺が始まるということ。


 どんよりと曇った空に、誰にも届かない恐怖への叫びが響き渡った。




 その様を見ていた男は舌打ちをした。早過ぎた――言外に呟く。巨体が八つに綺麗に引き裂かれ、焼かれ、貫かれ、少女は悪夢のように育て上げた“都市伝説”を食い荒らしていく。

「おかしい、おかしい!」

 癇癪を起こして男は地団太を踏む。親指の爪を噛む。

 イラついているところ悪いのだけど、私は静かにその男の前に降りる。男は面白いぐらいに目を見開いて、それから私を睨んだ。目を剥き、黄ばんだ歯を見せて睨む。よっぽどこちらの方が異形じみている。

 私から見ればまだあの筋肉の方が可愛げがあっていいと思う。

「お前だな! あのガキを使って殺女を呼び寄せた!」

 がなる男。耳に痛かった。

「アレが出来上がれば殺女にも勝てるものに仕上がったのに! アレが出来上がれば我々がかつての栄光を手に入れられてのに!」

 叫ぶ。

 瞳の色は濁っていた。まだアヤメちゃんの目の方が可愛げがある。まだあっちの方が純粋で見ていて気持ちがいい。

 表情は敵意でドロドロしていた。まだトウカちゃんの表情の方が可愛げがある。まだあっちの方がまっさらで綺麗だ。

 男は懐から銃を取り出した。六連式のリヴォルバー。黒いそれには白い線が編まれていた。呆れてしまう。そんなものを使って何をしようというのだろう。そんなもので栄光が取り戻せるのかしら。

「平安以前、この霊山を管理していた者の末裔、だっけ?」

 男が引き金を引いた。

 弾丸はあらぬ方向へ向かってから、軌道を曲げて私の心臓にしゃぶり付こうとする。僅かに体をそらして躱す。肩口が少しだけ裂けて、ヒリヒリと痛む。男は狂気じみた笑みを私に向けてくる。

「そうだ! 機関が出てから我々は人々に忘れられた! かつては人も、異形でさえも我々の名を聞き、恐れ、慄いていたのに!」

 二発、三発、四発。曲がる弾丸が少しずつ私を傷つけていく。

「全ては統括機関がこの地を我々から奪ったのが最初だ! 我々はアレを育て上げ、復讐を遂げようとしたのに!」

 その叫びは慟哭にも似ていた。

「……異形は人には操る事はできない」

「そうだ! アレが生まれたのは偶然だ! だがアレが育っていけばやがて一帯を食い荒らし、機関すら衰退させる!」

 つまりはそう言う事なのだろう。

 異形、都市伝説は偶然生じた。それを知った彼らはそれを密かに育て上げ、機関に対して攻撃をさせるつもりだったのだろう。都市伝説は噂によって少しずつ形を変えて進化していく。彼らは急速に成長させるために術式を使って噂を膨張でもさせた。

 ――なんて不完全。なんて無駄。

 言質は取ったのでもうここに居る理由も無い。

「我々は、ここに存在を証明するのだ! また訪れる、人々が我々の名を聞き、恐れ慄く世界が!」

 術式を発し、要石に引き上げた魔力を循環させる。

「我が名を恐れ! 我が名を囁け! 生ける伝説として永劫に!」

 そんな日は一生来ない。

「迷イ家ヘ、ヨウコソ」

 言霊を紡ぐ。

「語り継げ! 我等が名は“天夜”! 霊山の支は――」

 顎から上を一瞬で喰いち千切った。



 さようなら、狂ったひと。

 噂が如く疾く消えよ。






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