天夜奇想譚

天夜奇想譚 -狼- Chapter7

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作者:飛崎 琥珀

タイトル:天夜奇想譚 -狼- Chapter7



本文

         ◇
 いつもの場所に。
 そう言われて、優希の頭はひとつの場所を思い浮かべていた。
 そうなれば、走り出した足は止まらない。
 まずは謝ろう、と優希は考えていた。
 当人には困惑する話だろうが、まずはそれからだ。
 そして、話をしよう。
 これまでの空いた時間を取り戻すために。
 何か大事があるのなら、一緒に考えよう。
 自分よりも彼女の方が頭が良いけれど、一緒に考えれば彼女だけでは思いつかなかった答えが見つけられるかもしれない。

 そんな、ずっと考えていた不安の払拭をしようと、優希は日の暮れた住宅街の道を走っていた。
 もしかしたら、自分の不安は全て杞憂かもしれない。
 笑って自分の考えをバカにしてくれるかもしれない。
 彼女のことを思わなかった自分を、笑って怒ってくれるかもしれない。
「――夏輝ちゃん」
 言葉にして、走る足に力を込める。
 既に目的の場所は目の前に見えていた。
 自分の膝ほどの高さを持った、黄色いペンキの剥げた柵を横切って、住宅街の小さな公園へと駆け込む。
 道路を走っていたときから見えていた、公園で一番大きな木。
 その下に、彼女はいた。

          ◇
「――夏輝ちゃん」
 じっと木を見上げていた夏輝は、声の相手に気づいた。
 探し人の姿に荒げる息をそのままに、優希は傍へと駆け寄る。
「夏輝ちゃん…」
 もう一度声を掛ける優希に、しかし、夏輝は優希の方へ視線を向けようとはしない。
 一生懸命に息を整えようとする優希の横で、夏輝はじっと動かない。
 何かを待っているのだろうか、と優希は考えふと言おうとしていた言葉を思い出した。
「ゴメンね、夏輝ちゃん。私…」
 ゴメンね、という優希の言葉に、夏輝は微かに身体を揺らした。そして、その先を告げようとする優希の言葉を遮るように、夏輝が口を開いた。
「――やっぱり。優希は私を騙していたのね」
「え?」
 優希へと振り返る夏輝の表情に、優希は言葉を失う。
 いつも笑いかけてくれる夏輝の笑顔はそこにはなく、彼女の貌には、無機質な双眸が射抜くように優希を見つめている。
「ずっと、騙してたんだ。アイツらのことも、私の存在も。知らない振りして、気づかない振りをして――!!」
「ま、待って、夏輝ちゃん!! 何のことだか分からないよ!」
 夏輝の突然の激昂に、優希は混乱する思考をさらにぐちゃぐちゃにする。
「まだ! そんな言葉を吐くの? 全部知ってるくせに。そうやって私を馬鹿にするの?
 貴方さえいなければ、貴方さえ信じなければ、お母さん達を殺さなくてすんだ。あんな奴らに――こんな自分にならなくても済んだのに!!」
「おばさん達を、殺した…?」
 夏輝の言葉に、優希は身体を硬直させる。夏輝の半月のような笑みに、優希は背筋が凍るような気がした。
「そうよ! 私が殺したのよ! あなただって知ってるんでしょ? 私に気づかないあの人たちを、私が殺した。貴方に気づいてもらえなくても、あの人たちはって――家族ならって最後に希望を抱いた。
 でも、気づいてもらえなかった。
 そして、私の事で二人は喧嘩していたのよ。
 私が戻ってこない。貴方は何をしていたの? てお母さんがお父さんに怒鳴ってた。お前こそ、仕事に現を抜かして、娘の異常にも気づかなかったのか、てお父さんが怒ってた。
 おかしいでしょ!? 私は傍にいたのに…。二人の横にいたのに、私の前で、私の事で怒鳴り合ってたのよ! 私はそこに、いたはずなのに…」
 ひとしきり泣き叫ぶ夏輝に、優希は混乱する頭とは裏腹に、心が落ち着いてくるのに気づいた。
「夏輝ちゃん…」
 優希の言葉に、夏輝は言葉を止める。
「ゴメンね。夏輝ちゃん。私、夏輝ちゃんが辛い思いをしているときに、思い出そうともしなかった。どうしてだか分からないけれど、夏輝ちゃんの事を考えないようにしていた。
 夏輝ちゃんがいてくれたことに、私――本当に気づかなかったの」
 優希の最後の言葉に、夏輝は驚いた顔をした。その貌がみるみるうちに憎悪の色を浮かべてくる。
「――まだ、そんな事を言うの?」
「夏輝ちゃん?」
 夏輝へと腕を伸ばそうとした優希に、夏輝はその腕を払うと、優希の首へと腕を伸ばした。
「――!? っ…」
 驚きと呼吸を止められた優希は、必死に声を出そうとするが叶わない。
 いつの間にか地面から足を浮かせた優希は、閉まる首に夏輝の手から逃れようと夏輝の手を掴んだ。
 すると、そこには夏輝の白い手はなく、白銀の体毛に覆われ、鋭利な爪を持った獣の腕があった。
「そこまで白を切るなら、私が言ってあげるわ! あなた達統括組織って存在が追い求めてる、人類の敵! それが今の私の姿よ!
 あの晩、あの男に血を飲まされた私は、全身の細胞が作り変えられる痛みに苛まれ、望まぬままにこんな姿にされた! 異形に成った私は、普通の人間には見えなくなる。食われるだけの人間には見えない存在になって、私は世界から存在を認識されなくなった!
 でも、あなたたち統括の人間――退魔士《メイガス》はちがうんでしょ? あなた達は私達を殺すために、力を得て私達が見える。貴方も見えていたのに、でも――あなたは知らない振りをした。
 自分が、退魔士だって気づかれないために!」
 自分には分からない話をする夏輝に、しかし優希は、苦しさからその話を半分も聞けないでいた。
 既に呼吸が止まって、意識は段々と薄れてきている。
 腕に込めた力も徐々に失われていき、苦しさから抵抗する力を失っていく。
「私の事に気づかないふりをして、あなたは神嶋さんたちと楽しそうに話をして、あなたは私を無視した!」
 夏輝は、さらに首を絞める腕に力を込める。
「別に、あなたに殺されたって私は構わなかった! 私の存在にちゃんと向き合って、あなたは悪者だから殺さなきゃいけないって、あなたの口から聞いたらきっと私はおどろいたけど、あなたに殺されるなら構わなかった!
 なのに! なのに、あなたは無視したのよ!!」
 既に夏輝の言葉も遠くになってしまった優希は、視界が真っ暗になっていく中――昨日、自分を助けてくれたあの人の背中を思い出していた。
 そして、薄れる意識の中で振り絞るように最後の言葉を紡いでいた。
「――たす…けて……」
 ――不意に、首に掛かった腕の力が失われた。

          ◇
 痛みはなかった。
 それは、怒りが突然驚きに変わった間に起きたことだからかもしれない。
 首をへし折るつもりで力を込めていた左腕が、突然力を失ったからだ。
 否、正確にはその腕を感じられなくなったからだ。
 ごとり、と白銀の体毛に覆われた腕が地面に落ちる。
 二の腕の先から見える断面が、一度だけもそりと動くと、真っ赤な血を吐いた。
 その光景を、何処か他人事のように見ていた夏輝は、何があったのだろうかと優希の背後に視線を送る。
 ――其処には、影があった。
 夜空に浮かぶ月を背に、外套をはためかせた長躯の影。
 姿は影よりも暗い衣服に纏われ、右手には対照的に月光を反射する異質な形をした刃の姿があった。
 それを例えるなら、何時しか見た殺し屋の映画に出てきた主人公の持つ、拳銃に大きな刃を繋げたような物だった。
 そして、ガタンと何かが地面に落ちる音ともに、その影の眼と視線が重なった。
 ――その瞳には、見覚えがある。
 いつか見た、路地裏に現れた恐怖の対象。
 自分に絶望と恐怖を抱かせた、悪魔の眼。
 全身が、体中に巡る獣の血に急かされ総毛立つ。――逃げろという本能が血を巡って暴れだす。
「――あ」
 そして、私の心は瞬く間にその本能に負けた。
 目の前で激しく咳をする優希の事も気にならず、目の前の死へと背を向けることを選択する。
 逃げなければ殺される。
 夏輝は逃げ出そうと一歩後ずさった。
 ――だが、既に遅い。
 気づけば影は、自分と優希の間に降り立っていたからだ。
 獣の目を持ってしても、その影の動きを追う事は出来なかった。
 擦れ違う車の内部も、目の前を飛ぶ虫の姿も、風に飛ばされてくる小石の動きもすべて捕らえることが出来た自分の目が、迫る悪魔の姿の動きを追うことが出来なかった。
 敵が、確信の表情を持って自分を捕らえている。そう感じた夏輝は、自分に降りかかる刃の軌跡を追った。
 ――殺される。
「駄目――!!」
 不意に、聞きなれた声が叫びを上げた。

          ◇
 首の拘束を解かれた優希は、何度も咳き込んで酸素を身体に取り込むと、涙で霞む目で前を見た。
 其処には、ひじから先を失った夏輝の姿があり、そして自分と夏輝の間に入り込む影があった。
 黒衣の外套を纏い、手には見たこともない鉄の塊を持った長躯の男の姿。
 その貌には、見覚えがあった。
「あなたは…」
 呟くような擦れ声に、男は視線をこちらに向けない。以前は隠れていた目が、風に舞った髪の間から覗いている。
 その銀の三白眼が、驚いた顔を浮かべる夏輝の心臓へと向かっていた。
 男の背中が、何をしようとしているのかを語っている。
 背中に沸き立つ気配が、赤黒い陽炎となって優希には見えていたからだ。
 気づけば、叫んでいた。
「だめぇぇ――!!」
 静止の言葉。それが瞼への激痛とともに喉から搾り出された。
 不意に、男の身体がぴたりと動きを止める。
 突き立てるように構えられた刃は、すんでのところで動きを止め、あと数センチという間隔をもってぴたりと静止している。
 突然の事に、誰もが動きを止める中、男は優希へと視線を向けた。
 驚きに見開いた銀の目を、涙でさらに視界を掠めさせる視界で見つめる。
「―――涙」
 男の言葉に、優希は今更になって自分が泣いているのだということに気がついた。それが、苦しさから出たものか、目の前の人が自分の大切な人に刃を向けているということへの悲しみなのか。
 分からないままに、見つめる男の銀の目が前髪に隠れる。
「――そんなはずはない!!」
 突然の男の叫びに、優希は驚いて目を見開く。
 歯を食いしばり、身体を動かそうとする男の姿に、一瞬の怯えを抱いた刹那――不意に動く気配に気づいた。
 その動きに、彼は気づくのが遅れた。
 まだ付いたままのもう片方の腕を、獣の腕へと変えた夏輝が、狂気の笑みを浮かべて、彼へとその爪を付きたてようとしていたからだ。
「夏輝ちゃん、止めて!!」
 彼が殺されようとしてる事に気づいた優希は、夏輝に静止をかけていた。
 その言葉に反応するように、夏輝の爪がぴたりと止まる。
「――え?」
 それが、何に対しての驚きだったのかは、優希には分からなかった。ただ、優希へと視線を向けた夏輝は、不意に驚いた表情を浮かべると――、
「――目が」
「え…?」
 不意に、激痛が襲った。
「―――!!」
 痛い、という言葉を発することもままならないまま、眼球の奥から圧迫感が激痛を伴って襲ってきた。
 痛みに堪えるように、全身から冷や汗を吹き立たせると、優希は力を失うと糸の切れた人形のように倒れこんだ。

          ◇
 身体を拘束する力が解けたことに気づくと、先に動き出したのは沙耶だった。
 無防備に倒れこむ優希を抱き上げると、未だ放心している夏輝から距離をとるように下がる。
 沙耶と優希を逃がしたことに気づき、我を取り戻した夏輝は、苦虫をつぶしたような顔をすると、改めて優希を抱きかかえる沙耶へと対峙する。
「それが、彼女の退魔士としての力なのね」
 夏輝の言葉に、沙耶は答えない。
「やっぱり、優希は私を騙していた。――許せない。貴方も優希も、私が殺す」
 陽炎の様に揺らぐ夏輝の背に、不意に暗い影が降り立った。
「そうだ、夏輝。キミの感情は正しい…」
 影は笑みを浮かべると、身体を纏っていたマントをはためかせた。
「お前は――」
 その影の貌に気づいた沙耶は、驚きに眼を見開いた。
 沙耶の様子に笑みを浮かべると、影はそっと夏輝へと顔を寄せる。
「さあ、夏輝。奴らを殺せ。キミの復讐はそれで終わる」
 驚きも、怒りもない無感情へとその顔を塗り替えた夏輝の貌は、静かに目の前の対象を捉えると肉迫した。

――To be Continued.







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