天夜奇想譚

プロローグ

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作者:柏陽煉斗

タイトル:プロローグ/終わりからはじまり。



 ある日、ある夜。
 それは奇妙な恋の物語の、その終焉の夜。
 その物語は、吸血鬼の少女と人間だった領主の青年とのお話……


「……月が、綺麗だね。」
 意識ははっきりとしている。
 遠い空、惹きよせられそうな程に甘美な輝きの満月を、片方だけになってしまった眼でじぃ、と見つめる。
 痛みも無い。本来ならばほぼ死に体であろうその肉体で、しかし、あまり普段と変わらない声。
 それもこれも、半分だけ吸血鬼になったおかげだろうか。――もっとも、この傷は治ってくれる気配はないけど。
 その事実の何が悲しいかといえば、僕の隣、正確には頭の下でその膝を枕にしてくれている、顔をくしゃくしゃにした少女の頭を撫でるのすら億劫な程に力が抜けきっていることだろうか。
「……そうだな。……今夜の月は、いつになく綺麗だ、な。」
 涙声。常の小鳥の囁きのような美しい声が震えてしまっていて……それに、すぐさま抱きしめたくなる衝動に駆られる。ああ、口惜しい。
「君が暇さえあれば月を見ていたのが分かるよ。――ああ、これも君と一緒になれたって証拠になるのかな。」
 自然、くすりと笑みが零れるのを感じる。ただそれだけで、疲れてしまう今の自分が少し情けない。
「な……っ、そ、そう、だな……」
 愛しい少女の照れたような反応。一瞬だけその顔が悲しみから解放されて……でも、すぐに悲しみに彩られてしまう。
 ああ、本当に口惜しい。何より。彼女にこんな顔をさせてしまう今の自分が、本当に口惜しい。
「……ごめん、ね。」
「――っ! なぜ、なぜ謝るっ! これも全て……全て、私のせいだというのに!」
「違うよ……」
「何が違う!私さえ来なければ、お前はあいつらに愛され、共に笑いあい、幸せに過ごせたというのに!」
 その声が、表情が悲しみから移り変わる。
「私さえいなければっ……間違っても、こんな結末にはならなかったというのに……!」
 それは、怒り。
「あいつらも、ここで私に殺されることは無く!その幸せを甘受できたというのに!」
 それは、彼女自身への怒り。
「あの時……お前の手を振り払っていれば、――お前に会わなければ、私がいなければっ……!」
 悲痛な叫び。悲しみと、怒りと、悔恨の入り混じった表情。
 ――僕にとって、彼女のする一番嫌いな表情。
 だから、口惜しい。……僕は怒っている。僕に、彼女に。
 その衝動に任せて、そっと……動かないと思っていた腕を必死に伸ばす。涙零し、歪んでしまった彼女の顔に。
「それは、違う。」
「……ぇ。」
 驚きの声。それは僕の声にか、それとも彼女も僕が動けないと思い込んでいたからだろうか。
 それも当たり前かもしれない。彼女に伝えたい……否、伝えなければならない言葉を考えながら、身の裡に意識を傾ける。
 全身に、それこそ血流にすら混じりこんだ剣の破片。傍らに転がっている執事服の男の手に握られている柄だけになった剣の、その破片。
 銀で固められた刃、わざと脆く作られた構成。一度限りしか用いることができない代わり、一度だけ敵に斬傷と銀の礫を浴びせかけるそれ。
 その銀こそが吸血の輩にとっては、その身の概念を否定する毒にほかならなくて。
 ああ、だんだん眠くなっていく気がする。――もう、この身にはほとんど時間が残されていないということを実感する。
 ただただ頭を撫で、薄汚れても未だ煌びやかで美しい金糸の如き髪を楽しみながら、言葉を漏らす。
「君が……僕と出会ったことを否定したいなら、そうすればいい。不幸だったと、間違っていたのだと。」
 彼女の表情が歪む。
「だけど。」
 そんな顔はしてほしくないから。だから、言葉を繋げる。
「だけど、ね。僕は、そう思ってないんだよ。――だって、君と過ごした、あの短くも楽しい日々が、僕の一生の中で、一番大切な宝物だから。」
 歪んだ表情が、一転、朱に染まりはじめる。
 ああ……変わらないな、こんなところは。出会ったあの時から。
 彼女は気づいているのかな。だから、ついついからかってしまうことを。
 少しだけ今の笑みは意地悪いだろうな、と頭の一部で考えて。
「だから、僕は君のせいだなんて思ってない。……君のおかげで僕は幸せになることができたんだ。」
「……お前は……っ」
「……だから。君は残ろうなんて考えちゃいけないよ?じきに真犯人の悪の魔法使いが来てしまうから。」
「っ……!」
 軽口風味の一言に顔を引きつらせる彼女。本当に素直だ。
 少しだけ悲しい気分で、僕をこんな体にした執事姿の男、生まれてこの方共にあった"親友"……その死体をじ、と見ながら。
 それでもなお、言の葉を重ねる。
「せっかく、あの暖かなお日様の下で遊べるようになったんだよ?それを君は無駄にするのかい?僕たちの愛の結晶を。」
「な……!」
 ぼすん、と、顔に何かが突き立つ感触。鈍痛。
「あいたたたたた……けが人にそれは無いだろう?」
「う、うるさいうるさいっ!お前は今の状況をわかった上でこのような台詞を吐いているというのか!」
 ぐりぐりと僕の額を強く捻り押しながら吼える彼女。正直かなり痛い。
「勿論。僕らの愛……こほん、僕らの共同研究の結果として君はおてんと様の下を謳歌できる権利を得ることができて、でも、それを君は放棄しようとしている。違うかい?」
 息を呑み、顔を落とす彼女。更に、言葉を重ねる。
「そもそも、だ。さて、ここで質問だけど――」
 その言葉は、彼女を突き放しかねない、そんな台詞。
「僕は、異形から護らなければならない領民達を裏切った。大切な友にして得難き最高の部下達の友情を忠誠を、まるで野犬に食わせるかのように捨て去った。」
「……何が、いいたい。」
「そして、僕はこの生命を多分きっと失うことになるだろうね。さて、僕は何故、こんなことをしたんだろうね?」
 あまりに陳腐かつ卑怯な台詞。ああ、今の台詞を普段の僕が聞いていたなら思い切り殴りとばしていることだろう。
 他愛も無いことを考えている僕の顔に、ぽつり、ぽつりと落ちる雫。彼女の、涙。
「……もう、答えは出ているよね。答えは『君の為』。僕はそれに何の後悔もしていないけど、でも、君以外の全てを手放したんだから、その分の対価の交渉はさせてもらうよ。」
 無言のままの彼女。構わず、続ける。
「――僕が求める対価は、『君が君の生を後悔しないように生ききる』こと。」
「……お前は。」
「……何かな?」
「……お前は、いつもそうだな。他の者には優しい……優しすぎる癖に私には意地悪だ。」
「君限定のサド心と思ってくれればいいよ。」
「そんなものはいら……いらん!」
「今一瞬迷ったね?…ぐふっ」
「ええい、うるさいうるさい!……どうせ願うならば『あの世でも傍にいてくれ』とでも願えばよいものを……」
「僕は意地悪だからね。……っ、ああ、だから、君を焦らして焦らして、それからたっぷり楽しむことにするよ。」
「変態的な発言をするな!……まったく。」
 そう言いながら、苦笑いを浮かべる彼女。
「――ああ、やっと、笑ってくれたね。」
「……あ。」
「君は笑っているほうが可愛いんだから僕の前ではそうしていてくれてないと。」
「っ……!」
 真っ赤になる……ああ、やはり彼女は美しい。本当に、口惜しい。
 結局、彼女を抱きしめる暇も無く、僕の身体は動かなくなってしまいそうだから。
「……お前は本当に意地悪だ。その……そんなことを言われたらどういう顔をすればいいか分からないじゃないかっ……」
 百面相の如く。真っ赤にした顔を笑みにしたり困ったような顔にしたり。
 そんな様子を愛しげに見つめながら――ああ、そういえば忘れていた。大事なことを、忘れていた。
 未だ百面相を続ける彼女に、随分と弱くなったと実感できる声色で囁く。
「……もう、一つだけ、お願いして、いいかな……?」
「……あ、ん、なんだ。聞くだけ聞いてやる。」
「僕と、君の。……結婚式をしたい。」
「え……」
 驚きに溢れる顔、その顔がだんだんと笑みに変わっていく。
 ……残酷な、本当に残酷なことを願っている、自覚しながら。でも、その表情を見ることができた喜びで悔恨の情が消え去っていく。
 現金だな、と苦笑しながら言葉を繋ぐ。
「……時間が、あんまり無いからね。誓いの儀式、だけ。僕は教会のしか知らないからそれで。」
「……よもや、この私がそんなことをやる羽目になるとは思わなんだ。」
 くすりと笑む彼女。吸血鬼がカトリックの儀式……ああ、確かに凄まじい違和感だ。
「確か、こうだったか……」
 僅か瞳閉じて。
「……お前は、私と結婚し、夫婦になろうとしている。お前は健康なときも、そうでないときも、私を慰め、助け、命の続く限り……命尽き果てても、愛してくれることを誓うか?」
「……はい、誓います。」
 かぁ、やはり顔を紅くして。やっぱり恥ずかしかったのか、とにやけてしまうのが抑えられなくて。
「……君は僕と結婚し、夫婦になろうとしています。君は健やかなるときも、そうでないときも、僕がもうこの世にいなくても……それでも、僕を愛する、と誓ってくれる?」
 ……やっぱり、僕は意地悪だ。
 そんな問いかけに。彼女は……涙を、一筋零して、悲しそうに笑みながらも、なお、強く――
「ああ、永久の愛をお前に誓ってやる。」
「……」
 その笑みに、その言葉に、魅了されたかのように眼を見合わせてしまって。
 ああ、真っ赤だ。多分、僕も真っ赤だ。お互い真っ赤になりながら、眼をじっと合わせる。
「……そ、それでだな。確か次は指輪の交換、だろう……? どうするんだ?」
「……ああ、それなら……僕のローブ、襟元をめくって……」
 言葉どおり捲ってくれる彼女。息を呑むのを感じて。
「これは……」
「いつか、渡そうと思っていた。……渡せて、よかった。」
 襟元に縫いとめられた二つの輪、白亜と紅玉、魔力の込められた二つの指輪。
「どこぞの遺跡から発見されたらしいね。紅と白は縁起物だし……なにより、君には、紅が凄く似合うと思ったから。」
「……素で言うでない。」
「……ともかく。」
 くすくすと口の端だけでどうにか笑み見せながら白い指輪を渡す。
「それを、僕の指に嵌めてくれないかな?」
「……ああ、わかったよ。」
 そっと、震える手で彼女の左手、ぎゅ、と力なく握って。その薬指に紅い指輪を嵌めいれていく。
「……やっぱり、似合うね、うん。」
「……あ、有難う。」
 やっぱり照れたような笑み。……僕にとって、彼女の最高の顔を浮かべながら、僕の萎えきった手を取る彼女。
 白い指輪を嵌めてくれて……はふ、とため息をつく。
「……結婚式の、最後。」
「うん。……誓いの口付けだね。」
 僕は、もう、腕を上げるのすら難しくて。ぱたむ、と腕を床に下ろし。もうほとんど見えない眼を閉じ、唇を差し出して。
 彼女が顔を近づけてくる気配。間隙、柔らかなものが唇に重なる感触……
「……これで、私達は、夫婦だ。」
 瞳開ける。ああ、なんでかな。もう、ぼやけてしまってる。
「……もう、話せなくなってしまったか……」
 ただ、首だけで頷き。……気が抜けてしまったからか、凄く眠い。
「……そうか。……もう、逝ってしまうのか……」
 少しだけ躊躇。……でも、こく、と頷いて。
「……私は、生きるよ。お前の言った代価通りに。お前が好きだと言ってくれた笑い顔でいられるように、幸せになれるように生きるよ。」
 口の端が僅かに歪ませ。今できる、精一杯の笑み。ただそれだけで彼女はわかってくれたのか、笑みを浮かべてくれる。
 やっぱり、僕は幸せだったんだな。こんなに大好きで愛しいお姫様に最期を看取ってもらえるんだから。
「……だから、お前も……幸せに眠ってほしい。もし、もしも。お前が生まれ変わるようなことがあったとしたら、その時に笑い方を忘れていないように、今、笑っててほしい……」
 勿論。首肯。
「……それが、私からお前への代価だ。」
 頭撫でられる。凄く心地がいい。自然、笑みが零れたと、思った。
「……お前も、笑ってるのが似合うよ。」
 有難う、ありがとう。そして。さようなら。
 言葉にならない言葉。口先だけで囁きかけて――
 そして、僕は逝った。幸せに包まれて、微笑み浮かべながら。




 それが、とある領主の青年と、吸血姫の悲しい恋の物語。
 ここで全てが終わり――そして、始まった。
 白亜の指輪と、紅玉の指輪。
 最期にかわされた誓いの指輪が、新たなる絆を呼び寄せるとは、今はまだ、誰も知らない。



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