天夜奇想譚

天夜奇想譚 -狼- Chapter2

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作者:緋崎琥珀

タイトル:天夜奇想譚 -狼- Chapter2



本文

          ◇
 冷たい夜気の中、鋼の咆哮が木霊した。
「―――!」
 木陰から飛び出した影が、無様な悲鳴を上げると無数の風穴を空けてアスファルトの上に崩れ落ちる。
 その様子を見た銃器を担ぐ男が、苦しげに息を吐きながら一瞥をくれて次の獲物を狙う。
 既に四体の獲物を打ち倒しているが、その実未だに《討滅目標》‐ターゲット‐へは辿り着いていない。
 打ち倒したどれもが、目標が放った雑魚でしかない。
「ちぃ。きりがないぜ!」
 野営服を身にまとう男は、乱暴な動作で銃の横のレバーを引くと、その無骨なフォルムの内側に次弾を装填する。
 それを合図とするように、男の背後から影が飛び出した。
 鋭い眼光に、鋭利な牙と爪を持つ姿。
 その四足で路面を蹴ると、影は一直線に男へと飛び掛る。
「はん。そんな真っ向からの攻撃、こちとら喰らってやるわけにはいかねえな!」
 ほとんど狙いを定めることもなく、男は影に照準を合わせると引き金を引いた。
 《散弾銃》‐ショットガン‐特有の衝撃に身体をぶらすことなく、男は必中とも言える一撃を、影の額へと吸い込ませる。
 次の影は、悲鳴を上げる間もなくその頭を吹き飛ばされた。
 目の前で崩れ落ちる姿を見届けながら、不意に自分に降りかかる殺気が途切れ、男はやっとひと心地つけるように息を吐いた。
 冬の迫る夜の冷気を吸い込むと、酸素を欲しがる肺が悲鳴を上げて脈動する。
 痛みに顔を顰める男の脇腹には、決して小さくはない傷が赤い染みを作っていた。
 鋭利な爪のようなもので切り裂かれた傷。言うまでもなく、男が討ち取った敵の攻撃によるものだ。
 その痛みも、今では熱を感じるばかりで、痛みが男の動きを妨げることはなかった。
 ただ、男は血を失うことで震え始めた腕の状態を懸念するばかりだ。
「ったく。これじゃ肝心の銃が握れねぇじゃねえか」
 先ほどの一撃を当てられたのは、男にとっては奇跡に近い。
 既に手の感覚はなくなり、いつ銃が反動でその手から離れていっても不思議ではなかった。
 男は冷静に自身の状態を観察すると同時に、自分が此処にいたる経緯を思い返す。

           ◇
 事の始まりは、統括組織が数日前から探していた《討滅目標》が、自分たちのかけた罠に掛かったことだった。
 外から舞い込んできた対象は、あろうことか教会から追われる身であった。
 本来なら、統括組織が関与する理由は皆無であり、まして間に聖ラザロ騎士団の仲介があったとはいえ、本来ならば共同戦線などという措置が取られるはずがない。
 二つの組織の関係を知るものならば、誰もがそう考えたに違いない。
 しかし、蓋を開けてみれば――、
「やっぱり、そんなことあるわけがなかったか…」
 男は周囲に散らかる死体を見ながら口を開く。
 包囲作戦が始まってみれば結局、統括組織は手柄の横取りのつもりで部隊を専攻させ、教会は統括組織の手を借りることを嫌がって、独断専行を取って自分たちのイヌを駆り出した。
 結果――そんな連携も取れない部隊の間を縫うように、隙を突いた相手に逃げられ、こちらは壊滅的打撃を受けるにいたっている。
 自分もまた、そんな上層部の嫌々に付き合わされて、掛かってきた皺寄せをもろに受けた一人だ。
 男は既に、怒りよりも呆れの方が胸中を占めていた。
 男は、他の仲間たちが統括をどう思っているのかを理解しているつもりだ。
 しかし、そんな教会の思惑も確執も、男にはあまり関係のないものだった。
 統括が大々的に庸兵を雇うように、信仰の度合いに限らず教会もまた、組織の運営と維持のために人を雇う。
 名目上は信者であり、組織にその身と心を委ねる使徒ではあったが――その実、男は一度として教会の掲げる神に祈りをささげた事はない。
 まして、その規模から言えば、補わなければならない穴は教会側の方が多く。教会の戦闘要員の半数近くが、その実庸兵のようなもので構成されていた。
 そして、そんな庸兵紛いの人間たちが集められる部隊が、教会の信仰がそれほど行きとどかない、他国の支部である。
 重要視されない地区に振るわれる部隊に、組織の貴重な戦力を置いてはおかない。
 まして、統括組織がにらみを聞かせる極東に、教会側の退魔士の数なんてたかが知れているのだ。
 ――否、
「退魔士、なんて呼び方も教会ではタブーなんだっけ?」
 そんなどうでも良いことを思い出し、男は自嘲する。
「さて――」
 既に動かすことも億劫になってきた身体を鼓舞して、男はいつの間にか群がってきた目の前の獣たちにその銃を構えた。
 薄汚れた体毛に覆われた、二足歩行の狼。
 どれも口元を赤く色づかせ、まるで口紅を塗ったように染まっている。
 その赤い色だけが不気味な中。うちの一体が前に進み出た。
「さて、オジサン。そろそろチェックメイトみたいだけど、何か言っておきたい事とかあるかな?」
 挑発とも取れる、おどけた声でせせら笑うその狼男に、男は鼻で笑うように息を吐く。
「生憎。化物に残す言葉は持ち合わせてなくてね。――ましてや、オメェみたいなガキに薀蓄たれる歳でもねぇんだ。
 あえて言うなら、早いとこそんな火遊びはただ危ないだけだって気づくんだな。さもないと、いつか怖いおじさんにそのタマぁとられちまうぜ!」
 言ってのける男の目には、既に目の前が霞んでいた。
 ゆっくりと堕ちる瞼の隅に、その下卑た笑みが殺意に染まるのを見た気がした。

 ――夜気が、死を運んでくる。

 確かに感じた、自分の身を切り裂く手応え。
 手にしていた銃が真っ二つに絶たれ、月光を跳ね返す刃がその身を貫いた。
 熱さえも、男の中から奪われていく。
 ああ、俺は死ぬんだな、と男は何処か他人事のように思った。
 もうすぐにでも来るだろう地面の衝撃を覚悟して、男は意識をたった。

          ◇
「――大丈夫ですか!?」
 その声に呼び起された時、男は見知らぬ青年の背中に寄りかかっていた。
 正確には、何処かひ弱そうな貌の青年に、身体の半分を支えられ、足を引きずられながら――文字通り引きずられていた。
「――、っ」
 なんだお前は? と言いたげな男に、青年は喋らないで、と制する。
「追っ手は撒いたから。後は僕の仲間の下へ連れて、その傷を直さないと…」
 未だぼやける視界で自分の身体を見る。其処には、申し訳程度の処置が施された自分がいて――しかし、そこから見える出血の勢いが、生身の人間ではとうに限界であるほどの量を流している。
「俺なんか、置いていけ。――どうせ、もう助からねぇ」
「――貴方は、助かると思って、その脇腹の傷を負ったんですか?」
 かすれる男の声に、青年はきっぱりとした言葉で返す。
 脇腹の傷――が既に男にはどこら辺のことなのか分かっていなかったが――その言葉の意味は理解した。
 自分が辿り着いたときには、その統括組織の人間は目の前の凶撃から逃れる術を失っていた。
 足をつぶされ、腕も使い物になっていなかった。
 なまじ正常さを残していた首から上は、自分の目を抉ろうとする光景に身体を震わせていた。
 距離からして、自分の銃弾が届いたとしても、その凶刃は男の顔を貫く。
 ――なにか、遮る壁がなければならない。
 気がつけば、男はその凶刃と統括組織の人間の間に割って入っていた。
 銃を敵に撃つことを忘れず。しかし、止まらない敵の刃を背後に庇った人間から守るように、自分の身を間に入れた。
 そして、予想通りの脇腹の痛みと、銃弾によって倒れていく敵――そして、
「――くそぅ」
 その時は出なかった言葉を、男は青年の背中でこぼした。
「貴方は、その身を盾にしてまで僕の仲間を助けてくれました。決して味方ではない僕たちを…」
 見れば、男を担ぐ青年は、自分たちのように統率された服を着ていなかった。
 むしろ、この場では酷く場違いな私服姿に、男は今更ながらに事の異常さを悟る。
「僕たちは、あなたたち教会や世界の表には出られない身ですが。それでも、他人を救おうと身を犠牲に出来る人を、見捨てたりは絶対にしません」
 だから、安心してください、と青年は、その可愛げさえ感じる笑みを男へと向けた。
 男はその笑みに苦笑すると、最後に沈む意識の中で口を開いた。
「俺は、早間 雄吾“はやま ゆうご”。――お前の名は?」
 えっ? と走る足を止めて、青年は男――早間の顔をみた。穏やかに眠るその男の顔に、
「残念ながら、教えられません」
 悪戯を思いついたような、子供染みた笑みを向けた。

          ◇
 「――という訳で。昨夜の被害は統括側が38人。アチラさんが40人。まあ、この極東――それも、天夜市内の組織数を見れば、どちらも大打撃。当分はどちらの陣営も表立った動きは取れないでしょうね」
 眼鏡越しにパソコンを睨む少女――烽火は、そういうとメールで送られてきた報告書を読み上げた。
 デニムの半ズボンに、ロゴの入ったピンクのシャツという姿は、とても秋の夕暮れ時の格好ではなかったが。烽火のいる部屋は、そんな外の気温とはかけ離れた世界だった。
 何処を探しても見つかりそうにない、部屋の半分近くを占領した4台のパソコン。その倍はあるモニターとキーボードを載せた横長のテーブルの前に椅子を付ける烽火は、今は普段の持ち運び用であるノートパソコンを開いている。
 烽火が操作をしているのは、何処の電化製品でも目にする赤いカラーが特徴的なノートパソコン。
 数ヶ月前に出た最新版――という事を除けば、他に気になるのはそのノートパソコンの表面に、『試作版』と張られたシールだろうか。
 分かる人間が見れば、それが最近発売されたノートパソコンのプロトモデルであり、さらにいえば、中身のスペックがノートの領域をはるかに超えた処理能力を持っていることを理解するのだが…。
「――それで、上からの支持は?」
 烽火の相棒とも呼べるパートナーは、そんな事にはまったく興味がなく、烽火もまた自分の横で無愛想に画面を見る青年に、その偉大な性能を説明しようとは思わない。
「ええっとですねぇ。沙耶さんのこの後の任務は――やっぱり、現状のままですね。あちらから到着する《追跡者》-チェイサー-と合流後、そのサポートが任務になっています」
「その《追跡者》は何時来る?」
「――そんなこと、私に聞かないでくださいよう」
 青年――沙耶の言葉に、烽火は困ったような貌を浮かべる。
「あっちの情報は私たち統括の関与するところじゃありません! よって、あっちがどんなことをしてようと知りませんし不干渉です。あっちはあっちで好きにしてくださいなんですぅ」
「その結果が、今回の被害だと思うがな」
 それは…、と言いよどむ烽火を無視して、沙耶は部屋を出る。
 あ、何処に行くんですか? という烽火の言葉を無視して、沙耶は黒いブーツを履くと、さび付いた出入り口のドアを開けた。
「あ、外出ですか? 夜までには戻ってくださいよう! 一応こっちで情報収集はしておきたいんですから。あ、あと出来れば帰りにコンビニでアイス買ってきてください! この部屋すごく暑いんですよぅ」
 声を張り上げる烽火であったが、帰ってきたのは無情に閉まるドアの音だった。

          ◇
 突然の知らせは、朝のHRを震撼させた。
 教室中に広がる波紋に、春日井が静かにしろと怒鳴りつけるが、一度揺れ始めた声の波は留まらない。
 《行方不明》、《殺人事件》、《クラスメイト》。
 それらのキーワードからこぼれる事実の断片は、もちろん端的に話されるクラスの生徒たちには実態を得ることは難しい。
 しかし、だからこそその疑問と驚きの波紋は静まる気配を見せない。
「いい加減にしろ、お前たち!! いつまで騒いでんだ!!」
 バンッ! と教卓を一打ちする春日井の動作に、クラスは一瞬にして静まり返った。
 よし、と教室内を見渡す春日井は、いいか――と言葉を繋げる。
「とうとう、うちの学校――それもうちらのクラスで被害が出た。
 これより緊急の朝礼の後、速やかに生徒は下校。――いいか、早く帰れるからって外を出歩くような馬鹿な真似はするなよ。どういう処置かをもう一度各自でよ~く考えろ」
 春日井の言葉に、生徒の誰もが何も言わない。
 世間で騒がれている事件を、誰も自分の身近に意識できなかった者たちが、唖然とした面持ちで春日井を見ていた。
「――先生」
 その中で、綺麗に手をあげる真紀がいた。
「なんだ、神崎?」
「夏――光野さんが行方不明、というのは何時からなんですか?」
「知らん。私も警察から行方不明だとしか聞いていない」
「では、光野さんのご両親が彼女の失踪を隠していたことになりますね」
「それも知らない。――おい、神崎。お前刑事にでもなったつもりか? 変な興味を持つ前に首を突っ込むのは止めておけ」
 春日井の言葉に、神崎は次の言葉を飲み込む。口調こそ激しいものではないものの、その目は神崎をたしなめる、というには厳しすぎた。
 真紀は、それでも納得がいかないという様子を残しながら、席に座ることで引き下がった。
「それじゃあ、全員廊下に並べ!」
 春日井の言葉に煽られるように、生徒たちは教室から出始めた。

          ◇
 下校時刻と言うには、まだ日が真上に昇った頃。
 仕事をするサラリーマンやOL。暇を持て余す年寄りたちの人込みの中、優希の姿があった。
 吹き付ける冷気に、首元に巻いたマフラーを手繰り寄せながら、今朝になって急に冷えだした空気から首元を守ろうとする。
 そんな手繰り寄せる手も、何処か虚ろな動きを繰り返しているに過ぎない。
 その瞳は、何処にも焦点の合わないままに、横断歩道で赤信号が青に変わるそのときを人込みと共に待っていた。
 優希は、未だに頭の中を整理できないでいた。
 思い出すのは、共に町の中を駆け回った、ちょっと身体の弱い同い年の友人のこと。
 少しだけ、自分と同じ家族を持った互いを、自分たちが心を許すのに時間が掛からなかった。
『ねえ、優希ちゃん。早く行こうよ!』
 身体が弱いくせに、いつも自分の手を引いて走り出した彼女。
『大丈夫。へいき、だから…』
 苦しくても、弱音を絶対に吐かない彼女。
 周囲から一歩ひいて、いつも教室の隅にいた自分を日の当たる場所に連れ出してくれた彼女。

――その彼女が、行方不明。

 何を考えなければならないのかが、分からない。
 見舞いをサボった自分を呪えばよいのか。
 小母さんのうそに気づけなかった自分を悔やめばよいのか。
 彼女を――した、相手を恨めばよいのか。
「バカ。何を言ってるのよ」
 最後の考えに、優希は心の底から自分への嫌悪を吐き出して口にする。
「行方不明なだけだじゃない。きっと、今頃どこかに――」
 と定まらない焦点を引き戻して、周囲を見渡した優希は、その違和感に視線を止めた。
 視界の端。境界のずれた位置に見えた気がした、彼女の影――。
「――夏輝ちゃん!?」
 叫んだ言葉は、不意に上がった警告音に掻き消された。
 駅前の十字路。
 信号を無視して道に飛び出していた優希は、視界を覆うトラックに身体を硬直させた。
 視界が暗転する刹那。見開いた瞳は閉じるという逃避を許さなかった。
「駄――!!」
 叫びと想いが言霊となる前に、優希の身体は飛び出してきた黒い影に担がれていた。

          ◇
 悲鳴と喧騒が波紋を生み出した。
 それは、全てがありえないという一言で集約される刹那でありながら、居合わせた誰もがその異常に気づく事は出来なかった。
 ブレーキ音とクラクションを鳴らすトラックが宙を舞い、轢かれるはずの少女が一人の青年に救い出される。
 舞ったトラックはひっくり返り、コンクリートの道路を口砕いて停止した。
 全ては刹那の時間。
 誰もが事故が起きたという事実と、少女が助けられたという事実に、驚きと安堵、奇異の視線を送るばかりだった。
 そう、誰も目の前で起きた異常に目を奪われ、真に異常と思われる気づかない。
 ビルとビルの間から、その様子を伺っていた彼女以外は――。
「今のは…」
 呟く言葉は、今の結果に答えの出せない感情を漏らす。
 ――黒尽くめの青年に吹き飛ばされたトラックが、空中で停止したという結果への感情を…。

To be continued

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