亀 回 路

蛇足

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kaerujicho

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 ここまではなるべく小なりとも人の参考になると思われることを意識して書いてきましたがここからは完全に私だけの好み、趣味でやっていることや雑談を順不同で取り留めなく書いてみます。

・解説をシンプルにできるか

 必要な要素が出てもそれがお話 として繋がって認識されているか分からないのでまとめをお願いするという展開がよくありますが、私はなるべくまとめを必要でないようにしたいなあと思って います。そのため、ある特定のポイントが重要でそこが分かればあとはお話は繋がるという問題にしようと言う方向で設問をするように心がけています。
 それが難しい場合もありますがその場合も基本的に重要な要素を書けばせいぜい2行で収まるように内容を整理しています。(Sの神様とチューブの少女)の話も解説文は非常に長いようで、要点だけ書けば
 少女のボトルシップを作ろうとした男がSの神様のせい(問題文中の行為)で瓶に閉じ込められて死んだ。
 と、これだけです。当ててもらうべき要素を整理するのはグダグダ回避に役立ちます。整理できているか自分で確認する手として解説を1,2行で書けるか試してみるというのが私のやり方です。


・どんなネタなら問題になる?

 この稿ではどんなネタならいい問題になるのかついては全く述べませんでした。どういうものが望ましいのか自分の中には確かにあって、それに基づいて取捨 選択もしますし、元ネタを改変したりひとひねり加えたり、オリジナルを作ったりすることもあるのですが、それをどういう基準でやっているかは問題の構成以 上に言葉で説明しにくいように思われます。
 おそらく自分の中での基準としてはお話の中に何らかの驚きの要素があり、それにちゃんと説明が付くというのが肝心なのだろうと思いますが、過去の自分の出題を見るとそれが金科玉条という訳でもないようです。
 本質的にはお話の中に何らかの面白い点があって、それが問題を作ろうという気持ちを動かすのでしょう。だた、何を面白いと感じるかこそ出題者の個性を発露するべき箇所なので、自分のやり方を説明したところでそれが人の参考になるか疑わしい感じはあります。将来上手い説明の仕方を思いついたらまたこの稿を拡充するかもしれませんが、自己満足以上の意義はなさそうです。


・リリースの場所とタイミング

 自分の作った問題が他所の板で他の人に出題されているのを見たことがありますが、出題者の受け答えも解答者の反応ももどかしい感じを受けました。一文、 一語考えて作った側からみると出題者の問題に対する理解が足らないという感じは否めず、やっぱり問題は作った本人がスレに放してやるのが一番いいんじゃな いかなと思わずにはいられませんでした。
 また、オカ板のウミガメスレに集まる人を想定して作ってある問題は、他所に行くとその効果を減じるなあという感じも受けました。それは、それまで意識し ていなかった事なのですが、自分がオカ板のウミガメスレ住民の好みや質問の傾向を念頭において問題を作っているのだということを初めて自覚させられた経験 でもありました。


・蛇足の蛇足:亀回路って?

 これはある方と話をしているときに、ウミガメ問題を考えるとき特有の思考方法を、頭の中のウミガメ用の回路が働く、という喩えをしたところから持って来ています。その回路のことを亀回路と呼び、その解析の個人的試みが本稿であるというわけです。


・問題文と解説文の整合性

 2006年GWの 大宮オフ会で留年さんの問題文にコメントをさせていただく機会がありました。人の問題の意図を伺ったり意見を言ったりというというのは私の場合めったにな いことなのですが、やってみると自分が作問において何を考えているのか、自分で意識していなかったことを改めて気づかされて貴重な経験でした。
 私が拝見した時点での問題文と解説文は次のようなものでした。

 【問題】
 彼女の部屋で編みかけの手袋を見つけた。
 少し変には思ったけど、俺のために編んでくれているのだと信じていた
 手の甲の部分の飾り編みを見るまでは。

 【解説】
 両方の手ぶくろの甲に飾りがついている為、
 手ぶくろは右手と左手に分かれている事に気がついた。
 しかし、俺には片腕が無いのだ。

 どうやら彼女には俺ではない思い人がいるようです。内容はコンパクトながら私好みの意外性のある、そしてどこか背筋の冷える、よい意味でいやなお話だと感じました。ただ、問題に関してはいくつか疑問に思われる点がありました。

 ひとつめの疑問は「俺」は両手分の手袋があることをまず違和感として感じなくてはならないのではないのか、ということでした。この点について伺ってみると留年さんの答えは彼もおかしい と思ったがもう一方をスペアと思い直した。ただしそう思いなおすまでの違和感を「少し変に思ったが」という文章に潜ませている、というものでした。なるほ ど十分に考えられている問題文だと感じ入りました。

 次の疑問は手の甲の飾り編みを見るまでもなく、親指のつける場所で左右は分かるのではないかということでしたが、それに対する留年さんの答えは彼女が編み物の初心者で、軍手のような左 右に構造的な差のない手袋を編んでいるのだというものでした。しかしそれはまったく問題文からうかがい知ることはできません。そこで私がした提案は、彼女 が初心者であることをさりげなく匂わせようというものでした。具体的には「信じていた」を「感激した」と変えることでした。「感激した」という表現は彼女 が普段やりなれないことをしてくれていることを示し、それが彼女が普段編み物をしないということ、だから複雑な形状の手袋を編むことができないのだという ことを示唆してくれます。この他は飾り編みという文言を省きましたが、その程度で、実質私の助言の余地はもとよりほとんどない、完成された問題でした。結果、出題時の問題はこうなっていました。

 【問題】
 彼女の部屋で編みかけの手袋を見つけた。
 少し変には思ったけど、俺のために編んでくれているのだと感激した
 手の甲の部分を見るまでは。

 留年さんは私が呈した疑問に関して解説できちんと説明したほうがよいかということを気にされていたようですが、 私はこれでよいと思うと申し上げました。本スレ での出題なら無意味な誤解を避けるために十全の説明をするというのはひとつの選択肢ですが、参加者の顔を見ながらできる生出題でならその必要はないだろう (むしろ最後の一文のインパクトのほうが重要)という判断でした。

 ここで私が気になったことというのは結局のところ、問題文と解説文の整合性ということになるようです。「信じていた」から「感激した」へ変えたところで情報量 はほとんど変化がありませんので、俺が片腕であるという肝心の情報にいたる探索の過程にはほとんど影響ないでしょう。しかし整合性への配慮は、質疑で明ら かになる事項が解説の物語へと収斂したときに感じる解答者の満足感、パズルのピースがぴたりとはまるのに通じる快感に貢献すると考えられ、楽しめる問題を作るという視点からは十分意義があると思われます。

 整合性への配慮は、作問の際に言葉や表現を選ぶ指針となってくれるという効用も期待 できます。同じ事項を伝えるのにも表現はいくらでも選択肢がありますが、整合性の確保を意識すれば選択の労力は大分減じられるでしょう。そしてそのような 配慮を怠らない事は、この人の問題文は精読する価値のあるものだと解答者に目されるようになる助けともなるのではないでしょうか。

(この節を書くにあたって、問題文や相談の内容を亀回路に書く事に許可をくださった留年さんに感謝します。)





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