亀 回 路

1. 問題を分析する

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kaerujicho

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 どんな問題がよい問題か、またどうすればよい問題を作れるかは出題者にとって興味の尽きないテーマです。しかしそれは同時に結論を出すのが困難なテーマでもあります。人によって好みの違いもあり、万人に受け入れられるよい問題とは何かを一義的に定義する事はほとんど不可能ではないかと思います。

 万人から認められる問題は難しいとしても、自分にとっての理想の問題というのは出題者それぞれにあるのではないでしょうか。しかし自分の理想の問題も自分では分かっているはずが作ろうと思うと苦労します。出し終わってからああすればよかったこうすればよかったと後悔すると言うのもよくある話です。なぜそうなるのでしょうか。

 それはウミガメが一人でやるゲームではないからです。出題から解説までの過程を出題者である自分が楽しむためには、もう一方の重要な主役である解答者にも楽しんでもらわなくてはなりません。

 そのためには解答者から見て自分の問題がどのように見えるかを把握する必要があります。つまり自分の問題を客観視して把握しなくてはいけません。それができれば自分の問題を解答者から見て魅力的にするにはどうすればよいか考えることができるでしょう。しかし自分が作り手である以上、様々な思い入れが邪魔をして冷静に客観視するのはなかなか困難です。

 では自分の問題を客観視するにはどうしたらいいのでしょうか。ひとつのアプローチが問題の分析です。問題を要素ごとに切り分けて、それぞれの機能を把握するのです。それは自分の問題を知るのに非常に役立ちます。またそれだけでなく他の出題者の問題をより深く知るためにも役に立つでしょう。

 この章では問題を分析する際に有用と思われる幾つかの基本概念を提示します。その後に過去の出題を例にこの基本概念を用いて問題の構成を分析します。


1.1 基本概念


1.1.1. 問題文に魅力を与える:チャーム

 問題分析の説き始めは、問題文に魅力を与える要素からいきましょう。ウミガメのスープというゲームは多彩な魅力を持ちますが、ここでは非常に狭い意味合いで「その問題に解答者の興味を引き起こさせる要素」をチャームと呼ぶことにします。
 では具体的にはどのようなチャームが考えられるでしょうか。

a. 謎
 謎はチャームの王様といっていいでしょう。物理的にありえない事件、不可解な言動、不自然な状況。突きつけられた謎に人は興味を持たずにはいられません。また後述のように謎は解答者の質疑の大きな流れを作り、ゲームの進行を方向付ける要素としても重要な役割を果たします。
(謎をチャームとする問題の例[1][2]

b. 死、人体損壊
 人の死はそれだけで重大な事件であり、そこに至るまでのドラマが期待されます。生死が分からなくとも人体の一部のみが登場する場合も同様になにかただならぬ事が起きていることを想像させます。先述の謎と組み合わせての不可解な死は元祖「ウミガメのスープ」でも現れるシチュエーションで、いわばチャームの最強コンボといえるかもしれません。
(死をチャームとする問題の例[1])

c. 恐怖・驚愕
 登場人物が恐怖しているとき、そこにはそうさせている何か大変な事があるわけです。参加者はそれに対してごく自然に興味を持つでしょう。
(恐怖をチャームとする問題の例[1])

チャームのメリット・デメリット
 解答として用意された話がいかに魅力的でも、問題文において何を当てさせようとしているのか分からない問題は解答者を困惑させます。解答者におや、と思わせ、この問題に取り組もうと思わせる要素を意識して組み込むことで、解答者をより強力に問題の世界に引き込ませることができます。それがチャームのメリットです。
 チャームは大抵の場合あった方が望ましいと考えられます。しかし問題文の与える印象とは全く異なる結末を突きつけて解答者の度肝を抜くような問題を作りたい場合に、チャーム自体が意外な結末の一部を担っているため無理に入れると問題が成立しなくなる場合がありえます。(実例)
 チャームを省く事は意外な結末を演出させる際には有効ですが、チャームのメリットを失うことと引き換え(トレードオフ)です。問題作成の勘所は多くの場合このようなトレードオフの間での舵取りに集約されます。

1.1.2 どこまで説明するか?:ベールとクルー

 問題をいかに作るべきかという視点から問題の構成を考えてみましょう。もしあなたが非常に魅力的な解説文を用意できているなら、解説文から単語を引いてゆけば一応問題は出来上がりです。それはすなわち何をどれだけ引くかが問題構成の鍵となることを意味します。

a. ベール
 問題文から単語を引いてゆく行為をここではベールをかぶせると呼ぶことにします。物にベールをかぶせると元の形がわかりにくくなるように、文章から単語を引くことで元のストーリーの内容はぼやけます。ベールを厚くかぶせるほど物の形がはっきりしなくなるように、単語をたくさん引くほど元のストーリーはわかりにくくなります。ベールの厚い問題はそれだけ探索の手間が大きい問題だといえます。以降このような問題を探索型と呼ぶことにします。

b. クルー
 クルー(clue)とは手がかり、糸口の意です。ヒントと言ってもいいかもしれませんが、ウミガメのスープにおいては質問の積み重ねがゲームの前提となります。単なるヒントのように解に直接繋がるものに限らず、その方向への質問を思いつく糸口となるもの、つまり質問の助けとなる要素を含めてここではクルーと呼ぶことにします。既述のように、問題文を作るとき一番簡単な方法は解説文からどんどん単語を削ることです。(最後は「男が死んだ。なぜ」になるわけです)その際、解答者を答に導く要素を意識的に設けることは、質問があらぬ方向に迷走することを未然に防ぐ効果が期待できますし、最終的に解説に至ったときに解答者になるほどと思わせる効果もあります。
 クルーの存在はチャームが死や驚愕である場合特に意味を持ちます。謎がチャームである場合それに合理的説明をつけるためにおのずと解答者の思考と質問の方向性は規定されてゆきます。つまり謎そのものが質問の糸口、クルーとして機能するので、クルーは必ずしも必要ではありません。しかし死や感情の動きを示して、そこに至る物語を導き出さねばならない問題ではそのための適切なガイド役としてクルーは重要になってきます。
 クルーとして何を使うかはベールの厚み同様非常に重要な問題です。これについては次章でもう少し論じることにします。

1.1.3 思考の罠:トリック

 ウミガメのスープはいわゆるLateral Thinking Puzzleということになっています。Lateral Thinkingの定義はいろいろあるようですが、おおよそは通常の思考の枠組みから離れ、自由に様々な角度から考えをめぐらすことを指しているようです。
 トリックは問題を解く過程での論理の流れの上に仕組まれた結び目であり、Lateral Thinkingを要求する要素です。その結び目が解けない間はいくら周辺状況が分かっていても答えにたどりつけません。大抵の結び目は一見解くのが難しいようでも、ある特定の部分を引っ張れば簡単にほどけるものです。それと同じようにある特定の発想方法に行きつきさえすれば簡単に解ける、そのような仕掛けをトリックと呼ぶことにします。
 トリックの中でも問題文が与える印象を完全に裏切る解答で解答者を驚かせるタイプの問題をトラップ型とよぶことにします。先述のチャームを欠く問題の例がそれにあたります。

1.1.4 問題分析にあたって

 ここで述べた問題分析の為の基本概念は分析の全てをまかなってくれるものではありません。あくまで大まかな把握のためのものです。
 さらに詳細な分析についてここで書くのは困難です。なぜなら、それは出題者本人がどのような問題を作りたいかに密接にかかわるからです。しかし基本的には、問題文の一言一句に対してなぜこの文言を問題文中に入れたか、あるいは入れなかったかを、自分の問題の目標に沿って説明できるかを考えればよいと思います。上手く説明できるなら、その問題はきれいに分析されているといえるでしょう。


1.2 問題分析


 問題構成を分析する上で有効と考えられるいくつかの概念について説明してきました。ここからは具体的に問題の例を見ながら、問題を分析してみましょう。

A.ベールの厚い、探索型の問題

【問題】244杯目402
二人の女がひとりの赤ん坊を「この子は私の子よ」「いいえ私のよ」と争っている。一人の男が仲裁役を買って出ている。結果、男以外は死ぬ。
何が起きたのだろう?

 問題文に示されるチャームは死です。状況を徐々に絞り込んでゆく探索型の問題で、トリックというべきものはありません。問題文の状況は一見大岡裁きのようですが、それを問う質問は(出題者の期待通り)出題早々のタイミングで出され、否定されます。大岡裁きが違うとなると、女達が赤ん坊をめぐって争うその目的は何なのでしょうか。ここに謎という新たなチャームが立ち上がり、またクルーの機能をも担って解答者の質問の方向性を定めてゆきます。
 この問題はベールが厚めの問題であるため人が多いときを狙って出題しています。場所がどこでどのような状況であるのか、二人の女はなぜ赤ん坊を争っているのか、男は何を意図して女達の間に割って入っているのか。多くの人たちの質問によって少しずつ明らかになっていく展開となりました。


【問題】94杯目614
ニューヨーク。男がリボンのついた箱を抱えて必死で走っている。
箱の中身は猫の死体である。
何が起きたのか説明して欲しい。

 チャームは謎。不自然な状況です。ベールは厚め。解答にたどり着くためには、彼が犯罪者であること、箱がたった今奪ってきたものであること、箱の中の猫は持ち主の飼い猫で、死んだのでこれから処分しようとしているところであること、手向けにつけたリボンが男に箱の中身が大事なものであると誤解させたこと、といった要素を当てていってもらわなくてはなりません。
 このうちリボンを手向けとすることは一般的な行動とはいいにくく、当てにくい要素であると考え、実際の出題においては誘導の中でこちらから明かしています。
 またベールの厚さを考慮し、補助的なクルーとして文頭にニューヨークという舞台設定を記しています。最近は大分汚名返上していますがかつては治安の悪さで有名でしたし、公園を除いてほとんど土の露出がありませんから飼い猫が死んだときにそのあたりに埋めるというわけには行きません。ニューヨークという説明はなくても成立する問題文なのにそれをわざわざ書いている意味は?それに解答者が気がつくかどうか?このあたりの加減の調整は設問の醍醐味でもあります。
 これも徐々に状況が明かされてゆけばおのずと解答にたどり着く問題で、特にトリックといえる部分はありません。

 以下に紹介する2つは以上の2つに比べるとあまりベールの厚くない問題となります。

【問題】104杯目742
田舎の教会に集まった人々に遠くの町からやってきた説教師が言った。
「皆さん、私どもの教会再建のための喜捨(募金)に協力してください・・・」
今後一度も行くこともないであろう教会のために、人々は競って募金箱に押しかけた。
なぜ人々がこのような行動をとったか当ててほしい。

 チャームは謎。本来積極的に募金に応じる動機はないはずなのになぜ村人はそんなに積極的なのでしょう?それは説教師が問題文のセリフの後に付け加えた一言のせいです。問題文を見てください。説教師のセリフの最後が「。」でも「・・・。」でもなく「・・・」となっています。これは説教師がさらに何かを言った事を示唆するためのものです。
 何を言ったのか、分かってみれば単純で、田舎の教会という舞台装置もクルーとして村人の行動の謎を解き明かす質問を導くために用意されたものである事がおわかりになると思います。多少の試行錯誤は必要ですがわかったときのカタルシスはそれに報いるだけのものがあります。

【問題】137杯目728
女に敷物を渡されて恐怖と後悔の念で泣き出す男。
状況を説明して。

 ここでのチャームは男の恐怖。泣いてしまう位ですから相当なものでしょう。問題文は短いのですが姥捨て山というキーワードさえ出ればそもそも当てるべき要素はそれほど沢山ではないので、ベールもとよりさして厚くはなりません。当然敷物というクルーに解答者の注意が集まるのでそれが何かを解き明かすところから質疑が始まり、徐々に男の置かれた悲しい状況が明かされてゆく展開となります。

B.ベールの薄い、トリックタイプの問題

【問題】197杯目577
さっきから嵐が激しく、僕の部屋はぎしぎしと揺れ続けている。
しかし長年海のそばに住んでいると荒れ狂う波も風もそれほど怖いとは感じない。
何せ海に臨む崖の上に建てられた我が家は風が吹けば家ごと崖下に投げ込まれるんじゃないかというくらい揺れるのだ。
唯一気になるのはさっきから続く雨漏りだ。忌々しい気持ちで見ていたら、轟音とともに突然窓やドアから大量の水が流れ込んできて、なすすべもなく僕は死んだ。
僕の遺体は翌日の朝、実に800キロも我が家から離れたところで見つかったんだが・・・・
僕がどんな風に死んだか、あててくれないか?

 チャームは謎と死、ベールは薄く、ほとんど探索の余地はありません。このことから特にどこがクルーであると意識して設定はしていません。肝心のトリックは「僕」がどこにいるのか、ということになります。実際の出題においては自分のうちについての説明がミスディレクションとしてうまく機能し、トリックの存在そのものに気づかれなかったため思ったより長持ちした問題でした。
 クルーは解答に向けてのガイド役であり、あるときはこれ見よがしに、またあるときはさりげなく解答者の探索を誘導するように設定されるのに対し、ミスディレクションはこの例のように探索の要素のないトリック型の問題において、解答者の目を解から逸らさせるために設定されます。

【問題】90杯目51
私はちょっとした偶然から未来のコンピュータおよびそれと一体化した一連のデバイス群というべきものに触れたことがある。それは日常生活を便利にしたり娯楽となったりするさまざまな機能を提供するものであった。ほとんどのコマンドを音声認識で受け付けるという点も驚くべき、すばらしい技術であったが、思い返してみるに、あのシステムの真に画期的な点は処理事項の優先度を柔軟に変えられるということではなかったかと思う。私は自分のコマンドがはねつけられたり後回しにされることを経験するうちに、自分のコマンドを最優先事項にさせるあるキーワードに気がついたのである。
そのキーワードとは?

 これはトラップ型の問題です。問題文が与える印象と全く異なる答えを提供しています。ベールと呼ぶべきものはほとんどなく、問題全体がトリックであるといえます。見てのとおり、この問題にはチャームがありません。その結果として解答者は自分が何を答えさせられようとしているのか分からず、戸惑いながら(あるいは少々いらだちながら)参加することになります。これがチャームを欠く問題が抱えるひとつの欠点です。その戸惑いに納得のゆく着地点を用意できるかどうかで、チャームを欠く問題の成否は決まります。
 もう一つトラップ型を紹介しましょう。ただしこちらはチャームを含むことに成功した例です。

【問題】27杯目555
となりの山田さんちがやられてしまって、とうとう俺がこの日本で、
いやおそらく世界でただ一人の人間になってしまった。あとは全員吸血鬼だ。
夜が来るたび今夜こそ誰かが俺を襲いに来るとおびえているんだが、
いつまでたっても誰も襲いに来ない…なぜだ?

 私にとっても懐かしい問題です。チャームは謎。トリックタイプではありますが、解にたどり着くには吸血鬼たちのパーソナリティーについて最低限明らかにする必要があります。そこでクルーとして「山田さん」「この日本では」というフレーズがあります。一見必要のなさそうな情報をわざわざ書き込む意味は…?そこに解答者の意識が向くとき、水平思考の手がかりはすぐそこにあります。


1.3 失敗例からの考察


 前節では比較的評判がよかったり無難に終わった問題を使って説明をしてきました。しかし私の出題は大量の失敗出題のコレクションでもあります。この節では失敗例を使ってどこに問題があったかを考えてみます。

A. 問題の負荷量に合ったタイミングで出題しなかった例

【問題】300杯目910
18歳の僕たちは白い息を吐きながら神社への長い階段を一気に駆け上がる。
切りつけるように冷たい風も今はほほに心地よい。
受験ももう近い。こんなときに何をやっているのかと人は言うかもしれない。
でもこんなときだからこそやらなきゃいけないことがある。
交し合う目と目。深い連帯感。
さあ、やるぞ。
何を?

 トラップを含みつつ、少々の探索も必要な問題でした。しかしチャームはなし、クルーも不十分であったため、思ったよりも時間がかかり、スレまたぎの可能性が出てきたため、彼らの動機などに踏み込む前に終了に持ち込んでしまった問題です。チャームやクルーがないと、思ったよりも長引く可能性があることは常に心に留める必要があります。作者の贔屓目で言えば、問題自体はそれほど悪くなかったのではないかと思いますが、出すタイミングを誤ったのが悔やまれます。

B. 雑学問題で雑学そのものを答えとした例

【問題】127杯目26
作家内田百聞は尊敬する夏目漱石からもらった草稿から何かを作り、
しばしば人にそれを見せては自慢していたという。それとは?

 チャームもクルーもなく、雑学であるためストーリーから攻めることもできず、結果的にはあてものになったしまった問題です。雑学を要求する問題で、雑学の知識そのものを解説とするのはこのようなあてもの的展開になりがちであることを意識するべきでしょう。結果的には面白いお話でも、最終的に解説にたどり着いたとき、解答者が感じるのが新しい雑学を知ったという喜びの方で、思考と探索のプロセスを楽しんだという感覚でなかったら、それはウミガメであるといえるかも疑問です。この問題もそんな感じだったように思われます。雑学を面白い問題に仕立てるにはそれなりの技量が必要なようで、個人的にはこのジャンルには慎重になっています。

 特定の映画や漫画、歌や小説を知っていないといけないというネタも注意が必要な分野だと思います。自分にとっては常識的な知識でも案外他の人にはそうでないものです。ウミガメ住民は基本的に博覧強記ですが、それでも自分が知っていることはみんなが当然知っていると思い込むのはとても危険です。

C. 論理的帰結から答にたどり着けない例

【問題】110杯目812
少年が原稿の入った封筒を拾う。中を見てみて、
「これは小説家の○○先生の原稿だ!やべえ!」と叫ぶ。
数日後小説家はびっくりすることになるのだが、
何が起きたか当ててほしい。

 チャームの弱さもさることながら、問題文から解説に示される状況に至る必然性が乏しいという意味で大いに反省すべき問題です。偶然が意外な結果をもたらした話の面白さはあるかもしれませんが、論理的帰結によって話が繋がってゆかないので、「考えて分かる」問題ではなくなっているのです。それを補うために実際の出題時にはやたらと誘導をしてしまっています。
 もし大きな偶然が奇跡を生んだのなら、それが起きる前と起きた後の結果を示した上で、どのような偶然が起きたかを問うべきだったのかもしれません。この問題のように、大きな偶然があったことも、その結果どうなったのかも分からない問題文では過度の誘導をしない限り、解答者は途方にくれてしまいます。









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