砂賀町

砂賀町

英田郡砂賀町(あいだぐんさがちょう)は、岡山県北部の西端にある。
岡山県美作市、西粟倉村、兵庫県宍粟市、佐用町に隣接している。
江戸時代までは砂賀藩と呼ばれていた。
また、支藩として金元藩(現在は手野市)があった。

目次




町長

明治時代に町村制が施行されて以来、町村長が置かれている。

明治以前

明治以前は美作国英田郡に属していた。
そのうちの3つの郷によって砂賀藩ができており、郷にはそれぞれ村や里が属していた。
新石器時代にすでに人が居住していた痕跡があり、古墳時代には自然の洞窟を利用した小規模な横穴式古墳が2つ作られた。
600年ごろ、現在の砂賀寺にあたる部分に、神社が建立した。この神社は規模を縮小され、砂賀城に今は祀られている。
なお、和名類聚抄によれば、当時の郷の名は星観郷とある。
また、神社は星観神社と称し、延喜式神名帳に国幣小社として記載された。
800年ごろに砂賀家の祖先が神社の門前で用心棒のようなことをはじめる。
この門前町が次第に発展し、さらに1100年代に砂賀寺が建立されると、より発展した。
1131年、砂賀行内が郁芳家から代官として派遣されると、現地にいた門前町の長と結婚し、砂賀家の歴史がはじまる。
その後、砂賀家の一家が弥栄繁栄することを期待して、砂賀寺が建立される。
この寺を護るために櫓が建てられることとなり、その櫓の長が砂賀行内であった。
櫓は後に山城となっていき、現在の砂賀城となる。
1230年に平家の残党により行われた砂賀の乱により、砂賀寺、城下町の大半が焼失。しかし砂賀城はそのほぼすべてが残った。
1338年に室町幕府から守護と砂賀家がされ領土を安堵された。以後も、幕府が変わるたびに、その領地領土が安堵されることとなる。
1400年に砂賀郷から余部郷、二良郷が分割され、それぞれが砂賀家の領地とされた。
戦国時代には、砂賀城の一部、城下町の半数が焼失。が、3年後には元のように復活したとある。
また、砂賀検地とよばれる検地を行い、1万6000石が確定する。
江戸時代末期には、現在の砂賀町の範囲内には主に以下のような郷、村、里があった。
明治時代の村町名 江戸時代の郷名 江戸時代の村里等名
砂賀町 砂賀郷 砂賀城
二良村 二良郷 二洛村、良河村、旁里
余戸村 余戸郷 評村、余戸里、五十戸里

明治~昭和戦前

明治5年、砂賀藩は5万石と確定され、その後町村制が施行された。
1879年時点では、砂賀町、二良村、余部村の1町2村となった。
併せて砂賀郷と称したが、1900年に砂賀郷は英田郡と合併した。
1926年に二良村、余部村は砂賀町と編入合併し、砂賀町が存続した。
江戸時代までの郷名 1879年時点の町村 1926年時点の町
砂賀郷 砂賀町 砂賀町
二良郷 二良村
余部郷 余部村

昭和戦後~現在

昭和戦後となっても、砂賀町は合併をしなかった。
美作市の合併協議会に参加したものの、最終的に議会の反対によって合併協議会から離脱。
西粟倉村とともに、英田郡を構成する。

1926年に合併して以来、砂賀町は単独で町制を施行している。


町議会

砂賀町議会は定員26名である。
統一地方選挙と同時に行われ、現在まで全て満期解散となっている。
町議会は以下の委員会及び事務局を有する。
市議会 事務局 常任委員会 公平委員会
教育委員会
選挙管理委員会
農業委員会
固定資産評価審査委員会
特別委員会 公聴会
議会運営委員会
常任委員会並びに議会運営委員会は常に設置される。
会期は偶数付き1日(土日ならば次の平日)に開会とされる。
なお、3月、12月、8月は会期としない。
日数は15日間とされ、平日のみ開会とする。



選挙

選挙が行われるのは、国会、岡山県議会、砂賀町長、砂賀町議会についてである。

国会

衆議院選挙区では、岡山県第3区を構成している。
中選挙区制(1993年以前)では、岡山県第1区に属していた。
参議院選挙区では、岡山県選挙区に属している。
これらの選挙に関する事柄については、佐賀町選挙管理委員会が管掌することとなっている。

岡山県議会

岡山県議会では、美作市・英田郡(西粟倉村)とともに選挙区を構成している。
選出議員数は2014年3月20日以降は2人となっている。

砂賀町長

砂賀町長選は、砂賀町全域を単一選挙区として執行される。
選挙期間は5日間であり、統一地方選挙の日程と一致する。
開票所、投票所があらかじめ条例で指定されている。
砂賀町長は、原則として任期は4年である。

砂賀町議会

砂賀町議会議員選挙は、砂賀町全域を単一選挙区として執行される。
開票所、投票所は砂賀町長選挙と同一である。
選挙期間は5日間であり、統一地方選挙の日程と一致する。
砂賀町議会議員は、原則として人気は4年である。
また、砂賀町議会に附属して設置されているいずれかの委員会のうち一つ又は二つ以上に入らなければならない。


行政

町役場は町長を筆頭とし、副町長並びに以下のような構成となっている。


司法

砂賀町の裁判所の管轄は以下のように定められている。
裁判所・事件等種別 裁判所等名称
高等裁判所 本庁 広島高等裁判所
支部 広島高等裁判所岡山支部
地方裁判所 本庁 岡山地方裁判所
支部 岡山地方裁判所津山支部
家庭裁判所 本庁 岡山家庭裁判所
支部 岡山家庭裁判所津山支部
簡易裁判所 津山簡易裁判所
合議事件 岡山
少年事件 津山
検察審査会 津山

また、以下の検察が管轄する。
検察庁種別 検察庁名
区検察庁 津山区検察庁
地方検察庁 岡山地方検察庁津山支部
高等検察庁 広島高等検察庁岡山支部


警察

現在、岡山県警の管轄の元、砂賀警察署が設置されている。
以下、その管轄の変遷を記す。
西暦 和暦 出来事
1876年 明治9年 岡山県において警察業務開始
1879年 明治12年 砂賀町を管轄とする警察署が設置
英田警察署が当分管轄
1948年 昭和23年 自治体警察発足に伴い、英田警察署から分離
砂賀地区警察署設置
1954年 昭和29年 自治体警察廃止
砂賀地区警察署を改め、美作警察署管轄砂賀幹部派出所を設置
管轄範囲:砂賀町、西粟倉村
2000年 平成12年 砂賀幹部派出所改組、砂賀警察署を設置
管轄範囲:砂賀町、西粟倉村

砂賀警察署は、砂賀町及び西粟倉村を管轄とする。
砂賀警察署の署長は警視である。
ナンバープレートは岡山、地域は美作である。
自動車登録は岡山運輸支局となる。


消防

1947年以前は警察と合同されていた。



観光地

砂賀町の最大の観光地とされるのが、砂賀城である。
また、砂賀家の菩提寺である砂賀寺も有名な所である。

砂賀城

砂賀城(すながじょう)は、砂賀藩の城である。
1100年代初頭に、初代砂賀当主とされる砂賀行内によって、砂賀領に櫓が作られたのが最初とされる。
現在は台座のみが残されており、砂賀裏山の中腹に作られた。
今では、この櫓跡は砂賀寺の墓区画の最も高いところとなっており、慰霊堂と呼ばれる建物が建てられている。
1200年ごろから1300年ごろにかけて、複数の階層をもつ山城を建造し、これが砂賀城のもととなった。
現在では、五連郭城となっており、砂賀寺の部分は最もしたの連郭から行き来することができるようになっている。
砂賀寺の敷地を侵さないようにしつつ、半円状に広がりを持つ敷地に、建物が複数建てられた。
最上部は天守があり、おおよそ半径19メートルの半円に、4層6階の独立天守がある。

砂賀寺

砂賀寺(すながでら)は、砂賀家及び家臣団の菩提寺である。
1810年までの手野家についても菩提を弔っている。
本堂その他の建物は砂賀城に隣接して作られており、当時は町の端にあったことがわかっている。
また、一定の金を出せば、民間にも墓区画が解放されており、同様に弔ってもらうことができた。
現在、本堂、食堂、鐘撞堂、山門は1240年築で国指定重要文化財となっている。
1100年代前半にはすでに寺として成立していたとされ、1230年の戦火によってほぼすべてを焼失したのちに、1240年に再建。
また、1500年代の戦国時代においても一部の建物が焼失し、1592年に再建された記録が残っている。
鐘撞堂にある鐘は、高さ3メートル、重さは2.5トンあり、1111年に鋳造されていると、鐘壁面の文言から判明している。
おそらくはこれが寺の創建とされる。
なお、この鐘は国宝に指定されている。
本尊は木造大日如来坐像である。
本尊の後ろには、秘仏とされる青銅天照大神立像があり99年間毎と、かつ元号の変更ごとに開扉される。

砂賀講館

砂賀講館(すながこうかん)は、藩校の一つである。
1411年に設置され、士族はもちろん、民間も入り、授業を受けることができた。
建物の一部は、現在も砂賀町立砂賀講館小学校として使用されている。
それ以外の区画は一般に開放され、大人200円、高校生100円、中学生以下無料で入館することができる。

星観神社

星観神社は、延喜式国幣小社であった神社である。
現在、比定社として、砂賀城内にある星観神社がある。
主祭神は天津甕星命(あまつみかぼしのみこと)、副祭神として武刃織命(たけはおりのみこと)がいる。
また、その他祭神として事治主命(ことしろぬしのみこと)、家宅守尊(かたくのもりのみこと)、天別津神(あめわけつのかみ)がいる。
なお、それぞれ天津甕星命は天津甕星、武刃織命は天羽槌雄神、事治主命は事代主、家宅守尊は家宅六神の総称、天別津神は別天津神とされている。

  • 太夫桜
太夫桜(たゆうざくら)は、砂賀町の中心地にあたる町役場に植えられている桜である。
もともとは現在の宝塚市山本から招へいされた植木職人である山本と呼ばれる人物が創り出した園芸品種であるとされる。
そのため、品種は山本桜と呼ばれる。
オオヤマザクラにオオシマザクラを掛け合わせ、さらにシダレザクラを掛け合わせたと伝わる。
そのため、幹は太く頑丈であるが、枝になると急に柳のように枝垂れる。
1777年に植えられ、当時は砂賀城の近く、城内と城外の境目に植えられていた。
なお、以後、同一の場所に植栽されている。
砂賀町指定記念物となっている。
自家和合性が高い反面、突然変異率が高く、種子ができたとしても1年以内に枯死する確率は4割を超え、3年以内に枯死する確率は8割に達する。


町役場

砂賀町役場は、砂賀城下町内にある。
明治時代前半には、砂賀城内にあったが、城内にあることにより、今後の発展性に難があると判断されたため、現在地に移転した。
現在の町役場は明治40年に旧砂賀町役場兼郡役所として竣工し、以後も継続して使われている。


事務所

砂賀町は、町外に事務所を持つ。
大阪府手野市において、総合事務所がある。
また、その他の場所に事務所がある。
管轄地域 事務所名
東日本地域 東京事務所
西日本地域 手野総合事務所

町内においては、事務所と呼ばずに出張所と呼び、主に町民のために置かれる。
また、観光案内所を兼ねているところもある。
出張所管轄 出張所名
旧二良郷 二良出張所
二良観光案内所
旧余部郷 余部出張所


姉妹都市

砂賀町は姉妹都市の協定を結んでいる。
砂賀町においては、以下の街との姉妹都市協定は、血縁都市と呼んでいる。
街名 所在
手野市 大阪府手野市
カバナー町 アメリカ合衆国マサチューセッツ州プリマス郡カバナー町
アマーダン市 連合王国スコットランド地方ダンディー州アマーダン




町史


最終更新:2020年03月08日 15:48