社史:昭和時代編

社史:昭和時代編

戦前

西暦 和暦 出来事
1928年 昭和3年 手野交通子会社として「手野旅館」設置
手野グループ旅館業開始
1930年 昭和5年 手野重工業において航空機造開始
1931年 昭和6年 手野重工業の商社事業を分割し手野統括の子会社とする
「手野商社」設立
1934年 昭和9年 手野新聞においてラジオ放送を開始
ラジオ放送の範囲は大阪府手野市周辺
1939年 昭和14年 支那事変(現在の日中戦争)開始に伴い、戦時体制開始
1940年 昭和15年 手野交通において航空貨物便の輸送開始
1941年 昭和16年 手野交通から船舶部門を分離
手野交通子会社「手野船舶」
1942年 昭和17年 手野電灯について、配電会社へ全事業を売却
1943年 昭和18年 手野グループ欧州部及び米国部を独立会社化
現地法人として資本関係を途絶
1945年 昭和20年 支那事変及び大東亜戦争終結に伴い、戦時体制終了
財閥解体に伴い手野統括解散
手野統括各子会社はそれぞれ独立する
技術者のうち最も優秀な分類の者を国外へ脱出させる
脱出先は主に米国現地法人
全業務が停止、後に範囲を縮小しつつ復活

戦後

西暦 和暦 出来事
1947年 昭和22年 手野重工業分割
西日本手野重工業、東日本手野重工業へ
東西手野重工業において自動車関連の部品製造開始
1951年 昭和26年 手野新聞においてテレビ放送、出版事業開始
テレビ放送は近畿広域圏
1952年 昭和27年 手野旅館が手野運送子会社となる
1954年 昭和29年 西日本手野重工業において自動車、バス、鉄道車両製造開始
東日本手野重工業において自動車、バス製造開始
1959年 昭和34年 手野銀行から「手野証券」独立
1962年 昭和37年 手野財団設立
1963年 昭和38年 手野鉄道から「手野観光」、「手野不動産」独立
1964年 昭和39年 「手野系列社長会」発足。親睦会という位置づけ。
手野鉄道、手野銀行、手野保険、手野証券、手野船舶、東西日本手野重工業各社長による。
以後、系列社長会に参加する社長は入れ替わりを続けている。
1965年 昭和40年 「手野損害保険」、「手野再保険」設立
1966年 昭和41年 手野船舶が手野交通子会社から手野運送子会社へ
1969年 昭和44年 手野観光、手野不動産が手野鉄道から手野運送子会社へ
1970年 昭和45年 「手野産業」設立。
手野食品、東西日本手野重工業、手野運送を連結子会社化。手野銀行を関連会社化
連結子会社は33。3%の株式取得。関連会社は10%の株式取得
1971年 昭和46年 手野産業がコールセンター業開始
手野グループ再建宣言
1974年 昭和49年 手野産業子会社として「手野映画」設立。
映画事業を開始し、映画館を設置開始
1975年 昭和50年 手野遊興内ゲーム部門独立。「手野ゲーム」創業
1976年 昭和51年 手野茶店名称を変更し「手野スーパー」に。
手野スーパーの小規模店はコンビニ化し「便利屋手野」として再編
便利屋手野は手野スーパーの子会社となる。
1977年 昭和52年 質屋業を独立し「手野質屋」とし、手野銀行子会社とする。
1980年 昭和55年 手野新聞を手野産業子会社とする。
手野繊維を西日本手野重工業子会社とする。
1981年 昭和56年 手野運送、手野交通の各子会社、経営合理化
交通事業再編
1982年 昭和57年 手野不動産を手野交通が完全子会社化
1983年 昭和58年 手野グループ再編事業開始
手野旅館を「手野ホテル」と改名
手野鉱山を西日本手野重工業が完全子会社化
東西日本手野重工業内車両部門統合し独立。「手野車両」設立。
手野食品内食品加工部門を統合の上分社。「手野加工」設立。
手野新聞内ラジオ部門、テレビ部門、出版部門独立。
「手野ラジオ」、「手野テレビ」、「手野出版」設立。
1984年 昭和59年 東西日本手野重工業統合。「手野重工業」社名復活。
1985年 昭和60年 各社に分かれていた手野グループの採用窓口を手野産業に一本化
1986年 昭和61年 手野商社を手野運送が完全子会社化
1987年 昭和62年 手野ホテル内、観光ホテル事業を手野観光へ移管
1988年 昭和63年 手野銀行内、信託銀行部門及び投資銀行部門を分社。
手野新聞、手野ラジオ、手野テレビを子会社とする「手野通信」発足。
手野ラジオ、手野テレビ、手野新聞の広告部門を統合。
「手野信託銀行」、「手野投資銀行」、「手野広告」発足。

最終更新:2017年04月23日 15:42