「……ではこれで、生徒会月例会議を終わります。書記は明日中に議事録を美水先生に提出してください。お疲れ様でした」
―― 暗幕を引き開けると、空は茜色に染まっていた。
冬の日は短い。眼下に広がる校庭から、運動部員たちの掛け声が聞こえてくる。
冬の日は短い。眼下に広がる校庭から、運動部員たちの掛け声が聞こえてくる。
『お疲れ様でしたー』
椅子を引く音。鞄を閉じる音。思い思いの雑談。
そんなざわめきに混じって、高良みゆきは電卓を叩く手を止めた。
「ふうっ、OKです。……それでは八坂さん、これでお願いしますね」
「了解ですっ、高良先輩。……あ、ヤバっ、もうこんな時間!? それじゃ先輩、お先に失礼しまっす!」
健康そうな小麦色の肢体を翻し、こうがバタバタと教室を出て行くのを見届けると、みゆきは教室に一人きりになった。
そんなざわめきに混じって、高良みゆきは電卓を叩く手を止めた。
「ふうっ、OKです。……それでは八坂さん、これでお願いしますね」
「了解ですっ、高良先輩。……あ、ヤバっ、もうこんな時間!? それじゃ先輩、お先に失礼しまっす!」
健康そうな小麦色の肢体を翻し、こうがバタバタと教室を出て行くのを見届けると、みゆきは教室に一人きりになった。
「……さて、私もそろそろ帰りましょうか」
再び入口に目をやると、茜色に染まったツインテールが目に入った。
「みゆき、お疲れー」
「かがみさん? 待っててくださったんですか?」
「……あのさ、みゆき……ちょっと、時間いいかな?」
下を向いて、口ごもる。
「? はい、かまいませんが……」
いつものかがみらしくないリアクションに、いささか驚きを覚えながらみゆきは答えた。
「あ、歩きながらでいいからさ」
「わかりました。……少し待ってくださいね」
手早く荷物をまとめると、みゆきは体温でほの暖かくなった席を立った。
再び入口に目をやると、茜色に染まったツインテールが目に入った。
「みゆき、お疲れー」
「かがみさん? 待っててくださったんですか?」
「……あのさ、みゆき……ちょっと、時間いいかな?」
下を向いて、口ごもる。
「? はい、かまいませんが……」
いつものかがみらしくないリアクションに、いささか驚きを覚えながらみゆきは答えた。
「あ、歩きながらでいいからさ」
「わかりました。……少し待ってくださいね」
手早く荷物をまとめると、みゆきは体温でほの暖かくなった席を立った。
―――――――――――
えす☆えふ3
~かさ☆ぶた~
―――――――――――
えす☆えふ3
~かさ☆ぶた~
―――――――――――
春が近くなったとはいっても、ひとたび日が翳ると空気はまだまだ冷たい。
コートの襟を立てるようにして、二人は静まり返った廊下を歩いている。
コートの襟を立てるようにして、二人は静まり返った廊下を歩いている。
「…………」
「あの……かがみさん?」
「あの……かがみさん?」
ちょっといいかな、と言ったくせに、かがみは何も話そうとしない。
その顔に逡巡の色を見て取ったみゆきは、それ以上何も聞かず、ただ黙って横を歩く。
その顔に逡巡の色を見て取ったみゆきは、それ以上何も聞かず、ただ黙って横を歩く。
長い廊下が終わり、階段に差しかかろうとするところで、
「あのさ……みゆき」
かがみは、ようやく口を開いた。
「はい、なんでしょう?」
「みゆきはさ……最近、鼻血出さなくなったわよね」
「そういえば、そうですね」
「みんなも……ずいぶん落ち着いてきたわよね?」
「あのさ……みゆき」
かがみは、ようやく口を開いた。
「はい、なんでしょう?」
「みゆきはさ……最近、鼻血出さなくなったわよね」
「そういえば、そうですね」
「みんなも……ずいぶん落ち着いてきたわよね?」
―― 突発性難治性対特定対象性欲異常亢進症候群……通称、『こな☆フェチ』。
かつては猛威を振るったその病気も、ようやく収束に向かっていた。
まだ時折、L5を発症しこなたに襲い掛かる患者はいたものの、その頻度は日を追って減少しつつある。
そしてそれは、かがみやみゆきも例外ではなかった。
かつては猛威を振るったその病気も、ようやく収束に向かっていた。
まだ時折、L5を発症しこなたに襲い掛かる患者はいたものの、その頻度は日を追って減少しつつある。
そしてそれは、かがみやみゆきも例外ではなかった。
「……私、変かもしれない」
「……はい?」
ぽつりと呟くかがみ、言葉の意図を量りかねるみゆき。
「最近、こなたを見ても異常に興奮したり、触らずにはいられなくなったりするようなことはなくなったわ。……だけど……」
かがみの歩みが、止まった。
「……だけど?」
「……はい?」
ぽつりと呟くかがみ、言葉の意図を量りかねるみゆき。
「最近、こなたを見ても異常に興奮したり、触らずにはいられなくなったりするようなことはなくなったわ。……だけど……」
かがみの歩みが、止まった。
「……だけど?」
「こなたを見てると……別の意味で胸が熱くなるのは、なんなのかな……」
夕陽を背にして、少し俯いたかがみ。その表情は、みゆきにはよく見えない。
……それでも、彼女の頬が赤く染まっているのがわかった。
……それでも、彼女の頬が赤く染まっているのがわかった。
「こなたが……そばにいなくても、こなたが頭から離れないのよ。
……ねえ、みゆき? これって……なんだと思う?」
思い詰めたように顔を上げ、みゆきの目をじっと見据える。
……ねえ、みゆき? これって……なんだと思う?」
思い詰めたように顔を上げ、みゆきの目をじっと見据える。
「……かがみさん……それはもしかしたら、病気のせいなどではないのかもしれません」
八割がた予測していた、というように、かがみは小さく頷いた。
「それは……いわゆる『恋心』なのではないでしょうか」
「…………」
「思い当たる節は、ありませんか?」
沈黙と、小さな頷きをもって肯定の意を示す。
八割がた予測していた、というように、かがみは小さく頷いた。
「それは……いわゆる『恋心』なのではないでしょうか」
「…………」
「思い当たる節は、ありませんか?」
沈黙と、小さな頷きをもって肯定の意を示す。
―― それは、恋というほど大仰なものじゃないと思う。
だが、かがみにとってそれは、間違いなく"友情以上"の何か。
それだけは、間違いなかった。
だが、かがみにとってそれは、間違いなく"友情以上"の何か。
それだけは、間違いなかった。
「やっぱり、おかしいわよね……こなたは、同性なのにさ」
わずかに自嘲の色を帯びた、小さな声。
わずかに自嘲の色を帯びた、小さな声。
「……いいえ、かがみさん。友情の延長として、同性に恋心に似た思いを抱くのは、別段おかしいことではないと思います」
「えっ?」
予想外のみゆきの答えに、かがみの目が僅かに見開かれる。
「えっ?」
予想外のみゆきの答えに、かがみの目が僅かに見開かれる。
「確かに、種族維持の本能のみに従うのであれば、同性同士の恋愛は正常ではないのかもしれません」
ゆっくりと言葉を紡ぐみゆき。かがみは、黙って耳を傾けている。
「……ですが、生物には感情があります。そして、人間は理性を持つ唯一の生物です。
古来から、同性同士の恋愛は枚挙にいとまがありませんし、欧米などでは同性同士の結婚が認められつつあります」
それから、少し間をおいて、
「異性との恋愛が本能から生まれるものであるのなら、同性との恋愛は、理性や感情から生まれるものなのかもしれませんね」
そう言って、柔らかく微笑んだ。
ゆっくりと言葉を紡ぐみゆき。かがみは、黙って耳を傾けている。
「……ですが、生物には感情があります。そして、人間は理性を持つ唯一の生物です。
古来から、同性同士の恋愛は枚挙にいとまがありませんし、欧米などでは同性同士の結婚が認められつつあります」
それから、少し間をおいて、
「異性との恋愛が本能から生まれるものであるのなら、同性との恋愛は、理性や感情から生まれるものなのかもしれませんね」
そう言って、柔らかく微笑んだ。
「……そっ、か……」
その言葉に、かがみは心がふっと軽くなるのを感じていた。
その言葉に、かがみは心がふっと軽くなるのを感じていた。
"恋人"だの"結婚"だの、そういった言葉までは考えたこともない。
自身の抱く想いが、みゆきの言うように"恋"なのかどうか……正直、かがみにはわからない。
……それでも、みゆきと言う理解者がいる。それだけで嬉しかった。
自身の抱く想いが、みゆきの言うように"恋"なのかどうか……正直、かがみにはわからない。
……それでも、みゆきと言う理解者がいる。それだけで嬉しかった。
「……でも……こなたは、どうなんだろ」
「泉さん、ですか?」
「こなたってば、いつも私の事からかって遊んでるし、そのくせ私に頼りっぱなしだし……あー、なんか腹立ってきたわ」
心が軽くなったせいだろうか。いささか理不尽な怒りがこみ上げてくる。
その怒りの源泉が、想いに気づいてくれないこなたへの"逆恨み"だということを、知ってか知らずか。
「泉さん、ですか?」
「こなたってば、いつも私の事からかって遊んでるし、そのくせ私に頼りっぱなしだし……あー、なんか腹立ってきたわ」
心が軽くなったせいだろうか。いささか理不尽な怒りがこみ上げてくる。
その怒りの源泉が、想いに気づいてくれないこなたへの"逆恨み"だということを、知ってか知らずか。
「それは、泉さんなりの愛情表現なのかもしれませんよ」
「あれが? 冗談きついわよ」
「ふふっ、冗談ではないですよ」
また、少し悪戯っぽく微笑んで、
「あれが? 冗談きついわよ」
「ふふっ、冗談ではないですよ」
また、少し悪戯っぽく微笑んで、
「泉さんがかがみさんをからかわれる姿は、その……小さな男の子が好きな子にする悪戯に、似ているような気がするんです」
優しさを湛えた真顔に戻って、みゆきは言った。
「……へっ? ……ちょ、アンタ、何言って……」
かがみの頬が再び赤く染まり、視線を床へと落とす。
優しさを湛えた真顔に戻って、みゆきは言った。
「……へっ? ……ちょ、アンタ、何言って……」
かがみの頬が再び赤く染まり、視線を床へと落とす。
「それからもうひとつ……かがみさん、気づかれてますか?」
「何によ?」
ひとつ、軽く咳払い。顔を上げたかがみの瞳をまっすぐに見つめ、みゆきは続ける。
「泉さんがスキンシップを図るのは、かがみさんだけだ……という事に、ですよ」
「……あ……」
「何によ?」
ひとつ、軽く咳払い。顔を上げたかがみの瞳をまっすぐに見つめ、みゆきは続ける。
「泉さんがスキンシップを図るのは、かがみさんだけだ……という事に、ですよ」
「……あ……」
薄暗い校庭を秩父下ろしが吹き抜け、窓の外の常緑樹がざわめいた。
夕焼け空に、ねぐらへ帰るカラスが二羽、三羽。
夕焼け空に、ねぐらへ帰るカラスが二羽、三羽。
「私には……泉さんも、かがみさんに特別な感情を抱いているように見えるんです」
「そ、そうなの……かな」
「きっとそうですよ。私には確証がありますから……あっ」
しまった、というように、口元を手で押さえる。
「そ、そうなの……かな」
「きっとそうですよ。私には確証がありますから……あっ」
しまった、というように、口元を手で押さえる。
「確証? 何よそれ?」
「あ、いえ、その、な、なんでもないですっっ!」
「あ、いえ、その、な、なんでもないですっっ!」
わたわたと手を振って、みゆきがうろたえる。
今や可愛らしいドジっ子になってしまった『頼もしい相談相手』の姿に、かがみの表情が柔らかく崩れた。
今や可愛らしいドジっ子になってしまった『頼もしい相談相手』の姿に、かがみの表情が柔らかく崩れた。
………………
「……はぁーくしょぉーんっ!」
「きゃっ!?」
「ずず……あ、ごめーん、みつき姉さん」
「うぅぅ……モニターグラスがスプラッシュです……」
「きゃっ!?」
「ずず……あ、ごめーん、みつき姉さん」
「うぅぅ……モニターグラスがスプラッシュです……」
こなつーの唾液まみれになった眼鏡を外し、みつきが情けない声をあげた。
素通しのレンズの裏で、無数に開かれたウインドウが瞬いている。
素通しのレンズの裏で、無数に開かれたウインドウが瞬いている。
「むぅ……誰か、私の噂してんのかな」
すんすんと鼻を鳴らす。
「ごめんねー、みつき姉さん。拭いてあげたいとこなんだけど……」
すんすんと鼻を鳴らす。
「ごめんねー、みつき姉さん。拭いてあげたいとこなんだけど……」
メンテナンスモードのこなつーは今、指一本たりとも動かすことはできない。
胸元のパネルが左右に開かれ、周囲に積み上げられた計測装置から、何本もの太いケーブルが全身に接続されている。
胸元のパネルが左右に開かれ、周囲に積み上げられた計測装置から、何本もの太いケーブルが全身に接続されている。
高良家の地下にある研究所。こなつーは一人ここを訪れ、みつきの手による機能チェックに身を委ねていた。
「症状は、身体の中が痺れるような感じがする……でしたよね?」
「うん……半月ぐらい前からなんだけど」
「うん……半月ぐらい前からなんだけど」
めまぐるしく表示される、こなつーのシステム情報。
みつきはしばらくの間、難しそうな顔をしてそのデータを眺めていたが……
……やがて、降参、と言うように、大きくひとつ溜め息をついた。
みつきはしばらくの間、難しそうな顔をしてそのデータを眺めていたが……
……やがて、降参、と言うように、大きくひとつ溜め息をついた。
「やっぱり、姉さんにもわかんないかぁ」
「はい……」
「仕方ないよ、能力(ちから)を失っちゃってるんじゃね」
「すみません……まさか、『こな☆フェチ』の緩解が、こんな問題を引き起こすなんて……」
「はい……」
「仕方ないよ、能力(ちから)を失っちゃってるんじゃね」
「すみません……まさか、『こな☆フェチ』の緩解が、こんな問題を引き起こすなんて……」
それは、確かに自分たちが開発したもののはず。
しかし今や、みつきの目の前に表示されている情報は、理解しがたい略語の羅列でしかなかった。
しかし今や、みつきの目の前に表示されている情報は、理解しがたい略語の羅列でしかなかった。
「そういえば、最近みゆきお母さんも鼻血出さないね。……やっぱり、同じなのかな?」
「ええ……残念ですが、私と同じみたいです。ここ最近、研究室にいるところを見たことがありませんし」
「仕方ないね……基本ノーメンテナンスのはずだし、自己修復機能に任せて様子見てみるよ」
「ええ……残念ですが、私と同じみたいです。ここ最近、研究室にいるところを見たことがありませんし」
「仕方ないね……基本ノーメンテナンスのはずだし、自己修復機能に任せて様子見てみるよ」
みつきが手元のスイッチを入れ、こなつーの身体に力が戻る。
よいしょと身を起こし、そそくさと制服を身に着ける。
よいしょと身を起こし、そそくさと制服を身に着ける。
「本当にすみません、こなつーさん」
「やー、気にしないでよ」
「やー、気にしないでよ」
研究室を出る間際。こなつーはみつきの方を振り返り、
「あー、そだ。みゆきお母さんには黙っといてね。変に心配されちゃったらなんだからさ」
「わかりました……でも、無理だけはされないでくださいね、こなつーさん」
「ん。ありがとね、みつき姉さん」
そう言って、彼女は研究室を後にした。
「あー、そだ。みゆきお母さんには黙っといてね。変に心配されちゃったらなんだからさ」
「わかりました……でも、無理だけはされないでくださいね、こなつーさん」
「ん。ありがとね、みつき姉さん」
そう言って、彼女は研究室を後にした。
―×― ―×― ―×― ―×―
「……あれ? こなつー、ケータイ鳴ってない?」
「ん? 確かに鳴ってるね。……どこ置いたっけ……あー、あそこか」
鴨居に引っ掛けたハンガーに手を伸ばし、オーバーコートのポケットからケータイを引っ張り出す。
「ちゃんと充電しとかないと、いざと言うとき、電話取れなくて困るヨ~?」
こなつーのベッドの上で、うつ伏せになって足をぺちぺちやりながら、こなたがお説教。
「姉さんには言われたくないなぁ。同類じゃーん」
「ふむ。ナイスな切り返しだネ」
「ん? 確かに鳴ってるね。……どこ置いたっけ……あー、あそこか」
鴨居に引っ掛けたハンガーに手を伸ばし、オーバーコートのポケットからケータイを引っ張り出す。
「ちゃんと充電しとかないと、いざと言うとき、電話取れなくて困るヨ~?」
こなつーのベッドの上で、うつ伏せになって足をぺちぺちやりながら、こなたがお説教。
「姉さんには言われたくないなぁ。同類じゃーん」
「ふむ。ナイスな切り返しだネ」
同類もなにも、こなたがそれでかがみに小言を言われた時、まだ二人は"一人"だったのだが。
「……あ、みゆきお母さん? ……え、聞いちゃったんだ……
大丈夫だよ、自己修復でなんとかなったみたいだし。みつきさんにも、心配いらないって言っといてくれないかな。
……うん、うん。じゃ、また明日ね」
手短に話し、電話を切る。通話時間と料金が表示されたケータイを閉じて、「……ふーっ」とひと息。
大丈夫だよ、自己修復でなんとかなったみたいだし。みつきさんにも、心配いらないって言っといてくれないかな。
……うん、うん。じゃ、また明日ね」
手短に話し、電話を切る。通話時間と料金が表示されたケータイを閉じて、「……ふーっ」とひと息。
「……こなつー? もしかして、どっか調子悪いの?」
「ぶっちゃけるとそうだったんだけど……お聞きの通り、自然に直ってくれたから大丈夫だよ。……いやー、よくできてるねぇ私」
こなつーは、そう言って笑ってみせた。
「ぶっちゃけるとそうだったんだけど……お聞きの通り、自然に直ってくれたから大丈夫だよ。……いやー、よくできてるねぇ私」
こなつーは、そう言って笑ってみせた。
………………
ひとりベランダに出ると、そこは凍てつく闇だった。
淡く光る遠くの街灯りが、グラデーションを描いて暗い空へと溶け込んでいく。
夜空に大きく、その雄大な姿を広げるオリオン座。その左肩の上に、ふたつの星が輝いている。
ふたご座のポルックス、そしてカストル。薄い雲がポルックスにかかり、その光をぼんやりとしたものに変えていく。
淡く光る遠くの街灯りが、グラデーションを描いて暗い空へと溶け込んでいく。
夜空に大きく、その雄大な姿を広げるオリオン座。その左肩の上に、ふたつの星が輝いている。
ふたご座のポルックス、そしてカストル。薄い雲がポルックスにかかり、その光をぼんやりとしたものに変えていく。
胸の奥から始まった痺れは、徐々に肩口まで広がりつつあった。
「……これで、いいんだよね」
夜空を見上げて、こなつーは呟いた。
夜空を見上げて、こなつーは呟いた。
―― うん、これでいいんだよ。
あの二人のことだから、私を直せなくなった自分を責めかねないもんね……
あの二人のことだから、私を直せなくなった自分を責めかねないもんね……
―×― ―×― ―×― ―×―
購買部でチョココロネと白牛乳を買い、教室へ戻る道すがら。こなつーは、みさおとばったり出くわした。
「おーっす、ロボっ子ぉ~」
「やー、こんちはー、みさきち」
至ってノーマルな、みさおの反応。『こな☆フェチ』の猛威が去りつつあることを、こなつーは改めて実感する。
(いつもと違うのにノーマルって、何か変だよね……まあいっか)
「元気してっか~? ……って、どした?」
「何が?」
「んー、なんか顔色悪くね? 大丈夫かぁ?」
そう言いながら、こなつーの額に手を当てる。
「え?……そーかな」
(まずいなあ、顔色にまで不調が出ちゃうのか。みゆきお母さん、凝りすぎだよ……)
「おーっす、ロボっ子ぉ~」
「やー、こんちはー、みさきち」
至ってノーマルな、みさおの反応。『こな☆フェチ』の猛威が去りつつあることを、こなつーは改めて実感する。
(いつもと違うのにノーマルって、何か変だよね……まあいっか)
「元気してっか~? ……って、どした?」
「何が?」
「んー、なんか顔色悪くね? 大丈夫かぁ?」
そう言いながら、こなつーの額に手を当てる。
「え?……そーかな」
(まずいなあ、顔色にまで不調が出ちゃうのか。みゆきお母さん、凝りすぎだよ……)
「……んー、熱はねーみたいだな」
視界の隅に常駐させた、自己診断モニター。
見た目の心拍数は、正常値の範囲内。……しかし詳細情報を見ると、人工血液の流量が明らかに落ちてきている。
(ああ、循環ポンプまで弱ってきちゃったのか……)
落ちた流量を確保しようと、心拍数にブーストをかける。消費電力が上がったせいか、今度は身体が重くなる。
発電機(ジェネレータ)の元気がない。ポリマーゲル充電池の蓄えが食われてる。痺れが肘まで広がってる。
自己修復系に電力を回せない。自己修復どころか、現状維持でいっぱいいっぱいだった。
見た目の心拍数は、正常値の範囲内。……しかし詳細情報を見ると、人工血液の流量が明らかに落ちてきている。
(ああ、循環ポンプまで弱ってきちゃったのか……)
落ちた流量を確保しようと、心拍数にブーストをかける。消費電力が上がったせいか、今度は身体が重くなる。
発電機(ジェネレータ)の元気がない。ポリマーゲル充電池の蓄えが食われてる。痺れが肘まで広がってる。
自己修復系に電力を回せない。自己修復どころか、現状維持でいっぱいいっぱいだった。
(……うへぇ、まるでジリ貧スパイラルじゃん。それなんてハードな経営シミュレーション?
とにかく、今夜から寝る時に補充電しよ。自己修復系もフル稼動させて……)
とにかく、今夜から寝る時に補充電しよ。自己修復系もフル稼動させて……)
『自己修復系からの応答がありません』
制御系から返ってきたアラートに、こなつーの表情が曇る。
(……えーと、何の罰ゲームですか、コレは?)
「……っ子? おーい、ロボっ子~?」
「うぉ!? な、何っ?」
視界いっぱいに広がったみさおの顔に、こなつーは飛び上がった。
「何? じゃねーだろ……どしたんだよ、ぼーっとして」
膝に手を突いて、こなつーの顔を覗き込んでいる。
「う、うん、ちょっと考え事してた」
「んー、まぁあれなんじゃねーの? 具合悪いんなら、高良に診てもらったほうがいんじゃね?」
至極ごもっともな提案に、こなつーはため息で答える。
「うぉ!? な、何っ?」
視界いっぱいに広がったみさおの顔に、こなつーは飛び上がった。
「何? じゃねーだろ……どしたんだよ、ぼーっとして」
膝に手を突いて、こなつーの顔を覗き込んでいる。
「う、うん、ちょっと考え事してた」
「んー、まぁあれなんじゃねーの? 具合悪いんなら、高良に診てもらったほうがいんじゃね?」
至極ごもっともな提案に、こなつーはため息で答える。
(私だって、してもらえるならそうしたいよ。……でも……)
「ま、あんま無理すんなよ。ロボットだって人間だかんな、疲れがたまったら休まねっとな~」
「なんか言ってることがムチャクチャだね、みさきち。でも、ありがとね」
「なんか言ってることがムチャクチャだね、みさきち。でも、ありがとね」
「んじゃ、私は教室戻っから。ロボっ子は早引けして寝ちまったほうがいいぜ。……んじゃな~」
元気に走り去っていくみさおを見送りながら、こなつーは他人事のように思っていた。
元気に走り去っていくみさおを見送りながら、こなつーは他人事のように思っていた。
(……さてと……私、いつまで保つのかな……)
みつきに診てもらったあの日から数日が過ぎたが、身体の痺れは酷くなる一方だった。
こなつーの心は、泉こなたそのもの。自分の身体(システム)の構造や修理方法など、わかる由もない。
システムチェックのたびに、不調を示す信号が増えていく。
無情な現実を前にして、歯噛みすることしかできない自分が、ただ恨めしかった。
こなつーの心は、泉こなたそのもの。自分の身体(システム)の構造や修理方法など、わかる由もない。
システムチェックのたびに、不調を示す信号が増えていく。
無情な現実を前にして、歯噛みすることしかできない自分が、ただ恨めしかった。
………………
「……なんだよっ! そんな言い方ないじゃん!」
「……何よ! あんたこそっ!」
廊下の向こうから、二人の口論が聞こえてくる。
「お、お姉ちゃん……落ち着いて、ねっ?」
「泉さん、かがみさんも悪気があって言われたことじゃ……」
二人のおろおろした声が、その声に重なる。
「……何よ! あんたこそっ!」
廊下の向こうから、二人の口論が聞こえてくる。
「お、お姉ちゃん……落ち着いて、ねっ?」
「泉さん、かがみさんも悪気があって言われたことじゃ……」
二人のおろおろした声が、その声に重なる。
口論の主は、こなたとかがみだった。険悪な雰囲気が、こなつーのところにまで漂ってくる。
「まったく……何やってんだろ、二人とも」
駆け寄ろうとする脚が重い。電圧が下がり、視界が僅かに暗くなる。
(……む~、しっかりしてよ、私の身体っ!)
「まったく……何やってんだろ、二人とも」
駆け寄ろうとする脚が重い。電圧が下がり、視界が僅かに暗くなる。
(……む~、しっかりしてよ、私の身体っ!)
……こなたとかがみは、視線を合わせようともせず、ただ黙って立ち尽くしていた。
「みゆきさん、何があったの?」
「いえ、その……」
みゆきが口を開こうとした、その時。
「みゆきさん、何があったの?」
「いえ、その……」
みゆきが口を開こうとした、その時。
「……いいよ、もう」
沈黙を破り、こなたが呟いた。―― そのまま、踵を返す。
「……帰る」
そう、一言言い残して、
「こなちゃん?」
「泉さん?」
「姉さんっ!」
鞄も持たずに駆け出したこなたは、あっという間に廊下の向こう、階段口へと消えていった。
沈黙を破り、こなたが呟いた。―― そのまま、踵を返す。
「……帰る」
そう、一言言い残して、
「こなちゃん?」
「泉さん?」
「姉さんっ!」
鞄も持たずに駆け出したこなたは、あっという間に廊下の向こう、階段口へと消えていった。
「泉、どこ行くんや? もう授業始ま……おい、泉ーっ!?」
踊り場の方から、黒井先生の怒声が聞こえる。
「あ……、お、お姉ちゃんっ!?」
かがみもまた、何も言わずに教室へと戻っていった。
踊り場の方から、黒井先生の怒声が聞こえる。
「あ……、お、お姉ちゃんっ!?」
かがみもまた、何も言わずに教室へと戻っていった。
「……姉さん……」
そして後には、途方にくれたこなつーたちだけが残された……
そして後には、途方にくれたこなつーたちだけが残された……
―×― ―×― ―×― ―×―
翌日。こなたは「頭が痛い」と言って、学校を休んだ。
かがみはかがみで、昼食時にも姿を見せず、帰りもさっさと一人で帰ってしまっていた。
生徒の姿もまばらになった教室で……三人はただ、途方にくれていた。
かがみはかがみで、昼食時にも姿を見せず、帰りもさっさと一人で帰ってしまっていた。
生徒の姿もまばらになった教室で……三人はただ、途方にくれていた。
「どうしよう……つーちゃん、ゆきちゃん」
「困りましたね……二人とも、すっかり意固地になられてしまっていますね」
「うーん、姉さんって変に頑固なとこあるしなぁ……」
こなつーにとって、こなたは自分も同じだ。滅多なことでは怒らないが、いざ怒ると後を引く……というのはよくわかっている。
「困りましたね……二人とも、すっかり意固地になられてしまっていますね」
「うーん、姉さんって変に頑固なとこあるしなぁ……」
こなつーにとって、こなたは自分も同じだ。滅多なことでは怒らないが、いざ怒ると後を引く……というのはよくわかっている。
「……やだ……」
ぽつりと呟く、つかさ。その大きな瞳には、涙がいっぱい溜まっていた。
「こんなの……やだよぅ……えっ、えぐっ……ひっ」
「つかささん……」
みゆきが、つかさの肩をそっと抱く。
ぽつりと呟く、つかさ。その大きな瞳には、涙がいっぱい溜まっていた。
「こんなの……やだよぅ……えっ、えぐっ……ひっ」
「つかささん……」
みゆきが、つかさの肩をそっと抱く。
「……明日は休日だよね……よしっ、不肖こなつー、ひと肌脱ごうじゃありませんか!」
自分の胸をぽん、と叩いて、こなつーが宣言した。
視界の隅に一瞬瞬いた、システムエラーのメッセージ。……こなつーは、それを黙殺する。
「えっ?……こなつーさん?」
「つーちゃん、何かいいアイデアあるの?」
「アイデアってほどでもないけどね。……まぁ、任せといてよ。二人とも、明日空いてるかな?」
自分の胸をぽん、と叩いて、こなつーが宣言した。
視界の隅に一瞬瞬いた、システムエラーのメッセージ。……こなつーは、それを黙殺する。
「えっ?……こなつーさん?」
「つーちゃん、何かいいアイデアあるの?」
「アイデアってほどでもないけどね。……まぁ、任せといてよ。二人とも、明日空いてるかな?」
―×― ―×― ―×― ―×―
しんと静まり返った、夜中の部屋。
「……ダメだぁ、どうにも気が乗らないわ」
シャーペンを投げ出し、かがみは背もたれに背中を預けてふんぞり返る。
「……ダメだぁ、どうにも気が乗らないわ」
シャーペンを投げ出し、かがみは背もたれに背中を預けてふんぞり返る。
目の前の数学の問題集は、予定の半分も進んでいない。
「これも、全部あいつのせいよ……ったく」
「これも、全部あいつのせいよ……ったく」
脳裏に浮かぶのは、こなたの顔。
売り言葉に買い言葉、つまらない行き違いからの衝突、そして断絶。
後に残るのはただ、後悔と焦燥感。
売り言葉に買い言葉、つまらない行き違いからの衝突、そして断絶。
後に残るのはただ、後悔と焦燥感。
「……あー、もうっ!」
わざと音を立てて、椅子から勢いよく立ち上がる。
「気晴らしに、買い出しでも行くか……」
ベッドの脇に放り出した上着に袖を通し、部屋を出た。
わざと音を立てて、椅子から勢いよく立ち上がる。
「気晴らしに、買い出しでも行くか……」
ベッドの脇に放り出した上着に袖を通し、部屋を出た。
底冷えのする玄関を抜け、ドアをそろりと閉める。エントランスを抜けて、表通りへと出る。
……そこに小さな人影を認め、かがみは足を止めた。
……そこに小さな人影を認め、かがみは足を止めた。
「やー、やっと出てきたね」
「……こなた?」
「残念、こなはこなでもこなつーだよ。ばんわ、かがみん」
「……こなた?」
「残念、こなはこなでもこなつーだよ。ばんわ、かがみん」
こなたの名を呼んだ時、一瞬かがみの顔が明るくなったのを、こなつーは見逃さなかった。
「……ふむ、脈はありそうだね」
「何か言った?」
「なんでもないよー」
「はぁ……で、なんでこんなところにいるのよ、あんたは」
不信そうな顔で、かがみが言い放つ。
無理もないといえば無理もない。直線距離で七キロはある泉家。この真夜中にちょっと散歩、という距離ではない。
「べーつにー、ちょっとした散歩だよ」
「嘘つけ」
「……ふむ、脈はありそうだね」
「何か言った?」
「なんでもないよー」
「はぁ……で、なんでこんなところにいるのよ、あんたは」
不信そうな顔で、かがみが言い放つ。
無理もないといえば無理もない。直線距離で七キロはある泉家。この真夜中にちょっと散歩、という距離ではない。
「べーつにー、ちょっとした散歩だよ」
「嘘つけ」
「……姉さんがね、」
あえてそこで言葉を切り、それとなくかがみの顔をうかがう。
「……こなたが?」
かがみの顔が期待に明るくなり、すぐに不機嫌そうな顔を"作る"のがわかった。
あえてそこで言葉を切り、それとなくかがみの顔をうかがう。
「……こなたが?」
かがみの顔が期待に明るくなり、すぐに不機嫌そうな顔を"作る"のがわかった。
「……こ、こなたがどうしたのよ。知らないわよ、あんなヤツ。……ほら、あんたもさっさと帰んなさいよ」
ずいっ、とこなつーに近寄るかがみ。―― 仕掛けるなら、今しかない。
ずいっ、とこなつーに近寄るかがみ。―― 仕掛けるなら、今しかない。
「私の"心"ってさ、元はこなた姉さんのコピーなんだよね」
「……だ、だから何よ。私はこなた姉さんの肩を持つからねー、とでも言いに来たわけ?」
かがみの不機嫌度が、ぐっと上がる。……よし、ここでカウンター攻撃発動。
「……だ、だから何よ。私はこなた姉さんの肩を持つからねー、とでも言いに来たわけ?」
かがみの不機嫌度が、ぐっと上がる。……よし、ここでカウンター攻撃発動。
「だから、私にはわかるんだよ……姉さん、きっと仲直りしたいって思ってるよ」
「……!!」
「姉さん、あれでなかなか意地っ張りなとこあるからねー。自分からなかなか言い出せない、ってのもあるんだろうけどさ」
「……!!」
「姉さん、あれでなかなか意地っ張りなとこあるからねー。自分からなかなか言い出せない、ってのもあるんだろうけどさ」
嘘ではなかった。遠まわしにそれとなく聞き出した、こなたの本音。
「そう……かな?」
かがみの頑なな心が、少し緩む。
「そう……かな?」
かがみの頑なな心が、少し緩む。
「まあ、それはさておき。明日暇でしょ?」
「へ? まあ、特に用事はないけど……」
「気晴らしに、つかさとみゆきさんと、四人でどっか遊びに行こうよ」
「えっ?」
逡巡するかがみの答えを待たず、
「さっきつかさに電話して約束したんだ。時間とか場所はつかさから聞いてよ。絶対だよ! じゃね~」
「あ、ちょっ、こなつー!?」
「へ? まあ、特に用事はないけど……」
「気晴らしに、つかさとみゆきさんと、四人でどっか遊びに行こうよ」
「えっ?」
逡巡するかがみの答えを待たず、
「さっきつかさに電話して約束したんだ。時間とか場所はつかさから聞いてよ。絶対だよ! じゃね~」
「あ、ちょっ、こなつー!?」
脱兎のごとく走り去るこなつー。かがみは、その姿を呆然と見つめるしかなかった。
この時、かがみは気づかなかった。
いつもなら、あっと言う間に点になるこなつー。
いつもなら、あっと言う間に点になるこなつー。
……その走りに、いつものキレがなかったということに。
………………
「……ふう、ふうっ……まいったなぁ。……たったあれだけで、ここまで、息が、あがっちゃう、なんて」
鷹宮の駅前。閉店準備を始めた書店の前で、こなつーは肩で大きく息をしていた。
体内温度がいつもより高い。人工血液の流量が下がったため、放熱が上手くいっていない。
身体さえ完調なら、鷹宮駅どころか、家まで数分で帰れるというのに……
鷹宮の駅前。閉店準備を始めた書店の前で、こなつーは肩で大きく息をしていた。
体内温度がいつもより高い。人工血液の流量が下がったため、放熱が上手くいっていない。
身体さえ完調なら、鷹宮駅どころか、家まで数分で帰れるというのに……
「ともあれ、うまくいった、かな。……さて、これで作戦決行は決まりだね」
『我奇襲ニ成功セリ。トラ・トラ・トラ』
つかさとみゆきに、少し格好つけてメールを送信。封筒に翼が生えて飛んでいき、待ち受け画面に戻るのを確認する。
待ち受け画面の画像は……少し前に冗談めかして撮った、頬を赤く染めたかがみの姿。
待ち受け画面の画像は……少し前に冗談めかして撮った、頬を赤く染めたかがみの姿。
「……うん、絶対大丈夫だよ。……だって……」
―― 大丈夫だよ 傷は治るんだ きっと 元通り――
ふと思い出した、あの流行り歌のフレーズを口ずさむ。
ふと思い出した、あの流行り歌のフレーズを口ずさむ。
……なんだか私、あの歌の主人公みたいだね……
―×― ―×― ―×― ―×―