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宮本慎也

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宮本慎也


  • 1994年 ドラフト2位でPL学園-同志社大を経てプリンスホテルから入団。
  • PL学園時代は中日の立浪や元阪神の片岡らの1学年下にあたる。また、片岡とは大学も同じだった。
  • 五輪、WBC日本代表のキャプテンも務めたヤクルトが誇る禿…ではなく名遊撃手。
    慎也のショートは日本一♪ でも2008年途中から三塁手。
  • 前任者の古田を継ぎ日本プロ野球選手会会長も務め、2008.12.4の選手会総会で任期満了で阪神・新井選手へバトンタッチした。
    「意見を交わすことが大切と思い、弁護士任せにせずに(交渉の席に出てきて)やってきてよかった」と。今後は「僕が会議に出ることはない。相談には乗るけど、あとは新井に任せます」と陰ながらもバックアップの姿勢を見せる。先ずはお疲れ様でした。
  • 2001年には67犠打でシーズン最多犠打の日本記録を打ち立てたが、実は入団当初バントはあまり得意ではなかったらしい。
  • 2004年のアテネオリンピック野球日本代表では、予選より長嶋代表監督よりキャプテンの指名を受け守備、走塁もさることながらチームトップの打率5割と大活躍した。また2006年のWBC代表にも選出された。井口が辞退したことによる追加要請だったが、要請は大好きなパチンコをしている最中だったとか。
  • 2006年は怪我での2度の離脱した。5年契約での3年目を終え、オフの契約更改では提示額は500万円増だったが、「納得したいと思って」と自ら減額を申し出て、差額の1500万円を戸田軍が使用する戸田球場の傷みの目立つフェンスの改修費用に充てるように球団に要望し、了承されたという。
  • 2007年は3割5本塁打の活躍。シーズンオフには再び北京オリンピック日本代表のキャプテンに指名される。また、この年の契約更改でも球団社長にスコアラーの増強や戸田軍室内練習場の早期設置などチーム強化を直訴するなど、もはやチームの顔となった選手になった。
  • 2008年も打率3割2分台をキープし、またオリンピックによる(頭髪の)離脱を考慮して球団はウィルソンを獲得、本人はサードへコンバートされた。
    そして北京オリンピックへ青木とともに挑んだが、結果は…(ry
  • 北京オリンピック終了後、2008.8.27付のブログにて、メダルを取れなかったことに対する謝罪と北京オリンピックを最後に代表から引退を示唆。(巨人の上原も代表引退宣言)
  • また、北京オリンピック終了後は何故か精彩を欠き打率が下降線をたどる。
    やくせん民は「ワシに精神面を壊された。」などという意見が専らだった。
  • シーズン終盤にヒジに痛みを訴え、登録抹消したが10.11に再登録される。
    登録抹消中は川端、野口、梶本、畠山などの若手がその穴を埋めた。
  • いろいろあったが、最終的に2008年は打率.308と3年連続3割以上をキープしたのはさすがである。守備も言わずもがな、ショート、サードの守備率は両方ともチームNo.1であった。これまたさすがである…。
  • これからは燕戦士として若い衆を引っ張ってくれ!!!
  • …とは言うものの本人は「厳しい言い方をすれば、ヤクルトだから試合に出られている。自分はレギュラーだと思ったらダメだ。」と言う気持ちでやってほしいと言っていた反面、「若い選手には、言い方を色々変えている。厳しいばかりではダメだから…。」と何か若手への指導方法に悩んでいる模様。
  • でも「この選手達を残して行けないよ。」と話すほど、本当にこのチームが好きらしい。

  • とあるTV番組の出演のときには「現役引退後もずっと野球に係わっていたい。」というほど野球好きの一面を見せた。
  • オフは自身のブログによると、休日の合間を縫って雑誌のインタビュー、ラジオやTVの出演が多いらしい。
  • 同じ大阪府北部出身のナインティナイン岡村隆史と交友がある。
  • その岡村が立ち上げた草野球チーム(元はフットサルチーム)「チーム李・李・李」の一員で、一時監督にもなったことがある。
  • ちなみにこのチームには2000年当時、真中、池山、伊藤智、雨上がり蛍原、ほっしゃん(当時チュパチャップス)などが所属していた。
  • 当の宮本は守備位置はピッチャー、バッティングは適当に、気を抜いてやっていたようである。

  • AAではドSキャラ。主にヨネ、青木、ピロヤス、afoらを監視・攻撃対象とする。
  • 余談だが髪… いや、神IDの人現る!

    258 代打名無し@実況は野球ch板で sage 2008/11/11(火) 23:52:53 ID:dvd6CdMT0
        + +
      ( ´-_-`)  神ID記念カキコ
      ( ∪ ∪      
      と__)__)旦~

  • 2008.10.13付スポニチほか各紙の記事で、2009年から選手兼任コーチに就任予定と報道。2008.10.22付の大本営でコーチングスタッフが発表されたが、特に担当は設定されてないためスタッフ名簿には記載されてない。
  • だが、実質は「現場監督」。将来の監督候補への布石か…。
  • 2008年オフに2年契約の契約更改を行ったが、この年の契約更改でも球団へ神宮球場を12月も1月も、何日か使えるようにと自主トレ期間の開放を球団に要望し球団側も検討を約束するなどチームのためにいつも何かを考えている。一方、若手に対する説教卒業も宣言したが、総統と同じくスマイリーで若手を見つめる姿を考えると逆に…。
  • 2009年はサード専任で鉄壁の守りを見せつつも、打者としても打率3割を超え全く衰え知らず、5.16に通算50号HR。シーズン途中で慶三がケガで離脱、代理でショートを任されるがやはり「慎也のショートは日本一~♪」。
  • 2009年に5度目のオールスターゲーム出場、1戦目に逆転2ランHRを放った青木へ「おまえ、シーズン中に打てよ」との言葉に住民一同「禿同」。
    2戦目は自身初のHRを放つが、試合終了後に表彰式の連絡ミスでシャワーを浴びに行ってしまった監督の代理で出場記念品を受け取る事態に…。

  • 木田と同様に明石家サン…いや、テレビ・ラジオ・雑誌など多くのメディアへ出演し、ヤクルトの"広告塔"としても重要な役目を担っている貴重な選手でもある。
  • 選手活動のかたわら、安打1本につき1万円、2008年は130安打だったので計130万円を(財)日本盲導犬協会に寄付するなど、目立つ、目立たないに係わらず社会貢献活動も積極的に行っている。
  • ファンサービスにも余念がなく、2009.3.1のオープン戦の初戦で試合前にも係わらずつば九郎の本の先行発売イベントの店頭に参加し、本は見事完売。その日のオープン戦でもスタメン出場、きっちりヒットを打つところはさすがの一言である。
    若手・中堅、木田とともにちっとは見習えよ!
  • これぞプロ魂や!4年連続打率.300台、記録更新や!





   さすが俺たちの禿だ!頑張れヨネ!
  _ ________________
    V
  _, ,_
( ・∀・)
( ∪ ∪
と__)__)旦~


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