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飯原誉士

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飯原誉士


  • 栃木県の白鴎大学から2005年大社ドラフト5巡目で指名を受け、武内、高木、松井とともに入団。
    余談だが、栃木県の大学からNPB入りするのは史上初めてのこと。
  • 同じ小山市出身の選手で千葉ロッテの成瀬善久がおり、2007年12月に小山市でパレードが行われた。
  • 足あり、パンチ力あり、出塁即盗塁が可能な数少ない選手の1人。
  • 御存知メッシ。
  • 三塁も守れるがあまり上手ではない。本職の外野は名手。(捕球姿勢などの難も指摘されてはいるが、身体能力と捕球してからの速さはリーグでも屈指)
  • 2006年はいきなり開幕1軍。3月の守備固めで初出場、4月22日の横浜戦で、右翼手で初のスタメン出場を果たす。この日は初安打、初盗塁を記録した。翌日は初の猛打賞をマークするもなかなかレギュラーに定着せず、1軍と戸田軍の往復生活。
  • 2006年フレッシュオールスターでは4安打3得点1盗塁を決めMVPを獲得し、前年に青木もフレッシュオールスターでMVPを獲得していたことから、新聞各紙は「右の青木現る」などと報じた。
  • 2007年は岩村移籍に伴い、三塁手のポジションを宮出や畠山らと争うことになった。シーズンに入ると主に三塁手として起用されたが失策が多く、リーグ最多の18失策とやらかしてしまった…。
    打撃は規定打席に到達したものの、打率.246・8HR・32打点・23盗塁と期待通りにいかず。83三振は多すぎ!
  • 御存知メッシである。

  • 2007年オフには「最強の男は誰だ!壮絶筋肉バトル!!スポーツマンNo.1決定戦」に初出場。MONSTER BOX(いわゆる跳び箱)はNPB選手歴代3位の17段を成功させるなど大活躍!総合4位に。これは飯田コーチの後継者誕生フラグ!?

  • 2008年は、ラミ何とかの移籍でレフトで開幕スタメンを果たすが不振で福地に明け渡すも、今度はガイエルが故障で離脱。福地がライトに回り、またレフトでスタメンの座をものにした。それからは不振に陥ることもなく安定した成績を残し、青木が北京五輪で離脱中は3番に抜擢され福地とともに不在の青木、宮本の穴を埋めた。
  • 青木の復帰後も5番を任されるときがあるなど、打撃面でも好調を維持。
    打率.291・9HR・62打点・28盗塁と好成績を残す。特に打点がほぼ倍増したのはチャンスに強くなった証。それでも三振は60個と、前年より減ったもののまだまだ多い…。川本と「三振ズ」と呼ぶやくせん民も現れた。でも8.28広島戦でのホームスチールはお見事でした。
  • 御存知メッシなのだ

  • ときどき考えて野球をしてないのではないかと思われる時がある。
    もっと頭使おうぜ、メッシ。
  • NHKのスポーツニュースでとり上げられること多し。
  • インド王。(飯原の打席時の書き込み…「引導を渡せ」の誤記「インド王を渡せ」から)
  • 2008.8.26の広島戦でユニフォームを忘れ、「94 MURATA」という打撃投手村田さんのユニフォームを着用して試合に出場。
    解説の達ちゃんから「飯原の足なら走って取りに帰れば(間に合う)」という突っ込みが入った。その日の中継では何度も何度もその背番号が晒された。
  • しかし2008年の育成ドラフト1位で入団した同じ大学出身のミランダ・フェルナンデスのために家電製品を譲り渡すなど、優しい一面を持ってたりもする。優しいぜ、メッシ!

  • 2009年は魔将との併用が多く、主に相手が左投手での出場が多くスタメン回数はは2008年のおおよそ4割程度に…。
  • そんな起用での中、シーズン終盤のCS争いが激化した10.2に前の試合で右肩棘下筋(きょっかきん)の肉離れで戦線離脱。打率.250・6HR・23打点・11盗塁と成績も前年を下回ってしまった。三振も40個と三振癖は相変わらずである。また、好不調の波も激しく大失速期間中であった9月の月間打率は.120と低迷。
  • 2009年に印象的だったのは送りバント。特に大事な場面での送りバント失敗→凡打 or 三振と「メッシにバントのサインを出すなああ!」と言われる始末。事実、2009年の犠打数はわずか1個。

  • しかしながら2008年のときから言われていた「クラッチヒッター」振りは健在。特に得点圏での打率は.326と年間打率を大きく上回る。また、マグネット属性も同様。死球を受けた数は下回ったものの、打席数に対する割合は逆に2008年より高くなっている。代打成績も.273と好成績。
  • 脚力も健在、このような特徴のある選手からか他球団ファンから「何故飯原を使わない!?」、「ベンチにおいて置くくらいならくれ」などと言われることもしばしば。
  • 何だかんだで頼りになるぜメッシ! 大事なことなので(ry

  • しかし故障した箇所が難儀なところらしく、開幕までに完治できるか心配である。

  • 2010年シーズンは序盤こそガイエル、福地などの影に隠れる形で使われてきたが、両者の不調によりスタメンの座を掴むと小川代行監督に代わってからは3番に起用されるなど重用されるようになる。
  • さらには伊勢打撃アドバイザーによって長距離打者へと改造されつつあり、2010年シーズンの目標本塁打を15と設定された。
  • 9月7日の広島戦において自身初となるサヨナラホームランを打つ。
  • 試合前に伝説の打者である中西太氏からアドバイスを受けたことが功を奏したか! と思いきや本人は「(アドバイスは)打席に入ったら忘れちゃいました」。
  • …まぁ、なんというかヤスシらしいね。
  • 9月10日の対阪神において見事目標の15本塁打を達成。

  • なお、バントも上達している。

  • 伊勢さんといい中西氏といい、飯原には往年の名選手、名コーチをして教えてみたいと思わせるだけの潜在能力があるんだろうな…。


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