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青木宣親

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青木宣親


  • 燕のリードオフマン。今や日本を代表するアベレージヒッター。2005年の新人王。
  • 2005年から5年連続3割以上打っており、恐らく2010年も達成可能。(内、05・07年は首位打者のタイトルを獲得している)
  • 基本的に失礼。先輩である石川をカツオと呼び出したのも青木である。(ジャンクSPORTS)
  • やくせんでは米野と並び2大AAキャラである。
  • 試合ではランナーがいないときによくヒットを打つが、いる時は最低限の仕事も出来ない体たらくである。
  • 人それを「帳尻」と言う。
  • ゲームの能力査定ではいつまでたってもチャンス×。
  • …などと言いつつも、基本的にやくせん住人は青木に対してツンデレ。←重要!!!
  • 合コン好きキャラで、AAではパーティ帽をかぶっている。他の選手などは基本正座であるが、彼のAAだけは何故か免除されている。(…というか誰もツッコミを入れない)
  • サャカ(初代女子マネ磯山さやか)との熱愛ネタがよく登場するが、実際はテレ東の大竹アナと交際中と報道されている。
  • イケメンっちゃあイケメン。笑顔が素敵。
  • 春季キャンプ恒例のバレンタインメールも、2006年から4年連続1位。
  • 首位打者を獲得した翌年に合コン現場をフライデーされる。

  • 2008年北京五輪初戦のキューバ戦では試合前の「青木3番」予想を裏切って2番中堅として先発出場。
  • 3塁打に繋がる地味なやらかしをしてしまいやくせん民を不安にさせるが、その後FPと犠牲フライできっちり取り返しむしろ試合後の野球chでは「青木3番でいいんじゃねーか」と言われてしまいやっぱりやくせん民涙目。
  • 予想外の2番青木の活躍に、戻ってからも2番青木でいいという意見も飛び出した。
  • その後3番でも起用され、韓国戦やアメリカ戦で適時打にHRにと大活躍。特に韓国戦で勝ち越された中での試合を諦めないFPにやくせん民は感涙。
  • 北京五輪における青木の打席での住民の反応はやくせんログを参照。

  • しかしリーグ戦復帰第一戦目、8回表1死満塁のチャンスで貫禄のゲッツーに終わり、青木の帰りを待ち続けたスワローズファンに案の定っぷりを見せ付けた。
  • その後も「案の定」、「帳尻」っぷりに加え、シーズン終盤にはせっかく出塁するものの牽制死の場面が複数回あり、住民のガッカリ度は増大した。
  • でも2008年シーズンも最終的には横浜の内川に首位打者は譲ったものの、打率.347・64打点・長打率.529は自身過去最高であり、14HRもチーム最多、三振も47個と過去最少を記録するのはさすがとしか言いようがない。
    でも得点圏打率は… おおうぅ… もうぅ…
  • 守備でも失策は1回だけで、守備率.996。福地(.995)・飯原(.995)とともに鉄壁の外野を形成した。
  • これらは4年連続ベストナイン、3年連続ゴールデングラブ賞獲得が証明している。

  • 2008年の日本シリーズ直後に第2回WBC日本代表候補へ選出され、2008年オフもWBCへ向けて12月初旬からほぼ無休でトレーニングを行った。
  • トレーニングは、以前からバッティングをしていて腰などに痛みがあったらしく、バランス良く、より鋭い打球を飛ばせるようにするため股関節をうまく使うことに着目。秋季キャンプでトレーナーから「股関節を使うというのは、要するにお尻の動き」とアドバイスを受け、主に股関節周りを重点的に鍛え「お尻を締めると腰が出てくる」ことを習得したようだ。
    このお尻をグッと締めて腰を回す打法で、より軸がしっかりし、2009年の春季キャンプで早速効果を表しフリー打撃で鋭い打球を連発していた。一方守備ではWBCでレフトで起用されることを見据え、レフトの守備練習を重点的に行った。
  • この「尻」を意識した打法が春季キャンプ中に新聞やTVで取り上げられ、一時期青木を「青尻」と呼ぶ住民が多かった。

  • 第2回WBCでは日本代表の3番として全試合にスタメン出場。37打数12安打(チーム最多)7打点(チーム最多!)、打率.324と2連覇に貢献。大会中の活躍が記者たちに認められ、ポジション別優秀選手(オール・トーナメント・チーム)に選出された。
  • 大会終了後に各TV局のインタビューに出演しまくるが、その疲れているというか、眠そうというか、そんな青木の姿に心配する住民。その一例として、WBC帰国記者会見放送時のやくせんの様子はこちら
  • この大会での活躍が認められ、宮崎県の県民栄誉賞の受賞と「みやざき大使」に任命された。

  • ブレイクした2005年以降、上記のとおり4年連続打率3割を記録し、守備も無問題。メジャー志向はあるものの、大きなケガでもしない限りしばらくはレギュラーの座は安泰。逆に青木を刺激する競争相手がなかなか出てこないのが(チームとしては)心配っちゃー、心配なところか。

  • 2009年10月2日、大竹アナと婚約を発表。おめでとうのりちー。

  • WBCでの活躍とは裏腹に、2009年は開幕から好調のチームの中で極度の打撃不振に陥り、それが守備・走塁にも悪影響を及ぼす悪循環に嵌ってしまい一時はレフト左遷・スタメン落ちの屈辱もあったが、怪我人続出でチームがドン底の9月後半より4番に座り、4番が自分の天職だったかのように4割を超すハイアベレージを残すなどチームの危機を救い、見事CS進出を果たす原動力となった。

  • 2010年より遂に、長年固辞していたヤクルト栄光の背番号1を継承することを決意。これ以上ない継承者なだけに、伝統の背番号の復活を喜ぶ声もある一方、のりちーの番号として定着していた23を惜しむ声も。
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大竹アナ

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