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林昌勇(イム・チャンヨン)

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林昌勇(イム・チャンヨン)


  • 2007年のオフに突如韓国(三星ライオンズ)から海外スカウト陣が獲ってきた投手。
  • 契約は2年契約で推定年俸30万ドル + 出来高、2年目推定50万ドル + 出来高(3年目以降は球団オプション)。よくほかの専スレ民からは、単年度契約と間違えられる。
    この出来高はWikipediaによると「1セーブ当たり1万ドルずつ、さらに10、20、30セーブに到達する度に追加で10万ドルのボーナスを受け、さらにここにホールドや勝利など他の記録のボーナスも加えるという契約を交わしている」ということらしい。
  • 韓国では既にベテラン、衰えが見られる域で、当時スレでは「高津タイプの投手をまた獲ってきたのか」と嘆く声も多かった。
  • 持ち球はやはり常時150km/h台を出すツーシームとスライダー。ほかにチェンジアップも投げる。基本投球フォームはサイドスローだが、主に変化球を投げるときアンダースロー気味に見える。でも、コントロールはいい方の部類に入る。

  • オープン戦でも失点することが多く、そこまで期待されてはいなかった。
  • しかし、読売との開幕戦でサイドから繰り出す持ち前の速球で完璧なリリーフをこなすと、五十嵐の怪我もあり、その後現在までクローザーを任されるようになる。
  • イムに繋ぐ中継ぎ陣の押本松岡も神ピッチを続け、スワローズの勝利の方程式として確立すると阪神の「JFK」にならい、それぞれのアルファベットの頭文字を取って「MOL」と各紙が報じるようになった。ちなみに「MOL」は物質量の単位と重なる。
  • セ・リーグではほぼ完璧なクローザーとして活躍するも、交流戦ではパ・リーグのチームに打ち込まれる事もあり安定しない一面も見せたが、2009年では安定した投球を見せた。

  • 「イム」と書くと「仏」に見えることから、守護仏とも呼ばれる。
  • そこから登板時には無事に抑える事を祈願して「( -人-)イムイムイムイム」と書き込む住人がよく見かけられる。これを「イム教」、「イムイムタイム」と呼ばれることがある。

  • 2008年終盤に背中の張りから戸田行きとなったが、症状が治り再度登録。
    戸田行きで不在になった1軍のクローザーは、主に五十嵐が担当していた。
  • 2008.10.8の横浜戦に8回被安打2(自責点1)で好投した由規のあとを受けて9回に登板。キッチリ3人で締め、日韓通算200セーブ(うち、NPBで31セーブ)を達成した。
  • ちなみに200セーブを達成した本人は、「チームの皆さんのおかげ。次は日本で100セーブをしたい」とのこと。
  • 2008年シーズンは1勝5敗33セーブ、防御率は3.00だった。ちなみにNPBデビュー1年目に30セーブ以上を達成したのは、元中日の与田氏、ギャラード氏に続き3人目。
    地味にスゴイ記録!

  • 2009年第2回WBC韓国代表として日本の前に立ちはだかるも決勝戦でイチローに打たれ負け投手に。挙句韓国監督からスケープゴートにされる。俺たちはイムの味方だ。
  • 決勝戦終了当日、「イムさんを励まそう」というスレがプロ野球板に立ったが、潔い戦いっぷりにスレタイ通り本人へは励ます書き込みが多かった。
  • 大会終了後、青木とともにチームへ合流。選手たちへ「世界2位になりました。立派な仕事、恥ずかしくないピッチングをしました。スワローズが優勝できるように頑張ります!!」と挨拶。また、「応援ありがとうございました。スワローズに帰ってきて、自分の家に戻ってきた感じがします。これからもチームの優勝目指して頑張ります!!」とコメント。
    元気に帰ってきて安堵した住民も多かった。

  • 2009年シーズンに入るとWBCで一気に調子を落とした青木とは裏腹に仏はあのプレッシャーが逆に糧となったようで、5.15と5.16の阪神戦では水増し神宮ガンとはいえ、2夜連続160km/hを計測。アジア最速らしい。
  • このようなサイドスローから160km/hが出せる裏にはスポニチの記事によると、イム本人は「小さいころから体が軟らかかった」、相川は「体のねじれが凄い。体全体がムチみたいにしなってバチーンとくる」、藤沢トレーナーは肩関節が水泳選手並みに柔らかく「野球選手であのくらい動く人は見たことがない」、長田コンディショニングコーチは「肩も股関節もやわらかく、何か目には見えない体の使い方がある」と、やはり普通の人より秀でた身体能力を持ち合わせているようである。また、筋肉が硬くなってしまうことを理由にウエートトレーニングを極力避け、走り込みで体をつくり上げるとのこと。余談だが、上記の記事によると50mを5秒7で走るらしい。
  • 2009年開幕から無失点投球が続き、5.27のオリックス戦で20試合連続無失点と球団記録を塗り替える。(これまでは2005年に石井弘寿が記録した19試合連続)更に開幕からの20試合連続無失点はセ・リーグでは5人目。
  • 連続無失点試合は2009.6.3の西武戦で止まったものの自責点0を続ける。
  • この前半戦の成績や第2回WBC決勝での出来事で知名度が向上したのか、オースルターゲームの抑え部門でファン投票1位を獲得!
  • そしてそのオールスターでは、石川やユウキに影響を受けたのか突如超スローボールを投げやくせん一時騒然。「イムってあんな球投げれたの?」と他球団ファンが次々押し寄せるも、やくせん民自身が一番驚いていて「こっちが知りてーよ!」とまともな対応が出来なかったという事態を引き起こすw
  • その一方で来季MLB行きの噂が流れる中、既に韓国メディアによる単独インタビューで本人自ら発言していたが、球団オプションであった3年目(2010年)の契約を2008年オフに済ませていたことがシーズン中の2009.7.7に日本メディアが一斉報道。なお、再来年以降については「終わってから考える。」と答えている。
  • ちなみに前出の韓国メディアによるインタビューによると、日本での生活は「楽しい」とのこと。


  • 今季も来季も「( -人-)イムイムイムイム」。頼むでー!

  • 2010年は序盤に怪我の影響で少し調子を落とし戦線から離脱したこともあったが、それ以外は安定した出来で去年、一昨年と調子を落としていた夏場も好調を維持しヤクルトの後半戦の快進撃に貢献した。
  • 2010年度の成績は53試合登板、防御率1.46、35セーブ(1勝2敗)を挙げて、セーブ数と防御率とWHIPは来日以降最高値を記録した。

  • 2010年シーズン終了を伴ってヤクルトとの契約がきれるため、シーズン途中より去就問題が度々問題となる。
  • 本人がメジャーに関心を示している事、また某球団の抑えが安定せず度々劇場を演出したことにより、やくせん民の間ではイムの他球団への移籍に恐怖が広がっていた。
  • 2010年シーズン終了後まもなく「また来年もこのチームでプレーしたい。宮本さんや相川さんと一緒に野球をしたい」というイムの談話が発表され、やくせん民歓喜。イムとの契約延長に楽観視する方も。
  • しかしここから長い長い不安と緊張の日々が始まったのだった…。
  • 10月から開始されたイムとの残留交渉において、ヤクルト球団側は複数年+10億を超える金額を提示したが、イム側と3年目の契約更新オプションの保有権を巡り交渉が長期化する。
  • 交渉が長期化したことによって複数のスポーツ紙が交互に残留報道と決裂報道を繰り返す事態に。ここ等辺からやくせん住民は見えない敵と戦うようになる。
  • 保留者名簿の締め切りがせまり、もうダメか…、と思われた11月28日、スポーツ新聞各紙がイム残留を一斉に報じた。その日の午後3時には球団公式ツイッターより正式にイム残留が発表される。
  • 27日午後、林昌勇が韓国から来日し球団関係者と対面。その夜に球団と代理人のパク・ユヒョン氏が4時間半にわたって会談を行った。一度解散したが、深夜0時半になってパク氏から球団側へ残留する旨の電話連絡。そこで、急きょ日曜日の28日に東京・新橋の球団事務所を開けて発表するという綱渡りとなった。
  • 推測される契約内容は2年7億5000万+出来高で3年目は相互オプションとなり、球団とイム側の双方の合意によりオプションが行使される。3年目まで含めると14億を超す大型契約となり、それまでのヤクルトの投手の最高年棒を更新したとされている。
  • 来年で36歳となる投手に対して破格の条件となったが、奥村編成部国際担当課長は「気持ちも体力も選手としてのピークが続くと判断した。抑えは他の選手で補うのは難しい。本人が『ヤクルトが第一希望』と言ってくれたので粘り強く交渉した」とコメントしている。
  • 色々あったが残留してくれたので万事オッケー!
  • ただ一部スポーツ紙によれば本人は3年後のメジャー移籍を企んでいるとかなんとか。どっちにしろイムの後釜の育成は重要課題である。

  • 来年も再来年も「( -人-)イムイムイムイム」。頼むでー!

  • 2011シーズンは序盤こそ少し不安定だったものの5月4日の中日戦で日本通算100セーブをあげると6月頃からエンジンがかかり始め、チームも好調を維持して首位を快走した。
  • しかしながらやっぱりというべきか夏場真っ盛りの8月に腰を痛めて一軍登録を抹消。救援の柱を失ったチームは負けが目立つようになってくる。
  • 8月中に復帰し、不安定な内容の投球を見せるものの、なんだかんだ抑えるという展開を披露し、結局日本に来てから最多登板となる65試合に登板した。この要因として、今年導入された3時間半ルールにより良い救援投手を早めに使ったこと、そして今年のヤクルト自体競った試合が多く存在したことが挙げられる。
  • シーズン終盤に入り球速が落ちたことが気がかりだが球威はまだまだ健在。

  • 来年も「( -人-)イムイムイムイム」。頼むでー!

  • ところがどっこい、2012年は怪我との戦いから始まった。
  • キャンプ中から体の不調を訴え大幅に調整が遅れることに…。
  • 更には新外国人投手のロマンがオープン戦で結果を残し、結局イムは肘の張りが最後まで治らず開幕2軍が決定した。
  • 2012年はシーズン序盤からケガ人ばかり…。外国人枠の関係上で色々と有りそうだけど、とっとと戻ってきてイムイムさせてやー!



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