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高田繁

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高田繁


  • 2007年シーズンを21年ぶりの最下位で終えることになり、フロントがチーム一新のために招聘した新監督。
  • 見るからにやさしそうな顔で、いつもニコニコしてる。

  • 大学時代は鉄拳制裁で有名だった島岡監督に最も可愛がられた優等生で、1度も殴られなかったという武勇伝を持つ。
  • 現役(1968~1980年)は巨人V9戦士の外野手として活躍、1年目からレギュラーに定着し新人王を獲得。特に守備に関しては外野フェンスに当たった打球を先読みし、他の人ならツーベースヒットとなるところをシングルヒットにしてしまうことから「壁際の魔術師」と呼ばれた。
  • 現役中にレフトからサードへコンバートされた実績があり、ダイヤモンドグラブ賞(現・ゴールデン・グラブ賞)も受賞。ちなみに代わりにレフトに入った人は、毎週日曜日のTBS系列「サンデー・モーニング」でお馴染みの、あのお方。
  • また、試合以外では酒を飲まない、ゴルフはやらない、シーズン中はもちろんオフでも選手仲間と遊び歩くことはなく「アイツはゴルフやらないでサイン会やってカネためてる」と言われていた一方で、極めてマイペースなだけで、チームプレーはきちんとこなし攻守交代ではきちっと走るなど、チームメイトから好評だった。
  • 普段はで家族思いで、ナイターで深夜帰宅しても早起きして子どもたちと朝食をともにして学校へ送り届け、またベッドに戻って寝てたとか。
  • 引退後は解説者、日ハム監督(1985~1988年)、解説者、巨人1軍ヘッドコーチ、同2軍監督、解説者と歴任し、2005年から2007年度までは日ハムのGMを務めた。
  • 日ハム監督当時でもいつもスマイリーだったが、当時のコーチいわく「怒鳴らない代わりに、ダメな選手は使わない監督だった」らしい。「怒鳴って情をかけて…」という体育会的な指導スタイルではないと言える。また、現役のときのチームメイトであった淡口打撃コーチは「素顔の高田監督は気性の激しい、怖い人。」と話している。

  • 巨人の8番というと原を思い起こす人がいますが、この方がご先祖。
    元祖「エイトマン」です。

  • 先発枚数不足が心配される中でafoを放出しオッシーやKZを獲得、若手を積極的に起用していくなど外部監督らしい思い切ったチーム刷新を断行。
  • 足と守りを中心とした「機動力野球」を掲げ、2008年は12球団トップの148盗塁を記録した。ちなみに最下位は横浜の37・・・。
  • しかし守り中心の野球を重視するあまり、8回からの守備固めが裏目に出ることが多く、その点ではやくせん民は不満の声をあげている。
  • また打撃不振の福ちゃんや「川島欲しさに藤井の名前を出した」とまで語ったKZについては根気強く起用を続けており一部住民からは「贔屓起用」と叩かれることも。
  • 1.5軍の選手が多い以上仕方ないとはいえ懲罰も含めた野手の交代が非常に多く、ベンチにポチしかいねえwwwwwということもしばしば。楽天戦ではノムさんにそれを逆手に取られて慎也に押し出し四球→ポチ凡退で1点差負けという屈辱を味わうことに。
  • 2008年就任1年目は5位という結果に終わったものの、若手を積極的に起用しチームを強くしようという意気込みが感じられ、また貧打線については助っ人の誤算も大きかったため、この戦力で今の成績は十分であると好意的に捉えているやくせん民が多い。

  • ツンとデレを使い分ける素敵監督である。
    (例)KZヒットに満面の笑み
    (例)増渕について「ご覧のとおり」と1軍age見送りを匂わせるも、その後すぐに1軍昇格。
  • ベンチでは戦況に関係なく穏やかな笑みを浮かべていることが多く、巨人戦では普段ヤクルトの試合を見ない他球団ファンから「負けているのに笑ってる」と批判されることも。

  • しかし、あの1001も頭が上がらないと言われるほど。実は…おや、誰か来たようだ。

  • 2008年シーズンが終盤になるにつれ、劇場の多くなったMOLについて「たまにはいいでしょ」といった趣旨のコメントを残し、「akmtに洗脳された」とやくせん住民を不安にさせるw

  • 機動力野球に隠れがちだがファンサービスも公約の一つに掲げており、事実神宮ではサインにも積極的に応じ、神宮での勝利の際にはライトスタンドへサインボールを投げ入れる姿を見せている。

  • つば九郎1000試合出場に際して「中の人はずっと同じなの?すごいね~」、またケーブルテレビのマスコットが神宮に来訪した際には、「中の人は男の人?女の人?」
    それは聞いちゃいけませんって!

  • 2008年ドラフト会議では指名選手5名中4名が高卒(しかもうち3名が高卒左腕)という強気なドラフト戦術を見せた。 一部のやくせん民は「去年までの高卒ドラフトと間違えてるじゃまいか?」、「大社ドラフトを別の日にあると勘違いしてるのでは?」、「今年は大社と統一ドラフトですよー」と思われるほど…。
    もともとイケメン好きの疑いがあった総統だがこの件で若い男の子好き疑惑まで浮上。
    真相はいかに!?
  • 2008年ドラフト以降も前中日・森岡良介、前福岡SB・吉本亮や育成選手として前オリックスの田中祐貴(ユウキ)と、合同トライアウトに参加した選手を獲得する。
    ユウキ獲得の際には専スレが立ち「ドラフトが高校生ばっかだし大社ドラフトやってんだよ」、「ドラフトを高校生分離ドラフトと勘違いしていて後で気づいてあわてて森岡、吉本、ユウキを獲った」、「ヤクルトの大社ドラフトは九州の大砲と巧打の内野手と怪我持ちの好投手か。なかなか良い指名だな」などカキコが続々と…。んなアホなw
    これも真相はいかに!? でも積極的に補強すること自体はいいことだ。

  • 2009年は上記ドラフト、トライアウトでの補強のほか、球団初のFAで獲得した相川、新外国人のデントナなどが新加入、開幕直前に宮出と一場とのトレードを敢行させる。これらにより特に2008年にスタメンであった飯原、畠山などが代打陣に回るほどの野手層の強化に成功した。
  • 2009年シーズンに入ってから去年に培った機動力に加え長打が加わり、好調なスタートを切った。しかし、試合によっては謎な采配が見られ、やくせん民もこの采配に批判的な意見が多い日もある。

  • 2010年シーズン開幕当初は3カード連続勝ち越しと上々のスタートを見せたが、4月中旬以降になり急激に失速。連勝すら挙げられなくなる。5月にセ・パ交流戦が始まってからは全く勝てなくなり、球団に進退伺いを行う事態となる。6連敗となった5月20日、球団から慰留を受け一度は続投を決めたものの、その後も2連敗するなど浮上のきっかけをつかめず、さらに9連敗を喫し、最下位に沈んだ責任をとった形で遂に5月26日ヤクルト監督の職を辞任した(なお退団はしておらず、シーズン終了までは在籍するとの事)。後任は小川淳司ヘッドコーチ。

  • 最悪の形でチームを離れることとなってしまったが、彼の中継ぎ陣の整備、点の取り方の確立、といった業績のおかげでAクラス争いを繰り広げるまでチームが成長したことは事実である。

  • 高田監督の為にもメークミルミル!

  • 2010年10月24日、サンデーモーニングにて浪商の先輩で巨人では共に闘った張さんと共演。ダルや星野といった関係のある面々に関する話題が多かったための起用か?…監督退任問題について語らせるなよ…、TBS。

  • それよりも総統のオフィシャルHPが2004年の更新で止まってます。フォトギャラリーはすごくカッコイイですが、ブログとか始めてみてくださーい!


 .:ハ_ハ:ハ_ハ:
 :(;゚ω゚)゚ω゚;): ひぇー コワイよー!
 :(´`つ⊂´):..
 :と_ ))(_ つ

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