その他宗教団体
手野市においては、
手野八幡神社以外にも多数の宗教団体がある。
以下は、その主なものである。
目次
大凡寺
大凡寺(おおよそ)は、1592年に金元寺から独立した。
剛東温泉にあり、本尊は薬師如来である。
末寺としては金元末寺(きんげんまつじ)という名前であり、本尊は大日如来坐像、脇侍として阿弥陀如来立像、弥勒菩薩半跏像であった。
これらの仏像群は、国宝の登録を受けている。また、裏本尊として、裏から拝礼するように本堂が設計しなおされている。
大凡寺縁起によれば、以下のように伝わっている。
金元寺の末寺の和尚であった大凡和尚は元々は武士であったが、戦乱の世に辟易し、仏道へ入った。
寺を掃除している最中、白い鳥が庭へと下り立った。
鳥は自らを薬師如来の化身であるとし、古くに流行った霊験あらたかな温泉があると教える。
その鳥が道案内をし、その荒れ果てた土地へと踏み入れると、白い鳥がある岩のところで消えた。
岩を除けると、そこには金色に輝く薬師如来がいた。
薬師如来を土から掘り出すと、そこを源泉として温泉が湧きいでた。
大凡和尚は、この温泉を東にある剛(つよ)い温泉であることから剛東温泉と名付けた。
大凡寺はその際に建立され、薬師如来立像を本尊としている。
大凡宗と呼ばれる仏教一派を形成している。
剛東温泉の温泉寺とされ、薬師如来による加護とともに、剛東村、大凡村を管轄する庄屋となった。
なお、剛東温泉は1191年に発見され、1600年までに温泉宿1軒のみが残っていたが、1700年までにそれが60軒まで増えた。
剛東温泉については、大凡和尚が発見し、そこに寺を建立した。
当時の大凡和尚は金元寺の一員であり、金元寺末寺ということで金元末寺と称することにした。
大凡寺は本堂の中央やや正面側に本尊である薬師如来立像が安置されており、向かって右を向くようにして阿弥陀如来立像、左を向くようにして弥勒菩薩半跏像がある。
さらに本尊と背向かいになるように大日如来座像がある。
薬師如来については国指定重要文化財、他の仏像については国宝の指定を受けている。
また、本堂は建立以来の建築物の一つである。
大凡寺には本堂以外にも、事務所となる庫裏、三重塔、鐘楼、山門がある。
大凡寺には、1800年に作られた四国八十八塚、西国三十三塚、坂東三十三塚、秩父三十四塚の巡礼道がある。
特に西国、坂東、秩父は百観音霊場となっており、全てを回ることで、実際にお参りしたのと同じご利益がある。
それぞれ塚として寺院の写しが造られており、本尊あるいは御前立ちの写しが彫られており、さらに塚の前にはそれぞれの霊場の砂が埋められており、お砂踏みを行うこともできる。
大凡寺にある文化財は以下のようになっている。
- 国宝
- 阿弥陀如来立像
- 弥勒菩薩半跏像
- 大日如来坐像
- 重要文化財
- 薬師如来
- 府指定文化財
- 市指定文化財
金元寺
金元寺は、911年に建立された。
建立したのは金元大僧正と呼ばれる人物で、元は東大寺の僧だったとされる。
周辺は、寺院町が形成されており、金元寺門前町として重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。
最古の建物は1060年に作られた寺餅を売るための商店である。
人体神社
人体神社は1960年代に連続して建立された神社の集合の名前である。
人の形をした敷地に、それぞれの部位に該当するように社が置かれている。
それぞれの部位の神社や地蔵尊は、他所から勧請して祀っている。
なお、人体神社は1人の頭目と呼ばれる全体を統括する神職と、方職と呼ばれる頭方、胴方、手方、足方と呼ばれる4人の神職によって管理されている。
方職のうち1人が兼職というかたちで頭目となる。
また、敷地の外側に円形の塀があり、人体神社のとある点を中心となるように設計されている。
中心点からの方角によって方位神社がある。
方位神社は角方と呼ばれる神職によって管理されており、頭目と同格とされる。
管理神職 |
部位 |
名称 |
勧請元 |
頭方 |
頭 |
手野天満社 |
北野天満宮 |
目 |
手野眼力社 |
伏見稲荷大社眼力社 |
耳 |
手野耳明社 |
耳明神社 |
鼻 |
手野素戔嗚社 |
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胴方 |
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手方 |
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足方 |
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竜乃牙
龍乃牙は、公式には1820年に設立したとしている。
宗教団体としての登記は1900年である。
七観音寺
七観音寺は現在の手野市内にあった7つの観音霊場を1カ所に集め建立された。
最終更新:2020年09月24日 21:29