吉本亮
- 1998年のドラフト1位で、現・福岡ソフトバンクホークスで指名を受け入団。
スワローズの同期は石堂、うさみん、バタやん。 - 主なポジションはファーストとサードの内野手。
- 九州学院高等学校では3年夏に甲子園に出場し初戦で負けたものの、自身は2打席連続HRなど、高校通算66HRと右の和製大砲として期待されていた。
- 1軍は2001年に初出場するが、同じサードであった小久保とポジション丸被りでプロの壁は厚く、福岡と雁ノ巣(2軍)の往復。
- 雁ノ巣では2001年に三冠王をとるなど、そこそこの成績を残すものの1軍の機会になかなか恵まれず「ニグンノテイオー」扱い。
- 1軍での最多出場は2004年で56試合。
- 2008年は1軍昇格ならずも、雁ノ巣軍で82試合出場で規定打席到達。チームはウェスタン・リーグとファーム日本選手権に優勝するものの、本人は打率.218・2HR・22打点・1盗塁と伸び悩み、球団から戦力外通告を受ける。
- 再就職先を探すべく2008.11.26の第2回合同トライアウトに出場する予定だったが、何故か出場せず。しかし、その後大本営から「吉本獲得」の情報が飛び出す。
ウワサでは本人は現地に向かったが、スワローズ側から声がかかったため出場しなかったとか…。 - やくせん民は、先に吉本、山下(前・楽天)獲得の情報を入手していたため、「吉本を獲ったか」と冷静な反応。
こちらもたかせん民から「吉本をよろしく」とカキコがあったことから、同じ合同トライアウトで獲得した森岡良介と同様に、たかせん民もその行方を気にしていた模様である。 - ソフバン時代はそのあまりの肌の黒さから「キューバ人」と呼ばれていたらしく、代打などで出場した際も実況アナから「いや~日焼けで真っ黒ですねぇ」と出場のたびに紹介されている。
- 一番気になるのは上記のとおり高校では66HRと素晴らしい実績を持つものの、福岡ソフトバンクホークスの1軍でホームランを打ってなかったこと。
先ずは戸田軍で西鉄→クラウンライター→太平洋クラブライオンズ時代に、同じ福岡で活躍した「必殺仕事人」こと、大田打撃コーチの下で打撃開眼・長打力復活を目指す。
- 2009年はオープン戦などで開幕1軍をアピールしたが戸田軍で開幕を迎える。
- 戸田軍では試合数の半分以上出場するが打率は2割台前半を推移。目立った活躍もなくほぼ忘れかけられてた頃、7.7に1軍初登録。同日の広島戦で移籍後代打で出場し、初打席初ヒット。その後の試合でも代打で出場。意外にも送りバントをソツなくこなすことは小さな驚き。
- 宮本のケガによる離脱、その宮本のバックアップでサードを守っていた畠山が2失策を記録してしまった次の試合、8.21の読売戦でフルイニング出場。この試合の7回にプロ初のHRをライトスタンドへ叩きこむ!その日のヒロインと試合後の公式コメントに目から汗が出た住民も少なくはなく、たかせん民もこの初HRを喜んでいたようである。
- 翌日の新聞によると福岡ソフトバンクホークスに在籍していたとき、当時の王監督から「オレが生きているうちにホームラン1本打てよ」と言われていたらしく、プロ11年目でようやく約束を果たすことに。
- その後も主にサード、ときにはショートやセカンドの守備固めと代打として出場。野戦病院と化した野手陣の中で与えられた仕事を淡々とこなし、10.12の読売戦では8回裏に勝ち越し打を放ち、ポチとお花の引退試合に華をそえた。
- 2009年はチーム状態が苦しくなってきたシーズン後半からの出場がその大半を占めていたため32試合の出場に留まったが、打率.360・1HR・6打点と球団初のCS出場に貢献。得点圏打率.500と勝負強さも見せ、長打率.560と長距離砲の片鱗を見せた。
- 特に読売戦は対戦球団別では最多出場(13打席)で打率.417・1HR・5打点。横浜戦では4打席で打率.500と、苦手としていた2球団に相性が良かった。
ただ不思議なことに右投手に対して打率.636とほぼ無双状態であったのに対し、左投手になると打率.143と極端に悪い。何故だ…。このあたりが今後の課題か。
- 心配されていた守備面も住民をヒヤヒヤさせる場面もあったが、上記の通りサード、セカンド、ショートと3ポジションを守り、どのポジションも失策0、即ち守備率1.000!これは守備を重視するチームカラーに上手く染まった結果か!?
- 2009年トライアウト組最高や!
- 2010年も野口、森岡と共に内野のユーティリティープレイヤーとしての活躍が望まれる。