手野野球倶楽部株式会社
手野野球倶楽部株式会社は、プロ野球チーム『高松手野ハンディーズ』、『大阪手野ハンディーズ』及び女子プロ野球の『高松手野シーズ』の運営会社である。
株式は手野産業が40%、手野財団が40%、手野野球倶楽部持株会が20%となっている。
原則として手野財団理事長がオーナーとされる。このため、手野財団理事長は手野野球倶楽部の役員を兼ねている。
目次
概要
手野野球倶楽部が設立されたのは、1900年、アメリカから帰ってきた手野財閥の関係者が趣味として始めた。
1905年に有限会社となり、その後1909年に株式会社に転換された。
株式は、持株会と称される社員総会、春雷会、手野統括がそれぞれ3分の1ずつ保有することとなった。
1915年には職業野球として無料の観覧試合を開始。
1916年に有料の観覧試合を開始。
1920年、合資会社日本運動協会に加わる。
1939年、日本職業野球連盟に加盟し、リーグ戦に参加開始。
1945年に手野統括が解散したため、社員総会、春雷会でそれぞれ2分の1ずつ保有となった。
1948年からは日本野球機構に加盟し、パ・リーグに参加。
1955年には、ウエスタンリーグが設立され、手野野球ハンディーズを二軍として設立した。
1962年に手野財団が設立されたことにより、春雷会の株式を手野財団に移管した。
1970年に手野産業が設立されたことにより、社員総会、春雷会の保有株式の一部を手野産業に移管した。
これにより、現在の株式割合となる。
なお、1999年に社員総会は手野野球倶楽部持株会と名称を変更した。
女子プロ野球が開催されるのにあたり、各会社にあった同好会もしくは部活動扱いの女子野球チームをプロとすることを決定し、プロ転向したい者を集めた。
2009年8月24日に正式に『高松手野シーズ』が発足。
四国では唯一のプロ野球球団である。
高松にあった手野財閥の出張所にて初の試合が行われ、それが縁で以来高松に本拠地を置き続けている。
高松に本拠地を置いたのは、当時の手野財閥の施設のうち、野球場がすぐに設置できるような空き地を持っていたのが、たまたまここであったためである。
以来、手野野球倶楽部は、高松に本拠地を置き続けている。
また、二軍としてウエスタン・リーグで試合を行っている。
二軍は大阪手野ハンディーズとなり、1955年の設立当初から大阪府手野市に本拠地がある。
なお、女子チームの本拠地は一軍の高松ドームを共同使用することになっている。
一軍の本拠地は席、別席など、複数の値段設定がある。
別席のさらに特別な席として、
貴賓席が用意されている。これらの詳細は本拠地の項で述べる。
一軍については、オープン戦の第1戦目の始球式は香川県知事が、公式リーグ戦の第1戦目の始球式は高松市長がそれぞれ行うきまりとなっている。
それぞれ試合が手野野球が主催であった場合に限り、オープン戦で主催がなかった場合は、公式リーグ戦第1試合で香川県知事が、第2戦で高松市長が始球式を行う。
二軍については、オープン戦第1戦目の始球式は砂賀家当主、公式リーグ戦第1戦目の始球式は手野家当主がそれぞれ行う。
オープン戦で主催試合がなかった場合には、公式戦第1試合は砂賀家当主、第2戦目は手野家当主がそれぞれ始球式を行う。
本拠地
現在の1軍の本拠地は、香川県高松市野球町(やきゅうちょう)にある手野高松野球場、通称『高松ドーム』である。
ドーム式で1980年に完成した。
最大収容人数は6万5千人、プロ野球開催時は5万6千人の収容人数がある。
内訳は、上段1万5千人、下段1万人、外野2万人、最上段1万人、特別席合計1万人。
また、特別席は、バックネットエリアとして千人、三塁翼特別席4千4百人、一塁特別席4千4百人、特別席2百人となっている。
なお、これには放送関係の席と貴賓席は含まれていない。
屋根には本塁の直上から前方左右に広がる太いオレンジ色のラインと、本塁と二塁を結んだ直線の細い青色のラインと、グラウンドの青色の橋と本塁の中点の距離で、本塁から等距離のラインには紫色のラインが引かれている。
これらは、天井にボールがぶつかった際の判断のために用いられる。
貴賓席
貴賓席は、放送席横にある。
位置としては上段と下段の間のフロアで、貴賓観客専用の特別なエレベーターによって移動する。
役員、組織
手野野球倶楽部における役員は、以下のように定められている。
なお、取締役会は置かれているが、監査役会は置かれていない。
- 代表取締役
- 代表取締役社長
代表取締役兼オーナー
代表取締役兼球団監督
- 取締役
- 取締役兼事業局長
取締役兼広報部長
取締役兼興行部長
取締役兼オーナー代行
取締役兼球団副監督
一般取締役
- 監査役
- 監査役
組織については、以下のようにある。
取締役職 |
局部名 |
代表取締役社長 |
人事局 |
人事部 |
渉外部 |
スタジアム局 |
経理部 |
代表取締役 球団監督 |
一軍 |
二軍 |
三軍 |
女子 |
育成 |
取締役 事業局長 |
事業局 |
事業部 |
IT部 |
観覧局 |
券販売部 |
券企画部 |
取締役 広報部長 |
広報部 |
他スタジアム部 |
取締役 興行部長 |
興行部 |
社史
西暦 |
和暦 |
内容 |
1900年 |
明治33年 |
手野財閥米国派遣隊帰国 手野統括高松支社において初の野球場設置 |
1903年 |
明治36年 |
任意組合として手野財閥野球倶楽部が設立 |
1905年 |
明治38年 |
任意組合を有限会社に転換 「手野野球倶楽部有限会社」設立 |
1909年 |
明治42年 |
有限会社を株式会社に転換 「手野野球倶楽部株式会社」設立 社員総会、春雷会、手野統括がそれぞれ3分の1ずつ株式を保有 |
1910年 |
明治43年 |
今でいう所の草野球として一般への観覧試合を行う |
1915年 |
大正4年 |
職業野球を宣言、初の無料観覧試合を開始 |
1916年 |
大正5年 |
初の有料観覧試合を開始 |
1920年 |
大正9年 |
合資会社日本運動協会に加盟 初の有料の対外試合を開催 |
1939年 |
昭和14年 |
日本職業野球連盟に加盟 |
1945年 |
昭和20年 |
終戦に伴い手野統括が解散 社員総会、春雷会それぞれ2分の1ずつ株式を保有 |
1947年 |
昭和22年 |
手野野球倶楽部を改名し、「高松手野ハンディーズ」とする 略称は、手野、あるいはハンディーズ、もしくは手野ハンディーズである |
1949年 |
昭和24年 |
プロ野球再編問題により、ハンディーズは太平洋野球連盟(現パ・リーグ)に加盟 |
1955年 |
昭和30年 |
ウェスタンリーグ発足により、「手野野球ハンディーズ」として加盟 本拠地は大阪府手野市手野公園内にある手野野球場 |
1962年 |
昭和37年 |
手野財団設立により、春雷会の株式の一部を移管 株式の保有割合は、社員総会が2分の1、春雷会が3分の1、手野財団が6分の1 |
1970年 |
昭和45年 |
手野産業設立により、春雷会が全て、社員総会の一部の株式を移管 株式の保有割合は、手野産業、手野財団がそれぞれ4割、社員総会が2割 |
1977年 |
昭和52年 |
手野野球ハンディーズを改名、「大阪手野ハンディーズ」とする 略称は、大阪手野野球、手野二軍、または二軍ハンディーズ |
1979年 |
昭和54年 |
ハンディーズ、最低勝率.295を記録、38勝91敗1分 |
1999年 |
平成11年 |
社員総会を変更、手野野球倶楽部持株会となる |
2009年 |
平成21年 |
女子プロ野球チーム『高松手野シーズ』発足 |
最終更新:2018年05月10日 22:53