手野産業株式会社
手野グループ中枢会社と称されることもある。
手野グループの株式保有の頂点。
7つの中間持株会社の少なくとも過半数の株式を保有し、手野グループ全体を統括する。
目次
子会社
手野グループの事業子会社はそれぞれ7つの中間持株会社に集約される。
これを、手野グループ系列と呼ぶことがある。
各系列会社の名を取り、交通系列、食品系列、工業系列、運送系列、金融系列、遊興系列、通信系列と呼ばれる。
各系列は手野産業及び春雷会が定める事業方針及び各会社ごとに定める事業計画によって運営される。
事業
設立時、純粋持株会社を設立することができなかったため、事業持株会社として設立され、以来同一事業を行い続けている。
事業はコールセンター事業であり、設立以来一貫して手野産業が手野グループ全ての会社のコールセンターとなっている。
日本を中心として手野グループは全世界にあるため、全世界でコールセンターを設置している。
また、手野グループ以外からの委託によってコールセンター事業を行うこともある。
なお、事業名称としては『手野お客様相談窓口』としている。
事務所
事務所は手野コールセンター事業所、手野産業全体の管理部門、手野グループ全体の管理部門、就職関連部門、その他に大別される。
手野コールセンター事業所
手野産業のコールセンターは、日本を中心として世界中に散らばっている。
国内におけるコールセンター事業所は以下のようになっている。
事業所名 |
管轄区域 |
所在地 |
北海手野コールセンター |
北海地方 |
北海道札幌市 |
東北手野コールセンター |
東北地方 |
宮城県仙台市 |
関東手野コールセンター |
関東地方 特別区を除く |
埼玉県さいたま市 |
特別区手野コールセンター |
東京特別区 |
東京都練馬区 |
北陸手野コールセンター |
北陸地方 |
新潟県新潟市 |
中部手野コールセンター |
中部地方 北陸地方を除く |
岐阜県岐阜市 |
関西手野コールセンター |
関西地方 |
大阪府大阪市 |
中四国手野コールセンター |
中四国地方 |
広島県広島市 |
九沖手野コールセンター |
九州地方 沖縄県 |
福岡県北九州市 |
本社、支社
手野産業は、手野市に総本社を、東京に本社をそれぞれ置き、さらに各地方に1つずつ支社を置いている。
以下、詳述する。
本社 |
所管支社 |
支社所在地 |
総本社 |
関西支社 九沖支社 中四国支社 北陸支社 東海支社 中部支社 |
大阪府箕面市 宮崎県宮崎市 愛媛県今治市 石川県七尾市 愛知県西尾市 長野県木曽町 |
東京本社 |
東東海支社 関東支社 東北支社 北海支社 |
静岡県川根本町 茨城県石岡市 岩手県八幡平市 北海道鹿追町 |
また、海外では以下のように支社がある。
所管本社 |
支社名 |
支社所在国 |
総本社 |
欧州支社 |
イギリス |
欧州大陸支社 |
アンドラ |
アジア支社 |
キルギス |
オセアニア支社 |
フィジー |
本社 |
アフリカ支社 |
エチオピア |
北米支社 |
アメリカ |
南米支社 |
フランス領ギアナ |
これらのうち、北米支社長はテディ・テック・カバナー及びノエル・テック・カバナーの兄弟の血縁とする。
また、欧州支社長はグッディ子爵が務める。
なお、上記の者を名誉支社長とし、支社長を別の者にすることもまま行われる。
2006年までは、北米支社長、欧州支社長を番頭あるいは大番頭、その他の支社長を手代と呼ぶことにしていた。
今も、慣例的にそう呼ばれている。
営業所その他
戦時体制その他
手野財閥の時代から、国が戦争に突入するあるいは重大な事件もしくは事故または自然災害が起こった際、一地域ごとあるいは全体の体制を入れ替えることをまま行ってきた。
ここでは戦前に設置されていた手野統括時代の戦時体制又は災害時体制、並びに戦後設置された手野産業になってからの災害時体制について述べる。
また、1945年の財閥解体以来1970年に手野産業が設立されるまでの間、通称『統括不在時代』についても述べる。
手野統括時代
手野統括時代は、戦時体制、災害時体制の2つがある。
戦時体制では、手野財閥の企業のうち、春雷会の会員として指名されていた中枢企業が集まっている。
災害時体制となると、中枢企業以外に別に指名された準中枢企業と呼ばれる企業が招集されることとなっていた。
なお、招集者は原則として手野統括代表、手野家当主、砂賀家当主、春雷会特別会員のいずれか又は二名以上の連名となっていた。
主に、終戦までに以下の企業が中枢企業として指名されていた。
中枢企業 |
手野交通 手野銀行 手野重工業 手野新聞 手野食品 手野武装社 |
準中枢企業 |
手野生命保険 手野百貨店 手野商社 手野船舶 |
統括不在時代
統括不在時代は、災害時体制、企業間組織の2つがある。
財閥解体に伴い手野統括が消滅した。
一方で全くの別個の組織として存在していた春雷会は生き延びることができた。
この時代は、さらに1964年に設立される親睦団体「手野系列社長会」の設立以前と以後に分けらることができる。
災害時体制は、以下のようになる。
戦前と同様に、中枢企業、準中枢企業が指定されていたが、ここでは、合併後の名称で記す。
中枢企業 |
手野鉄道 手野重工業 手野自動車 手野商社 手野新聞 手野テレビ 手野ラジオ 手野銀行 |
準中枢企業 |
手野バス 手野タクシー 手野貨物 手野船舶 手野銀行 手野証券 |
災害時体制においては、上記のほかに春雷会特別会員が2名入る。
企業間組織は手野系列社長会がある。
春雷会とは別に、手野財閥として分割させられた企業が中心となり1964年に設立された。
これによって、各企業間の親睦を図るとされた。
なお、社長の顔見世という役割があるほかには、親睦団体としての権能しかない。
手野産業時代
手野産業時代は、災害時体制を主として、企業間組織の2つがある。
黄金株
手野産業では、創業家である手野家、及び砂賀家の当主がそれぞれ0.5株ずつ保有することになっている。
定款では甲種株券として1株のみ発行されることとなっている。
この黄金株は、株主総会において拒否権を有しており、手野家当主、砂賀家当主の意見が一致した場合に限って、拒否することができるようになっている。
組織図
最終更新:2018年11月07日 22:56