手野総合博物館

手野総合博物館

手野総合博物館は、もともと手野家、砂賀家の所蔵品の保管庫であった。
それを一般に公開し、また研究施設としたことが始まりである。
現在は、一般財団法人手野財団が設置している私立博物館である。
ただし、海外館群については国外にあるということ、図書館部門については図書館法の所管であると手野総合博物館、私立博物館として扱われていない。
このことから、国内に存在する手野総合博物館のうち、図書館部門のみ特異な地位となっているが、一体として取り扱うこととなっている。

目次



概要

手野総合博物館は、手野公園内にある博物館である。
本館新館新々館旧館別館、天文台、図書館、動物園、水族館、植物園、寄附館、軍事館、海上軍事館、航空軍事館、記念船、記念鉄道、記念館、海外館群などがある。
また、関係者のみが立ち入りができる建物として、収蔵館、研究館がある。
手野総合博物館は、廊下でつながっている本館、新館、新々館、旧館、別館の5つを五大館と称している。
この五大館以外は廊下ではつながっておらず、少なくとも一度は外に出る必要がある。
図書館は、本館、別館、第一新館、第二新館、閉鎖図書館、家紋探題がある。
うち、家紋探題以外は廊下でつながっており、家紋探題以外を図書館群と称している。
海外館群は、アメリカ合衆国テックカバナーにあるテック・カバナー館、英国スコットランドの旧アマーダン州内にあるグッディ館の2つを合わせた言い方である。
五大館、図書館群、天文台、動物園、水族館、植物園、寄附館、軍事館陸上部門、一部の記念館については、手野公園内にある。
軍事館海上部門は大阪湾夢洲、軍事館航空部門と宇宙部門は手野空港、記念船は世界中に、さらに記念鉄道は手野公園から手野市街にかけて、さらにテック・カバナー館、グッディ館がそれぞれのところにある。

本館

手野総合博物館本館は、1881年に建築された春雷会収蔵庫がもととなっている。
地上6階地下1階の本館は、春雷会が江戸時代さらにその以前に保管していた文化財や資料を保管、展示、研究するための知の殿堂として建てられた。
コ型をしており、下層の屋根部分の一部をバルコニーとしている段構造をしているため、最上階の面積は1階の面積と比べておおよそ3分の2程度になっている。
焼煉瓦で作られたものではあるが、濃尾地震の際に一部損壊となり、収蔵品のうち半数が修復が必要な状況となった。
このため、耐震工事が行われた結果、煉瓦の一部は漆喰や鉄板によって囲まれたこととなった。
しかし、大きくは変わらず、現在でもその威容をみることができる。
収蔵品の大半は1929年に国宝保存法に基づく旧国宝に指定され、1950年には文化財保護法による重要文化財となった。
一部の文化財は後に国宝とされた。
本館は1996年に登録有形文化財、1999年に重要文化財に指定された。

新館

手野総合博物館新館は、1936年に設計され、1939年に完成した、地上4階地下2階、帝冠様式の建物である。
当時は寄附を受けた文化財や収蔵品の展示、特別展示会の会場として使われた。
明治以来に手野財閥が作成した物品も収蔵されており、手野財団、手野グループの歴史を知るための施設となっている。
ロ型をしている建物であり、本館とは廊下で接続され、そのため新館独自の出入り口は関係者以外立入禁止ということになっている。
廊下は1950年から1955年にかけて造られ、地上1階地下1階によって本館と接続されている。
また本館へ向かう途中から新々館へ向かうための廊下がある。

新々館

手野総合博物館新々館は、2001年に手野グループ21世紀事業の一環として落成した。
廊下によって、新館と本館の間から、あるいは別館と旧館の間から新々館に向かうことができる。
手野総合博物館の収蔵品の中でも、最も貴重なものが展示、収蔵されている。
新々館のみ高度な耐震構造となっており、耐震・制震・免震の3つを組み合わされた建物構造となっている。

旧館

手野総合博物館旧館は、1120年に建立された愛雲寺(あいうんでら)と呼ばれる、郁芳家氏寺の元本堂である。
戦国時代に寺が全焼したものの、その一部は残り、砂賀家屋敷として購入された。
なお、この購入代金により愛雲寺は再興されたが、元本堂は戻ることはなかった。
1800年までに現在の手野市にあたる金元藩の藩邸の一部として、行政の中心として使われた。
手野総合博物館が設立される際、その展示スペースとして使用するために手野公園内に移築。
以後、手野総合博物館旧館として使用され続けている。

別館

手野総合博物館別館は、1791年に建築された手野家俚伝文庫がもととなっている。
明治維新後、春雷会を経て手野財閥の保有となり、手野財団の保有となった。
なお、内部に収蔵されていた手野文庫の収蔵品については、一部の資料を除き、図書館部門に移管され、そちらで保管されている。
別館は地上2階、地下2階で、大きな蔵のような形をしている。
新々館とのみ地下2階にある廊下で接続されている。
この廊下は途中で旧館の地下1階へ向かっており、さらに新々館1階へつながっている。
別館は1930年に国宝保存法による旧国宝に指定された。
1950年に文化財保護法が制定されると重要文化財とされ、1983年に国宝に指定された。


各部門

部門名 (詳細) 内容
博物館部門 手野市の歴史、美術、交通など
手野グループの技術など
美術館部門 明治以降を主とする
日本人による油絵、日本が、水彩画、水墨画など
天文台部門 手野天文台を運営
図書館部門 手野図書館 手野学園図書館を兼務
蔵書数230万冊、内閉架40万
砂賀文庫 平安後期から現代までの砂賀家の貴重書など、蒐集図書館
手野文庫 手野家の貴重書、手野グループの文書など
家紋探題 砂賀家による家紋の調査、審議、系図などのための機関
動物園部門 動物園 世界中の動物を集め展示
海洋、水棲については水族館にて展示
水族館 世界中の海洋生物、水棲生物を集め展示
それら以外の動物については動物園にて展示
植物園 世界中の植物を集め展示
動物園、水族館で使用する植物は植物園において収集する
寄附館部門 手野家、砂賀家以外からの寄付を展示する博物館
資金や物品寄付の芳名板もここに常設される
軍事館部門 陸上部門 手野武装警備を中心とする、戦前から現在に至るまでの陸上兵器などの展示
海上部門 手野武装警備を中心とする、戦前から現在に至るまでの海上兵器などの展示
航空部門 手野武装警備、手野航空を中心とする、戦前から現在に至るまでの航空兵器などの展示
宇宙部門 手野武装警備、手野重工業を中心とする、現在に至るまでの人工衛星、宇宙兵器などの展示
記念館部門 記念船部門 手野船舶等の記念船あるいは記念艦等を公開及び展示
一部の船並びに艦については航行可能な状態とされ、展示航海することがある
記念鉄道部門 手野鉄道等の保存車両等を公開及び展示
大半の車両については走行可能な状態で保存され、展示走行することがある
記念館部門 手野不動産等が保有する建物等を公開及び展示
一部の日を除き、室内の一部を公開及び展示しており、一部の建物については宿泊を受け付けている
顕彰館 手野財団賞を受賞した個人、および法人の検証を行う施設
海外館部門 テック・カバナー館 米国マサチューセッツ州プリマス郡カバナーに所在
テック・カバナー家にまつわるものの他、アメリカの総合博物館として機能している
グッディ館 英国スコットランド地方のアマーダンに所在
グッディ家にまつわるものの他、イギリスの総合博物館として機能している


博物館部門

博物館部門は、美術品を除く、手野市の歴史、文化、自然に焦点を当て、古代から現代にいたるまでの系統展示を行っている。
また、必要により特定のテーマの特別展を実施している。



美術館部門

美術館部門は、手野グループが所有している美術品をはじめとし、手野市や姉妹都市の作家らによる美術品や工芸品を展示している。
また、必要により特定のテーマの特別展を実施している。


天文台部門

天文台部門は、手野天文台を運営し、太陰太陽暦による暦の調製を行っている。
手野天文台は手野公園内にある手野山8合目にあり、手野大型天文台手野中型天文台手野小型天文台の3つの望遠鏡から成る各天文台からできている。

手野大型天文台

手野大型天文台は、望遠鏡2つに観測室、資料展示室などがある。
資料展示を始めとし、定期的に見学会を開いているのは、天文台部門の中では手野大型天文台のみである。

手野中型天文台

手野中型天文台は、望遠鏡1つに観測室などがある。
なお、手野中型天文台は原則として公開されていない。

手野小型天文台

手野小型天文台は、電波望遠鏡による観測を行うことができる。
なお、非定期に手野小型天文台は見学会を開いている。


図書館部門

図書館部門は、手野図書館砂賀文庫手野文庫家紋探題の4つがある。
なお、手野市図書館とは異なる組織である。

手野図書館

手野図書館は、図書館部門の本体となっている施設である。
手野図書館に収められている蔵書は、年々増え続けているが、2019年4月1日時点で、開架図書295万、閉架図書17万ある。
ただし、この冊数には、砂賀文庫、手野文庫、家紋探題のそれぞれの冊数も含められている。
手野図書館は、図書本館、図書別館、図書第一新館、図書第二新館、閉鎖図書館から成り、閉鎖図書館に砂賀文庫並びに手野文庫が収められている。
ただし、閉架図書については図書本館、図書第二新館、並びに閉鎖図書館に分けて管理される。
図書本館は地上3階建て、図書別館は地上5階建て、図書第一新館は地上8階建て、図書第二新館は地上7階地下4階建て、閉鎖図書館は地上4階地下5階建てとなっている。
閉架図書は貸出不可であるが、開架図書はあらかじめ貸出カードを作成することにより図書貸出を行うことができる。
ただし、1人当たり10冊まで、最大2週間となる。
貸出カードは、手野市内に居住するか、あるいは通勤、もしくは通学している者が作成できる。
例外として、手野市が図書貸出に関する協定を結んでいる市町村の住民についても貸出カードを作成し、図書貸出を行うことができる。
閉架図書については、閲覧には閲覧用紙に住所、氏名、電話番号などを記入し、さらに身分証明書を提示する必要がある。
さらに、別に指定している閉架図書については、職員立会、もしくは専用室での閲覧となることがある。
寄附によって収蔵された図書類については、原則として閉架図書として扱われるが、寄付の際に開架図書として扱うように申請することにより、開架図書類として一般の利用に供されることができる。

砂賀文庫

砂賀文庫は、砂賀家が代々伝えてきた文書類の総称である。
以前は砂賀藩における半公設図書館として機能していたものであるが、明治以後、藩校が廃止されると同時に砂賀財閥の傘下の私設図書館となり、さらに戦後に手野グループがその全ての寄附を受け設立された。
旧来は砂賀町に存していたが、1970年代以降に閉鎖図書館が設置されるに伴って、ほぼすべての蔵書が手野図書館閉鎖図書館内に移管された。

手野文庫

手野文庫は、手野家が代々伝えてきた文書類の総称である。
手野家が代々蒐集してきた文書類を、手野財閥の成立とほぼ同時に私設図書館として、さらに戦後に砂賀文庫と合同して手野図書館の一部門として再発足した。
1970年代に閉鎖図書館が設置されるに伴って、手野図書館のそれぞれに分けられて保管されていた手野文庫の文書類は一カ所にまとめられた。

家紋探題

家紋探題は、砂賀藩において1707年から始まった砂賀家中団の証書である鉄小物の証書たる腰章に必要となる家紋を確定させるための機関である。
腰章とは、腰帯に佩び、その者の証としたためで、正式には鉄証書(くろがねしょうしょ)あるいは鉄証(くろがねのあかし)と呼ぶ。
家紋探題が図書部門に分類されているのは、その鉄小物は全て鉄証書冊子に記されており、現在では砂賀町指定文化財となっているためとされる。
また、現在でも機能している機関であり、江戸時代から同じ記録を作成している。
この鉄証書冊子には鉄証書の通し番号、作成年月日、作成時の砂賀家当主の名前、作成先の相手の名前、作成時点の官位官職、その他が書かれいる。
家紋探題はこれ以外にも、砂賀藩、金元藩の藩士その他職員の家紋の調査も行っており、同一の家紋を使っている場合には家紋に手を加える権限も与えられていた。


動物園部門

動物園部門は、動物園水族館植物園の3つがある。
動物園と植物園は隣接しているが、水族館のみ手野公園より少し離れた淀川沿いに立地している。


動物園

動物園は動物部門の中核と位置づけられている。
手野市にある唯一の動物園であり、他の動物園と協力し、種の保存や繁殖などの研究、動態展示、その他を通じて市民一般が学習できるようにしている。
なお、水生生物あるいは両生類の飼育、展示については水族館が担っているため、動物園にはいない。

水族館

水族館は淀川沿いにある。
手野市にある唯一の水族館であり、他の水族館と協力し、種の保存や繁殖などの研究、動態展示、その他を通じて市民一般が学習できるようにしている。
なお、飼育、展示しているのは水生生物あるいは両生類のみである。
主として陸上で生活する生物については、動物園において市域、展示を行う。

植物園

植物園は動物園に隣接して設けられている。
特に手野市内の植生を中心に展示しており、他の植物園と協力し、種の保存などの研究、一般展示、その他を通じて市民一般が学習できるようにしている。
なお、動物園あるいは水族館に対して、その食事用その他のために、植物を提供することがある。


寄附館部門

寄附館部門は、手野公園内にある寄附館を所管している。
寄附館は、手野総合博物館へ寄附をうけた収蔵品を保管、展示、研究、補修などをしている。
玄関に寄附銘板が設置されており、年月日と寄付者の名前が顕彰される。
なお、寄付金銘板もあり、こちらは寄附の金額と寄付者の名前が顕彰される。
ただし、銘板顕彰は、断ることができる。

銘板は10年間は顕彰のため掲示され、それ以後は一定の金額以上の者のみが永久顕彰となり、その金額以下は10年で撤去される。
ただし、最初の年から10年間の間に基準の金額以上となった場合、永久顕彰へと切り替えられる。
寄附は金銭のみの場合は銘板のみとなる。
収蔵品を寄付する場合には、その収蔵品の説明に寄付者の名称を記すことができる。
なお、収蔵品は常に展示されることはなく、おおよそ3か月ごとに入れ替え作業がある。
収蔵品が図書類の場合は、寄附館で受付をしたのち、新規収蔵品として展示が終了後に図書館部門において永続管理される。

寄附館では、収蔵品を分類し、それぞれの部屋ごとに定められたテーマに沿って展示される。
なお、新規収蔵品に限定し、1か月間展示するスペースがある。


軍事館部門

軍事館部門は、陸上部門海上部門航空部門宇宙部門の4部門に分けられている。

陸上部門

軍事館陸上部門は、手野公園内にある。
軍事館部門のうち、手野公園内にあるのは陸上部門の建物のみである。
陸上部門では戦前から戦後にかけての戦車、小火器、重火器の3つの分野に大別したテーマ別展示を行っている。
特に目玉となるのは重火器分野として展示されている国指定重要文化財のカノン砲である。

海上部門

軍事館海上部門は、大阪湾南港にある。
夢洲の半分を占める敷地に、3つの建物がある。
メインとなるのは大阪港手野桟橋に係留されている記念艦「戦艦翠玉」である。
なお戦艦翠玉は国指定重要文化財であり、動態展示とされているために常時観覧することができるとはかぎらない。

航空部門

軍事館航空部門は、宇宙部門とともに手野空港にある。

宇宙部門

軍事館宇宙部門は、航空部門とともに手野空港にある。


記念館部門

記念館部門は記念船部門記念鉄道部門記念館部門の3つ、および手野財団賞関連の顕彰館がある。

記念船部門

記念船部門では、手野グループが有してきた艦船舶のうち、春雷会により選別された艦船舶が展示されている。
一部の艦船舶については、岸壁に固定化する工事を行っており動かすことができない場合がある。

記念鉄道部門

記念鉄道部門は、手野グループあるいは他社が保有し、あるいは製造し、もしくは運行してきた鉄道車両を静態あるいは動態にて保存している。
手野公園内の鉄道においては動態保存している車両に実際に乗ることもできる。
また、手野鉄道の一部の駅において静態保存している車両もあるが、その管理を行っているのは手野総合博物館である。

記念館部門

記念館部門は、手野グループに関連する人物を記念し、その関連の展示を行っている。
春雷会や手野産業の各幹部、手野グループの所属企業のうち手野グループ社長会に属している企業の社長などの来歴などが展示されている。
また、戦前の手野武装社、戦後の手野武装警備の幹部名簿や職員名簿の一部も閲覧できるようになっている。

顕彰館

顕彰館は記念館部門の中でも特異な地位を占めている。
顕彰館では、手野財団賞を受けた個人ならびに法人を顕彰するために設置された。
元々は手野財団賞によって、高松市にある手野球場殿堂資料館、手野市内にある手野サッカー殿堂展示館にそれぞれ展示されており、期間限定で手野公会堂内に顕彰がなされることとなっていた。
2001年1月1日をもって、これらをすべて統合し、手野財団が直営とする顕彰館を設立し、すべての手野財団賞を受賞した個人、ならびに顕彰館にその業績を公開することを承認した法人を顕彰することを目的として設立された。
なお、これらのことから、独立した1部門とすることも考えられたが、最終的には記念館部門の1つとなることとなった。


海外館部門

海外館部門はテック・カバナー館グッディ館の2つがある。

テック・カバナー館

テック・カバナー館は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州カバナーに位置する自然博物館である。
なお、併設される形で、テック・カバナー総合軍事会社総合軍事博物館がある。
これらは手野総合博物館とは相互協力の関係にあるものの、もともと所有品を公開するという意思が少なかったため、大正時代に手野財閥が小規模な陳列館をつくったものが嚆矢となっている。
その後、整備をされつつ、大規模な自然博物館として成立した。
総合軍事博物館は、主にテック・カバナー総合軍事会社が製造、販売している武装品を展示している。
第1次世界大戦、第2次世界大戦の2時代が主な展示対象とされている。
テック・カバナー総合軍事会社の装備品は、1800年代の創業当時からの制服や階級章といった展示もある。

グッディ館

グッディ館は、英国スコットランド地方ダンディ州アマーダンにある科学博物館である。
産業革命以前からのグッディ子爵の歴史や、スコットランド地域の展示が行われている。
なお、グッディ館の庭園は、16世紀ごろの英国貴族の庭園そのままである。
建物もグッディ子爵が14世紀ごろに建てた別荘の一つをそのまま使っている。
なお、2020年1月をもって、グッディ子爵はアマーダン公爵に叙されたが、名称はそのままグッディ館のままとなっている。


組織

手野総合博物館は、管掌範囲が広大になっているため、部門、細分部門、各館、その他といった分類がなされている。
それぞれの部門長がおり、部門長の互選により博物館長が選任される。
また、博物館長の指名により副館長が2名、部門長の内より選任される。
館長 副館長 部門長 副部門長
学芸員長
各部署長
上席学芸員
専門学芸員
職員
学芸員
準職員
学芸員補
図書部門長 副図書部門長
司書長
各部署長
上席司書
専門司書
職員
司書
準職員
司書補
庶務部長 庶務課 総務係
会計係
団体係
寄付係
人事課 人事係
警備係
学芸員係
なお、部門が多岐にわたっているために、4つのグループが構成されている。
グループ内に複数部門がある場合は、属する部門長のうち1名をグループ長とし、副館長輔佐とする。
但し、そのグループ内に副館長あるいは館長がいる場合は、そのグループには副館長輔佐はおかない。
グループは、以下のように設けられる。
第1グループ
博物館部門
美術館部門
天文台部門
動物園部門
第2グループ
図書館部門
第3グループ
寄附館部門
軍事館部門
記念館部門
第4グループ
海外館部門


文化財

手野総合博物館に所蔵されている文化財については、それぞれ各部門ごとに管理されることとなっている。
なお、海外館部門については国内法の所管とならないため、ここには記さない。
文化財は、国指定による国宝、重要文化財、特別史跡、史跡、名勝、重要美術品があり、大阪府指定による有形文化財、有形民俗文化財、史跡、名称、登録文化財、規則指定重要美術品がある。
その他手野市が指定する文化財がある。
文化財は法令により建造物、絵画、彫刻、工芸品、書籍、典籍、古文書、考古資料、歴史資料、その他と分類されており、手野総合博物館においては各部門ごとに、その管理を行っている。
また、手野総合博物館が管理、運営している史跡、登録有形文化財、その他文化財においても、その分類に応じて各部門が管理を行う。

博物館部門

博物館部門が所蔵している文化財は数多くあるため、国宝並びに重要文化財を紹介する。
三十三面真千手観世音菩薩立像
国宝(工芸品)、1930年旧国宝指定、1950年国宝指定
手野市金元寺に伝わる、元は愛雲時の本尊として祀られていた3体の十一面千手観音菩薩である
それぞれ大手が42本、その隙間に958本の小手がある
大手は手の甲に、小手は手のひらにそれぞれ目が掘られており、さらに大手38本はそれぞれ持物を持っている
残り4本はそれぞれ合掌手と宝鉢手をしており、1体で文字通りの千手観音となっている
3体合わせて観音菩薩の33の姿を現しているとされる
金元寺梵鐘
国宝(工芸品)、1930年旧国宝指定、1950年重要文化財指定、2001年国宝指定
手野市金元寺の寺宝として伝わる梵鐘である
全体が黄銅でできており、全面に観音経と南無観世音菩薩と刻まれている
重要文化財指定されるまで実際に撞かれていたため、一部が摩耗している
1100年に鋳造され、その願主として郁芳家当主の銘が刻まれている
なお伝承によれば鋳造している最中に観音菩薩が現れ、梵鐘に入り込んだとあり、このことから観音梵鐘と称されることもある
十一面観音立像
重要文化財(工芸品)、1930年旧国宝指定、1950年重要文化財指定
伽羅を用いた30cm程度の大きさの十一面観音立像である
元々は金元寺に納められたが、戦国時代ごろに大凡寺に納められ、以来大凡寺の所蔵となっている
香木を用いた仏像の作例はあるが、伽羅を用いたものは少ない
作例は国宝である愛雲寺本尊の十一面千手観音菩薩に類似しているが、手は4本のみとなっている
青銅観世音菩薩立像
国宝(工芸品)、1931年旧国宝指定、1950年重要文化財指定
手野市金元寺に収蔵されている観音菩薩立像である
全身が青銅でできており、鋳造され、一部は鋳造後に篆刻されている
また背面に文字が刻まれており、それによって康和2年に郁芳家当主が願主となり、鋳造させたことが分かる
愛雲寺に奉納されたのち、一時期大凡寺に収蔵され、さらに金元寺に収蔵など、幾度となくその所蔵先が入れ替わっている
最終的に金元寺のところに安置されることとなったのは江戸時代に入ってからである
貴賓客用馬車
重要文化財(工芸品)、1933年旧国宝指定、1950年重要文化財指定
手野財閥が気賓客を出迎えるために整備した貴賓客用馬車一式である
明治時代初期にラングマン大公国より技師を呼び国内で調達したもので、現在も使用することができる
なお使用の際には文化庁の許可が必要となっているが、希望する者は後を絶たない
手野市3号古墳出土品
重要文化財(考古資料)、1960年重要文化財指定
1931年に手野市(当時は手野町)で発掘された3号古墳の出土品である
弥生時代中期ごろのものと推定される鉄器類や土器、武具の一括指定を受けている
これらのうち、鉄器は当時、非常に貴重なものであるとされ、埋葬者がこの周辺ではかなりの高位者であったとされる
但し、埋葬者は不明であり、さらに複数人が埋葬されているため、統治者の一族の墓ではないかとされる
袈裟襷文様銅鐸
重要文化財(考古資料)、1983年重要文化財指定
1922年に手野市(当時は大凡町)で発掘された出土品のうち、銅鐸である
弥生時代中期から後期にかけてのものと推定される
大きさは90センチメートル程度であり、比較的大型である
また銅鐸の内部に舌がのこされていたものの、摩耗した形跡がないため、実際に使用されていたかどうかは不明である

美術館部門

美術館部門が所蔵している文化財は数多くあるため、国宝並びに重要文化財を紹介する。
また、重要美術品に認定されている文化財についても併せて紹介する。
太刀 銘初砂(はつすな)
国宝(美術品)、1939年旧国宝指定、1950年重要文化財指定、2010年国宝指定
1200年代初頭に砂賀家に招聘された大和流刀工である鉄流が、招聘後初めて作刀した太刀である
当時の砂賀当主のために造られた太刀であり、一族の護り刀として重用された
以後、当主が交代するたびに造られ続けており、その伝統は今も続いている
太刀 銘一太刀(はじめのたち)
重要美術品、1935年認定
室町末期に鉄(くろがね)氏によって作刀された
その年の最初に作られた、あるいは作刀者の最高傑作だという意味などがあるとされる
漆鉄棒采配
重要美術品、1940年認定

図書館部門

図書館部門が所蔵している文化財のうち、国宝並びに重要文化財を紹介する。
日本書紀
国宝(書跡・典籍)、1960年国宝指定
1000年ごろに郁芳家として写本を行った際のものと推定されている
全24巻並びに附1巻の合計25巻
古事記
国宝(書跡・典籍)、1983年国宝指定
1000年ごろに郁芳家として写本を行った際のものと推定されている
全4巻、上中下の各巻のうち、下つ巻を2つに分け合計4巻としている
八代和歌集
国宝(書跡・典籍)、1940年旧国宝指定、1950年国宝指定
勅撰和歌集のうち古今、御撰、拾遺、御拾遺、金葉、詞花、千載、新古今の8つの勅撰和歌集の写本である
それぞれ15~40巻ごとにまとめられている
仮名序、真名序はそれぞれの和歌集の冒頭にまとめられており、他の写本類には掲載されていない和歌集においても仮名序がある
美作国風土記
国宝(書跡・典籍)、1930年旧国宝指定、1950年国宝指定
旧風土記のうち唯一の完本写本である
郁芳家が950年ごろに現在の砂賀町を統治するようになると同じころに写されたとされる
後に代官として派遣する砂賀家初代当主である砂賀行内が引き継ぎ、以後は砂賀家の所有となる
郁芳文書
国宝(古文書)、1971年重要文化財指定、2001年国宝指定
西暦1000年ごろに当主となった郁芳為貞によりはじめられた郁芳家当主による日記集である
各日の日付、出来事、天候、雑記や仕事の愚痴、他人との話のやり取りがそれぞれ記載されているほか、鶯の初鳴き、梅と桜の初咲、紅葉の日などが記されている
また所領の話が月に1~2回程度記される
為貞が始めて以来、今に至るまで郁芳家当主は同じ内容の日記を書き続けている
砂賀藩明法集録
国宝(古文書)、1965年重要文化財指定、2017年国宝指定
砂賀藩に伝わっていた明法道による判例集である
1338年に守護として砂賀家が成立してから行われてきたほぼすべての民事裁判、刑事裁判の判決集として作成されている
民事裁判の場合はその争いの内容、原告と被告の住所、名前、その判決が記される
刑事裁判の場合はその罪状の内容、被告人の住所、名前、その判決が記される
毎年1月1日から12月31日までを一帙とし、これを10併せて一巻としている
室町時代から江戸時代に至るまでの民衆争議の貴重な資料である
手野家俚伝文書
国宝(古文書)、1968年重要文化財指定、2020年国宝指定
手野総合博物館別館のもととなっている俚伝文庫に所蔵されていた文書集である
金元藩式目録
重要文化財(古文書)、1965年重要文化財指定
金元藩に伝わっていた式目の記録である
鉄砂鍛剣文書(くろすなたんけんもんじょ)
重要文化財(古文書)、1955年重要文化財指定
国宝である太刀銘初砂以来、鉄砂一族が鍛造し続けたほぼすべての刀剣類の記録類である
鉄砂(くろすな)とは鉄(くろがね)一族のうち、砂賀家に招聘された者であり、苗字書出により砂の字を与えられ成立した
砂賀家当主は常に鉄砂が作刀を担当し、他の者については重要人物であれば鉄砂が、他の者については鉄がそれぞれ作刀などを担当することになっていた
文書には、日付、刀の大要、銘などが記載されており、鉄砂あるいは鉄の一族が作刀した刀剣類については調査するための一次資料となっている
なお、重要文化財に指定されているのは明治改元(1868年10月23日)以前のものが対象となっており、以後の同一文書については重要文化財の指定から外されている
大納言補任状
重要文化財(古文書)、2015年重要文化財指定
郁芳家当主が大納言に補任された際に、それぞれ詔書が作成され、それをまとめたものである
重要文化財となったのはその詔書が全て宸筆により作成されたという点である
なぜ宸筆なのかは定かではない
現在、宸筆とされるものが少ない天皇までも含めるため、貴重な資料となっている

動物園部門

動物園部門は天然記念物の研究、飼育、保護などを行っており、これらに併せて展示を行っている。
また、手野財団が管理をしている史跡や名勝といった記念物についても、動物園部門が管理を行っている。
ここでは、飼育している国指定天然記念物あるいは特別天然記念物を記す。
金元馬
1968年天然記念物指定
日本在来馬として最大、大型馬に分類される馬である
旧山砂賀家住宅
1949年史跡指定
1771年に5代目山砂賀の弟が大坂へと来て絹布を販売し、その財で建てた住宅である
金元藩の代官としての地位もあるが陣屋は別にあったため、単なる住宅として建てられた
書院造と寝殿造の折衷形であり、砂賀造と呼ぶこともある
旧手野家住宅が近接しているがこちらは史跡の指定を受けていない
テノホタル
1950年天然記念物指定、2010年特別天然記念物指定
天神梅
2010年天然記念物指定
愛雲桜
2010年天然記念物指定

寄附館部門

寄付館部門が所蔵している文化財は数多くあるため、国宝並びに重要文化財を紹介する。

軍事館部門

軍事館部門について文化財とされているものは少ないが、一部の所蔵品については国宝、重要文化財あるいは重要美術品などの指定や認定を受けている。
鉄甲冑(くろがねかっちゅう)
国宝(工芸品)、1950年重要文化財指定、2000年国宝指定
鉄一族により作成された試製甲冑である
刀として鍛造したが使用されなかった金属を用いて鉄板とし、それらをつなぎ合わせることによって作成されたプレートアーマーである
総重量は50kgにも及び、実戦使用されることはなかったため完品として現在に引き継がれている
なお、使用者としては当時の砂賀家当主を想定したようで、彼に合わせた設計となっている
カノン砲
重要文化財(歴史資料)、1979年重要文化財指定
戦国時代中期に種子島経由で輸入されたらしいカノン砲である
由来書きによれば堺の商人が金元藩に売りに来たという、それを購入し金元陣屋に備えたものである
実戦で使用されたかどうかは不明であるが、弾数や当時の火薬の量から推定するに、おそらく使われたことはないだろうという話である
なお金元藩から砂賀藩へとこのカノン砲の話が持っていかれたものの、砂賀藩では特にこの砲の量産や研究などを行わせることはなかった

記念館部門

記念館部門のうち、文化財として特に著名なのは記念船、記念鉄道の各部門の所蔵品である。
戦艦「TG-BMS-S05-002翠玉」
重要文化財(歴史資料)、2011年重要文化財指定、指定名称は戦艦翠玉である
戦前手野武装社が建造した戦艦のうち現存動態可能なもののうち最古のものである
翠玉は固有名詞、その前の番号は手野武装社並びに手野武装警備が定めている公式の記名法である
なお、翠玉とはエメラルドのことを指す
現在では、大阪府大阪港手野桟橋に係留されているが、動態保存のため、記念日や祭典の際には移動することができる
手野鉄道甲種4号車両
重要文化財(歴史資料)、2003年重要文化財指定
戦前、初めて手野鉄道として製造を行った鉄道車両である
甲種とは旅客車両、4号とはその大きさを表している
なお最小の1号から最大の5号まであった
明治39年に建造され、昭和33年に引退するまでの間、旅客を運び続けた
手野鉄道丙種丸特車両
重要文化財(工芸品)、1971年重要文化財指定
1911年に建造された貴賓客用車両である
グッディ子爵より紹介を受けた技師の指揮により建造された
甲種4号車両とは異なり、明治から大正時代にかけてのモダニズム様式を採用した工芸品としての価値が極めて高いと判断された
その結果重要文化財としての分類は歴史資料ではなく工芸品である
なお、指定名称中「丸特」とあるのは〇に特という字が入った形をしている



入館料

手野総合博物館については、入館料がそれぞれ設定されている。
また、セットで安くなる入館料の組み合わせがある。
なお、手野公園内にある保存鉄道を使用する際の場合のみ運賃と表記される。
団体は20名以上の場合に、予め申請することによって適用される入館料である。
前売りなどの割引入館券を用いる場合は、一般に表示される金額から1割引きとし、100円未満は切り捨てとする。計算の結果、100円を下回る場合は無料とする。
大学生、高校生、中学生、小学生については学生証、生徒証、あるいは児童証などを提示しなければ大人の入館料が適用される。
なお、手野学園に所属する学生、生徒、あるいは児童については、常に団体の入館料が適用される。
海外館部門については、入館料ではなく、施設維持協力金として徴収している。また、テック・カバナー館については米ドル、グッディ館については英ポンドとなっている。
特別展を行う場合、以下の入館料に1000円までの金額が加算される。
部門名 一般 団体
大人(円) 大学生
高校生(円)
中学生
小学生以下(円) 大人(円) 大学生
高校生(円)
中学生
小学生以下(円)
博物館部門 1000 500 無料 800 無料
美術館部門 1000 500 無料 500 無料
天文台部門 500 200 無料 200 無料
図書館部門 無料
動物園 2500 1500 500 2000 1000 無料
水族館 2500 2000 1000 2000 1500 500
植物園 1000 500 無料 500 250 無料
軍事館部門 3000 2000 1000 1500 700 300
記念船部門 2000 1000 無料 1400 600 無料
記念鉄道部門 200
記念館部門 無料
テック・カバナー館(ドル) 10 無料 6 無料
グッディ館(ポンド) 8 無料 5 無料


休館日

手野総合博物館は、共通の休館日とともに、各施設ごとに設定されている休館日がある。
休館日以外にも、時間を短縮して営業する短縮営業日が各館ごとに設定されることもある。
なお、海外館については、展示品入れ替えの時期を除いて、原則年中無休である。

共通休館日

手野総合博物館の共通休館日としては、年末年始の日付がある。
年末年始としては、12月30日から1月4日までが設定されているが、場合によっては12月31日から1月1日となることがある。
また、毎月第2水曜日は共通休館日となる。ただし、当日が祝日の場合はその翌平日が休館日となる。

施設別休館日

手野総合博物館の各施設によっては、休館日が設定されていることがある。
休館日は建物ごとや部門ごとに設定されている。
博物館部門並びに美術館部門のうち特別展を行う部分については、展示品の入れ替え作業のため、特別展の前後については休館となる。
天文台部門については、雨天については天文台の望遠鏡の観測を休止することがある。
軍事館部門並びに記念館部門については、整備が必要なことがあり、そのために休館あるいは展示休止を行うことがある。


歴史


最終更新:2024年03月27日 23:41