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ハンガリー紹介1

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ハンガリー紹介1

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ハンガリークリッカーとの交流を通じてあちらから送られたハンガリーに関する紹介まとめです。
日本クリッカーがハンガリーフォーラムで「どうすればもっとハンガリーについて知ることができますか?」と質問したことに応えてハンガリークリッカーDavid氏が様々な事を紹介してくれました。
そして、日本の事も同様に紹介してほしいという彼の声に応えてできたのが外交スレッド作成の日本紹介文です。

メッセージ

  • 僕はアジアの文化が好きで、ラーメンも作れます。お店で売ってるパッケージ品じゃなくて、台所で沢山の良い具材で作ります。ウマー!

基本リンク


文化


若い未婚の男性が女性に格好よさをアピールして花嫁探しをする祭りのための伝統的な踊りです。ハンガリーでは各地に多様なフォークダンスが存在します。首都よりも地方でさかんですが、近年また見直されて伝統的なダンスを学ぶ人が増えています。



(※訳者注)チョコレートでコーティングされたカードチーズで、赤い水玉模様がトレードマーク。ゲーム初期にハンガリアンクリッカーが作成した日本&ハンガリー友好画像で、マウスに日の丸模様をあしらったものがあった。それを見たハンガリアンの間でこの「トゥーロールディ」に似ている、という話題になり、それを聞いた日本人が「トゥーロールディって何??」と尋ねて一時注目を集めたお菓子。以下に紹介されたポチョスのTVCMはとってもPOPでキュート!  ※こちらのブタペスト在住の方の日本の方が詳しくレポートされてます。

ハンガリーのアニメ

ハンガリーの国民的な古い人形劇。頭が1つなのでという名前。(竜の頭が7つあるのが一般的??)
親切で、優しく、人助けを生きがいにしている竜の物語。

王様には3人の娘がいました。王様は、自分を最も愛している娘に、自分の国の中で一番美しい土地を分け与えようと思いました。「お前たちはどのくらい私を愛しているか」という王様の問いに、3人の娘たちはこう答えました。
長女「私は王様を愛しています、鳩が小麦を愛するように」
次女「私は王様を愛しています、暑い夏に吹くそよ風を愛するように」
末娘「私は王様を愛しています、人々が塩を愛するように」
王様は自分を塩にたとえるとは無礼だと腹を立て、末の娘を国から追放しました。末娘は放浪先で隣国の王子に助けられ、やがて彼と結婚しました。娘の話を聞いた王子は一計を案じ、ある時王様を自分の国に招いて宴会を開きました。王様のもとには次々と豪華な食事が運ばれてきますが、どれもこれも全く塩の味がせずおいしくありません。王様はたまりかねて言いました。「若き王子よ、何故どの食事にも塩が入っていないのですか?」王子は答えました。「どうして?僕はあなたが塩を憎んでいると聞きましたが」王様は驚いて尋ね返しました。「誰があなたにそんな事を言ったのです?!」そこで王子は答えたのです。「あなたの末の娘が。」と。王様はそこで初めて自分の過ちに気付き、末娘を許し、彼女に自分の土地を与えたのでした。

ハンガリーの若者なら誰でも知ってるやんちゃなきつねVukkのアニメ。古いけれど秀作で、楽しいだけでなく若者への人生の教えがたくさん含まれています。

歴史

Mathiasマーチャーシュ王関連

「正義王」 Mathias王 は中世ハンガリーの最盛期を築いたハンガリー人に今も最も愛されている王様です。1000フロリン紙幣の顔にもなってます。
ハンガリーはその歴史の中で何度も他国の侵略を受け、王家の血が途絶えたことがありました。その間貴族によって招かれた他国の王が仮に王座に就いて支配していましたが、貧しい人々はハンガリー人の王こそを心から待ち望んでいました。
マーチャーシュ王の父親は フニャディ将軍 と言って、彼はハンガリーのみならず当時万国共通の英雄でした。オスマン帝国がヨーロッパを大侵略した時に、トランシルヴァニア公フニャディ将軍は敵の1/10の兵力でそれを撃退し、欧州一帯で最も有名な英雄となりました( ベオグラードの戦い )。結局彼の死後ハンガリーは経済的にも長く苦しい時代を味わいましたが、そんな中でマーチャーシュ王は待望のハンガリー人の王として王位につきました。マーチャーシュ王には数々の伝説が残されていますが、身分を隠して民の間で善行を行ったと言われています。(ハンガリーの水戸黄門にたとえられることも。)
ドラキュラのモデルになったヴラド公の悪評を広めたのもマーチャーシュ王です。


トリアノンの悲劇

第一次大戦 時、ハンガリー(オーストリア・ハンガリー帝国)とルーマニアは終戦直前まで同盟国でしたが、敗戦色が濃厚と見るやルーマニアは終戦一週間前という直前に連合国側に寝返りました。そして終戦後戦勝国との間で トリアノン条約 が結ばれ、ハンガリーの土地はそれぞれの戦勝国へと分断されました(面積で72%、人口で64%を失い、約半数の人々が国外に取り残されました)。中でも、ハンガリーの最も大きな部分を占めるトランシルバニアはルーマニアへと与えられました。多くのハンガリー人が非常に悪い状態に置かれ、故郷の土地を二度と踏むことのできない人々が大勢いました。ルーマニアの支配を受けることになりトランシルバニアを捨てハンガリーへ戻った人もいますが、彼らはいまだに望郷の念を持ち続けています。


街の様子



(※以下訳者注)
2006年10月25日に起こったハンガリーの反政府暴動。世界的にもTVでニュース報道されました。1956年に当時ソ連に支配されていたハンガリーで民主化暴動が起こり(革命とも称される)、ソ連はその鎮圧のために15万人の歩兵と2500両もの戦車を投入し、双方に多くの死傷者を出しました。2006年10月25日はその50周年にあたり、国を挙げた記念式典が行われる予定でしたが、ハンガリーの首相ジュルチャーニが選挙時に掲げた減税の公約は嘘であり大増税を行うと発表した為に野党は式典をボイコット、首相の辞任を求めるデモ隊は暴徒化するという大変な一日となりました。式典用に展示品として飾られていた前世紀の遺物である旧ソ連製のT-34/85戦車が暴徒に奪われ、警官に向かって突進する騒ぎも見られました。※ 関連ニュース


(※以下訳者注)
2007年3月17日、イラク戦争開始から5年目の記念日に、世界各国で一斉にでイラク戦争に対する抗議行動が行われました。ワシントン、ハンガリー、スペイン、オーストラリア、ギリシャ、トルコ、キプロス、韓国、チリ、スウェーデン、イラクなどでイラク戦争への抗議行動が行われ、ハンガリーではブタペストの英雄広場で、何千という人びとがロウソクを手にピース・サインをつくりました。※ 関連ニュース

ブタペストの地下鉄の様子

その他

※各国の国旗の下に、もし結果の数字ではなく「Igen」「Nem」「Szavazok」という単語の書かれた投票フォームが表示されている場合は、適当に投票すると結果が見られるはずです。

共有したい、面白い事実があります。今年2月に、ハンガリー政府がアジアから100万の移民を受け入れて、 現在1000万の人口を増加させる計画をしている、といううわさが広まりました。(もともと
ハンガリー人はアジアからきており、また、多くの日本人は私たちが親戚のようなものだと信じていると聞いたことがあります)ハンガリーの大きなポータルサイトであるINDEXでは、このうわさを本当だと信じませんでしたが、ただ、読者の考え方を知るためにどの国からの移民を
歓迎するか、投票を行いました。結果は下記(略)の通りとなりました。(数値は、YES/NO) 見てのとおり、各国のスコアは経済状況とは関係なく、単純にシンパシーのような何かに関連していると思います。ちなみに、この投票はクリックゲーム以前のものですよ。

IRCでハンガリアンが紹介してくれたハンガリーの古代文字。
とても美しいです。HUNTER×HUNTER文字に似てる!?なんていう話も。

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