武田祐吉 たけだ ゆうきち
1886-1958(明治19.5.5-昭和33.3.29)
国文学者。東京都出身。小田原中学の教員を辞し、佐佐木信綱のもとで「校本万葉集」の編纂に参加。1926(昭和元)、国学院大学教授。「万葉集」を中心に上代文学の研究を進め、「万葉集全註釈」(1948-51)に結実させた。著書「上代国文学の研究」「古事記研究―帝紀攷」「武田祐吉著作集」全8巻。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)
◇表紙イラスト:山形県山形市大之越(だいのこし)遺跡出土、環頭大刀の柄頭。『出羽国成立以前の山形』(山形県立博物館、2011.10)より。


もくじ 
校註『古事記』(一〇)武田祐吉


ミルクティー*現代表記版
校註『古事記』(一〇)
  古事記 下つ巻
   六、清寧天皇・顕宗天皇・仁賢天皇
    清寧天皇
    志自牟(しじむ)の新室楽
    歌垣
    顕宗天皇
    仁賢天皇
   七、武烈天皇、以後九代
    武烈天皇
    継体天皇
    安閑天皇
    宣化天皇
    欽明天皇
    敏達天皇
    用明天皇
    崇峻天皇
    推古天皇

オリジナル版
校註『古事記』(一〇)

地名年表人物一覧書籍
難字、求めよ
後記次週予告

※ 製作環境
 ・Macintosh iBook、Mac OS 9.2.2、T-Time 2.3.1
 ・ ポメラ DM100、ソーラーパネル GOAL ZERO NOMAD 7(ガイド10プラス)
※ 週刊ミルクティー*は、JIS X 0213 文字を使用しています。
※ この作品は青空文庫にて校正中です。著作権保護期間を経過したパブリック・ドメイン作品につき、引用・印刷および転載・翻訳・翻案・朗読などの二次利用は自由です。
(c) Copyright this work is public domain.

*凡例
  • ( ):小書き。〈 〉:割り注。
  • 〔 〕:編者もしくは、しだによる注。
  • 一、漢字、かなづかい、漢字の送りは現代表記に改めました。
  •    例、云う → いう / 言う
  •      処  → ところ / 所
  •      有つ → 持つ
  •      這入る → 入る
  •      円く → 丸く
  •      室  → 部屋
  • 一、同音異義の一部のひらがなを、便宜、漢字に改めました。
  •    例、いって → 行って / 言って
  •      きいた → 聞いた / 効いた
  • 一、若干の句読点を改めました。適宜、ルビや中黒や感嘆・疑問符をおぎないました。一部、改行と行頭の字下げを改めました。
  • 一、漢数字の表記を一部、改めました。
  •    例、七百二戸 → 七〇二戸
  •    例、二萬六千十一 → 二万六〇一一
  • 一、ひらがなに傍点は、一部カタカナに改めました。
  • 一、カタカナ漢字混用文は、ひらがな漢字混用文に改めました。
  • 一、和暦にはカッコ書きで西暦をおぎないました。年次のみのばあいは単純な置き換えにとどめ、月日のわかるばあいには陰暦・陽暦の補正をおこないました。
  • 一、「今から○○年前」のような経過年数の表記は改めず、底本のままにしました。和歌・俳句・短歌は五七五(七七)の音節ごとに半角スペースで句切りました。
  • 一、表や図版キャプションなどの組版は、便宜、改めました。
  • 一、書名・雑誌名は『 』、論文名・記事名および会話文は「 」で示しました。
  • 一、差別的表現・好ましくない表現はそのままとしました。

*尺貫・度量衡の一覧
  • 寸 すん  一寸=約3cm。
  • 尺 しゃく 一尺=約30cm。
  • 丈 じょう (1) 一丈=約3m。尺の10倍。(2) 周尺で、約1.7m。成人男子の身長。
  • 歩 ぶ (1) 左右の足を一度ずつ前に出した長さ。6尺。(2) 土地面積の単位。一歩は普通、曲尺6尺平方で、一坪に同じ。
  • 間 けん  一間=約1.8m。6尺。
  • 町 ちょう (1) 一町=10段(約100アール=1ヘクタール)。令制では3600歩、太閤検地以後は3000歩。(2) (「丁」とも書く) 一町=約109m強。60間。
  • 里 り   一里=約4km(36町)。昔は300歩、今の6町。
  • 合 ごう  一合=約180立方cm。
  • 升 しょう 一升=約1.8リットル。
  • 斗 と   一斗=約18リットル。
  • 海里・浬 かいり 一海里=1852m。
  • 尋 ひろ (1) (「広(ひろ)」の意)両手を左右にひろげた時の両手先の間の距離。(2) 縄・水深などをはかる長さの単位。一尋は5尺(1.5m)または6尺(1.8m)で、漁業・釣りでは1.5mとしている。
  • 坪 つぼ 一坪=約3.3平方m。歩(ぶ)。6尺四方。
  • 丈六 じょうろく 一丈六尺=4.85m。



*底本

底本:「古事記」角川文庫、角川書店
   1956(昭和31)年5月20日初版発行
   1965(昭和40)年9月20日20版発行
底本の親本:「眞福寺本」
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1349.html

NDC 分類:164(宗教 / 神話.神話学)
http://yozora.kazumi386.org/1/6/ndc164.html
NDC 分類:210(日本史)
http://yozora.kazumi386.org/2/1/ndc210.html





 校註『古事記』 凡例

  • 一 本書は、『古事記』本文の書き下し文に脚注を加えたもの、および索引からなる。
  • 一 『古事記』の本文は、真福寺本を底本とし、他本をもって校訂を加えたものを使用した。その校訂の過程は、特別の場合以外は、すべて省略した。
  • 一 『古事記』は、三巻にわけてあるだけで、内容については別に標題はない。底本とした真福寺本には、上方に見出しが書かれているが、今それによらずに、新たに章をわけて、それぞれ番号や標題をつけ、これにはカッコをつけて新たに加えたものであることをあきらかにした。また歌謡には、末尾にカッコをして歌謡番号を記し、索引に便にすることとした。


校註『古事記』(一〇)

稗田の阿礼、太の安万侶
武田祐吉(注釈・校訂)

 古事記 下つ巻

  〔六、清寧せいねい天皇・顕宗けんぞう天皇・仁賢天皇〕

   清寧せいねい天皇〕


 御子、白髪しらが大倭根子おおやまとねこの命清寧せいねい天皇〕(一)伊波礼甕栗みかくりの宮(二)にましまして天の下らしめしき。
 この天皇すめらみこと皇后おおぎさきましまさず、御子みこもましまさざりき。かれ御名代みなしろとして白髪部しらがべを定めたまいき。かれ天皇かむあがりましてのち、天の下らすべき御子ましまさず。ここに日継ひつぎ知らしめさん御子を問いて、いち忍歯別おしわけみこの妹、忍海おしぬみ郎女いらつめ、またの名は飯豊いいとよの王、葛城の忍海の高木の角刺つのさしの宮(三)にましましき。

  •  (一)清寧せいねい天皇。
  •  (二)奈良県磯城郡しきぐん
  •  (三)奈良県南葛城郡。

   志自牟新室楽にいむろのうたげ


 ここに山部やまべむらじ小楯おたて針間はりまの国のみこともち(一)さされしときに、その国の人民おおみたから、名は志自牟新室にいむろにいたりてうたげしき。ここにさかりにうたげて酒なかばなるに、次第つぎてをもちてみないき。かれ火焼ひたき小子わらわ二人、かまどたる、その小子わらわどもにわしむ。ここにその一人の小子わらわ汝兄なせまずいたまえ」といえば、その兄も、汝弟おとまずいたまえ」といいき。かくあいゆずるときに、そのつどえる人ども、そのゆずれるさまをわらいき。ここについに兄いおわりて、つぎに弟わんとするときに、ながめごとしたまいつらく、

もの(二)の、わが夫子せこが、取りける、大刀の手上がみに、丹書にかきつけ(三)、その緒には、赤幡あかはた(四)、赤幡たちて見れば、いかくる、山の御尾みおの、竹をき刈り、末押しなびかすなす(五)八弦やつおこと調しらべたるごと(六)、天の下らしびし、伊耶本和気の天皇〔履中天皇〕(七)の御子、市の辺の押歯のみこの、やつこ御末みすえ(八)

 とのりたまいつ。ここにすなわち小楯おたてむらじ、聞きおどろきてとこよりまろびて、そのむろの人どもを追い出して、その二柱の御子を、左右ひだりみぎりのひざのせまつりて、泣き悲しみて、人民どもをつどえて仮宮を作りて、その仮宮にせまつり置きて、駅使はゆまづかいたてまつりき。ここにその御おば飯豊いいとよみこ、聞きよろこばして宮にのぼらしめたまいき。

  •  (一)播磨の国の長官。この物語は、一六八ページ「安康天皇」の「市の辺の押歯の王」の市の辺の忍歯の王の殺された物語のつづきになる。
  •  (二)朝廷に仕える部族。古くは武士にはかぎらない。
  •  (三)大刀たちの柄に赤い画を描き。
  •  (四)赤い織物を切って。
  •  (五)竹の末をおしふせるように。勢いのよい形容。
  •  (六)弦の多いことをひくように。さかんに、の形容。
  •  (七)履中天皇。
  •  (八)われらはその子孫である。

   歌垣うたがき


 かれ天の下らしめさんとせしほどに、平群へぐりおみおや、名は志毘しびの臣、歌垣うたがきに立ちて(一)、その袁祁おけみこと顕宗けんぞう天皇〕よばわんとする美人おとめの手を取りつ。その嬢子おとめは、兎田うだおびとらが女、名は大魚おおおといえり、ここに袁祁の命も歌垣に立たしき。ここに志毘の臣、歌いていいしく、

大宮の おとつ端手はたで(二) すみかたぶけり。〔歌謡番号一〇六〕

 かく歌いて、その歌の末をうときに、袁祁おけの命、歌いたまいしく、

大匠おおたくみ 拙劣おじなみこそ(三) すみかたぶけれ。〔歌謡番号一〇七〕

 ここに志毘の臣、また歌いていいしく、

大君の 心をゆらみ(四)
臣の子の 八重の柴垣
入り立たずあり。〔歌謡番号一〇八〕

 ここに王子、また歌いたまいしく、

潮瀬しおぜ波折なおりを見れば(五)
遊びくる しび端手はたで
妻立てり見ゆ。〔歌謡番号一〇九〕

 ここに志毘の臣、いよよ忿いかりて歌いていいしく、

大君の みこの柴垣、
八節結やふじましまりもとおし(六)
れん柴垣。焼けん柴垣。〔歌謡番号一一〇〕

 ここに王子、また歌いたまいしく、

大魚おおおよし(七) しび(八)海人あまよ、
があれば うらこころこおしけん(九)
しびつくしび(一〇)〔歌謡番号一一一〕

 かく歌いて、かがい明かして(一一)、おのもおのもあらけましつ。あくる旦時あした意祁おけの命〔仁賢天皇〕袁祁おけの命〔顕宗天皇〕、二柱はかりたまわく、「およそ朝廷みかどの人どもは、あしたには朝廷にまいり、昼は志毘がかどにつどう。また、今は志毘かならず寝ねたらん。その門に人もけん。かれ今ならずは、謀りがたけん」とはかりて、すなわちいくさをおこして、志毘の臣が家をかくみてりたまいき。
 ここに二柱の御子たち、おのもおのも天の下をゆずりたまいき。意富祁おおけの命〔仁賢天皇〕(一二)、その弟袁祁おけの命〔顕宗天皇〕にゆずりてのりたまわく、針間はりま志自牟が家に住みしときに、が命名をあらわさざらませば(一三)、さらに天の下知らさん君とはならざらまし。これすでにが命のいさおなり。かれにはあれども、なおみことまず天の下をらしめせ」とのりたまいて、固くゆずりたまいき。かれ、えいなみたまわずて、袁祁おけの命、まず天の下らしめしき。

  •  (一)男女あつまってたがいに歌をかけあう行事に出て。
  •  (二)あちらの出ている所。
  •  (三)大工が下手へただから。
  •  (四)心がゆるいので。
  •  (五)海水の瀬にうちかかる波を見れば。ナヲリは、波がよせてくずれるもの。
  •  (六)多くの小間こまで結んで、結びめぐらしてあるが。
  •  (七)枕詞まくらことば。大きい魚よ。
  •  (八)シビは、マグロの大きいもの。ここは志毘の臣をいう。モリでつくから、シビツクという。
  •  (九)志毘があるので、姫が心中恋しく思われるだろう。
  • (一〇)そのマグロをつく、マグロを。この歌、宣長のりながは、別のときの王子の歌といい、たちばな守部もりべは、志毘の臣の歌だという。
  • (一一)歌をかけあって夜を明かして。
  • (一二)オケの命に同じ。仁賢天皇。元来、この兄弟は、オホ(大)・ヲ(小)を冠する御名になっているので、オケのオも「大」の意である。
  • (一三)あなたが名をあらわさなかったとしたら。

   顕宗けんぞう天皇〕


 伊弉本別いざほわけの王〔履中天皇〕の御子、市の辺の忍歯の王の御子、袁祁おけ石巣別いわすわけの命〔顕宗天皇〕(一)、近つ飛鳥の宮(二)にましまして八歳やとせ天の下らしめしき。この天皇、石木いわきの王の女難波なにわの王にいしかども、御子ましまさざりき。
 この天皇、その父王ちちみこ市の辺の王の御骨みかばねぎたまうときに、淡海おうみの国なるいやしき老媼おみなまい出てもうさく、「王子の御骨をうずみしところは、もはらわれよく知れり。またその御歯もちて知るべし」ともうしき。〈御歯は三枝なす(三)押歯おしは〔八重歯〕にましましき。ここに民をてて、土を掘りて、その御骨みかばねぎて、すなわちその御骨をて、その蚊屋野ひむかしの山に、御陵みはか作りておさめまつりて、韓からふくろ(四)が子どもに、その御陵みはかを守らしめたまいき。しかありてのちに、その御骨を持ちのぼりたまいき。かれかえりのぼりまして、その老媼おみなを召して、その見失わず、さだかにその地を知れりしことをほめて、置目おきめ老媼おみな(五)という名をたまいき。よりて宮の内に召し入れて、あつくひろく恵みたまう。かれその老媼おみなの住む屋をば、宮の近く作りて、日ごとにかならず召す。かれ大殿の戸にぬりて(六)をかけて、その老媼おみなを召したまうときは、かならずそのぬりてを引き鳴らしたまいき。ここに御歌みうたよみしたまえる、その歌、

浅茅原あさぢはら 小谷おだにをすぎて(七)
百伝ももづた(八) ぬてゆらくも。
置目らしも。〔歌謡番号一一二〕

 ここに置目の老媼おみないたく老いにたれば、本つ国に退まからんとおもう」ともうしき。かれもうせるまにまに、退まかりしときに天皇見送りて歌よみしたまいしく、

置目もや(九) 淡海の置目、
明日よりは み山がくりて
見えずかもあらん。〔歌謡番号一一三〕

 はじめ天皇、わざわいにあいて逃げまししときに、その御粮みかれいりし猪甘いかい老人おきなぎたまいき。ここにぎ得てび上げて、飛鳥河あすかがわの河原にりて、みなそのやからどものひざの筋を断ちたまいき。ここをもちて今にいたるまで、その子孫こども倭にのぼる日、かならずおのずからあしなえくなり。かれそのおきな所在ありかをよく見しめき。かれそこを志米須(一〇)という。
 天皇、その父王ちちみこを殺したまいし大長谷おおはつせの天皇〔雄略天皇〕(一一)を深くうらみまつりて、その御霊みたま(一二)むくいんと思おしき。かれその大長谷の天皇の御陵みはかやぶらんと思おして、人をつかわすときに、その同母兄いろせ意祁おけの命もうしてもうさく、「この御陵みはかやぶらんには、あだし人を遣わすべからず。もはらあれみずから行きて、大君の御心のごとやぶりてまい出む」ともうしたまいき。ここに天皇、「しからば命のまにまにいでませ」とりたまいき。ここをもちて意祁おけの命、みずから下りいでまして、その御陵みはかかたえをすこし掘りて還りのぼらして、復奏かえりごとしてもうさく、「すでに掘りやぶりぬ」ともうしたまいき。ここに天皇、その早くかえりのぼりませることをあやしみまして、如何いかさまやぶりたまいつる」と詔りたまえば、答えてもうさく、「その御陵みはかかたえの土をすこし掘りつ」ともうしたまいき。天皇詔りたまわく、父王ちちみこあだむくいまつらんと思えば、かならずその御陵みはかをことごとにやぶりなんを。なにとかもすこしく掘りたまいつる」と詔りたまいしかば、答えてもうさく、しかしつるゆえは、父王のあだを、その御霊みたまむくいんと思おすは、まことにことわりなり。しかれどもその大長谷の天皇は、父のあだにはあれども、かえりては(一三)わが従父おじ(一四)にまし、また天の下らしめしし天皇にますを、今ひとえに父のあだという志を取りて、天の下らしめしし天皇の御陵みはかをことごとにやぶりなば、後の人かならずそしりまつらん。ただ、父王のあだは、むくいずはあるべからず。かれその御陵みはかの辺をすこしく掘りつ。すでにかくはずかしめまつれば、後の世に示すにもたりなん」と、かくもうしたまいしかば、天皇、答え詔りたまわく、「こもいとことわりなり。みことのごとくてし」と詔りたまいき。かれ天皇、かむあがりまして、すなわち意富祁おおけの命、天つ日継ひつぎ知らしめき。
 天皇、御年三十八歳みそじまりやつ八歳やとせ天の下らしめしき。御陵はかは片岡の石坏いわつきの岡(一五)の上にあり。

  •  (一)顕宗天皇。
  •  (二)大阪府南河内郡。
  •  (三)先が三つにわかれた大きい歯であった。
  •  (四)一六八ページ「安康天皇」の「市の辺の押歯の王」に出た佐佐紀の山の君の祖。
  •  (五)見ておいたおばあさん。
  •  (六)大形の鈴。
  •  (七)浅茅あさぢの原や谷をすぎて。さまざまの地形を通って。
  •  (八)方々伝わって。
  •  (九)置目とよびかける語法。モヤは感動の助詞。この句、『日本書紀』に「置目もよ」
  • (一〇)所在不明。
  • (一一)雄略天皇。
  • (一二)すでに崩ぜられたのでかくいう。
  • (一三)また考えれば。
  • (一四)雄略天皇と押歯の王とは仁徳天皇の孫で従兄弟いとこであり、仁賢・顕宗けんぞうの両天皇からは、雄略天皇は父のいとこにあたる。
  • (一五)奈良県北葛城郡。

   仁賢にんけん天皇〕


 袁祁おけみこの兄、意富祁おおけの王〔仁賢天皇〕(一)いそかみ広高ひろたかの宮(二)にましまして天の下らしめしき。天皇、大長谷おおはつせ若建わかたけの天皇〔雄略天皇〕の御子、春日の大郎女おおいらつめいて生みませる御子、高木の郎女いらつめ、つぎにたからの郎女、つぎに久須毘くすびの郎女、つぎに手白髪たしらがの郎女、つぎに小長谷おはつせ若雀わかさざきの命、つぎに真若まわかの王。また丸邇わに日爪ひのつまの臣が女、ぬか若子わくご郎女いらつめいて生みませる御子、春日の小田おだの郎女。この天皇の御子たち、あわせて七柱。このうち、小長谷の若雀わかさざきの命〔武烈天皇〕は天の下らしめしき。

  •  (一)仁賢天皇。この天皇の記事には御陵のことがない。これから以下は、物語の部分がなく、帝紀ていき』の原形に近いようである。
  •  (二)奈良県山辺郡。

  〔七、武烈ぶれつ天皇、以後九代〕

   〔武烈天皇〕


 小長谷おはつせ若雀わかさざきの命〔武烈天皇〕(一)、長谷の列木なみきの宮(二)にましまして八歳やとせ天の下らしめしき。この天皇、太子ひつぎのみこましまさず。かれ御子代みこしろとして小長谷部おはつせべを定めたまいき。御陵みはかは片岡の石坏いわつきの岡(三)にあり。天皇すでにかむあがりまして、日続ひつぎ知らしめすべき王ましまさず。かれ品太ほんだの天皇〔応神天皇〕(四)五世いつつぎみこ(五)袁本杼おおどの命を近つ淡海の国よりのぼりまさしめて、手白髪たしらがの命にあわせて、天の下をさずけまつりき。

  •  (一)武烈天皇。
  •  (二)奈良県磯城郡。
  •  (三)奈良県北葛城郡。
  •  (四)応神天皇。
  •  (五)オホホドの王の系統であるが、『古事記』『日本書紀』にはその系譜は記されない。ただ、『釈日本紀』に引いた『上宮記じょうぐうき』という今日ほろんだ書にだけその系譜が見える。応神天皇―若野毛二俣の王―意富富杼の王―宇非おいの王―彦大人の王―袁本杼おおどの王。

   〔継体天皇〕


 品太ほんだみこの五世の孫袁本杼おおどの命〔継体天皇〕(一)伊波礼玉穂たまほの宮(二)にましまして天の下らしめしき。天皇三尾みおの君らが祖、名は若比売にいて生みませる御子、大郎子おおいらつこ、つぎに出雲の郎女いらつめ〈二柱〉。また尾張の連らが祖、おおしむらじが妹、目子めこの郎女にいて生みませる御子、広国押建金日ひろくにおしたけかなひの命〔安閑天皇〕、つぎに建小たけお広国押楯の命〈二柱〉。また意富祁おおけの天皇の御子、手白髪しらの命〈こは大后にます。いて生みませる御子、天国押波流岐広庭あめくにおしはるきひろにわの命〈一柱〉。また息長おきなが真手まての王が女、麻組おくみ郎女いらつめいて生みませる御子、佐佐宜ささげの郎女〈一柱〉。また坂田の大俣おおまたの王が女、黒比売くろひめいて生みませる御子、神前かむさきの郎女、つぎに茨田うまらたの郎女、つぎに白坂しらさか活目いくめ子の郎女、つぎに小野おのの郎女、またの名は長目ながめ比売〈四柱〉(三)。また三尾みおの君加多夫が妹、やまと比売にいて生みませる御子、大郎女おおいらつめ、つぎに丸高まろたかの王、つぎにみみの王、つぎに赤比売の郎女〈四柱〉。また阿部の波延はえ比売にいて生みませる御子、若屋わかやの郎女、つぎに都夫良つぶらの郎女、つぎに阿豆あづの王〈三柱〉。この天皇の御子たち、あわせて十九王とおまりここのはしら〈男王七柱、女王十二柱。このうち、天国押波流岐広庭あめくにおしはるきひろにわの命〔欽明天皇〕は天の下らしめしき。つぎに広国押建金日ひろくにおしたけかなひの命〔安閑天皇〕も天の下らしめしき。つぎに建小広国押楯たけおひろくにおしたての命宣化せんか天皇〕も天の下らしめしき。つぎに佐佐宜ささげの王は、伊勢の神宮をいつきまつりたまいき。この御世に、竺紫つくしの君石井いわい(四)、天皇の命に従わずしていや無きこと多かりき。かれ物部もののべ荒甲あらかい大連おおむらじ大伴おおとも金村かなむらむらじ二人をつかわして、石井をらしめたまいき。
 天皇、御年四十三歳よそじまりみつ丁未ひのとひつじの年四月九日、かむあがりたまいき。御陵みはかは三島の藍の陵(五)なり。

  •  (一)継体天皇。
  •  (二)奈良県磯城郡。
  •  (三)つぎに茨田の郎女いらつめ以下、底本に「次田郎女いらつめ次田郎女いらつめ次白坂沽日子郎女いらつめ次野郎女いらつめ亦名長目比売、二柱」とあり、『古事記伝』に「次茨田郎女いらつめ次馬来田郎女いらつめ三柱、又娶茨田連小望之女関比売生御子茨田大郎女おおいらつめ次白坂活日子郎女いらつめ次小野郎女いらつめ亦名長目比売三柱」とする。
  •  (四)福岡県久留米市の付近にいた豪族。
  •  (五)大阪府三島郡。

   安閑あんかん天皇〕


 御子広国押建金日ひろくにおしたけかなひの王〔安閑天皇〕(一)まがり金箸かなはしの宮(二)にましまして、天の下らしめしき。この天皇、御子ましまさざりき。乙卯きのとうの年三月十三日、かむあがりたまいき。御陵みはかは河内の古市ふるちの高屋の村(三)にあり。

  •  (一)安閑天皇。
  •  (二)奈良県高市郡。
  •  (三)大阪府南河内郡。

   宣化せんか天皇〕


 いろと建小広国押楯たけおひろくにおしたての命〔宣化天皇〕(一)檜�fひのくま廬入野いおりのの宮(二)にましまして、天の下らしめしき。天皇、意祁の天皇の御子、橘の中比売の命にいて生みませる御子、石比売いしひめの命、つぎに小石おいし比売の命、つぎに倉の若江の王、また河内かわち若子わくご比売にいて生みませる御子、の王、つぎに恵波えはの王。この天皇の御子たちあわせて五王いつはしら〈男王三柱、女王二柱。かれ火の穂の王は、志比陀の君が祖なり(三)。恵波の王は、韋那の君、多治比の君が祖なり。

  •  (一)宣化天皇。この天皇の記事にも、御陵のことがない。
  •  (二)奈良県高市郡。
  •  (三)欽明天皇。この天皇の記事にも、御陵のことがない。

   欽明きんめい天皇〕


 弟天国押波流岐広庭あめくにおしはるきひろにはの天皇〔欽明天皇〕師木島しきしまの大宮(一)にましまして天の下らしめしき。この天皇、檜�fひのくまの天皇(二)の御子、石比売の命にいて生みませる御子、八田やたの王、つぎに沼名倉太玉敷ぬなくらふとたましきの命〔敏達天皇〕、つぎに笠縫かさぬいの王〈三柱〉。またその弟小石おいし比売の命にいて生みませる御子、かみの王〈一柱〉。また春日の日爪ひつまの臣が女、糠子ぬかこ郎女いらつめいて生みませる御子、春日の山田の郎女いらつめ、つぎに麻呂古まろこの王、つぎに宗賀そがの倉の王〈三柱〉。また宗賀の稲目いなめの宿祢の大臣が女、岐多斯きたし比売にいて生みませる御子、橘の豊日とよひの命〔用明天皇〕、つぎに妹石�fいわくまの王、つぎに足取あとりの王、つぎに豊御気炊屋とよみけかしぎや比売の命、つぎにまた麻呂古の王、つぎに大宅おおやけの王、つぎに伊美賀古の王、つぎに山代の王、つぎに妹大伴おおともの王、つぎに桜井のゆみはりの王、つぎに麻怒の王、つぎに橘の本の若子わくごの王、つぎに泥杼ねどの王〈十三柱。また岐多志きたし比売の命がおば小兄おえ比売にいて生みませる御子、馬木うまきの王、つぎに葛城の王、つぎに間人はしひと穴太部あなほべの王、つぎに三枝部さきくさべの穴太部の王、またの名は須売伊呂杼、つぎに長谷部はつせべ若雀わかさざきの命〔崇峻天皇〕〈五柱〉。およそこの天皇の御子たちあわせて二十五王はたちまりいつはしら、このうち、沼名倉太玉敷の命〔敏達天皇〕は天の下らしめしき。つぎに橘の豊日の命〔用明天皇〕も天の下らしめしき。つぎに豊御気炊屋比売の命〔推古天皇〕も天の下らしめしき。つぎに長谷部の若雀わかさざきの命〔崇峻天皇〕も天の下らしめしき。あわせて四王よはしら天の下らしめしき。

  •  (一)奈良県磯城郡。この皇居の地名から、しき島の大和というようになった。
  •  (二)宣化せんか天皇。

   敏達びだつ天皇〕


 御子沼名倉太玉敷ぬなくらふとたましきの命〔敏達天皇〕(一)他田おさだの宮(二)にましまして、一十四歳とおまりよとせ、天の下らしめしき。この天皇、庶妹ままいも豊御食炊屋とよみけかしぎや比売の命〔推古天皇〕いて生みませる御子、静貝しずかいの王、またの名は貝鮹かいだこの王、つぎに竹田の王、またの名は小貝おがいの王、つぎに小治田おわりだの王、つぎに葛城の王、つぎに宇毛理うもりの王、つぎに小張おわりの王、つぎに多米の王、つぎに桜井のゆみはりの王〈八柱〉。また伊勢の大鹿おおかおびとが女、小熊おくま子の郎女いらつめいて生みませる御子、布斗ふと比売の命、つぎに宝の王、またの名は糠代ぬかで比売の王〈二柱〉。また息長真手おきながまての王が女、比呂ひろ比売の命にいて生みませる御子、忍坂おさか日子人ひこひと太子みこのみこと、またの名は麻呂古の王、つぎに坂騰さかのぼりの王、つぎに宇遅うじの王〈三柱〉。また春日のなか若子わくごが女、老女子おみ郎女いらつめいて生みませる御子、難波の王、つぎに桑田の王、つぎに春日の王、つぎに大俣おおまたの王〈四柱〉。この天皇の御子たちあわせて十七王とおまりななはしらのうちに、日子人ひと太子みこのみこと庶妹ままいも田村の王、またの名は糠代ぬかで比売の命にいて生みませる御子、岡本の宮にましまして天の下らしめしし天皇舒明じょめい天皇〕(三)、つぎに中つ王、つぎに多良たらの王〈三柱〉。またあやの王が妹、大俣の王にいて生みませる御子、智奴ちぬの王、つぎに妹桑田の王〈二柱〉。また庶妹ゆみはりの王にいて生みませる御子、山代やましろの王、つぎに笠縫かさぬいの王〈二柱〉。あわせて七王ななはしら甲辰きのえたつの年四月六日、かむあがりたまいき。御陵みはかは川内の科長しなが(四)にあり。

  •  (一)敏達天皇。
  •  (二)奈良県磯城郡。
  •  (三)舒明天皇。この即位のことは、『古事記』の記事中もっとも新しい事実である。
  •  (四)大阪府南河内郡。

   用明ようめい天皇〕


 弟たちばな豊日とよひの命〔用明天皇〕(一)、池の辺の宮(二)にましまして、三歳天の下らしめしき。この天皇、稲目いなめの大臣が女、意富芸多志比売にいて生みませる御子、多米ための王〈一柱〉。また庶妹間人はしひと穴太部あなほべの王にいて生みませる御子、うえの宮の厩戸うまやど豊聡耳とよとみみの命〔聖徳太子〕(三)、つぎに久米くめの王、つぎに植栗えくりの王、つぎに茨田うまらたの王〈四柱〉。また当麻たぎま倉首くらびと比呂ひろが女、いいの子にいて生みませる御子、当麻の王、つぎにいも須賀志呂古郎女いらつめ〈二柱〉
 この天皇丁未ひのとひつじの年四月十五日、かむあがりたまいき。御陵みはか石寸いわれの池の上(四)にありしを、のちに科長しながの中の陵にうつしまつりき。

  •  (一)用明天皇。
  •  (二)奈良県磯城郡。
  •  (三)聖徳太子。
  •  (四)奈良県磯城郡。

   崇峻すしゅん天皇〕


 弟長谷部はつせべ若雀わかさざきの天皇〔崇峻天皇〕(一)倉椅くらはし柴垣しばかきの宮(二)にましまして、四歳よとせ天の下らしめしき。壬子みずのえねの年十一月十三日、かむあがりたまいき。御陵みはか倉椅くらはしの岡の上(三)にあり。

  •  (一)崇峻天皇。
  •  (二)奈良県磯城郡。
  •  (三)同前。

   推古すいこ天皇〕


 いも豊御食炊屋とよみけかしぎや比売(一)の命〔推古天皇〕小治田おわりだの宮(二)にましまして、三十七歳みそとせまりななとせ天の下らしめしき。戊子つちのえねの年三月十五日癸丑みずのとうしの日、かむあがりたまいき。御陵みはかは大野の岡の上(三)にありしを、のちに科長しながの大陵(四)にうつしまつりき。

  •  (一)推古天皇。
  •  (二)奈良県高市郡。
  •  (三)奈良県宇陀郡。
  •  (四)大阪府南河内郡。

古事記 下つ巻



底本:「古事記」角川文庫、角川書店
   1956(昭和31)年5月20日初版発行
   1965(昭和40)年9月20日20版発行
底本の親本:「眞福寺本」
※底本は校注が脚註の形で配置されています。このファイルでは校註者が追加した標題ごとに、書き下し文、校注の順序で編成しました。
※(一)〜(五五)は注釈番号です。底本では、直前の文字の右横に、ルビのように漢数字のみ付いています。このファイルでは本文の漢数字との混同を避けるため(漢数字)で表しました。
〔 〕は底本の親本にはないもので、校註者が補った箇所を表します。
※頁数を引用している箇所には校註者が追加した標題を注記しました。
入力:川山隆
校正:しだひろし
YYYY年MM月DD日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。



校註『古事記』(一〇)

稗田の阿礼、太の安万侶
武田祐吉注釈校訂

-------------------------------------------------------
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)上《かみ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)神|蕃息《はんそく》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「二点しんにょう+貌」、第3水準1-92-58]
-------------------------------------------------------


[#1字下げ]古事記 下つ卷[#「古事記 下つ卷」は大見出し]

[#3字下げ]〔六、清寧天皇・顯宗天皇・仁賢天皇〕[#「〔六、清寧天皇・顯宗天皇・仁賢天皇〕」は中見出し]

[#5字下げ]〔清寧天皇〕[#「〔清寧天皇〕」は小見出し]
 御子、白髮《しらが》の大倭根子《おほやまとねこ》の命(一)、伊波禮《いはれ》の甕栗《みかくり》の宮(二)にましまして、天の下治らしめしき。
 この天皇、皇后ましまさず、御子もましまさざりき。かれ御名代として、白髮部《しらがべ》を定めたまひき。かれ天皇|崩《かむあが》りまして後、天の下治らすべき御子ましまさず。ここに日繼知らしめさむ御子を問ひて、市の邊の忍齒別《おしはわけ》の王の妹、忍海《おしぬみ》の郎女、またの名は飯豐《いひとよ》の王、葛城の忍海の高木の角刺《つのさし》の宮(三)にましましき。

(一) 清寧天皇。
(二) 奈良縣磯城郡。
(三) 奈良縣南葛城郡。

[#5字下げ]〔志自牟の新室樂〕[#「〔志自牟の新室樂〕」は小見出し]
 ここに山部《やまべ》の連《むらじ》小楯《をたて》、針間《はりま》の國の宰《みこともち》(一)に任《よ》さされし時に、その國の人民《おほみたから》名は志自牟《しじむ》が新室に到りて樂《うたげ》しき。ここに盛《さかり》に樂《うた》げて酒|酣《なかば》なるに、次第《つぎて》をもちてみな※[#「にんべん+舞」、第4水準2-3-4]ひき。かれ火|燒《たき》の小子《わらは》二人、竈《かまど》の傍《へ》に居たる、その小子どもに※[#「にんべん+舞」、第4水準2-3-4]はしむ。ここにその一人の小子、「汝兄《なせ》まづ※[#「にんべん+舞」、第4水準2-3-4]ひたまへ」といへば、その兄も、「汝弟《なおと》まづ※[#「にんべん+舞」、第4水準2-3-4]ひたまへ」といひき。かく相讓る時に、その會《つど》へる人ども、その讓れる状《さま》を咲《わら》ひき。ここに遂に兄※[#「にんべん+舞」、第4水準2-3-4]ひ訖りて、次に弟※[#「にんべん+舞」、第4水準2-3-4]はむとする時に、詠《ながめごと》したまひつらく、
[#ここから2字下げ]
物《もの》の部《ふ》(二)の、わが夫子《せこ》が、取り佩《は》ける、大刀の手上《たがみ》に、丹書《にか》き著け(三)、その緒には、赤幡《あかはた》を裁ち(四)、赤幡たちて見れば、い隱る、山の御尾の、竹を掻き苅り、末押し靡かすなす(五)、八絃《やつを》の琴を調《しら》べたるごと(六)、天の下|治《し》らし給《た》びし、伊耶本和氣《いざほわけ》の天皇(七)の御子、市の邊の押齒の王《みこ》の、奴《やつこ》、御末《みすゑ》(八)。
[#ここで字下げ終わり]
 とのりたまひつ。ここにすなはち小楯の連聞き驚きて、床《とこ》より墮ち轉《まろ》びて、その室の人どもを追ひ出して、その二柱の御子を、左右《ひだりみぎり》の膝の上《へ》に坐《ま》せまつりて、泣き悲みて、人民どもを集へて、假宮を作りて、その假宮に坐《ま》せまつり置きて、驛使《はゆまづかひ》上りき。ここにその御|姨《をば》飯豐《いひとよ》の王、聞き歡ばして、宮に上《のぼ》らしめたまひき。

(一) 播磨の國の長官。この物語は、一六八頁[#「一六八頁」は「安康天皇」の「市の邊の押齒の王」]の市の邊の忍齒の王の殺された物語の續きになる。
(二) 朝廷に仕える部族。古くは武士には限らない。
(三) 大刀の柄に赤い畫をかき。
(四) 赤い織物を切つて。
(五) 竹の末をおし伏せるように。勢いのよい形容。
(六) 絃の多い琴をひくように。さかんにの形容。
(七) 履中天皇。
(八) われらはその子孫である。

[#5字下げ]〔歌垣〕[#「〔歌垣〕」は小見出し]
 かれ天の下治らしめさむとせしほどに、平群《へぐり》の臣が祖《おや》、名は志毘《しび》の臣、歌垣《うたがき》に立ちて(一)、その袁祁《をけ》の命の婚《よば》はむとする美人《をとめ》の手を取りつ。その孃子は、菟田《うだ》の首《おびと》等が女、名は大魚《おほを》といへり、ここに袁祁の命も歌垣に立たしき。ここに志毘の臣歌ひて曰ひしく、
[#ここから2字下げ]
大宮の をとつ端手《はたで》(二) 隅《すみ》傾《かたぶ》けり。  (歌謠番號一〇六)
[#ここで字下げ終わり]
 かく歌ひて、その歌の末を乞ふ時に、袁祁の命歌ひたまひしく、
[#ここから2字下げ]
大匠《おほたくみ》 拙劣《をぢな》みこそ(三) 隅傾けれ。  (歌謠番號一〇七)
[#ここで字下げ終わり]
 ここに志毘の臣、また歌ひて曰ひしく、
[#ここから2字下げ]
大君の 心をゆらみ(四)、
臣の子の 八重の柴垣
入り立たずあり。  (歌謠番號一〇八)
[#ここで字下げ終わり]
 ここに王子また歌ひたまひしく、
[#ここから2字下げ]
潮瀬《しほぜ》の 波折《なをり》を見れば(五)、
遊び來る 鮪《しび》が端手《はたで》に
妻立てり見ゆ。  (歌謠番號一〇九)
[#ここで字下げ終わり]
 ここに志毘の臣、いよよ忿りて歌ひて曰ひしく、
[#ここから2字下げ]
大君の 王《みこ》の柴垣、
八節結《やふじま》り 結《しま》りもとほし(六)
截《き》れむ柴垣。燒けむ柴垣。  (歌謠番號一一〇)
[#ここで字下げ終わり]
 ここに王子また歌ひたまひしく、
[#ここから2字下げ]
大魚《おふを》よし(七) 鮪《しび》衝《つ》く(八)海人《あま》よ、
其《し》があれば うら戀《こほ》しけむ(九)。
鮪衝く鮪(一〇)。  (歌謠番號一一一)
[#ここで字下げ終わり]
 かく歌ひて、鬪《かが》ひ明して(一一)、おのもおのも散《あら》けましつ。明くる旦時《あした》、意祁《おけ》の命、袁祁《をけ》の命二柱|議《はか》りたまはく、「およそ朝廷《みかど》の人どもは、旦《あした》には朝廷に參り、晝は志毘が門《かど》に集《つど》ふ。また今は志毘かならず寢ねたらむ。その門に人も無けむ。かれ今ならずは、謀り難けむ」とはかりて、すなはち軍を興して、志毘の臣が家を圍《かく》みて、殺《と》りたまひき。
 ここに二柱の御子たち、おのもおのも天の下を讓りたまひき。意富祁《おほけ》の命(一二)、その弟袁祁の命に讓りてのりたまはく、「針間《はりま》の志自牟《しじむ》が家に住みし時に、汝《な》が命名を顯はさざらませば(一三)、更に天の下知らさむ君とはならざらまし。これ既に汝《な》が命の功《いさを》なり。かれ吾、兄にはあれども、なほ汝が命まづ天の下を治らしめせ」とのりたまひて、堅く讓りたまひき。かれえ辭《いな》みたまはずて、袁祁の命、まづ天の下治らしめしき。

(一) 男女あつまつて互に歌をかけあう行事に出て。
(二) あちらの出ている所。
(三) 大工が下手だから。
(四) 心がゆるいので。
(五) 海水の瀬にうちかかる波を見れば。ナヲリは、波がよせてくずれるもの。
(六) 多くの小間で結んで、結び※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]らしてあるが。
(七) 枕詞。大きい魚よ。
(八) シビは、マグロの大きいもの。ここは志毘の臣をいう。モリで突くから、シビツクという。
(九) 志毘があるので、姫が心中戀しく思われるだろう。
(一〇) その鮪を突く、鮪を。この歌、宣長は、別の時の王子の歌といい、橘守部は、志毘の臣の歌だという。
(一一) 歌をかけ合つて夜を明かして。
(一二) オケの命に同じ。仁賢天皇。元來、この兄弟は、オホ(大)、ヲ(小)を冠する御名になつているので、オケのオも大の意である。
(一三) あなたが名を顯さなかつたとしたら。

[#5字下げ]〔顯宗天皇〕[#「〔顯宗天皇〕」は小見出し]
 伊弉本別《いざほわけ》の王の御子、市の邊の忍齒の王の御子、袁祁《をけ》の石巣別《いはすわけ》の命(一)、近つ飛鳥の宮(二)にましまして、八歳《やとせ》天の下治らしめしき。この天皇、石木《いはき》の王の女難波の王に娶ひしかども、御子ましまさざりき。
 この天皇、その父王市の邊の王の御骨《みかばね》を求《ま》ぎたまふ時に、淡海《あふみ》の國なる賤しき老媼《おみな》まゐ出て白さく、「王子の御骨を埋みし所は、もはら吾よく知れり。またその御齒もちて知るべし」とまをしき。[#割り注]御齒は三枝なす(三)押齒に坐しき。[#割り注終わり]ここに民を起《た》てて、土を掘りて、その御骨を求ぎて、すなはちその御骨を獲て、その蚊屋野の東《ひむかし》の山に、御陵作りて葬《をさ》めまつりて、韓※[#「代/巾」、第4水準2-8-82]《からふくろ》(四)が子どもに、その御陵を守らしめたまひき。然ありて後に、その御骨を持ち上《のぼ》りたまひき。かれ還り上りまして、その老媼を召して、その見失はず、さだかにその地を知れりしことを譽めて、置目《おきめ》の老媼《おみな》(五)といふ名を賜ひき。よりて宮の内に召し入れて、敦《あつ》く廣く惠みたまふ。かれその老媼の住む屋をば、宮の邊《へ》近く作りて、日ごとにかならず召す。かれ大殿の戸に鐸《ぬりて》(六)を掛けて、その老媼を召したまふ時は、かならずその鐸《ぬりて》を引き鳴らしたまひき。ここに御歌よみしたまへる、その歌、
[#ここから2字下げ]
淺茅原 小谷《をだに》を過ぎて(七)、
百傳ふ(八) 鐸《ぬて》搖《ゆら》くも。
置目|來《く》らしも。  (歌謠番號一一二)
[#ここで字下げ終わり]
 ここに置目の老媼、「僕いたく老いにたれば、本つ國に退《まか》らむとおもふ」とまをしき。かれ白せるまにまに、退《まか》りし時に天皇見送りて歌よみしたまひしく、
[#ここから2字下げ]
置目もや(九) 淡海の置目、
明日よりは み山|隱《がく》りて
見えずかもあらむ。  (歌謠番號一一三)
[#ここで字下げ終わり]
 初め天皇、難《わざはひ》に逢ひて、逃げましし時に、その御|粮《かれひ》を奪《と》りし猪甘《ゐかひ》の老人《おきな》を求《ま》ぎたまひき。ここに求ぎ得て、喚び上げて、飛鳥河の河原に斬りて、みなその族《やから》どもの膝の筋を斷ちたまひき。ここを以ちて今に至るまで、その子孫《こども》倭に上る日、かならずおのづから跛《あしなへ》くなり。かれその老の所在《ありか》を能く見しめき。かれ其處《そこ》を志米須《しめす》(一〇)といふ。
 天皇、その父王を殺したまひし大長谷《おほはつせ》の天皇(一一)を深く怨みまつりて、その御靈(一二)に報いむと思ほしき。かれその大長谷の天皇の御陵を毀《やぶ》らむと思ほして、人を遣す時に、その同母兄《いろせ》意祁《おけ》の命奏して言《まを》さく、「この御陵を壞らむには、他《あだ》し人を遣すべからず。もはら僕みづから行きて、大君の御心のごと壞《やぶ》りてまゐ出む」とまをしたまひき。ここに天皇、「然らば命のまにまにいでませ」と詔りたまひき。ここを以ちて意祁《おけ》の命、みづから下りいでまして、その御陵の傍《かたへ》を少し掘りて還り上らして、復奏《かへりごと》して言《まを》さく、「既に掘り壞りぬ」とまをしたまひき。ここに天皇、その早く還り上りませることを怪みまして、「如何《いかさま》に壞りたまひつる」と詔りたまへば、答へて白さく、「その御陵の傍の土を少し掘りつ」とまをしたまひき。天皇詔りたまはく、「父王《ちちみこ》の仇を報いまつらむと思へば、かならずその御陵を悉《ことごと》に壞りなむを。何とかも少しく掘りたまひつる」と詔りたまひしかば、答へて曰さく、「然しつる故は、父王の仇を、その御靈に報いむと思ほすは、誠に理《ことわり》なり。然れどもその大長谷の天皇は、父の仇にはあれども、還りては(一三)我が從父《をぢ》(一四)にまし、また天の下治らしめしし天皇にますを、今|單《ひとへ》に父の仇といふ志を取りて、天の下治らしめしし天皇の御陵を悉に壞りなば、後の人かならず誹《そし》りまつらむ。ただ、父王の仇は、報いずはあるべからず。かれその御陵の邊を少しく掘りつ。既にかく恥かしめまつれば、後の世に示すにも足りなむ」と、かくまをしたまひしかば、天皇、答へ詔りたまはく、「こもいと理なり。命《みこと》の如くて可《よ》し」と詔りたまひき。かれ天皇崩りまして、すなはち意富祁《おほけ》の命、天つ日繼知らしめき。
 天皇、御年|三十八歳《みそぢまりやつ》、八歳《やとせ》天の下治らしめしき。御陵は片岡の石坏《いはつき》の岡(一五)の上にあり。

(一) 顯宗天皇。
(二) 大阪府南河内郡。
(三) 先が三つに別れた大きい齒であつた。
(四) 一六八頁[#「一六八頁」は「安康天皇」の「市の邊の押齒の王」]に出た佐佐紀の山の君の祖。
(五) 見ておいたお婆さん。
(六) 大形の鈴。
(七) 淺茅の原や谷を過ぎて。さまざまの地形を通つて。
(八) 方々傳つて。
(九) 置目と呼びかける語法。モヤは感動の助詞。この句、日本書紀に「置目もよ」。
(一〇) 所在不明。
(一一) 雄略天皇。
(一二) 既に崩ぜられたのでかくいう。
(一三) また考えれば。
(一四) 雄略天皇と押齒の王とは仁徳天皇の孫で從兄弟であり、仁賢顯宗の兩天皇からは、雄略天皇は、父のいとこに當る。
(一五) 奈良縣北葛城郡。

[#5字下げ]〔仁賢天皇〕[#「〔仁賢天皇〕」は小見出し]
 袁祁の王の兄、意富祁《おほけ》の王(一)、石《いそ》の上《かみ》の廣高の宮(二)にましまして、天の下治らしめしき。天皇、大長谷の若建《わかたけ》の天皇の御子、春日の大郎女に娶ひて、生みませる御子、高木の郎女、次に財《たから》の郎女、次に久須毘《くすび》の郎女、次に手白髮《たしらが》の郎女、次に小長谷《をはつせ》の若雀《わかさざき》の命、次に眞若《まわか》の王。また丸邇《わに》の日爪《ひのつま》の臣が女、糠《ぬか》の若子《わくご》の郎女に娶ひて、生みませる御子、春日の小田《をだ》の郎女。この天皇の御子たち、并せて、七柱。この中、小長谷の若雀の命は天の下治らしめしき。

(一) 仁賢天皇。この天皇の記事には御陵の事がない。これから以下は、物語の部分が無く、帝紀の原形に近いようである。
(二) 奈良縣山邊郡。

[#3字下げ]〔七、武烈天皇以後九代〕[#「〔七、武烈天皇以後九代〕」は中見出し]

[#5字下げ]〔武烈天皇〕[#「〔武烈天皇〕」は小見出し]
 小長谷の若雀の命(一)、長谷の列木《なみき》の宮(二)にましまして、八歳天の下治らしめしき。この天皇、太子《ひつぎのみこ》ましまさず。かれ御子代として、小長谷部《をはつせべ》を定めたまひき。御陵は片岡の石坏《いはつき》の岡(三)にあり。天皇既に崩りまして、日續知らしめすべき王ましまさず。かれ品太《ほむだ》の天皇(四)五世《いつつぎ》の孫《みこ》(五)、袁本杼《をほど》の命を近つ淡海の國より上りまさしめて、手白髮《たしらが》の命に合はせて、天の下を授けまつりき。

(一) 武烈天皇。
(二) 奈良縣磯城郡。
(三) 奈良縣北葛城郡。
(四) 應神天皇。
(五) オホホドの王の系統であるが、古事記日本書紀にはその系譜は記されない。ただ釋日本紀に引いた上宮記という今日亡んだ書にだけその系譜が見える。應神天皇―若野毛二俣の王―意富富杼の王―宇非の王―彦大人の王―袁本杼の王。

[#5字下げ]〔繼體天皇〕[#「〔繼體天皇〕」は小見出し]
 品太《ほむだ》の王の五世の孫|袁本杼《をほど》の命(一)、伊波禮《いはれ》の玉穗《たまほ》の宮(二)にましまして、天の下治らしめしき。天皇|三尾《みを》の君等が祖、名は若比賣に娶ひて、生みませる御子、大郎子《おほいらつこ》、次に出雲の郎女二柱[#「二柱」は1段階小さな文字]。また尾張の連等が祖、凡《おほし》の連が妹、目子の郎女に娶ひて、生みませる御子、廣國押建金日《ひろくにおしたけかなひ》の命、次に建小《たけを》廣國押楯の命二柱[#「二柱」は1段階小さな文字]。また意富祁《おほけ》の天皇の御子、手白髮の命[#割り注]こは大后にます。[#割り注終わり]に娶ひて、生みませる御子、天國押波流岐廣庭《あめくにおしはるきひろには》の命一柱[#「一柱」は1段階小さな文字]。また息長《おきなが》の眞手《まて》の王が女、麻組《をくみ》の郎女に娶ひて、生みませる御子、佐佐宜《ささげ》の郎女一柱[#「一柱」は1段階小さな文字]。また坂田の大俣《おほまた》の王が女、黒比賣に娶ひて、生みませる御子、神前《かむさき》の郎女、次に茨田《うまらた》の郎女、次に白坂《しらさか》の活目《いくめ》子の郎女、次に小野《をの》の郎女、またの名は長目《ながめ》比賣四柱[#「四柱」は1段階小さな文字](三)。また三尾《みを》の君|加多夫《かたぶ》が妹、倭《やまと》比賣に娶ひて、生みませる御子、大郎女、次に丸高《まろたか》の王、次に耳《みみ》の王、次に赤比賣の郎女四柱[#「四柱」は1段階小さな文字]。また阿部の波延《はえ》比賣に娶ひて、生みませる御子、若屋《わかや》の郎女、次に都夫良《つぶら》の郎女、次に阿豆《あづ》の王三柱[#「三柱」は1段階小さな文字]。この天皇の御子たち、并せて十九王《とをまりここのはしら》。[#割り注]男王七柱、女王十二柱。[#割り注終わり]この中、天國押波流岐廣庭の命は、天の下治らしめしき。次に廣國押建金日の命も天の下治らしめしき。次に建小廣國押楯の命も天の下治らしめしき。次に佐佐宜の王は、伊勢の神宮をいつきまつりたまひき。この御世に、竺紫《つくし》の君|石井《いはゐ》(四)、天皇の命に從はずして禮《ゐや》無きこと多かりき。かれ物部《もののべ》の荒甲《あらかひ》の大連《おほむらじ》、大伴《おほとも》の金村《かなむら》の連二人を遣はして、石井を殺らしめたまひき。
 天皇、御年|四十三歳《よそぢまりみつ》。[#割り注]丁未の年四月九日崩りたまひき。[#割り注終わり]御陵は三島の藍の陵(五)なり。

(一) 繼體天皇。
(二) 奈良縣磯城郡。
(三) 次に茨田の郎女以下、底本に「次田郎女次田郎女次白坂沽日子郎女次野郎女亦名長目比賣、二柱」とあり、古事記傳に「次茨田郎女次馬來田郎女三柱、又娶茨田連小望之女關比賣生御子茨田大郎女次白坂活日子郎女次小野郎女亦名長目比賣三柱」とする。
(四) 福岡縣久留米市の附近に居た豪族。
(五) 大阪府三島郡。

[#5字下げ]〔安閑天皇〕[#「〔安閑天皇〕」は小見出し]
 御子|廣國押建金日《ひろくにおしたけかなひ》の王(一)、勾《まがり》の金箸《かなはし》の宮(二)にましまして、天の下治らしめしき。この天皇、御子ましまさざりき。[#割り注]乙卯の年三月十三日崩りたまひき。[#割り注終わり]御陵は河内の古市《ふるち》の高屋の村(三)にあり。

(一) 安閑天皇。
(二) 奈良縣高市郡。
(三) 大阪府南河内郡。

[#5字下げ]〔宣化天皇〕[#「〔宣化天皇〕」は小見出し]
 弟《いろと》建小廣國押楯《たけをひろくにおしたて》の命(一)、檜※[#「土へん+炯のつくり」、第3水準1-15-39]《ひのくま》の廬入野《いほりの》の宮(二)にましまして、天の下治らしめしき。天皇、意祁《おけ》の天皇の御子、橘の中比賣の命に娶ひて、生みませる御子、石比賣《いしひめ》の命、次に小石比賣の命、次に倉の若江の王、また河内《かふち》の若子《わくご》比賣に娶ひて、生みませる御子、火《ほ》の穗《ほ》の王、次に惠波《ゑは》の王。この天皇の御子たち并せて五王《いつはしら》。[#割り注]男王三柱、女王二柱。[#割り注終わり]かれ火の穗の王は、志比陀の君が祖なり(三)。惠波の王は、韋那の君、多治比の君が祖なり。

(一) 宣化天皇。この天皇の記事にも御陵の事がない。
(二) 奈良縣高市郡。
(三) 欽明天皇。この天皇の記事にも御陵の事がない。

[#5字下げ]〔欽明天皇〕[#「〔欽明天皇〕」は小見出し]
 弟|天國押波流岐廣庭《あめくにおしはるきひろには》の天皇、師木島《しきしま》の大宮(一)にましまして、天の下治らしめしき。この天皇、檜※[#「土へん+炯のつくり」、第3水準1-15-39]《ひのくま》の天皇(二)の御子、石比賣の命に娶ひて、生みませる御子、八田《やた》の王、次に沼名倉太玉敷《ぬなくらふとたましき》の命、次に笠縫《かさぬひ》の王三柱[#「三柱」は1段階小さな文字]。またその弟小石比賣の命に娶ひて、生みませる御子、上《かみ》の王一柱[#「一柱」は1段階小さな文字]。また春日の日爪《ひつま》の臣が女、糠子《ぬかこ》の郎女に娶ひて、生みませる御子、春日の山田の郎女、次に麻呂古《まろこ》の王、次に宗賀《そが》の倉の王三柱[#「三柱」は1段階小さな文字]。また宗賀の稻目《いなめ》の宿禰の大臣が女、岐多斯《きたし》比賣に娶ひて、生みませる御子、橘の豐日の命、次に妹|石※[#「土へん+炯のつくり」、第3水準1-15-39]《いはくま》の王、次に足取《あとり》の王、次に豐御氣炊屋《とよみけかしぎや》比賣の命、次にまた麻呂古の王、次に大宅《おほやけ》の王、次に伊美賀古《いみがこ》の王、次に山代の王、次に妹|大伴《おほとも》の王、次に櫻井の玄《ゆみはり》の王、次に麻怒《まの》の王、次に橘の本の若子《わくご》の王、次に泥杼《ねど》の王[#割り注]十三柱。[#割り注終わり]また岐多志比賣の命が姨《をば》、小兄《をえ》比賣に娶ひて、生みませる御子、馬木《うまき》の王、次に葛城の王、次に間人《はしひと》の穴太部《あなほべ》の王、次に三枝部《さきくさべ》の穴太部の王、またの名は須賣伊呂杼《すめいろど》、次に長谷部《はつせべ》の若雀《わかさざき》の命五柱[#「五柱」は1段階小さな文字]。およそこの天皇の御子たち并はせて二十五王《はたちまりいつはしら》、この中、沼名倉太玉敷の命は、天の下治らしめしき。次に橘の豐日の命も、天の下治らしめしき。次に豐御氣炊屋比賣の命も、天の下治らしめしき。次に長谷部の若雀の命も、天の下治らしめしき。并せて四王《よはしら》天の下治らしめしき。

(一) 奈良縣磯城郡。この皇居の地名から、しき島の大和というようになつた。
(二) 宣化天皇。

[#5字下げ]〔敏達天皇〕[#「〔敏達天皇〕」は小見出し]
 御子|沼名倉太玉敷《ぬなくらふとたましき》の命(一)、他《をさ》田の宮(二)にましまして、一十四歳《とをまりよとせ》、天の下治らしめしき。この天皇、庶妹《ままいも》豐御食炊屋《とよみけかしぎや》比賣の命に娶ひて、生みませる御子、靜貝《しづかひ》の王、またの名は貝鮹《かひだこ》の王、次に竹田の王、またの名は小貝《をがひ》の王、次に小治田《をはりだ》の王、次に葛城の王、次に宇毛理《うもり》の王、次に小張《をはり》の王、次に多米《ため》の王、次に櫻井の玄《ゆみはり》の王八柱[#「八柱」は1段階小さな文字]。また伊勢の大鹿《おほか》の首《おびと》が女、小熊《をくま》子の郎女に娶ひて、生みませる御子、布斗《ふと》比賣の命、次に寶の王、またの名は糠代《ぬかで》比賣の王二柱[#「二柱」は1段階小さな文字]。また息長眞手《おきながまて》の王が女、比呂《ひろ》比賣の命に娶ひて、生みませる御子、忍坂《おさか》の日子人《ひこひと》の太子《みこのみこと》、またの名は麻呂古の王、次に坂|騰《のぼり》の王、次に宇遲《うぢ》の王三柱[#「三柱」は1段階小さな文字]。また春日の中《なか》つ若子《わくご》が女、老女子《おみなこ》の郎女に娶ひて、生みませる御子、難波の王、次に桑田の王、次に春日の王、次に大俣《おほまた》の王四柱[#「四柱」は1段階小さな文字]。この天皇の御子たち并せて十七王《とをまりななはしら》の中に、日子人の太子、庶妹《ままいも》田村の王、またの名は糠代《ぬかで》比賣の命に娶ひて、生みませる御子、岡本の宮にましまして、天の下治らしめしし天皇(三)、次に中つ王、次に多良《たら》の王三柱[#「三柱」は1段階小さな文字]。また漢《あや》の王が妹、大俣の王に娶ひて、生みませる御子、智奴《ちぬ》の王、次に妹桑田の王二柱[#「二柱」は1段階小さな文字]。また庶妹|玄《ゆみはり》の王に娶ひて、生みませる御子、山代《やましろ》の王、次に笠縫の王二柱[#「二柱」は1段階小さな文字]。并はせて七王《ななはしら》。[#割り注]甲辰の年四月六日崩りたまひき。[#割り注終わり]御陵は川内の科長《しなが》(四)にあり。

(一) 敏達天皇。
(二) 奈良縣磯城郡。
(三) 舒明天皇。この即位の事は、古事記の記事中もつとも新しい事實である。
(四) 大阪府南河内郡。

[#5字下げ]〔用明天皇〕[#「〔用明天皇〕」は小見出し]
 弟橘の豐日《とよひ》の命(一)、池の邊の宮(二)にましまして、三歳天の下治らしめしき。この天皇、稻目《いなめ》の大臣が女、意富藝多志《おほぎたし》比賣に娶ひて、生みませる御子、多米《ため》の王一柱[#「一柱」は1段階小さな文字]。また庶妹間人の穴太部《あなほべ》の王に娶ひて、生みませる御子、上《うへ》の宮の厩戸《うまやど》の豐聰耳《とよとみみ》の命(三)、次に久米《くめ》の王、次に植栗《ゑくり》の王、次に茨田《うまらた》の王四柱[#「四柱」は1段階小さな文字]。また當麻《たぎま》の倉首比呂《くらびとひろ》が女、飯《いひ》の子に娶ひて、生みませる御子、當麻の王、次に妹《いも》須賀志呂古《すがしろこ》の郎女二柱[#「二柱」は1段階小さな文字]。
 この天皇[#割り注]丁未の年四月十五日崩りたまひき。[#割り注終わり]御陵は石寸《いはれ》の池の上(四)にありしを、後に科長の中の陵に遷しまつりき。

(一) 用明天皇。
(二) 奈良縣磯城郡。
(三) 聖徳太子。
(四) 奈良縣磯城郡。

[#5字下げ]〔崇峻天皇〕[#「〔崇峻天皇〕」は小見出し]
 弟|長谷部《はつせべ》の若雀《わかさざき》の天皇(一)、倉椅《くらはし》の柴垣《しばかき》の宮(二)にましまして、四歳《よとせ》天の下治らしめしき。[#割り注]壬子の年十一月十三日崩りたまひき。[#割り注終わり]御陵は倉椅《くらはし》の岡の上(三)にあり。

(一) 崇峻天皇。
(二) 奈良縣磯城郡。
(三) 同前。

[#5字下げ]〔推古天皇〕[#「〔推古天皇〕」は小見出し]
 妹《いも》豐御食炊屋《とよみけかしぎや》比賣(一)の命、小治田《をはりだ》の宮(二)にましまして、三十七歳《みそとせまりななとせ》天の下治らしめしき。[#割り注]戊子の年三月十五日癸丑の日崩りたまひき。[#割り注終わり]御陵は大野の岡の上(三)にありしを、後に科長《しなが》の大陵(四)に遷しまつりき。

(一) 推古天皇。
(二) 奈良縣高市郡。
(三) 奈良縣宇陀郡。
(四) 大阪府南河内郡。

古事記 下つ卷



底本:「古事記」角川文庫、角川書店
   1956(昭和31)年5月20日初版発行
   1965(昭和40)年9月20日20版発行
底本の親本:「眞福寺本」
※底本は校注が脚註の形で配置されています。このファイルでは校註者が追加した標題ごとに、書き下し文、校注の順序で編成しました。
※(一)〜(五五)は注釈番号です。底本では、直前の文字の右横に、ルビのように漢数字のみ付いています。このファイルでは本文の漢数字との混同を避けるため(漢数字)で表しました。
※〔〕は底本の親本にはないもので、校註者が補った箇所を表します。
※頁数を引用している箇所には校註者が追加した標題を注記しました。
※底本は書き下し文のみ歴史的かなづかいで、その他は新かなづかいです。なお拗音・促音は小書きではありません。
入力:川山隆
校正:しだひろし
YYYY年MM月DD日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。



*地名

(※ 市町村名は、平成の大合併以前の表記のまま。一般的な国名・地名などは解説省略。
  • [淡海] おうみ 近江・淡海。(アハウミの転。淡水湖の意で琵琶湖を指す)旧国名。今の滋賀県。江州。
  • 近つ淡海 ちかつおうみ 近江。浜名湖を「遠つ淡海」というのに対して、琵琶湖の称。また、近江の古称。
  • 蚊屋野 かやの 現在の滋賀県蒲生郡日野町鎌掛付近か。
  • [奈良県]
  • [倭] やまと 大和。(「山処(やまと)」の意か) (1) 旧国名。今の奈良県の管轄。もと、天理市付近の地名から起こる。初め「倭」と書いたが、元明天皇のとき国名に2字を用いることが定められ、「倭」に通じる「和」に「大」の字を冠して大和とし、また「大倭」とも書いた。和州。(2) 日本国の異称。おおやまと。(3) 唐(から)に対して、日本特有の事物に冠する語。
  • [磯城郡] しきぐん 奈良盆地中央部の低平地。ほぼ東境から北境を初瀬川(大和川上流)が流れ、中央の寺川、西の飛鳥川、西境の曾我川が曲折しつつ北流し、北端で大和川に注ぐ。東は天理市・桜井市、西は北葛城郡、南は橿原市、北は大和郡山市・生駒郡。
  • 伊波礼の甕栗の宮 いわれのみかくりのみや 磐余甕栗宮。奈良県橿原市東池尻町の御厨子神社が伝承地。(Wikipedia)
  • 磐余 いわれ 奈良県桜井市南西部、香具山東麓一帯の古地名。神武天皇伝説では、八十梟帥征討軍の集結地。
  • 長谷の列木の宮 はつせの なみきのみや 現、桜井市。泊瀬朝倉宮に近接してあったと考えられるが、所在地は不明。大字出雲の説あり。
  • 伊波礼の玉穂の宮 いわれの たまほのみや 磐余玉穂宮。継体天皇の皇居。山城の弟国宮から都をここに遷したという。伝承地は奈良県桜井市池之内の辺。
  • 師木島の大宮 しきしまのおおみや? → 磯城島金刺宮
  • 磯城島金刺宮 しきしまのかなさしのみや 記紀にみえる欽明天皇の宮。記では師木島大宮。天寿国繍帳銘は斯帰斯麻宮、「上宮聖徳法王帝説」は斯貴島宮と記す。周辺にシキシマやカナサシの地名が残ることから現在の奈良県桜井市金屋付近に比定される。(日本史)
  • 他田の宮 おさだのみや → 訳語田幸玉宮
  • 訳語田幸玉宮 おさだのさきたまのみや 敏達 天皇の皇居の一つ。伝承地は奈良県桜井市戒重 。他田宮。乎沙多宮。
  • 池の辺の宮 → 池辺双槻宮か
  • 池辺双槻宮 いけのべの なみつきのみや 用明天皇の皇居。遺称地は奈良県桜井市阿部。磐余池辺双槻宮。
  • 石寸の池 いわれのいけ → 磐余の池、か
  • 磐余の池 いわれのいけ 奈良県桜井市池之内付近にあった池。磐余の市磯 の池。(歌枕)
  • 倉椅の柴垣の宮 くらはしのしばがきのみや 奈良県磯城郡。倉梯宮(紀)。現、桜井市大字倉橋。
  • 倉椅の岡 くらはしのおか 奈良県磯城郡。倉梯岡陵(紀)か。現、桜井市大字倉橋。(1) 天王山古墳、(2) 金福寺の所在地の二説がある。
  • [北葛城郡] きたかつらぎぐん 奈良盆地中央西部に位置する。古代の広瀬郡・葛下郡(大和高田市を除く)、忍海郡の一部。
  • 片岡の石坏の岡 かたおかの いわつきのおか 傍丘磐杯丘(紀)。現、奈良県北葛城郡香芝町大字今泉。もしくは大字北今市小字的場。
  • [南葛城郡] みなみかつらぎぐん 明治30(1897)葛上郡と忍海郡が合併してできた郡。現、御所市全域・現、北葛城郡新庄町南半にほぼ相当。
  • 忍海 おしぬみ/おしみ 奈良県葛城市忍海。忍海郡は大和国にあった郡。
  • 高木の角刺の宮 たかぎの つのさしのみや 奈良県南葛城郡。
  • 角刺宮 つのさしのみや 現、北葛城郡新庄町大字忍海か。
  • 葛城村 かつらぎむら 現、御所市。葛城・葛木と書き、現在、カツラギ・カツラキと発音する。記紀ではカヅラキと読む。明治に金剛山東面山麓一帯の地域に葛城の村名を復活、隣村の巨勢郡では「城」を省略して葛村とした。
  • 平群 へぐり 古代の豪族平群氏の拠点。大和国平群郡。現在の奈良県生駒郡・生駒市南部を中心とした地域。
  • [山辺郡] やまべぐん 県東北端に位置する南北に細長い郡。
  • 石上 いそのかみ 奈良県天理市北部の地名。もと付近一帯の郷名。
  • 石の上の広高の宮 いそのかみのひろたかのみや 記紀にみえる仁賢天皇の宮。所在地について「帝王編年記」は「山辺郡石上左大臣家北辺田原」とし、現在の奈良県天理市田部町の南方にある石上市神社付近に比定する。これに対して「大和志」は都田の字名から天理市嘉幡 とするが、やや西にかたよる。(日本史)
  • [高市郡] たかいちぐん 奈良盆地の南部に位置し、南半は竜門山塊(多武峯・高取山)から派生する低丘陵と幅狭の谷からなり、北半はやや開けて、西端を曾我川、中央部を高取川、東部を飛鳥川が北流。東は桜井市、西は御所市、南は吉野郡、北は橿原市。
  • 勾の金箸の宮 まがりの かなはしのみや 現、橿原市曲川町小字大垣内の金橋神社に近い小字大宮の坪に推定する。
  • 檜�fの廬入野の宮 ひのくまの いおりののみや 檜隈の廬入野の宮。現、高市郡明日香村大字檜隈、於美阿志神社境内か。社地は檜隈寺跡。
  • 小治田 おはりだ 紀は小墾田。現、高市郡明日香村大字豊浦付近にあったとされる古地名。
  • 小治田の宮 おはりだのみや 小墾田宮。推古天皇の皇居の一つ。伝承地は奈良県高市郡明日香村。皇極天皇も一時皇居とし、奈良後期にも行在所となる。小治田宮。
  • [宇陀郡] うだぐん 奈良盆地の東南、宇陀山地の一帯を占め、東・東南は三重県、西は桜井市、南は吉野郡、北・北西は山辺郡。
  • 大野の岡 おおののおか 大野丘(紀)か。現、高市郡明日香村豊浦か。
  • 岡本の宮 → 飛鳥岡本宮か
  • 飛鳥岡本宮 あすかの おかもとのみや 舒明・斉明天皇の皇居の一つ。→飛鳥板蓋宮。
  • 飛鳥板蓋宮 あすかの いたぶきのみや 皇極・斉明天皇の皇居。奈良県高市郡明日香村岡の飛鳥浄御原宮 と想定される宮跡(史跡「伝飛鳥板蓋宮跡」)の下層の遺構がそれに当たると考えられる。なお、舒明天皇の飛鳥岡本宮、斉明天皇の後 飛鳥岡本宮も同じ場所に営まれたらしい。
  • [大阪府]
  • [南河内郡] みなみかわちぐん 府の南東部、旧河内国の南部にあたる。明治29(1896)成立。当時の南河内郡は、東は金剛山・葛城山の金剛山地で奈良県、南は和泉山脈で和歌山県、西は泉北郡、北は中河内郡に接し、中河内郡との間に大和川が流れていた。
  • 近つ飛鳥の宮 飛鳥の宮 あすかのみや → 近飛鳥八釣宮(紀)か
  • 近飛鳥八釣宮 ちかつあすかの やつりのみや 現在の奈良県高市郡明日香村八釣、あるいは大阪府羽曳野市飛鳥の地か。『古事記』は単に「近飛鳥宮」とする。
  • 飛鳥川 あすかがわ 奈良県高市郡高取山に発源、明日香村に入り北流、大和川に注ぐ川。淵瀬の定めなきことで聞こえ、古来、和歌に詠ぜられ、「明日」を懸け、また「明日」を言い出す枕詞のようにも用いられた。
  • 古市の高屋の村 ふるちの〓のむら 大阪府南河内郡。現、羽曳野市古市か。
  • 川内の科長 かわちの しなが 大阪府南河内郡。
  • 科長 しなが 磯長。
  • 科長の中の陵 しながの〓 現、大阪府南河内郡太子町太子の太子西山古墳か。敏達天皇陵に治定される。
  • [三島郡] みしまぐん 明治29(1896)島上郡と島下郡が合併して成立。郡名は、古代当地方をさした地名の復活で、早くから文献に出る。この三島の地は、現高槻市の南西部あたりに中心地が比定される三島県に含まれ、大化改新後、三島評となり、その後、分割され島上・島下の古称とされる「三島上郡」「三島下郡」となったといわれる。以後、古代・中世・近世を通じて島上・島下両郡として存続。
  • 三島の藍の陵 あいの みささぎ 大阪府三島郡。現、茨田市太田三丁目。大阪市天王寺区茶臼山町か。茶臼山古墳に治定。継体天皇陵。
  • [針間の国] はりまのくに 播磨国。旧国名。今の兵庫県の南西部。播州。
  • 志米須 しめす 所在不明。
  • [伊勢]
  • 伊勢の神宮 → 伊勢神宮
  • 伊勢神宮 いせ じんぐう 三重県伊勢市にある皇室の宗廟。正称、神宮。皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮)との総称。皇大神宮の祭神は天照大神、御霊代は八咫鏡。豊受大神宮の祭神は豊受大神。20年ごとに社殿を造りかえる式年遷宮の制を遺し、正殿の様式は唯一神明造と称。三社の一つ。二十二社の一つ。伊勢大廟。大神宮。
  • [福岡県]
  • [筑紫] つくし 九州の古称。また、筑前・筑後を指す。
  • 久留米 くるめ 福岡県南西部、筑後川下流にある市。もと有馬氏21万石の城下町。紡織・ゴム工業で発展。久留米絣 の産地。人口30万6千。


◇参照:『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『日本史広辞典』(山川出版社、1997.10)。




*人物一覧

(人名、および組織・団体名・神名)
  • 白髪の大倭根子の命 しらがのおおやまとねこのみこと → 清寧天皇
  • 清寧天皇 せいねい てんのう 記紀に記された5世紀末の天皇。雄略天皇の第3皇子。名は白髪、諡は武広国押稚日本根子。
  • 白髪部 しらがべ/しらかべ 白髪命(清寧天皇)の名代か。白髪部姓は多数実在したが、785年白壁王(光仁天皇)の諱をさけて真髪部と改姓された。(日本史)
  • 市の辺の忍歯別の王 いちのべのおしはわけのみこ 伊耶本和気の天皇の皇子。市辺押磐皇子。市辺は地名。山城国綴喜郡に市野辺村がある。履中天皇の皇子。皇位継承者として有力視されていたが、雄略天皇に近江の久多綿蚊屋野で殺された。風土記には市辺天皇命とある。(神名)
  • 忍海の郎女 おしぬみのいらつめ 別名、飯豊の王。市の辺の忍歯別の王の妹。
  • 飯豊の王 いいとよのみこ → 忍海の郎女
  • 飯豊青皇女 いいとよあおの ひめみこ 履中天皇の皇女。市辺押磐皇子の妹(王女とも)。清寧天皇の没後継嗣なく、一時政を執ったと伝えられ、飯豊天皇とも称される。
  • 山部の連小楯 やまべのむらじ おたて
  • 志自牟 しじむ 播磨国の豪族。父の市の辺の忍歯の王を殺された意祁の王・袁祁の王が、志自牟の家に馬甘・牛甘として隠れ住んだ。二皇子は志自牟の家の新室楽のとき、訪れた山部連小楯に見出される。紀で該当するのは縮見屯倉首忍海部造細目。播磨風土記では志深村首伊等尾。(神名)
  • 伊耶本和気の天皇 いざほわけのすめらみこと → 履中天皇
  • 履中天皇 りちゅう てんのう 記紀に記された5世紀中頃の天皇。仁徳天皇の第1皇子。名は大兄去来穂別。
  • 平群の臣 へぐりのおみ → 平群氏
  • 平群氏 へぐりし 武内宿禰の後裔と伝えられ、大和国平群郡平群郷(奈良県生駒郡平群町)を本拠地とした古代在地豪族の一つ。姓は臣、後に朝臣。
  • 志毘の臣 しびのおみ 平群の臣が祖。
  • 志毘 しび 欽明天皇の時、出雲国意宇郡舎人郷にいた倉舎人君の祖、日置臣志毘のこと(? 出雲風土記)(神名)
  • 袁祁の命 おけのみこと → 顕宗天皇
  • 意祁の命 おけのみこと → 仁賢天皇
  • 兎田の首 うだのおびと
  • 大魚 おおお/おうお 兎田の首らが女。/清寧記によると、袁祁命と平群臣の祖、志毘臣とが歌垣で妻争いした女性の名。紀の物部麁鹿火大連女影媛にあたる。(神名)
  • 意富祁の命 おおけのみこと → 仁賢天皇
  • 顕宗天皇 けんぞう てんのう 記紀に記された5世紀末の天皇。履中天皇の皇孫。磐坂市辺押磐皇子の第2王子。名は弘計。父が雄略天皇に殺された時、兄(仁賢天皇)と共に播磨に逃れたが、後に発見されて即位したという。
  • 仁賢天皇 にんけん てんのう 記紀に記された5世紀末の天皇。磐坂市辺押磐皇子の第1王子。名は億計。父が雄略天皇に殺された時、弟(顕宗天皇)とともに播磨に逃れた。のちに清寧天皇の皇太子となり、弟に次いで即位したという。
  • 本居宣長 もとおり のりなが 1730-1801 江戸中期の国学者。国学四大人の一人。号は鈴屋など。小津定利の子。伊勢松坂の人。京に上って医学修業のかたわら源氏物語などを研究。賀茂真淵に入門して古道研究を志し、三十余年を費やして大著「古事記伝」を完成。儒仏を排して古道に帰るべきを説き、また、「もののあはれ」の文学評論を展開、「てにをは」・活用などの研究において一時期を画した。著「源氏物語玉の小櫛」「古今集遠鏡」「てにをは紐鏡」「詞の玉緒」「石上私淑言」「直毘霊」「玉勝間」「うひ山ぶみ」「馭戎慨言」「玉くしげ」など。
  • 橘守部 たちばな もりべ 1781-1849 江戸後期の国学者・歌人。伊勢の人。本姓は飯田。池庵・椎本などと号す。古語・古典の解釈において本居宣長に対して一家を成す。著に「稜威道別」「稜威言別」「湖月抄別記」「助辞本義一覧」など。
  • 伊弉本別の王 いざほわけのみこ → 履中天皇
  • 袁祁の石巣別の命 おけのいわすわけのみこと → 顕宗天皇
  • 石木の王 いわきのみこ 岩城別王か。石衝別命の子。雄略天皇のとき、命によって羽咋国造となる。羽咋は能登国羽咋郡。(神名)
  • 難波の王 なにわのみこ 石木の王の娘。顕宗天皇の妃となるが子はない。紀には皇后難波小野王とするが誤りとみられる。仁賢紀には、皇太子だった時の仁賢天皇に無礼を働いたことを悔やんで自殺したとも記している。(神名)
  • 韓 からふくろ 近江の佐々紀山君の祖先。韓が「淡海の久多綿の蚊屋野に猪鹿がたくさんいる」といったことにより、大長谷の王と市の辺の忍歯の王は蚊屋野に行き、市の辺の忍歯の王が殺される。(神名)
  • 置目の老媼 おきめのおみな 近江国に住むいやしい老婆。顕宗天皇が父の市辺押歯王の遺骨を探していたとき、この老婆が埋葬場所を憶えていたので、その記憶を賞して天皇から置目老媼の名を賜った。また、天皇は宮の近くに家を作って毎日宮中に老媼を召し、老媼が故郷に帰るのを惜しんだ。紀では押磐皇子の殺害に関与した狭狭城山君の祖の倭宿祢の妹とする。(神名)
  • 猪甘の老人 いかいのおきな → 山代之猪甘
  • 山代の豕甘 やましろの いかい 山代之猪甘。猪甘老人ともいう。父の市辺之押歯王が殺されたのを聞いた意富祁王(仁賢天皇)、袁祁王(顕宗天皇)が山代の苅羽井まで逃げてきた時、顔に入墨をした老が粮(みかれい=乾かして固くした携行用の飯)を盗んだ。そこで二人の王はお前は誰だと聞くと、山代の猪甘と答えた。後にその罪により飛鳥河の河原で斬られ、一族はひざの筋を断たれた。(神名)
  • 大長谷の天皇 おおはつせのすめらみこと → 雄略天皇
  • 雄略天皇 ゆうりゃく てんのう 記紀に記された5世紀後半の天皇。允恭天皇の第5皇子。名は大泊瀬幼武。対立する皇位継承候補を一掃して即位。478年中国へ遣使した倭王「武」、また辛亥(471年か)の銘のある埼玉県稲荷山古墳出土の鉄剣に見える「獲加多支鹵大王」に比定される。
  • 佐佐紀の山の君 おうみの ささきのやまのきみ → 佐々貴山公
  • 佐々貴山公 ささきのやまのきみ 狭狭城山君。紀の雄略天皇即位前紀には「近江狭狭城山君韓」などとみえ、篠笥郷を本拠とした豪族佐々貴氏は6〜7世紀には蒲生・神崎両郡にわたる国造クラスの大首長であったとみる説もある(八日市市史)。天平期(729-749)の神崎郡大領をはじめ、采女をも出す名族で、当郡の郡司として頻出する。近江源氏佐々木氏をその後裔とみる説も強い。(地名)
  • 大長谷の若建の天皇 おおはつせの わかたけのすめらみこと → 雄略天皇
  • 春日の大郎女 かすがのおおいらつめ 春日大娘皇女(紀)。大長谷の若建の天皇(雄略天皇)の娘。仁賢天皇との間に高木郎女、財郎女、久須毘郎女、手白髪郎女、小長谷若雀命(武烈天皇)、真若王を生んだ。紀では母は春日和珥臣深目の娘・童女といい、別名として高橋皇女を載せる。(神名)
  • 高木の郎女 たかぎの/たかきの いらつめ 仁賢天皇の皇女。事跡不詳。紀は高橋大娘皇女と記しているが、これは母である春日大郎女の別名と同一となるため誤りか。(神名)
  • 財の郎女 たからのいらつめ 仁賢天皇の皇女。紀にはこの名はみられず、朝嬬皇女とあるのが相当する。(神名)
  • 久須毘の郎女 くすびのいらつめ 樟氷皇女(紀)。仁賢天皇の子。母は雄略天皇の女春日大郎女。(神名)
  • 手白髪の郎女 たしらが/たしらかの いらつめ 手白香皇女(紀)。仁賢天皇の皇女。継体天皇の皇后となって欽明天皇を生んだ。(神名)
  • 小長谷の若雀の命 おはつせのわかさざきのみこと → 武烈天皇
  • 真若の王 まわかのみこ (1) 景行天皇の皇子。(2) 仁賢天皇の皇女。母は雄略天皇の皇女の春日大郎女。(神名)
  • 丸邇の日爪の臣 わにのひのつまのおみ/ひつまのおみ 丸迩(和邇)は姓、日爪は名。子に仁賢天皇妃、糠若子郎女がいる。(神名)
  • 糠の若子の郎女 ぬかのわくごのいらつめ 丸邇日爪臣の女。仁賢天皇との間に春日山田郎女を生む。(神名)
  • 春日の小田の郎女 かすがのおだのいらつめ → 春日山田皇女か
  • 春日山田皇女 かすがの やまだの ひめみこ 仁賢天皇の皇女。別名を山田赤見皇女・山田大娘皇女・赤見皇女。記の春日山田郎女あるいは春日小田郎女と同一人物と思われる。母は二説あるが、いずれも和珥氏出身。安閑天皇の太子時代に妃となる。伊甚国造稚子の罪に連座して伊甚倉を献じて罪をあがなった。宣化天皇が崩じたとき、欽明天皇は群臣に皇后に政務を執るよう乞わさせたが、皇后は聞かず、間もなく崩じた。(神名)
  • -----------------------------------
  • 武烈天皇 ぶれつ てんのう 記紀に記された5世紀末の天皇。仁賢天皇の第1皇子。名は小泊瀬稚鷦鷯。
  • 小長谷部 おはつせべ 小泊瀬部とも。武烈天皇(小長谷若雀)の子代か。記の伝承では武烈天皇に皇太子がなく、子代として小長谷部を定めたとあり、紀武烈6年条には小泊瀬舎人をおいたとある。小長谷部姓の人々は8世紀に実在し、甲斐・信濃・下総・上野・越中国など東日本に分布。中央には管掌者としての小長谷造・小長谷連もみえる。(日本史)
  • 品太の天皇 ほんだのすめらみこと → 応神天皇
  • 応神天皇 おうじん てんのう 記紀に記された天皇。5世紀前後に比定。名は誉田別。仲哀天皇の第4皇子。母は神功皇后とされるが、天皇の誕生については伝説的な色彩が濃い。倭の五王のうち「讃」にあてる説がある。異称、胎中天皇。
  • 袁本杼の命 おおどのみこと → 継体天皇
  • 手白髪の命 たしらが/たしらかのみこと オオケの天皇(仁賢天皇)の御子。/継体天皇の皇后となったため郎女から命へと表記が変わったか。手白髪の郎女参照。(神名)
  • 若野毛二俣の王 わかぬけふたまたのみこ 稚渟〔野〕毛二岐〔派〕皇子(紀)。応神天皇の皇子。母は息長真若中比売。百師木伊呂弁を妻として7人の子を生んだ。『姓氏録』には息長氏の祖とされ、後の継体天皇擁立に深くかかわる氏族との系譜上の関連が考えられる。(神名)
  • 意富富杼の王 おおおどのみこ 父は稚渟毛二派皇子(応神天皇の皇子)、母は河派仲彦王の女・弟日売真若比売(百師木伊呂弁とも)で、同母妹の忍坂大中姫・衣通姫は允恭天皇に入内している。意富富杼王自身の詳しい事績は伝わらないが、『古事記』には息長坂君(息長君・坂田君か)・酒人君・三国君・筑紫米多君などの祖。
  • 宇非の王 おいのみこ
  • 彦大人の王 → 彦主人王か
  • 彦主人王 ひこうしおう 生没年不詳。5世紀半ばから後半の人。継体天皇の父。妻は越前国三国坂中井出身で、垂仁天皇七世の孫振媛。記紀は継体天皇を応神天皇五世の孫として、父の名の主人王のみをあげるだけだが、『釈日本紀』に引用される『上宮記』は、凡牟都和希(ほむつわけ)王(応神天皇)から継体に至る五代すべてをのせる。そこで王は�斯(うし)王と記され、またその父は乎非(おひ)王とよばれたことが知られる。(日本史)
  • 継体天皇 けいたい てんのう 記紀に記された6世紀前半の天皇。彦主人王の第1王子。応神天皇の5代の孫という。名は男大迹。
  • 三尾の君 みおのきみ
  • 若比売 わかひめ 稚媛(紀)。即位前の継体天皇ゆかりの地の豪族三尾の君らの祖。継体天皇の妃となり二皇子を生む。紀では三尾角折君の妹。(神名)
  • 大郎子 おおいらつこ 継体天皇の皇子で、紀では大郎皇子と表記。母は若姫。(神名)
  • 出雲の郎女 いずものいらつめ 継体天皇の皇女。母は若姫。(神名)
  • 尾張の連 おわりのむらじ → 尾張氏
  • 尾張氏 おわりうじ 尾治氏とも。古代の氏族。火明命を始祖とし、皇妃や皇子妃を数名だしたとする伝承があり、古くから大和政権との関係をもっていたらっしい。部曲と考えられる尾張(尾治)部が各地に存在する。氏の名称は尾張国内を根拠地としたことに由来し、一族から尾張国造が任じられていた。もと連姓であったが、684(天武13)に宿祢の姓を賜った。律令制下には、尾張国内の諸郡司など在地有力者としての存在が知られるだけでなく、尾張連氏・尾張宿祢氏ともに畿内とその周辺にも分布して、中央の官人としても活躍した。(日本史)
  • 凡の連 おおしのむらじ 尾張の連らの祖先。
  • 目子の郎女 めこのいらつめ 継体天皇妃・尾張連らの祖、凡連の妹。天皇との間に安閑天皇、宣化天皇を生む。(神名)
  • 広国押建金日の命 ひろくにおしたけかなひのみこと → 安閑天皇
  • 建小広国押楯の命 たけおひろくにおしたてのみこと → 宣化天皇
  • 宣化天皇 せんか てんのう 記紀に記された6世紀前半の天皇。継体天皇の第3皇子。名は武小広国押盾。
  • 手白髪の命 たしらがのみこと 継体天皇の皇后となったため、郎女から命へと表記が変わったか。手白髪郎女参照。(神名)
  • 手白髪郎女 たしらかのいらつめ 手白香皇女(紀)。仁賢天皇の皇女。母は春日大郎女。継体天皇の皇后となって、欽明天皇を生んだ。(神名)
  • 安閑天皇 466-535 あんかん てんのう 記紀に記された6世紀前半の天皇。名は勾大兄、また広国押武金日。継体天皇の第1皇子。
  • 天国押波流岐広庭の命 あめくにおしはるきひろにわのみこと→ 欽明天皇
  • 欽明天皇 きんめい てんのう ?-571 記紀に記された6世紀中頃の天皇。継体天皇の第4皇子。名は天国排開広庭。即位は539年(一説に531年)という。日本書紀によれば天皇の13年(552年、上宮聖徳法王帝説によれば538年)、百済の聖明王が使を遣わして仏典・仏像を献じ、日本の朝廷に初めて仏教が渡来(仏教の公伝)。(在位 〜571)
  • 息長の真手の王 おきながのまての/までのみこ 継体天皇妃の麻組郎女、敏達天皇のヒロヒメ命の父。(神名)
  • 麻組の郎女 おくみのいらつめ 麻績娘子(紀)。息長の真手の王の娘。継体天皇の妃となり佐佐宜の郎女を生む。(神名)
  • 佐佐宜の郎女 ささげのいらつめ 荳角皇女(紀)。佐佐宜の王ともいう。継体天皇の子。母は麻組の郎女。伊勢神宮の斎宮となる。(神名)
  • 坂田の大俣の王 さかたのおおまたのみこ 坂田大跨王(紀)。娘の黒比売が継体天皇との間に三女をもうける。紀では娘は広媛。(神名)
  • 黒比売 くろひめ 黒比売命か。坂田の大俣の王が女。/履中天皇の妃となり三子を生んだ。記では葦田宿祢の女、紀には羽田矢代宿祢の女とし、履中天皇5年に没したとする。(神名)
  • 神前の郎女 かむさきのいらつめ 神前は近江国神前郡。継体天皇の皇女。母は記では黒姫。紀では広媛とし、安閑天皇と合葬されたと記す。事跡不詳。(神名)
  • 茨田の郎女 うまらた/まむたのいらつめ 継体天皇の皇女か。母は黒比売。事跡不詳。真福寺本『古事記』では次田郎女とするが、『記伝』では紀の記事により茨田郎女とする。(神名)
  • 白坂の活目子の郎女 しらさかのいくめこのいらつめ 白坂活日姫皇女(紀)。継体天皇の皇女。母は関媛。(神名)
  • 小野の郎女 おののいらつめ 別名、長目比売。小野稚娘皇女(紀)。継体天皇の皇女。母は関媛。(神名)
  • 長目比売 ながめひめ → 小野の郎女
  • 三尾の君加多夫 みおのきみ かたぶ 継体天皇の妃の倭比売の兄。(神名)
  • 倭比売 やまとひめ 三尾の君加多夫(紀では堅)の妹。継体天皇の妃となり四皇子を生む。そのうちの第二子椀子皇子は三国公の祖とされる。(神名)
  • 大郎女 おおいらつめ 継体天皇の皇女。母は三尾君加多夫の妹の倭比売。紀では母を三尾君堅の女の倭媛とする。(神名)
  • 丸高の王 まろたか/まろこのみこ 継体天皇の皇子母は三尾君加多夫の妹倭比売。事跡不詳。(神名)
  • 耳の王 みみのみこ 継体天皇の子。母は倭比売。事跡不詳。(神名)
  • 赤比売の郎女 あかひめのいらつめ 赤姫皇女(紀)。継体天皇の皇女。母は倭姫。(神名)
  • 阿部の波延比売 あべのはえひめ 阿倍か。阿倍は地名。波延は光り映るの義。継体天皇に召されて三皇子を生んだ。(神名)
  • 若屋の郎女 わかやのいらつめ 継体天皇の皇女。母は阿部の波延姫。紀では母を和珥臣河内の娘の夷媛とする。(神名)
  • 都夫良の郎女 つぶらのいらつめ (1) 円皇女(紀)。反正天皇の皇子。母は都怒郎女(記)。紀では津野媛と記す。(2) 円娘皇女(紀)。継体天皇の皇女。母は阿部之波延比売。(神名)
  • 阿豆の王 あづのみこ 名義不詳。継体天皇の子。母は阿部の波延比売。(神名)
  • 竺紫の君石井 つくしのきみ いわい → 筑紫君磐井
  • 筑紫君磐井 つくしのきみ いわい ?-528? 古墳時代末の九州の豪族。『日本書紀』によれば朝鮮半島南部の任那へ渡航しようとするヤマト政権軍をはばむ磐井の乱を起こし、物部麁鹿火によって討たれたとされる。
  • 物部の荒甲の大連 もののべの あらかいの おおむらじ → 物部麁鹿火
  • 物部麁鹿火 もののべの あらかい 大連。武烈天皇の死後、継体天皇の擁立を働きかけ、その即位後に大伴金村と共に再び大連に任ぜられる。
  • 大伴金村 おおともの かなむら 大和政権時代の豪族。武烈天皇から欽明天皇に至る5代の間、大連として権勢を張ったが対朝鮮政策につまずいて失脚。生没年未詳。
  • 橘の中比売の命 たちばなのなかつひめのみこと 仁賢天皇の御子。橘仲皇女(紀)。宣化天皇との間に石姫命・小石姫の命・倉の若江の王を生む。紀によれば、母は春日大郎皇女。宣化天皇の皇后となり、一男三女を設けたとする。(神名)
  • 石比売の命 いしひめのみこと 名義不詳。宣化天皇の御子。母は橘中比売命。妹は小石姫の命。のちに欽明天皇の皇后となって八田王、沼名倉太玉敷命、笠縫王を生んだ。(神名)
  • 小石比売の命 おいしひめのみこと 宣化天皇の皇女。母は橘之中比売命。姉の石比売とともに欽明天皇妃となり、上王を生んだ。宣化紀には石姫皇后の同母妹の一人に小石姫皇女の名があるが、紀には同名の記載はない。(神名)
  • 倉の若江の王 くらのわかえのみこ 宣化天皇の子。母は橘之中比売命。(神名)
  • 河内の若子比売 かわちのわくごひめ 大河内稚子媛(紀)。宣化天皇妃で二子を生んだ。紀では即位前の庶妃と記す。出自は不詳。(神名)
  • 火の穂の王 ほのほのみこ/ほのおのみこ 宣化天皇の皇子。母は川内之若子比売。志比レNの祖。『姓氏録』には火焔王とあり、為名真人、河原公の祖となっている。(神名)
  • 恵波の王 えはのみこ 宣化天皇の皇子。母は川内之若子比売。韋那君、多治比君の祖。(神名)
  • 志比陀の君
  • 韋那の君 いなのきみ → 為奈氏
  • 為奈氏 いなうじ 韋那・猪名・威奈とも。古代の氏族名。記紀では祖を宣化天皇皇子の恵波王(上殖葉、かみつうえは、皇子)とするが、『新撰姓氏録』などは宣化天皇の皇子火焔王とする。摂津国河辺郡為奈郷(現、兵庫県尼崎市)を本拠とし、氏の名はその地名によるとされる。684(天武13)姓は公から真人となった。7世紀後半の氏人の活動が紀に散見するが、文武朝に小(少)納言となった威奈真人大村はその在銘骨蔵器によって名高い。(日本史)
  • 多治比の君 たじひのきみ → 多治比氏
  • 多治比氏 たじひうじ (1) 多治氏・丹比氏・丹〓氏・丹氏・蝮氏とも。宣化天皇皇子の上殖葉(かみつうえは)皇子を祖とする皇親氏族。姓ははじめ公、684(天武13)10月、八色の姓制定にともない真人を賜る。『三代実録』貞観8(866)2月条では氏名の由来について、上殖葉皇子の孫が生まれたとき、産湯に多治比の花が浮かんだため多治比古王と名づけ、のちに臣籍降下して多治比公を賜ったとする。実際には、王の名は母か乳母が多治比連出身であったことに由来か。7世紀後半〜8世紀前半には、多治比古王の子島をはじめ、島の子の池守・県守・広成・広足が公卿となった。(2) 丹比氏とも。反正天皇(多治比瑞歯別天皇)の名代である多治比部の伴造氏族。姓ははじめ連、777(宝亀8)5月に宿祢を賜った。河内国丹比郡が本拠。(日本史)
  • 檜�fの天皇 ひのくまのすめらみこと → 宣化天皇か
  • 石比売の命 いしひめのみこと 名義不詳。宣化天皇の御子。母は橘中比売命。妹は小石姫の命。のちに欽明天皇の皇后となって八田王、沼名倉太玉敷命、笠縫王を生んだ。(神名)
  • 八田の王 やたのみこ 欽明天皇の子。母は宣化天皇の皇女の石姫命。事跡不詳。紀では箭田珠勝大兄皇子。(神名)
  • 沼名倉太玉敷の命 ぬなくらふとたましきのみこと → 敏達天皇
  • 敏達天皇 びだつ てんのう 538-585 記紀に記された6世紀後半の天皇。欽明天皇の第2皇子。名は訳語田渟中倉太珠敷。(在位572〜585)
  • 笠縫の王 かさぬいのみこ (1) 敏達記に、忍坂日子人太子と桜井玄王の子として登場する。(2) 別名、狭田毛皇女。欽明天皇の皇女で、母は石姫命。事跡不詳。(神名)
  • 上の王 かみのみこ 欽明天皇の子。母は小石比売命。(神名)
  • 春日の日爪の臣 かすがのひつまのおみ 和邇日爪臣か。子に仁賢天皇妃、糠若子郎女がいる。(神名)
  • 糠子の郎女 ぬかこのいらつめ 春日の日爪の臣の娘。欽明天皇の妃となり三子を生む。紀では春日の日抓の娘とし二子を生んでいる。(神名)
  • 春日の山田の郎女 かすがのやまだのいらつめ → 春日山田皇女
  • 春日山田皇女 かすがの やまだの ひめみこ 仁賢天皇の皇女。別名を山田赤見皇女・山田大娘皇女・赤見皇女。記の春日山田郎女あるいは春日小田郎女と同一人物と思われる。母は二説あるが、いずれも和珥氏出身。安閑天皇の太子時代に妃となる。伊甚国造稚子の罪に連座して伊甚倉を献じて罪をあがなった。宣化天皇が崩じたとき、欽明天皇は群臣に皇后に政務を執るよう乞わさせたが、皇后は聞かず、間もなく崩じた。(神名)
  • 麻呂古の王 まろこのみこ (1) 欽明天皇の皇子。母は春日日爪臣の娘、糠子郎女。(2) 椀子皇子(紀)。欽明天皇の皇子。母は宗賀之宿祢之大臣の娘岐多斯姫。推古天皇の同母弟。(3) 忍坂日子人太子。(神名)
  • 宗賀の倉の王 そがのくらのみこ 欽明天皇の皇子。母は春日之日爪臣の女糠子郎女。(神名)
  • 宗賀の稲目の宿祢 そがの いなめの すくね → 蘇我稲目
  • 蘇我稲目 そがの いなめ ?-570 飛鳥時代の豪族。宣化・欽明両朝の大臣。物部尾輿と対立して、仏教受容を主張、仏像を向原の家に安置して向原寺(後の豊浦寺)としたという。
  • 岐多斯比売 きたしひめ 堅塩媛(紀)。欽明天皇妃。父は宗賀之稲目宿祢大臣で蘇我氏の出身。用明天皇、推古天皇らを生んだ。(神名)
  • 橘の豊日の命 たちばなのとよひのみこと → 用明天皇
  • 用明天皇 ようめい てんのう ?-587 記紀に記された6世紀末の天皇。欽明天皇の第4皇子。聖徳太子の父。皇后は穴穂部間人皇女。名は橘豊日。皇居は大和国磐余の池辺双槻宮。在位中は蘇我馬子と物部守屋が激しく対立。(在位585〜587)
  • 石�fの王 いわくまのみこ 磐隈皇女・夢皇女(紀)。欽明天皇の子。母は岐多斯姫。紀にははじめ伊勢大神に斎宮として仕えていたが、後に異母兄弟の茨城皇子が奸に坐したため、その任を解かれたとある。(神名)
  • 足取の王 あとりのみこ 名義・事跡不詳。欽明天皇の子。母は岐多斯姫。(神名)
  • 豊御気炊屋比売の命 とよみけかしぎやひめのみこと → 推古天皇
  • 推古天皇 すいこ てんのう 554-628 記紀に記された6世紀末・7世紀初の天皇。最初の女帝。欽明天皇の第3皇女。母は堅塩媛(蘇我稲目の娘)。名は豊御食炊屋姫。また、額田部皇女。敏達天皇の皇后。崇峻天皇暗殺の後を受けて大和国の豊浦宮で即位。後に同国の小墾田宮に遷る。聖徳太子を摂政とし、冠位十二階の制定、十七条憲法の発布などを行う。(在位592〜628)
  • 麻呂古の王 まろこのみこ (1) 欽明天皇の皇子。母は春日日爪臣の娘、糠子郎女。(2) 椀子皇子(紀)。欽明天皇の皇子。母は宗賀之宿祢之大臣の娘岐多斯姫。推古天皇の同母弟。(3) 忍坂日子人太子。(神名)
  • 大宅の王 おおやけのみこ 大宅皇女(紀)。大宅は地名。大和国添上郡にある。欽明天皇の皇女。母は岐多斯姫。事跡不詳。(神名)
  • 伊美賀古の王 いみがこのみこ 石上部皇子(紀)か。
  • 山代の王 やましろのみこ 敏達天皇の皇子のヒコヒトの太子の子。母は桜井玄王。事跡不詳。(神名)
  • 大伴の王 おおとものみこ 大伴皇女(紀)か。
  • 桜井の玄の王 さくらいのゆみはりのみこ (1) 桜井之玄王。欽明天皇の子。母は岐多斯姫。(2) 桜井玄王。敏達天皇の子。母は天皇の庶妹、豊御食炊屋比売命。(神名)
  • 麻怒の王 まののみこ 麻奴王(まぬのみこ)。欽明天皇の子。母は宗賀之稲目宿祢大臣の女、岐多斯比売。(神名)
  • 橘の本の若子の王 たちばなのもとのわくごのみこ 橘本若子王 欽明天皇の第十二子。母は岐多斯姫で用明天皇・推古天皇と同母。事跡不詳。(神名)
  • 泥杼の王 ねどのみこ 欽明天皇の皇子。母は宗賀之稲目宿祢大臣の女の岐多斯比売。紀の舎人皇女と同一とみられている。(神名)
  • 岐多志比売 きたしひめ → 岐多斯比売
  • 小兄比売 おえひめ 小姉君(紀)。欽明天皇妃。宗賀之稲目宿祢大臣の女である岐多斯比売命の姨。五子を生んだ。紀では蘇我稲目の女だが、堅塩媛の同母妹とする。(神名)
  • 馬木の王 うまきのみこ 茨城皇子か。/欽明天皇の皇子。母はオエ姫。紀の茨城皇子にあたると考えられる。ただし茨城皇子は堅塩媛の同母妹となっており、皇子は異母兄弟で伊勢に仕える磐隈皇女を奸し、解任の原因を作っている。(神名)
  • 葛城の王 かづらきのみこ 敏達天皇の子。母は豊御食炊屋比売命。(神名)
  • 間人の穴太部の王 はしひとのあなほべのみこ 泥部穴穂部皇女、穴穂部間人皇女(紀)。欽明天皇の皇女。母はオエ姫。用明天皇の皇后となり、聖徳太子ら四人を生んだ。(神名)
  • 三枝部の穴太部の王 さきくさべのあなほべのみこ 別名、須売伊呂杼。欽明天皇の子。母は小兄比売。(神名)
  • 須売伊呂杼 すめいろど → 三枝部の穴太部の王
  • 長谷部の若雀の命 はつせべのわかさざきのみこと → 崇峻天皇
  • 崇峻天皇 すしゅん てんのう ?-592 記紀に記された6世紀末の天皇。欽明天皇の皇子。名は泊瀬部。皇居は大和国倉梯の柴垣宮。蘇我馬子の専横を憤り、これを倒そうとして、かえって馬子のために暗殺された。(在位587〜592)
  • 静貝の王 しずかいのみこ 別名、貝鮹の王。父は敏達天皇。母は豊御気炊屋比売命。貝鮹は名義抄にかいだことあり、あおいがいのことであるという。(神名)
  • 貝鮹の王 かいだこのみこ → 静貝の王
  • 竹田の王 たけだのみこ 別名、小貝の王。竹田皇子(紀)。敏達天皇の子。母は豊御食炊屋比売命。紀では物部守屋の討伐軍に加わっている。(神名)
  • 小貝の王 おがいのみこ → 竹田の王
  • 小治田の王 おわりだのみこ 小墾田皇女(紀)。敏達天皇と推古天皇との第三子。紀には彦人大兄皇子と婚したとある。(神名)
  • 葛城の王 かづらきのみこ → 既出
  • 宇毛理の王 うもりのみこ 父は敏達天皇。母は豊御食炊屋比売命。事跡不詳。紀では別名、軽守皇女。(神名)
  • 小張の王 おわりのみこ 尾張皇子(紀)。敏達天皇と推古天皇の第六子。紀では第五子にあたる。(神名)
  • 多米の王 ためのみこ 田眼皇女(紀)。敏達天皇の皇女。母は豊御食炊屋比売命。紀では舒明天皇の妃となっている。(神名)
  • 桜井の玄の王 さくらいのゆみはりのみこ → 既出
  • 伊勢の大鹿の首 いせのおおかのおびと
  • 小熊子の郎女 おくまこのいらつめ 伊勢の大鹿の首の娘。敏達天皇の妃。記によると布斗姫命・宝王(糠代比売王)の母。紀によると太姫皇女(桜井皇女)と糠手姫皇女(田村皇女)の母。(神名)
  • 布斗比売の命 ふとひめのみこと 敏達天皇の皇女。母は小熊子の郎女。紀は太姫皇女(桜井皇女)。母は伊勢大鹿首の娘で采女である菟名子夫人とする。(神名)
  • 宝の王 たからのみこ 別名、糠代比売の王。敏達天皇の皇子。母は小熊子の郎女。田村王ともいう。田村王は忍坂日子人太子の妻で、舒明天皇・中津王・多良王の母。(神名)
  • 糠代比売の王 ぬかでひめのみこ → 宝の王
  • 息長真手の王 おきながまてのみこ/までのみこ 継体天皇妃の麻組郎女、敏達天皇妃の比呂比売命の父。(神名)
  • 比呂比売の命 ひろひめのみこと 広姫(紀)。息長真手の王の娘。敏達天皇の皇后。忍坂日子人太子(別名、麻古王)、坂騰王、宇遅王の母。紀では押坂彦人大兄皇子、逆登皇女、菟道磯津貝皇女の母。敏達天皇4年11月に崩じた。(神名)
  • 忍坂の日子人の太子 おさかのひこひとのみこのみこと 別名、麻呂古の王。紀では押坂彦人大兄皇子。敏達天皇の皇子。母は比呂姫命。紀では妻は小墾田皇女。太子ではあったが即位はしなかった。古事記伝では舒明天皇の父にあたる。(神名)
  • 麻呂古の王 まろこのみこ → 忍坂の日子人の太子
  • 坂騰の王 さかのぼりのみこ 逆登皇女(紀)。敏達天皇の子。母は比呂比売命。(神名)
  • 宇遅の王 うじのみこ 敏達天皇の皇女。母は比呂姫命。紀の妃の広姫を母とする菟道磯津貝皇女にあたる。炊屋姫(推古)を母とする類似の名を持つ皇女がおり、そのどちらかが伊勢斎宮に任じられたが池辺皇子と関係して解任されている。(神名)
  • 春日の中つ若子 かすがのなかつわくご
  • 老女子の郎女 おみなこのいらつめ 老女子(紀)。春日の中つ若子の王の娘。敏達天皇の妃。
  • 難波の王 なにわのみこ 難波皇子(紀)。敏達天皇の皇子。母は老女子郎女。物部守屋討伐に参加している。『姓氏録』によれば橘朝臣、大宅真人らの祖。(神名)
  • 桑田の王 くわたのみこ 桑田皇女(紀)。敏達天皇の子。母は春日中若子の女老女子郎女。(神名)
  • 春日の王 かすがのみこ 春日皇子(紀)。父は敏達天皇。母は春日中若子の女老女子郎女。(神名)
  • 大俣の王 おおまたのみこ 大派皇子(紀)。敏達天皇の子。母は老女子の郎女。大和国吉野郡の地名によるか。姓氏録では敏達天皇の孫とする。(神名)
  • 日子人の太子 ひこひとのみこのみこと → 忍坂の日子人の太子か
  • 田村の王 たむらのみこ 別名、糠代比売の命。押坂彦人大兄皇子の妃。舒明天皇の母。父は第30代敏達天皇、母は伊勢大鹿首小熊の女。同母姉妹には太姫皇女がいる。
  • 糠代比売の命 ぬかでひめのみこと 糠手姫皇女か → 田村の王
  • 舒明天皇 じょめい てんのう 593-641 飛鳥時代の天皇。押坂彦人大兄皇子(敏達天皇の皇子)の第1王子。名は息長足日広額、また田村皇子。皇居は大和国飛鳥の岡本宮。(在位629〜641)
  • 中つ王 なかつみこ 中津王(なかつのみこ)か。敏達天皇の皇子忍坂日子人太子の子。母は糠代比売命。(神名)
  • 多良の王 たらのみこ 忍坂日子人の太子の子。母は糠代姫の命。紀には記載がない。(神名)
  • 漢の王 あやのみこ 大俣の王の兄。
  • 大俣の王 おおまたのみこ 漢の王が妹。/大派皇子(紀)。大和国吉野郡の地名によるか。敏達天皇の皇子。母は老女子郎女。『姓氏録』では敏達天皇の孫とする。(神名)
  • 智奴の王 ちぬのみこ 茅渟王(紀)。敏達記には忍坂の日子人の太子の子。母は大俣の王。紀では忍坂日子人の太子の孫、吉備姫王との間に皇極天皇を生む。(神名)
  • 桑田の王 くわたのみこ 桑田皇女(紀)。敏達天皇の子。母は春日中若子の女老女子郎女。(神名)
  • 玄の王 ゆみはりのみこ → 桜井の玄の王か
  • 山代の王 やましろのみこ 敏達天皇の皇子の日子人の太子の子。母は桜井玄王。事跡不詳。(神名)
  • 笠縫の王 かさぬいのみこ (1) 敏達記に、忍坂日子人太子と桜井玄王の子として登場する。(2) 別名、狭田毛皇女。欽明天皇の皇女で、母は石姫命。事跡不詳。(神名)
  • 意富芸多志比売 おおぎたしひめ 稲目の大臣が女。
  • 多米の王 ためのみこ 田眼皇女(紀)。敏達天皇の皇女。母は豊御食炊屋比売命。紀では舒明天皇の妃となっている。(神名)
  • 上の宮の厩戸の豊聡耳の命 うえのみやの うまやどの とよとみみのみこと → 聖徳太子
  • 聖徳太子 しょうとく たいし 574-622 用明天皇の皇子。母は穴穂部間人皇后。名は厩戸。厩戸王・豊聡耳皇子・法大王・上宮太子とも称される。内外の学問に通じ、深く仏教に帰依。推古天皇の即位とともに皇太子となり、摂政として政治を行い、冠位十二階・憲法十七条を制定、遣隋使を派遣、また仏教興隆に力を尽くし、多くの寺院を建立、「三経義疏」を著すと伝える。なお、その事績とされるものには、伝説が多く含まれる。
  • 久米の王 くめのみこ 来目皇子(紀)。用明天皇の皇子。母は穴穂部女王。聖徳太子の同母弟にあたる。推古10年(594)新羅征討の大将軍を拝して、西海筑紫に船艦を整え発しようとするときに疾発し、翌年崩じた。末孫に登美真人がいる。(姓氏録、神名)
  • 植栗の王 えくりのみこ 殖栗皇子(紀)。用明天皇の皇子。母はその庶妹間人穴太部王。聖徳太子の同母弟。姓氏録には殖栗王と記し、蜷淵真人の祖となっている。(神名)
  • 茨田の王 うまらたのみこ/まむたのみこ 茨田皇子(紀)。用明天皇の子。母は間人穴太部王。聖徳太子の弟。(神名)
  • 当麻の倉首比呂 たぎまのくらびとひろ 用明天皇妃、飯女之子の父。用明紀では、葛城直磐村の娘・慶子とあるが、これは父と娘の名を取り違えたと思われる。倉首は朝廷の倉庫管理者を示す。(神名)
  • 飯の子 いいのこ? 当麻の倉首比呂が女。紀の伊比古郎女か。
  • 当麻の王 たぎまのみこ 当麻皇子か。/用明天皇の皇子。母は飯女之子。用明紀には麻呂子皇子と記されている。事跡不詳。(神名)
  • 須賀志呂古の郎女 すがしろこのいらつめ 酢香手姫皇女(紀)。用明天皇の皇女。母は飯女之子。紀では葛城直磐村の娘の広子を母としている。(神名)


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『国史大辞典』(吉川弘文館)『日本史広辞典』(山川出版社、1997.10)『日本神名辞典 第二版』(神社新報社、1995.6)。



*書籍

(書名、雑誌名、論文名、映画・能・狂言・謡曲などの作品名)
  • 『古事記』 こじき 現存する日本最古の歴史書。3巻。稗田阿礼が天武天皇の勅により誦習した帝紀および先代の旧辞を、太安万侶が元明天皇の勅により撰録して712年(和銅5)献上。上巻は天地開闢から鵜葺草葺不合命まで、中巻は神武天皇から応神天皇まで、下巻は仁徳天皇から推古天皇までの記事を収め、神話・伝説と多数の歌謡とを含みながら、天皇を中心とする日本の統一の由来を物語る。ふることぶみ。
  • 『日本書紀』 にほん しょき 六国史の一つ。奈良時代に完成した日本最古の勅撰の正史。神代から持統天皇までの朝廷に伝わった神話・伝説・記録などを修飾の多い漢文で記述した編年体の史書。30巻。720年(養老4)舎人親王らの撰。日本紀。
  • 『帝紀』 ていき 天皇の系譜の記録。帝皇日嗣。
  • 『釈日本紀』 しゃくにほんぎ 日本書紀の注釈書。28巻。卜部懐賢著。鎌倉末期に成立。従来の書紀研究を集大成したもの。
  • 『上宮記』 じょうぐうき/かみつみやのふみ 厩戸皇子(聖徳太子)作と伝える神話・皇統譜を中心とする史書。3巻。鎌倉後期までは伝来したが現存しない。「聖徳太子平氏伝雑勘文」下三、『釈日本紀』巻13・16、「天寿国曼荼羅繍帳縁起勘点文」などに逸文があり、国生み神話や垂仁・応神両天皇から聖徳太子に至る系譜などが内容となっている。用字法は藤原宮跡木簡より古く、系譜の記載様式も古い形式を採用している。とくに継体天皇の出自を記載した部分は有名である。(日本史)
  • 『古事記伝』 こじきでん 古事記の注釈書。本居宣長著。44巻。1767年(明和4)頃起稿、98年(寛政10)完成。1822年(文政5)刊行終了。国学の根底を確立した労作で、今日でも古代史・古代研究の典拠。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。



*難字、求めよ

  • 御名代 みなしろ (「名代」の尊敬語) 古代、天皇・皇后・皇子等の名を伝えるために、その名または居所の名を冠して置いた皇室の私有民。
  • 治る しる 領る・知る。(ある範囲の隅々まで支配する意。原義は、物をすっかり自分のものにすることという)(国などを)治める。君臨する。統治する。
  • 日継 ひつぎ 日嗣。(日の神の詔命で大業をつぎつぎにしろしめす意という)皇帝を継承すること。また、その継承した位。天皇の位。皇位。天つ日嗣。
  • 新室楽 にいむろのうたげ 新室宴。新室落成を祝う宴会。
  • 宰・司 みこともち 古代、天皇の命をうけて任国に下り地方の政務をつかさどった官人。国司。
  • 任 よさし (「寄さす」から) 統治などの委任。任命。
  • 人民 おおみたから 大御宝・百姓・公民。(天皇が宝とされる意とも、大御田族(天皇治下の農民)の意ともいう) 天皇の人民。国民。みたみ。おおむたから。おおんだから。
  • 新室 にいむろ 新築の室や家。若室。
  • 詠め言・詠 ながめごと (1) 声を長く引いて歌うこと。(2) 詠嘆のことば。
  • 物の部の もののふの 武士の。〔枕〕「やそ(八十)」「宇治川」「磐瀬」「矢野」「弓削」などにかかる。
  • 武士 もののふ (1) 上代、朝廷に仕えた官人。(2) 武勇をもって仕え、戦陣に立つ武人。武者。つわもの。ぶし。
  • 夫子 せこ 兄子・夫子・背子。女が、兄弟・恋人・夫など男を親しんでいう称。のちには男から男を呼ぶことも例外的にある。
  • 末押し
  • 八弦 やつお 八絃、八緒。緒が八本あること。八本の緒。やつおの琴。八弦の琴。また、弦の多い琴。
  • 御末 みすえ/おすえ (1) 公家または将軍家・大名家などの奥向で、水仕や雑役に従う女の詰所。また、その女。おはした。(2) (女房詞) 末広のこと。
  • 駅使 はゆまづかい はゆまに乗って急ぎ行く官の使者。えきし。
  • 歌垣 うたがき (1) 上代、男女が山や市などに集まって互いに歌を詠みかわし舞踏して遊んだ行事。一種の求婚方式で性的解放が行われた。かがい。(2) 男女相唱和する一種の歌舞。宮廷に入り踏歌を合流して儀式化する。
  • おとつ端手 おとつはたで (「おと」は「おち(遠)」の意。「つ」は助詞。「はたで」は「はて(果)」の方)あちらのはし。
  • 大匠・大工 おおたくみ 大工の長。
  • おじなみ 劣―。(形容詞「おじなし」の語幹に、「み」のついたもの。)技量が劣っているので。へたなので。
  • ゆらみ 緩―。(形容詞「ゆらし」の語幹に「み」のついたもの。)ゆるやかであるので。
  • 八重の柴垣
  • 潮瀬 しおせ 潮水の流れ。潮流。
  • 波折り なおり 波が幾重にも折り重なること。
  • 鮪 しび 海魚の名。まぐろ。しび。⇒中国では、ちょうざめの類。
  • 端手 はたで (1) はしの方。脇の所。また、建物の軒の張出し。(2) (「鰭手」と書く。(1) の意にかけて) 魚のひれ、また袖のこと。
  • いよよ 愈 (イヨイヨの約) いっそう。
  • 八節結 やふじまり 八節(やふ)、すなわち多くの結び目で結(ゆ)いかためること。
  • もとおし 回・廻 (1) めぐり。まわり。(2) (→)「もとおり」(3) に同じ。(3) 衣服の襟などの紐に通してある金具。
  • 鮪衝く しびつく シビ突く。
  • 海人 あま 海人・蜑。(「あまびと(海人)」の略か) (1) 海で魚や貝をとり、藻塩などを焼くことを業とする者。漁夫。(2) (「海女」「海士」と書く) 海に入って貝・海藻などをとる人。
  • うら 心 (表に見えないものの意) こころ。おもい。
  • かがう �歌ふ �歌(かがい)をする。
  • �歌 かがい (一説に、男女が互いに歌を「懸け合う」ことが語源という) 上代、東国で、「うたがき(歌垣)」のこと。
  • 散去ける あらける ちりぢりになる。また、間を離す。特に火や灰をかきひろげる。
  • 旦時 あした あさ。
  • え辞《いな》みたまわず
  • え……ず 不可能をあらわす。とても……できない。(角)
  • いなむ 辞む・否む。(イナブの転) (1) 承知しない。ことわる。(2) 否定する。
  • 小間 こま
  • もはら (1) もっぱら。(2) (下に打消の語を伴って) まったく。ちっとも
  • 押歯 おしは (オソバ(�歯)の転) 八重歯。
  • 鐸 ぬりて 頭に長い柄のある大きな鈴。たく。ぬて。
  • 浅茅原 あさぢはら (1) チガヤのまばらに生えた野原。(2) 〔枕〕「つばら(詳)」「をの(小野)」「ちふ(茅生)」にかかる。
  • 百伝う ももづたう 〔枕〕「い(五十)」「やそ(八十)」「ぬて(鐸)」「つぬが(角鹿)」「わたらひ(度会)」などにかかる。
  • 置目もや
  • 跛く あしなえく あしなえぐ。蹇・跛。足がきかなくなる。歩行が不自由である。あしなう。
  • あしなえ 蹇・跛。足が悪くて歩行が自由にならないこと。また、そのような人。
  • 他し人 あだしびと ほかの人。たにん。
  • 浅茅 あさぢ (1) まばらに生えたチガヤ。また、丈の低いチガヤ。(2) 浅茅生(あさぢふ)の略。
  • 浅茅生 あさぢふ チガヤのまばらに生えた所。転じて、荒れはてた野原。あさぢはら。
  • -----------------------------------
  • 御子代 みこしろ 「こしろ」の尊敬語。
  • 子代 こしろ 大化改新前の皇室の私有民。諸国の国造の民の一部を割いてその租税を皇室に納入させたもの。はじめ個々の皇族名を付したが、のち壬生部という名称に統一。子代部。御子代。
  • 礼無し いやなし 無礼である。無作法である。
  • 娶う あう あふ。(4) 結婚する。男と女が関係を結ぶ。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『日本国語大辞典 第二版』(小学館、2001.5)『日本史広辞典』(山川出版社、1997.10)『全訳古語辞典』(角川書店、2002.10)。



*後記(工作員スリーパーズ日記)


 『古事記』に見る自然現象・自然災害(=荒ぶる神々の災い)について。きびしく選択すると該当ケースがごく少数に限られるので、かなりゆるめの選定にしてみた。

【ケース1 序文】
やつこ安萬侶やすまろまをさく、それ混元既に凝りしかども、氣象いまだあつからざりしとき、名も無くわざも無く、誰かその形を知らむ。しかありて乾と坤と初めて分れて、參神造化のはじめり、陰と陽とここに開けて、二靈群品の祖となりたまひき。所以このゆゑに幽と顯とに出で入りて、日と月と目を洗ふにあらはれたまひ、海水うしほに浮き沈みて、神と祇と身を滌ぐにあらはれたまひき。

【ケース2 天地のはじめ】
「次に國わかく、かべるあぶらの如くして水母くらげなすただよへる時に、葦牙あしかびのごとあがる物に因りて成りませる神の名は、宇摩志阿斯訶備比古遲うましあしかびひこぢの神。次にあめ常立とこたちの神。
「かれ二柱の神、あめ浮橋うきはしに立たして、その沼矛ぬぼこおろして畫きたまひ、鹽こをろこをろに畫きして、引き上げたまひし時に、その矛のさきよりしたたる鹽の積りて成れる島は、淤能碁呂おのごろ島なり。その島に天降あもりまして、あめ御柱みはしらを見立て八尋殿やひろどのを見立てたまひき。

【ケース3】
「この速秋津日子はやあきつひこ速秋津比賣はやあきつひめ二神ふたはしら、河海によりて持ち別けて生みたまふ神の名は、沫那藝あわなぎの神。次に沫那美あわなみの神。次に頬那藝つらなぎの神。次に頬那美つらなみの神。次にあめ水分みくまりの神。次にくに水分みくまりの神。次にあめ久比奢母智くひざもちの神、次にくに久比奢母智くひざもちの神。
「次に風の神名は志那都比古しなつひこの神を生みたまひ、次に木の神名は久久能智くくのちの神を生みたまひ、次に山の神名は大山津見おほやまつみの神を生みたまひ、次に野の神名は鹿屋野比賣かやのひめの神を生みたまひき。またの名は野椎のづちの神といふ。(略)この大山津見の神、野椎の神の二神ふたはしら、山野によりて持ち別けて生みたまふ神の名は、天の狹土さづちの神。次に國の狹土の神。次に天の狹霧さぎりの神。次に國の狹霧の神。次に天の闇戸くらとの神。次に國の闇戸の神。次に大戸或子おほとまどひこの神。次に大戸或女おほとまどひめの神。

【ケース4 黄泉よみの國】
「かれ左の御髻みみづらに刺させる湯津爪櫛ゆつつまぐしの男柱一箇ひとつ取りきて、ひとともして入り見たまふ時に、うじたかれころろぎて、頭には大雷おほいかづち居り、胸にはの雷居り、腹には黒雷居り、ほとにはさく雷居り、左の手にはわき雷居り、右の手にはつち雷居り、左の足にはなる雷居り、右の足にはふし雷居り、并はせて八くさの雷神成り居りき。
 
【ケース5 スサノオの命】
「速須佐の男の命、依さしたまへる國を知らさずて、八拳須やつかひげ心前むなさきに至るまで、啼きいさちき。その泣くさまは、青山は枯山なす泣き枯らし河海うみかはことごとに泣きしき。ここを以ちてあらぶる神の音なひ、狹蠅さばへなす皆滿ち、萬の物のわざはひ悉におこりき。
「かれここに速須佐の男の命、まをしたまはく、「然らば天照らす大御神にまをして罷りなむ」とまをして、天にまゐ上りたまふ時に、山川悉にとよみ國土皆りき。
「ここに速須佐の男の命、(略)勝さびに天照らす大御神の營田みつくた離ち、その溝み、またその大にへ聞しめす殿にくそまり散らしき。(略)なほそのあらぶるわざ止まずてうたてあり。
「天照らす大御神の忌服屋いみはたやにましまして神御衣かむみそ織らしめたまふ時に、その服屋はたやむねを穿ちて、天の斑馬むちこま逆剥さかはぎに剥ぎて墮し入るる時に、天の衣織女みそおりめ見驚きて陰上ほとを衝きて死にき。

【ケース6 アマテラスの石屋戸ごもり】
「かれここに天照らす大御神かしこみて、天の石屋戸いはやどを開きてさしこもりましき。ここに高天たかまの原皆暗く、葦原あしはらの中つ國悉に闇し。これに因りて、常夜とこよ往く。ここによろづの神のおとなひは、さばへなす滿ち、萬のわざはひ悉におこりき。
「かれ天照らす大御神の出でます時に、高天の原と葦原の中つ國とおのづから照り明りき。ここに八百萬の神共にはかりて、速須佐の男の命に千座ちくら置戸おきどを負せ、またひげと手足の爪とを切り、祓へしめて、神逐かむやらひ逐ひき。

【ケース7 スサノオの命の八俣の大蛇退治】
「我が女はもとより八稚女をとめありき。ここに高志こし八俣やまた大蛇をろち、年ごとに來てふ。今その來べき時なれば泣く」とまをしき。ここに「その形はいかに」と問ひたまひしかば、「そが目は赤かがちの如くにして身一つに八つのかしら八つの尾あり。またその身にこけまた檜榲ひすぎ生ひ、そのたけたに八谷を度りて、その腹を見れば、悉に常に垂りただれたり」とまをしき。
「ここに速須佐の男の命、その御佩みはかし十拳とつかの劒を拔きて、その蛇を切りはふりたまひしかば、の河血にりて流れき。かれその中の尾を切りたまふ時に、御刀みはかしの刃けき。ここに怪しと思ほして、御刀のさきもちて刺し割きて見そなはししかば、都牟羽つむはの大刀あり。

【ケース8 大穴牟遲(大国主命)】
「かれここに八十神忿いかりて、大穴牟遲の神を殺さむとあひはかりて、伯伎ははきの國の手間てまの山本に至りて云はく、「この山に赤猪あかゐあり、かれ我どち追ひ下しなば、汝待ち取れ。もし待ち取らずは、かならず汝を殺さむ」といひて、火もちて猪に似たる大石を燒きて、まろばし落しき。ここに追ひ下し取る時に、すなはちその石に燒きかえてせたまひき。
「またその天の沼琴ぬごとを取り持ちて、逃げ出でます時に、その天の沼琴樹にれて地動鳴なりとよみき。かれそのみねしたまへりし大神、聞き驚かして、その室を引きたふしたまひき。

【ケース9 やすかははかり】
「ここに天の忍穗耳の命、天の浮橋に立たして詔りたまひしく、「豐葦原の千秋の長五百秋の水穗の國は、いたくさやぎてありなり」とりたまひて、更に還り上りて、天照らす大御神にまをしたまひき。
「この葦原の中つ國は、我が御子の知らさむ國と、言依さしたまへる國なり。かれこの國にちはやぶる荒ぶる國つ神どものさはなると思ほすは、いづれの神を使はしてか言趣ことむけなむ」とのりたまひき。
「ここに阿遲志貴高日子根の神、いたく怒りていはく、「我はうるはしき友なれこそ弔ひ來つらくのみ。何ぞは吾を、穢きしに人にふる」といひて、御佩みはかしの十つかの劒を拔きて、その喪屋もやを切り伏せ、足もちてゑ離ち遣りき。
「またその天の尾羽張の神は、天の安の河の水をさかさまきあげて、道を塞き居れば、あだし神はえ行かじ。(略)かれここに天の迦久の神を使はして、天の尾羽張の神に問ひたまふ時に答へ白さく、かしこし、仕へまつらむ。然れどもこの道には、が子建御雷の神を遣はすべし」とまをして、貢進たてまつりき。

【ケース10 海幸と山幸】
「この鉤は、淤煩鉤おばち[#「おばち」は底本のまま]須須鉤すすち貧鉤まぢち宇流鉤うるちといひて、後手しりへでに賜へ。然してその兄高田あげだを作らば、汝が命は下田くぼだつくりたまへ。その兄下田を作らば、汝が命は高田を營りたまへ。然したまはば、吾水をれば、三年の間にかならずその兄貧しくなりなむ。もしそれ然したまふ事を恨みて攻め戰はば、しほたまを出して溺らし、もしそれ愁へまをさば、しほたまを出していかし、かく惚苦たしなめたまへ」とまをして、鹽盈つ珠鹽乾る珠并せて兩箇ふたつを授けまつりて……」

【ケース11 神武天皇の東征】
「かれ神倭伊波禮毘古の命、其地そこよりり幸でまして、熊野くまのの村に到りましし時に、大きなる熊、髣髴ほのかに出で入りてすなはち失せぬ。ここに神倭伊波禮毘古の命忽にはかにをえまし、また御軍も皆をえて伏しき。この時に熊野の高倉下たかくらじ、一横刀たちをもちて、天つ神の御子のこやせるところに到りて獻る時に、天つ神の御子、すなはちめ起ちて、長寢ながいしつるかも」と詔りたまひき。かれその横刀たちを受け取りたまふ時に、その熊野の山のあらぶる神おのづからみな切りたふさえき。ここにそのをえ伏せる御軍悉に寤め起ちき。

【ケース12 意富多多泥古と美和の大物主】
「この天皇の御世に「役病えやみさはに起り、人民おほみたから盡きなむとしき。ここに天皇愁歎うれへたまひて、神牀かむとこにましましける夜に、大物主おほものぬし大神おほかみ、御夢に顯はれてのりたまひしく、「こはが御心なり。かれ意富多多泥古おほたたねこをもちて、我が御前に祭らしめたまはば、神の起らず、國も安平やすらかならむ」とのりたまひき。

【ケース13 弟橘おとたちばな比賣】
「ここにその后名は弟橘おとたちばな比賣の命の白したまはく、「妾、御子にかはりて海に入らむ。御子は遣さえし政遂げて、覆奏かへりごとまをしたまはね」とまをして、海に入らむとする時に、菅疊すがだたみ八重やへ皮疊かはだたみ八重やへサ疊きぬだたみ八重やへを波の上に敷きて、その上に下りましき。ここにそのあらき浪おのづからぎて、御船え進みき。

【ケース14 天の日矛】
「ここに天の日矛、そのの遁れしことを聞きて、すなはち追ひ渡り來て、難波に到らむとするほどに、その渡の神へて入れざりき。かれ更に還りて、多遲摩たぢまの國にてつ。
「かれその天の日矛の持ち渡り來つる物は、たまたからといひて、珠二つら、またなみ比禮ひれなみる比禮、風振る比禮、風切る比禮、またおきつ鏡、つ鏡、并はせて八種なり。
 
【ケース15 春山の霞壯夫の詛言い】
「またうつしき青人草習へや、その物償はぬ」といひて、その兄なる子を恨みて、すなはちその伊豆志河いづしかはの河島の一節竹よだけを取りて、荒籠あらこを作り、その河の石を取り、鹽に合へて、その竹の葉に裹み、詛言とこひいはしめしく、「この竹葉たかばの青むがごと、この竹葉のしなゆるがごと、青み萎えよ。またこの鹽のるがごと、盈ちよ。またこの石の沈むがごと、沈み臥せ」とかくとこひて、へつひの上に置かしめき。ここを以ちてその兄八年の間にかわき萎え病み枯れき。かれその兄患へ泣きて、その御祖に請ひしかば、すなはちその詛戸とこひどを返さしめき。ここにその身本の如くに安平やすらぎき。

【ケース16 仁徳天皇】
「ここに天皇、高山に登りて、四方よもの國を見たまひて、りたまひしく、國中くぬちに烟たたず、國みな貧し。かれ今より三年に至るまで、悉に人民おほみたから課役みつきえだちゆるせ」とのりたまひき。ここを以ちて大殿こぼれて、悉に雨漏れども、かつて修理をさめたまはず、をもちてその漏る雨を受けて、漏らざる處に遷りりましき。

【ケース17 口子くちこおみ口比賣くちひめ
「かれこの口子くちこおみ、この御歌を白す時に、大雨降りき。ここにその雨をもらず、前つ殿戸とのどにまゐ伏せば、しりつ戸に違ひ出でたまひ、後つ殿戸にまゐ伏せば、前つ戸に違ひ出でたまひき。かれ匍匐はひ進起しじまひて、庭中に跪ける時に、水潦にはたづみ腰に至りき。その臣、あかひも著けたる青摺あをずりきぬたりければ、水潦紅き紐に觸りて、青みなあけになりぬ。ここに口子の臣が妹口比賣くちひめ、大后に仕へまつれり。

【ケース18 葛城かづらき一言主ひとことぬしの大神】
「またある時、天皇葛城山に登りいでます時に、百官つかさつかさの人ども、ことごとあかひも著けたる青摺のきぬを給はりてたり。その時にその向ひの山の尾より、山の上に登る人あり。既に天皇の鹵簿みゆきのつらに等しく、またその束裝よそひのさま、また人どもも、相似て別れず。






*次週予告


第五巻 第一九号 
校註『古事記』(一一)武田祐吉
語句索引・歌謡各句索引


第五巻 第一九号は、
二〇一二年一二月一日(土)発行予定です。
定価:200円


T-Time マガジン 週刊ミルクティー 第五巻 第一八号
校註『古事記』(一〇)武田祐吉
発行:二〇一二年一一月二四日(土)
編集:しだひろし / PoorBook G3'99
 http://www33.atwiki.jp/asterisk99/
出版:*99 出版
 〒994-0024 山形県天童市鎌田2丁目
 アパートメント山口A−202
販売:DL-MARKET
※ T-Timeは(株)ボイジャーの商標・製品です。



  • T-Time マガジン 週刊ミルクティー *99 出版
  • バックナンバー

    ※ おわびと訂正
     長らく、創刊号と第一巻第六号の url 記述が誤っていたことに気がつきませんでした。アクセスを試みてくださったみなさま、申しわけありませんでした。(しょぼーん)/2012.3.2 しだ

  • 第一巻
  • 創刊号 竹取物語 和田万吉
  • 第二号 竹取物語小論 島津久基(210円)
  • 第三号 竹取物語の再検討(一)橘 純一(210円)
  • 第四号 竹取物語の再検討(二)橘 純一(210円)
  •  「絵合」『源氏物語』より 紫式部・与謝野晶子(訳)
  • 第五号 『国文学の新考察』より 島津久基(210円)
  •  昔物語と歌物語 / 古代・中世の「作り物語」/
  •  平安朝文学の弾力 / 散逸物語三つ
  • 第六号 特集 コロボックル考 石器時代総論要領 / コロボックル北海道に住みしなるべし 坪井正五郎 マナイタのばけた話 小熊秀雄 親しく見聞したアイヌの生活 / 風に乗って来るコロポックル 宮本百合子
  • 第七号 コロボックル風俗考(一〜三)坪井正五郎(210円)
  •  シペ物語 / カナメの跡 工藤梅次郎
  • 第八号 コロボックル風俗考(四〜六)坪井正五郎(210円)
  • 第九号 コロボックル風俗考(七〜十)坪井正五郎(210円)
  • 第十号 特集 コロボックル考 喜田貞吉
  •  日本太古の民族について / 日本民族概論 / 土蜘蛛種族論につきて
  • 第十一号 特集 コロボックル考 喜田貞吉
  •  東北民族研究序論 / 猪名部と佐伯部 / 吉野の国巣と国樔部
  • 第十二号 日高見国の研究 喜田貞吉
  • 第十三号 夷俘・俘囚の考 喜田貞吉
  • 第十四号 東人考     喜田貞吉
  • 第十五号 奥州における御館藤原氏 喜田貞吉
  • 第十六号 考古学と古代史 喜田貞吉
  • 第十七号 特集 考古学 喜田貞吉
  •  遺物・遺蹟と歴史研究 / 日本における史前時代の歴史研究について / 奥羽北部の石器時代文化における古代シナ文化の影響について
  • 第十八号 特集 考古学 喜田貞吉
  •  日本石器時代の終末期について /「あばた」も「えくぼ」、「えくぼ」も「あばた」――日本石器時代終末期―
  • 第十九号 特集 考古学 喜田貞吉
  •  本邦における一種の古代文明 ――銅鐸に関する管見―― /
  •  銅鐸民族研究の一断片
  • 第二〇号 特集 考古学 喜田貞吉
  •  「鐵」の字の古体と古代の文化 / 石上神宮の神宝七枝刀 /
  •  八坂瓊之曲玉考
  • 第二一号 博物館(一)浜田青陵
  • 第二二号 博物館(二)浜田青陵
  • 第二三号 博物館(三)浜田青陵
  • 第二四号 博物館(四)浜田青陵
  • 第二五号 博物館(五)浜田青陵
  • 第二六号 墨子(一)幸田露伴
  • 第二七号 墨子(二)幸田露伴
  • 第二八号 墨子(三)幸田露伴
  • 第二九号 道教について(一)幸田露伴
  • 第三〇号 道教について(二)幸田露伴
  • 第三一号 道教について(三)幸田露伴
  • 第三二号 光をかかぐる人々(一)徳永 直
  • 第三三号 光をかかぐる人々(二)徳永 直
  • 第三四号 東洋人の発明 桑原隲蔵
  • 第三五号 堤中納言物語(一)池田亀鑑(訳)
  • 第三六号 堤中納言物語(二)池田亀鑑(訳)
  • 第三七号 堤中納言物語(三)池田亀鑑(訳)
  • 第三八号 歌の話(一)折口信夫
  • 第三九号 歌の話(二)折口信夫
  • 第四〇号 歌の話(三)・花の話 折口信夫
  • 第四一号 枕詞と序詞(一)福井久蔵
  • 第四二号 枕詞と序詞(二)福井久蔵
  • 第四三号 本朝変態葬礼史 / 死体と民俗 中山太郎
  • 第四四号 特集 おっぱい接吻  
  •  乳房の室 / 女の情欲を笑う 小熊秀雄
  •  女体 芥川龍之介
  •  接吻 / 接吻の後 北原白秋
  •  接吻 斎藤茂吉
  • 第四五号 幕末志士の歌 森 繁夫
  • 第四六号 特集 フィクション・サムライ 愛国歌小観 / 愛国百人一首に関連して / 愛国百人一首評釈 斎藤茂吉
  • 第四七号 「侍」字訓義考 / 多賀祢考 安藤正次
  • 第四八号 幣束から旗さし物へ / ゴロツキの話 折口信夫
  • 第四九号 平将門 幸田露伴
  • 第五〇号 光をかかぐる人々(三)徳永 直
  • 第五一号 光をかかぐる人々(四)徳永 直
  • 第五二号 「印刷文化」について 徳永 直
  •  書籍の風俗 恩地孝四郎
  • 第二巻
  • 第一号 奇巌城(一)モーリス・ルブラン
  • 第二号 奇巌城(二)モーリス・ルブラン
  • 第三号 美し姫と怪獣 / 長ぐつをはいた猫 楠山正雄(訳)
  • 第四号 毒と迷信 / 若水の話 / 麻薬・自殺・宗教 小酒井不木 / 折口信夫 / 坂口安吾
  • 第五号 空襲警報 / 水の女 / 支流 海野十三 / 折口信夫 / 斎藤茂吉
  • 第六号 新羅人の武士的精神について 池内 宏
  • 第七号 新羅の花郎について     池内 宏
  • 第八号 震災日誌 / 震災後記 喜田貞吉
  • 第九号 セロ弾きのゴーシュ / なめとこ山の熊 宮沢賢治
  • 第一〇号 風の又三郎 宮沢賢治
  • 第一一号 能久親王事跡(一)森 林太郎
  • 第一二号 能久親王事跡(二)森 林太郎
  • 第一三号 能久親王事跡(三)森 林太郎
  • 第一四号 能久親王事跡(四)森 林太郎
  • 第一五号 能久親王事跡(五)森 林太郎
  • 第一六号 能久親王事跡(六)森 林太郎
  • 第一七号 赤毛連盟       コナン・ドイル
  • 第一八号 ボヘミアの醜聞    コナン・ドイル
  • 第一九号 グロリア・スコット号 コナン・ドイル
  • 第二〇号 暗号舞踏人の謎    コナン・ドイル
  • 第二一号 蝦夷とコロボックルとの異同を論ず 喜田貞吉
  • 第二二号 コロポックル説の誤謬を論ず 上・下 河野常吉
  • 第二三号 慶長年間の朝日連峰通路について 佐藤栄太
  • 第二四号 まれびとの歴史 /「とこよ」と「まれびと」と 折口信夫
  • 第二五号 払田柵跡について二、三の考察 / 山形県本楯発見の柵跡について 喜田貞吉
  • 第二六号 日本天変地異記 田中貢太郎
  • 第二七号 種山ヶ原 / イギリス海岸 宮沢賢治
  • 第二八号 翁の発生 / 鬼の話 折口信夫
  • 第二九号 生物の歴史(一)石川千代松
  • 第三〇号 生物の歴史(二)石川千代松
  • 第三一号 生物の歴史(三)石川千代松
  • 第三二号 生物の歴史(四)石川千代松
  • 第三三号 特集 ひなまつり
  •  雛 芥川龍之介 / 雛がたり 泉鏡花 / ひなまつりの話 折口信夫
  • 第三四号 特集 ひなまつり
  •  人形の話 / 偶人信仰の民俗化並びに伝説化せる道 折口信夫
  • 第三五号 右大臣実朝(一)太宰 治
  • 第三六号 右大臣実朝(二)太宰 治
  • 第三七号 右大臣実朝(三)太宰 治
  • 第三八号 清河八郎(一)大川周明
  • 第三九号 清河八郎(二)大川周明
  • 第四〇号 清河八郎(三)大川周明
  • 第四一号 清河八郎(四)大川周明
  • 第四二号 清河八郎(五)大川周明
  • 第四三号 清河八郎(六)大川周明
  • 第四四号 道鏡皇胤論について 喜田貞吉
  • 第四五号 火葬と大蔵 / 人身御供と人柱 喜田貞吉
  • 第四六号 手長と足長 / くぐつ名義考  喜田貞吉
  • 第四七号 「日本民族」とは何ぞや / 本州における蝦夷の末路 喜田貞吉
  • 第四八号 若草物語(一)L.M. オルコット
  • 第四九号 若草物語(二)L.M. オルコット
  • 第五〇号 若草物語(三)L.M. オルコット
  • 第五一号 若草物語(四)L.M. オルコット
  • 第五二号 若草物語(五)L.M. オルコット
  • 第五三号 二人の女歌人 / 東北の家 片山広子
  • 第三巻
  • 第一号 星と空の話(一)山本一清
  • 第二号 星と空の話(二)山本一清
  • 第三号 星と空の話(三)山本一清
  • 第四号 獅子舞雑考 / 穀神としての牛に関する民俗 中山太郎
  • 第五号 鹿踊りのはじまり 宮沢賢治 / 奥羽地方のシシ踊りと鹿供養 喜田貞吉
  • 第六号 魏志倭人伝 / 後漢書倭伝 / 宋書倭国伝 / 隋書倭国伝
  • 第七号 卑弥呼考(一)内藤湖南
  • 第八号 卑弥呼考(二)内藤湖南
  • 第九号 卑弥呼考(三)内藤湖南
  • 第一〇号 最古日本の女性生活の根底 / 稲むらの陰にて 折口信夫
  • 第一一号 瀬戸内海の潮と潮流(他三編)寺田寅彦
  •  瀬戸内海の潮と潮流 / コーヒー哲学序説 /
  •  神話と地球物理学 / ウジの効用
  • 第一二号 日本人の自然観 / 天文と俳句 寺田寅彦
  • 第一三号 倭女王卑弥呼考(一)白鳥庫吉
  • 第一四号 倭女王卑弥呼考(二)白鳥庫吉
  • 第一五号 倭奴国および邪馬台国に関する誤解 他 喜田貞吉
  •  倭奴国と倭面土国および倭国とについて稲葉君の反問に答う /
  •  倭奴国および邪馬台国に関する誤解
  • 第一六号 初雪 モーパッサン 秋田 滋(訳)
  • 第一七号 高山の雪 小島烏水
  • 第一八号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(一)徳永 直
  • 第一九号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(二)徳永 直
  • 第二〇号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(三)徳永 直
  • 第二一号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(四)徳永 直
  • 第二二号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(五)徳永 直
  • 第二三号 銀河鉄道の夜(一)宮沢賢治
  • 第二四号 銀河鉄道の夜(二)宮沢賢治
  • 第二五号 ドングリと山猫 / 雪渡り 宮沢賢治
  • 第二六号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(六)徳永 直
  • 第二七号 特集 黒川能・春日若宮御祭 折口信夫
  •  黒川能・観点の置き所 / 村で見た黒川能
  •  能舞台の解説 / 春日若宮御祭の研究
  • 第二八号 面とペルソナ / 人物埴輪の眼 他 和辻哲郎
  •  面とペルソナ / 文楽座の人形芝居
  •  能面の様式 / 人物埴輪の眼
  • 第二九号 火山の話 今村明恒
  • 第三〇号 現代語訳『古事記』(一)上巻(前編)武田祐吉(訳)
  • 第三一号 現代語訳『古事記』(二)上巻(後編)武田祐吉(訳)
  • 第三二号 現代語訳『古事記』(三)中巻(前編)武田祐吉(訳)
  • 第三三号 現代語訳『古事記』(四)中巻(後編)武田祐吉(訳)
  • 第三四号 山椒大夫 森 鴎外
  • 第三五号 地震の話(一)今村明恒
  • 第三六号 地震の話(二)今村明恒
  • 第三七号 津波と人間 / 天災と国防 / 災難雑考 寺田寅彦
  • 第三八号 春雪の出羽路の三日 喜田貞吉
  • 第三九号 キュリー夫人 / はるかな道(他)宮本百合子
  • 第四〇号 大正十二年九月一日よりの東京・横浜間 大震火災についての記録 / 私の覚え書 宮本百合子
  • 第四一号 グスコーブドリの伝記 宮沢賢治
  • 第四二号 ラジウムの雁 / シグナルとシグナレス(他)宮沢賢治
  • 第四三号 智恵子抄(一)高村光太郎
  • 第四四号 智恵子抄(二)高村光太郎
  • 第四五号 ヴェスヴィオ山 / 日本大地震(他)斎藤茂吉
  • 第四六号 上代肉食考 / 青屋考 喜田貞吉
  • 第四七号 地震雑感 / 静岡地震被害見学記(他)寺田寅彦
  • 第四八号 自然現象の予報 / 火山の名について 寺田寅彦
  • 第四九号 地震の国(一)今村明恒
  • 第五〇号 地震の国(二)今村明恒
  • 第五一号 現代語訳『古事記』(五)下巻(前編)武田祐吉(訳)
  • 第五二号 現代語訳『古事記』(六)下巻(後編)武田祐吉(訳)
  • 第四巻
  • 第一号 日本昔話集 沖縄編(一)伊波普猷・前川千帆(絵)
  • 第二号 日本昔話集 沖縄編(二)伊波普猷
  • 第三号 アインシュタイン(一)寺田寅彦
  •  物質とエネルギー / 科学上における権威の価値と弊害 /
  •  アインシュタインの教育観
  • 第四号 アインシュタイン(二)寺田寅彦
  •  アインシュタイン / 相対性原理側面観
  • 第五号 作家のみた科学者の文学的活動 / 科学の常識のため 宮本百合子
  • 第六号 地震の国(三)今村明恒
  • 第七号 地震の国(四)今村明恒
  • 第八号 地震の国(五)今村明恒
  • 第九号 地震の国(六)今村明恒
  • 第一〇号 土神と狐 / フランドン農学校の豚 宮沢賢治
  • 第一一号 地震学の角度から見た城輪柵趾 今村明恒
  • 第一二号 庄内と日高見(一)喜田貞吉
  • 第一三号 庄内と日高見(二)喜田貞吉
  • 第一四号 庄内と日高見(三)喜田貞吉
  • 第一五号 私は海をだきしめてゐたい / 安吾巷談・ストリップ罵倒 坂口安吾
  • 第一六号 三筋町界隈 / 孫 斎藤茂吉
  • 第一七号 原子力の管理(他)仁科芳雄
  •  原子力の管理 / 日本再建と科学 / 国民の人格向上と科学技術 /
  •  ユネスコと科学
  • 第一八号 J・J・トムソン伝(他)長岡半太郎
  •  J・J・トムソン伝 / アインシュタイン博士のこと 
  • 第一九号 原子核探求の思い出(他)長岡半太郎
  •  総合研究の必要 / 基礎研究とその応用 / 原子核探求の思い出
  • 第二〇号 蒲生氏郷(一)幸田露伴
  • 第二一号 蒲生氏郷(二)幸田露伴
  • 第二二号 蒲生氏郷(三)幸田露伴
  • 第二三号 科学の不思議(一)アンリ・ファーブル
  • 第二四号 科学の不思議(二)アンリ・ファーブル
  • 第二五号 ラザフォード卿を憶う(他)長岡半太郎
  •  ラザフォード卿を憶う / ノーベル小伝とノーベル賞 / 湯川博士の受賞を祝す
  • 第二六号 追遠記 / わたしの子ども時分 伊波普猷
  • 第二七号 ユタの歴史的研究 伊波普猷
  • 第二八号 科学の不思議(三)アンリ・ファーブル
  • 第二九号 南島の黥 / 琉球女人の被服 伊波普猷
  • 第三〇号 『古事記』解説 / 上代人の民族信仰 武田祐吉・宇野円空
  • 第三一号 科学の不思議(四)アンリ・ファーブル
  • 第三二号 科学の不思議(五)アンリ・ファーブル
  • 第三三号 厄年と etc. / 断水の日 / 塵埃と光 寺田寅彦
  • 第三四号 石油ランプ / 流言蜚語 / 時事雑感 寺田寅彦
  • 第三五号 火事教育 / 函館の大火について 寺田寅彦
  • 第三六号 台風雑俎 / 震災日記より    寺田寅彦
  • 第三七号 火事とポチ / 水害雑録 有島武郎・伊藤左千夫
  • 第三八号 特集・安達が原の黒塚 楠山正雄・喜田貞吉・中山太郎
  • 第三九号 大地震調査日記(一)今村明恒
  • 第四〇号 大地震調査日記(二)今村明恒
  • 第四一号 大地震調査日記(続)今村明恒
  • 第四二号 科学の不思議(六)アンリ・ファーブル
  • 第四三号 科学の不思議(七)アンリ・ファーブル
  • 第四四号 震災の記 / 指輪一つ   岡本綺堂
  • 第四五号 仙台五色筆 / ランス紀行 岡本綺堂
  • 第四六号 東洋歴史物語(一)藤田豊八
  • 第四七号 東洋歴史物語(二)藤田豊八
  • 第四八号 東洋歴史物語(三)藤田豊八
  • 第四九号 東洋歴史物語(四)藤田豊八
  • 第五〇号 東洋歴史物語(五)藤田豊八
  • 第五一号 科学の不思議(八)アンリ・ファーブル
  • 第五二号 科学の不思議(九)アンリ・ファーブル
    • 第五巻
    • 第一号 校註『古事記』(一)武田祐吉
    • 第二号 校註『古事記』(二)武田祐吉
    • 第三号 校註『古事記』(三)武田祐吉
    • 第四号 兜 / 島原の夢 / 昔の小学生より / 三崎町の原 岡本綺堂
    • 第五号 新旧東京雑題 / 人形の趣味(他)岡本綺堂
    • 第六号 大震火災記 鈴木三重吉
    • 第七号 校註『古事記』(四)武田祐吉
    • 第八号 校註『古事記』(五)武田祐吉
    • 第五巻 第九号 校註『古事記』(六)武田祐吉
    • 古事記 中つ巻
    •  五、景行天皇・成務天皇
    •   后妃と皇子女
    •   倭建の命の西征
    •   出雲建
    •   倭建の命の東征
    •   思国歌
    •   白鳥の陵
    •   倭建の命の系譜
    •   成務天皇
    •  六、仲哀天皇
    •   后妃と皇子女
    •   神功皇后
    •   鎮懐石と釣り魚
    •   香坂の王と忍熊の王
    •   気比の大神
    •   酒楽の歌曲
    •  その太后息長帯日売の命〔神功皇后〕は、当時神帰せしたまいき。かれ天皇〔仲哀天皇〕、筑紫の訶志比の宮にましまして熊曽の国を撃たんとしたまうときに、天皇御琴を控かして、建内の宿祢の大臣沙庭にいて、神の命を請いまつりき。ここに太后、神帰せして、言教え覚し詔りたまいつらくは、「西の方に国あり。金銀をはじめて、目耀く種々の珍宝その国に多なるを、吾今その国を帰せたまわん」と詔りたまいつ。ここに天皇、答え白したまわく、「高き地に登りて西の方を見れば、国は見えず、ただ大海のみあり」と白して、いつわりせす神と思おして、御琴を押し退けて、控きたまわず、黙いましき。ここにその神いたく忿りて詔りたまわく、「およそこの天の下は、汝の知らすべき国にあらず、汝は一道〔一説に、死出の道。冥土〕に向かいたまえ」と詔りたまいき。ここに建内の宿祢の大臣白さく、「恐し、わが天皇。なおその大御琴あそばせ」ともうす。ここにややにその御琴を取りよせて、なまなまに控きいます。かれ、幾時もあらずて、御琴の音聞こえずなりぬ。すなわち火をあげて見まつれば、すでに崩りたまいつ。
    • 第五巻 第一〇号 校註『古事記』(七)武田祐吉
    • 古事記 中つ巻
    •  七、応神天皇
    •   后妃と皇子女
    •   大山守の命と大雀の命
    •   葛野の歌
    •   蟹の歌
    •   髪長比売
    •   国主歌
    •   文化の渡来
    •   大山守の命と宇遅の和紀郎子
    •   天の日矛
    •   秋山の下氷壮夫と春山の霞壮夫
    •   系譜
    •  また昔、新羅の国主の子、名は天の日矛というあり。この人まい渡り来つ。まい渡り来つる故は、新羅の国に一つの沼あり、名を阿具沼という。この沼のほとりに、ある賤の女昼寝したり。ここに日の耀虹のごと、その陰上にさしたるを、またある賤の男、そのさまを異しと思いて、つねにその女人のおこないをうかがいき。かれこの女人、その昼寝したりしときより妊みて赤玉を生みぬ。ここにそのうかがえる賤の男、その玉を乞い取りて、つねに裹みて腰につけたり。この人、山谷の間に田を作りければ、耕人どもの飲食を牛に負せて、山谷の中に入るに、その国主の子天の日矛に遇いき。ここにその人に問いていわく、「何ぞ汝飲食を牛に負せて山谷の中に入る。汝かならずこの牛を殺して食うならん」といいて、すなわちその人を捕らえて、獄内に入れんとしければ、その人答えていわく、「吾、牛を殺さんとにはあらず、ただ田人の食を送りつらくのみ」という。しかれどもなおゆるさざりければ、ここにその腰なる玉を解きて、その国主の子に幣しつ。かれその賤の夫をゆるして、その玉を持ち来て、床の辺に置きしかば、すなわち顔美き嬢子になりぬ。よりて婚して嫡妻とす。ここにその嬢子、つねに種々の珍つ味を設けて、つねにその夫に食わしめき。かれその国主の子心おごりて、妻を詈りしかば、その女人の言わく、「およそ吾は、汝の妻になるべき女にあらず。わが祖の国に行かん」といいて、すなわち窃びて小船に乗りて、逃れ渡り来て、難波に留まりぬ。〈こは難波の比売碁曽の社にます阿加流比売という神なり。
    •  ここに天の日矛、その妻の遁れしことを聞きて、すなわち追い渡りきて、難波にいたらんとするほどに、その渡りの神塞えて入れざりき。かれさらに還りて、多遅摩の国に泊てつ。すなわちその国に留まりて、多遅摩の俣尾が女、名は前津見に娶いて生める子、多遅摩母呂須玖。これが子多遅摩斐泥。これが子多遅摩比那良岐。これが子多遅摩毛理、つぎに多遅摩比多訶、つぎに清日子〈三柱〉。この清日子、当摩の�@斐に娶いて生める子、酢鹿の諸男、つぎに妹菅竃由良度美、かれ上にいえる多遅摩比多訶、その姪由良度美に娶いて生める子、葛城の高額比売の命。〈こは息長帯比売の命の御祖なり。
    •  かれその天の日矛の持ち渡り来つる物は、玉つ宝といいて、珠二貫、また浪振る比礼、浪切る比礼、風振る比礼、風切る比礼、また奥つ鏡、辺つ鏡、あわせて八種なり。〈こは伊豆志の八前の大神なり。
    • 第五巻 第一一号 大正十二年九月一日の大震に際して(他)芥川龍之介
    • オウム ――大震覚え書きの一つ―
    • 大正十二年九月一日の大震に際して
    •  一 大震雑記
    •  二 大震日録
    •  三 大震に際せる感想
    •  四 東京人
    •  五 廃都東京
    •  六 震災の文芸に与うる影響
    •  七 古書の焼失を惜しむ
    •  今度の地震で古美術品と古書との滅びたのは非常に残念に思う。表慶館に陳列されていた陶器類はほとんど破損したということであるが、その他にも損害は多いにちがいない。しかし古美術品のことはしばらくおき、古書のことを考えると黒川家の蔵書も焼け、安田家の蔵書も焼け、大学の図書館の蔵書も焼けたのは取り返しのつかない損害だろう。商売人でも村幸とか浅倉屋とか吉吉だとかいうのが焼けたから、そのほうの罹害も多いにちがいない。個人の蔵書はともかくも、大学図書館の蔵書の焼かれたことはなんといっても大学の手落ちである。図書館の位置が火災の原因になりやすい医科大学の薬品のあるところと接近しているのもよろしくない。休日などには図書館に小使いくらいしかいないのもよろしくない、(そのために今度のような火災にもどういう本が貴重かがわからず、したがって貴重な本を出すこともできなかったらしい。)書庫そのものの構造のゾンザイなのもよろしくない。それよりももっとつきつめたことをいえば、大学が古書を高閣に束ねるばかりで古書の覆刻をさかんにしなかったのもよろしくない。いたずら材料を他に示すことを惜しんで、ついにその材料を烏有に帰せしめた学者の罪は、鼓をならして攻むべきである。大野洒竹の一生の苦心になった洒竹文庫の焼け失せただけでも残念でたまらぬ。「八九間雨柳」という士朗〔井上士朗か〕の編んだ俳書などは、勝峰晋風氏の文庫と天下に二冊しかなかったように記憶しているが、それも今は一冊になってしまったわけだ。「七 古書の焼失を惜しむ」より)
    • 第五巻 第一二号 日本歴史物語〈上〉(一)喜田貞吉
    •  児童たちへ
    •  一、万世一系の天皇陛下
    •  二、日本民族(上)
    •  三、日本民族(下)
    •  四、天照大神
    •  五、天の岩屋戸ごもり
    •  六、八岐の大蛇退治
    •  七、因幡の白兎
    •  八、出雲の大社
    •  九、天孫降臨と三種の神器
    •  
    • (略)そこで天照大神は、いよいよ御孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)をこの国にお降しになって、これを安い国として平らかにお治めしめなさることになりましたが、それにはまずもって、大国主神の国をたてまつらしめなければなりません。これがために、三度まで使いをつかわしになりました。しかし、なにぶん大国主神の威勢がさかんなものですから、使いの神もその方へついてしまって帰ってまいりませんでした。最後に武甕槌神と経津主神とがお使いに立ちました。武甕槌神はのちに常陸の鹿島神宮に、また経津主神はのちに下総の香取神宮に、それぞれ軍神としておまつり申したほどの武勇すぐれた神々でありましたから、大国主神の威勢にもおそれず、よく利害をお説きになり、国を天孫にたてまつるようにとお諭しになりました。天孫とは瓊瓊杵尊の御事を申すのです。しかしこれは大国主神にとってはまことに重大な事件です。ご自身だけのお考えでは、おはからいかねになりました。そこでまずもって御子の事代主神のご意見をお問いになりましたところが、このとき出雲の美保が崎で、魚を釣っておられました事代主神は、
    • 「それはもちろん、大神のおおせにしたがいますよう」
    • と、いさぎよくご同意申し上げました。出雲の美保神社は、ここで釣りをしておられました縁故で、この事代主神をおまつりしてあるのです。
    •  かく事代主神がご賛成申したので、大国主神も今はご異存もなく、久しく治めておられました国を天孫にさしあげましたが、事代主神の弟神の建御名方神は、たいそう元気のさかんな神でありましたから、なかなかそれを承知いたしません。
    • 「それなら大神のお使いの神たちと、力競べをしてみよう」
    • と申しました。しかし建御名方神の力は、とても武甕槌神にかないっこはありません。とうとう信濃の諏訪まで逃げて行って、そこでおそれ入りました。今の諏訪神社は、その土地にこの神をおまつり申したのです。
    •  大国主神は、いよいよその国をさしあげましたについて、杵築の宮にお引きこもりになりました。これは今の出雲の大社で、その御殿は天孫のご宮殿と同じようにお造り申したということであります。命(みこと)が大神の命を奉じて、いさぎよくその国を治めることを天孫におまかせ申しあげましたので、天孫の方からは、特別の尊敬をもってこれをご待遇なされましたわけなのです。「八、出雲の大社」より)
    • 第五巻 第一三号 日本歴史物語〈上〉(二)喜田貞吉
    •  十、山幸彦と海幸彦
    •  十一、金鵄(きんし)の光
    •  十二、熊襲と蝦夷(一)
    •  十三、熊襲と蝦夷(二)
    •  十四、熊襲と蝦夷(三)
    •  十五、熊襲と蝦夷(四)
    •  十六、朝鮮半島諸国の服属
    •  十七、外人の渡来と外国文化の輸入(一)
    •  十八、外人の渡来と外国文化の輸入(二)
    •  十九、外人の渡来と外国文化の輸入(三)
    •  二十、外人の渡来と外国文化の輸入(四)
    •  
    •  今は帝国の一部となっている朝鮮半島にも、大昔にはたくさんの国がありました。その南のほうは馬韓・弁辰〔弁韓〕・秦韓〔辰韓〕の三つに分かれて、それを三韓と申しましたが、そのうちでも名のわかっているものが馬韓五十四国、これは半島の西南部に、弁辰十二国、秦韓十二国、これは半島の東南部に、三韓あわせて七十八か国ありました。またその北には高麗という強い国があり、そのほかにもまだ多くの国々がありまして、天孫降臨以前の日本内地と同じように、統一がなくておたがいに争うておりました。そのなかでも秦韓人は、シナの秦という時代に移住したシナ人の末で、その秦韓の中の新羅という国がだんだん強くなり、しだいに近所の国を併合します。また馬韓の中の百済という国もだんだん強くなって近所の国々を併合しまして、朝鮮半島には北に高麗、東南に新羅、西南に百済と、三つの強い国が鼎の足のように並んでいるというありさまとなりました。「十六、朝鮮半島諸国の服属」より)
    •  シナ人でいちばん古く朝鮮半島に移住したのは、前に申した秦韓人で、これはシナでは秦という時代の人々だといわれておりますが、その後今から二〇〇〇年ばかり前、秦が滅んで漢の時代となり、その漢の武帝という偉い天子のときに朝鮮を伐って、さかんに漢人の移住がありました。
    •  この人たちは、朝鮮半島の西北部にある大同江の付近、楽浪という所におもに住んでおりましたので、今にその地の古い墓の中から漢時代の文化を見るべき立派な品物がたくさん掘り出されまして、近ごろ日本の大学の学者たちが熱心にそれを研究しております。すなわち朝鮮には秦人と漢人と、同じシナ人でも時代が違い、しぜん文化も違った二通りの人たちが秦韓と楽浪とに移住していたのです。
    •  その秦人のいた秦韓の地は、のちに新羅の国となったところですが、ここからはいちばん早く日本へ移住民がありました。天日槍(あめのひぼこ)のお話はそのことを語っているものであります。「十七、外人の渡来と外国文化の輸入(一)」より)
    • 第五巻 第一四号 日本歴史物語〈上〉(三)喜田貞吉
    •  二十一、外人の渡来と外国文化の輸入(五)
    •  二十二、外人の渡来と外国文化の輸入(六)
    •  二十三、大臣(おおおみ)と大連(おおむらじ)
    •  二十四、仏教の伝来
    •  二十五、聖徳太子と文化の進展(上)
    •  二十六、聖徳太子と文化の進展(下)
    •  二十七、大化の新政(上)
    •  二十八、大化の新政(中)
    •  二十九、大化の新政(下)
    •  三十、朝鮮半島諸国の離反
    •  
    •  応神天皇の御代に渡来した阿知使主(あちのおみ)の仲間は、これももとはシナ人ではありますが、朝鮮の大同江付近、すなわち漢の時代の楽浪、魏の時代の帯方から来たもので、古くここに移住していた漢人の子孫でありましょう。わが国ではこれを弓月君(ゆつきのきみ)の仲間の秦人に対して、漢人といっています。文字に「漢人」と書くのは、シナ漢代の人の移住民の子孫だからでありましょうが、これをわが国で「あやびと」といったのは、かれらがいろいろの模様のついた織り物を織ったためであります。(略)
    •  漢人の仲間は、秦人が衰えて方々に散らばったのとは様子が違って、都に近い大和の国の高市郡(たかいちごおり)にまとまって住んでおりました。今から一一〇〇年ばかり前までも高市郡の住民は十中の八、九まで、みなこの仲間であったというほどにも、かれらはここで繁昌したのでした。しかしこれらの多数の人々も、いつの間にか、みな日本民族の仲間になり、ほかの人たちと少しも区別のないものになってしまっているのです。
    •  高市郡の中では、飛鳥が漢人の中心地でありました。そしてここが久しくわが国における文化の起原地となりました。のちに仏法が伝わってきましたときにも、まずここに立派な寺ができます。しぜん、政治の上にも社会の上にも勢力を有することとなり、おしまいには、これまで御代ごとにたいてい場所が変わっておった都までが、この飛鳥にきまってしまうというほどの勢いとなりました。
    • (略)のちに第三十三代推古天皇の御代に、聖徳太子のお指図でシナへ留学しました僧侶や学生なども、やはりみなこの漢人の仲間でした。「二十一、外人の渡来と外国文化の輸入(五)」より)
    • 第五巻 第一五号 日本歴史物語〈上〉(四)喜田貞吉
    •  三十一、奈良の都(上)
    •  三十二、奈良の都(下)
    •  三十三、奈良朝仏教の隆盛(上)
    •  三十四、奈良朝仏教の隆盛(下)
    •  三十五、奈良時代の行きづまり
    •  三十六、平安遷都
    •  三十七、藤原氏の全盛(一)
    •  三十八、藤原氏の全盛(二)
    •  三十九、藤原氏の全盛(三)
    •  四十、藤原氏の全盛(四)
    •   
    •  そんな勢いですから宇多天皇は、こう藤原氏ばかりにすべての政治をおまかせになりましては、ますますそのわがままがひどくなることをご心配になりまして、菅原道真をお引き上げになり、藤原氏の勢力をおさえようとなさいました。かくてつぎの帝(みかど)第五十九代醍醐天皇の御代には、基経(もとつね)の子時平(ときひら)は左大臣、道真は右大臣というぐあいに、あいならんで政治にあずかることになりました。
    •  しかしながら菅原氏はもと学者の家で、むかしから大臣になったことなどは一度もなかったのであります。されば、いかに天皇のご信任がお厚かったとは申せ、この藤原氏のさかんな時代に、そんな家から出た道真が大臣となって藤原氏とならぶということは、時平にとっては不平でたまりません。その他のものも、道真がその家柄の低いのにかかわらず出世があまりにひどかったので、自然それをねたむようになります。そんなしだいで道真は、のちに太宰府にうつされまして、せっかくの宇多天皇の御心も、かえって藤原氏の勢力をいっそう盛んならしめる結果となりました。
    •  道真が退けられましてのちは、もはや藤原氏と張りあってその勢力を分かとうというほどのものもありません。これからのち藤原氏の人々は、ご幼少の天皇をお立て申しては自身摂政に任ぜられ、天皇がご成長あそばしますと関白に任ぜられるというふうに、おそれ多いことではありますが、天皇はただ尊く上にましますばかりで、政治はすべて藤原氏まかせというような、ひどい御ありさまになってしまいました。「三十八、藤原氏の全盛(二)」より)
    • 第五巻 第一六号 校註『古事記』(八)武田祐吉
    •  古事記 下つ巻
    •   一、仁徳天皇
    •    后妃と皇子女
    •    聖の御世
    •    吉備の黒日売
    •    皇后石の比売の命
    •    八田の若郎女
    •    速総別の王と女鳥の王
    •    雁の卵(こ)
    •    枯野という船
    •   二、履中天皇・反正天皇
    •    履中天皇と墨江の中つ王
    •    反正天皇
    •   
    •  子伊耶本和気(いざほわけ)の王〔履中天皇〕、伊波礼の若桜の宮にましまして、天の下治らしめしき。この天皇、葛城の曽都毘古(そつびこ)の子、葦田の宿祢が女、名は黒比売の命に娶いて生みませる御子、市の辺の忍歯の王、つぎに御馬の王、つぎに妹青海の郎女、またの名は飯豊の郎女〈三柱〉。
    •  もと難波の宮にましましし時に、大嘗にいまして、豊の明したまうときに、大御酒にうらげて、大御寝ましき。ここにその弟墨江の中つ王、天皇を取りまつらんとして、大殿に火をつけたり。ここに倭の漢の直の祖、阿知の直、ぬすみ出でて、御馬に乗せまつりて、倭にいでまさしめき。かれ多遅比野にいたりて寤めまして詔りたまわく、「ここは何処ぞ」と詔りたまいき。ここに阿知の直白さく、「墨江の中つ王、大殿に火をつけたまえり。かれ率まつりて、倭に逃るるなり」ともうしき。ここに天皇歌よみしたまいしく、
    •  丹比野に 寝んと知りせば、
    •  防壁(たつごも)も 持ちて来ましもの。
    •  寝んと知りせば。
    •  波邇賦(はにふ)坂にいたりまして、難波の宮を見放けたまいしかば、その火なお炳(も)えたり。ここにまた歌よみしたまいしく、
    •  波邇布坂 吾が立ち見れば、
    •  かぎろいの 燃ゆる家群、
    •  妻が家のあたり。
    •  かれ大坂の山口にいたりまししときに、女人遇えり。その女人の白さく、「兵を持てる人ども、多(さわ)にこの山を塞えたれば、当岐麻道よりめぐりて、越え幸(い)でますべし」ともうしき。ここに天皇歌よみしたまいしく、
    •  大坂に 遇うや嬢子を。
    •  道問えば ただには告らず、
    •  当岐麻路を告る。
    •  かれのぼり幸でまして、石の上の宮にましましき。「二、履中天皇・反正天皇」「履中天皇と墨江の中つ王」より)
    • 第五巻 第一七号 校註『古事記』(九)武田祐吉
    •  古事記 下つ巻
    •   三、允恭(いんぎょう)天皇
    •    后妃と皇子女
    •    八十伴の緒の氏姓
    •    木梨の軽の太子
    •   四、安康天皇
    •    目弱の王の変
    •    市の辺の忍歯の王
    •   五、雄略天皇
    •    后妃と皇子女
    •    若日下部の王
    •    引田部の赤猪子
    •    吉野の宮
    •    葛城山
    •    春日の袁杼比売(おどひめ)と三重の采女
    •   
    •  夏草の あいねの浜の
    •  蛎貝に 足踏ますな。
    •  明(あか)してとおれ。
    •  かれ、後にまた恋慕にたえかねて、追いいでまししとき、歌いたまいしく、
    •  君が行き け長くなりぬ。
    •  山たづの 迎えを行かん。
    •  待つには待たじ。〈ここに山たづといえるは、今の造木なり〉
    •  かれ追いいたりまししときに、待ち懐(おも)いて、歌いたまいしく、
    •  隠国(こもりく)の 泊瀬の山の
    •  大尾には 幡張り立て、
    •  さ小尾には 幡張り立て、
    •  大尾よし ながさだめる
    •  思い妻あわれ。
    •  槻弓の 伏(こや)る伏りも、
    •  梓弓 立てり立てりも、
    •  後も取り見る 思い妻あわれ。
    •  また歌いたまいしく、
    •  隠国の 泊瀬の川の
    •  上つ瀬に 斎杙(いくい)を打ち、
    •  下つ瀬に ま杙を打ち、
    •  斎杙には 鏡をかけ、
    •  ま杙には ま玉をかけ、
    •  ま玉なす 吾が思う妹、
    •  鏡なす 吾が思ふ妻、
    •  ありと いわばこそよ、
    •  家にも行かめ。国をも偲(しの)わめ。
    •  かく歌いて、すなわちともにみずから死せたまいき。かれこの二歌は読歌なり。「三、允恭天皇」「木梨の軽の太子」より)

    ※ 定価二〇〇円。価格は税込みです。
    ※ タイトルをクリックすると、月末週無料号(赤で号数表示) はダウンロードを開始、有料号および1MB以上の無料号はダウンロードサイトへジャンプします。