宮本百合子 みやもと ゆりこ
1899-1951(明治32.2.13-昭和26.1.21)
小説家。旧姓、中条。東京生れ。日本女子大中退。顕治の妻。1927〜30年ソ連に滞在、帰国後プロレタリア作家同盟常任委員。32年から終戦までに3度検挙。戦後、民主主義文学運動の先頭に立つ。作「貧しき人々の群」「伸子」「二つの庭」「播州平野」「道標」など。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店)。写真は、Wikipedia 「ファイル:Yuriko Miyamoto.jpg」より。


もくじ 
作家のみた科学者の文学的活動(他)宮本百合子


ミルクティー*現代表記版
作家のみた科学者の文学的活動
科学の常識のため

オリジナル版
作家のみた科学者の文学的活動
科学の常識のため

地名年表人物一覧書籍
難字、求めよ
後記次週予告

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  • 一、漢字、かなづかい、漢字の送りは現代表記に改めました。
  • 一、若干の句読点のみ改めました。適宜、ルビや中黒をおぎないました。
  • 一、ひらがなに傍点は、一部カタカナに改めました。
  • 一、和暦にはカッコ書きで西暦をおぎないました。年次のみのばあいは単純な置き換えにとどめ、月日のわかるばあいには陰暦・陽暦の補正をおこないました。
  • 一、カタカナ漢字混用文は、ひらがな漢字混用文に改めました。
  • 一、書名・雑誌名は『 』、論文名・記事名は「 」で示しました。
  • 一、差別的表現・好ましくない表現はそのままとしました。


作家のみた科学者の文学的活動
底本:「宮本百合子全集 第十一巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年1月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
親本:「宮本百合子全集 第七巻」河出書房
   1951(昭和26)年7月発行
初出:「科学ペン」
   1937(昭和12)年10月号
http://www.aozora.gr.jp/cards/000311/card2787.html
NDC 分類:914(日本文学/評論.エッセイ.随筆)
http://yozora.kazumi386.org/9/1/ndc914.html

科学の常識のため
底本:「宮本百合子全集 第十四巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年7月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第九巻」河出書房
   1952(昭和27)年8月発行
初出:「新女苑」
   1940(昭和15)年8月号
http://www.aozora.gr.jp/cards/000311/card3116.html
NDC 分類:404(自然科学/論文集.評論集.講演集)
http://yozora.kazumi386.org/4/0/ndc404.html




作家のみた科学者の文学的活動

宮本百合子


   「生」の科学と文学

 ずいぶん古いことになるが、モーパッサンの小説に『生の誘惑』というのがあり、それを前田まえだあきら氏であったかが訳して出版された。わたしは十四、五で、その小説を熱心に読んだ。なかに、パリの社交界で華美ないかがわしい生活を送っている女の娘が、樹の下の草にねころびながら、男の友だちに本を読んでもらっている。美しい娘は草の上にはらばいになって手に草の葉を持ち、そこにつたわってきている一匹のアリをながめてそれと遊びながら、アリの生活を書いた本を読んでもらっている。その光景がモーパッサン一流の筆致でいきいきと描かれていた。
 ファーブルの名を知ったのは、たぶんこれがきっかけであったと思う。それから、ファーブルの『昆虫記』をすこし読んだが、これは何冊も読みつづけることができなかった。どういうことが読みつづけられない原因か考えていなかったのであるが、昨年、本ばかり読んで暮らさなければならない生活におかれていた間に、ふたたびファーブルやその伝記『科学の詩人』にめぐり会い、科学と文学というものについて新しく感想を刺激されたのであった。
 ファーブルの伝記を読むと、彼が同時代人であったチャールズ・ダーウィンの科学的方法、生活法に内心猛烈な反発をぞうしていたらしい。ダーウィンの境遇はいわば、よい意味でのお坊ちゃん風な色調が強いのに反して、ファーブルはコルシカあたりに教師をしたりして貧困と窮乏きゅうぼうたたかいつつ、自分の科学への道を切りひらいて行っている。イギリス人とフランス人、特にドーデなどがまざまざと特徴づけている南フランスの血が、ファーブルの気象の中で境遇的にもダーウィンとはじき合ったことは人間生活の画面として無限に興味がある。
 素人しろうとでよくわからないけれども、ダーウィンが帰納的にしゅを観察し、進化を観察していったに対してファーブルが、どこまでも実証的な足場を固執こしつしたのもおもしろい。だが、ファーブルのある意味での科学者としての悲劇は、むしろそういうところにあったのではなかろうか。
 ファーブルは、ダーウィンの著作を退屈でやりきれぬものとして軽蔑けいべつしている。事実、ダーウィン自身文章を書くことはまことに苦手で、はじめと終わりの脈絡が書いているうちに自分でもわからなくなるような時があるとかこっている。しかし今日のわたくしどもは、かえって退屈なダーウィンの方が、ファーブルより科学の本としてはかえって親しめるのである。ここに科学者によって考えられている文学的なるものの微妙な問題がかくされていると思うのである。
 科学は理性の主動するもの、芸術・文学は感情・感覚が主として発動するものという簡単な区分の方法は、今日、科学者の理解からも文学者の理解からも、もうすこし複雑に、いわゆる科学的に高められてきている。ファーブルなどの時代では、文学においても十分問題である擬人法のロマンチックな色彩の横溢おういつが、文学的であるとして考えられていたらしい。冷たい、理知だけの操作でない、対象との人間らしい共感においての観察という点の強調が、虫にほおかぶりをさせたり、草むらのアパッシュ〔ならず者。たらしめたりした。ファーブルの伝記者は、アナトール・フランスがファーブルの文章は悪文であるといったということをおこっているが、今日の第三者は、フランスはやはり文学の正道せいどうから見ての真実を言ったと思わざるを得ないのである。

   科学と文学の交流

 よく、科学者に珍しい詩人的要素とか審美的な感覚とかいう表現が、一つの賛辞さんじとして流用されている。故寺田寅彦博士の存在は、文化の総合的な享楽者または与え手という意味で、多数の人々の敬愛をあつめている。絵も描き、文章に達し、音楽も愛し、しかも音楽(セロ)の演奏ぶりなどにはなかなか近親者に忘れがたい好感をあたえるユーモアがあふれていたようである。日本の明治以来の興隆期の文化は夏目漱石でその頂点に達し、同時に漱石の芸術には、今日の日本を予想せしめる顕著な内部的矛盾が示されている。
 寺田氏の文化性というものも、日本のその時代の特色を多く持っていると思う。社会的な境遇からいっても、寺田氏にあっては好きな勉強の主な一つとして科学が選ばれている。氏の文章を読むと、科学的なもの、文学的なもの、絵画的なものが一個の能才者の内部に総合された諸要素として立ち現われてきている。寺田氏の科学的業績をうんぬんする資格はもとよりないのであるけれども、文学的遺業についてみると、寺田氏がこの人生に向かった角度に争われぬ明治時代色があり、同時代の食うにこまらなかった知識人の高級なディレッタンティズムがただよっているのである。文学的才能、音楽、絵画の天分が、強い透明なほのおで科学的天稟てんぴんの間に統一されきっているのではない。寺田氏は、豊富な自分の才能のあの庭、この花園と散策する姿において、魅力を感じる人々にかぎりない愛着を抱かせているのである。
 チンダル〔ジョン・チンダル。のアルプス紀行は、科学と文学との関係で、寺田氏とは異なった典型であると思う。チンダルは科学者の心持ちで終始一貫いっかんして、その科学精神のつよくリアリスティックであることから独特の美を読者に感じさせる。いわゆる文学的な辞句じくの努力や文学的感情といわれているものやへの人為的な屈折なしに、すっきりとした高い人間らしい美を示している。科学者の文筆活動の示しうる望ましい美は、こういう統一の姿においてではなかろうか。今日の科学の可能と、明日の科学のためにいまだ残されている客観的現実の豊饒ほうじょうさ、科学的方法が年から年へ進歩する行進曲の意味を、心と身にひきそえて科学者たることを生きるよろこびと感じうる科学者。科学的探求を、いうところの学問として静的に見ず、社会と歴史とに働きかけ、また、それらから働きかけられつつ動く人間的行為、実践として科学を把握する科学者。これから、ますますそういう科学者が生まれなければならない。
 今日われわれが受けいでいる文化、感情、知性は、社会の歴史に制せられてその本質にさまざまの矛盾、撞着どうちゃく蒙昧もうまいを持っていることは認めなければならない事実である。科学者が科学を見る態度にも、これをおのずから反映している。特に、今日の科学ではいまだ現実の諸現象のあまねき隅々すみずみまでを、すべての人々の感情に納得ゆくように解明しきらない部分が残されていることが、科学者自身の生きかたにさえ妙な信念の欠乏と分裂とをおこさせている実例が決して少くない。この分裂において、ヨーロッパの科学者は多く昔ながらの神へ逃げこんだ。日本の科学者は主観的な天の観念あるいは日常的な人情のしがらみに身をからめた。科学的精神の発展の路は困難を持っていて、歴史の種々な時期に迷信とたたかい、誤った国粋主義とたたかい、同時に自身の制約ともたたかって今日におよんできているのである。
 日本の科学者の心持ちは、今日どのような状態におかれているのであろうか。非常に複雑な問題であるが、明治、大正の時代からみれば、科学者に自覚されてきた社会意識の点で、今日はやはり特徴ある一時期であるといえると思う。さて、日本の科学者は上向線をたどっていた経済、政治、文化の波頭におされて、主観的には科学のための科学に邁進まいしんしていると思いながら、客観的には当時の社会の支配勢力に役立ちつつあった。ダーウィンの学説が、十九世紀イギリス資本主義興隆こうりゅうの科学的裏づけとして使われたごとくに。

   科学者の社会的基調

 昨今の社会情勢は推移して、もはや科学性のそれ以上の発展と支配力の利害とは一致しえなくなってきた。科学に対する統制は、科学の発展を阻害して目前の功利主義へ引き止める形としてあらわれてきている。多くの科学者が、科学の立場からその強力な摩擦まさつに苦しみ、そのような統制に反対の意志を示しているのは当然である。このような統制は本質的には、一般的に人間の知性の否定、あるいは一方的な抑圧を意味するのである。文化の相関的一翼として、文学においてもこの現象は今日あきらかに現われている。それは後にふれることとして、最近、石原いしわらじゅん氏が、いわゆる統制に反対の立場において書かれている一、二の文章の中で、疑問に感じたことがある。
 石原氏は、科学が軍事的功利主義であまり掣肘せいちゅうされることの害悪を主張しておられる。その点は誰しも会得とくしやすいのである。しかし、石原氏がナチの科学政策とソ連の科学政策とを質的に同一なものとして否定しておられるのは、なんだかに落ちない。常識人の目にうつるナチは、病的な民族主義の強調などによって、自身の文化・科学をも貧弱化せざるを得ない矛盾を露出している。石原氏がその学説の解説者として自身を示した、アインシュタインのナチから受けた迫害などを実際に見て、はたして石原氏の感想はどうであろう。アインシュタイン自身が自分の心持ちからレーニングラードのアカデミーで働くのなどはいやだというのと、ソ連がもし希望ならばよろこんで、この名誉ある人類的スケールの科学者にふさわしい待遇をした、というのとは、二つの別な態度なのではあるまいか。くどく説明を要しないナチとは違う本質が語られているのではあるまいか。
 石原氏は『改造』九月号の「科学者と発明家」という文章の中でも、くりかえし上にのべた観点を主張しておられる。そして、今日の機構がしからしめている「特許」というものの性質が反科学的であることにふれ、「さいわいにして、純粋の科学の世界には、このような資本主義の弊害はさほどおよぼしてきていない」云々うんぬんと、科学者が発明家にくらべて資本主義的害悪から超然としていられることを語っておられる。けれども、社会悪は金銭的形態利害擁護の姿でだけ素朴そぼくにあらわれるものではないのである。忌憚きたんなくいえば、石原氏がナチとソ連の科学政策をその現実の本質につき入って比較する力を欠いておられる事実なども、社会悪がもっとも複雑微妙な作用としてあらわれてきているところの科学精神における一つの決定的マイナスなのである。
 科学精神における、こういうような多種多様でかつ隠微いんびな形のマイナスの侵入は、じつに危険であると思う。なぜなら、科学性の客観的敗北はつねにこの盲点を契機としておこなわれ、しかもそれが敗北であることがどうしても自覚され得ないという危険を持っているからなのである。

   科学者の随筆的随想

 科学者の社会的関心が積極的になった一つの表現として、一般のジャーナリズムの上での科学者の文筆活動のさかんになったことがあげられていることがあった。特に、知名な科学者の随筆などが求められる傾きが強くあった。注意をひかれざるを得ないのは、一部の科学者をジャーナリズムにまねき出したこの時期は、読書人の間に随筆がむかえられたとき、内田百間氏が『百鬼園随筆』によって第一段の債鬼さいき追っ払いをした時代であり、日本文学の動向においてかえりみると、これは明瞭な指導性を持つ文芸思潮というものが退潮してのち、しかも今日ではおおうべくもない文化に対する統制がしだいに現われようとする時であった。森田たま氏の『もめん随筆』などが目前の興味の対象となった時代である。科学者の随筆が求められたのも、独特な科学随筆を要求されたのではなくて、ああいう人がこういうものを書く式の興味によって求められたのであった。
 したがって科学者の随筆は、いわゆる科学的な態度ではない文学的と思われる方に傾き、そのことでは自覚されない底流で、科学精神の分裂をゆるしたともいえないことはない。文学そのものが客観的現実に対する眼光の確かな洞察力を失い、創造力の豊かな社会的地盤を失ったとき、よりイージーで小規模な人生と芸術への主観的角度を持つ随筆の流行を見るのであるから、この意味で科学者の無方向な随筆活動への参加は、二重の力で文化をくだり坂に押す結果にさえなるのである。
 探偵小説のおもしろみというものの真髄はどこにあるのであろう。そして、外国ではどうか知らないが、なぜ日本では医学方面の専門家が、この探偵小説を執筆するのであろう。法医学的な分野で接近があり、心理学・神経病理学とのつながりがあるからなのだろうか。現在おこなわれている探偵小説・怪奇小説のたぐいは、退屈しているもの、毎日の生活感情に自主的弾力と方向とを持たないものが、おもしろがって熱中するのであろうと思う。この種の物語は最後にかならず解答が出てくるという厳然げんぜんとした約束に立っている。しかもそこまでを、できるだけ迷路にひっぱって、模造の山河をしつらえて、引きまわされるのを承知して引きまわされてゆくおもしろさである。
 科学的構造が精密であればあるほど、いわばうその過程に複雑さがあっておもしろいのだろう。ある意味での知的デカダンスである。知恵の輪の好きな人間ときらいな人間がある。きらいな人間の方がより真実の意味でインテレクチュアルであるし、溌剌はつらつとして現実的である。
 科学者が自身の科学的知識によって、文筆上いろいろ遊ぶのがいけないとひとくちに言いきれないかもしれないが、少くとも本当の科学者であるならば、科学の健全性・啓蒙性にそって、こういう種類の余技、あるいは道楽をするべきであると思う。それは科学者としての最小限の義務ではなかろうか。

   科学と探偵小説

 木々きぎ高太郎たかたろう氏は、執筆する探偵小説によって賞をも得たことは周知であり、パヴロフの条件反射を専攻されている医博であることを知らぬものはない。同氏の『夜の翼』という探偵小説集が出ていて、それを読み、漠然としたおどろきに似た心持ちを得た。たぶん『条件』という題で同氏には随筆集もある。それを読んでおらず、他の探偵小説集も読まず、ただ一冊だけについて物をいうのは、せまい結論をひきだすかもしれない。が、もし『夜の翼』が氏としてあまり確信のない作品集であるのならばまたそれはそれとして、失敗の中にあらわれている失敗の本質やその傾向がやはり観察の対象とされ得ると思う。
 この集の巻頭にある「無罪の判決」の中には探求すべきいくつかの問題がかくされているのである。話の筋は、氏の得意とされる馴れの行動による知識人夫妻の悲劇的殺傷問題である。良人おっとが凶器を持って不自然に死んだ妻のそばに立っていた。だから良人おっとが手をくだしたのではないかという疑いはいちおう誰しも持つであろう。実際は誤った自殺であった。五十一ページにわたる探偵小説は、主人公が「現実と理性との薄明にさまよっている知識階級で」あり「このような知識階級にありがちな、ことにこういう犯罪事件に際して出てくる特徴は、どうも現実を理性で納得させるというおもむきがあることである。ほんとのところを言えというと、殺人は否定しているのだ。しかし自分が殺した証拠がかくも多数にあるというと、理性からの判断では、本人といえども殺人を認めなくてはならぬことになる。こういう時に、理性の方を信頼して、現実の方を信頼しないというようなおもむきがある。
 そこを予審判事が特別に注意したことから、無罪を証明し得るにいたる過程は成立しているのである。
 一般の読者は、このまったく特徴的な数行をなんら不思議な気がしないで読むのだろうか。探偵小説の読者というものは、こういうわれわれの常識で合点のゆかない現実のゆがみも承認するほど、不健康な精神活動にならされているものなのだろうか。
 良人おっとに左翼女優の比叡子という愛人ができ、妻はそれを苦しみ、愛をとりもどそうとして自分をきずつけたことから誤って死んだのであったが、法廷でこの女優が、殺人をおかさせたのは自分であるという。その心持ちを、人間的な感情上の責任感としてあるがままに理解せず、木々高太郎氏はその心理をたいへんひねってあつかっている。
「私は今、あのときの比叡子の気持ちがわかります。私との間の、いわば恋愛が進行して、自分で自分がわからなくなったというので、いくぶんかでも私を愛していてくれたことを信じます。しかし私が捕らえられてから、比叡子はふたたび私をすっかり離れて、左翼的な気持ちになってしまっています。法廷でわたしの証人に立ったときに、自分もまた殺人の罪を共にするはずだと言ったり、なお私のことを自分のために妻を殺したのだと解釈したりしたのは、その証拠です。普通の人だったら、わたしが殺したのか自殺なのかわからぬことはわからぬというはずですが、そして正直な人はそう答えるでしょう。ところが比叡子が殺人を犯させたのは自分であるなどと証言するのは、やはり左翼的な、合理的な考え方にならされているのから出てきた解釈です。左翼の人は日本とソビエトとを問わず、この合理的解釈を持っていますから、時とすると、真相を理解することができないのだろうと思います。
 松本という予審判事は男のうちとけた態度に好感を持ったと書かれているが、読者は困惑と不快との感情に残されるのである。
 木々高太郎氏はこの小説の中で、現実と理性、合理性と現実というものをはなはだしい分裂・対立において示そうとしている。理性のそなわった人間なら自分が殺さないという事実は、一見、物的証拠がそろっていてもはっきり自分にわかっている。だからその事実に立脚して外部的判断と闘うというふうに考えるのは普通人ふつうじんの頭である。木々高太郎氏は、その「理性の方を信頼する」という内容を逆に見ている。ほとんど正気と思われないほど受動的な、被暗示的な精神状態において表現し、卑俗にいえば、「あまりお前が盗んだといわれるもんで、そんな気になっちゃった」というぐあいにあつかっている。しかも、それがインテリゲンツィアは現実より理性にたよるからであるというような観方を結論でいわれるのは現実的でない。常識の中で、理性という言葉はそういう逆説で使われてはいないのである。
 さらに合理性を左翼の思想と連関させて、合理性では現実の真相を理解しえないというふうに強調されているのを見ると、ピンとくるものがあって、自然、著作年表を見た。するとこの作は昭和十二年(一九三七)一月の作である。本年の作である。本年の一月ごろから日本文学の動きは『文学界』を中心に、文学における科学的・客観的評価の否定、合理的な世界観の拒否の声がいっそう高まり、昨今はこのグループによって変種の実証主義、信仰的体験への要求が提出されている。文化における極端な民族尊重の傾向と結びついているものであって、日本文学の発展の歴史において明瞭に後退と反動とを示しているものなのである。科学の分野で、統制の問題が論議されはじめたのとほぼ時を等しくしている。このとき、木々高太郎氏の理性と現実の乖離かいりを強調した作品が生まれたのは単なる偶然であろうか。

   現実は批判する

 志賀直哉氏の昔の小説に、ハンの犯罪』という題の作品がある。これはハンという支那の剣つかいの芸人が、あやまって妻を芸の間で殺し、過失と判定されるのであるが、妻を嫉妬しっとし憎悪が内心にひそんでいた自覚から、法律の域外の人間的苦悩を感じる主題であったと思う。志賀氏の作品と探偵小説とを同日に論ずべきでないが、しかし、日本のインテリゲンツィアの思想史、生きる態度、人間性の質量と方向の推移とをこの二つの作品によって調べることは可能である。
 志賀氏のばあい、ハンの理性は、法律上の物的証拠よりより深い人間的心理の現実、その真実に向かって働いている。木々高太郎氏の主人公は、理性にたよるものだから、つい本当でもないことを本当だと承認することになる。このばあい、理性、あるいは知性は喪失そうしつしたものとしてしか実際に現われていないのである。
 ここに一人の女がいて、自分がその男を愛し、恋愛的交渉にあるためにそれを苦しんだ妻が自殺したというとき、自分が間接その死の原因となっているという気持ちを抱くのは、人間として、いわゆる人間的な心理であると思う。また、人間相互の生活感情・社会関係の現実における複雑な作用のしかたの実際でもある。ハンのばあい、一人の人間の運命に対する主観的な愛憎の責任、その責任感の自覚という追究でテーマが深められた。木々高太郎氏の作品では、殺すという行動を機械的に殺しの操作それ自体に切りはなしてしまって、比叡子の心持ちを合理性そのものの解釈においてさえ歪曲わいきょくされている合理主義で批判している。概括がいかつして二つのいずれが、よりリアリスティックな誠意を持った現実把握の態度であるかをいうにはおよばないのである。
「無罪の判決」という一小編探偵小説の中に、なかなか無邪気ならぬある種の現代文化の動向を反映しているこの作者は、めしいた月」でちょっとしたヒステリーに関する科学的トリックを利用しつつ、ウィーンにおける親日シナ青年李金成暗殺の物語を語るなかで、「シナ人を捕らえる方法を知っていますか? それは在住シナ人の数名のものを買収なさい。日本人を捕らえるときにはそれは不可能ですが、シナ人を捕らえるときには、それが唯一の手段です。
というような辞句を示している。去年の秋の作品であるが、この粗大そだいな、民族的類型化を卓抜たくばつな科学者であるという沼田博士に言わしめているのである。アメリカに移民として働いている日本人の不正入国をしたものが何より恐れているのは、アメリカ人であるか、ニグロであるか、あるいは同じ日本人であるか。
 科学者は、科学的であるかという悲しい疑問が心にわくのをおさえがたいのである。社会の歴史のある波によっては、非科学的な科学と科学者が、特にジャーナリズムの表面に浮き上がるばあいがある。あるいは、今日における科学と科学者との弱い部分、非科学的な部分、内部的分裂面が文化反動に影響され、客観的には、知性・人間性の圧殺に加担したことになりやすい。今日はその危険に対する自他ともの慎重な戒心かいしんが決して少なくてよい時期ではないのである。
〔一九三七年十月〕



底本:「宮本百合子全集 第十一巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年1月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
親本:「宮本百合子全集 第七巻」河出書房
   1951(昭和26)年7月発行
初出:「科学ペン」
   1937(昭和12)年10月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年2月17日作成
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科学の常識のため

宮本百合子


 コフマンの『科学の学校』が、神近かみちか市子いちこの翻訳で実業之日本社から出版された。訳者から送られた一冊を手提てさげ袋に入れてよそへ出かける電車の中だの、待っている間だのに読んでいるうち、この小さい本をめぐって私の感興かんきょうはいろいろに動かされた。
「はしがき」にいわれているとおり、著者レイモン・コフマンというアメリカの社会教育者は、ほかに『人類文化史物語』という世界的な名著を持っていて、それはやはり神近かみちかさんが訳して岩波文庫に二冊で出ている。
 コフマンのめざすところは、「なんでも必要な事実だけ、科学的な事実だけを、それもなるべく早く知らせてそれに子どもたちの興味をおこさせ、その興味の成長によって大きくなった子どもたちが、健康な人生の内容を自分で形づくっていくよう」に導いていこうというにある。コフマンはこの一貫した方針に立って、レイおじさんという名で年少者のために十数年来活動してきている人なのだが、彼が特に年の小さいものたちを、希望と期待との対象としたのはどういうわけからであったろう。
 われわれが住んでいる今日の文明は、昔にくらべればずいぶん進歩したものだとおどろかされる部分が多い。二十年前の祖母たちの娘時代にはなかった日常のさまざまの便利、よろこびが加わってきていて、今日の娘たちの生活も豊富にされていることは疑えない事実であると思う。だけれども、その半面には、進歩がつねにその後ろにひっぱっている過去からの尻尾しっぽというものもあって、その尻尾しっぽは、電気力の利用というふうなものの発達のスピードに合わせては、よりテンポののろい進みかた、変化のしようで私たちをとりかこむ常識のなかに隠されている。隠れてはいるけれども、何かのおりには、その尻尾しっぽが事物の進行のバランスを狂わせて人間生活の紛糾ふんきゅうや混乱をもたらす動機となっている。迷信だの、いろいろのことに対する偏見というものから、今日人間がまったく自由になっているということは決して言いきれないのが実際である。物質と精神との力で、科学の力をもっとも活発に毎日の市民生活にとりいれているはずのアメリカの一つの州では、宗教上の偏見からダーウィンの進化論について講義することを禁じられているという信じられないような事実もある。コフマンはアメリカの人だから、自分の国の一面に存在するそういうおくれかたを憂慮ゆうりょする心持ちも強いであろう。そんなおろかな偏見にわずらわされない若者たちが、自然と人間との現実をはっきり把握して愛する大人として現われることを切望しているだろう。子どものためにコフマンがたくさん執筆している心持ち、この『科学の学校』もそういうものの一つとして書かれている心持ち、それは私たちにも同感をもって理解されるのである。
 コフマンのもう一つの特質として、この本の中ででも、人間の精神的な、物質的な努力が文化を進めてきた事実を、しっかりと理解してそれを語っている点である。単純な楽天で、人間万歳ばんざいとなえているのではなくて、刻々の個人と社会との努力の価値を大切なものとして評価し、人間が理性的なもので、その判断と行動とで人間自身を救うものであるという根本の信頼を失わないところが、著者の意味深いねうちである。『科学の学校』の中で「氷河」について書いている部分などにも、著者のこの生活の意欲は現われている。氷河が太古に地球のなかばをつつんだように、何千万年かの後にはまた地球をひろくおおうようになるかもしれない。しかし、そうなれば、人間は南へ移住することができる、とコフマンは言っている。この言葉はわかりやすい簡単な言葉だけれども、これだけの一句にも、やはりありきたりの人たちとは少なからず異なったコフマンの人間意欲の肯定こうていがこめられている。なぜなら、これまで何百冊かの本をあらわしている科学物語の著者たちは、氷河についてそういう予想を語るとき、いわゆる科学的態度でその予想をげたっきりで、それを読んだものが、じゃあそのとき人間はどうなるんだろうと思わずにいられない、当然の疑問には答えずそれを無視しているばあいが多い。さもなければ、人間も自然の中に生まれたものであるという関係からだけ自然の力と人間の交渉を見て、人間も窮極きゅうきょくには自然にけるのが宇宙の必然であるというふうな、科学的らしく見えるが実際は観念的な宿命論のような結論を引き出していることも少くない。やがて地球がほろびるなら、今、私たちが短い一生を一生懸命に暮らしたって何になるだろう、と言った文学者が日本にもあったが、コフマンの地球の年齢について説明している話を読めば、そんな哲学めいた感想もじつはたいそうきまりの悪い無知から出発していることがわかる。
 コフマンもこの本は年少のひとたちのためとして書いているし、神近かみちかさんも、「はしがき」には、子どもにこの本を読ませようとする人々のためにという注をつけていられる。
 だが、はたしてこの本は子どもの本として私たちの興味や必要から遠いものだろうか。なるほど、科学の本としてとりあげられている題目は重要であるが、書き方は子どもの印象に入りやすい方法で、したがって局面もかぎってふれられている。この本に書いてあるほどのことなら、文化に関心を持っている大人が一人残さずみな知っているといえるだろうか。
 少くとも私は、知っていないことがどっさりあった。その半面には、もっと知っていると思うところもある。わたしが感興かんきょうを覚えたのはそこのところであった。一つの風変わりな形で、しかも実際的なブック・レビューをしてみたらおもしろくもあるし、ためにもなるだろうと思ったきっかけはそこにある。そのブック・レビューの方法というのは、この一冊の『科学の学校』を土台として、それぞれの項目について私たちの身近みぢかにある種々の科学の本を思い出し、いくらかまとめて整理し、感想をもそれにつけくわえてゆくという方法である。つまり私たちが知識を愛し、それを身につけ、自分や人の生活をゆたかにして、何かの意味で人間の進歩に役立ってゆきたいと思っている日頃の望みは、こういう形でも具体化される一歩があろうというわけである。
 若い婦人の感情と科学とは、従来、縁の遠いもののように思われてきている。昔は人間の心の内容を知・情・意と三つのものにわけて、知は理解や判断をつかさどり、情は感情的な面をうけもち、意は意志で、判断の一部と行動とをうけもつという形式に固定して見られ、今でもそのことは、曖昧あいまいに受け入れられたままになっている点が多い。だから、科学というとすぐ理知的ということでばかり受けとって、科学をあつかう人間がそこに献身してゆく情熱、よろこびと苦痛との堅忍けんにん、美しさへの感動が人間感情のどんなに高揚こうようされた姿であるのも若い女のひとのこころを直接に打たないばあいが多い。このことは逆な作用ともなって、たとえばパストゥールを主人公とした『科学者の道』の映画や『キュリー夫人伝』に賛嘆さんたんするとき、若い婦人たちはそれぞれの主人公たちの伝奇的な面へロマンティックな感傷をひきつけられ、科学というとどこまでも客観的で実証的な人間精神の努力そのものの歴史的な成果への評価と混同するような結果をも生むのである。
 婦人の文化の素質に芸術の要素はあるが、科学的な要素の欠けていることを多くのひとが指摘しているし、自分たちとしても心ある娘たちはそれをある弱点として認めていると思う。しかしながら、人間精神の本質とその活動についての根本の理解に、昔ながらの理性と感情の分離対立をおいたままで科学という声をきけば、やっぱりそれは暖かくおどる感情のままではれてゆけない冷厳れいげんな世界のように感じられるであろう。そして、その情感にある遅れた低さには自身気づかないままでいがちである。
 情感をゆたかに高めるというとき、それがどんなに多くの多様な光を知恵から受けるものであるか、理知と感情とは対立したものでなくて、流水あい光を交し、行動とからんで一体として生彩せいさいはなつものであるかということを、わたしたちは感情世界の新しい息づきのためにも実感しなければなるまいと思う。女の肉体と精神との美の標準は変わってきている。その一つの様相として、そのこともいえるだろう。
 さて、『科学の学校』がこれからの夏の一日にめぐりあう運命は、あるときは深い樹陰こかげへたずさえて行かれて読まれるのかもしれない。ある日は、私がそれを読んだように電車の中で勤めの行きかえりに読まれるのかもしれない。
 第一話から第五話まで、コフマンは太陽と七つの惑星、そのなかの一つである地球、その地球のまわりの空気などについて語っている。宇宙の偉大さを感じさせるこの部分は、私たちに岩波文庫に出ている『史的に見たる科学的宇宙観の変遷』(寺田寅彦訳)を思いおこさせる。人類が宇宙へおどろきと好奇の心を向けて以来、その宇宙観察はどんなに推移してきているかがこの本には述べられている。星と星との距離の測定についても、祖先たちは観測の条件の素朴そぼくさからさまざまの間違いもした。コフマンがその成果に立って示している数字が、わたしたちの記憶の基礎にあってはじめて、昔の人の示した数字にあるおもしろい誤りも生々とわたしたちに今日までの研究の意義を知らせるだろう。宇宙への認識は現代、しだいしだいに拡大されますますリアルなものとなってきている。『膨張する宇宙』という本はわたしの読んだことのない本だが、やはりその推移を描いているのだろう。文学としてのギリシャ神話は宇宙の壮大と美麗と威力とへの関心を、当時の都市の形成を反映している神とその人間ぽい生活感情で形象していておもしろい。イギリスの十九世紀初頭の詩人画家であったウィリアム・ブレークが、独特な水色や紅の彩色で森厳しんげんに描いた人格化された天の神秘的な版画も、宇宙に向かってのロマンティックな一種の絵としておもしろいものだったと思う。
 岩波新書で出ている中谷なかや宇吉郎うきちろう氏の『雪』は、北海道でおこなわれたこの物理学者の研究が、きわめて具体的な人間生活への交渉の面から入って意味深く述べられていてたいへんおもしろい。日本の農業その他と雪とは深いつながりがある。そのことからこの学者の態度もわたしたちの共感をさそうものである。同じ著者に『雷』がある。雷についての世界の探究にふれて語られていて、平明な用語はわたしたちに親しみ深くこの本に近づけさせる。
 第六話。山、氷河、および地殻の歴史を語られるにつれて、わたしたちの心によみがえるのはチンダルの『アルプスの旅より』『アルプスの氷河』などである。どちらも岩波文庫に訳されているのは知られるとおりである。アイルランド生まれの物理学者であったジョン・チンダルは地質学者ではなかったが、数十年をへた今日でも、このアルプスを愛し氷河に興味を持った物理学者の観察の記述は、精細さで比類すくないものとされている。おもしろさ、科学性と人間性の清潔な美しさにおいてもまた比類は少ないだろうと思う。若い女のひとたちは山へも登って、自然の容相ようそうにどんな心のかてを見出しているのだろうか。
 山に関する本もどっさりあろうと思う。しかし、よく見かけるのはいずれも山に対してあまり叙情的であり、しかもその叙情性がいかにも東洋風で、下界の人間の臭気しゅうきからきよ山気さんきへ逃れるというような感情のすえどころから語られているのが、いつも何か物たらない心持ちをおこさせる。今日の人が山を好むのは、さわがしい下界からの逃避の心持ちからばかりではないだろうと思う。自分の体力・知力、自分と人との経験の総和についての知識とその実力とが、むきだしな自然の動きと直面し対決してゆく、その味わいでの山恋いではないだろうか。まき有恒ありつね氏の山についての本はどんなその間の機微を語っているか知らないけれど、岩波文庫のウィムパーの『アルプス登攀とうはん記』は印象に残っている記録の一つである。岩波新書に辻村つじむら太郎たろう氏の執筆されている『山』がある。
 極地探検の記録も、人類の到達した科学と自然に対して働きかけてゆく人間の意欲との統一の姿として非常におもしろい。岩波新書の『北極飛行』のすばらしさを否定するものはなかろう。バードの『孤独』も歴史的記録である。
 地殻の物語は、そこにある火山・地震・地球の地殻に埋蔵されてある太古の動植物の遺物、その変質したものとしての石炭・石油その他が人間生活にもたらす深刻な影響とともに、近代社会にとって豊富なテーマを含蓄がんちくしている。岩波書店から出ている『防災科学』全五巻は、近代社会としてはまことに素朴そぼくに自然力の下にさらされている日本にとって独特の意味を有すると思う。石炭・石油の物語は、鉱物とともに現代の生産の根をにぎっている天然の産物だが、研究社学生文庫の『われらの住む大地』は科学的なところから地球の鉱物を語っている。文学は、これらの天然の産物が人間社会の関係の中で人に働かされ、また人を動かしている姿において描くのは当然だが、アメリカの作家シンクレアに『石油』があり、やはりアメリカの婦人作家アリス・ホバードに『支那シナランプの石油』があるのも興味がある。アメリカの油田が、近代世界経済の鍵である事実をも考えさせると思う。
 ちょう・ハチ・アリなどの物語は第十話・第十一話にあるが、この章へ来てフランスのアンリ・ファーブルの『昆虫記』を思い出さない読者はおそらく一人もないだろう。ファーブルの『昆虫記』は、卓抜精緻せいちな観察で科学上多くの貢献をしているし、縦横に擬人化したその描写は、それらの本が出た十九世紀の末から今日まで、そしてなおこれからもあらゆる年齢と社会層の読者をしてゆくだろうと思われる。けれども文化の感覚が成長して、科学のおもしろさと美しさとの独自な本質の理解がわたしたちの生活にゆきわたってくるにつれて、ファーブルが、いわゆる文学的な表現にこって、昆虫に人間社会そっくりそのままの仮装をさせた努力を、むしろ徒労として感じるようになってくることはあらそえまいと思う。そして、今日かあるいは明日、科学の常識がそこまで成長したということのかげにこそファーブルの努力の意味が生きているというのは、人類の知識の蓄積されてゆく上のなんと感慨深い過程だろう。
 第十四話、毛生動物の話は、やはりアメリカの生んだ著名な野生動物観察者であったシートンの『動物記』のおもしろさをなつかしく想起させずにはおかない。シートンのくまの生活の報告、きつねの話、その他なんと鮮明に語られていることだろう。ところが、シートンの相当な読者であったわたしは、大きい疑問をこの著者の報告の科学的な良心に対して抱く一つの物語を読まされた。それは、バルザックが「砂漠の情熱」という題で書いためすヒョウとアフリカ守備兵のロマンティックな短編を、シートンがその筋のまま物語っていることである。コフマンのこの本も、サルが人間生活の感情にある理解を持つことは語っているが、アフリカのめすヒョウが守備兵を恋するというようなことは、科学の見解に立つ動物学者に肯定さるべき現実だろうか。シートンの生涯の努力が、この一つのために決して少くない信用をうしなわせられていることを遺憾いかんに思った。改造文庫で出ているジャック・ロンドンの『野生の呼び声』や『ホワイト・ファング』は犬や狼を描いた文学作品の出色のものであるし、キプリングの『ジャングル・ブック』(岩波文庫)もなかなか豊かな動物と人間の絵巻をひろげている。ハドソンの『ラプラタの博物学者』(同上)は、野生鳥類の生彩にあふれた観察、記述で感銘ふかいものである。『日本の鳥』冨山房ふざんぼう百科全書)中西なかにし悟堂ごどう氏によって、どのような日本独特の鳥とそれに対する心を描いているのだろうか。
 コフマンは、サルと類人猿の話につづく次の章で、変わった人種の話の項を展開しているが、わたしたちはこれらの部分では、おのずからダーウィンの『種の起源』(岩波文庫)と『人および動物の表情について』(同上)という同じ科学者の感興かんきょうつきない研究へひきつけられる。さらに今日、常識が遺伝についてある程度の知識を求めているからにはメンデルの『雑種植物の研究』(同上)も、決して身に遠い著作ではないと思う。
 このように遺伝の作用をも内にはらむ人間の生命の生物としての構成の微妙さをわたしたちに知らせるのは生理学であろうが、H・G・ウェルズが書いた『生命の科学』(平凡社)も、それらの科学の業績に立って書かれた本として読まれてもよいものであろう。人間は生物として自然科学の対象であるばかりでなく、社会をつくってきた民族の歴史からも見られる意味で、イギリスの人類学と民族学の教授ハッドンの書いた『民族移動史』(改造文庫)は、地球の面におこなわれた人類の移行の理由と結果とをある程度まで知らせると思う。それとともに冨山房ふざんぼうの百科全書の『言語地理学』は、あながち言語学者だけに読まれるための本ではないであろう。
 太古のエジプトでは、僧侶が人の病をいやす役目もはたしていたという文明の発端から、人類の医療の父として語られるヒポクラテスの話におよび、さらに、ウィリアム・ハーヴェーの血液循環の発見があり、やがてパストゥールによって細菌が発見されたのも、ジェンナーの種痘しゅとうの試みも、モルトンによる麻睡ますい薬の試用も、すべて十九世紀の人々の偉業であるということは、日本の徳川末期に、シーボルトその他によって西洋医学が導き入れられ、菊池きくちかんの小説『蘭学事始ことはじめ』のような情景をもて今日の医療に至った歴史とてらし合わせて、きぬ味わいがある。冨山房の百科全書で出されている『ロベルト・コッホ』『緑の月桂樹げっけいじゅ(西洋の科学者たち)、岩波新書の『メチニコフの生涯』はいずれも、それぞれ感銘浅くない本である。『ベルツの日記』(岩波)『日本その日その日』(冨山房)は明治開化期の日本の文化のありようと、後に日本の科学の大先輩として貢献した人々の若き日の真摯しんしな心情とを、医学者としてのベルツ、生物学者としてのモールス〔エドワード・S・モース。が記述していて、文学における小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)、哲学のケーベル博士、美術のフェノロサの著述とともに、わたしたちにとって親愛な父祖たちの精神史の一部をらす鏡をなしている。
『科学の学校』もいよいよ終わりに近づいて、著者コフマンは、なんという簡明かんめい具体的な表現で、電気に関する人智の進歩のあとをたどっていることだろう。今日の少年少女たちの日常のなかには、一つのスイッチの形で出現している多種多様な働きの電気というものを、人間生活に取り入れ、こわいものから便利なものにかえてきた道が、終始一貫して全く実験の立場からもたらされ、導かれたものであることを、コフマンはたくまない健全さであきらかにしている。フランクリンのたこの逸話は人口に膾炙かいしゃしているが、一七五二年の九月の暴風雨のその一夜にいたるまでには、ギリシャ人たちが琥珀こはくの玉をこすっては、軽いものを吸いつけさせて遊んでいた時代から二千年もの人類の歴史がつみかさねられてきている。電気――エレキへの科学者としての興味をひかれ、実験を試みたことから、幕末の平賀源内が幕府からとがめをこうむった事実も忘れがたい。科学博物館編の『江戸時代の科学』という本は、簡単ではあるが、近代科学に向かって動いた日本の先覚者たちの苦難な足跡を伝えている、一つの貴重な本である。
 それにしても、『科学の学校』をせっかく訳された神近かみちかさんが、原本の後半をすこし残して「物理の発達」という章を割愛されたというのは、残念千万なことだったと思う。物理のことが語られていたのなら、あるいは数学の発達の歴史の物語も、同じように割愛されたページの中に入っていたのではなかっただろうか。数学の方は、ホグベンの『百万人の数学』上下(日本評論社、各二・三〇)が出版されたし、岩波新書に『家計の数学』(小倉金之助氏)、同じ著者の『日本の数学』、また吉田洋一氏の親しみ深く数学の原理を語っている『ゼロの発見』(岩波新書)などがあるけれど、物理の物語は岩波文庫にファラディーの『ロウソクの科学』のほか、フランスの数学者・物理学者・天文学者であったアンリ・ポアンカレの著述が三冊訳されているばかりで、ポアンカレの述作じゅっさくは、初歩的な読者にとってそう理解しやすいというものではない。
 わたしたちの物理学の世界に対する知識は、現象にとりまかれつつ相当乱雑なままにほうられていて、たとえば岩波新書の『物理学はいかに創られたか』石原いしわらじゅん訳、アインシュタイン著)を、表現がくだけていると同じ、かみくだく理解の力で読みこなせるものが、わたしたちの周囲に何人あるだろう。冨山房ふざんぼう百科全書の『子供の科学』の物理についての啓蒙的な記述が、あるいはコフマンの『科学の学校』の抄略しょうりゃくされたページのいくぶんかを補充する役に立つかもしれない。庄司彦六博士の『文化の物理学』は、それよりも高い程度で常識に近くあつかわれている。
 アインシュタインは、この『物理学はいかに創られたか』原名(物理学の発展)の序文できわめて示唆しさに富んだ数言を述べている。「この書物を書くあいだに、わたしたちはこれをどんな人たちに読んでもらうべきかについてかなり論じ合い、またわかりやすくすることについて苦心しました。読者は物理学や数学の具体的な知識を何も持っていなくとも、適当な思考力を持ってさえいればよいと思います」「科学の書物はどれほど通俗的であるにしても、小説と同じようなつもりで読んではならないのが当然です。
 一冊の『科学の学校』を読みながら、そのおりおり念頭に浮かんできた何冊かの本をノートしただけのこの短いメモを、本当に科学に通暁つうぎょうした人たちが見たらば、その貧弱さ・低さ・範囲のせまさを、どんなにおかしくまた、あわれに思うことだろう。
 私はまったくへりくだった心持ちで、いわば私たちの知らなさの程度をあきらかにすることで、このリストがいつかだんだん補足され、質を高められたものとなり、いくらか有益な読書の手引きとなって若い婦人たちがそのより年若い弟妹ていまいたちに与えるにたえるものとなることを願っているしだいである。そして、ある年月の後、今日の若い父親たちよりはいささかその常識の内容をひろやかに多様なものとしたより若い母たちが、自分たちのかわいい小さい娘や息子へのおくりものとして、これらのリストの改良された見出しの中から書籍を選ぶときがあるとしたら、たのしい現実的な期待といわなければならない。
 アインシュタインは、世界に卓越たくえつした現世紀の大科学者の一人であり、なぐさみにくヴァイオリンは聴く人の心をするそうだが、何年か前書いた感想の中に、忘られない文句があった。この科学者は、「わたしは婦人が高度な知能活動に適するとは思わない」という意味の言葉を書いているのであった。女である私たちは、大科学者のこの言葉によって一度はたしかにしょげるのだけれど、やがてこころひそかな勇気を自分たちの内に感じると思う。なぜなら、すべての近世科学の歴史は、たとえばガリレイが十七世紀の地動説をとなえたとき、宗教裁判で罰せられ、生命さえおびやかされた事実をつげている。
 しかし、地球は動いているものであったから、その事実はガリレイの死後にやがては承認されることとなった。女も人類のために貢献するために生きたいという希望、そのために知能をもゆたかにしたいという希望を抱いて努力している事実は、いわば地球の動きのようなもので、いつかはそれが承認され具現する可能に向かって、今日の文化はジグザグなりに動いていると思う。人間の社会の歴史のある発達の段階では、アインシュタインのような卓絶たくぜつした頭脳の人でも、やっぱり男としては女を見る従来のある先入観からまったく自由になりきっていなかったということを、二百年後の若いものたちはどんな微笑で回顧するだろうか。
〔一九四〇年八月〕



底本:「宮本百合子全集 第十四巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年7月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第九巻」河出書房
   1952(昭和27)年8月発行
初出:「新女苑」
   1940(昭和15)年8月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年5月26日作成
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作家のみた科学者の文学的活動

宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)撥《はじ》き合った

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)文学的[#「文学的」に傍点]であるとして
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        「生」の科学と文学

 随分古いことになるが、モウパッサンの小説に「生の誘惑」というのがあり、それを前田晁氏であったかが訳して出版された。私は十四五で、その小説を熱心に読んだ。なかに、パリの社交界で華美ないかがわしい生活を送っている女の娘が、樹の下の草にねころびながら、男の友達に本を読んで貰っている。美しい娘は草の上にはらばいになって手に草の葉をもち、そこにつたわって来ている一匹の蟻を眺めてそれと遊びながら、蟻の生活を書いた本を読んで貰っている。その光景がモウパッサン一流の筆致で活々と描かれていた。
 ファブルの名を知ったのは、多分これがきっかけであったと思う。それから、ファブルの昆虫記をすこし読んだが、これは何冊も読みつづけることが出来なかった。どういうことが読みつづけられない原因か考えていなかったのであるが、昨年本ばかり読んで暮さなければならない生活に置かれていた間に再びファブルやその伝記「科学の詩人」にめぐり会い、科学と文学というものについて新しく感想を刺戟されたのであった。
 ファブルの伝記をよむと、彼が同時代人であったチャールズ・ダアウィンの科学的方法、生活法に内心猛烈な反撥を蔵していたらしい。ダアウィンの境遇は謂わばよい意味でのお坊ちゃん風な色調がつよいのに反して、ファブルはコルシカ辺に教師をしたりして貧困と窮乏と闘いつつ、自分の科学への道を切りひらいて行っている。イギリス人とフランス人、特にドウデエなどがまざまざと特徴づけている南フランスの血が、ファブルの気象の中で境遇的にもダアウィンと撥《はじ》き合ったことは人間生活の画面として無限に興味がある。
 素人でよく分らないけれども、ダアウィンが帰納的に種を観察し、進化を観察して行ったに対してファブルが、どこまでも実証的な足場を固執したのも面白い。だが、ファブルの或る意味での科学者としての悲劇は、寧ろそういうところにあったのではなかろうか。
 ファブルはダアウィンの著作を退屈でやり切れぬものとして軽蔑している。事実ダアウィン自身文章をかくことはまことに苦手で、はじめと終りの脈絡が書いているうちに自分でもわからなくなるような時があるとかこっている。然し今日のわたくしどもは、却って退屈なダアウィンの方が、ファブルより科学の本としては却って親しめるのである。ここに科学者によって考えられている文学的なるものの微妙な問題がかくされていると思うのである。
 科学は理性の主動するもの、芸術文学は感情、感覚が主として発動するものという簡単な区分の方法は、今日科学者の理解からも文学者の理解からも、もう少し複雑に、所謂《いわゆる》科学的に高められて来ている。ファブルなどの時代では、文学に於ても十分問題である擬人法のロマンチックな色彩の横溢が、文学的[#「文学的」に傍点]であるとして考えられていたらしい。冷たい、理知だけの操作でない、対象との人間らしい共感においての観察という点の強調が、虫に頬かぶりをさせたり、草叢のアパッシュたらしめたりした。ファブルの伝記者は、アナトール・フランスがファブルの文章は悪文であると云ったということをおこっているが、今日の第三者は、フランスはやはり文学の正道から見ての真実を云ったと思わざるを得ないのである。

        科学と文学の交流

 よく科学者に珍らしい詩人的要素とか審美的な感覚とかいう表現が、一つの讚辞として流用されている。故寺田寅彦博士の存在は、文化の綜合的な享楽者または与え手という意味で、多数の人々の敬愛をあつめている。絵も描き、文章に達し、音楽も愛し、しかも音楽(セロ)の演奏ぶりなどにはなかなか近親者に忘れがたい好感を与えるユーモアがあふれていたようである。日本の明治以来の興隆期の文化は、夏目漱石でその頂点に達し同時に漱石の芸術には、今日の日本を予想せしめる顕著な内部的矛盾が示されている。
 寺田氏の文化性というものも、日本のその時代の特色を多くもっていると思う。社会的な境遇から云っても、寺田氏にあっては好きな勉強の主な一つとして科学が選ばれている。氏の文章をよむと、科学的なもの、文学的なもの、絵画的なものが一箇の能才者の内部に綜合された諸要素として立ち現われて来ている。寺田氏の科学的業績を云々する資格はもとよりないのであるけれども、文学的遺業について見ると、寺田氏がこの人生に向った角度にあらそわれぬ明治時代色があり、同時代の食うに困らなかった知識人の高級なディレッタンティズムが漂っているのである。文学的才能、音楽、絵画の天分が、強い透明な焔で科学的天稟の間に統一され切っているのではない。寺田氏は、豊富な自分の才能のあの庭、この花園と散策する姿において、魅力を感じる人々に限りない愛着を抱かせているのである。
 チンダルのアルプス紀行は、科学と文学との関係で、寺田氏とは異った典型であると思う。チンダルは科学者の心持で終始一貫して、その科学精神の勁《つよ》くリアリスティックであることから独特の美を読者に感じさせる。所謂文学的な辞句の努力や文学的感情と云われているものやへの人為的な屈折なしに、すっきりとした高い人間らしい美を示している。科学者の文筆活動の示し得る望ましい美は、こういう統一の姿においてではなかろうか。今日の科学の可能と明日の科学のために未だのこされている客観的現実の豊饒さ、科学的方法が年から年へ進歩する行進曲の意味を心と身にひき添えて科学者たることを生きる歓びと感じ得る科学者。科学的探求を、云うところの学問として静的に見ず、社会と歴史とに働きかけ又それらから働きかけられつつ動く人間的行為、実践として科学を把握する科学者。これから益々そういう科学者が生れなければならない。
 今日我々がうけついでいる文化、感情、知性は、社会の歴史に制せられてその本質に様々の矛盾、撞着、蒙昧をもっていることは認めなければならない事実である。科学者が科学を見る態度にもこれをおのずから反映している。特に、今日の科学では未だ現実の諸現象のあまねき隅々までを、すべての人々の感情に納得ゆくように解明し切らない部分がのこされていることが、科学者自身の生きかたにさえ妙な信念の欠乏と分裂とをおこさせている実例が決して尠くない。この分裂において、ヨーロッパの科学者は多く昔ながらの神へ逃げこんだ。日本の科学者は主観的な天の観念或は日常的な人情のしがらみに身をからめた。科学的精神の発展の路は困難をもっていて、歴史の種々な時期に迷信と闘い、誤った国粋主義と闘い、同時に自身の制約とも闘って今日に及んで来ているのである。
 日本の科学者の心持は今日どのような状態におかれているのであろうか。非常に複雑な問題であるが、明治、大正の時代から見れば、科学者に自覚されて来た社会意識の点で、今日はやはり特徴ある一時期であると云えると思う。さて、日本の科学者は上向線を辿っていた経済、政治、文化の波頭におされて、主観的には科学のための科学に邁進していると思いながら、客観的には当時の社会の支配勢力に役立ちつつあった。ダアウィンの学説が、十九世紀イギリス資本主義興隆の科学的裏づけとしてつかわれた如くに。

        科学者の社会的基調

 昨今の社会情勢は推移して、もはや科学性のそれ以上の発展と支配力の利害とは一致し得なくなって来た。科学に対する統制は科学の発展を阻害して目前の功利主義へひきとめる形としてあらわれて来ている。多くの科学者が、科学の立場からその強力な摩擦に苦しみ、そのような統制に反対の意志を示しているのは当然である。このような統制は本質的には、一般的に人間の知性の否定、或は一方的な抑圧を意味するのである。文化の相関的一翼として文学においてもこの現象は今日あきらかに現れている。それは後にふれることとして、最近石原純氏が、所謂統制に反対の立場において書かれている一二の文章の中で、疑問に感じたことがある。
 石原氏は、科学が軍事的功利主義で余り掣肘されることの害悪を主張しておられる。その点は誰しも会得しやすいのである。しかし、石原氏がナチの科学政策とソ連の科学政策とを質的に同一なものとして否定しておられるのは、何だか腑に落ちない。常識人の目に映るナチは、病的な民族主義の強調などによって、自身の文化、科学をも貧弱化せざるを得ない矛盾を露出している。石原氏がその学説の解説者として自身を示したアインシュタインのナチから受けた迫害などを実際に見て、果して石原氏の感想はどうであろう。アインシュタイン自身が自分の心持からレーニングラードのアカデミーで働くのなどはいやだというのと、ソ連がもし希望ならばよろこんで、この名誉ある人類的スケールの科学者にふさわしい待遇をした、というのとは、二つの別な態度なのではあるまいか。くどく説明を要しないナチとは違う本質が語られているのではあるまいか。
 石原氏は『改造』九月号の「科学者と発明家」という文章の中でも、くりかえし上にのべた観点を主張しておられる。そして、今日の機構がしからしめている「特許」というものの性質が反科学的であることにふれ、「幸にして、純粋の科学の世界には、このような資本主義の弊害はさほど及ぼして来ていない」云々と、科学者が発明家に比べて資本主義的害悪から超然としていられることを語っておられる。けれども、社会悪は金銭的形態利害擁護の姿でだけ素朴にあらわれるものではないのである。忌憚なく云えば、石原氏がナチとソ連の科学政策をその現実の本質につき入って比較する力を欠いておられる事実なども、社会悪が最も複雑微妙な作用としてあらわれて来ているところの科学精神における一つの決定的マイナスなのである。
 科学精神における、こういうような、多種多様で且つ隠微な形のマイナスの侵入は実に危険であると思う。何故なら、科学性の客観的敗北は常にこの盲点を契機として行われ、しかもそれが敗北であることがどうしても自覚され得ないという危険をもっているからなのである。

        科学者の随筆的随想

 科学者の社会的関心が積極的になった一つの表現として、一般のジャーナリズムの上での科学者の文筆活動の旺になったことが挙げられていることがあった。特に知名な科学者の随筆などが求められる傾きがつよくあった。注意をひかれざるを得ないのは、一部の科学者をジャーナリズムに招き出したこの時期は、読書人の間に随筆が迎えられた時、内田百間氏が「百鬼園随筆」によって第一段の債鬼追っ払いをした時代であり、日本文学の動向に於てかえり見ると、これは明瞭な指導性をもつ文芸思潮というものが退潮して後、しかも今日では被うべくもない文化に対する統制が次第に現れようとする時であった。森田たま氏の「もめん随筆」などが目前の興味の対象となった時代である。科学者の随筆が求められたのも、独特な科学随筆を要求されたのではなくて、ああいう人がこういうものを書く式の興味によってもとめられたのであった。
 従って、科学者の随筆は、所謂科学的な態度ではない文学的と思われる方に傾き、そのことでは自覚されない底流で、科学精神の分裂を許したとも云えないことはない。文学そのものが客観的現実に対する眼光の確かな洞察力を失い、創造力の豊かな社会的地盤を失った時、よりイージーで小規模な人生と芸術への主観的角度をもつ随筆の流行を見るのであるから、この意味で科学者の無方向な随筆活動への参加は二重の力で文化を下り坂に押す結果にさえなるのである。
 探偵小説の面白味というものの真髄はどこにあるのであろう。そして、外国ではどうか知らないが、何故日本では医学方面の専門家が、この探偵小説を執筆するのであろう。法医学的な分野で接近があり、心理学、神経病理学とのつながりがあるからなのだろうか。現在行われている探偵小説、怪奇小説の類は退屈しているもの、毎日の生活感情に自主的弾力と方向とをもたないものが、面白がって熱中するのであろうと思う。この種の物語は最後に必ず解答が出て来るという厳然とした約束に立っている。しかもそこまでを、出来るだけ迷路にひっぱって、模造の山河をしつらえて、引きまわされるのを承知して引きまわされてゆく面白さである。
 科学的構造が精密であればあるほど謂わば嘘の過程に複雑さがあって、面白いのだろう。或る意味での知的デカダンスである。智慧の輪の好きな人間ときらいな人間がある。きらいな人間の方がより真実の意味でインテレクチュアルであるし、溌剌として現実的である。
 科学者が自身の科学的知識によって文筆上いろいろ遊ぶのがいけないと一口に云い切れないかもしれないが、少くとも本当の科学者であるならば、科学の健全性、啓蒙性に沿って、こういう種類の余技、或は道楽をするべきであると思う。それは科学者としての最小限の義務ではなかろうか。

        科学と探偵小説

 木々高太郎氏は、執筆する探偵小説によって賞をも得たことは周知であり、パヴロフの条件反射を専攻されている医博であることを知らぬものはない。同氏の『夜の翼』という探偵小説集が出ていて、それを読み、漠然とした愕きに似た心持を得た。多分『条件』という題で同氏には随筆集もある。それを読んでおらず、他の探偵小説集もよまず、只一冊だけについて物を云うのは、狭い結論をひき出すかもしれない。が、もし『夜の翼』が氏として余り確信のない作品集であるのならば又それはそれとして、失敗の中にあらわれている失敗の本質やその傾向がやはり観察の対象とされ得ると思う。
 この集の巻頭にある「無罪の判決」の中には探求すべきいくつかの問題がかくされているのである。話の筋は、氏の得意とされる馴れの行動[#「馴れの行動」に傍点]による知識人夫妻の悲劇的殺傷問題である。良人が兇器をもって不自然に死んだ妻の傍に立っていた。だから良人が手を下したのではないかという疑いは一応誰しも持つであろう。実際は誤った自殺であった。五十一頁に亙る探偵小説は、主人公が「現実と理性との薄明にさ迷っている知識階級で」あり「このような知識階級にあり勝ちな、殊に斯う云う犯罪事件に際して出て来る特徴は、どうも現実を理性で納得させると云う趣があることである。ほんとのところを言えと言うと、殺人は、否定しているのだ。然し自分が殺した証拠が斯くも多数にあると言うと、理性からの判断では、本人と雖《いえど》も殺人を認めなくてはならぬことになる。斯う云う時に、理性の方を信頼して、現実の方を信頼しないと云うような趣がある。」
 そこを予審判事が特別に注意したことから、無罪を証明し得るに至る過程は成立しているのである。
 一般の読者は、この全く特徴的な数行を何等不思議な気がしないでよむのだろうか。探偵小説の読者というものは、こういう我々の常識で合点のゆかない現実の歪みも、承認するほど不健康な精神活動に馴らされているものなのだろうか。
 良人に左翼女優の比叡子という愛人が出来、妻はそれを苦しみ、愛をとり戻そうとして自分を傷けたことから誤って死んだのであったが、法廷で、この女優が、殺人をおかさせたのは自分であると云う。その心持を、人間的な感情上の責任感として、あるがままに理解せず、木々高太郎氏はその心理を大変ひねって扱っている。
「私は今、あの時の比叡子の気持ちがわかります。私との間の、言わば恋愛が進行して、自分で自分がわからなくなったと言うので幾分かでも私を愛していてくれたことを信じます。然し私が捕えられてから、比叡子は再び、私をすっかり離れて、左翼的な気持になってしまっています。法廷で、私の証人に立った時に、自分も亦、殺人の罪を共にする筈だと言ったり、尚私のことを、自分のために妻を殺したのだと解釈したりしたのは、その証拠です。普通の人だったら、私が殺したのか、自殺なのか判らぬことは判らぬと言う筈ですが、そして正直な人はそう答えるでしょう。ところが比叡子が、殺人を犯させたのは自分であるなどと証言するのは、やはり左翼的な、合理的な、考え方に慣らされているのから出て来た解釈です。左翼の人は、日本とソビエットとを問わず、この合理的解釈を持っていますから、時とすると、真相を理解することが出来ないのだろうと思います。」
 松本という予審判事は男の打ちとけた態度に好感をもったと書かれているが、読者は困惑と不快との感情にのこされるのである。
 木々高太郎氏は、この小説の中で、現実と理性、合理性と現実というものを甚しい分裂、対立において示そうとしている。理性の具《そなわ》った人間なら自分が殺さないという事実は一見物的証拠が揃っていてもはっきり自分に分っている。だからその事実に立脚して外部的判断と闘うという風に考えるのは普通人の頭である。木々高太郎氏は、その「理性の方を信頼する[#「理性の方を信頼する」に傍点]」と云う内容を逆に見ている。殆ど正気と思われない程受動的な、被暗示的な精神状態において表現し、卑俗に云えば、「余りお前が盗んだと云われるもんでそんな気になっちゃった」という工合に扱っている。しかも、それがインテリゲンツィアは現実より理性にたよるからであるというような観方を結論で云われるのは現実的でない。常識の中で理性という言葉はそういう逆説でつかわれてはいないのである。
 更に合理性を左翼の思想と連関させて、合理性では現実の真相を理解し得ないという風に強調されているのを見ると、ピンと来るものがあって、自然著作年表を見た。するとこの作は昭和十二年一月の作である。本年の作である。本年の一月頃から日本文学の動きは『文学界』を中心に、文学における科学的客観的評価の否定、合理的な世界観の拒否の声が一層高まり、昨今はこのグループによって変種の実証主義、信仰的体験への要求が提出されている。文化における極端な民族尊重の傾向と結びついているものであって、日本文学の発展の歴史において明瞭に後退と反動とを示しているものなのである。科学の分野で、統制の問題が論議されはじめたのとほぼ時を等しくしている。この時、木々高太郎氏の理性と現実の乖離を強調した作品が生れたのは単なる偶然であろうか。

        現実は批判する

 志賀直哉氏の昔の小説に「范の犯罪」という題の作品がある。これは范という支那の剣つかいの芸人が、過って妻を芸の間で殺し、過失と判定されるのであるが、妻を嫉妬し、憎悪が内心に潜んでいた自覚から、法律の域外の人間的苦悩を感じる主題であったと思う。志賀氏の作品と探偵小説とを同日に論ずべきでないが、しかし、日本のインテリゲンツィアの思想史、生きる態度、人間性の質量と方向の推移とをこの二つの作品によって調べることは可能である。
 志賀氏の場合、范の理性は、法律上の物的証拠よりより深い人間的心理の現実、その真実に向って働いている。木々高太郎氏の主人公は、理性にたよる[#「理性にたよる」に傍点]ものだから、つい本当でもないことを本当だと承認することになる。この場合、理性、或は知性は喪失したものとしてしか実際に現れていないのである。
 ここに一人の女がいて自分がその男を愛し、恋愛的交渉にあるためにそれを苦しんだ妻が自殺したという時、自分が間接その死の原因となっているという気持を抱くのは人間として所謂人間的な心理であると思う。又人間相互の生活感情、社会関係の現実における複雑な作用のしかたの実際でもある。范の場合、一人の人間の運命に対する主観的な愛憎の責任、その責任感の自覚という追究で、テーマが深められた。木々高太郎氏の作品では、殺すという行動を機械的に殺しの操作それ自体に切りはなしてしまって、比叡子の心持を、合理性そのものの解釈においてさえ歪曲されている合理主義で批判している。概括して二つのいずれが、よりリアリスティックな誠意をもった現実把握の態度であるかを云うには及ばないのである。
「無罪の判決」という一小篇探偵小説の中に、なかなか無邪気ならぬ或る種の現代文化の動向を反映しているこの作者は「盲いた月」で一寸したヒステリーに関する科学的トリックを利用しつつ、ウィーンにおける親日支那青年李金成暗殺の物語を語るなかで、「支那人を捕える方法を知っていますか。それは在住支那人の数名のものを買収なさい。日本人を捕える時には、それは不可能ですが、支那人を捕える時には、それが唯一の手段です。」
というような辞句を示している。去年の秋の作品であるが、この粗大な、民族的類型化を卓抜な科学者であるという沼田博士に云わしめているのである。アメリカに移民として働いている日本人の不正入国をしたものが何より恐れているのは、アメリカ人であるか、ニグロであるか、或は同じ日本人であるか。
 科学者は科学的であるかという悲しい疑問が心に湧くのを抑えがたいのである。社会の歴史の或る波によっては、非科学的な科学と科学者が特にジャーナリズムの表面に浮上る場合がある。或は、今日における科学と科学者との弱い部分、非科学的な部分、内部的分裂面が文化反動に影響され、客観的には、知性、人間性の圧殺に加担したことになりやすい。今日はその危険に対する自他ともの慎重な戒心が決して尠くてよい時期ではないのである。[#地付き]〔一九三七年十月〕



底本:「宮本百合子全集 第十一巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年1月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
親本:「宮本百合子全集 第七巻」河出書房
   1951(昭和26)年7月発行
初出:「科学ペン」
   1937(昭和12)年10月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年2月17日作成
青空文庫作成ファイル:
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科学の常識のため

宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)膾炙《かいしゃ》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)きっかけ[#「きっかけ」に傍点]はそこにある。
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 コフマンの「科学の学校」が、神近市子の翻訳で実業之日本社から出版された。訳者からおくられた一冊を手提袋に入れてよそへ出かける電車の中だの、待っている間だのに読んでいるうち、この小さい本をめぐって私の感興はいろいろに動かされた。
「はしがき」にいわれているとおり、著者レイモン・コフマンというアメリカの社会教育者は、ほかに「人類文化史物語」という世界的な名著をもっていて、それはやはり神近さんが訳して岩波文庫に二冊で出ている。
 コフマンの目ざすところは「何でも必要な事実だけ、科学的な事実だけをそれもなるべく早く知らせてそれに子供たちの興味を起させ、その興味の成長によって大きくなった子供たちが、健康な人生の内容を、自分で形づくって行くよう」に導いて行こうというにある。コフマンはこの一貫した方針に立って、レイ小父さんという名で年少者のために十数年来活動して来ている人なのだが、彼が特に年の小さいものたちを、希望と期待との対象としたのはどういうわけからであったろう。
 我々が住んでいる今日の文明は、昔に比べればずいぶん進歩したものだとおどろかされる部分が多い。二十年前の祖母たちの娘時代にはなかった日常のさまざまの便利、よろこびが加わって来ていて、今日の娘たちの生活も豊富にされていることは疑えない事実であると思う。だけれども、その半面には、進歩が常にその後にひっぱっている過去からの尻尾というものもあって、その尻尾は、電気力の利用という風なものの発達のスピードに合わせてはよりテンポののろい進みかた、変化のしようで私たちをとり囲む常識のなかにかくされている。かくれてはいるけれども、何かの折にはその尻尾が事物の進行のバランスを狂わせて人間生活の紛糾や混乱をもたらす動機となっている。迷信だの、いろいろの事に対する偏見というものから今日人間が全く自由になっているということは決していい切れないのが実際である。物質と精神との力で、科学の力を最も活溌に毎日の市民生活にとり入れているはずのアメリカの一つの州では、宗教上の偏見からダーウィンの進化論について講義することを禁じられているという信じられないような事実もある。コフマンはアメリカの人だから、自分の国の一面に存在するそういうおくれかたを憂慮する心持もつよいであろう。そんな愚かな偏見に煩わされない若者たちが、自然と人間との現実をはっきり把握して愛する大人として現れることを切望しているだろう。子供のためにコフマンがたくさん執筆している心持、この「科学の学校」もそういうものの一つとして書かれている心持、それは私たちにも同感をもって理解されるのである。
 コフマンのもう一つの特質として、この本の中ででも、人間の精神的な物質的な努力が文化を進めて来た事実をしっかりと理解してそれを語っている点である。単純な楽天で、人間万歳を唱えているのではなくて、刻々の個人と社会との努力の価値を大切なものとして評価し、人間が理性的なもので、その判断と行動とで人間自身を救うものであるという根本の信頼を失わないところが、著者の意味ふかいねうちである。「科学の学校」の中で「氷河」について書いている部分などにも、著者のこの生活の意欲は現れている。氷河が太古に地球の半を包んだように、何千万年かの後にはまた地球をひろく被うようになるかもしれない。しかし、そうなれば、人間は南へ移住することができる、とコフマンはいっている。この言葉はわかりやすい簡単な言葉だけれども、これだけの一句にも、やはりあり来りの人たちとは少からず異ったコフマンの人間意欲の肯定がこめられている。なぜならこれまで何百冊かの本を著している科学物語の著者たちは、氷河についてそういう予想を語るとき、いわゆる科学的態度でその予想を告げたっきりで、それを読んだものが、じゃあその時人間はどうなるんだろうと思わずにいられない、当然の疑問には答えずそれを無視している場合が多い。さもなければ、人間も自然の中に生れたものであるという関係からだけ自然の力と人間の交渉を見て、人間も窮極には自然に敗けるのが宇宙の必然であるという風な、科学的らしく見えるが実際は観念的な宿命論のような結論を引き出していることも少くない。やがて地球が亡びるなら、今私たちが短い一生を一生懸命に暮したって何になるだろう、といった文学者が日本にもあったが、コフマンの地球の年齢について説明している話をよめば、そんな哲学めいた感想も実はたいそうきまりの悪い無知から出発していることがわかる。
 コフマンもこの本は年少のひとたちのためとして書いているし、神近さんも、「はしがき」には、子供にこの本を読ませようとする人々のためにという註をつけていられる。
 だが、はたしてこの本は子供の本として私たちの興味や必要から遠いものだろうか。なるほど、科学の本としてとりあげられている題目は重要であるが、書き方は子供の印象に入りやすい方法で、従って局面も限って触れられている。この本に書いてあるほどのことなら、文化に関心をもっている大人が、一人のこさず皆知っているといえるだろうか。
 少くとも私は知っていないことがどっさりあった。その半面には、もっと知っていると思うところもある。私が感興を覚えたのはそこのところであった。一つの風変りな形で、しかも実際的なブック・レビューをして見たら面白くもあるしためにもなるだろうと思ったきっかけ[#「きっかけ」に傍点]はそこにある。そのブック・レビューの方法というのは、この一冊の「科学の学校」を土台として、それぞれの項目について私たちの身近にある種々の科学の本を思い出し、いくらかまとめて整理し、感想をもそれにつけ加えてゆくという方法である。つまり私たちが知識を愛し、それを身につけ、自分やひとの生活をゆたかにして何かの意味で人間の進歩に役立ってゆきたいと思っている日頃ののぞみは、こういう形でも具体化される一歩があろうというわけである。
 若い婦人の感情と科学とは、従来縁の遠いもののように思われて来ている。昔は人間の心の内容を知・情・意と三つのものにわけて知は理解や判断をつかさどり、情は感情的な面をうけもち、意は意志で、判断の一部と行動とをうけもつという形式に固定して見られ、今でもそのことは、曖昧にうけいれられたままになっている点が多い。だから、科学というとすぐ理智的ということでばかり受けとって科学を扱う人間がそこに献身してゆく情熱、よろこびと苦痛との堅忍、美しさへの感動が人間感情のどんなに高揚された姿であるのも若い女のひとのこころを直接にうたない場合が多い。このことは逆な作用ともなって、たとえばパストゥールを主人公とした「科学者の道」の映画や「キュリー夫人伝」に讚歎するとき若い婦人たちはそれぞれの主人公たちの伝奇的な面へロマンティックな感傷をひきつけられ、科学というとどこまでも客観的で実証的な人間精神の努力そのものの歴史的な成果への評価と混同するような結果をも生むのである。
 婦人の文化の素質に芸術の要素はあるが、科学的な要素の欠けていることを多くのひとが指摘しているし、自分たちとしても心ある娘たちはそれをある弱点として認めていると思う。しかしながら、人間精神の本質とその活動についての根本の理解に、昔ながらの理性と感情の分離対立をおいたままで科学という声をきえば、やっぱりそれは暖く躍る感情のままでは触れてゆけない冷厳な世界のように感じられるであろう。そして、その情感にあるおくれた低さには自身気づかないままでいがちである。
 情感をゆたかに高めるというとき、それがどんなに多くの多様な光りを智慧からうけるものであるか、理智と感情とは対立したものでなくて、流水相光を交し、行動とからんで一体として生彩を放つものであるかということを、私たちは感情世界の新しい息づきのためにも実感しなければなるまいと思う。女の肉体と精神との美の標準は変って来ている。その一つの様相として、そのこともいえるだろう。
 さて、「科学の学校」がこれからの夏の一日にめぐり合う運命はあるときは深い樹蔭へたずさえて行かれて読まれるのかもしれない。ある日は、私がそれをよんだように電車の中でつとめの行きかえりに読まれるのかもしれない。
 第一話から第五話まで、コフマンは太陽と七つの惑星、そのなかの一つである地球、その地球のまわりの空気などについて語っている。宇宙の偉大さを感じさせるこの部分は、私たちに岩波文庫に出ている「史的に見たる科学的宇宙観の変遷」(寺田寅彦訳)を思いおこさせる。人類が宇宙へおどろきと好奇の心を向けて以来、その宇宙観察はどんなに推移して来ているかがこの本には述べられている。星と星との距離の測定についても、祖先たちは観測の条件の素朴さからさまざまの間違いもした。コフマンがその成果に立って示している数字が私たちの記憶の基礎にあって初めて、昔の人の示した数字にある面白い誤りも生々と私たちに今日までの研究の意義を知らせるだろう。宇宙への認識は現代次第次第に拡大されますますリアルなものとなって来ている。「膨脹する宇宙」という本は、私の読んだことのない本だが、やはりその推移を描いているのだろう。文学としてのギリシャ神話は宇宙の壮大と美麗と威力とへの関心を当時の都市の形成を反映している神とその人間ぽい生活感情で形象していて面白い。イギリスの十九世紀初頭の詩人画家であったウィリアム・ブレークが、独特な水色や紅の彩色で森厳に描いた人格化された天の神秘的な版画も、宇宙に向ってのロマンティックな一種の絵として面白いものだったと思う。
 岩波新書で出ている中谷宇吉郎氏の「雪」は、北海道で行われたこの物理学者の研究がきわめて具体的な人間生活への交渉の面から入って意味ふかくのべられていて大変面白い。日本の農業その他と雪とは深いつながりがある。そのことからこの学者の態度も私たちの共感を誘うものである。同じ著者に「雷」がある。雷についての世界の探究にふれて語られていて、平明な用語は私たちに親しみぶかくこの本に近づけさせる。
 第六話。山、氷河、および地殻の歴史を語られるにつれて、私たちの心によみがえるのはチンダルの「アルプスの旅より」「アルプスの氷河」などである。どちらも岩波文庫に訳されているのは知られるとおりである。アイルランド生れの物理学者であったジョン・チンダルは地質学者ではなかったが、数十年をへた今日でも、このアルプスを愛し氷河に興味をもった物理学者の観察の記述は精細さで比類すくないものとされている。面白さ、科学性と人間性の清潔な美しさにおいてもまた比類は少いだろうと思う。若い女のひとたちは山へも登って、自然の容相にどんな心の糧を見出しているのだろうか。
 山に関する本もどっさりあろうと思う。しかし、よく見かけるのはいずれも山に対してあまり抒情的であり、しかもその抒情性がいかにも東洋風で、下界の人間の臭気から浄き山気へのがれるというような感情のすえどころから語られているのが、いつも何か物足らない心持をおこさせる。今日のひとが山を好むのは、さわがしい下界からの逃避の心持からばかりではないだろうと思う。自分の体力、智力、自分とひととの経験の総和についての知識とその実力とが、むき出しな自然の動きと直面し対決してゆく、その味わいでの山恋いではないだろうか。槇有恒氏の山についての本はどんなその間の機微を語っているか知らないけれど、岩波文庫のウィムパーの「アルプス登攀記」は印象にのこっている記録の一つである。岩波新書に辻村太郎氏の執筆されている「山」がある。
 極地探検の記録も人類の到達した科学と自然に対して働きかけてゆく人間の意欲との統一の姿として非常に面白い。岩波新書の「北極飛行」の素晴しさを否定するものはなかろう。バードの「孤独」も歴史的記録である。
 地殻の物語は、そこに在る火山、地震、地球の地殻に埋蔵されてある太古の動植物の遺物、その変質したものとしての石炭、石油その他が人間生活にもたらす深刻な影響とともに、近代社会にとって豊富なテーマを含蓄している。岩波書店から出ている「防災科学」全五巻は、近代社会としてはまことに素朴に自然力の下にさらされている日本にとって独特の意味を有すると思う。石炭、石油の物語は鉱物とともに現代の生産の根を握っている天然の産物だが、研究社学生文庫の「我等の住む大地」は科学的なところから地球の鉱物を語っている。文学はこれらの天然の産物が人間社会の関係の中で人に働かされまた人を動かしている姿において描くのは当然だが、アメリカの作家シンクレアに「石油」がありやはりアメリカの婦人作家アリス・ホバードに「支那ランプの石油」があるのも興味がある。アメリカの油田が近代世界経済の鍵である事実をも考えさせると思う。
 蝶、蜂、蟻などの物語は第十話第十一話にあるが、この章へ来てフランスのアンリ・ファーブルの「昆虫記」を思い出さない読者はおそらく一人もないだろう。ファーブルの昆虫記は卓抜精緻な観察で科学上多くの貢献をしているし、縦横に擬人化したその描写は、それらの本が出た十九世紀の末から今日まで、そしてなおこれからもあらゆる年齢と社会層の読者を魅してゆくだろうと思われる。けれども文化の感覚が成長して、科学の面白さと美しさとの独自な本質の理解が私たちの生活にゆきわたって来るにつれて、ファーブルが、いわゆる文学的な表現にこって、昆虫に人間社会そっくりそのままの仮装をさせた努力をむしろ徒労として感じるようになって来ることは争えまいと思う。そして、今日かあるいは明日科学の常識がそこまで成長したということのかげにこそファーブルの努力の意味が生きているというのは人類の知識の蓄積されてゆく上の何と感慨深い過程だろう。
 第十四話、毛生動物の話は、やはりアメリカの生んだ著名な野生動物観察者であったシートンの「動物記」の面白さを懐しく想起させずにはおかない。シートンの熊の生活の報告、狐の話その他何と鮮明に語られていることだろう。ところが、シートンの相当な読者であった私は、大きい疑問をこの著者の報告の科学的な良心に対して抱く一つの物語をよまされた。それは、バルザックが「砂漠の情熱」という題で書いた牝豹とアフリカ守備兵のロマンティックな短篇を、シートンがその筋のまま物語っていることである。コフマンのこの本も猿が人間生活の感情にある理解をもつことは語っているが、アフリカの牝豹が守備兵を恋するというようなことは、科学の見解に立つ動物学者に肯定さるべき現実だろうか。シートンの生涯の努力がこの一つのために決して少くない信用を喪わせられていることを遺憾に思った。改造文庫で出ているジャック・ロンドンの「野生の呼声」や「ホワイト・ファング」は犬や狼を描いた文学作品の出色のものであるし、キプリングの「ジャングル・ブック」(岩波文庫)もなかなか豊かな動物と人間の絵巻をひろげている。ハドソンの「ラプラタの博物学者」(同上)は、野生鳥類の生彩に溢れた観察、記述で感銘ふかいものである。「日本の鳥」(冨山房百科全書)は中西悟堂氏によって、どのような日本独特の鳥とそれに対する心を描いているのだろうか。
 コフマンは、猿と類人猿の話につづく次の章で変った人種の話の項を展開しているが、私たちはこれらの部分では、おのずからダーウィンの「種の起源」(岩波文庫)と「人及び動物の表情について」(同上)という同じ科学者の感興つきない研究へひきつけられる。さらに今日常識が遺伝についてある程度の知識を求めているからにはメンデルの「雑種植物の研究」(同上)も、決して身に遠い著作ではないと思う。
 このように遺伝の作用をも内にはらむ人間の生命の生物としての構成の微妙さを私たちに知らせるのは生理学であろうが、H・G・ウェルズが書いた「生命の科学」(平凡社)も、それらの科学の業績に立って書かれた本として読まれてもよいものであろう。人間は生物として自然科学の対象であるばかりでなく、社会をつくって来た民族の歴史からも見られる意味で、イギリスの人類学と民族学の教授ハッドンの書いた「民族移動史」(改造文庫)は、地球の面に行われた人類の移行の理由と結果とをある程度まで知らせると思う。それとともに冨山房の百科全書の「言語地理学」は、あながち言語学者だけによまれるための本ではないであろう。
 太古のエジプトでは、僧侶が人の病をいやす役目もはたしていたという文明の発端から、人類の医療の父として語られるヒポクラテスの話におよびさらに、ウィリアム・ハーヴェーの血液循環の発見があり、やがてパストゥールによって細菌が発見されたのも、ジェンナーの種痘の試みも、モルトンによる麻睡薬の試用も、すべて十九世紀の人々の偉業であるということは、日本の徳川末期に、シーボルトその他によって西洋医学が導き入れられ、菊池寛の小説「蘭学事始」のような情景をも経て今日の医療に至った歴史とてらし合わせて、尽きぬ味わいがある。冨山房の百科全書で出されている「ロベルト・コッホ」「緑の月桂樹」(西洋の科学者たち)岩波新書の「メチニコフの生涯」はいずれも、それぞれ感銘浅くない本である。「ベルツの日記」(岩波)「日本その日その日」(冨山房)は明治開化期の日本の文化のありようと、後に日本の科学の大先輩として貢献した人々の若き日の真摯な心情とを、医学者としてのベルツ、生物学者としてのモールスが記述していて、文学における小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)、哲学のケーベル博士、美術のフェノロサの著述とともに、私たちにとって親愛な父祖たちの精神史の一部を照らす鏡をなしている。
「科学の学校」もいよいよ終りに近づいて、著者コフマンは、何という簡明具体的な表現で、電気に関する人智の進歩のあとを辿っていることだろう。今日の少年少女たちの日常のなかには一つのスウィッチの形で出現している多種多様な働きの電気というものを、人間生活にとりいれ、こわいものから便利なものにかえて来た道が、終始一貫して全く実験の立場からもたらされ導かれたものであることを、コフマンは巧まない健全さで明らかにしている。フランクリンの凧の逸話は人口に膾炙《かいしゃ》しているが、一七五二年の九月の暴風雨のその一夜にいたる迄には、ギリシャ人たちが琥珀《こはく》の玉をこすっては、軽いものを吸いつけさせて遊んでいた時代から二千年もの人類の歴史がつみ重ねられて来ている。電気――エレキへの科学者としての興味をひかれ、実験を試みたことから、幕末の平賀源内が幕府から咎めを蒙った事実も忘れ難い。科学博物館編の「江戸時代の科学」という本は、簡単ではあるが、近代科学に向って動いた日本の先覚者たちの苦難な足跡を伝えている一つの貴重な本である。
 それにしても、「科学の学校」を折角訳された神近さんが、原本の後半をすこしのこして「物理の発達」という章を割愛されたというのは、残念千万なことだったと思う。物理のことが語られていたのなら、あるいは数学の発達の歴史の物語も、同じように割愛された頁の中に入っていたのではなかっただろうか。数学の方は、ホグベンの「百万人の数学」上下(日本評論社各二・三〇)が出版されたし、岩波新書に「家計の数学」(小倉金之助氏)同じ著者の「日本の数学」、また吉田洋一氏の親しみぶかく数学の原理を語っている「零《ゼロ》の発見」(岩波新書)などがあるけれど、物理の物語は岩波文庫にファラディーの「蝋燭の科学」のほかフランスの数学者物理学者天文学者であったアンリ・ポアンカレの著述が三冊訳されているばかりで、ポアンカレの述作は、初歩的な読者にとってそう理解しやすいというものではない。
 私たちの物理学の世界に対する知識は現象にとりまかれつつ相当乱雑なままに放られていて、たとえば岩波新書の「物理学はいかに創られたか」(石原純訳、アインシュタイン著)を、表現が砕けていると同じかみくだく理解の力で読みこなせるものが、私たちの周囲に何人あるだろう。冨山房百科全書の「子供の科学」の物理についての啓蒙的な記述があるいはコフマンの「科学の学校」の抄略された頁の幾分かを補充する役に立つかもしれない。庄司彦六博士の「文化の物理学」はそれよりも高い程度で常識に近く扱われている。
 アインシュタインはこの「物理学はいかに創られたか」原名(物理学の発展)の序文できわめて示唆に富んだ数言を述べている。「この書物を書く間に、私たちは之をどんな人たちに読んでもらうべきかについてかなり論じ合い、またわかり易くすることについて苦心しました。読者は物理学や数学の具体的な知識を何ももっていなくとも、適当な思考力をもってさえいればよいと思います」「科学の書物はどれほど通俗的であるにしても、小説と同じようなつもりで読んではならないのが当然です。」
 一冊の「科学の学校」を読みながら、そのおりおり念頭に浮んで来た何冊かの本をノートしただけのこの短いメモを、本当に科学に通暁した人たちが見たらば、その貧弱さ、低さ、範囲の狭さを、どんなにおかしくまた憐れに思うことだろう。
 私は全くへりくだった心持でいわば私たちの知らなさの程度を明らかにすることで、このリストがいつか段々補足され質を高められたものとなり、いくらか有益な読書の手引きとなって若い婦人たちがそのより年若い弟妹たちに与えるにたえるものとなることを願っている次第である。そして、ある年月の後、今日の若い父親たちよりはいささかその常識の内容をひろやかに多様なものとしたより若い母たちが、自分たちの可愛い小さい娘や息子へのおくりものとして、これらのリストの改良された見出しの中から書籍を選ぶ時があるとしたら、愉しい現実的な期待といわなければならない。
 アインシュタインは、世界に卓越した現世紀の大科学者の一人であり、慰みに弾くヴァイオリンは聴く人の心を魅するそうだが、何年か前書いた感想の中に、忘られない文句があった。この科学者は「私は婦人が高度な知能活動に適するとは思わない」という意味の言葉を書いているのであった。女である私たちは、大科学者のこの言葉によって一度は確にしょげるのだけれど、やがてこころひそかな勇気を自分たちの内に感じると思う。何故なら、すべての近世科学の歴史は、たとえばガリレイが十七世紀の地動説をとなえたとき、宗教裁判で罰せられ生命さえ脅かされた事実をつげている。
 しかし、地球は動いているものであったから、その事実はガリレイの死後にやがては承認されることとなった。女も人類のために貢献するために生きたいという希望、そのために知能をもゆたかにしたいという希望を抱いて努力している事実は、いわば地球の動きのようなもので、いつかはそれが承認され具現する可能に向って、今日の文化はジグザグなりに動いていると思う。人間の社会の歴史のある発達の段階では、アインシュタインのような卓絶した頭脳の人でも、やっぱり男としては女を見る従来のある先入観からまったく自由になりきっていなかったということを、二百年後の若いものたちはどんな微笑で回顧するだろうか。[#地付き]〔一九四〇年八月〕



底本:「宮本百合子全集 第十四巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年7月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第九巻」河出書房
   1952(昭和27)年8月発行
初出:「新女苑」
   1940(昭和15)年8月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年5月26日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。



*地名

  • [イタリア]
  • コルシカ Corsica 地中海北部、イタリア半島の西方にあるフランス領の島。面積約8700平方キロメートル。ナポレオンの出生地。コルス。主都アジャクシオ。
  • [ロシア]
  • レーニングラード → レニングラード
  • レニングラード Leningrad サンクト‐ペテルブルグの旧称。
  • -----------------------------------
  • ラ‐プラタ La Plata (1) 南米大陸南東部、アルゼンチンとウルグアイとの間を流れる大河。河口部は大喇叭状となって大西洋に注ぐ。本流のウルグアイ川に支流のパラナ川を含めて長さ約4800キロメートル。(2) アルゼンチン東部、(1) の河口部右岸に位置する港湾都市。人口52万2千(1991)。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)




*人物一覧

(人名、および組織・団体名・神名)
  • 宮本百合子 みやもと ゆりこ 1899-1951 小説家。旧姓、中条。東京生れ。日本女子大中退。顕治の妻。1927〜30年ソ連に滞在、帰国後プロレタリア作家同盟常任委員。32年から終戦までに3度検挙。戦後、民主主義文学運動の先頭に立つ。作「貧しき人々の群」「伸子」「二つの庭」「播州平野」「道標」など。
  • -----------------------------------
  • モーパッサン Guy de Maupassant 1850-1893 フランスの小説家。フローベールに師事、短編小説に長じた。ゾラと共に自然主義の代表者。ブルジョア社会に苦い批判を向け、厭世的。晩年発狂。作「脂肪の塊」「女の一生」「ベラミ」「ピエールとジャン」など。
  • 前田晁 まえだ あきら 1879-1961 小説家、翻訳者。号に木城。妻は童話作家の徳永寿美子。山梨県東山梨郡八幡村(現山梨市)生まれ。1900年(明治33年)には東京専門学校(現早稲田大学)高等予科、文学部哲学科・文学科に進み、下谷警察署電信係として働きつつ学ぶ。在学中には坪内逍遥と知り合い、1903年(明治36年)には金港堂「青年界」に翻訳を寄せる。
  • ファーブル Jean Henri Fabre 1823-1915 フランスの昆虫学者。昆虫、特に蜂の生態観察で有名。進化論には反対であったが、広く自然研究の方法を教示した功績は大きい。主著「昆虫記」
  • ダーウィン Charles Robert Darwin 1809-1882 イギリスの生物学者。進化論を首唱し、生物学・社会科学および一般思想界にも影響を与えた。著「種の起原」「ビーグル号航海記」など。
  • ドウデエ → アルフォンス・ドーデか
  • アルフォンス・ドーデ Alphonse Daudet 1840-1897 フランスの作家。プロヴァンスの生れ。豊かな感受性をもって郷土の風物に取材。長編小説「サフォー」、短編集「風車小屋便り」「タルタラン」三部作、戯曲「アルルの女」など。
  • アナトール‐フランス Anatole France 1844-1924 フランスの作家。作品の特色は軽妙な皮肉と辛辣な諷刺。思想的には懐疑的合理主義だったが、ドレフュス事件以後、晩年には社会主義を支持。小説「シルヴェストル=ボナールの罪」「タイス」「赤い百合」など。ノーベル賞。
  • 寺田寅彦 てらだ とらひこ 1878-1935 物理学者・随筆家。東京生れ。高知県人。東大教授。地球物理学を専攻。夏目漱石の門下、筆名は吉村冬彦。随筆・俳句に巧みで、藪柑子と号した。著「冬彦集」「藪柑子集」など。
  • 夏目漱石 なつめ そうせき 1867-1916 英文学者・小説家。名は金之助。江戸牛込生れ。東大卒。五高教授。1900年(明治33)イギリスに留学、帰国後東大講師、のち朝日新聞社に入社。05年「吾輩は猫である」、次いで「倫敦塔」を出して文壇の地歩を確保。他に「坊つちやん」「草枕」「虞美人草」「三四郎」「それから」「門」「彼岸過迄」「行人」「こゝろ」「道草」「明暗」など。
  • チンダル → ジョン・チンダル
  • ジョン・チンダル John Tyndall 1820-1893 アイルランド生まれ。イギリスの物理学者。著『アルプスの旅より』『アルプスの氷河』。
  • 石原純 いしわら じゅん 1881-1947 理論物理学者・歌人。東京生れ。東大卒。東北大教授。相対性理論および古典量子論の研究、自然科学知識の普及啓蒙に努める。著「自然科学概論」、歌集「靉日」など。
  • アインシュタイン Albert Einstein 1879-1955 理論物理学者。光量子説・ブラウン運動の理論・特殊相対性理論・一般相対性理論などの首唱者。ユダヤ系ドイツ人。ナチスに追われて渡米。プリンストン高等研究所で相対性理論の一般化を研究。また、世界政府を提唱。ノーベル賞。
  • 内田百間 うちだ ひゃっけん 1889-1971 小説家・随筆家。名は栄造。百鬼園と号。岡山県生れ。東大卒。夏目漱石の門下。夢幻的な心象を描き、また人生の諧謔と悲愁を綴る。作「冥途」「百鬼園随筆」「阿房列車」など。
  • 森田たま もりた たま 1894-1970 随筆家。 元参議院議員(1期)。長女はデザイナーの森田麗子。札幌市生まれ。森田草平に師事。「片瀬まで」が小宮豊隆の推薦で「新世紀」に掲載される。
  • 木々高太郎 きぎ たかたろう 1897-1969 大脳生理学者、小説家・推理作家。本名:林髞。長男は医学博士の林峻一郎。山梨県西山梨郡山城村(現甲府市下鍛冶屋町)生まれ。1934年(昭和9年)には科学知識普及会評議員となり、海野十三、南沢十七の勧めもあり「木々高太郎」のペンネームで、「新青年」11月号に探偵小説『網膜脈視症』発表。
  • パヴロフ Ivan Petrovich Pavlov 1849-1936 ソ連の生理学者。胃液・膵液の分泌機構を研究、条件反射を発見。人間の大脳生理学の基礎を築いた。ノーベル賞。
  • 志賀直哉 しが なおや 1883-1971 小説家。宮城県生れ。東大中退。武者小路実篤らと雑誌「白樺」を創刊。強靱な個性による簡潔な文体は、散文表現における一到達点を示した。作「城の崎にて」「和解」「小僧の神様」「暗夜行路」など。文化勲章。
  • -----------------------------------
  • レイモン・コフマン 〓 アメリカの社会教育者。著『科学の学校』(実業之日本社)『人類文化史物語』全二巻(岩波文庫)。
  • 神近市子 かみちか いちこ 1888-1981 本名イチ。政治運動家、衆議院議員。長崎県生まれ。女子英学塾在学中に青鞜社に参加する。教師ののち、東京日日新聞の記者となる。1916年、愛人だった大杉栄が、新しい愛人・伊藤野枝に心を移したことから大杉を刺傷し(日蔭茶屋事件)2年間服役。出獄後、『女人藝術』『婦人文藝』などで文筆活動、戦後、1947年に民主婦人協会、自由人権協会設立に参加。
  • 実業之日本社 じつぎょうの にほんしゃ 株式会社。出版社。1897年(明治30年)6月10日創業。「実業の日本」や「婦人世界」「日本少年」「少女の友」を創刊し、地方の小売書店に販売を委託する方法を取り、発行部数を伸ばした。
  • パストゥール → パスツール
  • パスツール Louis Pasteur 1822-1895 フランスの化学者・細菌学者。酒石酸の旋光性や発酵の研究を行い、乳酸菌・酪酸菌を発見、発酵や腐敗が微生物によって起こることを明らかにし、自然発生説を否定、また低温殺菌法を考案。炭疽菌や狂犬病のワクチンを発明。
  • ウィリアム・ブレーク → ウィリアム・ブレイク
  • ウィリアム・ブレイク William Blake 1757-1827 イギリスの画家、詩人、銅版画職人。1787年頃、新しいレリーフ・エッチングの手法を発明。その手法を用いた彩飾印刷(Illuminated Printing)によって、言語テクストと視覚テクストを同列に表現することが可能となっただけでなく、出版者から独立し、自分の印刷機で自分の本を印刷することも可能となった。
  • 中谷宇吉郎 なかや うきちろう 1900-1962 物理学者。石川県生れ。東大卒。北大教授。雪の結晶・人工雪を研究し、氷雪学を拓いた。随筆家としても知られる。著「雪の研究」「冬の華」など。
  • 槙有恒 まき ありつね 1894-1989 (名はユウコウとも)登山家。仙台生れ。慶大卒。1920年代ヨーロッパ‐アルプス・カナディアン‐ロッキーなどを登攀、近代登山を日本に導入。56年マナスル遠征隊長として初登頂を成功させた。著「山行」
  • ウィムパー → ウィンパー
  • ウィンパー Edward Whymper 1840-1911 イギリスの登山家・版画家。1865年マッターホルンに初登頂。のちアンデス・ロッキー山脈などを踏査。著「アルプス登攀記」など。
  • 辻村太郎 つじむら たろう 1890-1983 神奈川県小田原市の生まれ。地理学者、地質学者。専門は地形学。地形学を中心とした日本における地理学の確立につとめ、長く日本の地理学をリードしてきた人物として知られ、日本の地理学の歴史には欠かせない人物。
  • バード → Richard Evelyn Byrd か
  • バード Richard Evelyn Byrd 1888-1957 アメリカの探検家・海軍軍人。1926年最初の北極飛行に成功。27年大西洋横断飛行。29年より数回にわたり南極の調査・探検に従事。
  • 研究社 → 株式会社研究社
  • 株式会社研究社 - けんきゅうしゃ 東京都千代田区に本社を置き、主に英語を中心とした外国語の辞書、教科書を発行する出版社。1907年(明治40年)- 小酒井五一郎が英語研究社を設立。
  • シンクレア → アプトン・シンクレア
  • アプトン・シンクレア Upton Beall Sinclair 1878-1968 著『石油』。Oil!(1927)。/アメリカの作家。社会関心の強い作品を書き続け、政治運動にも参加。小説「ジャングル」「ボストン」などのほか、ラニー=バッドを主人公とする全11巻の連作小説がある。
  • アリス・ホバード 〓 アメリカの婦人作家。著『支那ランプの石油』。
  • シートン Ernest Thompson Seton 1860-1946 アメリカの動物文学者。イギリス生れ。種々の「動物記」が著名。
  • バルザック Honor de Balzac 1799-1850 フランスの小説家。近代リアリズム文学を代表する作家。「人間喜劇」と総称する長短90編余の小説のなかに、19世紀前半のフランス社会を形作る多種多様な人間の気質を描出した。作「ゴリオ爺さん」「谷間の百合」「従兄ポンス」「絶対の探求」など。
  • ロンドン Jack London 1876-1916 アメリカの作家。自然主義の観点から動物を描いた「荒野の呼び声」「白い牙」などのほか、自伝的小説「マーティン=イーデン」、社会小説「鉄のかかと」など。
  • キプリング → キップリング
  • キップリング Rudyard Kipling 1865-1936 イギリスの作家。インドのボンベイに生まれ、帰英後、大英帝国を宣伝するような文学の代表的作家となる。詩集「七つの海」、小説「キム」「ジャングル‐ブック」など。ノーベル賞。キプリング。
  • ハドソン → ウィリアム・ハドソン
  • ウィリアム・ハドソン William Henry Hudson 1841-1922 イギリスの博物学者・作家。アルゼンチン生れ。作「緑の館」「遥かな国遠い昔」「ラプラタの博物学者」など。
  • 中西悟堂 なかにし ごどう 1895-1984 野鳥研究家・歌人。悟堂は法名。金沢市生れ。1934年日本野鳥の会を創立し、自然保護に尽力。著「定本野鳥記」など。
  • 冨山房 ふざんぼう 日本の老舗出版社。戦前は博文館とともに大手出版社のひとつだった。近年の冨山房の出版事業は、児童書が中心となっている。なお、児童書は冨山房インターナショナルでも出版している。明治、大正期において、三省堂、博文館と並ぶ、代表的な辞書出版社であったが、近年は評価の高い辞書のみ、当時のままに発行を続けている。
  • メンデル Gregor Johann Mendel 1822-1884 オーストリアのカトリック司祭・植物学者。エンドウなどの研究により、遺伝の法則を発見。生前その業績は認められず、1900年にド=フリース・チェルマーク(E. Tschermak1871〜1962)・コレンス(C. E. Correns1864〜1933)が、それぞれ独自にその意義を確認。
  • ハーバート・ジョージ・ウェルズ Herbert George Wells 1866-1946 著『生命の科学』平凡社。/イギリスの作家・評論家。SFのジャンルを確立した「タイムマシン」「透明人間」の他に、「アン=ヴェロニカ」「トーノ=バンゲイ」のような社会小説も書いた。「世界史概観」などもある。また、原子爆弾を予想した。
  • ハッドン Had'don, Alfred Cort 1855-1940 トレス海峡地方の人類学的調査団を組織し、リヴァーズ、マイアーズ、マクドゥーガル等の心理学者を加えて心理学的調査をおこない著しい成果を収めた。また、ケンブリッジ大学にも人類学講座を設けることに努めてこれを実現した。(岩波西洋)/イギリスの人類学と民族学の教授。著『民族移動史』改造文庫。
  • ヒポクラテス Hippokrates 前460頃-前375頃 古代ギリシアの医師。コス島の人。病人についての観察や経験を重んじ、当時の医術を集大成、医学の祖あるいは医術の父と称される。
  • ウィリアム・ハーヴェー William Harvey 1578-1657 イギリスの生理学者。血液循環の原理を発見。また、昆虫・哺乳類の発生を研究、「すべての動物は卵から生まれる」と主張。
  • パストゥール → パスツール
  • ジェンナー Edward Jenner 1749-1823 イギリスの外科医。牛痘に感染した者が天然痘に対して免疫になることに気づいて、1796年に牛痘種痘法を発明。
  • モルトン → モートンか
  • モートン Morton, William Thomas Green 1819-1868 アメリカの歯科医。ボストンで開業。化学者ジャクソンに勧められて、医者のロングとは独立にエーテル麻酔を試みてから、マサチューセッツ総合病院で外科手術に初めて応用した。(岩波西洋)
  • シーボルト Philipp Franz von Siebold 1796-1866 ドイツの医学者・博物学者。1823年(文政6)オランダ商館の医員として長崎に着任、日本の動植物・地理・歴史・言語を研究。また鳴滝塾を開いて高野長英らに医術を教授し、実地に診療。28年帰国の際、荷物の中に国禁の地図等が発見され、翌年国外追放、多くの洋学者が処罰された(シーボルト事件)。59年(安政6)再び来航、幕府の外事顧問となる。62年(文久2)出国。著「日本」「日本動物誌」「日本植物誌」など。
  • 菊池寛 きくち かん 1888-1948 (本名ヒロシとよむ)作家。香川県生れ。京大英文科卒。芥川竜之介・久米正雄らと第3次・第4次「新思潮」を発刊。「無名作家の日記」「忠直卿行状記」「恩讐の彼方に」、戯曲「父帰る」「藤十郎の恋」などを発表、のち長編通俗小説に成功。また、雑誌「文芸春秋」を創刊、作家の育成、文芸の普及に貢献。
  • ロベルト・コッホ Robert Koch 1843-1910 ドイツの医学者。近世細菌学の祖。結核菌・コレラ菌の発見、ツベルクリンの発明などの業績を残した。ノーベル賞。
  • メチニコフ Il'ya Il'ich Mechnikov 1845-1916 ロシアの生物学者。フランスに帰化。パスツール研究所長。白血球の食菌作用と免疫の研究、腸内細菌の駆除による早老防止の研究など。ノーベル賞。
  • ベルツ Erwin von Blz 1849-1913 ドイツの内科医。1876〜1905年(明治9〜38)滞日、東大で医学の教育・研究および診療に従事。のち宮内省御用掛。息子トク=ベルツにより「ベルツの日記」が編まれた。
  • モールス 生物学者 → エドワード・S・モースか
  • エドワード・S・モース Edward Sylvester Morse 1838-1925 アメリカの動物学者。1877年(明治10)来日、2年間東大で生物学を講じ、進化論を紹介。大森貝塚や古墳の発掘・研究など、日本の近代的考古学の最初の実践者。著「大森介墟古物篇」「日本その日その日」など。
  • 小泉八雲 こいずみ やくも 1850-1904 文学者。ギリシア生れのイギリス人で、前名ラフカディオ=ハーン(ヘルン)(Lafcadio Hearn)。1890年(明治23)来日。旧松江藩士の娘、小泉節子と結婚。のち帰化。松江中学・五高・東大・早大に英語・英文学を講じた。「心」「怪談」「霊の日本」など日本に関する英文の印象記・随筆・物語を発表。
  • ラフカディオ・ハーン → 小泉八雲
  • ケーベル Raphael Koeber 1848-1923 哲学者・音楽家。ドイツ系ロシア人。ドイツで哲学を学んだ。1893年(明治26)来日、東京大学で西洋哲学・ドイツ文学・古典語学を講じ、また、東京音楽学校でピアノを教授。
  • フェノロサ Ernest Francisco Fenollosa 1853-1908 アメリカの哲学者・東洋美術研究家。1878年(明治11)来日。東大に政治学・理財学・哲学を講じる。傍ら日本美術の研究に意を注ぎ、岡倉天心とともに東京美術学校を創設、伝統絵画の再評価などに尽力。のちボストン美術館日本美術部主管。著「美術真説」「東亜美術史綱」など。
  • フランクリン Benjamin Franklin 1706-1790 アメリカの政治家・文筆家・科学者。印刷事業を営み、公共事業に尽くした。理化学に興味を持ち、雷と電気とが同一であることを立証し、避雷針を発明。また、独立宣言起草委員の一人で、合衆国憲法制定会議にも参与。自叙伝は有名。
  • 平賀源内 ひらが げんない 1728-1779 江戸中期の博物学者・戯作者。名は国倫。鳩渓・福内鬼外・風来山人などと号。讃岐高松の人。蘭学・物産学・本草学を研究、初めて火浣布を織り、寒暖計を模製し、鉱山を開発、またエレキテル(摩擦起電機)を自製。のち戯作に没頭。浄瑠璃「神霊矢口渡」、談義本「風流志道軒伝」「放屁論」は有名。乱心して人を殺傷、獄中に没。ほかに著「物類品�」
  • 科学博物館 かがく はくぶつかん → 国立科学博物館
  • 国立科学博物館 こくりつ かがく はくぶつかん 自然科学およびその応用に関する資料を収集・保存して展示し、なおこれに関連する調査研究および事業を行う機関。1949年設置、2001年独立行政法人となる。文部科学省所管。本館は東京都上野公園内。
  • ホグベン → ランスロット・トマス・ホグベン
  • ランスロット・トマス・ホグベン Hogben, Lancelot Thomas 1895-1975 イギリスの動物学者、遺伝学者。科学、数学、そして言語の啓蒙書の執筆者としてよく知られる。独立労働党の活動家、マルクス主義者、人工言語の作者(Interglossa)である。1917年に、数学者、統計学者、そしてフェミニストのEnid Charlesと結婚した。Julian HuxleyおよびJ. B. S. Haldaneとともに『Journal of Experimental Biology』の創刊者。
  • 小倉金之助 おぐら きんのすけ 1885-1962 数学者。山形県生れ。東京物理学校卒。大正末期から数学教育の近代化に尽力。戦時下の科学技術の動員体制を批判。民主主義科学者協会初代会長。著「数学教育史」「数学史研究」など。
  • 吉田洋一 よしだ よういち 1891-1989 大正・昭和期の数学者。立教大学教授。著書に『函数論』『零《ゼロ》の発見』(岩波新書)など。
  • ファラディー → ファラデー
  • ファラデー Michael Faraday 1791-1867 著『ロウソクの科学』。岩波文庫。/イギリスの化学者・物理学者。塩素の液化、ベンゼンの発見、電磁誘導の法則、電気分解のファラデーの法則、ファラデー効果および反磁性物質などを発見。電磁気現象を媒質による近接作用として、場の概念を導入、マクスウェルの電磁論の先駆をなす。主著「電気学の実験的研究」
  • アンリ・ポアンカレ Henri Poincar 1854-1912 フランスの数学者。数論・関数論・微分方程式・位相幾何学のほか天体力学および物理数学・電磁気についても卓抜な研究を行い、また、マッハの流れをくむ実証主義の立場から科学批判を展開。主著「天体力学」
  • 庄司彦六 しょうじ ひころく 1890-1966 昭和期の結晶物理学者。金沢大学教授。著『文化の物理学』。
  • ガリレイ Galileo Galilei 1564-1642 イタリアの天文学者・物理学者・哲学者。近代科学の父。力学上の諸法則の発見、太陽黒点の発見、望遠鏡による天体の研究など、功績が多い。また、アリストテレスの自然哲学を否定し、分析と統合との経験的・実証的方法を用いる近代科学の方法論の端緒を開く。コペルニクスの地動説を是認したため、宗教裁判に付された。著「新科学対話」「天文対話」など。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『岩波西洋人名辞典増補版』。



*書籍

(書名、雑誌名、論文名、能・狂言・謡曲などの作品名)
  • 『生の誘惑』 モーパッサンの著。前田晁、訳。岩波書店、1931年出版。
  • 『昆虫記』 こんちゅうき (Souvenirs entomologiques フランス)フランスの博物学者ファーブルの著。10巻。1879〜1907年刊行。科学者の眼と詩人の心とを以て虫の行動や生活を描く。
  • 『科学の詩人』 ファーブルの伝記。
  • 「科学者と発明家」 石原純の著。『改造』九月号。
  • 『百鬼園随筆』 内田百間の著。
  • 『もめん随筆』 随筆家、森田たまが1936年(昭和11年)に発表した随筆集。
  • 『夜の翼』 木々高太郎の探偵小説集。春秋社、1937年出版。
  • 『条件』 木々高太郎の随筆集。本名、林髞名義。三省堂、1935年出版。
  • 「無罪の判決」 木々高太郎の著。
  • 『文学界』 ぶんがくかい (1) 1893年(明治26)1月創刊の文芸雑誌。北村透谷・島崎藤村・上田敏・戸川秋骨・平田禿木らが同人で、当時の文壇に清新なロマン主義を導入した。98年1月終刊。(2) 1933年10月創刊の文芸雑誌。林房雄・武田麟太郎・小林秀雄・川端康成らを編集同人として、プロレタリア文学運動壊滅後の文壇文学復興の気運の中で生まれた。44年4月終刊。(3) 1947年6月創刊の文芸雑誌。新人発掘に力を注ぐ。
  • 『范の犯罪』 志賀直哉の小説。1913年発表。
  • 「盲《めし》いた月」 木々高太郎の著。
  • -----------------------------------
  • 『科学の学校』 レイモン・コフマンの著。神近市子訳。実業之日本社。
  • 『人類文化史物語』全二巻 レイモン・コフマンの著。神近市子訳。岩波文庫。
  • 『科学者の道』 パストゥールを主人公とした映画。
  • 『キュリー夫人伝』
  • 『史的に見たる科学的宇宙観の変遷』 寺田寅彦訳。岩波文庫。
  • 『膨張する宇宙』
  • 『雪』 中谷宇吉郎の著。岩波新書、1938年。
  • 『雷』 中谷宇吉郎の著。
  • 『アルプスの旅より』 チンダルの著。岩波文庫。
  • 『アルプスの氷河』 チンダルの著。岩波文庫。
  • 『アルプス登攀記』 - とうはんき ウィムパーの著。岩波文庫。
  • 『山』 辻村太郎の著。岩波新書。
  • 『北極飛行』 岩波新書。
  • 『孤独』 バードの著。
  • 『防災科学』全五巻。岩波書店。
  • 研究社学生文庫
  • 『われらの住む大地』 研究社学生文庫。
  • 『石油』 アメリカの作家シンクレアの著。Oil ! (1927)。
  • 『支那《シナ》ランプの石油』 アメリカの婦人作家アリス・ホバードの著。
  • 『シートン動物記』 - どうぶつき アメリカの博物学者アーネスト・トンプソン・シートンによって書かれた複数の著作(主に動物作品全55編)を総称して、日本でつけられた題名。したがって、正確に対応する原題や他国語での訳題は存在しない。シートンの著作に「動物記」というものはなく、翻訳家・内山賢次による邦訳本が初出となる。
  • 「砂漠の情熱」 バルザックの著。
  • 『野生の呼び声』 The Call of the Wild。ジャック・ロンドンの著。改造文庫。
  • 『ホワイト・ファング』 The White Fang。『白牙』。ジャック・ロンドンの著。
  • 改造文庫 かいぞう ぶんこ? 改造社が1929年に創刊した文庫本シリーズ。1944年廃刊。岩波文庫に対抗して創刊された経緯から、価格は岩波の半額の100ページあたり10銭を目安として設定された。また、初期は布張りの装幀で差別化を図った。
  • 『ジャングル・ブック』 キプリングの著。岩波文庫。
  • 『ラプラタの博物学者』 ハドソンの著。岩波文庫。
  • 『日本の鳥』 中西悟堂の著。富山房百科全書。
  • 『種の起源』 しゅの きげん "The Origin of Species"。チャールズ・ダーウィンにより1859年11月24日に出版された進化論についての著作。
  • 『人および動物の表情について』 ダーウィンの著。
  • 『雑種植物の研究』 メンデルの著。
  • 『生命の科学』 The Science of Life。ハーバート・ジョージ・ウェルズとジュリアン・ハクスリーの共著。1930年。平凡社。
  • 『民族移動史』 ハッドンの著。改造文庫。
  • 『言語地理学』 冨山房の百科全書。
  • 『蘭学事始』 - ことはじめ 菊池寛の小説。
  • 『ロベルト・コッホ』 冨山房の百科全書。
  • 『緑の月桂樹』(西洋の科学者たち) 冨山房の百科全書。
  • 『メチニコフの生涯』 岩波新書。
  • 『ベルツの日記』 トク=ベルツの著。岩波。
  • 『日本その日その日』 エドワード・S・モースの著。冨山房。
  • 『江戸時代の科学』科学博物館編。
  • 『百万人の数学』上下 ホグベンの著。日本評論社、各二・三〇。
  • 『家計の数学』 小倉金之助の著。岩波新書。
  • 『日本の数学』 小倉金之助の著。
  • 『零《ゼロ》の発見』 吉田洋一の著。岩波新書。
  • 『ロウソクの科学』 ファラディーの著。岩波文庫。
  • 『物理学はいかに創られたか』 石原純訳、アインシュタイン著。岩波新書。原名(物理学の発展)。
  • 『子供の科学』 冨山房百科全書。
  • 『文化の物理学』 庄司彦六の著。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)



*難字、求めよ

  • アパッシュ apache 無頼漢。ならず者。
  • ディレッタンティズム dilettantism 好事。道楽。
  • 撞着 どうちゃく (1) つきあたること。ぶつかること。(2) 前後が一致しないこと。つじつまが合わないこと。矛盾。
  • 掣肘 せいちゅう [呂氏春秋審応覧](ひじを引っぱる意)傍から干渉して自由に行動させないこと。
  • 隠微 いんび 外面にはかすかにしかあらわれず、実体の分かりにくいこと。
  • デカダンス dcadence (頽廃・堕落の意) (1) 19世紀末のフランスを中心に現れた文芸の一傾向。虚無的・耽美的で、病的なものを好む。ボードレールを先駆とし、ヴェルレーヌ・ランボー、イギリスのスウィンバーン・ワイルドなどに代表される。(2) 一般に、虚無的・頽廃的な芸術傾向や生活態度。
  • インテレクチュアル intellectual 知性のあるさま。知的。
  • インテリゲンチア intelligentsiya (もと帝政ロシアの西欧派自由主義者群の称)知的生産に従事する社会層。知識層。インテリ。
  • ニグロ Negro 黒色人種の総称。
  • -----------------------------------
  • 流水相光を交し
  • 樹陰 じゅいん/こかげ
  • 容相 ようそう
  • 山恋い
  • 毛生動物


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『日本国語大辞典 第二版』(小学館、2001.5)



*後記(工作員スリーパーズ日記)


かく → 書く
おこって → 怒《おこ》って
云った → 言った
もって → 持って
よむ → 読む
あらそわれぬ → 争われぬ
のこされ → 残され
うけついで → 受け継《つ》いで
つかわれ → 使われ
ひきとめる → 引き止める
つよく → 強く
もとめ → 求め
もたない → 持たない

おくられた → 送られた
かくされ → 隠され
おくれ → 遅れ
ふかい → 深い
ひとの → 人の
のぞみ → 望み
うけいれ → 受け入れ
うたない → 打たない
つとめ → 勤め
のべられ → 述べられ
のがれる → 逃れる
ひと → 人
かげ → 陰《かげ》

 以上、変更しました。
 おもに意味を取りにくいひらがなを漢字に置き換え。「勝手なことをすな!」と彼岸のむこうから百合子ちゃんにごつかれそう。ほかにも「モウパッサン」「ファブル」「ダアウィン」を現行表記へ置き換えた。「レーニングラード」「インテリゲンツィア」「ソビエット」のように置き換えをためらった語句もある。
 現行表記へ置き換えることで(現代読者にとって)読みあたりが良くなり、単純検索へのヒット率も向上することが期待できる。そのかわり、著作者の作品にこめた真意や個性はかぎりなく排除されてしまう。理由はどうであれ、勝手な編集行為が意味の排除・表現の排除に加担しているわけで、百合子ちゃんが文中で指摘している“統制”以外の何ものでもない。
 読みやすくなれば、わかりやすくなれば、それでいいじゃないか……とは思わない。「わかりにくいこと」「理解しにくいこと」もまた作者の意図したことじゃないとはいいきれない。わかりにくいから読者は時間をかけて読む、なんどもくりかえして読んで意味を取ろうと努める。つまずきながら読みかえすことで記憶にとどまりやすくなる。わかりにくさもまた、作者が読者へ向けたメッセージなんじゃないだろうか。
 
「アインシュタイン」の特集第三回目として予定していたものの、読み込んでみると、内容がアインシュタインとはそうとうに離れているので「特集」の冠をはずした。

 8.25 ロンドン暴動、2700人逮捕。(NHK)

 七月だったろうか。県内向け NHK ニュースによれば、現在、山形には暴力団組織が4つあり、およそ400人いるという(要確認)。1989年、高校卒業の3月に暴力団抗争の発砲事件があって、ああ、山形はこういう土地柄だったんだなあとふるえた記憶がある。
 94年に帰郷して今に至るまで、これもそっち関係かと、ふと思うことがしばしばあった。会社上層から社員へ高額啓発セミナーへの勧誘が続いたこと、その直後の不当解雇の多発、少額景品やマッサージをネタに高齢者が集まる場を見たこと、ふりこめ詐欺がしばらく続いたこと、やけに住宅を建てると思ったら案の定ローン詐欺が発覚したこと、アパート近隣のあやしげな喫煙臭。
 市立図書館入口には「暴力団関係者、立ち入り禁止」の張り紙がある。いつもその前を通るとき、どぎまぎする。




*次週予告


第四巻 第六号 
地震の国(三)今村明恒


第四巻 第六号は、
九月三日(土)発行予定です。
定価:200円


T-Time マガジン 週刊ミルクティー 第四巻 第五号
作家のみた科学者の文学的活動(他)宮本百合子
発行:二〇一一年八月二七日(土)
編集:しだひろし/PoorBook G3'99
 http://www33.atwiki.jp/asterisk99/
出版:*99 出版
 〒994-0024 山形県天童市鎌田2丁目1−21
 アパートメント山口A−202
販売:DL-MARKET
※ T-Timeは(株)ボイジャーの商標・製品です。



T-Time マガジン
週刊ミルクティー
*99 出版
バックナンバー
  • 第二巻
  • #1 奇巌城(一)M. ルブラン
  • #2 奇巌城(二)M. ルブラン
  • #3 美し姫と怪獣/長ぐつをはいた猫
  • #4 毒と迷信/若水の話/麻薬・自殺・宗教
  • #5 空襲警報/水の女/支流
  • #6 新羅人の武士的精神について 池内 宏
  • #7 新羅の花郎について 池内 宏
  • #8 震災日誌/震災後記 喜田貞吉
  • #9 セロ弾きのゴーシュ/なめとこ山の熊 宮沢賢治
  • #10 風の又三郎 宮沢賢治
  • #11 能久親王事跡(一)森 林太郎
  • #12 能久親王事跡(二)森 林太郎
  • #13 能久親王事跡(三)森 林太郎
  • #14 能久親王事跡(四)森 林太郎
  • #15 欠番
  • #16 欠番
  • #17 赤毛連盟      C. ドイル
  • #18 ボヘミアの醜聞   C. ドイル
  • #19 グロリア・スコット号C. ドイル
  • #20 暗号舞踏人の謎   C. ドイル
  • #21 蝦夷とコロボックルとの異同を論ず 喜田貞吉
  • #22 コロポックル説の誤謬を論ず 上・下 河野常吉
  • #23 慶長年間の朝日連峰通路について 佐藤栄太
  • #24 まれびとの歴史/「とこよ」と「まれびと」と 折口信夫
  • #25 払田柵跡について二、三の考察/山形県本楯発見の柵跡について 喜田貞吉
  • #26 日本天変地異記 田中貢太郎
  • #27 種山ヶ原/イギリス海岸 宮沢賢治
  • #28 翁の発生/鬼の話 折口信夫
  • #29 生物の歴史(一)石川千代松
  • #30 生物の歴史(二)石川千代松
  • #31 生物の歴史(三)石川千代松
  • #32 生物の歴史(四)石川千代松
  • #33 特集 ひなまつり
  •  雛 芥川龍之介
  •  雛がたり 泉鏡花
  •  ひなまつりの話 折口信夫
  • #34 特集 ひなまつり
  •  人形の話 折口信夫
  •  偶人信仰の民俗化並びに伝説化せる道 折口信夫
  • #35 右大臣実朝(一)太宰 治
  • #36 右大臣実朝(二)太宰 治
  • #37 右大臣実朝(三)太宰 治
  • #38 清河八郎(一)大川周明
  • #39 清河八郎(二)大川周明
  • #40 清河八郎(三)大川周明
  • #41 清河八郎(四)大川周明
  • #42 清河八郎(五)大川周明
  • #43 清河八郎(六)大川周明
  • #44 道鏡皇胤論について 喜田貞吉
  • #45 火葬と大蔵/人身御供と人柱 喜田貞吉
  • #46 手長と足長/くぐつ名義考 喜田貞吉
  • #47 「日本民族」とは何ぞや/本州における蝦夷の末路 喜田貞吉
  • #48 若草物語(一)L.M. オルコット
  • #49 若草物語(二)L.M. オルコット
  • #50 若草物語(三)L.M. オルコット
  • #51 若草物語(四)L.M. オルコット
  • #52 若草物語(五)L.M. オルコット
  • #53 二人の女歌人/東北の家 片山広子
  • 第三巻
  • #1 星と空の話(一)山本一清
  • #2 星と空の話(二)山本一清
  • #3 星と空の話(三)山本一清
  • #4 獅子舞雑考/穀神としての牛に関する民俗 中山太郎
  • #5 鹿踊りのはじまり 宮沢賢治/奥羽地方のシシ踊りと鹿供養 喜田貞吉
  • #6 魏志倭人伝/後漢書倭伝/宋書倭国伝/隋書倭国伝
  • #7 卑弥呼考(一)内藤湖南
  • #8 卑弥呼考(二)内藤湖南
  • #9 卑弥呼考(三)内藤湖南
  • #10 最古日本の女性生活の根底/稲むらの陰にて 折口信夫
  • #11 瀬戸内海の潮と潮流(他三編)寺田寅彦
  •  瀬戸内海の潮と潮流/コーヒー哲学序説/
  •  神話と地球物理学/ウジの効用
  • #12 日本人の自然観/天文と俳句 寺田寅彦
  • #13 倭女王卑弥呼考(一)白鳥庫吉
  • #14 倭女王卑弥呼考(二)白鳥庫吉
  • #15 倭奴国および邪馬台国に関する誤解 他 喜田貞吉
  •  倭奴国と倭面土国および倭国とについて稲葉君の反問に答う/倭奴国および邪馬台国に関する誤解
  • #16 初雪 モーパッサン 秋田 滋(訳)
  • #17 高山の雪 小島烏水
  • #18 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(一)徳永 直
  • #19 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(二)徳永 直
  • #20 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(三)徳永 直
  • #21 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(四)徳永 直
  • #22 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(五)徳永 直
  • #23 銀河鉄道の夜(一)宮沢賢治
  • #24 銀河鉄道の夜(二)宮沢賢治
  • #25 ドングリと山猫/雪渡り 宮沢賢治
  • #26 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(六)徳永 直
  • #27 特集 黒川能・春日若宮御祭 折口信夫
  •  黒川能・観点の置き所
  •  村で見た黒川能
  •  能舞台の解説
  •  春日若宮御祭の研究
  • #28 面とペルソナ/人物埴輪の眼 他 和辻哲郎
  •  面とペルソナ / 文楽座の人形芝居
  •  能面の様式 / 人物埴輪の眼
  • #29 火山の話 今村明恒
  • #30 現代語訳『古事記』(一)武田祐吉(訳)
  • #31 現代語訳『古事記』(二)武田祐吉(訳)
  • #32 現代語訳『古事記』(三)武田祐吉(訳)
  • #33 現代語訳『古事記』(四)中巻(後編)武田祐吉(訳)
  • #34 山椒大夫 森 鴎外
  • #35 地震の話(一)今村明恒
  • #36 地震の話(二)今村明恒
  • #37 津波と人間/天災と国防/災難雑考 寺田寅彦
  • #38 春雪の出羽路の三日 喜田貞吉
  • #39 キュリー夫人/はるかな道(他)宮本百合子
  • #40 大正十二年九月一日…/私の覚え書 宮本百合子
  • #41 グスコーブドリの伝記 宮沢賢治
  • #42 ラジウムの雁/シグナルとシグナレス(他)宮沢賢治
  • #43 智恵子抄(一)高村光太郎

      あどけない話

    智恵子は東京に空がないという、
    ほんとの空が見たいという。
    私はおどろいて空を見る。
    桜若葉の間にあるのは、
    切っても切れない
    むかしなじみのきれいな空だ。
    どんよりけむる地平のぼかしは
    うすもも色の朝のしめりだ。
    智恵子は遠くを見ながらいう。
    阿多々羅山(あたたらやま)の山の上に
    毎日出ている青い空が
    智恵子のほんとの空だという。
    あどけない空の話である。


      千鳥と遊ぶ智恵子

    人っ子ひとりいない九十九里の砂浜の
    砂にすわって智恵子は遊ぶ。
    無数の友だちが智恵子の名をよぶ。
    ちい、ちい、ちい、ちい、ちい―
    砂に小さな趾(あし)あとをつけて
    千鳥が智恵子によってくる。
    口の中でいつでもなにか言ってる智恵子が
    両手をあげてよびかえす。
    ちい、ちい、ちい―
    両手の貝を千鳥がねだる。
    智恵子はそれをパラパラ投げる。
    群れ立つ千鳥が智恵子をよぶ。
    ちい、ちい、ちい、ちい、ちい―
    人間商売さらりとやめて、
    もう天然の向こうへ行ってしまった智恵子の
    うしろ姿がぽつんと見える。
    二丁も離れた防風林の夕日の中で
    松の花粉をあびながら私はいつまでも立ちつくす。
  • #44 智恵子抄(二)高村光太郎
     わたしは昭和九年(一九三四)五月から十二月末まで、毎週一度ずつ九十九里浜の真亀納屋という小さな部落に東京から通った。頭を悪くしていた妻を、そこに住む親類の寓居にあずけておいたので、その妻を見舞うために通ったのである。真亀という部落は、海水浴場としても知られているイワシの漁場、千葉県山武郡片貝村の南方一里たらずの浜辺に沿ったさびしい漁村である。
    (略)午前に両国駅を出ると、いつも午後二、三時ごろ、この砂丘につく。わたしは一週間分の薬や、菓子や、妻の好きな果物などを出す。妻は熱っぽいような息をして私をよろこび迎える。わたしは妻をさそって、いつも砂丘づたいに防風林の中をまず歩く。そして小松のまばらな高みの砂へ腰をおろして二人で休む。五月の太陽がすこしななめに白い砂を照らし、そよかぜは海から潮の香りをふくんで、あおあおとした松の枝をかすかに鳴らす。空気のうまさを満喫して私は陶然とする。ちょうど五月は松の花のさかりである。クロマツの新芽ののびたさきに、あの小さな、黄いろい、俵のような、ほろほろとした単性の花球がこぼれるように着く。
     松の花粉の飛ぶ壮観を、わたしはこの九十九里浜の初夏にはじめて見た。防風林のクロマツの花が熟するころ、海から吹きよせる風にのって、その黄いろい花粉が飛ぶさまは、むしろおそろしいほどの勢いである。支那の黄土をまきあげた黄塵というのは、もとより濁って暗くすさまじいもののようだが、松の花粉の風に流れるのはその黄塵をも想像させるほどで、ただそれが明るく、透明の感じを持ち、不可言の芳香をただよわせて風のまにまに空間を満たすのである。さかんな時には座敷の中にまでその花粉がつもる。妻の浴衣の肩につもったその花粉を軽くはたいて、私は立ち上がる。妻は足もとの砂を掘って、しきりに松露の玉をあつめている。日が傾くにつれて海鳴りが強くなる。千鳥がついそこを駈けるように歩いている。
  • #45 ヴェスヴィオ山/日本大地震(他)斎藤茂吉
     新聞の報告はみなほとんど同一であった。上海電報によると、地震は九月一日の早朝におこり、東京・横浜の住民は十万人死んだ。東京の砲兵工廠は空中に舞い上がり、数千の職工が死んだ。熱海・伊東の町は全くなくなった。富士山の頂が飛び、大島は海中に没した。云々である。
     私はしばらく息をつめてこれらの文句を読んだが、どうも現実の出来事のような気がしない。ただし私は急いでそこを出で、新しく間借りしようとする家へ行った。部屋は綺麗に調えてあったので私は床上に新聞紙と座布団とをしき、尻をペタリとおろした。それからふたたび新聞の日本震災記事を読むに、これは容易ならぬことである。私の意識はようやく家族の身上に移っていった。不安と驚愕とがしだいに私の心を領するようになってくる。私は眠り薬を服してベッドの上に身を横たえた。
     暁になり南京虫におそわれ、この部屋も不幸にして私の居間ときめることができなかった。九月四日の朝、朝食もせずそこを出て日本媼のところに急ぐ途中N君に会った。N君も日本のことが心配でたまらぬので、やはり朝食もせずに日本媼のところに来た途中なのであった。N君の持っている今日の朝刊新聞の記事を読むと、昨日の夕刊よりもややくわしく出ている。コレア丸からの無線電報によるに、東京はすでに戒厳令が敷かれて戦時状態に入った。横浜の住民二十万は住む家なく食う食がない。(略)
     九月五日。日本の惨事は非常である。部屋の中に沈黙していても何ごとも手につかない。九月六日。思いきって、Thorwalsen(トールワルゼン) Str.(シュトラセ) 六番地に引っ越してしまった。ここには南京虫はいなかった。教室まで遠くて不便であるが、日本の状態がこんなであってみれば、私自身、今後どう身を所決せねばならんか今のところまったく不明である。そこでせめて南京虫のいないところにおちつこうと決心したのであった。
  • #46 上代肉食考/青屋考 喜田貞吉
    (略)そのはばかりの程度は神社により、また時代によって相違があったようだが、ともかく肉は穢れあるものとして、これを犯したものは神に近づくことができず、これに合火(あいび)したもの、合火したものに合火のものまでも、またその穢れあるものとしておったのである。(略)
     右のしだいであったから、自分らのごときも子どもの時分には、決して獣肉を食ったことはなかった。かつて村人の猪肉・兎肉を食べているものを見て、子供心に、よくこの人らには神罰があたらぬものだと思ったこともあった。これらの人々の遁辞(とんじ)には、イノシシは山鯨で魚の仲間、兎は鴉鷺(あろ)で鳥の仲間だとあって、これだけは食べてもよいのだとすすめられたけれども、ついに食べる気にはなれなかった。しかるに郷里の中学校へ入学して、寄宿舎に入ったところが、賄い方はしばしば夕食の膳に牛肉をつけてくれた。上級生も平気でそれを食っている。こわごわながら人並みに箸を採ってみると、かつて経験したことのない美味を感じた。いつしか牛肉随喜党となり、はては友達の下宿へ行って、ひそかに近郷のある部落から売りにくる牛肉を買って、すき焼きの味をもおぼえるようになった。時は明治十七、八年(一八八四、一八八五)ころで、諸物価も安かったが、牛肉の需要が少なかったために、百目四、五銭で買えたと記憶する。かようなしだいで、おいおい大胆になっては来たが、それでもまだ家庭へ帰っては、牛肉の香りをかいだこともないような顔をしていた。これは自分の家庭が特に物堅いためで、去る大正三年(一九一四)に八十三歳で没した父のごときは、おそらく一生涯、牛肉の味を知らなかったようであるし、今なお健在の母も、たぶんまだこれを口にしたことはなかろうと思われるほどであるから、自分のこの一家庭の事情をもって、もとより広い世間を推すわけにはいかぬが、少なくも維新前後までの一般の気分は、たいていそんなものであった。したがって肉食を忌まなかった旧時のエタが、人間でないかのごとく思われたのにも無理はないが、しかしかくのごときものが、はたしてわが固有の習俗であったであろうか。
  • #47 地震雑感/静岡地震被害見学記(他)寺田寅彦
    地震雑感
     一 地震の概念
     二 震源
     三 地震の原因
     四 地震の予報
    静岡地震被害見学記
    小爆発二件
     震災の原因という言語はいろいろに解釈される。多くの場合には、その地震が某火山の活動に起因するとか、あるいは某断層における地すべりに起因するとかいうようなことが一通りわかれば、それで普通の原因追究欲が満足されるようである。そして、その上にその地すべりなら地すべりがいかなる形状の断層に沿うて幾メートルの距離だけ移動したというようなことがわかれば、それで万事は解決されたごとく考える人もある。これは原因の第一段階である。
     しかし、いかなる機巧(メカニズム)でその火山のそのときの活動がおこったか、また、いかなる力の作用でその地すべりを生じたかを考えてみることはできる。これに対する答えとしては、さらにいろいろな学説や憶説が提出され得る。これが原因の第二段階である。たとえば、地殻の一部分にしかじかの圧力なり歪力なりが集積したためにおこったものであるという判断である。
     これらの学説が仮に正しいとしたときに、さらに次の問題がおこる。すなわち地殻のその特別の局部に、そのような特別の歪力をおこすにいたったのはなぜかということである。これが原因の第三段階である。
     問題がここまで進んでくると、それはもはや単なる地震のみの問題ではなくなる。地殻の物理学、あるいは地球物理学の問題となってくるのである。
     地震の原因を追究して現象の心核にふれるがためには、結局、ここまで行かなければならないはずだと思われる。地球の物理をあきらかにしないで地震や火山の現象のみの研究をするのは、ことによると、人体の生理をあきらかにせずして、単に皮膚の吹出物だけを研究しようとするようなものかもしれない。地震の根本的研究は、すなわち地球、特に地殻の研究ということになる。本当の地震学は、これを地球物理学の一章として見たときにはじめて成立するものではあるまいか。
  • #48 自然現象の予報/火山の名について 寺田寅彦
    自然現象の予報
    火山の名について
     つぎに、地震予報の問題に移りて考えん。地震の予報ははたして可能なりや。天気予報と同じ意味において可能なりや。
     地震がいかにしておこるやは、今もなお一つの疑問なれども、ともかくも地殻内部における弾性的平衡が破るる時におこる現象なるがごとし。これが起こると否とを定むべき条件につきては、吾人いまだ多くを知らず。すなわち天気のばあいにおける気象要素のごときものが、いまだあきらかに分析されず。この点においても、すでに天気の場合とおもむきを異にするを見る。
     地殻のひずみが漸次蓄積して不安定の状態に達せるとき、適当なる第二次原因、たとえば気圧の変化のごときものが働けば、地震を誘発することは疑いなきもののごとし。ゆえに一方において地殻のゆがみを測知し、また一方においては主要なる第二次原因を知悉するを得れば、地震の予報は可能なるらしく思わる。この期待は、いかなる程度まで実現されうべきか。
     地下のゆがみの程度を測知することはある程度までは可能なるべく、また主なる第二次原因を知ることも可能なるべし。今、仮にこれらがすべて知られたりと仮定せよ。
     さらに事柄を簡単にするため、地殻の弱点はただ一か所に止まり、地震がおこるとせば、かならずその点におこるものと仮定せん。かつまた、第二次原因の作用は毫も履歴効果を有せず、すなわち単に現在の状況のみによりて事柄が定まると仮定せん。かくのごとき理想的のばあいにおいても、地震の突発する「時刻」を予報することはかなり困難なるべし。何となれば、このばあいは前に述べし過飽和溶液の晶出のごとく、現象の発生は、吾人の測知し得るマクロ・スコピックの状態よりは、むしろ、吾人にとりては偶然なるミクロ・スコピックの状態によりて定まると考えらるるがゆえなり。換言すれば、マクロ・スコピックなる原因の微分的変化は、結果の有限なる変化を生ずるがゆえなり。このばあいは、重量を加えて糸を引き切るばあいに類す。
  • #49 地震の国(一)今村明恒
     一、ナマズのざれごと
     二、頼山陽、地震の詩
     三、地震と風景
     四、鶏のあくび
     五、蝉しぐれ
     六、世紀の北米大西洋沖地震
     七、観光
     八、地震の正体

    「日本は震災国です。同時に地震学がもっともよく発達していると聞いています。したがってその震災を防止あるいは軽減する手段がよく講ぜられていると思いますが、それに関する概要をできるだけよくうかがって行って、本国へのみやげ話にしたいと思うのです。
    「よくわかりました。
     これはすばらしい好質問だ。本邦の一般士人、とくに記者諸君に吹聴したいほどの好質問だ。余は永年の学究生活中、かような好質問にかつて出会ったことがない。(略)余は順次につぎのようなことを説明した。
    「震災の防止・軽減策は三本建にしている。すなわち、第一は耐震構造の普及方。これには、建築法規に耐震構造の実施に関する一項が加えてあり、これを実行している都市は現在某々地にすぎないが、じつは国内の市町村の全部にと希望している。構造物を耐震的にするにはしかじかの方法が講ぜられている。(略)
    「第二は震災予防知識の普及。これは尋常小学校の国定教科書に一、二の文章を挿入することにより、おおむねその目的が達せられる。
    「第三は地震の予知問題の解決。この問題を分解すると、地震の大きさの程度、そのおこる場所ならびに時期という三つになり、この三者をあわせ予知することが本問題の完全な解決となる。これは前の二つとは全然その趣きが別で、専門学徒に課せられた古今の難問題である。
     ここで彼女はすかさず喙(くちばし)をいれた。
    「じつはその詳細がとくに聞きたいのです。事項別に説明してください。して、その程度とは?」
    「(略)われわれのごとく防災地震学に専念している者は、講究の目標を大地震にのみ限定しています。大きさの程度をわざとこう狭く局限しているのです。
    「そして、その場所の察知は?」
    「過去の大地震の統計と地質構造とによって講究された地震帯、磁力・重力など地球物理学的自然力の分布異状、とくに測地の方法によって闡明(せんめい)された特種の慢性的・急性的陸地変形などによります。
    「それから、いつ起こるかということは?」
    「右の起こりそうな場所に網をはっておいて、大地震の前兆と思われる諸現象を捕捉するのです。
     パイパー夫人はなおも陸地変形による場所ならびに時期の前知方法の講究に関して、さらに具体的の例をあげるよう迫るので、余は南海道沖大地震に関する研究業績の印刷物をもってこれに応じておいた。
  • #50 地震の国(二)今村明恒
     九 ドリアン
     一〇 地震の興味
     一一 地割れの開閉現象
     一二 称名寺の鐘楼
     一三 張衡(ちょうこう)
     一四 地震計の冤(えん)
     一五 初動の方向性
     一六 白鳳大地震

     文部大臣は、昨年の関西風水害直後、地方庁あてに訓令を出されて、生徒児童の非常災害に対する教養に努めるよう戒められたのであった。まことに結構な訓令である。ただし、震災に関するかぎり、小学教師は、いつ、いかなる場合、いかようにしてこの名訓令の趣旨を貫徹せしめるかについては、すこぶる迷っているというのが、いつわらざる現状である。実際、尋常科用国定教科書をいかにあさって見ても理科はもとより、地理・国語・修身、その他にも、地震を主題とした文章は一編も現われず、ただ数か所に「地震」という文字が散見するのみである。地震の訓話をするに、たとえかような機会をとらえるとしても、いかなることを話したらよいか、それが教師にとってかえって大きな悩みである。文部大臣の監督下にある震災予防評議会が、震火災防止をめざす積極的精神の振作に関し、内閣総理をはじめ、文部・内務・陸海軍諸大臣へあて建議書を提出したのは昭和三年(一九二八)のことであるが、その建議書にはとくに「尋常小学校の課程に地震に関する一文章を加える議」が強調してある。同建議書は文部省に設置してある理科教科書編纂委員会へも照会されたが、同委員会からは、問題の事項は加えがたいむねの返事があった。地震という事項は、尋常科の課程としては難解でもあり、また、その他の記事が満載されていて、割り込ませる余地もないという理由であった。この理由はとくに理科の教科書に限られたわけでもなく、他の科目についても同様であったのである。難解なりとは、先ほどから説明したとおり問題にならぬ。われわれはその後、文案を具して当局に迫ったこともあるくらいであるから、当局ももはや諒としておられるであろう。さすれば主な理由は、余地なしという点に帰着するわけである。つくづく尋常科教科書を検討してみるに、次のようなことが載せてあるのを気づく。すなわち「南洋にはドリアンという果物ができる。うまいけれども、とても臭い」と。このような記事を加える余裕があるにもかかわらず、地震国・震災国の幼い小国民に地震のことを教える余地がないとは、じつに不可解なことといわねばならぬ。
  • #51 現代語訳『古事記』(五)下巻(前編)武田祐吉(訳)
    古事記 下の巻
     一、仁徳天皇
      后妃と皇子女
      聖(ひじり)の御世
      吉備の黒日売
      皇后石の姫の命
      ヤタの若郎女
      ハヤブサワケの王とメトリの王
      雁の卵
      枯野という船
     二、履中天皇・反正天皇
      履中天皇とスミノエノナカツ王
      反正天皇
     三、允恭天皇
      后妃と皇子女
      八十伴の緒の氏姓
      木梨の軽の太子
     四、安康天皇
      マヨワの王の変
      イチノベノオシハの王

     皇后石の姫の命はひじょうに嫉妬なさいました。それで天皇のお使いになった女たちは宮の中にも入りません。事がおこると足擦りしてお妬みなさいました。しかるに天皇、吉備の海部の直の娘、黒姫という者が美しいとお聞きあそばされて、喚し上げてお使いなさいました。しかしながら、皇后さまのお妬みになるのをおそれて本国に逃げ下りました。(略)
     これより後に皇后さまが御宴をお開きになろうとして、カシワの葉を採りに紀伊の国においでになったときに、天皇がヤタの若郎女と結婚なさいました。ここに皇后さまがカシワの葉を御船にいっぱいに積んでおかえりになるときに、(略)「天皇はこのごろヤタの若郎女と結婚なすって、夜昼たわむれておいでになります。皇后さまはこのことをお聞きあそばさないので、しずかに遊んでおいでになるのでしょう」と(略)聞いて、(略)ひじょうに恨み、お怒りになって、御船に載せたカシワの葉をことごとく海に投げすてられました。それでそこを御津の埼というのです。そうして皇居にお入りにならないで、船をまげて堀江にさかのぼらせて、河のままに山城にのぼっておいでになりました。(略)それから山城からまわって、奈良の山口においでになってお歌いになった歌、

     山また山の山城川を
     御殿の方へとわたしがさかのぼれば、
     うるわしの奈良山をすぎ
     青山のかこんでいる大和をすぎ
     わたしの見たいと思うところは、
     葛城の高台の御殿、
     故郷の家のあたりです。

     かように歌っておかえりになって、しばらく筒木の韓人のヌリノミの家にお入りになりました。
  • #52 現代語訳『古事記』(六)下巻(後編)武田祐吉(訳)
    古事記 下の巻
     五、雄略天皇
      后妃と皇子女
      ワカクサカベの王
      引田部の赤猪子
      吉野の宮
      葛城山
      春日のオド姫と三重の采女
     六、清寧天皇・顕宗天皇・仁賢天皇
      清寧(せいねい)天皇
      シジムの新築祝い
      歌垣
      顕宗(けんぞう)天皇
      仁賢天皇
     七、武烈天皇以後九代
      武烈(ぶれつ)天皇
      継体(けいたい)天皇
      安閑(あんかん)天皇
      宣化(せんか)天皇
      欽明(きんめい)天皇
      敏達(びだつ)天皇
      用明(ようめい)天皇
      崇峻(すしゅん)天皇
      推古天皇

     天皇〔顕宗天皇〕、その父君をお殺しになったオオハツセの天皇を深くおうらみ申し上げて、天皇の御霊に仇(あだ)をむくいようとお思いになりました。よってそのオオハツセの天皇の御陵を毀(やぶ)ろうとお思いになって人を遣わしましたときに、兄君のオケの命の申されますには、「この御陵を破壊するには他の人をやってはいけません。わたくしが自分で行って陛下の御心のとおりに毀してまいりましょう」と申し上げました。そこで天皇は、「それならば、お言葉どおりに行っていらっしゃい」とおおせられました。そこでオケの命がご自身でくだっておいでになって、御陵のそばを少し掘って帰っておのぼりになって、「すっかり掘り壊(やぶ)りました」と申されました。そこで天皇がその早く帰っておのぼりになったことを怪しんで、「どのようにお壊りなさいましたか?」とおおせられましたから、「御陵のそばの土を少し掘りました」と申しました。天皇のおおせられますには、「父上の仇を報ずるようにと思いますので、かならずあの御陵をことごとく壊すべきであるのを、どうして少しお掘りになったのですか?」とおおせられましたから、申されますには、「かようにしましたわけは、父上の仇をその御霊にむくいようとお思いになるのはまことに道理であります。しかしオオハツセの天皇は、父上の仇ではありますけれども、一面は叔父でもあり、また天下をお治めなさった天皇でありますのを、今もっぱら父の仇ということばかりを取って、天下をお治めなさいました天皇の御陵をことごとく壊しましたなら、後の世の人がきっとおそしり申し上げるでしょう。しかし、父上の仇は報(むく)いないではいられません。それであの御陵の辺りを少し掘りましたから、これで後の世に示すにも足りましょう」とかように申しましたから、天皇は「それも道理です。お言葉のとおりでよろしい」とおおせられました。
  • 第四巻
  • #1 日本昔話集 沖縄編(一)伊波普猷・前川千帆(絵)

     序にかえて
      琉球編について
     一、沖縄人のはじめ
     二、巨人の足あと
     三、三十七岳の神々
     四、アカナァとヨモ
     五、黄金の木のなるまで

     地上には、草や木はもちろんのこと、鳥や獣(けもの)というては一匹もいなかった大昔のことです。その時分、沖縄島の上には、霞(かすみ)がかかったように、天が垂(た)れ下がっていて、天と地との区別がまったくありませんでした。しかも、東の海から寄せてくる波は、島をこえて西の海に行き、西の海の潮は、東の海に飛びこえて渦を巻いているという、それはそれは、ものすごいありさまでした。
     それまで天にいられたアマミキヨ、シネリキヨという二人の神さまは、このありさまをごらんになって、
    「あれでは、せっかく作り上げた島もなにもならん」
    とおっしゃって、さっそく天上から土や石や草や木やをお運びになって、まず最初に、海と陸との境をお定めになりました。
     二人の神さまは、それから浜辺にお出でになり、阿旦(あだん)やユウナという木をお植えつけになって、波を防ぐようにせられました。それからというものは、さしもに逆巻いていた、あの騒がしい波も飛び越さなくなり、地上には草や木が青々としげって、野や山には小鳥の声が聞こえ、獣があちこち走るようになりました。地上がこういう平和な状態になったときに、二人の神さまは、今度は人間をおつくりになりました。そして最初は、鳥や獣といっしょにしておかれました。人間は、何も知らないものですから、鳥や獣とあちこち走りまわっていました。ところが人間に、だんだん知恵がついてきまして、今までお友だちだった鳥や獣を捕って食べることを覚えたものですから、たまりません。鳥や獣はびっくりして、だんだん、山へ逃げこんでしまうようになりました。 (「巨人の足あと」より)
  • #2 日本昔話集 沖縄編(二)伊波普猷

     六、島の守り神
     七、命の水

     むかし、大里村の与那原(よなばる)というところに、貧乏な漁師がありました。この漁師は、まことに正直な若者でした。
     あの燃えるようにまっ赤な梯梧(だいご)の花は、もうすでに落ちてしまって、黄金色に熟(う)れた阿旦(あだん)の実が、浜の細道に匂う七月ごろのことでした。ある日のこと、その晩はことに月が美しかったものですから、若い漁師は、仕事から帰るなり、ふらふらと海岸のほうへ出かけました。(略)
     暑いとはいえ、盆近い空には、なんとなく秋らしい感じがします。若い漁師は、青々と輝いている月の空をながめながら、こんなことをいうてため息をついていましたが、やがて、何かを思い出したらしく、
    「ああそうだ。盆も近づいているのだから、すこし早いかもしれぬが、阿旦の実のよく熟れたのから選り取って、盆のかざり物に持って帰ろう」
    とつぶやいて、いそいそと海岸の阿旦林のほうへ行きました。
     そのときのことでした。琉球では、阿旦の実のにおいは、盆祭りを思い出させるものですが、そのにおいにまじって、この世のものとも思えぬなんともいえない気高いにおいが、どこからとなくしてきます。若い漁師は、
    「不思議だな。なんというよい匂いだ。どこからするんだろうな」
    と、ふと眼をあげて、青白い月の光にすかして、向こうを見ました。すると、白砂の上にゆらゆらゆれている、黒いものがあります。若い漁師はすぐに近づいて行って、急いでそれをひろいあげました。それは、世にもまれな美しいつやのある、漆のように黒い髪で、しかもあの不思議な天国のにおいは、これから発しているのでした。 (「命の水」より)
  • #3 アインシュタイン(一)寺田寅彦

     物質とエネルギー
     科学上における権威の価値と弊害
     アインシュタインの教育観

     光と名づけ、音と名づける物はエネルギーの一つの形であると考えられる。これらは吾人の五官を刺激して、万人その存在を認める。しかし、「光や音がエネルギーである」という言葉では本当の意味はつくされていない。昔、ニュートンは光を高速度にて放出さるる物質の微粒子と考えた。後にはエーテルと称する仮想物質の弾性波と考えられ、マクスウェルにいたっては、これをエーテル中の電磁的ひずみの波状伝播(でんぱ)と考えられるにいたった。その後アインシュタイン一派は、光の波状伝播(でんぱ)を疑った。また現今の相対原理では、エーテルの存在を無意味にしてしまったようである。それで光と称する感覚は依然として存する間に、光の本体に関しては今日にいたるもなんらの確かなことは知られぬのである。(略)
     前世紀において電気は何ものぞ、物質かエネルギーかという問題が流行した。(略)
     電子は質量を有するように見える。それで、前の物質の定義によれば物質のように見える。同時にこれには一定量の荷電がある。荷電の存在はいったい何によって知ることができるかというと、これと同様の物を近づけたときに相互間に作用する力で知られる。その力は、間接に普通の機械力と比較することができるものである。すでに力をおよぼす以上、これは仕事をする能がある、すなわちエネルギーを有している。しかし、このエネルギーは電子のどこにひそんでいるのであろうか。ファラデー、マクスウェルの天才は、荷電体エネルギーをそのものの内部に認めず、かえってその物体の作用をおよぼす勢力範囲すなわち、いわゆる電場(でんば)に存するものと考えた。この考えはさらに、電波の現象によって確かめらるるにいたった。この考えによれば、電子の荷電のエネルギーは、電子そのものに存すると考えるよりは、むしろその範囲の空間に存すると思われるのである。すなわち空間に電場の中心がある、それが電子であると考えられる。これが他の電子、またはその集団の電場におかれると、力を受けて自由の状態にあれば有限な加速度をもって運動する。すなわち質量を有するのである。 (「物質とエネルギー」より)
  • #4 アインシュタイン(二)寺田寅彦

     アインシュタイン
     相対性原理側面観

     物理学の基礎になっている力学の根本に、ある弱点のあるということは早くから認められていた。しかし、彼以前の多くの学者にはそれをどうしたらいいかがわからなかった。あるいは大多数の人は因襲的の妥協になれて別にどうしようとも思わなかった。力学の教科書はこの急所にふれないように知らん顔をしてすましていた。それでも実用上の多くの問題には実際、さしつかえがなかったのである。ところが近代になって電子などというものが発見され、あらゆる電磁気や光熱の現象は、この不思議な物の作用に帰納されるようになった。そしてこの物が特別な条件のもとに、驚くべき快速度で運動することもわかってきた。こういう物の運動に関係した問題にふれはじめると同時に、今までそっとしておいた力学の急所がそろそろ痛みを感ずるようになってきた。ロレンツのごとき優れた老大家ははやくからこの問題に手をつけて、いろいろな矛盾の痛みを局部的の手術で治療しようとして骨折っている間に、この若い無名の学者はスイスの特許局の一隅にかくれて、もっともっと根本的な大手術を考えていた。病の根は電磁気や光よりもっと根本的な、時と空間の概念の中に潜伏していることに眼をつけた。そうしてその腐りかかった、間に合わせの時と空間をとって捨てて、新しい健全なものをそのかわりに植え込んだ。その手術で物理学は一夜に若返った。そして電磁気や光に関する理論の多くの病竈(びょうそう)はひとりでにきれいに消滅した。
     病源を見つけたのが第一のえらさで、それを手術した手際は第二のえらさでなければならない。 (「アインシュタイン」より)

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