武田祐吉 たけだ ゆうきち
1886-1958(明治19.5.5-昭和33.3.29)
国文学者。東京都出身。小田原中学の教員を辞し、佐佐木信綱のもとで「校本万葉集」の編纂に参加。1926(昭和元)、国学院大学教授。「万葉集」を中心に上代文学の研究を進め、「万葉集全註釈」(1948-51)に結実させた。著書「上代国文学の研究」「古事記研究―帝紀攷」「武田祐吉著作集」全8巻。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)
◇表紙イラスト:山形県山形市大之越(だいのこし)遺跡出土、環頭大刀の柄頭。『出羽国成立以前の山形』(山形県立博物館、2011.10)より。


もくじ 
校註『古事記』(九)武田祐吉


ミルクティー*現代表記版
校註『古事記』(九)
  古事記 下つ巻
   三、允恭天皇
    后妃と皇子女
    八十伴(やそとも)の緒の氏姓
    木梨の軽の太子
   四、安康天皇
    目弱の王の変
    市の辺の忍歯の王
   五、雄略天皇
    后妃と皇子女
    若日下部の王
    引田部の赤猪子
    吉野の宮
    葛城山
    春日の袁杼比売(おどひめ)と三重の采女

オリジナル版
校註『古事記』(九)

地名年表人物一覧書籍
難字、求めよ
後記次週予告

※ 製作環境
 ・Macintosh iBook、Mac OS 9.2.2、T-Time 2.3.1
 ・ ポメラ DM100、ソーラーパネル GOAL ZERO NOMAD 7(ガイド10プラス)
※ 週刊ミルクティー*は、JIS X 0213 文字を使用しています。
※ この作品は青空文庫にて校正中です。著作権保護期間を経過したパブリック・ドメイン作品につき、引用・印刷および転載・翻訳・翻案・朗読などの二次利用は自由です。
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*凡例
  • ( ):小書き。〈 〉:割り注。
  • 〔 〕:編者もしくは、しだによる注。
  • 一、漢字、かなづかい、漢字の送りは現代表記に改めました。
  •    例、云う → いう / 言う
  •      処  → ところ / 所
  •      有つ → 持つ
  •      這入る → 入る
  •      円く → 丸く
  •      室  → 部屋
  • 一、同音異義の一部のひらがなを、便宜、漢字に改めました。
  •    例、いって → 行って / 言って
  •      きいた → 聞いた / 効いた
  • 一、若干の句読点を改めました。適宜、ルビや中黒や感嘆・疑問符をおぎないました。一部、改行と行頭の字下げを改めました。
  • 一、漢数字の表記を一部、改めました。
  •    例、七百二戸 → 七〇二戸
  •    例、二萬六千十一 → 二万六〇一一
  • 一、ひらがなに傍点は、一部カタカナに改めました。
  • 一、カタカナ漢字混用文は、ひらがな漢字混用文に改めました。
  • 一、和暦にはカッコ書きで西暦をおぎないました。年次のみのばあいは単純な置き換えにとどめ、月日のわかるばあいには陰暦・陽暦の補正をおこないました。
  • 一、「今から○○年前」のような経過年数の表記は改めず、底本のままにしました。和歌・俳句・短歌は五七五(七七)の音節ごとに半角スペースで句切りました。
  • 一、表や図版キャプションなどの組版は、便宜、改めました。
  • 一、書名・雑誌名は『 』、論文名・記事名および会話文は「 」で示しました。
  • 一、差別的表現・好ましくない表現はそのままとしました。

*尺貫・度量衡の一覧
  • 寸 すん  一寸=約3cm。
  • 尺 しゃく 一尺=約30cm。
  • 丈 じょう (1) 一丈=約3m。尺の10倍。(2) 周尺で、約1.7m。成人男子の身長。
  • 歩 ぶ (1) 左右の足を一度ずつ前に出した長さ。6尺。(2) 土地面積の単位。一歩は普通、曲尺6尺平方で、一坪に同じ。
  • 間 けん  一間=約1.8m。6尺。
  • 町 ちょう (1) 一町=10段(約100アール=1ヘクタール)。令制では3600歩、太閤検地以後は3000歩。(2) (「丁」とも書く) 一町=約109m強。60間。
  • 里 り   一里=約4km(36町)。昔は300歩、今の6町。
  • 合 ごう  一合=約180立方cm。
  • 升 しょう 一升=約1.8リットル。
  • 斗 と   一斗=約18リットル。
  • 海里・浬 かいり 一海里=1852m。
  • 尋 ひろ (1) (「広(ひろ)」の意)両手を左右にひろげた時の両手先の間の距離。(2) 縄・水深などをはかる長さの単位。一尋は5尺(1.5m)または6尺(1.8m)で、漁業・釣りでは1.5mとしている。
  • 坪 つぼ 一坪=約3.3平方m。歩(ぶ)。6尺四方。
  • 丈六 じょうろく 一丈六尺=4.85m。



*底本

底本:「古事記」角川文庫、角川書店
   1956(昭和31)年5月20日初版発行
   1965(昭和40)年9月20日20版発行
底本の親本:「眞福寺本」
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1349.html

NDC 分類:164(宗教 / 神話.神話学)
http://yozora.kazumi386.org/1/6/ndc164.html
NDC 分類:210(日本史)
http://yozora.kazumi386.org/2/1/ndc210.html





 校註『古事記』 凡例

  • 一 本書は、『古事記』本文の書き下し文に脚注を加えたもの、および索引からなる。
  • 一 『古事記』の本文は、真福寺本を底本とし、他本をもって校訂を加えたものを使用した。その校訂の過程は、特別の場合以外は、すべて省略した。
  • 一 『古事記』は、三巻にわけてあるだけで、内容については別に標題はない。底本とした真福寺本には、上方に見出しが書かれているが、今それによらずに、新たに章をわけて、それぞれ番号や標題をつけ、これにはカッコをつけて新たに加えたものであることをあきらかにした。また歌謡には、末尾にカッコをして歌謡番号を記し、索引に便にすることとした。


校註『古事記』(九)

稗田の阿礼、太の安万侶
武田祐吉(注釈・校訂)

 古事記 下つ巻

  〔三、允恭いんぎょう天皇〕

   后妃こうひと皇子女〕


 弟男浅津間あさ若子わくごの宿祢(一)みこ允恭いんぎょう天皇〕、遠つ飛鳥あすかの宮にましまして天の下らしめしき。この天皇、意富本杼の王が妹、忍坂おさか大中津おおなかつ比売の命にいて生みませる御子、木梨きなしかるみこ、つぎに長田ながた大郎女おおいらつめ、つぎにさかいの黒日子の王、つぎに穴穂あなほの命、つぎに軽の大郎女おおいらつめ、またの御名は衣通そとおし郎女いらつめ〈御名は衣通の王と負わせる所以ゆえんは、その御身の光衣より出づればなり。つぎに八瓜やつり白日子しろひこの王、つぎに大長谷おおはつせの命、つぎにたちばな大郎女おおいらつめ、つぎに酒見さかみ郎女いらつめ〈九柱〉。およそ天皇の御子たち、九柱。〈男王五柱、女王四柱。この九柱の中に、穴穂の命〔安康天皇〕は天の下らしめしき。つぎに大長谷の命〔雄略天皇〕も天の下らしめしき。

  •  (一)允恭天皇。

   八十伴やそとも氏姓うじかばね


 天皇はじめ天つ日継ひつぎ知らしめさんとせしときに、いなびまして詔りたまいしく「我は長き病しあれば、日継ひつぎをえ知らさじ」と詔りたまいき。しかれども大后おおきさき(一)よりはじめて、諸卿まえつぎみたち固くもうすによりて、天の下らしめしき。このとき、新羅しらぎ国主こにきし御調物みつぎもの八十一艘やそまりひとふねたてまつりき。ここに御調みつぎの大使、名は金波鎮漢紀武こみちにかに(二)という。この人薬のみちを深く知れり。かれ、天皇が御病をおさめまつりき。
 ここに天皇、天の下の氏々名々の人どもの、氏かばねたがあやま(三)ることをうれえまして、味白梼うまかし言八十禍津日ことまがさき(四)玖訶瓮(五)をすえて、天の下の八十伴やそとも(六)氏姓うじかばねを定めたまいき。また木梨きなしかる太子ひつぎのみこ御名代みなしろとして軽部かるべをさだめ、大后おおきさきの御名代として刑部おさかをさだめ、大后おおきさきの弟田井たいなかつ比売の御名代として河部かわべを定めたまいき。
 天皇御年七十八歳ななそじまりやつ甲午きのえうまの年正月十五日、かむあがりたまいき。御陵みはか河内かわち恵賀えが長枝ながえ(七)にあり。

  •  (一)忍坂の大中津比売。
  •  (二)金が姓、武が名。波鎮漢紀は、位置階級の称。
  •  (三)ウジは家の称号、カバネは家の階級であって朝廷からたまわるものである。家系を尊重した当時にあっては、これを社会組織の根本とした。しかるに長い間には、自然に誤るものもあり、故意にいつわるものも出た。
  •  (四)飛鳥の地で、マガツヒの神をまつってある所。この神の威力により、いつわれる者にわざわいを与えようとする。マガツヒの神は二七ページ「伊耶那岐の命と伊耶那美の命」の「身禊」参照。
  •  (五)湯をわかして、その中の物を探らせる鍋。
  •  (六)多くの人々。
  •  (七)大阪府南河内郡。

   〔木梨の軽の太子〕


 天皇かむあがりまして後、木梨の軽の太子、日継ひつぎ知らしめすに定まりて(一)、いまだくらいきたまわざりしほどに、その同母妹軽の大郎女おおいらつめたわ(二)て、歌よみしたまいしく、

あしひきの(三) 山田をつくり
だか下樋したびをわしせ(四)
いに わがう妹を(五)
下泣したなきに わが泣く妻を(六)
昨夜こぞ(七)こそは やすく肌ふれ。〔歌謡番号七九〕

 こは志良宜(八)なり。また歌よみしたまいしく、

笹葉ささはに うつやあられ(九)
たしだしに(一〇) 率寝いねてんのちは
人はゆとも(一一)〔歌謡番号八〇〕

うるわしと(一二)しさ寝てば
刈薦かりごも(一三) みだれば乱れ。
さ寝しさ寝てば。〔歌謡番号八一〕

 こは夷振ひなぶり上歌あげうた(一四)なり。
 ここをもちてももつかさまた、天の下の人ども、みな軽の太子にそむきて、穴穂あなほ御子みこ(一五)りぬ。ここに軽の太子かしこみて、大前おおまえ小前おまえの宿祢(一六)大臣おおおみの家に逃れ入りて、つわものそなえ作りたまいき。〈そのときに作れる矢は、そのの同(一七)を銅にしたり。かれその矢を軽箭かるやという。穴穂あなほの御子もつわものを作りたまいき。〈その王子の作れる矢は、今時いまどきの矢なり。そを穴穂箭あなほやという。穴穂の御子みこいくさをおこして、大前小前の宿祢の家をかくみたまいき。ここにそのかなと(一八)にいたりまししときに大氷雨降りき。かれ歌よみしたまいしく、

大前小前宿祢が
かな門陰とかげ かくね。
雨立ちめん。〔歌謡番号八二〕

 ここにその大前小前の宿祢、手をあげ、ひざを打ち、いかなで(一九)うたいまい。その歌、

宮人の 足結あゆい小鈴こすず(二〇)
落ちにきと 宮人とよむ(二一)
里人もゆめ(二二)〔歌謡番号八三〕

 この歌は宮人曲みやひとぶり(二三)なり。かく歌いまい来て、もうさく、天皇おおきみの御子(二四)同母兄いろせの御子をなせたまいそ。もし殺せたまわば、かならず人わらわん。あれ捕らえてたてまつらん」ともうしき。ここにいくさをやめて退きましき。かれ大前小前の宿祢、その軽の太子を捕らえて、てまい出てたてまつりき。その太子、捕らわれて歌よみしたまいしく、

天飛あまだ(二五) 軽の嬢子おとめ
いた泣かば 人知りぬべし。
波佐はさの山(二六)はと(二七)
下泣したなきに泣く。〔歌謡番号八四〕

 また歌よみしたまいしく、

天飛あまだ軽嬢子かるおとめ
したたにも(二八) てとおれ(二九)
軽嬢子ども。〔歌謡番号八五〕

 かれその軽の太子をば、伊余いよ(三〇)に放ちまつりき。また放たえたまわんとせしときに、歌よみしたまいしく、

天飛あまとぶ 鳥も使いぞ。
たづの 聞こえんときは、
わが名問わさね。〔歌謡番号八六〕

 この三歌は、天田振あまだぶり(三一)なり。また歌よみしたまいしく、

大君を 島にはぶらば、
ふなあまり(三二)がえりこむぞ。
わが畳ゆめ(三三)
言をこそ 畳と言わめ。
わが妻はゆめ(三四)〔歌謡番号八七〕

 この歌は、夷振ひなぶり片下かたおろし(三五)なり。その衣通そとおしみこ(三六)、歌いたてまつりき。その歌、

夏草の(三七) あいねの浜(三八)
蛎貝かきかいに 足踏ますな。
あかしてとおれ(三九)〔歌謡番号八八〕

 かれ、後にまた恋慕しのひにたえかねて、追いいでまししとき、歌いたまいしく、

君が行き け長くなりぬ(四〇)
山たづの(四一) むかえを行かん(四二)
待つには待たじ。〈ここに山たづといえるは、今の造木なり〉〔歌謡番号八九〕

 かれ追いいたりまししときに、待ちおもいて、歌いたまいしく、

隠国こもりく(四三) 泊瀬はつせの山(四四)
大尾おおお(四五)には はたり立て、
小尾おお(四六)には はた張り立て、
大尾おおお(四七)よし ながさだめる(四八)
思い妻あわれ。
つく弓の(四九) こやこやりも(五〇)
梓弓あずさゆみ(五一) 立てり立てりも、
後も取り見る(五二) 思い妻あわれ。〔歌謡番号九〇〕

 また歌いたまいしく、

隠国こもりく泊瀬はつせの川の
かみ斎杙いくい(五三)を打ち、
しもつ瀬に まくいを打ち、
斎杙いくいには 鏡をかけ、
くいには ま玉をかけ(五四)
ま玉なす う妹、
鏡なす ふ妻、
ありと いわばこそよ、
家にも行かめ。国をもしのわめ。〔歌謡番号九一〕

 かく歌いて、すなわちともにみずから死せたまいき。かれこの二歌は読歌よみうた(五五)なり。

  •  (一)帝位につくべきに決まって。
  •  (二)異母の兄弟の婚姻はさしつかえないが、同母の場合は不倫とされる。
  •  (三)枕詞まくらことば。語義不明。
  •  (四)地下に、木で水の流れる道を作って。以上、比喩による序。
  •  (五)人に知らせないで、ひそかに問いよる妻。
  •  (六)心の中でわが泣いている妻。
  •  (七)この夜。今すぎて行く夜。
  •  (八)歌曲の名。しりあげ歌の意という。
  •  (九)以上、比喩による序。ヤは感動の助詞。
  • (一〇)たしかに、しかと。
  • (一一)あの子は別れてもしかたがない。
  • (一二)愛する人と。
  • (一三)枕詞。
  • (一四)歌曲の名。夷振は五六ページ「天照らす大御神と大国主の神」の「天若日子」に出た。
  • (一五)安康天皇。
  • (一六)物部氏。大前と小前との二人である。
  • (一七)胴に同じ。矢の柄。ただし異説がある。
  • (一八)堅固な門。
  • (一九)舞いおどって。
  • (二〇)はかまを結ぶひもにつけた鈴。
  • (二一)宮廷の人が立ちさわぐ。
  • (二二)里の人もさわぐな。宮人がさわいでいるが、そんなにさわぎを大きくするな。
  • (二三)歌曲の名。
  • (二四)天皇である皇子さま。
  • (二五)枕詞。天飛ぶ雁の意に、カルの音に冠する。
  • (二六)所在不明。
  • (二七)ハトのように。
  • (二八)したたかに。しっかりと。
  • (二九)り寝て行き去れ。
  • (三〇)愛媛県の松山市の温泉地。道後温泉。
  • (三一)歌曲の名。歌詞によって名づける。
  • (三二)その船の余地で。
  • (三三)わたしの座所をそのままにしておけ。タタミは敷物。人の去った跡を動かすと、その人が帰ってこないとする思想がある。
  • (三四)わたしの妻に手をつけるな。
  • (三五)歌曲の名。
  • (三六)軽の大郎女おおいらつめ
  • (三七)叙述による枕詞。
  • (三八)所在不明。
  • (三九)夜があけてからいらっしゃい。
  • (四〇)時ひさしくなった。
  • (四一)枕詞。つぎに説明があるが、それでもあきらかでない。ヤマタヅは、樹名今のニワトコで、葉が対生しているから、ムカヘに冠するという。「君が行き け長くなりぬ 山たづね むかへか行かむ 待ちにか待たむ」『万葉集』)。
  • (四二)ヲは間投の助詞。
  • (四三)枕詞。山につつまれているところの意。
  • (四四)奈良県磯城郡。
  • (四五)ヲは高い土地。
  • (四六)サは接頭語。大尾とともに、あちこちの高みのところに。以上、つぎの句の序。
  • (四七)語義不明。上の大尾にと同語をくりかえしてオヨソの意を現わすか、または別の副詞か。
  • (四八)あなたの妻ときめた。動詞「定む」が四段活になっている。
  • (四九)枕詞。つきの木の弓。
  • (五〇)伏しても。ころがる意の動詞コユが再活して、伏しまろぶ意にコヤルと言っている。
  • (五一)枕詞。
  • (五二)後も近く見る。
  • (五三)清浄のクイ。まつりをおこなうためにくいをうつ。
  • (五四)以上序で、つぎの玉と鏡の二つの枕詞を引き出す。川中に柱を立てて玉や鏡をかけるのは、これによって神をまねいてけがれをはらうのである。「こもりくの 泊瀬の川の、上つ瀬に 斎杙いくいをうち、下つ瀬に まくいをうち、斎杙いくいには 鏡をかけ、まくいには ま玉をかけ、ま玉なす わが念ふ妹も、鏡なす わが念ふ妹も、ありと言はばこそ、国にも家にも行かめ、がゆえか行かむ」『万葉集』)。
  • (五五)歌曲の名。

  〔四、安康あんこう天皇〕

   目弱まよわみこの変〕


 御子穴穂あなほの御子〔安康天皇〕(一)いそかみの穴穂の宮(二)にましまして天の下らしめしき。
 天皇、同母弟いろせ大長谷おおはつせの王子〔雄略天皇〕(三)のために、坂本さかもとおみらがおやの臣を、大日下おおくさかの王(四)のもとに遣わして、らしめたまいしくは、が命の妹若日下わかくさかの王を、大長谷の王子にあわせんとす。かれ、たてまつるべし」とのりたまいき。ここに大日下の王、四たびおろがみてもうさく、「けだし、かかる大命おおみこともあらんと思いて、かれ、にも出さずて置きつ。こはかしこし。大命のまにまにたてまつらん」ともうしたまいき。しかれどもこともちてもうすことは、それいやなしと思いて、すなわちその妹の礼物いやじろ(五)として、押木おしき玉縵たまかずら(六)を持たしめてたてまつりき。根の臣、すなわちその礼物いやじろ玉縵たまかずらを盗み取りて、大日下の王をよこしまつりてもうさく、「大日下の王は大命を受けたまわずて、おのが妹や、ひとうから下席したむしろにならん(七)といいて、大刀の手上たがみとりしばり(八)て、怒りましつ」ともうしき。かれ天皇いたく怒りまして、大日下の王を殺して、その王の嫡妻むかいめ長田ながた大郎女おおいらつめ(九)を取り持ちきて、皇后おおぎさきとしたまいき。
 これより後に、天皇神牀かむとこ(一〇)にましまして、昼みねしたまいき。ここにそのきさきに語らいて、いまし、思おすことありや」とのりたまいければ、答えてもうさく「天皇おおきみのあつきめぐみかがふりて、なにか思うことあらん」ともうしたまいき。ここにその大后おおきさきさきの子目弱まよわの王(一一)、これ年七歳になりしが、この王、その時にあたりて、その殿の下に遊べり。ここに天皇、そのわかきみこの殿の下に遊べることを知らしめさずて、大后おおきさきに詔りたまわく、はつねに思おすことあり。ぞといえば、いましの子目弱の王、人となりたらんとき、がその父王を殺せしことを知らば、かえりてきたなき心(一二)あらんか」とのりたまいき。ここにその殿の下に遊べる目弱の王、このみことを聞き取りて、すなわちひそかに天皇の御寝みねませるをうかがいて、そのかたえなる大刀を取りて、その天皇の首をうちりまつりて、都夫良意富美(一三)が家に逃れ入りましき。天皇、御年五十六歳いそじまりむつ御陵みはか菅原すがわら伏見ふしみおか(一四)にあり。
 ここに大長谷の王、そのかみ童男おぐなにましけるが、すなわちこのことを聞かして、うれたみ怒りまして、そのいろせ黒日子のもとにいたりて、「人ありて天皇を取りまつれり。いかにかもせん」ともうしたまいき。しかれどもその黒日子の王、驚かずて、怠緩おおろかにおもおせり。ここに大長谷の王、その兄をりて、「一つには天皇にまし、一つには兄弟はらからにますを、何ぞはたのもしき心もなく、その兄をりまつれることを聞きつつ、驚きもせずて、おおろかにましませる」といいて、その衣くびをとりてき出でて、たちをぬきてうち殺したまいき。またその兄白日子しろひこの王にいたりまして、ありさまを告げもうしたまいしに、前のごとおおろかに思おししかば、黒日子の王のごと、すなわちその衣くびをとりて引きて、小治田わり(一五)にきたりて、穴を掘りて立ちながらにうずみしかば、腰を埋むときにいたりて、二つの目、走りぬけてせたまいき。
 またいくさをおこして、都夫良意美(一六)が家をかくみたまいき。ここに軍をおこして待ち戦いて、射出づる矢あしのごとく来散りき。ここに大長谷の王、矛を杖として、その内をのぞみて詔りたまわく、「わが語らえる嬢子おとめ(一七)は、もしこの家にありや」とのりたまいき。ここに都夫良意美、この詔命おおみことを聞きてみずからまい出て、けるつわものを解きて、八度おろがみてもうしつらくは、「先に問いたまえる女子むすめ訶良比売は、さもら(一八)ん。また五処の屯倉みやけ(一九)をそえてたてまつらん〈いわゆる五処の屯倉は、今の葛城の五村の苑人そのびとなり。しかれどもその正身ただみまい向かざるゆえは、むかしより今にいたるまで、臣連おみむらじ(二〇)の、王の宮にこもることは聞けど、王子みこやつこの家に隠りませることはいまだ聞かず。ここをもちて思うに、賤奴やつこ意富美は力をつくして戦うとも、さらにえ勝つましじ。しかれども、おのれをたのみていやしき家に入りませる王子は、いのち死ぬともてまつらじ」とかくもうして、またその兵を取りて、かえり入りて戦いき。
 ここにきわまり、矢もつきしかば、その王子にもうさく、痛手負いたておいぬ。矢もつきぬ。今はえ戦わじ。いかにせん」ともうししかば、その王子答えて詔りたまわく、「しからばさらにせんすべなし。いまはせよ」とのりたまいき。かれ刀もちてその王子を刺しせまつりて、すなわち、おのが首を切りて死にき。

  •  (一)安康天皇。
  •  (二)奈良県山辺郡。
  •  (三)雄略天皇。
  •  (四)仁徳天皇の皇子。
  •  (五)礼儀をあらわす贈り物。
  •  (六)大きい木で作ったかずら。玉は美称。カズラは、植物を輪にして頭上にのせる。二五ページ「伊耶那岐の命と伊耶那美の命」の「黄泉の国」参照。このかずら『日本書紀』に別名として立縵、磐木縵いわきかずらの名をあげ、また後に根の臣がこれをつけて若日下部の王に見あらわされて罪せられる話がある。
  •  (七)わしの妹が、同じ仲間の使い女になろうか。ならない、の意。
  •  (八)刀の柄をしかとにぎって。
  •  (九)允恭天皇の皇女で安康天皇の同母妹にあたるから、何か誤伝があるのだろうという。『日本書紀』には中蒂姫なかしひめとある。
  • (一〇)九二ページ「崇神天皇」の「美和の大物主」脚注参照。
  • (一一)先の夫、大日下の王の子。
  • (一二)わるい心。自分を憎む心。
  • (一三)『日本書紀』に葛城の円の大臣。オホミは大臣で尊称。
  • (一四)奈良県生駒郡。
  • (一五)奈良県高市郡。
  • (一六)ツブラオホミに同じ。オミはオホミの約言。
  • (一七)ツブラオミの女、カラヒメ。
  • (一八)前におたずねになった女はさしあげます。
  • (一九)注にあるように葛城の五村の倉庫。
  • (二〇)臣や連が。ともに朝廷の臣下。

   いち忍歯おしはみこ


 これより後、淡海の佐佐紀ささきの山の君がおや(一)、名は韓からふくろ白さく、「淡海の久多綿くたわた蚊屋野かやの(二)に、猪鹿ししさわにあり。その立てる足は、荻原すすきはらのごとく、指挙ささげたるつのは、枯松からまつのごとし」ともうしき。このときいち忍歯おしはの王(三)相率あともいて淡海にいでまして、その野にいたりまししかば、おのもおのもことに仮宮を作りて、宿やどりましき。
 ここにくるあした、いまだ日も出でぬときに、忍歯の王、つねの御心もちて御馬みまに乗りながら、大長谷の王の仮宮のそばにいたりまして、その大長谷の王子の御伴人ともびとに詔りたまわく、「いまだもめまさぬか。早くもうすべし。夜はすでにけぬ。猟庭かりにわにいでますべし」とのりたまいて馬を進めて出で行きぬ。ここに大長谷の王の御許みもとさもらう人ども、「うたて物いう御子なれば、御心したまえ(四)。また御身をも固めたまうべし」ともうしき。すなわちみその中によろいし、弓矢をばして馬に乗りて出で行きて、たちまちの間に馬よりならびて(五)、矢を抜きて、その忍歯の王を射落として、またそのみみを切りて、うまぶね(六)に入れて、土とひとしくうずみき(七)
 ここに市の辺の王の王子たち、意祁おけの王〔のちの仁賢天皇〕袁祁おけの王〔のちの顕宗天皇〕(八)〈二柱〉。この乱を聞かして逃げ去りましき。かれ山代やましろ苅羽井かりはい(九)にいたりまして、御粮みかれいきこしめすときに、ける老人きてその御粮みかれいりき。ここにその二柱の王、「粮は惜しまず。しかれどもいましたれそ」とのりたまえば、答えてもうさく、は山代の豕甘いかい(一〇)なり」ともうしき。かれ玖須婆くすばの河(一一)を逃れ渡りて、針間はりまの国(一二)にいたりまし、その国人、名は志自牟しじむが家(一三)に入りまして身を隠して、馬甘うまかい牛甘うしかいつかわえたまいき(一四)

  •  (一)佐佐紀の山の君の祖先。山の君はカバネ。
  •  (二)滋賀県愛知郡えちぐん
  •  (三)履中天皇の皇子。
  •  (四)変わったものをいう皇子だから注意しなさい。
  •  (五)馬上で進んでならんで。
  •  (六)馬の食物を入れる箱。
  •  (七)土と共にうめた。
  •  (八)後の仁賢にんけん天皇と顕宗けんぞう天皇。
  •  (九)京都府相楽郡。
  • (一〇)豚を飼う者。
  • (一一)淀川。
  • (一二)兵庫県の南部。
  • (一三)兵庫県美嚢みなぎ志染しじみ村。
  • (一四)馬や牛を飼う者として使われた。なお、この物語は一八二ページ清寧せいねい天皇・顕宗天皇・仁賢天皇」の「志自牟の新室楽」に続く。

  〔五、雄略天皇〕

   后妃こうひと皇子女〕


 大長谷おおはつせ若建わかたけの命〔雄略天皇〕(一)長谷はつせ朝倉あさくらの宮(二)にましまして天の下らしめしき。天皇、大日下の王が妹、若日下部の王にいましき。〈子ましまさず。また都夫良意富美が女、韓比売からひめいて生みませる御子、白髪しらがの命清寧せいねい天皇〕、つぎにいも若帯わかたらし比売の命〈二柱〉。かれ白髪の太子みこのみこと御名代みなしろとして白髪部しらがべを定め、また長谷部はつせべ舎人とねりを定め、また河瀬の舎人とねりを定めたまいき。このときに呉人くれびと(三)まい渡り来つ。その呉人を呉原くれはら(四)に置きたまいき。かれ其地そこに名づけて呉原という。

  •  (一)雄略天皇。
  •  (二)奈良県磯城郡。
  •  (三)中国南方の人。
  •  (四)奈良県高市郡。

   〔若日下部の王〕


 はじめ大后おおきさき日下くさか(一)にいましけるとき、日下の直越ただこえの道(二)より河内にでましき。ここに山の上に登りまして、国内を見放みさけたまいしかば、堅魚かつおを上げて舎屋を作れる家(三)あり。天皇その家を問わしめたまいしく、「その堅魚かつおを上げて作れる舎は、が家ぞ」と問いたまいしかば、答えてもうさく、志幾しき大県主おおあがたぬしが家なり」ともうしき。ここに天皇詔りたまわく、やつこや、おのが家を、天皇おおきみ御舎みあらかに似せてつくれり」とのりたまいて、すなわち人を遣わして、その家を焼かしめたまうときに、その大県主、じかしこみて、稽首のみ白さく、やつこにあれば、やつこながらさとらずてあやまち作れるが、いとかしこきこと」ともうしき。かれ稽首のみ御幣物じり(四)をたてまつる。白き犬に布をかけて、鈴をつけて、おのがやから、名は腰佩こしはきという人に犬のつなを取らしめてたてまつりき。かれその火くることを止めたまいき。すなわちその若日下部の王の御許みもとにいでまして、その犬をたまい入れて、らしめたまわく、「この物は、今日道に得つるめずらしき物なり。かれ妻問つまどいの物(五)」といいてたまい入れき。ここに若日下部の王、天皇にもうさしめたまわく、「日にそむきていでますこと、いとかしこし。かれおのれただにまいのぼりて仕えまつらん」ともうさしめたまいき。ここをもちて宮にかえりのぼりますときに、その山の坂の上に行き立たして、歌よみしたまいしく、

日下部の 此方こちの山(六)
畳薦たたみこも(七) 平群へぐりの山(八)の、
此方此方(九) 山のかい
立ちざかゆる 葉広はびろ熊白梼くまかし
もとには いくみだけ(一〇)い、
すえへは たしみ竹(一一)生い、
いくみ竹 いくみは寝ず(一二)
たしみ竹 たしには率宿いね(一三)
後もくみ寝ん その思妻おもいづま、あわれ。〔歌謡番号九二〕

 すなわちこの歌を持たしめして、返し使わしき。

  •  (一)大阪府北河内郡生駒山の西麓。
  •  (二)生駒山のくらがり峠を越える道。大和から直線的に越えるので直越ただこえという。
  •  (三)屋根の上にカツオのような形の木を載せて作った家。大きな屋根の家。カツオは堅魚木かつおぎの意。屋根の頂上に何本も横に載せて、葺草ふきくさを押さえる材。
  •  (四)敬意を表するための贈り物。
  •  (五)妻を求むる贈り物。
  •  (六)今、立っている山、生駒山。
  •  (七)枕詞まくらことば。既出。
  •  (八)奈良県生駒郡の山。既出。
  •  (九)あちこちの。
  • (一〇)しげった竹。
  • (一一)しっかりした竹。
  • (一二)密接しては寝ず。
  • (一三)しかとは共に寝ず。

   引田部ひけたべ赤猪子あかいこ


 またあるとき天皇いでまして、美和河みわがわ(一)にいたりますときに、河のほとりにきぬ洗う童女おとめあり。それ顔いとかりき。天皇その童女に、いましたれが子ぞ」と問わしければ、答えてもうさく「おのが名は引田部ひけたべ赤猪子あかともうす」ともうしき。ここにらしめたまいしくは「いましとつがずてあれ。今召さんぞ」とのりたまいて、宮にかえりましつ。かれその赤猪子、天皇の命をあおぎ待ちて、すでに八十歳やそとせを経たり。ここに赤猪子「みことをあおぎ待ちつる間に、すでにあまたの年をへて、姿体かおかたちやさかかじけてあれば、さらにたのむところなし。しかれども待ちつる心をあらわしもうさずては、いぶせきにえじ(二)」と思いて、百取ももとり机代つくえしろ(三)の物を持たしめて、まい出でたてまつりき。しかれども天皇、先に詔りたまいしことをば、すでに忘らして、その赤猪子に問いてのりたまわく、いましたれしの老女おみなぞ。なにとかもまいつる」と問わしければ、ここに赤猪子あかいこ答えてもうさく、「それの年のそれの月に、天皇が命をかがふりて、大命をあおぎ待ちて、今日にいたるまで八十歳やそとせを経たり。いまは容姿すでに老いて、さらにたのむところなし。しかれども、おのが志をあらわしもうさんとして、まい出でつらくのみ」ともうしき。ここに天皇、いたくおどろかして、はすでに先のことを忘れたり。しかれどもいまし志を守り命を待ちて、いたずらに盛りの年をぐししこと、これいと愛悲かなし」とのりたまいて、御心のうちに召さんとおもおせども、そのいたく老いぬるをいたみたまいて、え召さずて、御歌みうたをたまいき。その御歌、

御諸みもろ厳白梼いつかしがもと(四)
白梼かしがもと ゆゆしきかも(五)
白梼原かしはら嬢子おとめ(六)〔歌謡番号九三〕

 また歌よみしたまいしく、

引田ひけた(七)若栗栖原わかくるすばら(八)
若くえに(九) 率寝いねてましもの。
老いにけるかも。〔歌謡番号九四〕

 ここに赤猪子あかいこが泣く涙、そのせる丹摺にすりそで(一〇)をことごとに湿らしつ。その大御歌おおみうたに答えていいしく、

御諸みもろくや玉垣たまかき(一一)
きあまし(一二) にかもらん(一三)
神の宮人みやびと〔歌謡番号九五〕

 また歌いていいしく、

日下江くさかえ(一四)の 入江のはちす
花蓮はなばちす(一五) 身の盛人さかりびと
ともしきろかも。〔歌謡番号九六〕

 ここにその老女おみなに物さわたまいて、返しりたまいき。かれこの四歌は志都歌しづうた(一六)なり。

  •  (一)泊瀬川の、三輪山に接して流れるところ。
  •  (二)心が晴れないのにたえない。
  •  (三)多くの進物。
  •  (四)神社の厳然たる白梼かしの木の下。
  •  (五)はばかるべきである。
  •  (六)白梼原に住む嬢子おとめ。引田部の赤猪子を、その住所によっていう。
  •  (七)三輪山近くの地名。
  •  (八)若い栗の木の原。
  •  (九)若い時代に。
  • (一〇)赤い染料ですりつけて染めた衣服のそで
  • (一一)ヤは感動の助詞。神社で作る垣。
  • (一二)作り残して。作ることができないで。
  • (一三)誰にたよりましょうか。この歌、琴歌譜きんかふ』に載せ、垂仁天皇がお妃とともに三輪山にお登りになったときの歌とする別伝を載せている。
  • (一四)大和川やまとがわが作っている江。
  • (一五)以上、比喩。
  • (一六)歌曲の名。

   吉野えしのの宮〕


 天皇、吉野えしのの宮にいでまししとき、吉野川のほとりに童女おとめあり、それ形姿美麗かおよかりき。かれこの童女を召して宮にかえりましき。後にさらに吉野えしのにいでまししときに、その童女のいしところに留まりまして、そこに大御呉床あぐらを立てて、その御呉床みあぐらにましまして、御琴みことを弾かして、その童女にわしめたまいき。ここにその童女のよくえるによりて、御歌みうたよみしたまいき。その御歌、

呉床座あぐらいの 神の御手もち(一)
ことに するおみな
常世とこよにもがも(二)〔歌謡番号九七〕

 すなわち阿岐豆野(三)にいでまして、御猟みかりしたまうときに、天皇、御呉床みあぐらにましましき。ここにあむ御腕ただむきいけるを、すなわち蜻蛉あきづきて、そのあむいてびき。ここに御歌みうたよみしたまえる、その御歌、

吉野えしの袁牟漏たけ(四)
猪鹿しし伏すと、
たれ大前おおまえ(五)に申す。
やすみしし わが大君の
猪鹿しし待つと 呉床あぐらにいまし、
白栲しろたえそで着具きそな(六)
手腓たこむら(七)あむきつき、
そのあむ蜻蛉あきづい、
かくのごと 名に負わんと、
そらみつ やまとの国を
蜻蛉島あきづしまとう。〔歌謡番号九八〕

 かれそのときより、その野に名づけて阿岐豆野という。

  •  (一)天皇の御手で。作者自身のことに敬語を使うのは例が多く、これも後の歌曲として歌われたものだからである。
  •  (二)永久にありたい。常世は永久の世界。
  •  (三)吉野山中にある。藤原の宮時代の吉野の宮の所在地。
  •  (四)吉野山中の一峰だろうが、所在不明。
  •  (五)天皇の御前。
  •  (六)白い織物の衣服のそでを着用している。
  •  (七)腕の肉の高いところ。

   葛城山かずらきやま


 またあるとき、天皇、葛城かずらきの山の上に登りでましき。ここに大きなる猪出でたり。すなわち天皇、鳴鏑なりかぶらをもちてその猪を射たまうときに、その猪怒りて、うたきり来(一)。かれ天皇、そのうたきをかしこみて、はりの木の上に登りましき。ここに御歌みうたよみしたまいしく、

やすみしし わが大君の
あそばしし(二) 猪の、
病猪やみししの うたきかしこみ、
わが 逃げ登りし、
あり(三) はりの木の枝。〔歌謡番号九九〕

 またあるとき、天皇、葛城山に登りいでますときに、百官つかさつかさの人ども、ことごとにあかひもつけたる青摺のきぬをたまわりてたり。そのときにその向かいの山の尾(四)より、山の上に登る人あり。すでに天皇の鹵簿みゆきのつらにひとしく(五)、またその束装よそいのさま、また人どもも相似て別れず。ここに天皇見放みさけたまいて、問わしめたまわく、「このやまとの国に、あれきてまた君はなきを。今誰人か、かくて行く」と問わしめたまいしかば、すなわち答えもうせるさまも、天皇のみことのごとくなりき。ここに天皇いたく忿いかりて、矢刺やさしたまい、百官つかさつかさの人どもも、ことごとに矢刺しければ、ここにその人どももみな矢刺せり。かれ天皇また問いたまわく、「その名をらさね。ここに名をりて、矢放たん」とのりたまう。ここに答えてのりたまわく、あれまず問わえたれば、あれまず名告なのりせん。まが事も一言ひとこと善事よごと一言ひとこと言離ことさかの神、葛城かずらき一言主ひとことぬしの大神(六)なり」とのりたまいき。天皇ここにかしこみてもうしたまわく、かしこし、わが大神、うつしおみまさんとは、らざりき(七)」ともうして、大御刀また弓矢をはじめて、百官つかさつかさの人どものせる衣服きものをぬがしめて、おろがみたてまつりき。ここにその一言主の大神、手打ちてその捧物ささげものを受けたまいき。かれ天皇のかえりいでますとき、その大神、山のにいわみて(八)、長谷の山口(九)に送りまつりき。かれこの一言主の大神は、そのときにあらわれたまえるなり。

  •  (一)口を開けて近づいてくる。
  •  (二)射止めた、の敬語法。
  •  (三)そこにある岡の。
  •  (四)ヲは山の稜線。
  •  (五)天皇の行列と同様に。
  •  (六)わしは凶事まがごと一言ひとこと吉事よごとも一言で決めてしまう神の、葛城の一言主の神だ。この神の一言で吉凶が定まるとする思想。これは託宣たくせんに現われる神であるが、このときに現実に出たとするのである。
  •  (七)現実のお姿があろうとは思いませんでした。ウツシは、現実にある意の形容詞。オミは相手の敬称。この語、原文「宇都志意美」。従来、現し御身の義とされたが、美はミの甲類の音で、身の音と違う。
  •  (八)山のはしに集まって。
  •  (九)天皇の皇居である。

   〔春日の袁杼比売と三重の采女うねめ


 また天皇、丸邇わに佐都紀の臣が女、袁杼比売をよばいに、春日(一)にいでまししとき、媛女おとめ、道にいて、すなわち幸行いでましを見て、岡辺おかびに逃げ隠りき。かれ御歌みうたよみしたまえる、その御歌、

嬢子おとめの いかくる岡を
金�Kかなすき五百箇もがも(二)
�Kぬる〔はねる〕もの。〔歌謡番号一〇〇〕

 かれその岡に名づけて、金�Kかなすきの岡という。
 また天皇、長谷の百枝槻ももえつき(三)の下にましまして、豊のあかりきこしめししときに、伊勢の国の三重のうねめ(四)大御盞おおみさかずきをささげてたてまつりき。ここにその百枝槻ももえつきの葉落ちて、大御盞に浮かびき。そのうねめ、落ち葉の御盞みさかずきに浮かべるを知らずて、なお大御酒たてまつりけるに、天皇、その御盞に浮かべる葉をそなわして、そのうねめを打ちふせ、御佩刀みはかしをその首に刺しあててらんとしたまうときに、そのうねめ、天皇に白してもうさく、「わが身をな殺したまいそ。もうすべきことあり」ともうして、すなわち歌いていいしく、

纏向まきむく日代ひしろの宮(五)は、
朝日の 日る宮。
夕日の 日がける宮。
竹の根の 根足ねだる宮(六)
根蔓ねばう宮。
八百土よし(七)杵築きずきの宮(八)
さく 日の御門、
新嘗屋にいなえや(九)に 生いてる
百足ももだ(一〇) つきは、
は 天をえり。
中つ枝は あずまを負えり(一一)
下枝しずえひなを負えり。
末葉うらば
中つ枝に 落ちらばえ(一二)
中つ枝の 枝の末葉は
しもつ枝に 落ちらばえ、
下枝しずえの 枝の末葉は
ありぎぬ(一三) 三重の子が
ささがせる 瑞玉盃みずたまうき(一四)
浮きしあぶら 落ちなずさい(一五)
みなこおろこおろに(一六)
こしも あやにかしこし。
高光たかひかる 日の御子。
ことの 語りごとも こをば(一七)〔歌謡番号一〇一〕

 かれこの歌をたてまつりしかば、その罪をゆるしたまいき。ここに大后おおきさき(一八)の歌よみしたまえる、その御歌みうた

やまとの この高市たけち(一九)
小高こだかいち高処つかさ(二〇)
新嘗屋にいなえやに 生いてる
葉広はびろ ゆつつ〕椿つばき
そが葉の ひろりいまし、
その花の りいます
高光たかひかる 日の御子に、
豊御酒とよみき たてまつらせ(二一)
ことの 語りごとも こをば。〔歌謡番号一〇二〕

 すなわち天皇、歌よみしたまいしく、

ももしきの 大宮人おおみやひとは、
鶉鳥うづらとり(二二) 領布ひれ(二三)取りけて
鶺鴒まなばしら(二四) 尾行きあえ
庭雀にわすずめ(二五)、うずすまりいて
今日もかも さかみずくらし(二六)
高光たかひかる 日の宮人。
ことの 語りごとも こをば。〔歌謡番号一〇三〕

 この三歌は、天語あまがたり(二七)なり。かれとよあかりに、その三重のうねめをほめて、物さわたまいき。
 この豊の楽の日、また春日の袁杼比売が大御酒たてまつりしときに、天皇の歌いたまいしく、

水灌みなそそ(二八) おみ嬢子おとめ
秀モほだり取らすも(二九)
秀モ取り かたく取らせ。
下堅したがた弥堅やがたく取らせ。
秀モ取らす子。〔歌謡番号一〇四〕

 こは宇岐うき(三〇)なり。ここに袁杼比売、歌たてまつりき。その歌、

やすみしし わが大君の
朝戸あさと(三一)には いたし、
夕戸ゆうとには い倚りたす
脇几わきづき(三二)が 下の
板にもが。吾兄あせ(三三)を。〔歌謡番号一〇五〕

 こは志都しず(三四)なり。
 天皇、御年、一百ももちまり二十四歳はたちよつ己巳つちのとみの年八月九日、かむあがりたまいき。御陵みはか河内かわち多治比たじひ高�たかわし(三五)にあり。

  •  (一)和邇氏わにうじの居住地で、奈良市の東部。
  •  (二)金属のすきもたくさんほしい。
  •  (三)枝のしげったつきの木。
  •  (四)伊勢の国の三重の地から出た采女うねめ。ウネメは、地方の豪族の女子を召し出して宮廷に奉仕させる。後に法制化される。
  •  (五)景行天皇の皇居。長谷はつせの朝倉の宮とは、離れている。この歌は歌曲の歌で、その物語を雄略天皇の事としてとりあげたものだろう。
  •  (六)根のはっている宮。
  •  (七)枕詞。たくさんの土。
  •  (八)きねでつきかためた宮。
  •  (九)新穀でまつりをする家屋。
  • (一〇)枝がしげって充実している。
  • (一一)東方をせおっている。
  • (一二)つづいて触れている。
  • (一三)枕詞。そこにある衣の三重と修飾する。
  • (一四)ミヅは生気のある。美しい盃。
  • (一五)浮いたあぶらのように落ちただよって。ナヅサヒは、水を分ける。
  • (一六)水がゴロゴロして。この数句、天地の初発の神話に見える句で、その神話の伝え手との関係を思わせるものがある。
  • (一七)四五ページ「大国主の神」の「八千矛の神の歌物語」参照。
  • (一八)皇后。
  • (一九)高いところ。
  • (二〇)市の高み。
  • (二一)たてまつるの敬語の命令形。
  • (二二)比喩による枕詞。ウズラは頭から胸にかけて白いまだらがあるので、領布ひれをかけるに冠する。
  • (二三)四二ページ「大国主の神」の「根の堅州国」参照。
  • (二四)比喩。セキレイ。
  • (二五)比喩による枕詞。
  • (二六)酒宴しゅえんをするらしい。
  • (二七)歌曲の名。
  • (二八)枕詞。オミ(大きい水、海)に冠する。
  • (二九)たけの高い酒瓶をお取りになる。
  • (三〇)歌曲の名。酒盃しゅはいの歌の意。
  • (三一)朝の御座。
  • (三二)よりかかる机、脇息きょうそく
  • (三三)はやし詞。
  • (三四)歌曲の名。
  • (三五)大阪府南河内郡。

(つづく)



底本:「古事記」角川文庫、角川書店
   1956(昭和31)年5月20日初版発行
   1965(昭和40)年9月20日20版発行
底本の親本:「眞福寺本」
※底本は校注が脚註の形で配置されています。このファイルでは校註者が追加した標題ごとに、書き下し文、校注の順序で編成しました。
※(一)〜(五五)は注釈番号です。底本では、直前の文字の右横に、ルビのように漢数字のみ付いています。このファイルでは本文の漢数字との混同を避けるため(漢数字)で表しました。
〔 〕は底本の親本にはないもので、校註者が補った箇所を表します。
※頁数を引用している箇所には校註者が追加した標題を注記しました。
入力:川山隆
校正:しだひろし
YYYY年MM月DD日作成
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校註『古事記』(九)

稗田の阿礼、太の安万侶
武田祐吉注釈校訂

-------------------------------------------------------
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)上《かみ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)神|蕃息《はんそく》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「二点しんにょう+貌」、第3水準1-92-58]
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[#1字下げ]古事記 下つ卷[#「古事記 下つ卷」は大見出し]

[#3字下げ]〔三、允恭天皇〕[#「〔三、允恭天皇〕」は中見出し]

[#5字下げ]〔后妃と皇子女〕[#「〔后妃と皇子女〕」は小見出し]
 弟|男淺津間《をあさづま》の若子《わくご》の宿禰(一)の王、遠つ飛鳥《あすか》の宮にましまして、天の下治らしめしき。この天皇、意富本杼《おほほど》の王が妹、忍坂《おさか》の大中津《おほなかつ》比賣の命に娶ひて、生みませる御子、木梨《きなし》の輕《かる》の王、次に長田の大郎女《おほいらつめ》、次に境《さかひ》の黒日子の王、次に穴穗《あなほ》の命、次に輕の大郎女、またの御名は衣通《そとほし》の郎女、[#割り注]御名は衣通の王と負はせる所以は、その御身の光衣より出づればなり。[#割り注終わり]次に八瓜《やつり》の白日子の王、次に大|長谷《はつせ》の命、次に橘《たちばな》の大郎女、次に酒見《さかみ》の郎女九柱[#「九柱」は1段階小さな文字]。およそ天皇の御子たち、九柱。[#割り注]男王五柱、女王四柱。[#割り注終わり]この九柱の中に、穴穗の命は、天の下治らしめしき。次に大長谷の命も、天の下治らしめしき。

(一) 允恭天皇。

[#5字下げ]〔八十伴《やそとも》の緒《を》の氏姓《うぢかばね》〕[#「〔八十伴の緒の氏姓〕」は小見出し]
 天皇初め天つ日繼知らしめさむとせし時に、辭《いな》びまして、詔りたまひしく「我は長き病しあれば、日繼をえ知らさじ」と詔りたまひき。然れども大后(一)より始めて、諸卿《まへつぎみ》たち堅く奏すに因りて、天の下治らしめしき。この時、新羅《しらぎ》の國主《こにきし》、御調物《みつぎもの》八十一艘《やそまりひとふね》獻りき。ここに御調の大使、名は金波鎭漢紀武《こみはちにかにきむ》(二)といふ。この人藥の方《みち》を深く知れり。かれ天皇が御病を治めまつりき。
 ここに天皇、天の下の氏氏名名の人どもの、氏|姓《かばね》が忤《たが》ひ過《あやま》て(三)ることを愁へまして、味白檮《うまかし》の言八十禍津日《ことやそまがつひ》の前《さき》(四)に、玖訶瓮《くかべ》(五)を据ゑて、天の下の八十伴《やそとも》の緒《を》(六)の氏姓を定めたまひき。また木梨《きなし》の輕《かる》の太子《ひつぎのみこ》の御名代として、輕部《かるべ》を定め、大后の御名代として、刑部《おさかべ》を定め、大后の弟|田井《たゐ》の中《なかつ》比賣の御名代として、河部《かはべ》を定めたまひき。
 天皇御年|七十八歳《ななそぢまりやつ》。[#割り注]甲午の年正月十五日崩りたまひき。[#割り注終わり]御陵は河内《かふち》の惠賀《ゑが》の長枝《ながえ》(七)にあり。

(一) 忍坂の大中津比賣。
(二) 金が姓、武が名。波鎭漢紀は、位置階級の稱。
(三) ウヂは家の稱號、カバネは家の階級であつて朝廷から賜わるものである。家系を尊重した當時にあつては、これを社會組織の根本とした。しかるに長い間には、自然に誤るものもあり、故意に僞るものも出た。
(四) 飛鳥の地で、マガツヒの神を祭つてある所。この神の威力により僞れる者に禍を與えようとする。マガツヒの神は二七頁[#「二七頁」は「伊耶那岐の命と伊耶那美の命」の「身禊」]參照。
(五) 湯を涌かしてその中の物を探らせる鍋。
(六) 多くの人々。
(七) 大阪府南河内郡。

[#5字下げ]〔木梨の輕の太子〕[#「〔木梨の輕の太子〕」は小見出し]
 天皇崩りまして後、木梨の輕の太子、日繼知らしめすに定まりて(一)、いまだ位に即《つ》きたまはざりしほどに、その同母妹《いろも》輕の大郎女に※[#「(女/女)+干」、第4水準2-5-51]《たは》け(二)て、歌よみしたまひしく、
[#ここから2字下げ]
あしひきの(三) 山田をつくり
山|高《だか》み 下|樋《び》をわしせ(四)、
下|※[#「娉」の「由」に代えて「叟−又」、161-本文-1]《ど》ひに 吾《わ》が※[#「娉」の「由」に代えて「叟−又」、161-本文-1]《と》ふ妹を(五)、
下泣きに 吾が泣く妻を(六)、
昨夜《こぞ》(七)こそは 安《やす》く肌觸れ。  (歌謠番號七九)
[#ここで字下げ終わり]
 こは志良宜《しらげ》歌(八)なり。また歌よみしたまひしく、
[#ここから2字下げ]
笹葉《ささは》に うつや霰の(九)、
たしだしに(一〇) 率寢《ゐね》てむ後《のち》は
人は離《か》ゆとも(一一)。  (歌謠番號八〇)
うるはしと(一二) さ寢《ね》しさ寢てば
刈|薦《ごも》の(一三) 亂れば亂れ。
さ寢しさ寢てば。  (歌謠番號八一)
[#ここで字下げ終わり]
 こは夷振《ひなぶり》の上歌《あげうた》(一四)なり。
 ここを以ちて百《もも》の官《つかさ》また、天の下の人ども、みな輕の太子に背きて、穴|穗《ほ》の御子《みこ》(一五)に歸《よ》りぬ。ここに輕の太子畏みて、大前《おほまえ》小前《をまへ》の宿禰(一六)の大臣《おほおみ》の家に逃れ入りて、兵《つはもの》を備へ作りたまひき。[#割り注]その時に作れる矢は、その箭の同(一七)を銅にしたり。かれその矢を輕箭といふ。[#割り注終わり]穴穗《あなほ》の御子も兵《つはもの》を作りたまひき。[#割り注]その王子の作れる矢は、今時の矢なり。そを穴穗箭といふ。[#割り注終わり]穴穗の御子《みこ》軍を興して、大前小前の宿禰の家を圍《かく》みたまひき。ここにその門《かなと》(一八)に到りましし時に大氷雨《ひさめ》降りき。かれ歌よみしたまひしく、
[#ここから2字下げ]
大前小前宿禰が
かな門陰《とかげ》 かく寄《よ》り來《こ》ね。
雨立ち止《や》めむ。  (歌謠番號八二)
[#ここで字下げ終わり]
 ここにその大前小前の宿禰、手を擧げ、膝を打ち、舞ひかなで(一九)、歌ひまゐ來《く》。その歌、
[#ここから2字下げ]
宮人の 足結《あゆひ》の小鈴《こすず》(二〇)。
落ちにきと 宮人とよむ(二一)。
里人もゆめ(二二)。  (歌謠番號八三)
[#ここで字下げ終わり]
 この歌は宮人曲《みやひとぶり》(二三)なり。かく歌ひまゐ來て、白さく、「我《あ》が天皇《おほきみ》の御子(二四)、同母兄《いろせ》の御子をな殺《し》せたまひそ。もし殺せたまはば、かならず人|咲《わら》はむ。僕《あれ》捕へて獻らむ」とまをしき。ここに軍を罷《や》めて退《そ》きましき。かれ大前小前の宿禰、その輕の太子を捕へて、率《ゐ》てまゐ出て獻りき。その太子、捕はれて歌よみしたまひしく、
[#ここから2字下げ]
天|飛《だ》む(二五) 輕の孃子、
いた泣かば 人知りぬべし。
波佐《はさ》の山(二六)の 鳩の(二七)、
下泣きに泣く。  (歌謠番號八四)
[#ここで字下げ終わり]
 また歌よみしたまひしく、
[#ここから2字下げ]
天飛《あまだ》む 輕孃子《かるをとめ》、
したたにも(二八) 倚り寢《ね》てとほれ(二九)。
輕孃子ども。  (歌謠番號八五)
[#ここで字下げ終わり]
 かれその輕の太子をば、伊余《いよ》の湯《ゆ》(三〇)に放ちまつりき。また放たえたまはむとせし時に、歌よみしたまひしく、
[#ここから2字下げ]
天飛《あまと》ぶ 鳥も使ぞ。
鶴《たづ》が音《ね》の 聞えむ時は、
吾《わ》が名問はさね。  (歌謠番號八六)
[#ここで字下げ終わり]
 この三歌は、天田振《あまだぶり》(三一)なり。また歌よみしたまひしく、
[#ここから2字下げ]
大君を 島に放《はぶ》らば、
船《ふな》餘り(三二) い歸《がへ》りこむぞ。
吾《わ》が疊ゆめ(三三)。
言をこそ 疊と言はめ。
吾が妻はゆめ(三四)。  (歌謠番號八七)
[#ここで字下げ終わり]
 この歌は、夷振《ひなぶり》の片下《かたおろし》(三五)なり。その衣通《そとほし》の王(三六)、歌獻りき。その歌、
[#ここから2字下げ]
夏草の(三七) あひねの濱(三八)の
蠣貝《かきかひ》に 足踏ますな。
明《あか》してとほれ(三九)。  (歌謠番號八八)
[#ここで字下げ終わり]
 かれ後にまた戀慕《しのひ》に堪へかねて、追ひいでましし時、歌ひたまひしく、
[#ここから2字下げ]
君が行き け長くなりぬ(四〇)。
山たづの(四一) 迎《むか》へを行かむ(四二)。
待つには待たじ。[#割り注]ここに山たづといへるは、今の造木なり[#割り注終わり]  (歌謠番號八九)
[#ここで字下げ終わり]
 かれ追ひ到りましし時に、待ち懷《おも》ひて、歌ひたまひしく、
[#ここから2字下げ]
隱國《こもりく》の(四三) 泊瀬《はつせ》の山(四四)の
大尾《おほを》(四五)には 幡《はた》張《は》り立て、
さ小尾《をを》(四六)には 幡張り立て、
大尾《おほを》(四七)よし ながさだめる(四八)
思ひ妻あはれ。
槻《つく》弓の(四九) 伏《こや》る伏りも(五〇)、
梓弓(五一) 立てり立てりも、
後も取り見る(五二) 思ひ妻あはれ。  (歌謠番號九〇)
[#ここで字下げ終わり]
 また歌ひたまひしく、
[#ここから2字下げ]
隱國《こもりく》の 泊瀬《はつせ》の川の
上《かみ》つ瀬《せ》に 齋杙《いくひ》(五三)を打ち、
下《しも》つ瀬に ま杙《くひ》を打ち、
齋杙《いくひ》には 鏡を掛け、
ま杙には ま玉を掛け(五四)、
ま玉なす 吾《あ》が思《も》ふ妹、
鏡なす 吾《あ》が思《も》ふ妻、
ありと いはばこそよ、
家にも行かめ。國をも偲《しの》はめ。  (歌謠番號九一)
[#ここで字下げ終わり]
 かく歌ひて、すなはち共にみづから死せたまひき。かれこの二歌は讀歌(五五)なり。

(一) 帝位につくべきにきまつて。
(二) 異母の兄弟の婚姻はさしつかえないが、同母の場合は不倫とされる。
(三) 枕詞。語義不明。
(四) 地下に木で水の流れる道を作つて。以上譬喩による序。
(五) 人に知らせないでひそかに問いよる妻。
(六) 心の中でわが泣いている妻。
(七) この夜。今過ぎて行く夜。
(八) 歌曲の名。しり上げ歌の意という。
(九) 以上、譬喩による序。ヤは感動の助詞。
(一〇) たしかに、しかと。
(一一) あの子は別れてもしかたがない。
(一二) 愛する人と。
(一三) 枕詞。
(一四) 歌曲の名。夷振は五六頁[#「五六頁」は「天照らす大御神と大國主の神」の「天若日子」]に出た。
(一五) 安康天皇。
(一六) 物部氏。大前と小前との二人である。
(一七) 胴に同じ。矢の柄。但し異説がある。
(一八) 堅固な門。
(一九) 舞い躍つて。
(二〇) 袴を結ぶ紐につけた鈴。
(二一) 宮廷の人が立ちさわぐ。
(二二) 里の人もさわぐな。宮人がさわいでいるが、そんなに騷ぎを大きくするな。
(二三) 歌曲の名。
(二四) 天皇である皇子樣。
(二五) 枕詞。天飛ぶ雁の意に、カルの音に冠する。
(二六) 所在不明。
(二七) 鳩のように。
(二八) したたかに。しつかりと。
(二九) 倚り寢て行き去れ。
(三〇) 愛媛縣の松山市の※[#「火+慍のつくり」、第3水準1-87-59]泉地。道後※[#「火+慍のつくり」、第3水準1-87-59]泉。
(三一) 歌曲の名。歌詞によつて名づける。
(三二) その船の餘地で。
(三三) わたしの座所をそのままにしておけ。タタミは敷物。人の去つた跡を動かすと、その人が歸つて來ないとする思想がある。
(三四) わたしの妻に手をつけるな。
(三五) 歌曲の名。
(三六) 輕の大郎女。
(三七) 敍述による枕詞。
(三八) 所在不明。
(三九) 夜があけてからいらつしやい。
(四〇) 時久しくなつた。
(四一) 枕詞。次に説明があるが、それでもあきらかでない。ヤマタヅは、樹名今のニワトコで、葉が對生しているから、ムカヘに冠するという。「君が行きけ長くなりぬ山たづね迎へか行かむ待ちにか待たむ」(萬葉集)。
(四二) ヲは間投の助詞。
(四三) 枕詞。山につつまれている處の意。
(四四) 奈良縣磯城郡。
(四五) ヲは高い土地。
(四六) サは接頭語。大尾と共にあちこちの高みのところに。以上、次の句の序。
(四七) 語義不明。上の大尾にと同語を繰り返してオヨソの意を現すか、または別の副詞か。
(四八) あなたの妻ときめた。動詞定むが四段活になつている。
(四九) 枕詞。槻の木の弓。
(五〇) 伏しても。ころがる意の動詞コユが再活して、伏しまろぶ意にコヤルと言つている。
(五一) 枕詞。
(五二) 後も近く見る。
(五三) 清淨の杙。祭を行うために杙をうつ。
(五四) 以上序で、次の玉と鏡の二つの枕詞を引き出す。川中に柱を立てて玉や鏡を懸けるのは、これによつて神を招いて穢を拂うのである。「こもりくの泊瀬の川の、上つ瀬に齋杙をうち、下つ瀬にま杙をうち、齋杙には鏡をかけ、ま杙にはま玉をかけ、ま玉なすわが念ふ妹も、鏡なすわが念ふ妹も、ありと言はばこそ、國にも家にも行かめ、誰が故か行かむ」(萬葉集)。
(五五) 歌曲の名。

[#3字下げ]〔四、安康天皇〕[#「〔四、安康天皇〕」は中見出し]

[#5字下げ]〔目弱《まよわ》の王の變〕[#「〔目弱の王の變〕」は小見出し]
 御子|穴穗《あなほ》の御子(一)、石《いそ》の上《かみ》の穴穗の宮(二)にましまして天の下治らしめしき。
 天皇、同母弟《いろせ》大|長谷《はつせ》の王子(三)のために、坂本《さかもと》の臣《おみ》等が祖《おや》根《ね》の臣を、大日下《おほくさか》の王(四)のもとに遣して、詔らしめたまひしくは、「汝が命の妹|若日下《わかくさか》の王を、大長谷の王子に合はせむとす。かれ獻るべし」とのりたまひき。ここに大日下の王四たび拜みて白さく、「けだしかかる大命《おほみこと》もあらむと思ひて、かれ、外《と》にも出さずて置きつ。こは恐し。大命のまにまに獻らむ」とまをしたまひき。然れども言《こと》もちて白す事は、それ禮《ゐや》なしと思ひて、すなはちその妹の禮物《ゐやじろ》(五)として、押木の玉縵《たまかづら》(六)を持たしめて、獻りき。根の臣すなはちその禮物《ゐやじろ》の玉縵《たまかづら》を盜み取りて、大日下の王を讒《よこ》しまつりて曰さく、「大日下の王は大命を受けたまはずて、おのが妹や、等《ひと》し族《うから》の下席《したむしろ》にならむ(七)といひて、大刀の手上《たがみ》取《とりしば》り(八)て、怒りましつ」とまをしき。かれ天皇いたく怒りまして、大日下の王を殺して、その王の嫡妻《むかひめ》長田《ながた》の大郎女(九)を取り持ち來て、皇后《おほぎさき》としたまひき。
 これより後に、天皇|神牀《かむとこ》(一〇)にましまして、晝|寢《みね》したまひき。ここにその后に語らひて、「汝《いまし》思ほすことありや」とのりたまひければ、答へて曰さく「天皇《おほきみ》の敦き澤《めぐみ》を被《かがふ》りて、何か思ふことあらむ」とまをしたまひき。ここにその大后の先《さき》の子|目弱《まよわ》の王(一一)、これ年七歳になりしが、この王、その時に當りて、その殿の下に遊べり。ここに天皇、その少《わか》き王《みこ》の殿の下に遊べることを知らしめさずて、大后に詔りたまはく、「吾は恆に思ほすことあり。何《な》ぞといへば、汝《いまし》の子目弱の王、人となりたらむ時、吾がその父王を殺せしことを知らば、還りて邪《きたな》き心(一二)あらむか」とのりたまひき。ここにその殿の下に遊べる目弱の王、この言《みこと》を聞き取りて、すなはち竊に天皇の御寢《みね》ませるを伺ひて、その傍《かたへ》なる大刀を取りて、その天皇の頸をうち斬りまつりて、都夫良意富美《つぶらおほみ》(一三)が家に逃れ入りましき。天皇、御年|五十六歳《いそぢまりむつ》。御陵は菅原《すがはら》の伏見《ふしみ》の岡《をか》(一四)にあり。
 ここに大長谷の王、その時《かみ》童男《おぐな》にましけるが、すなはちこの事を聞かして、慨《うれた》み怒りまして、その兄《いろせ》黒日子のもとに到りて、「人ありて天皇を取りまつれり。いかにかもせむ」とまをしたまひき。然れどもその黒日子の王、驚かずて、怠緩《おほろか》におもほせり。ここに大長谷の王、その兄を詈《の》りて、「一つには天皇にまし、一つには兄弟《はらから》にますを、何ぞは恃もしき心もなく、その兄を殺《と》りまつれることを聞きつつ、驚きもせずて、怠《おほろか》に坐せる」といひて、その衣|矜《くび》を取りて控《ひ》き出でて、刀《たち》を拔きてうち殺したまひき。またその兄|白日子《しろひこ》の王に到りまして、状《ありさま》を告げまをしたまひしに、前のごと緩《おほろか》に思ほししかば、黒日子の王のごと、すなはちその衣衿を取りて、引き率《ゐ》て、小治田《をはりだ》(一五)に來到《きた》りて、穴を掘りて、立ちながらに埋みしかば、腰を埋む時に到りて、二つの目、走り拔けて死《う》せたまひき。
 また軍を興して、都夫良意美《つぶらおみ》(一六)が家を圍《かく》みたまひき。ここに軍を興して待ち戰ひて、射出づる矢|葦《あし》の如く來散りき。ここに大長谷の王、矛を杖として、その内を臨みて詔りたまはく、「我が語らへる孃子(一七)は、もしこの家にありや」とのりたまひき。ここに都夫良意美、この詔命《おほみこと》を聞きて、みづからまゐ出《で》て、佩ける兵《つはもの》を解きて、八度|拜《をろが》みて、白しつらくは、「先に問ひたまへる女子《むすめ》訶良《から》比賣は、侍《さもら》は(一八)む。また五處の屯倉《みやけ》(一九)を副へて獻らむ[#割り注]いはゆる五處の屯倉は、今の葛城の五村の苑人なり。[#割り注終わり]然れどもその正身《ただみ》まゐ向かざる故は、古《むかし》より今に至るまで、臣連(二〇)の、王の宮に隱《こも》ることは聞けど、王子《みこ》の臣《やつこ》の家に隱りませることはいまだ聞かず。ここを以ちて思ふに、賤奴《やつこ》意富美は、力をつくして戰ふとも、更にえ勝つましじ。然れどもおのれを恃みて、陋《いや》しき家に入りませる王子は、命《いのち》死ぬとも棄てまつらじ」とかく白して、またその兵を取りて、還り入りて戰ひき。
 ここに窮まり、矢も盡きしかば、その王子に白さく、「僕は痛手負ひぬ。矢も盡きぬ。今はえ戰はじ。如何にせむ」とまをししかば、その王子答へて詔りたまはく、「然らば更にせむ術《すべ》なし。今は吾を殺《し》せよ」とのりたまひき。かれ刀もちてその王子を刺し殺せまつりて、すなはちおのが頸を切りて死にき。

(一) 安康天皇。
(二) 奈良縣山邊郡。
(三) 雄略天皇。
(四) 仁徳天皇の皇子。
(五) 禮儀を現す贈物。
(六) 大きい木で作つた縵。玉は美稱。カヅラは、植物を輪にして頭上にのせる。二五頁[#「二五頁」は「伊耶那岐の命と伊耶那美の命」の「黄泉の國」]參照。この縵、日本書紀に別名として、立縵、磐木縵《いはきかづら》の名をあげ、また後に根の臣がこれを附けて若日下部の王に見顯されて罪せられる話がある。
(七) わしの妹が、同じ仲間の使い女になろうか。ならないの意。
(八) 刀の柄をしかとにぎつて。
(九) 允恭天皇の皇女で安康天皇の同母妹に當るから、何か誤傳があるのだろうという。日本書紀には中蒂姫《なかしひめ》とある。
(一〇) 九二頁[#「九二頁」は「崇神天皇」の「美和の大物主」]脚註參照。
(一一) 先の夫大日下の王の子。
(一二) わるい心。自分を憎む心。
(一三) 日本書紀に葛城の圓の大臣。オホミは大臣で尊稱。
(一四) 奈良縣生駒郡。
(一五) 奈良縣高市郡。
(一六) ツブラオホミに同じ。オミはオホミの約言。
(一七) ツブラオミの女カラヒメ。
(一八) 前にお尋ねになつた女はさしあげます。
(一九) 註にあるように葛城の五村の倉庫。
(二〇) 臣や連が。共に朝廷の臣下。

[#5字下げ]〔市の邊の押齒の王〕[#「〔市の邊の押齒の王〕」は小見出し]
 これより後、淡海の佐佐紀《ささき》の山《やま》の君が祖《おや》(一)、名は韓※[#「代/巾」、第4水準2-8-82]《からふくろ》白さく、「淡海の久多綿《くたわた》の蚊屋野《かやの》(二)に、猪鹿《しし》多《さは》にあり。その立てる足は、荻《すすき》原の如く、指擧《ささ》げたる角《つの》は、枯松《からまつ》の如し」とまをしき。この時市の邊《べ》の忍齒《おしは》の王(三)を相率《あとも》ひて、淡海にいでまして、その野に到りまししかば、おのもおのも異《こと》に假宮を作りて、宿りましき。
 ここに明くる旦、いまだ日も出でぬ時に、忍齒の王、平《つね》の御心もちて、御馬《みま》に乘りながら、大長谷の王の假宮の傍に到りまして、その大長谷の王子の御伴人《みともびと》に詔りたまはく、「いまだも寤めまさぬか。早く白すべし。夜は既に曙《あ》けぬ。獵庭《かりには》にいでますべし」とのりたまひて馬を進めて出で行きぬ。ここに大長谷の王の御許《みもと》に侍ふ人ども、「うたて物いふ御子なれば、御心したまへ(四)。また御身をも堅めたまふべし」とまをしき。すなはち衣《みそ》の中に甲《よろひ》を服《け》し、弓矢を佩《お》ばして、馬に乘りて出で行きて、忽の間に馬より往き雙《なら》びて(五)、矢を拔きて、その忍齒の王を射落して、またその身《みみ》を切りて、馬|※[#「木+宿」、169-本文-8]《ぶね》(六)に入れて、土と等しく埋みき(七)。
 ここに市の邊の王の王子たち、意祁《おけ》の王、袁祁《をけ》の王(八)二柱[#「二柱」は1段階小さな文字]。この亂を聞かして、逃げ去りましき。かれ山代《やましろ》の苅羽井《かりはゐ》(九)に到りまして、御|粮《かれひ》きこしめす時に、面《め》黥《さ》ける老人來てその御|粮《かれひ》を奪《と》りき。ここにその二柱の王、「粮は惜まず。然れども汝《いまし》は誰そ」とのりたまへば、答へて曰さく、「我《あ》は山代の豕甘《ゐかひ》(一〇)なり」とまをしき。かれ玖須婆《くすば》の河(一一)を逃れ渡りて、針間《はりま》の國(一二)に至りまし、その國人名は志自牟《しじむ》が家(一三)に入りまして、身を隱して、馬甘《うまかひ》牛甘《うしかひ》に役《つか》はえたまひき(一四)。

(一) 佐佐紀の山の君の祖先。山の君はカバネ。
(二) 滋賀縣愛知郡。
(三) 履中天皇の皇子。
(四) 變つたものをいう皇子だから注意しなさい。
(五) 馬上で進んで並んで。
(六) 馬の食物を入れる箱。
(七) 土と共に埋めた。
(八) 後の仁賢天皇と顯宗天皇。
(九) 京都府相樂郡。
(一〇) 豚を飼う者。
(一一) 淀川。
(一二) 兵庫縣の南部。
(一三) 兵庫縣|美嚢《みなぎ》郡|志染《しじみ》村。
(一四) 馬や牛を飼う者として使われた。なおこの物語は一八二頁[#「一八二頁」は「清寧天皇・顯宗天皇・仁賢天皇」の「志自牟の新室樂」]に續く。

[#3字下げ]〔五、雄略天皇〕[#「〔五、雄略天皇〕」は中見出し]

[#5字下げ]〔后妃と皇子女〕[#「〔后妃と皇子女〕」は小見出し]
 大長谷の若建《わかたけ》の命(一)、長谷《はつせ》の朝倉《あさくら》の宮(二)にましまして、天の下治らしめしき。天皇、大日下の王が妹、若日下部の王に娶《あ》ひましき。[#割り注]子ましまさず。[#割り注終わり]また都夫良意富美が女、韓比賣《からひめ》に娶《あ》ひて、生みませる御子、白髮《しらが》の命、次に妹《いも》若帶《わかたらし》比賣の命二柱[#「二柱」は1段階小さな文字]。かれ白髮の太子《みこのみこと》の御名代《みなしろ》として、白髮部《しらがべ》を定め、また長谷部《はつせべ》の舍人《とねり》を定め、また河瀬の舍人を定めたまひき。この時に呉人《くれびと》(三)まゐ渡り來つ。その呉人を呉原《くれはら》(四)に置きたまひき。かれ其地《そこ》に名づけて呉原といふ。

(一) 雄略天皇。
(二) 奈良縣磯城郡。
(三) 中國南方の人。
(四) 奈良縣高市郡。

[#5字下げ]〔若日下部の王〕[#「〔若日下部の王〕」は小見出し]
 初め大后、日下(一)にいましける時、日下の直越《ただこえ》の道(二)より、河内に出《い》でましき。ここに山の上に登りまして、國内を見|放《さ》けたまひしかば、堅魚《かつを》を上げて舍屋《や》を作れる家(三)あり。天皇その家を問はしめたまひしく、「その堅魚《かつを》を上げて作れる舍は、誰が家ぞ」と問ひたまひしかば、答へて曰さく、「志幾《しき》の大縣主《おほあがたぬし》が家なり」と白しき。ここに天皇詔りたまはく、「奴や、おのが家を、天皇《おほきみ》の御舍《みあらか》に似せて造れり」とのりたまひて、すなはち人を遣して、その家を燒かしめたまふ時に、その大縣主、懼《お》ぢ畏《かしこ》みて、稽首《のみ》白さく、「奴にあれば、奴ながら覺《さと》らずて、過ち作れるが、いと畏きこと」とまをしき。かれ稽首《のみ》の御幣物《ゐやじり》(四)を獻る。白き犬に布を※[#「執/糸」、171-本文-4]《か》けて、鈴を著けて、おのが族《やから》、名は腰佩《こしはき》といふ人に、犬の繩《つな》を取らしめて獻上りき。かれその火著くることを止めたまひき。すなはちその若日下部の王の御許《みもと》にいでまして、その犬を賜ひ入れて、詔らしめたまはく、「この物は、今日道に得つる奇《めづら》しき物なり。かれ妻問《つまどひ》の物(五)」といひて、賜ひ入れき。ここに若日下部の王、天皇に奏《まを》さしめたまはく、「日に背《そむ》きていでますこと、いと恐し。かれおのれ直《ただ》にまゐ上りて仕へまつらむ」とまをさしめたまひき。ここを以ちて宮に還り上ります時に、その山の坂の上に行き立たして、歌よみしたまひしく、
[#ここから2字下げ]
日下部の 此方《こち》の山(六)と
疊薦《たたみこも》(七) 平群《へぐり》の山(八)の、
此方此方《こちごち》の(九) 山の峽《かひ》に
立ち榮《ざか》ゆる 葉廣《はびろ》熊白檮《くまかし》、
本には いくみ竹《だけ》(一〇)生ひ、
末《すゑ》へは たしみ竹(一一)生ひ、
いくみ竹 いくみは寢ず(一二)、
たしみ竹 たしには率宿《ゐね》ず(一三)、
後もくみ寢む その思妻、あはれ。  (歌謠番號九二)
[#ここで字下げ終わり]
 すなはちこの歌を持たしめして、返し使はしき。

(一) 大阪府北河内郡生駒山の西麓。
(二) 生駒山のくらがり峠を越える道。大和から直線的に越えるので直越という。
(三) 屋根の上に堅魚のような形の木を載せて作つた家。大きな屋根の家。カツヲは、堅魚木の意。屋根の頂上に何本も横に載せて、葺草を押える材。
(四) 敬意を表するための贈物。
(五) 妻を求むる贈物。
(六) 今立つている山、生駒山。
(七) 枕詞。既出。
(八) 奈良縣生駒郡の山。既出。
(九) あちこちの。
(一〇) 茂つた竹。
(一一) しつかりした竹。
(一二) 密接しては寢ず。
(一三) しかとは共に寢ず。

[#5字下げ]〔引田《ひけた》部の赤猪子《あかゐこ》〕[#「〔引田部の赤猪子〕」は小見出し]
 またある時天皇いでまして、美和河《みわがは》(一)に到ります時に、河の邊に衣《きぬ》洗ふ童女《をとめ》あり。それ顏いと好かりき。天皇その童女に、「汝《いまし》は誰が子ぞ」と問はしければ、答へて白さく「おのが名は引田部《ひけたべ》の赤猪子《あかゐこ》とまをす」と白しき。ここに詔らしめたまひしくは「汝《いまし》、嫁《とつ》がずてあれ。今召さむぞ」とのりたまひて、宮に還りましつ。かれその赤猪子、天皇の命を仰ぎ待ちて、既に八十歳《やそとせ》を經たり。ここに赤猪子「命《みこと》を仰ぎ待ちつる間に、已に多《あまた》の年を經て、姿體《かほかたち》痩《やさか》み萎《かじ》けてあれば、更に恃むところなし。然れども待ちつる心を顯はしまをさずては、悒《いぶせ》きに忍《あ》へじ(二)」と思ひて、百取《ももとり》の机代《つくゑしろ》(三)の物を持たしめて、まゐ出で獻りき。然れども天皇、先に詔りたまひし事をば、既に忘らして、その赤猪子に問ひてのりたまはく、「汝《いまし》は誰しの老女《おみな》ぞ。何とかもまゐ來つる」と問はしければ、ここに赤猪子答へて白さく、「それの年のそれの月に、天皇が命を被《かがふ》りて、大命を仰ぎ待ちて、今日に至るまで八十歳《やそとせ》を經たり。今は容姿既に老いて、更に恃むところなし。然れども、おのが志を顯はし白さむとして、まゐ出でつらくのみ」とまをしき。ここに天皇、いたく驚かして、「吾は既に先の事を忘れたり。然れども汝《いまし》志を守り命を待ちて、徒に盛の年を過ぐししこと、これいと愛悲《かな》し」とのりたまひて、御心のうちに召さむと欲《おも》ほせども、そのいたく老いぬるを悼みたまひて、え召さずて、御歌を賜ひき。その御歌、
[#ここから2字下げ]
御諸《みもろ》の 嚴白檮《いつかし》がもと(四)、
白檮《かし》がもと ゆゆしきかも(五)。
白檮原《かしはら》孃子《をとめ》(六)  (歌謠番號九三)
[#ここで字下げ終わり]
 また歌よみしたまひしく、
[#ここから2字下げ]
引田《ひけた》(七)の 若|栗栖原《くるすばら》(八)、
若くへに(九) 率寢《ゐね》てましもの。
老いにけるかも。  (歌謠番號九四)
[#ここで字下げ終わり]
 ここに赤猪子が泣く涙、その服《け》せる丹摺《にすり》の袖(一〇)を悉《ことごと》に濕らしつ。その大御歌に答へて曰ひしく、
[#ここから2字下げ]
御諸に 築《つ》くや玉垣《たまかき》(一一)、
築《つ》きあまし(一二) 誰《た》にかも依らむ(一三)。
神の宮人。  (歌謠番號九五)
[#ここで字下げ終わり]
 また歌ひて曰ひしく、
[#ここから2字下げ]
日下江《くさかえ》(一四)の 入江の蓮《はちす》、
花蓮《はなばちす》(一五) 身の盛人、
ともしきろかも。  (歌謠番號九六)
[#ここで字下げ終わり]
 ここにその老女《おみな》に物|多《さは》に給ひて、返し遣りたまひき。かれこの四歌は志都歌(一六)なり。

(一) 泊瀬川の、三輪山に接して流れる所。
(二) 心がはれないのに堪えない。
(三) 多くの進物。
(四) 神社の嚴然たる白檮の木の下。
(五) 憚るべきである。
(六) 白檮原に住む孃子。引田部の赤猪子を、その住所によつていう。
(七) 三輪山近くの地名。
(八) 若い栗の木の原。
(九) 若い時代に。
(一〇) 赤い染料ですりつけて染めた衣服の袖。
(一一) ヤは感動の助詞。神社で作る垣。
(一二) 作り殘して。作ることが出來ないで。
(一三) 誰にたよりましようか。この歌、琴歌譜に載せ、垂仁天皇がお妃と共に三輪山にお登りになつた時の歌とする別傳を載せている。
(一四) 大和川が作つている江。
(一五) 以上譬喩。
(一六) 歌曲の名。

[#5字下げ]〔吉野の宮〕[#「〔吉野の宮〕」は小見出し]
 天皇|吉野《えしの》の宮にいでましし時、吉野川の邊に、童女《をとめ》あり、それ形姿美麗《かほよ》かりき。かれこの童女を召して、宮に還りましき。後に更に吉野《えしの》にいでましし時に、その童女の遇ひし所に留まりまして、其處《そこ》に大御|呉床《あぐら》を立てて、その御呉床にましまして、御琴を彈かして、その童女に※[#「にんべん+舞」、第4水準2-3-4]はしめたまひき。ここにその童女の好く※[#「にんべん+舞」、第4水準2-3-4]へるに因りて、御歌よみしたまひき。その御歌、
[#ここから2字下げ]
呉床座《あぐらゐ》の 神の御手もち(一)
彈く琴に ※[#「にんべん+舞」、第4水準2-3-4]する女《をみな》、
常世《とこよ》にもがも(二)。  (歌謠番號九七)
[#ここで字下げ終わり]
 すなはち阿岐豆野《あきづの》(三)にいでまして、御獵したまふ時に、天皇、御呉床にましましき。ここに、虻《あむ》、御腕《ただむき》を咋《く》ひけるを、すなはち蜻蛉《あきづ》來て、その虻《あむ》を咋《く》ひて、飛《と》びき。ここに御歌よみしたまへる、その御歌、
[#ここから2字下げ]
み吉野《えしの》の 袁牟漏《をむろ》が嶽《たけ》(四)に
猪鹿《しし》伏すと、
誰《たれ》ぞ 大前(五)に申す。
やすみしし 吾《わ》が大君の
猪鹿《しし》待つと 呉床《あぐら》にいまし、
白栲《しろたへ》の 袖《そで》著具《きそな》ふ(六)
手腓《たこむら》(七)に 虻《あむ》掻き著き、
その虻を 蜻蛉《あきづ》早|咋《く》ひ、
かくのごと 名に負はむと、
そらみつ 倭《やまと》の國を
蜻蛉島《あきづしま》とふ。  (歌謠番號九八)
[#ここで字下げ終わり]
 かれその時より、その野に名づけて阿岐豆野《あきづの》といふ。

(一) 天皇の御手で。作者自身の事に敬語を使うのは、例が多く、これも後の歌曲として歌われたものだからである。
(二) 永久にありたい。常世は永久の世界。
(三) 吉野山中にある。藤原の宮時代の吉野の宮の所在地。
(四) 吉野山中の一峰だろうが、所在不明。
(五) 天皇の御前。
(六) 白い織物の衣服の袖を著用している。
(七) 腕の肉の高いところ。

[#5字下げ]〔葛城山〕[#「〔葛城山〕」は小見出し]
 またある時、天皇|葛城《かづらき》の山の上に登り幸でましき。ここに大きなる猪出でたり。すなはち天皇|鳴鏑《なりかぶら》をもちてその猪を射たまふ時に、その猪怒りて、うたき依り來(一)。かれ天皇、そのうたきを畏みて、榛《はり》の木の上に登りましき。ここに御歌よみしたまひしく、
[#ここから2字下げ]
やすみしし 吾《わ》が大君の
遊ばしし(二) 猪の、
病猪《やみしし》の うたき畏み、
わが 逃げ登りし、
あり岡《を》の(三) 榛《はり》の木の枝。  (歌謠番號九九)
[#ここで字下げ終わり]
 またある時、天皇葛城山に登りいでます時に、百官《つかさつかさ》の人ども、悉《ことごと》に紅《あか》き紐《ひも》著けたる青摺の衣《きぬ》を給はりて著《き》たり。その時にその向ひの山の尾(四)より、山の上に登る人あり。既に天皇の鹵簿《みゆきのつら》に等しく(五)、またその束裝《よそひ》のさま、また人どもも、相似て別れず。ここに天皇見|放《さ》けたまひて、問はしめたまはく、「この倭《やまと》の國に、吾《あれ》を除《お》きてまた君は無きを。今誰人かかくて行く」と問はしめたまひしかば、すなはち答へまをせるさまも、天皇の命《みこと》の如くなりき。ここに天皇いたく忿《いか》りて、矢刺したまひ、百官の人どもも、悉に矢刺しければ、ここにその人どももみな矢刺せり。かれ天皇また問ひたまはく、「その名を告《の》らさね。ここに名を告りて、矢放たむ」とのりたまふ。ここに答へてのりたまはく、「吾《あれ》まづ問はえたれば、吾まづ名告りせむ。吾《あ》は惡《まが》事も一言、善事《よごと》も一言、言離《ことさか》の神、葛城《かづらき》の一言主《ひとことぬし》の大神(六)なり」とのりたまひき。天皇ここに畏みて白したまはく、「恐し、我が大神、現《うつ》しおみまさむとは、覺《し》らざりき(七)」と白して、大御刀また弓矢を始めて、百官の人どもの服《け》せる衣服《きもの》を脱がしめて、拜み獻りき。ここにその一言主の大神、手打ちてその捧物《ささげもの》を受けたまひき。かれ天皇の還りいでます時、その大神、山の末《は》にいはみて(八)、長谷の山口(九)に送りまつりき。かれこの一言主の大神は、その時に顯れたまへるなり。

(一) 口をあけて近づいてくる。
(二) 射とめたの敬語法。
(三) そこにある岡の。
(四) ヲは山の稜線。
(五) 天皇の行列と同樣に。
(六) わしは凶事も一言、吉事も一言で、きめてしまう神の、葛城の一言主の神だ。この神の一言で、吉凶が定まるとする思想。これは託宣に現れる神であるが、この時に現實に出たとするのである。
(七) 現實のお姿があろうとは思いませんでした。ウツシは現實にある意の形容詞。オミは相手の敬稱。この語、原文「宇都志意美」。從來、現し御身の義とされたが、美はミの甲類の音で、身の音と違う。
(八) 山のはしに集まつて。
(九) 天皇の皇居である。

[#5字下げ]〔春日の袁杼比賣と三重の采女〕[#「〔春日の袁杼比賣と三重の采女〕」は小見出し]
 また天皇、丸邇《わに》の佐都紀《さつき》の臣が女、袁杼《をど》比賣を婚《よば》ひに、春日(一)にいでましし時、媛女《をとめ》、道に逢ひて、すなはち幸行《いでまし》を見て、岡邊《をかび》に逃げ隱りき。かれ御歌よみしたまへる、その御歌、
[#ここから2字下げ]
孃子《をとめ》の い隱《かく》る岡を
金※[#「金+且」、第3水準1-93-12]《かなすき》も 五百箇《いほち》もがも(二)。
※[#「金+且」、第3水準1-93-12]《す》き撥《は》ぬるもの。  (歌謠番號一〇〇)
[#ここで字下げ終わり]
 かれその岡に名づけて、金※[#「金+且」、第3水準1-93-12]《かなすき》の岡といふ。
 また天皇、長谷の百枝槻《ももえつき》(三)の下にましまして、豐の樂《あかり》きこしめしし時に、伊勢の國の三重の※[#「女+綵のつくり」、177-本文-14]《うねめ》(四)、大御盞《おほみさかづき》を捧げて獻りき。ここにその百枝槻の葉落ちて、大御盞に浮びき。その※[#「女+綵のつくり」、177-本文-15]、落葉の御盞《みさかづき》に浮べるを知らずて、なほ大御酒獻りけるに、天皇、その御盞に浮べる葉を看そなはして、その※[#「女+綵のつくり」、177-本文-16]を打ち伏せ、御|佩刀《はかし》をその頸に刺し當てて、斬らむとしたまふ時に、その※[#「女+綵のつくり」、177-本文-17]、天皇に白して曰さく、「吾が身をな殺したまひそ。白すべき事あり」とまをして、すなはち歌ひて曰ひしく、
[#ここから2字下げ]
纏向《まきむく》の 日代《ひしろ》の宮(五)は、
朝日の 日|照《で》る宮。
夕日の 日|陰《がけ》る宮。
竹の根の 根足《ねだ》る宮(六)。
木《こ》の根《ね》の 根蔓《ねば》ふ宮。
八百土《やほに》よし(七) い杵築《きづき》の宮(八)。
ま木《き》さく 日の御門、
新嘗屋《にひなへや》(九)に 生ひ立《だ》てる
百|足《だ》る(一〇) 槻《つき》が枝《え》は、
上《ほ》つ枝《え》は 天を負《お》へり。
中つ枝は 東《あづま》を負へり(一一)。
下枝《しづえ》は 鄙《ひな》を負へり。
上《ほ》つ枝《え》の 枝《え》の末葉《うらば》は
中つ枝に 落ち觸らばへ(一二)、
中つ枝の 枝の末葉は
下《しも》つ枝に 落ち觸らばへ、
下《しづ》枝の 枝の末葉は
あり衣《ぎぬ》の(一三) 三重の子が
捧《ささ》がせる 瑞玉盃《みづたまうき》(一四)に
浮きし脂《あぶら》 落ちなづさひ(一五)、
水《みな》こをろこをろに(一六)、
こしも あやにかしこし。
高光る 日の御子。
事の 語りごとも こをば(一七)。  (歌謠番號一〇一)
[#ここで字下げ終わり]
 かれこの歌を獻りしかば、その罪を赦したまひき。ここに大后(一八)の歌よみしたまへる、その御歌、
[#ここから2字下げ]
倭《やまと》の この高市《たけち》(一九)に
小高《こだか》る 市《いち》の高處《つかさ》(二〇)、
新嘗屋《にひなへや》に 生ひ立《だ》てる
葉廣《はびろ》 ゆつま椿《つばき》、
そが葉の 廣りいまし、
その花の 照りいます
高光る 日の御子に、
豐御酒《とよみき》 獻らせ(二一)。
事の 語りごとも こをば。  (歌謠番號一〇二)
[#ここで字下げ終わり]
 すなはち天皇歌よみしたまひしく、
[#ここから2字下げ]
ももしきの 大宮人《おほみやひと》は、
鶉鳥《うづらとり》(二二)  領布《ひれ》(二三)取り掛けて
鶺鴒《まなばしら》(二四) 尾行き合へ
庭雀《にはすずめ》(二五)、うずすまり居て
今日もかも 酒《さか》みづくらし(二六)。
高光る 日の宮人。
事の 語りごとも こをば。  (歌謠番號一〇三)
[#ここで字下げ終わり]
 この三歌は、天語《あまがたり》歌(二七)なり。かれ豐《とよ》の樂《あかり》に、その三重の※[#「女+綵のつくり」、180-本文-10]を譽めて、物|多《さは》に給ひき。
 この豐の樂の日、また春日の袁杼比賣《をどひめ》が大御酒獻りし時に、天皇の歌ひたまひしく、
[#ここから2字下げ]
水灌《みなそそ》く(二八) 臣《おみ》の孃子《をとめ》、
秀※[#「缶+墫のつくり」、第3水準1-90-25]《ほだり》取らすも(二九)。
秀※[#「缶+墫のつくり」、第3水準1-90-25]取り 堅く取らせ。
下堅《したがた》く 彌堅《やがた》く取らせ。
秀※[#「缶+墫のつくり」、第3水準1-90-25]取らす子。  (歌謠番號一〇四)
[#ここで字下げ終わり]
 こは宇岐《うき》歌(三〇)なり。ここに袁杼比賣、歌獻りき。その歌、
[#ここから2字下げ]
やすみしし 吾が大君の
朝戸《あさと》(三一)には い倚り立《だ》たし、
夕戸には い倚り立《だ》たす
脇几《わきづき》(三二)が 下の
板にもが。吾兄《あせ》(三三)を。  (歌謠番號一〇五)
[#ここで字下げ終わり]
 こは志都《しづ》歌(三四)なり。
 天皇、御年、一百二十四歳《ももちまりはたちよつ》。[#割り注]己巳の年八月九日崩りたまひき。[#割り注終わり]御陵は河内《かふち》の多治比《たぢひ》の高※[#「顫のへん+鳥」、第3水準1-94-72]《たかわし》(三五)にあり。

(一) 和邇氏の居住地で、奈良市の東部。
(二) 金屬の鋤もたくさんほしい。
(三) 枝のしげつた槻の木。
(四) 伊勢の國の三重の地から出た采女。ウネメは、地方の豪族の女子を召し出して宮廷に奉仕させる。後に法制化される。
(五) 景行天皇の皇居。長谷の朝倉の宮とは、離れている。この歌は歌曲の歌で、その物語を雄略天皇の事として取り上げたものだろう。
(六) 根の張つている宮。
(七) 枕詞。たくさんの土。
(八) 杵でつき堅めた宮。
(九) 新穀で祭をする家屋。
(一〇) 枝が茂つて充實している。
(一一) 東方をせおつている。
(一二) 續いて觸れている。
(一三) 枕詞。そこにある衣の三重と修飾する。
(一四) ミヅは生氣のある。美しい盃。
(一五) 浮いた脂のように落ち漂つて。ナヅサヒは、水を分ける。
(一六) 水がごろごろして。この數句、天地の初發の神話に見える句で、その神話の傳え手との關係を思わせるものがある。
(一七) 四五頁[#「四五頁」は「大國主の神」の「八千矛の神の歌物語」]參照。
(一八) 皇后。
(一九) 高いところ。
(二〇) 市の高み。
(二一) 奉るの敬語の命令形。
(二二) 譬喩による枕詞。鶉は頭から胸にかけて白い斑があるので、領布をかけるに冠する。
(二三) 四二頁[#「四二頁」は「大國主の神」の「根の堅州國」]參照。
(二四) 譬喩。セキレイ。
(二五) 譬喩による枕詞。
(二六) 酒宴をするらしい。
(二七) 歌曲の名。
(二八) 枕詞。オミ(大きい水、海)に冠する。
(二九) たけの高い酒瓶をお取りになる。
(三〇) 歌曲の名。酒盃の歌の意。
(三一) 朝の御座。
(三二) よりかかる机、脇息。
(三三) はやし詞。
(三四) 歌曲の名。
(三五) 大阪府南河内郡。

(つづく)



底本:「古事記」角川文庫、角川書店
   1956(昭和31)年5月20日初版発行
   1965(昭和40)年9月20日20版発行
底本の親本:「眞福寺本」
※底本は校注が脚註の形で配置されています。このファイルでは校註者が追加した標題ごとに、書き下し文、校注の順序で編成しました。
※(一)〜(五五)は注釈番号です。底本では、直前の文字の右横に、ルビのように漢数字のみ付いています。このファイルでは本文の漢数字との混同を避けるため(漢数字)で表しました。
※〔〕は底本の親本にはないもので、校註者が補った箇所を表します。
※頁数を引用している箇所には校註者が追加した標題を注記しました。
※底本は書き下し文のみ歴史的かなづかいで、その他は新かなづかいです。なお拗音・促音は小書きではありません。
入力:川山隆
校正:しだひろし
YYYY年MM月DD日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。



*地名

(※ 市町村名は、平成の大合併以前の表記のまま。一般的な国名・地名などは解説省略。
  • [京都府]
  • [山代] やましろ 山城・山背。旧国名。五畿の一つ。今の京都府の南部。山州。城州。雍州。
  • 山代河 やましろがわ 山城川。紀は山背川。淀川の古称か。
  • [綴喜郡] つづきぐん 京都府・山城国の郡。現、井手町・宇治田原町。
  • 筒木 つつき 紀の筒城宮か。現在の京都府京田辺市普賢寺付近に比定される。(日本史)
  • 筒木の宮 つつきのみや 紀は筒城宮。現、綴喜郡田辺町大字多々羅。普賢寺川の北の丘陵の宇都谷辺りに仁徳天皇の皇后磐之媛が住み、また継体天皇の皇居があったという。比定地は諸説あり。
  • [難波] なにわ (一説に「魚庭」の意という) 大阪市およびその付近の古称。
  • 高津宮 たかつのみや 仁徳天皇の皇居。宮址は大阪城の辺という。難波高津宮。/現在の大阪府大阪市中央区か。仁徳天皇が難波に造営したと伝える宮。比定地は諸説あり。(1) 現、大坂城の地。(2) 現、東区法円坂旧陸軍第八連隊兵営内の平坦地。(3) 大阪城外濠南方の高台の地。
  • 東区 ひがしく 大阪市の中心部にある。明治12(1879)成立。紀によると、大化改新に伴って孝徳朝難波長柄豊碕宮が造営されたと考えられるが、同宮は当区上町台地上に置かれたといわれる。天武天皇・聖武天皇の時代にも同台地上に難波宮が造営され、条坊制を有する難波京の存在が想定される。難波の堀江(現大川)沿岸には外交施設があり、また摂津職も置かれたが、延暦3(784)の長岡京造営などに伴って難波宮が廃されてからも、摂津国府が中世まで存続した。
  • 大阪城 おおさかじょう 大阪城・大坂城。大阪市中央区にある城。1583年(天正11)より豊臣秀吉が石山本願寺の旧地に築いた。大坂夏の陣で焼失後、元和〜寛永年間に大修築。1868年(明治1)戦火を蒙り建造物の大部分が焼失。1931年(昭和6)本丸内外の一部を公園とし、旧規によって天守閣を設けた。
  • 難波の埼 → 難波津か
  • 難波津 なにわづ 難波江の要津。古代には、今の大阪城付近まで海が入りこんでいたので、各所に船瀬を造り、瀬戸内海へ出る港としていた。
  • 難波の大渡 おおわたり 浪波渡。淀川本流(現、大川)を渡る地点か。渡は川を横切る渡船場と解される。
  • 御津の前 みつのさき 御津の埼。所在地は諸説あるが、現、南区三津寺町付近とする説が有力。
  • 難波の宮 なにわのみや 古代、大阪市中央区法円坂の一帯にあった皇居の総称。(1) 孝徳天皇の645年(大化1)より造営。天武天皇の陪都としても使用。686年(朱鳥1)焼失。→難波長柄豊碕宮。(2) 聖武天皇の皇居の一つ。
  • 難波長柄豊碕宮 なにわの ながらのとよさきのみや 孝徳天皇の造営した難波宮の正称。第二次大戦後の発掘で、大極殿跡その他を発見。
  • 大阪平野 おおさか へいや 大阪湾の沿岸、大阪府と兵庫県南東部にまたがる、近畿地方最大の平野。淀川・大和川などが流れる。
  • 大阪湾 おおさかわん 瀬戸内海の東端にあたる湾。西は明石海峡と淡路島、南は友ヶ島水道(紀淡海峡)で限られる。古称、茅渟海。和泉灘。摂津灘。
  • [三島郡] みしまぐん 明治29(1896)島上郡と島下郡が合併して成立。郡名は、古代当地方をさした地名の復活で、早くから文献に出る。この三島の地は、現高槻市の南西部あたりに中心地が比定される三島県に含まれ、大化改新後、三島評となり、その後、分割され島上・島下の古称とされる「三島上郡」「三島下郡」となったといわれる。以後、古代・中世・近世を通じて島上・島下両郡として存続。
  • 日女島 ひめしま 姫島。大阪府三島郡。現、大阪市大川(難波の堀江)の河口近くにあったと思われる。のち歌枕とされた。具体的位置は不明。/現、西淀川区姫島か。
  • [北河内郡]
  • 茨田の堤 うまらた/まんたのつつみ 大阪府北河内郡。/古代、淀川の下流の左岸、茨田郡の側にあった堤防。伝承では仁徳天皇時代の築堤という。
  • 茨田の三宅 うまらた/まむた/まんだのみやけ 茨田の御倉、茨田屯倉。屯倉の所在地は不明だが、茨田郡および交野郡三宅郷の地に散在し、管理の建物や倉庫は三宅郷にあったと推測。
  • [南河内郡]
  • 丸邇の池 わにのいけ 大阪府南河内郡。現、富田林市粟ヶ池か。
  • 依網の池 よさみのいけ 大阪市東成区。(本文注)
  • 依網 よさみ 摂津国住吉郡と河内国丹比郡の境界付近の古代地名。依網池は現、大阪市住吉区苅田・我孫子町から堺市常磐町にかけて復元。(日本史)
  • 難波の堀江 なにわのほりえ 天満川。/仁徳天皇が水害を防ぐために、高津宮の北に掘ったという運河。比定地は諸説あり、(1) 天満川(現、大川)のこと。(2) 長堀川。(3) 道頓堀川の前身の堀川。(4) 現天王寺区の空堀通の四説。
  • 小椅の江 おばしのえ 大阪市東成区東小橋か。小橋村・東小橋村一帯と推定。
  • 墨江の津 大阪市住吉区。住吉津。古代日本に存在した港。住吉大神を祀る住吉大社(大阪市住吉区)の南の住吉の細江と呼ばれた入り江にあった(住吉の細江は、現在は細江川[通称・細井川])。住吉津から東へ向かうと、奈良盆地の飛鳥に至る。
  • 淀川 よどがわ 琵琶湖に発源し、京都盆地に出て、盆地西端で木津川・桂川を合わせ、大阪平野を北東から南西に流れて大阪湾に注ぐ川。長さ75km。上流を瀬田川、宇治市から淀までを宇治川という。
  • 天満川 てんまんがわ 大阪市、大川。淀川の一分流の名称で、都島区の毛馬閘門から北区中之島の東端で土佐堀川と堂島川に分岐するまでの約4.4kmをいう。天満川は大坂三郷の天満郷(現北区)が淀川右岸にあたるところから生じた名称であろうが、大川ほど一般化はしていなかったのではなかろうか。
  • 兎寸河 うきかわ/うきがわ 所在不明。物語によれば大阪平野のうち。
  • 高安山 たかやすやま 大阪府と奈良県との境に位置する標高 488m の山。 7世紀後半に大和朝廷により大和国防衛の拠点として高安城が築かれたことで知られている。
  • [泉南郡] せんなんぐん 府の南西部にあり、明治29(1896)南郡と日根郡を合わせて成立した郡で、郡名は旧和泉国の南部に位置することによる。その後、郡域に岸和田市・貝塚市・泉佐野市・泉南市が成立。
  • 毛受の耳原 もずのみみはら 大阪府泉南郡。この御陵は、天皇生前に工事をした。その時に鹿の耳の中からモズが飛び出したから地名とするという。(本文中)
  • [中河内郡] なかかわちぐん 明治29(1896)若江郡・渋川郡・河内郡・高安郡・大県郡・丹北郡および志紀郡三木本村が合併して成立。名称は旧河内国の中部に位置することにより、北は北河内郡、東は生駒山地で奈良県生駒郡、南は南河内郡、西は東成郡・泉北郡に接する。宝永元(1704)の大和川のつけかえにより、景観・立地環境は大きく変貌した。
  • [南河内郡] みなみかわちぐん 府の南東部、旧河内国の南部にあたる。明治29(1896)成立。当時の南河内郡は、東は金剛山・葛城山の金剛山地で奈良県、南は和泉山脈で和歌山県、西は泉北郡、北は中河内郡に接し、中河内郡との間に大和川が流れていた。
  • 多治比の柴垣の宮 たじひの しばかきのみや 多比柴垣宮。大阪府南河内郡。反正天皇の宮跡。現在地は不明。松原市内か。
  • 毛受野 もずの → 毛受
  • 毛受 もず 紀は百舌鳥。百舌鳥野。現、堺市北部中央三国ヶ丘台地と称される辺り。
  • [奈良県]
  • [那良]
  • [倭] やまと 大和。(「山処(やまと)」の意か) (1) 旧国名。今の奈良県の管轄。もと、天理市付近の地名から起こる。初め「倭」と書いたが、元明天皇のとき国名に2字を用いることが定められ、「倭」に通じる「和」に「大」の字を冠して大和とし、また「大倭」とも書いた。和州。(2) 日本国の異称。おおやまと。(3) 唐(から)に対して、日本特有の事物に冠する語。
  • 木津川 きづがわ (1) 淀川の支流。鈴鹿山脈南の布引山地に発源し、伊賀盆地を流れて名張川と合流したのち京都盆地の南部に入り、八幡市で淀川に入る。長さ89km。(2) 淀川下流の分流の一つ。大阪市西区で淀川分流の土佐堀川から分かれ、南西流して大阪湾に注ぐ。(3) 京都府南部、(1) の中流域を占める市。南部は奈良県に接する。恭仁京・海住山寺などの所在地。人口6万4千。
  • 奈良山 ならやま → 平城山
  • 奈良の山口 ならのやまぐち → 平城山
  • 平城山 ならやま 奈良山。現、奈良市。奈良盆地北辺と京都府相楽郡木津町との境界を東西に走る標高100m前後の低丘陵。山裾南を佐保川が西流し、東部を佐保、西武を佐紀と称する。
  • 小楯 おだて (1) 楯。小さな楯。(2) 〔枕〕「やまと」にかかる。
  • 葛城 かずらき/かつらぎ (古くはカヅラキ) (1) 奈良県御所市・葛城市ほか奈良盆地南西部一帯の古地名。(2) 奈良県北西部の市。農村地帯で、二輪菊・チューリップなど花卉栽培が盛ん。人口3万5千。
  • 高宮 たかみや 紀にみえる武内宿祢の子、葛城襲津彦が新羅の民を配置した桑原・佐糜(さび)・高宮はいずれも御所市域と考えられる。仁徳紀の磐之媛の歌に「我が見が欲し国は葛城高宮、我家のあたり」とあり、蘇我蝦夷が葛城高宮に祖廟を立て(皇極紀)、蘇我馬子は「葛城県は元臣が本拠の地なり」と称した(推古紀)。
  • 葛城高丘宮 かずらきの たかおかのみや 綏靖天皇の皇居。奈良県御所市森脇の辺という。
  • 葛城の三諸
  • 丸迩 わに 和邇・和珥・丸とも。奈良県天理市和迩町付近の古代以来の地名。(日本史)
  • [磯城郡] しきぐん 奈良盆地中央部の低平地。ほぼ東境から北境を初瀬川(大和川上流)が流れ、中央の寺川、西の飛鳥川、西境の曾我川が曲折しつつ北流し、北端で大和川に注ぐ。東は天理市・桜井市、西は北葛城郡、南は橿原市、北は大和郡山市・生駒郡。
  • [宇陀郡] うだぐん 奈良盆地の東南、宇陀山地の一帯を占め、東・東南は三重県、西は桜井市、南は吉野郡、北・北西は山辺郡。
  • 北葛城郡 きたかつらぎぐん 奈良盆地中央西部に位置する。古代の広瀬郡・葛下郡(大和高田市を除く)、忍海郡の一部。
  • 宇陀 うだ 奈良県北東部の市。大和政権時代、菟田県・猛田県があった。人口3万7千。
  • 宇陀の蘇邇 うだのそに 奈良県宇陀郡。東部曽爾村か。三重県に突出した部分で奥宇陀山地の中央部にあたる。
  • [北葛城郡]
  • 当麻 たいま 奈良県北葛城郡當麻町当麻付近の古代以来の地名。垂仁天皇の時代に当麻邑に当麻蹴速という勇士がいたと伝える。当麻曼荼羅のある当麻寺、式内社の当麻山口神社・当麻都比古神社がある。二上山東麓にあたり、奈良盆地を東西に走る横大路が二上山の南にある竹内峠をこえる道は、当麻道とよばれたらしい。また大和国葛下郡に当麻郷があった。(日本史)
  • 二上山 ふたかみやま 奈良県葛城市と大阪府南河内郡太子町にまたがる山。雄岳(517m)と雌岳(474m)の2峰から成る。万葉集にも歌われ、大津皇子墓と伝えるものや葛城二上神社がある。にじょうさん。
  • [山辺郡] やまべぐん 県東北端に位置する南北に細長い郡。
  • 石の上の宮 いそのかみのみや → 石上の神宮か
  • 石上の神宮 いそのかみの じんぐう 奈良県天理市布留町にある元官幣大社。祭神は布都御魂大神。二十二社の一つ。布留社。所蔵の七支刀が著名。
  • [高市郡] たかいちぐん 奈良盆地の南部に位置し、南半は竜門山塊(多武峯・高取山)から派生する低丘陵と幅狭の谷からなり、北半はやや開けて、西端を曾我川、中央部を高取川、東部を飛鳥川が北流。東は桜井市、西は御所市、南は吉野郡、北は橿原市。
  • 飛鳥 あすか 飛鳥・明日香。遠つ飛鳥。奈良盆地南部の一地方。畝傍山および香具山付近以南の飛鳥川流域の小盆地。推古天皇以後百余年間にわたって断続的に宮殿が造営された。
  • 信貴山 しぎさん 奈良県北西部、生駒山地南部にある山。標高437m。山腹に信貴山寺、頂上に松永久秀の城址がある。
  • [磯城郡]
  • 倉椅山 くらはしやま 倉梯山。奈良県磯城郡の東方の山。現、桜井市。寺川流域の大字倉橋より上流にあたると考えられる。
  • 伊波礼の若桜の宮 いわれの わかざくらのみや 磐余稚桜宮か。奈良県磯城郡。
  • 磐余稚桜宮 いわれの わかざくらのみや 履中天皇の皇居。伝承地は奈良県桜井市池之内の辺。
  • 磐余 いわれ 奈良県桜井市南西部、香具山東麓一帯の古地名。神武天皇伝説では、八十梟帥征討軍の集結地。
  • [丹比郡]
  • 多遅比野 たじひの 丹比野。丹比郡の地の南東から南にかけての郡境に丘陵がある、おおむね平坦な平野。
  • 波邇賦坂 はにふさか/ハニウざか 大阪府南河内郡から大和に越える坂。
  • 大坂の山口 おおさかのやまぐち → 大坂山
  • 大坂山 おおさかやま 記の履中天皇段の墨江中王の反乱の記事に、天皇が難波から「大坂の山口」に至り、そこで道を変更して当麻を経て石上神宮に逃げたとあり、また、紀の天武天皇元年7月23日条には、壬申の乱に際して佐味君少麻呂が数百人を率いて「大坂」に駐屯し、同8年11月条に「初めて関を竜田山・大坂山に置く」などとみえている大坂山は、現、北葛城郡香芝町西部、穴虫峠付近一帯の丘陵をさすものと考えられる。穴虫峠は大和・河内を結ぶ重要な古代交通路の一つであり、また付近は石材の産地。当岐麻道 たぎまじ 当麻路。奈良県北葛城郡の当麻(古名タギマ)へ越える道で、二上山の南を通る。大坂は二上山の北を越える。
  • 近つ飛鳥 ちかつ あすか 安宿郡の飛鳥のことか。
  • 近飛鳥八釣宮 ちかつあすか やつりのみや 記紀にみえる顕宗天皇の宮。記では近飛鳥宮。宮号は允恭天皇の遠飛鳥宮と対になる。記履中段によれば、難波宮からの遠近により、河内の飛鳥を近飛鳥、大和の飛鳥を遠飛鳥と称したとするが、八釣の地名は大和の飛鳥にある。現在の奈良県明日香村八釣および橿原市下八釣町付近。(日本史)
  • 遠つ飛鳥 とおつ あすか 大和の飛鳥のことか。
  • 粟島 あわしま 淡島。(1) 日本神話で伊弉諾尊・伊弉冉尊が生んだという島。(2) 日本神話で少彦名神がそこから常世に渡ったという島。(3) 和歌山市にある淡島神社。祭神は少彦名神。各地に分祀。婦人病に霊験があるとされる。また神の名を針才天女とも伝え針供養が行われる。加太神社。淡島(粟島)明神。あわしまがみ。
  • 淤能碁呂島 おのごろしま f馭慮島。日本神話で、伊弉諾・伊弉冉二尊が天の浮橋に立って、天瓊矛で滄海を探って引き上げた時、矛先からしたたり落ちる潮の凝って成った島。転じて、日本の国を指す。
  • 檳榔の島 あじまさのしま 所在不明。アジマサは、檳榔樹。
  • 佐気都島 さけつしま 所在不明。
  • [淡路] あわじ 旧国名。今の兵庫県淡路島。淡州。
  • 淡道島 あわじしま 淡路島。瀬戸内海東部にある同海最大の島。本州とは明石海峡・友ヶ島水道(紀淡海峡)で、四国とは鳴門海峡で隔てられる。1985年鳴門海峡に橋が完成。兵庫県に属する。面積592平方km。
  • 由良の門 ゆらのと 〔歌枕〕(1) 紀淡海峡のこと。→由良。(2) 京都府舞鶴市の北西、由良川の河口。由良川の下流は勾配が緩く川底が深いため、福知山まで舟運の便があった。
  • 由良 ゆら 兵庫県淡路島津名郡(今の洲本市)にある港町。淡路島の南東端にあって紀淡海峡(由良の門)に面する。
  • 由良海峡
  • 紀淡海峡 きたん かいきょう 紀伊と淡路、すなわち和歌山県の加太と兵庫県淡路島の由良との間にある海峡。北は大阪湾、南は紀伊水道に連なる。
  • [紀伊] きい (キ(木)の長音的な発音に「紀伊」と当てたもの) 旧国名。大部分は今の和歌山県、一部は三重県に属する。紀州。紀国(きのくに)。
  • 木の国 → 紀伊
  • [吉備] きび 山陽地方の古代国名。大化改新後、備前・備中・備後・美作に分かつ。
  • 児島郡 こじまのこおり 岡山県および備前国にかつて存在した郡。灘崎町が2005年3月22日に岡山市に編入合併され児島郡は消滅した。
  • [肥前国]
  • 杵島が岳 きしまがたけ → 杵島山 
  • 杵島山 きしまやま 杵島郡北方町・白石町・有明町・武雄市橘町にまたがり、南西の一部は藤津郡塩田町に接する南北に細長い丘陵。鳴瀬山・勇猛山・犬山岳などの数峰からなり、標高345mを最高とする。
  • [日向]  ひむか/ひゅうが (古くはヒムカ)旧国名。今の宮崎県。
  • 諸県 むらがた/もろかた 諸県郡。古代律令期から明治初期まで日向国南西部一帯に存在した郡。諸県君の本拠地であったと考えられる。
  • -----------------------------------
  • 秦 しん (1) 中国古代、春秋戦国時代の大国。始祖非子の時、周の孝王に秦(甘粛)を与えられ、前771年、襄公の時、初めて諸侯に列せられ、秦王政(始皇帝)に至って六国を滅ぼして天下を統一(前221年)。中国史上最初の中央集権国家。3世16年で漢の高祖に滅ぼされた。( 〜前206)(2) 中国、五胡十六国の西秦・前秦・後秦。(3) 中国陝西省の別称。


◇参照:『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『日本史広辞典』(山川出版社、1997.10)。




*人物一覧

(人名、および組織・団体名・神名)
  • 男浅津間の若子の宿祢の王 おあさづまの わくごのすくねのみこ → 允恭天皇
  • 允恭天皇 いんぎょう てんのう 記紀に記された5世紀中頃の天皇。仁徳天皇の第4皇子。名は雄朝津間稚子宿祢。盟神探湯で姓氏の混乱を正したという。倭の五王のうち「済」に比定される。
  • 意富本杼の王 おおおどのみこ 意富富杼の王。父は稚渟毛二派皇子(応神天皇の皇子)、母は河派仲彦王の女・弟日売真若比売(百師木伊呂弁とも)で、同母妹の忍坂大中姫・衣通姫は允恭天皇に入内している。意富富杼王自身の詳しい事績は伝わらないが、『古事記』には息長坂君(息長君・坂田君か)・酒人君・三国君・筑紫米多君などの祖。
  • 忍坂の大中津比売の命 おさかのおおなかつひめのみこと 意富本杼の王が妹。/若沼毛二俣の王の子。母は百師木伊呂弁。允恭天皇が皇子であったときに召されて妃となる。木梨軽皇子・大泊瀬稚武皇子(雄略天皇)ら九王を生んだ。(神名)
  • 木梨の軽の王 きなしのかるのみこ 木梨軽皇子。第19代天皇であった允恭天皇の第一皇子、皇太子。母は皇后の忍坂大中津比売命。『古事記』によれば、立太子するも、同母妹である軽大娘皇女と情を通じ(近親相姦)、それが原因となって允恭天皇の崩御後に失脚、伊予の国へ流される。その後、あとを追ってきた軽大娘皇女と共に自害したと言われる(衣通姫伝説)。『日本書紀』では、情を通じた後の允恭24年に軽大娘皇女が伊予へ流刑となり、允恭天皇が崩御した允恭42年に穴穂皇子によって討たれたとある。
  • 長田の大郎女 ながたのおおいらつめ 名形大娘皇女(紀)。允恭天皇の皇女。母は忍坂之大中津比売命。また別人で、仁徳天皇の子の大日下王の妃で目弱王の母。後に安康天皇の皇后となる。紀では履中天皇の長田大娘皇女(中蒂姫命)にあたるが前者との関係は不明。履中天皇の皇女で、大日下王の妃中蒂姫のことであろうとある(記伝)。中蒂姫命参照(神名)
  • 境の黒日子の王 さかいのくろひこのみこ 允恭天皇の皇子。母はオサカノオオナカツ姫の命。同母弟の大長谷の命に殺された。(神名)
  • 穴穂の命 あなほのみこと → 安康天皇
  • 安康天皇 あんこう てんのう 記紀に記された5世紀中頃の天皇。名は穴穂。允恭天皇の皇子。大草香皇子の王子眉輪王に暗殺された。倭の五王のうち「興」に比定される。
  • 軽の大郎女 かるのおおいらつめ 別名、衣通の郎女。
  • 衣通の郎女 そとおしのいらつめ → 衣通姫
  • 衣通姫 そとおりひめ (美しい肌の色が衣を通して照り輝いたという) 日本書紀で允恭天皇の妃、弟姫のこと。姉の皇后忍坂大中姫の嫉みを受け、河内国茅渟に身を隠した。後世、和歌の浦の玉津島神社に祀る。和歌三神の一神。そとおしひめ。古事記では天皇の女の名とする。
  • 八瓜の白日子の王 やつりのしろひこのみこ 八釣白彦皇子(紀)。允恭天皇の皇子。母はオサカノオオナカツ姫の命。同母弟の雄略天皇に殺された。(神名)
  • 大長谷の命 おおはつせのみこと → 雄略天皇
  • 雄略天皇 ゆうりゃく てんのう 記紀に記された5世紀後半の天皇。允恭天皇の第5皇子。名は大泊瀬幼武。対立する皇位継承候補を一掃して即位。478年中国へ遣使した倭王「武」、また辛亥(471年か)の銘のある埼玉県稲荷山古墳出土の鉄剣に見える「獲加多支鹵大王」に比定される。
  • 橘の大郎女 たちばなのおおいらつめ 允恭天皇の皇女。母は忍坂之大中津日売命。事跡不詳。(神名)
  • 酒見の郎女 さかみのいらつめ 允恭天皇の子。母は忍坂之大中津比売命。(神名)
  • 新羅の国主 しらぎのこにきし
  • 金波鎮漢紀武 こみはちに/こみぱちに/こむはちにかにきむ 允恭天皇が即位したとき、新良国主が御調八十一艘を献上し、その使者として来朝した人。薬の処方に詳しく天皇の病を治した。(神名)
  • 軽部 かるべ 古代の部民。記、允恭段の伝承から、天皇の皇子木梨皇子の名代とする説が有力だが異論もある。律令時代には軽部・軽部造・軽部首を姓とする人々が実在し、軽部郷も和泉・下総・下野・但馬・備前・備中国に分布する。(日本史)
  • 刑部 おさかべ 大化前代の部民。允恭天皇の皇后忍坂大中姫の名代とするのが通説。天武朝には刑部造もみえるが、律令時代には諸国の刑部姓の人々や刑部郷は膨大な数にのぼる。(日本史)
  • 田井の中比売 たいのなかつひめ 応神天皇の子のワカノケフタマタの王とモモシキイロベとの間の子。允恭記にはその名代として河部が定められている。紀には不載。(神名)
  • 河部 かわべ 古代の部民。允恭段の伝承には大后の妹、田井中比売の名代として定めたとある。しかし名代としては「田井」に通じるところがなく、原本からの誤写を疑う説もある。8世紀には少数ながら川人・川人部・川部を姓とする人々が実在する。(日本史)
  • 大前の宿祢の大臣 おおまえのすくねのおおおみ
  • 小前の宿祢の大臣 おまえのすくねのおおおみ
  • 大前小前の宿祢 おおまえ おまえのすくね 物部麦入宿禰の子といわれる。允恭天皇に仕え大臣となる。軽皇子が大前小前宿祢大臣を頼って穴穂御子に対抗しようとしたが、大臣は皇子を捕らえて引き渡した。(神名)
  • 物部氏 もののべうじ 古代の大豪族。姓は連。饒速日命の子孫と称し、天皇の親衛軍を率い、連姓諸氏の中では大伴氏と共に最有力となって、族長は代々大連に就任したが、6世紀半ば仏教受容に反対、大連の守屋は大臣の蘇我馬子および皇族らの連合軍と戦って敗死。律令時代には、一族の石上・榎井氏らが朝廷に復帰。
  • -----------------------------------
  • 坂本の臣 さかもとのおみ
  • 根の臣 ねのおみ 坂本の臣たちの祖先。安康天皇が弟の大長谷の王(雄略天皇)のために根の臣を大日下の王のもとに遣わし、あなたの妹の若日下王を大長谷の王に婚わせたいと告げさせた。そこで大日下の王は妹の礼物として押木之玉縵をもたせたが、根の臣はそれを盗み、大日下の王を讒言し、大日下の王は怒った天皇に殺されてしまう。(神名)
  • 大日下の王 おおくさかのみこ → 波多毘能大郎子
  • 波多毘能大郎子 はたびのおおいらつこ 別名、大日下の王。大草香皇子(紀)。仁徳天皇の皇子。母は髪長比売。別名、波多毘能大郎子。名代として大日下部が設けられた。長田大郎女との間に目弱王を生む。安康天皇は皇弟大長谷若建命に、王の妹若日下王を嫁がせようとして、根臣を支社として派遣した。王は承諾し礼物として、蔵する珠玉・襟飾を献じたが、根臣はこれを押領し、王を天皇に讒言したため、天皇の怒りを買った王は殺され、妻の長田大郎女は天皇の皇后となった。(神名)
  • 若日下の王 わかくさかのみこ 若日下部の命 → 波多毘の若郎女
  • 波多毘の若郎女 はたびの わきいらつめ 別名、長目比売の命、若日下部の命。仁徳天皇の子。母は髪長比売。雄略天皇の妃となる。仁徳紀では幡梭皇女、雄略紀では草香幡梭皇女、あるいは橘姫皇女と表記する。子はなく、名代として仁徳朝に定められた若日下部がある。安康記には若日下王とある。(神名)
  • 目弱の王 まよわのみこ 眉輪王(紀)。父は仁徳天皇の皇子大日下の王。母は履中天皇の皇女長田の大郎女。根の臣の讒謗により安康天皇は大日下の王を殺し、妻の長田の大郎女を奪い自分の皇后とする。真実を知った目弱の王は、天皇が眠っている間をうかがい殺して都夫良意富美の家へ逃げ込む。大長谷の王(雄略天皇)は都夫良意富美の家を包囲。都夫良は目弱の王を護り奮戦するが力つきて目弱の王を刺し自刃する。(神名)
  • 都夫良意富美 つぶらおおみ 葛城の円の大臣(紀)。都夫良意美。円大臣。葛城円。意富美は大臣のこと。安康天皇を殺害した目弱の王をかくまって、大長谷の王(雄略天皇)に滅ぼされた。(神名)
  • 葛城の円の大臣 → 都夫良意富美
  • 白日子の王 しろひこのみこ → 八瓜の白日子の王
  • 訶良比売 からひめ 都夫良意富美の娘。韓媛(紀)。雄略天皇との間に白髪命・若帯比売命を生む。(神名)
  • 仁徳天皇 にんとく てんのう 記紀に記された5世紀前半の天皇。応神天皇の第4皇子。名は大鷦鷯。難波に都した最初の天皇。租税を3年間免除したなどの聖帝伝承がある。倭の五王のうちの「讃」または「珍」とする説がある。
  • 若日下部の王 → ハタビの若郎女
  • 中蒂姫 なかしひめ 中蒂姫命。履中天皇の皇女。またの名は長田大娘皇女。中磯皇女とも。はじめ仁徳天皇の子の大日下王に嫁ぎ目弱王を生んだ。その後安康天皇は根使王の讒言により大日下王を殺し、中蒂姫命を目弱王ともども宮中に入れ、更に皇后に立てて寵愛した。(神名)
  • 市の辺の忍歯の王 いちのべのおしはのみこ 市辺押磐皇子。市辺は地名。山城国綴喜郡に市野辺村がある。履中天皇の皇子。皇位継承者として有力視されていたが、雄略天皇に近江の久多綿蚊屋野で殺された。風土記には市辺天皇命とある。(神名)
  • 淡海の佐佐紀の山の君 おうみの ささきのやまのきみ → 佐々貴山公
  • 佐々貴山公 ささきのやまのきみ 狭狭城山君。紀の雄略天皇即位前紀には「近江狭狭城山君韓」などとみえ、篠笥(ささき)郷を本拠とした豪族佐々貴氏は6〜7世紀には蒲生・神崎両郡にわたる国造クラスの大首長であったとみる説もある(八日市市史)。天平期(729-749)の神崎郡大領をはじめ、采女をも出す名族で、当郡の郡司として頻出する。近江源氏佐々木氏をその後裔とみる説も強い。(地名)
  • 韓 からふくろ 近江の佐々紀山君の祖先。韓が「淡海の久多綿の蚊屋野に猪鹿がたくさんいる」といったことにより、大長谷の王と市の辺の忍歯の王は蚊屋野に行き、市の辺の忍歯の王が殺される。(神名)
  • 意祁の王 おけのみこ → 仁賢天皇
  • 袁祁の王 おけのみこ → 顕宗天皇
  • 仁賢天皇 にんけん てんのう 記紀に記された5世紀末の天皇。磐坂市辺押磐皇子の第1王子。名は億計。父が雄略天皇に殺された時、弟(顕宗天皇)とともに播磨に逃れた。のちに清寧天皇の皇太子となり、弟に次いで即位したという。
  • 顕宗天皇 けんぞう てんのう 記紀に記された5世紀末の天皇。履中天皇の皇孫。磐坂市辺押磐皇子の第2王子。名は弘計。父が雄略天皇に殺された時、兄(仁賢天皇)と共に播磨に逃れたが、後に発見されて即位したという。
  • 山代の豕甘 やましろの いかい 山代之猪甘。猪甘老人ともいう。父の市辺之押歯王が殺されたのを聞いた意富祁王(仁賢天皇)、袁祁王(顕宗天皇)が山代の苅羽井まで逃げてきた時、顔に入墨をした老が粮(みかれい=乾かして固くした携行用の飯)を盗んだ。そこで二人の王はお前は誰だと聞くと、山代の猪甘と答えた。後にその罪により飛鳥河の河原で斬られ、一族はひざの筋を断たれた。(神名)
  • 志自牟 しじむ 播磨国の豪族。父の市の辺の忍歯の王を殺された意祁の王・袁祁の王が、志自牟の家に馬甘・牛甘として隠れ住んだ。二皇子は志自牟の家の新室楽のとき、訪れた山部連小楯に見出される。紀で該当するのは縮見屯倉首忍海部造細目。播磨風土記では志深村首伊等尾。(神名)
  • 履中天皇 りちゅう てんのう 記紀に記された5世紀中頃の天皇。仁徳天皇の第1皇子。名は大兄去来穂別。
  • -----------------------------------
  • 大長谷の若建の命 おおはつせの わかたけのみこと → 雄略天皇
  • 白髪の命 しらがのみこと → 清寧天皇
  • 清寧天皇 せいねい てんのう 記紀に記された5世紀末の天皇。雄略天皇の第3皇子。名は白髪、諡は武広国押稚日本根子。
  • 若帯比売の命 わかたらしのみこと 稚足姫皇女。別名、栲幡姫皇女(紀)。雄略天皇の子。母は韓比売。紀に伊勢大神に侍したとある。讒言にあい、神鏡を持ち出し五十鈴川のほとりで自殺した。(神名)
  • 白髪部 しらがべ/しらかべ 白髪命(清寧天皇)の名代か。記の伝承では天皇が御名代として定めたとする。紀には白髪部舎人・白髪部膳夫・白髪部靫負をおいたと記し、継体紀元年2月条ではこれらを三種の白髪部とよぶ。白髪部姓は多数実在したが、785年(延暦4)白壁王(光仁天皇)の諱をさけて真髪部と改姓された。(日本史)
  • 長谷部の舎人 はつせべの とねり → 泊瀬部
  • 泊瀬部 はつせべ 長谷部とも。古代の部民。大長谷若建(雄略天皇、紀では大泊瀬幼武)の名代とするのが通説。記雄略段の伝承に長谷部舎人を定めたとある。8世紀には長谷部を姓とする人々が伊勢・尾張・三河・信濃・下総国など東日本に実在し、中央には長谷部公の氏姓を有し、従五位下に達した女官もある。『新撰姓氏録』にみえる長谷部造が長谷部を管掌したとされる。(日本史)
  • 河瀬の舎人 かわせの とねり 川瀬舎人(紀)。雄略天皇の時、河瀬の舎人が定められた。紀では近江国栗太郡が「白い��(う)が谷上浜にいる」といったことから河瀬舎人が定められたとある。(神名)
  • 呉人 くれびと 中国の南北朝時代(439〜589)、建康(南京)の地に都を置いた南朝の宋・斉・梁・陳の国の人を、古代の日本人が呼んだ称。
  • 志幾の大県主 しきの おおあがたぬし → 志紀県主
  • 志紀県主 しきのあがたぬし 河内国志紀郡を本拠とした県主。志紀(貴)県主神社がある。『新撰姓氏録』志紀県主条は神八井耳命を祖と記す。記雄略段には堅魚木を屋根におき天皇の家を模したとして家を焼かれ、贖罪のために白犬を献じたとある。862(貞観4)宿祢姓を賜った。(日本史)
  • 腰佩 こしはき
  • 引田部の赤猪子 ひけたべの あかいこ → 赤猪子
  • 赤猪子 あかいこ 引田部赤猪子。古事記の所伝によると、雄略天皇の目にとまり、空しく召しを待つこと80年、天皇がこれをあわれみ、歌と禄とを賜ったという女性。
  • 垂仁天皇 すいにん てんのう 記紀伝承上の天皇。崇神天皇の第3皇子。名は活目入彦五十狭茅。
  • 言離の神 ことさかのかみ → 葛城之一言主之大神
  • 一言主神 ひとことぬしのかみ 葛城山に住み、吉事も凶事も一言で表現するという神。
  • 葛城之一言主之大神 かずらきの ひとことぬしの おおかみ 雄略記および雄略紀4年春2月条(一事主神)に、葛城山中で雄略天皇と出会った説話を伝える。記紀の伝えは、雄略天皇が葛城山中で自身と同じ形状をした貴人と出会い、名のりにより一言主之神と知る話。記では行幸の列・束装・人衆まで同等であったとするのに対し、紀では面貌容儀が天皇と同じであったとするだけである。また、名のりの順も記は神が先であるのに対し、紀では天皇が先になっている。一言主之神を奉斎する氏族(葛城氏・鴨氏)の盛衰と関連づけられている。名義は、一言で神託をなす神の意。『日本霊異記』(一語主神)『今昔物語』などには、役行者に呪縛される容貌醜悪な神として登場する。(神名)
  • 丸邇の佐都紀の臣 わにのさつきのおみ 雄略天皇の妃、袁杼比売の父。(神名)
  • 袁杼比売 おどひめ → 春日の袁杼比売
  • 三重の うねめ 伊勢国三重郡から奉られた采女。雄略記にのみ登場する。新嘗祭の酒宴で采女の失態に怒った天皇が斬り殺そうとすると、采女は歌をたてまつって罪を許されたとある。(神名)
  • 春日の袁杼比売 かすがのおどひめ 丸迩の佐都紀の臣の娘。雄略天皇の妻問いを拒み、岡の上に逃げ隠れたことが、天皇の歌と共に語られている。またのちに新嘗の豊楽の日ふたたび登場し大御酒をたてまつっている。(神名)
  • 和邇氏 わにうじ 和珥氏。丸邇・和邇・丸とも。古代の有力氏族。姓は臣。始祖は天足彦国押人命という。本拠地は大和国添上郡一帯と推定されるが、欽明朝頃、春日氏と改めたと考えられる。応神・反正・雄略・仁賢・継体・欽明・敏達天皇に9人の后妃を入れ、5〜6世紀にかけて外戚氏族として勢力を誇った。(日本史)
  • 景行天皇 けいこう てんのう 記紀伝承上の天皇。垂仁天皇の第3皇子。名は大足彦忍代別。熊襲を親征、後に皇子日本武尊を派遣して、東国の蝦夷を平定させたと伝える。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『国史大辞典』(吉川弘文館)『日本史広辞典』(山川出版社、1997.10)『日本神名辞典 第二版』(神社新報社、1995.6)。



*書籍

(書名、雑誌名、論文名、映画・能・狂言・謡曲などの作品名)
  • 『古事記』 こじき 現存する日本最古の歴史書。3巻。稗田阿礼が天武天皇の勅により誦習した帝紀および先代の旧辞を、太安万侶が元明天皇の勅により撰録して712年(和銅5)献上。上巻は天地開闢から鵜葺草葺不合命まで、中巻は神武天皇から応神天皇まで、下巻は仁徳天皇から推古天皇までの記事を収め、神話・伝説と多数の歌謡とを含みながら、天皇を中心とする日本の統一の由来を物語る。ふることぶみ。
  • 『万葉集』 まんようしゅう (万世に伝わるべき集、また万の葉すなわち歌の集の意とも)現存最古の歌集。20巻。仁徳天皇皇后作といわれる歌から淳仁天皇時代の歌(759年)まで、約350年間の長歌・短歌・旋頭歌・仏足石歌体歌・連歌合わせて約4500首、漢文の詩・書翰なども収録。編集は大伴家持の手を経たものと考えられる。東歌・防人歌なども含み、豊かな人間性にもとづき現実に即した感動を率直に表す調子の高い歌が多い。
  • 『日本書紀』 にほん しょき 六国史の一つ。奈良時代に完成した日本最古の勅撰の正史。神代から持統天皇までの朝廷に伝わった神話・伝説・記録などを修飾の多い漢文で記述した編年体の史書。30巻。720年(養老4)舎人親王らの撰。日本紀。
  • 『琴歌譜』 きんかふ 万葉仮名で書いた大歌22首を和琴の譜とともに記した書。1巻。平安初期の成立。981年(天元4)の写本がある。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。



*難字、求めよ

  • 后妃 こうひ きさき。
  • 治る しる 領る・知る。(ある範囲の隅々まで支配する意。原義は、物をすっかり自分のものにすることという)(国などを)治める。君臨する。統治する。
  • 娶う あう あふ。(4) 結婚する。男と女が関係を結ぶ。
  • 辞ぶ いなぶ (感動詞イナに動詞構成の接尾語ブの付いたもの。後、四段活用に転じた) 承知しない。ことわる。
  • え知らさじ
  • え……ず 不可能をあらわす。とても……できない。(角)
  • 諸卿 まえつぎみ 公卿・卿・大夫。(古くは清音。「前の君」の意) 天皇の御前に伺候する人の敬称。また、朝廷に仕える高官の総称。もうちぎみ。まちぎみ。まつぎみ。
  • 国主 こにきし 王。(古代朝鮮語で、「コニ」は大の意。「キシ」は君の意か)(1) 古代朝鮮の、三韓の王。コンキシ。コキシ。(2) 百済王族の渡来人に与えられた姓。
  • 忤い たがい 忤 さからう・もとる。進行方向の反対に向かう。さからう。そむく。もとる。
  • 玖訶瓮 くかべ 湯を涌かしてその中の物を探らせる鍋。/探湯。くかへ。大化前代、探湯(くかたち)に用いた釜。
  • 八十伴の緒 やそとものお 多くのとものお。朝廷に仕える百官。
  • 禍津日神 まがつひのかみ 災害・凶事・汚穢の神。伊弉諾尊のみそぎの時、黄泉の国の汚れから化生したという。
  • 禍霊 まがつひ (「まがつひ」は災害・凶事を起こす霊力の意) 「まがつひのかみ」の略。
  • 日継 ひつぎ 日嗣 (日の神の大命で、大業をつぎつぎにしろしめす意という) 天皇の位。皇位。天位。あまつひつぎ。
  • 知る しる → 治る
  • け たわけ 戯(たわむ)れ。(1) 正常でない。また常識にはずれた行為をすること。特に、みだらな行為、許されない性的ふるまいをすること。「牛たわけ」「親子たわけ」など。
  • あしひきの 足引の 〔枕〕(「ひき」は「引き」でなく、「足痛(あしひ)く」の「ひき」か。または「木」などの意か。一説に、「あし」を葦と解する。後には、アシビキノとも)「山」「を(峰)」にかかる。
  • 下樋 したび (1) 地中に設けた樋(とい)。うずみひ。うめどい。(2) 箏などの腹部、すなわち甲と裏板との間の空洞の部分。
  • わしす 走す (ワシルの他動詞形) 走らせる。
  • 下娉い したどい 下問い。下娉。他人に知られないよう、ひそかに女の所に通うこと。
  • 下泣き したなき (「下」は心の意) 心中で泣くこと。しのびなき。
  • 昨夜 こぞ/きぞ (上代東国方言ではキソと清音) ゆうべ。昨夜。
  • 志良宜歌 しらげうた 後挙歌。(シリアゲウタ(尻上歌)の約という。一説、シラギ(新羅)ウタの転) 上代の歌謡で、末節を高く挙げて歌う歌。
  • たしだしに (タシニの重複形) たしかに。しっかりと。
  • 率寝 いぬ 連れて行っていっしょに寝る。共寝する。
  • さ寝 さね (「さ」は接頭語。「ね」は下二段動詞「ぬ」の連用形の名詞化)寝ること。特に、男女がいっしょに寝ること。
  • 刈薦の かりごもの/かりこもの 刈菰の。(1) 刈り取ったこもの乱れやすいところから、「みだる」にかかる。
  • 刈薦・刈菰 かりごも/かりこも 刈ったこも。また、それで織った敷物。かるこも。
  • 鄙振・夷振・夷曲 ひなぶり (1) 古代歌謡の曲名。宮廷に取り入れた大歌で、短歌形式または8〜9句。歌曲名はその一つの歌謡の歌詞から採ったもの。(2) いなか風の歌。洗練されていない歌。(3) 狂歌。
  • 挙歌・上歌 あげうた (1) 古代歌謡で、声を上げ高調子に歌われる歌。(2) 能の構成部分の一つ。高い音域で始まる拍子に乗る謡。←→下歌
  • 百の官 もものつかさ 多くのつかさ人。ひゃっかん。
  • 門 かなと 金門・鉄門。金属を使って作った門。または、堅固につくった門。
  • 足結・脚結 あゆい 動きやすいように、袴を膝頭の下で結んだ紐。鈴や玉をつけ服飾とした。あしゆい。あよい。
  • 宮人曲 みやひとぶり 宮人振。上代の歌曲の分類上の名称の一つ。歌の初句を取って名づけたもの。
  • 天飛む あまだむ 〔枕〕(アマトブの転)「かり(雁)」「かる(軽)」にかかる。
  • いた泣かば 甚泣く。はなはだしく泣く。ひどく泣く。
  • したたに しっかりと。たしかに。〔補注〕「下々に」の略で「忍び忍びに」の意とする説もあるが、「したがたし(下堅)」や「したたか(強)」の構成要素である「した」を重ねた「したした(に)」の変化したものとする説に従う。
  • 問わさね ね ……してほしい。 ……しないでほしい?
  • さね (尊敬・親愛の助動詞スの未然形サに、相手にあつらえる意の終助詞ネの付いたもの) …なさいな。…してほしい。
  • 天田振 あまだぶり 記に見える上代歌曲の曲名。歌い出しの語句によって名づけられている。
  • い帰る いがえる (「い」は接頭語)帰る。
  • わが畳ゆめ
  • わが畳 わがたたみ 畳を何枚も重ねて用いる意で、地名「三重(みへ)」にかかる。
  • 片下 かたおろし (1) 上代の歌謡などで、本・末の両方に分かれて歌う場合に、その一方を調子を下げて低く歌うもの。(2) 片下ろし(1) の歌い方で歌う平安時代の歌謡の一種。
  • 蛎貝 かきかい/かきがい 牡蠣貝。牡蠣(かき)。また、その貝殻。
  • 偲ひ・慕ひ しのひ (シノフの連用形から。平安時代以後はシノビ) 深く思うこと。慕うこと。賞美すること。
  • 山たづの やまたずの 〔枕〕(ニワトコの枝葉は相対して生ずるから)「むかへ」にかかる。
  • 山たづ やまたず 〔植〕接骨木(にわとこ)の古名。
  • ニワトコ 庭常・接骨木。スイカズラ科の落葉大低木。高さ約3〜6m。幹には太い髄がある。春に白色の小花を円錐花序に密生し、球状の核果が赤熟。茎葉と花は生薬とし、煎汁を温罨など外用薬に使う。枝は小鳥の止り木に賞用。古名、たずのき。
  • 隠国の こもりくの 隠国の・隠処の。〔枕〕(泊瀬(はつせ)は山に囲まれた地であるからいう)「はつせ(泊瀬)」にかかる。
  • 大尾 おおお 大峰。大きな峰。
  • ながさだめる
  • 梓弓 あずさゆみ (1) 梓の木で造った丸木の弓。(2) 〔枕〕「引く」「射る」「張る」「本」「末」「弦」「寄る」「矢」「音」「かへる」にかかる。
  • 斎杙 いくい 斎杙・斎杭。いみきよめた杭。神祭に幣物などをかける。
  • ま杙 まくい 真杙・真杭。「くい」の美称。神聖なくい。
  • ま玉なす またまなす 玉のようである。玉のように美しい。玉なす。
  • 読歌 よみうた 雅楽寮で教習した大歌の一つ。読むように朗誦した歌。五言・七言を交互に重ねた長歌の形式で、終末は七言三句で結ぶ。
  • けながし 日長し 日数が長い。時日を経ることが久しい。
  • ふしまろぶ 臥し転ぶ。ふしてあちこちにころげまわる。泣くにも、喜ぶにもいう。
  • -----------------------------------
  • まにまに 随に・随意に そのままに任せるさま。物事の成行きに任せるさま。まにま。ままに。
  • 礼なし いやなし 礼無し。無礼である。無作法である。
  • 礼物 いやじろ/いやしろ 礼代・礼物。敬意を表すしるしとして贈る品物。れいもつ。いやじ。いやじり。
  • 押木の玉縵 おしきの たまかずら 押木珠縵。上代の髪飾りの一つ。木の枝の形の立飾に玉をつけた冠。
  • 玉鬘 たまかずら (1) 多くの玉を緒に通し、頭にかけた装具。(2) 髪やかもじの美称。(3) (→)華鬘(けまん)に同じ。〔枕〕「かく」「かげ」にかかる。
  • 讒す よこす (ヨコは横) 正しくないことを言う。事実をまげて悪く言う。
  • 下席 したむしろ 下筵。しきもの。
  • 嫡妻 むかいめ 正妃・嫡妻。(「向い女(め)」の意) 正妻。本妻。
  • 神牀 かむとこ 神床・神牀。神を請うために斎(い)み浄めた床。神を祀る所。かみとこ。神壇。
  • 被る かがふる (1) かぶる。(2) 身に受ける。特に、上からの仰せをお受けする。承る。
  • うれたむ (ウラ(心)イタ(痛)ムの約) 腹立たしく思う。嘆かわしく思う。
  • おおろか いい加減であるさま。おろそか。
  • 罵る のる ののしる。悪口する。
  • 二つの目
  • 来散り
  • 五処の屯倉 みやけ
  • 苑人 そのびと 園人。庭園の樹木などの管理・手入れにあたる人。園戸。園丁。植木屋。
  • 正身 ただみ 正身・直身。その人自身。本人。当人。
  • え勝つましじ
  • まし 推量の助動詞。
  • え戦わじ
  • 立縵
  • 磐木縵 いわきかずら
  • 見顕す みあらわす (1) 隠れていた物事を取り出して、あきらかに見る。(2) 正体などを見破る。
  • 相率う あともう/あどもう 率(あどもう)。ひきつれる。ともなう。
  • おのもおのも 各も各も おのおの。めいめい。
  • 猟庭 かりにわ 狩場。かりば。
  • うたて 転て (ウタタの転。物事が移り進んでいよいよ甚だしくなってゆくさま。それに対していやだと思いながらあきらめて眺めている意を含む) (1) ますます甚だしく。(2) 程度が甚だしく進んで普通とちがうさま。異様に。ひどく。(3) (次に「あり」「侍り」「思ふ」「見ゆ」「言ふ」などの語を伴い、また感嘆文の中に用いて)心に染まない感じを表す。どうしようもない。いやだ。情け無い。あいにくだ。(4) (「あな―」「―やな」などの形で、軽く詠嘆的に) いやだ。これはしたり。
  • 御心したまえ
  •  うまぶね → 馬槽か
  • 馬槽 うまふね (1) 馬の飼料を入れる容器。かいばおけ。まぐさ入れ。(2) かいばおけのような形の大きなおけ。
  • 粮 かれい 餉。「かれいい(餉)」の変化した語。(カレイヒ(乾飯)の約) 旅行のときなどに携帯した干した飯。転じて、広く携帯用食料にもいう。
  • 面黥ける めさける 黥(めさく)。目のあたりに入れ墨をほどこす。刑罰のしるしとしても行なった。めさききざむ。まさく。
  • 黥く めさく 顔に入墨をする。入墨の刑に処する。
  • -----------------------------------
  • 御名代 みなしろ (「名代(なしろ)」の尊敬語) 古代、天皇・皇后・皇子等の名を伝えるために、その名または居所の名を冠して置いた皇室の私有民。
  • 直越え ただこえ まっすぐに越えること。多く奈良から大坂に越える生駒の草香越えにいう。
  • 見放く みさく 遠くを見る。見やる。
  • 堅魚 かつお (2) 鰹木の略。
  • 鰹木・堅魚木 かつおぎ 神社本殿などの棟木の上に横たえ並べた装飾の木。形は円柱状で鰹節に似る。勝男木。葛緒木。かつお。
  • 舎屋 や
  • 御舎 みあらか 御舎・御殿。宮殿の尊敬語。御殿。
  • 惶ぢ懼まる おじ かしこまる おそれつつしむ。「おぢかしこむ」とも。
  • 稽首《のみ》白さく
  • 稽首 けいしゅ 啓首。「稽」は深く礼拝する意)(1) 仏語。頭を深くたれて地につけること。うやうやしく礼をすること。(2) 書簡の末尾に用いて、相手に敬意をあらわす語。頓首。
  • 御幣物 いやじり/いやしろ 礼代。相手への礼儀、敬意をあらわすしるしとして賜わる物。
  • 妻問い つまどい 男が女を訪れて求婚すること。
  • 畳薦 たたみこも (1) 畳にする薦。(2) 〔枕〕「へだて」または「へ」にかかる。
  • 葉広熊白梼 はびろくまがし 葉広熊樫。葉の広い大きな樫の木。
  • いくみ竹 いくみだけ い組竹。茂って組み合った竹。
  • たしみ竹 たしみだけ た繁竹。(タは接頭語。シミは繁る意) 生い繁っている竹。
  • 思い夫・思い妻 おもいづま いとしい夫。また、いとしい妻。
  • 痩さかむ やさかむ 痩せ衰える。やすかむ。やせかむ。
  • 萎ける かじける 悴ける。(古くはカシクとも) (1) やつれる。生気を失う。やせ衰える。(2) 手足がこごえて思うように動かなくなる。かじかむ。
  • 鬱悒し いぶせし (1) 恋しさ、待ち遠しさなどのため気分が晴れず、うっとうしい。(2) いとわしく、きたない。むさくるしい。(3) 恐ろしく、気味がわるい。
  • 百取の机代 ももとりのつくえしろ =机物(つくえもの)。机の上に置いて神に供えたり贈物にしたりする、多くの品物。
  • 百取の机 ももとりのつくえ 数多くの物をのせた机。
  • まい出でつらく
  • らく 〔接尾〕二段活用・サ変・ラ変のように連体形語尾が「…る」となる語のク語法に見られる語形。「…すること」の意を表す。語尾「る」が「あく」と結合し「老ゆらく」「恋ふらく」「告ぐらく」のようになったもの。「あく」が考えられる以前は、終止形に「らく」が付くと考えられた。後世、四段活用に付いた「望むらく」のような語も使われた。
  • 御諸の みもろの
  • 厳白梼 いつかし 神威のある、繁茂した樫(かし)の木。「斎橿」とも書く。
  • 若栗栖原 わかくるすばら 若い栗の木の生えている原。
  • 若くえ わかくえ (ワカ(若)キウヘ(上)の転か)(→)「わかかえ」に同じ。年の若い頃。
  • 丹摺 にすり/にずり 赤色・あかねなどで模様を摺りつけること。また、その衣。
  • 玉垣 たまかき/たまがき (古くは清音。タマは美称) 皇居・神社の周囲に設ける垣。いがき。みずがき。
  • 築き余す つきあます 築き残す。
  • 神の宮人 かみのみやびと (1) 神社に仕える人。神官。(2) (天皇を神としていう) 天皇に仕える人。
  • 蓮 はちす (1) (蜂巣の意。花托の形が蜂の巣に似る) 蓮(はす)の古名。(2) (聖衆は蓮の花を持って来迎するということから) 極楽浄土からのお迎え。(3) ムクゲの別称。
  • 花蓮 はなばちす 花の咲いた蓮。
  • 盛り人 さかりびと 若くて元気な人。わかもの。
  • ともし 乏し・羨し (1) めずらしくて心がひかれる。(2) うらやましい。(3) 物事が満ち足りない状態である。(4) 不足である。とぼしい。(5) 貧しい。貧乏だ。
  • ろかも (接続語「ろ」と係助詞「か」「も」が重なったもの)。ろ〔接尾〕名詞または形容詞の連体形に付いて親愛の情を表わし、また、語調を整えるのに用いる。
  • 志都歌 しずうた 上代歌謡の曲調。歌い方が拍子にはまらず、ゆるやかなものをいうか。しつうた。
  • 大御呉床 おおみあぐら
  • 呉床 あぐら (1) 古代の貴族の着座する床の高い台。あごら。
  • 呉床座 あぐらい 胡床居。胡床にすわること。
  • 常世 とこよ (1) 常に変わらないこと。永久不変であること。(2) 「常世の国」の略。
  • 常世の国 とこよのくに (1) 古代日本民族が、はるか海の彼方にあると想定した国。常の国。(2) 不老不死の国。仙郷。蓬莱山。(3) 死人の国。よみのくに。よみじ。黄泉。
  • もがも 〔助詞〕(終助詞モガにさらにモを添えた語。主に奈良時代に用いられ、平安時代にはモガナに代わった) 体言、形容詞の連用形、副詞などの連用成分に付き、その受ける語句が話し手の願望の対象であることを表す。…があるといいなあ。…であるといいなあ。
  • 御腕 ただむき うで。
  • 蜻蛉 あきづ (平安以後アキツとも) トンボの古名。
  • 手腓 たこむら 腕の内側のややふくれた所。たくふら。
  • そらみつ 〔枕〕「やまと」にかかる。そらにみつ。
  • 鳴鏑 なりかぶら 鏑矢の異称。先に鏑をつけた矢。多く雁股(かりまた)を用いる。空中を飛ぶ時、鏑の孔に風が入って響きを発する。矢合せの時などに用いた。古墳時代中期以降現れる。かぶら。なりかぶら。なりや。鳴箭。嚆矢。
  • うたき 吼。獣のうなり声。
  • 榛 はり ハンノキの古名。榛の木。(ハリノキの音便) カバノキ科の落葉高木。山地の湿地に自生。また田畔に栽植して稲穂を干す。高さ約20mに達し、雌雄同株。2月頃、葉に先だって暗紫褐色の単性花をつけ、花後、松かさ状の小果実を結ぶ。材は薪・建築および器具用、樹皮と果実は染料。ハリ。ハギ。
  • 病猪 やみしし 病気にかかったイノシシ。傷を負ったイノシシ。
  • あり岡 ありお あり丘。そこにある山。一説に、荒いけわしい山。
  • 鹵簿 みゆきのつら/ろぼ (「鹵」は大形の盾、「簿」は行列の順序を記す帳簿の意) 儀仗を具(そな)えた行幸・行啓の行列。公式・略式の別がある。
  • 矢を刺す やをさす 弓に矢をつがえる。
  • 問わえたれば 「問わす」=「問う」の上代の尊敬語。
  • 悪事 まがごと/まがこと 禍言・禍事。縁起の悪いことば。不吉な言。わざわい。凶事。←→吉言・吉事
  • 善事 よごと 吉事。よいこと。めでたいこと。
  • 事解・事離・言離 ことさか (1) 絶縁。離縁。(2) 一言で解決すること。
  • うつしおみ 現人。この世の人。
  • 現人 うつせみ (ウツシ(現)オミ(臣)の約ウツソミが更に転じたもの。「空蝉」は当て字) (1) この世に現存する人間。生存している人間。(2) この世。現世。また、世間の人。世人。
  • 山の末 やまのは やまのすえ。山の奥。山頂。
  • いわむ 聚む 多く集まる。集まり満ちる。
  • 岡辺 おかび/おかべ 岡辺・丘辺。(古くは清音) 岡のあたり。
  • 金�K かなすき 金鋤・鉄鋤。鉄製の鋤。
  • 五百箇 いおち (→)「いおつ」に同じ。ごひゃく。数の多いこと。
  • 豊の楽 とよのあかり 豊明、か。(1) 酒を飲んで催す宴会。また、その宴を催すこと。主として、宮中で儀式の後などに催される宴会をいう。供宴。(2) 特に、宮中での大嘗祭・新嘗祭の翌日、豊楽殿でおこなわれる宴会。陰暦11月なかの辰の日(大嘗祭の時は午の日)、天皇がその年の新穀を食し、群臣にもこれをたまわる宴。賜宴の後に、吉野の国栖の奏楽・五節の舞などが催され、賜祿・叙位などがあった。豊の明りの節会。
  • きこしめす 聞し召す。(1) 「聞く」の尊敬語。お聞きなさる。(2) お聞き入れになる。お許しになる。(3) 「飲む」「食う」などの尊敬語。お召し上がりになる。(4) 「治む」「行う」などの尊敬語。お治めになる。(5) うまうまとだまされる。(6) 酒などを飲むことを戯れていう語。
  • 大御盞 おおみさかずき 大御盃。「おおみ」は接頭語)天皇をことほぎ、献(たてまつ)る盃。御盃(おおんさかずき)。
  • な殺したまいそ な……そ 副詞「な」を伴い、「な……そ」の形で禁止を表す。「な」が禁止を表し、「そ」は添えられた語とする解釈もある。……するな。
  • 根足る ねだる 根が十分に発育して張る。
  • 根蔓う ねばう 根延ふ。根が長く延びる。根がはえひろがる。
  • 八百土よし やおによし 〔枕〕「きづき」にかかる。
  • 新嘗屋 にいなえや 天皇が新嘗の儀を営む殿舎。
  • 百足る ももだる (後には清音も) 多く足り備わる。ももちだる。
  • 上枝 ほつえ (「秀(ほ)つ枝(え)」の意) 上の枝。はつえ。←→下枝
  • 中つ枝 なかつえ 中ほどの高さにある枝。中間の枝。
  • 下枝 しずえ 下の枝。したえだ。しずえだ。
  • あり衣の ありぎぬの/ありきぬの 〔枕〕「みへ(三重)」「さゑさゑ」「たから(宝)」「あり(在)」にかかる。
  • 瑞玉盃 みずたまうき (「みず」「たま」ともに美称)みずみずしい玉のような杯。美しい杯。
  • 百枝槻 ももえつき 枝の多く茂った槻の木。
  • なずさう (1) 水に浸る。水にただよう。(2) なれてまつわりつく。なつく。なじむ。
  • こおろこおろ 潮を掻き回す音。一説に、次第に凝り固まってゆくさま。
  • あやに 奇に。何とも不思議なまでに。むやみに。
  • 高光る たかひかる 〔枕〕「ひ(日)」にかかる。
  • 市の高処 いちのつかさ 市司。律令制で、都の市(市場)を監督した役所。平城京・平安京で、左京(東)・右京(西)のそれぞれに東市・西市が公設され、東市司・西市司がこれを管理した。
  • 生い立つ おいたつ (オイダツとも) (1) 生えて立つ。(2) 次第にそだつ。成長する。成人する。
  • ゆつ 斎つ いわい清めること。神聖なこと。清浄なこと。
  • 広る ひろる ひろがる。
  • 豊御酒 とよみき 酒の美称。おおみき。
  • ももしきの 百磯城の・百敷の。〔枕〕(多くの石や木で造った意、または、多くの石で造った城の意)「おほみや(大宮)」「内」などにかかる。
  • 大宮人 おおみやびと (古くオホミヤヒトと清音) 宮中に仕える人。公卿。くものうえびと。
  • 領布 ひれ 領巾・肩巾。(風にひらめくものの意) (1) 古代、波をおこしたり、害虫・毒蛇などをはらったりする呪力があると信じられた、布様のもの。(2) 奈良・平安時代に用いられた女子服飾具。首にかけ、左右へ長く垂らした布帛。別れを惜しむ時などにこれを振った。(3) 平安時代、鏡台の付属品として、鏡をぬぐうなどに用いた布。(4) 儀式の矛などにつける小さい旗。
  • 鶺鴒 まなばしら セキレイの古称。
  • 尾行きあえ
  • 庭雀 にわすずめ 庭におりて遊んでいる雀。
  • うずすまる うずくまり集まる。
  • さかみずく 酒水漬く 酒にひたる。酒宴をする。
  • 天語歌 あまがたりうた 上代歌謡の一つ。古事記雄略天皇の条に3首見える長歌謡。一説に、海人語部が伝えた寿歌という。古来、「あまことうた」と訓まれていた。
  • 水灌く みなそそく 水注く。〔枕〕「おみ(臣)」「しび(鮪)」にかかる。
  • 秀モ ほだり 秀樽。たけの高い、酒を入れて杯に注ぐのに用いる器。瓶子。銚子。
  • 弥堅し やかたし (イヤカタシの約) いよいよ堅い。ますますしっかりしている。
  • 宇岐歌 うきうた 盞歌。(「うき」は調子の浮いた意ともいう) 古代歌謡の一種。杯をささげる時の祝歌。元日の節会にうたわれ、片歌形式に短歌形式の結合したもの。歌詞は古事記・琴歌譜に見える。
  • やすみしし 八隅知し・安見知し 〔枕〕(八隅を治める、また、心安く天の下をしろしめす意などという) 「わが大君」「わご大君」にかかる。
  • 朝戸 あさと 朝起きてあける戸。
  • 夕戸 ゆうと 夕方の意。一説に、ゆうべに閉じる戸。
  • 脇几 わきずき (→)脇息(きょうそく)に同じ。坐臥具の一つ。すわった時に臂をかけ、からだを安楽に支えるもの。ひじかけ。記紀では几(おしまずき)、奈良時代には挟軾(きょうしょく)といわれた。
  • もが 〔助詞〕(係助詞モに終助詞カが付いてモガに転じたもの) 願望を表す。奈良時代に用いられた。…がほしい。…でありたい。
  • 槻 つき ケヤキの古名。つきのき。つく。
  • 采女 うねめ 古代、郡の少領以上の家族から選んで奉仕させた後宮の女官。律令制では水司・膳司に配属。うねべ。
  • 囃子詞 はやしことば 歌謡の意味に関係なく、歌詞の中や終りに入れて調子をとることば。「よさこい」「どんどん」など。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『日本国語大辞典 第二版』(小学館、2001.5)『日本史広辞典』(山川出版社、1997.10)『全訳古語辞典』(角川書店、2002.10)。



*後記(工作員スリーパーズ日記)


 読歌(よみうた)…… 黄泉歌?

古事記の中のたたみ語
テキスト:武田祐吉校註『古事記』。
アプリ:YooEdit 1.71
 
*検索:\(.\)\(.\)\1\2
頓首頓首《のみまを》す
諸《もろもろ》
成り成りて
生み生みて
ましまして/ましましき/ましましし/ましましける
まにまに
清淨《すがすが》し
ほらほら
すぶすぶ
鳥取《とりとり》
さわさわ
日高日子番《ひこひこほ》 (天つ日高日子番の邇邇藝の命、天つ日高日子波限建鵜葺草葺合へずの命)
御世《みよみよ》
みつみつし
ほとほとに
ますます
たぎたぎしく
なまなま
すくすく
しばしば
さやさや
時時《よりより》
此方此方《こちごち》

*検索:\(.\)\(.\)\(.\)\1\2\3
おのもおのも
こをろこをろ
とををとをを
うべなうべな
いしけいしけ
立てり立てり
百官《つかさつかさ》

*検索:\(.\)\(.\)\(.\)\(.\)\1\2\3\4
誠惶誠恐《かしこみかしこみ》

*検索:\(.\)\(.\)\(.\)\(.\)\(.\)\1\2\3\4\5
なし

*検索:.\(.\)[がぎぐげござじずぜぞだぢづでどばぱびぴぶぷべぺぼぽガギグゲゴザジズゼゾダヂヅデドバパビピブプベペボポ]\1
(×:畳み語ではない)
×杖矛《ぢやうぼう》
 悉《ことごと》
 種種《くさぐさ》
×布怒豆怒《ふのづの》の神
 ともども
×鉤《つりばり》
 かつがつも
 遙《はろばろ》
 たしだしに
 此方此方《こちごち》
×下堅《したがた》く
×脇几《わきづき》

※「身《みみ》」「遠遠し」「埼埼」「凝烟《すす》」「幸幸」「國國」など二字の畳み語はヒット数が多いので省略。




*次週予告


第五巻 第一八号 
校註『古事記』(一〇)武田祐吉


第五巻 第一八号は、
二〇一二年一一月二四日(土)発行予定です。
月末最終号:無料


T-Time マガジン 週刊ミルクティー 第五巻 第一七号
校註『古事記』(九)武田祐吉
発行:二〇一二年一一月一七日(土)
編集:しだひろし / PoorBook G3'99
 http://www33.atwiki.jp/asterisk99/
出版:*99 出版
 〒994-0024 山形県天童市鎌田2丁目
 アパートメント山口A−202
販売:DL-MARKET
※ T-Timeは(株)ボイジャーの商標・製品です。



  • T-Time マガジン 週刊ミルクティー *99 出版
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    ※ おわびと訂正
     長らく、創刊号と第一巻第六号の url 記述が誤っていたことに気がつきませんでした。アクセスを試みてくださったみなさま、申しわけありませんでした。(しょぼーん)/2012.3.2 しだ

  • 第一巻
  • 創刊号 竹取物語 和田万吉
  • 第二号 竹取物語小論 島津久基(210円)
  • 第三号 竹取物語の再検討(一)橘 純一(210円)
  • 第四号 竹取物語の再検討(二)橘 純一(210円)
  •  「絵合」『源氏物語』より 紫式部・与謝野晶子(訳)
  • 第五号 『国文学の新考察』より 島津久基(210円)
  •  昔物語と歌物語 / 古代・中世の「作り物語」/
  •  平安朝文学の弾力 / 散逸物語三つ
  • 第六号 特集 コロボックル考 石器時代総論要領 / コロボックル北海道に住みしなるべし 坪井正五郎 マナイタのばけた話 小熊秀雄 親しく見聞したアイヌの生活 / 風に乗って来るコロポックル 宮本百合子
  • 第七号 コロボックル風俗考(一〜三)坪井正五郎(210円)
  •  シペ物語 / カナメの跡 工藤梅次郎
  • 第八号 コロボックル風俗考(四〜六)坪井正五郎(210円)
  • 第九号 コロボックル風俗考(七〜十)坪井正五郎(210円)
  • 第十号 特集 コロボックル考 喜田貞吉
  •  日本太古の民族について / 日本民族概論 / 土蜘蛛種族論につきて
  • 第十一号 特集 コロボックル考 喜田貞吉
  •  東北民族研究序論 / 猪名部と佐伯部 / 吉野の国巣と国樔部
  • 第十二号 日高見国の研究 喜田貞吉
  • 第十三号 夷俘・俘囚の考 喜田貞吉
  • 第十四号 東人考     喜田貞吉
  • 第十五号 奥州における御館藤原氏 喜田貞吉
  • 第十六号 考古学と古代史 喜田貞吉
  • 第十七号 特集 考古学 喜田貞吉
  •  遺物・遺蹟と歴史研究 / 日本における史前時代の歴史研究について / 奥羽北部の石器時代文化における古代シナ文化の影響について
  • 第十八号 特集 考古学 喜田貞吉
  •  日本石器時代の終末期について /「あばた」も「えくぼ」、「えくぼ」も「あばた」――日本石器時代終末期―
  • 第十九号 特集 考古学 喜田貞吉
  •  本邦における一種の古代文明 ――銅鐸に関する管見―― /
  •  銅鐸民族研究の一断片
  • 第二〇号 特集 考古学 喜田貞吉
  •  「鐵」の字の古体と古代の文化 / 石上神宮の神宝七枝刀 /
  •  八坂瓊之曲玉考
  • 第二一号 博物館(一)浜田青陵
  • 第二二号 博物館(二)浜田青陵
  • 第二三号 博物館(三)浜田青陵
  • 第二四号 博物館(四)浜田青陵
  • 第二五号 博物館(五)浜田青陵
  • 第二六号 墨子(一)幸田露伴
  • 第二七号 墨子(二)幸田露伴
  • 第二八号 墨子(三)幸田露伴
  • 第二九号 道教について(一)幸田露伴
  • 第三〇号 道教について(二)幸田露伴
  • 第三一号 道教について(三)幸田露伴
  • 第三二号 光をかかぐる人々(一)徳永 直
  • 第三三号 光をかかぐる人々(二)徳永 直
  • 第三四号 東洋人の発明 桑原隲蔵
  • 第三五号 堤中納言物語(一)池田亀鑑(訳)
  • 第三六号 堤中納言物語(二)池田亀鑑(訳)
  • 第三七号 堤中納言物語(三)池田亀鑑(訳)
  • 第三八号 歌の話(一)折口信夫
  • 第三九号 歌の話(二)折口信夫
  • 第四〇号 歌の話(三)・花の話 折口信夫
  • 第四一号 枕詞と序詞(一)福井久蔵
  • 第四二号 枕詞と序詞(二)福井久蔵
  • 第四三号 本朝変態葬礼史 / 死体と民俗 中山太郎
  • 第四四号 特集 おっぱい接吻  
  •  乳房の室 / 女の情欲を笑う 小熊秀雄
  •  女体 芥川龍之介
  •  接吻 / 接吻の後 北原白秋
  •  接吻 斎藤茂吉
  • 第四五号 幕末志士の歌 森 繁夫
  • 第四六号 特集 フィクション・サムライ 愛国歌小観 / 愛国百人一首に関連して / 愛国百人一首評釈 斎藤茂吉
  • 第四七号 「侍」字訓義考 / 多賀祢考 安藤正次
  • 第四八号 幣束から旗さし物へ / ゴロツキの話 折口信夫
  • 第四九号 平将門 幸田露伴
  • 第五〇号 光をかかぐる人々(三)徳永 直
  • 第五一号 光をかかぐる人々(四)徳永 直
  • 第五二号 「印刷文化」について 徳永 直
  •  書籍の風俗 恩地孝四郎
  • 第二巻
  • 第一号 奇巌城(一)モーリス・ルブラン
  • 第二号 奇巌城(二)モーリス・ルブラン
  • 第三号 美し姫と怪獣 / 長ぐつをはいた猫 楠山正雄(訳)
  • 第四号 毒と迷信 / 若水の話 / 麻薬・自殺・宗教 小酒井不木 / 折口信夫 / 坂口安吾
  • 第五号 空襲警報 / 水の女 / 支流 海野十三 / 折口信夫 / 斎藤茂吉
  • 第六号 新羅人の武士的精神について 池内 宏
  • 第七号 新羅の花郎について     池内 宏
  • 第八号 震災日誌 / 震災後記 喜田貞吉
  • 第九号 セロ弾きのゴーシュ / なめとこ山の熊 宮沢賢治
  • 第一〇号 風の又三郎 宮沢賢治
  • 第一一号 能久親王事跡(一)森 林太郎
  • 第一二号 能久親王事跡(二)森 林太郎
  • 第一三号 能久親王事跡(三)森 林太郎
  • 第一四号 能久親王事跡(四)森 林太郎
  • 第一五号 能久親王事跡(五)森 林太郎
  • 第一六号 能久親王事跡(六)森 林太郎
  • 第一七号 赤毛連盟       コナン・ドイル
  • 第一八号 ボヘミアの醜聞    コナン・ドイル
  • 第一九号 グロリア・スコット号 コナン・ドイル
  • 第二〇号 暗号舞踏人の謎    コナン・ドイル
  • 第二一号 蝦夷とコロボックルとの異同を論ず 喜田貞吉
  • 第二二号 コロポックル説の誤謬を論ず 上・下 河野常吉
  • 第二三号 慶長年間の朝日連峰通路について 佐藤栄太
  • 第二四号 まれびとの歴史 /「とこよ」と「まれびと」と 折口信夫
  • 第二五号 払田柵跡について二、三の考察 / 山形県本楯発見の柵跡について 喜田貞吉
  • 第二六号 日本天変地異記 田中貢太郎
  • 第二七号 種山ヶ原 / イギリス海岸 宮沢賢治
  • 第二八号 翁の発生 / 鬼の話 折口信夫
  • 第二九号 生物の歴史(一)石川千代松
  • 第三〇号 生物の歴史(二)石川千代松
  • 第三一号 生物の歴史(三)石川千代松
  • 第三二号 生物の歴史(四)石川千代松
  • 第三三号 特集 ひなまつり
  •  雛 芥川龍之介 / 雛がたり 泉鏡花 / ひなまつりの話 折口信夫
  • 第三四号 特集 ひなまつり
  •  人形の話 / 偶人信仰の民俗化並びに伝説化せる道 折口信夫
  • 第三五号 右大臣実朝(一)太宰 治
  • 第三六号 右大臣実朝(二)太宰 治
  • 第三七号 右大臣実朝(三)太宰 治
  • 第三八号 清河八郎(一)大川周明
  • 第三九号 清河八郎(二)大川周明
  • 第四〇号 清河八郎(三)大川周明
  • 第四一号 清河八郎(四)大川周明
  • 第四二号 清河八郎(五)大川周明
  • 第四三号 清河八郎(六)大川周明
  • 第四四号 道鏡皇胤論について 喜田貞吉
  • 第四五号 火葬と大蔵 / 人身御供と人柱 喜田貞吉
  • 第四六号 手長と足長 / くぐつ名義考  喜田貞吉
  • 第四七号 「日本民族」とは何ぞや / 本州における蝦夷の末路 喜田貞吉
  • 第四八号 若草物語(一)L.M. オルコット
  • 第四九号 若草物語(二)L.M. オルコット
  • 第五〇号 若草物語(三)L.M. オルコット
  • 第五一号 若草物語(四)L.M. オルコット
  • 第五二号 若草物語(五)L.M. オルコット
  • 第五三号 二人の女歌人 / 東北の家 片山広子
  • 第三巻
  • 第一号 星と空の話(一)山本一清
  • 第二号 星と空の話(二)山本一清
  • 第三号 星と空の話(三)山本一清
  • 第四号 獅子舞雑考 / 穀神としての牛に関する民俗 中山太郎
  • 第五号 鹿踊りのはじまり 宮沢賢治 / 奥羽地方のシシ踊りと鹿供養 喜田貞吉
  • 第六号 魏志倭人伝 / 後漢書倭伝 / 宋書倭国伝 / 隋書倭国伝
  • 第七号 卑弥呼考(一)内藤湖南
  • 第八号 卑弥呼考(二)内藤湖南
  • 第九号 卑弥呼考(三)内藤湖南
  • 第一〇号 最古日本の女性生活の根底 / 稲むらの陰にて 折口信夫
  • 第一一号 瀬戸内海の潮と潮流(他三編)寺田寅彦
  •  瀬戸内海の潮と潮流 / コーヒー哲学序説 /
  •  神話と地球物理学 / ウジの効用
  • 第一二号 日本人の自然観 / 天文と俳句 寺田寅彦
  • 第一三号 倭女王卑弥呼考(一)白鳥庫吉
  • 第一四号 倭女王卑弥呼考(二)白鳥庫吉
  • 第一五号 倭奴国および邪馬台国に関する誤解 他 喜田貞吉
  •  倭奴国と倭面土国および倭国とについて稲葉君の反問に答う /
  •  倭奴国および邪馬台国に関する誤解
  • 第一六号 初雪 モーパッサン 秋田 滋(訳)
  • 第一七号 高山の雪 小島烏水
  • 第一八号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(一)徳永 直
  • 第一九号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(二)徳永 直
  • 第二〇号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(三)徳永 直
  • 第二一号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(四)徳永 直
  • 第二二号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(五)徳永 直
  • 第二三号 銀河鉄道の夜(一)宮沢賢治
  • 第二四号 銀河鉄道の夜(二)宮沢賢治
  • 第二五号 ドングリと山猫 / 雪渡り 宮沢賢治
  • 第二六号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(六)徳永 直
  • 第二七号 特集 黒川能・春日若宮御祭 折口信夫
  •  黒川能・観点の置き所 / 村で見た黒川能
  •  能舞台の解説 / 春日若宮御祭の研究
  • 第二八号 面とペルソナ / 人物埴輪の眼 他 和辻哲郎
  •  面とペルソナ / 文楽座の人形芝居
  •  能面の様式 / 人物埴輪の眼
  • 第二九号 火山の話 今村明恒
  • 第三〇号 現代語訳『古事記』(一)上巻(前編)武田祐吉(訳)
  • 第三一号 現代語訳『古事記』(二)上巻(後編)武田祐吉(訳)
  • 第三二号 現代語訳『古事記』(三)中巻(前編)武田祐吉(訳)
  • 第三三号 現代語訳『古事記』(四)中巻(後編)武田祐吉(訳)
  • 第三四号 山椒大夫 森 鴎外
  • 第三五号 地震の話(一)今村明恒
  • 第三六号 地震の話(二)今村明恒
  • 第三七号 津波と人間 / 天災と国防 / 災難雑考 寺田寅彦
  • 第三八号 春雪の出羽路の三日 喜田貞吉
  • 第三九号 キュリー夫人 / はるかな道(他)宮本百合子
  • 第四〇号 大正十二年九月一日よりの東京・横浜間 大震火災についての記録 / 私の覚え書 宮本百合子
  • 第四一号 グスコーブドリの伝記 宮沢賢治
  • 第四二号 ラジウムの雁 / シグナルとシグナレス(他)宮沢賢治
  • 第四三号 智恵子抄(一)高村光太郎
  • 第四四号 智恵子抄(二)高村光太郎
  • 第四五号 ヴェスヴィオ山 / 日本大地震(他)斎藤茂吉
  • 第四六号 上代肉食考 / 青屋考 喜田貞吉
  • 第四七号 地震雑感 / 静岡地震被害見学記(他)寺田寅彦
  • 第四八号 自然現象の予報 / 火山の名について 寺田寅彦
  • 第四九号 地震の国(一)今村明恒
  • 第五〇号 地震の国(二)今村明恒
  • 第五一号 現代語訳『古事記』(五)下巻(前編)武田祐吉(訳)
  • 第五二号 現代語訳『古事記』(六)下巻(後編)武田祐吉(訳)
  • 第四巻
  • 第一号 日本昔話集 沖縄編(一)伊波普猷・前川千帆(絵)
  • 第二号 日本昔話集 沖縄編(二)伊波普猷
  • 第三号 アインシュタイン(一)寺田寅彦
  •  物質とエネルギー / 科学上における権威の価値と弊害 /
  •  アインシュタインの教育観
  • 第四号 アインシュタイン(二)寺田寅彦
  •  アインシュタイン / 相対性原理側面観
  • 第五号 作家のみた科学者の文学的活動 / 科学の常識のため 宮本百合子
  • 第六号 地震の国(三)今村明恒
  • 第七号 地震の国(四)今村明恒
  • 第八号 地震の国(五)今村明恒
  • 第九号 地震の国(六)今村明恒
  • 第一〇号 土神と狐 / フランドン農学校の豚 宮沢賢治
  • 第一一号 地震学の角度から見た城輪柵趾 今村明恒
  • 第一二号 庄内と日高見(一)喜田貞吉
  • 第一三号 庄内と日高見(二)喜田貞吉
  • 第一四号 庄内と日高見(三)喜田貞吉
  • 第一五号 私は海をだきしめてゐたい / 安吾巷談・ストリップ罵倒 坂口安吾
  • 第一六号 三筋町界隈 / 孫 斎藤茂吉
  • 第一七号 原子力の管理(他)仁科芳雄
  •  原子力の管理 / 日本再建と科学 / 国民の人格向上と科学技術 /
  •  ユネスコと科学
  • 第一八号 J・J・トムソン伝(他)長岡半太郎
  •  J・J・トムソン伝 / アインシュタイン博士のこと 
  • 第一九号 原子核探求の思い出(他)長岡半太郎
  •  総合研究の必要 / 基礎研究とその応用 / 原子核探求の思い出
  • 第二〇号 蒲生氏郷(一)幸田露伴
  • 第二一号 蒲生氏郷(二)幸田露伴
  • 第二二号 蒲生氏郷(三)幸田露伴
  • 第二三号 科学の不思議(一)アンリ・ファーブル
  • 第二四号 科学の不思議(二)アンリ・ファーブル
  • 第二五号 ラザフォード卿を憶う(他)長岡半太郎
  •  ラザフォード卿を憶う / ノーベル小伝とノーベル賞 / 湯川博士の受賞を祝す
  • 第二六号 追遠記 / わたしの子ども時分 伊波普猷
  • 第二七号 ユタの歴史的研究 伊波普猷
  • 第二八号 科学の不思議(三)アンリ・ファーブル
  • 第二九号 南島の黥 / 琉球女人の被服 伊波普猷
  • 第三〇号 『古事記』解説 / 上代人の民族信仰 武田祐吉・宇野円空
  • 第三一号 科学の不思議(四)アンリ・ファーブル
  • 第三二号 科学の不思議(五)アンリ・ファーブル
  • 第三三号 厄年と etc. / 断水の日 / 塵埃と光 寺田寅彦
  • 第三四号 石油ランプ / 流言蜚語 / 時事雑感 寺田寅彦
  • 第三五号 火事教育 / 函館の大火について 寺田寅彦
  • 第三六号 台風雑俎 / 震災日記より    寺田寅彦
  • 第三七号 火事とポチ / 水害雑録 有島武郎・伊藤左千夫
  • 第三八号 特集・安達が原の黒塚 楠山正雄・喜田貞吉・中山太郎
  • 第三九号 大地震調査日記(一)今村明恒
  • 第四〇号 大地震調査日記(二)今村明恒
  • 第四一号 大地震調査日記(続)今村明恒
  • 第四二号 科学の不思議(六)アンリ・ファーブル
  • 第四三号 科学の不思議(七)アンリ・ファーブル
  • 第四四号 震災の記 / 指輪一つ   岡本綺堂
  • 第四五号 仙台五色筆 / ランス紀行 岡本綺堂
  • 第四六号 東洋歴史物語(一)藤田豊八
  • 第四七号 東洋歴史物語(二)藤田豊八
  • 第四八号 東洋歴史物語(三)藤田豊八
  • 第四九号 東洋歴史物語(四)藤田豊八
  • 第五〇号 東洋歴史物語(五)藤田豊八
  • 第五一号 科学の不思議(八)アンリ・ファーブル
  • 第五二号 科学の不思議(九)アンリ・ファーブル
    • 第五巻
    • 第一号 校註『古事記』(一)武田祐吉
    • 第二号 校註『古事記』(二)武田祐吉
    • 第三号 校註『古事記』(三)武田祐吉
    • 第四号 兜 / 島原の夢 / 昔の小学生より / 三崎町の原 岡本綺堂
    • 第五号 新旧東京雑題 / 人形の趣味(他)岡本綺堂
    • 第六号 大震火災記 鈴木三重吉
    • 第七号 校註『古事記』(四)武田祐吉
    • 第八号 校註『古事記』(五)武田祐吉
    • 第五巻 第九号 校註『古事記』(六)武田祐吉
    • 古事記 中つ巻
    •  五、景行天皇・成務天皇
    •   后妃と皇子女
    •   倭建の命の西征
    •   出雲建
    •   倭建の命の東征
    •   思国歌
    •   白鳥の陵
    •   倭建の命の系譜
    •   成務天皇
    •  六、仲哀天皇
    •   后妃と皇子女
    •   神功皇后
    •   鎮懐石と釣り魚
    •   香坂の王と忍熊の王
    •   気比の大神
    •   酒楽の歌曲
    •  その太后息長帯日売の命〔神功皇后〕は、当時神帰せしたまいき。かれ天皇〔仲哀天皇〕、筑紫の訶志比の宮にましまして熊曽の国を撃たんとしたまうときに、天皇御琴を控かして、建内の宿祢の大臣沙庭にいて、神の命を請いまつりき。ここに太后、神帰せして、言教え覚し詔りたまいつらくは、「西の方に国あり。金銀をはじめて、目耀く種々の珍宝その国に多なるを、吾今その国を帰せたまわん」と詔りたまいつ。ここに天皇、答え白したまわく、「高き地に登りて西の方を見れば、国は見えず、ただ大海のみあり」と白して、いつわりせす神と思おして、御琴を押し退けて、控きたまわず、黙いましき。ここにその神いたく忿りて詔りたまわく、「およそこの天の下は、汝の知らすべき国にあらず、汝は一道〔一説に、死出の道。冥土〕に向かいたまえ」と詔りたまいき。ここに建内の宿祢の大臣白さく、「恐し、わが天皇。なおその大御琴あそばせ」ともうす。ここにややにその御琴を取りよせて、なまなまに控きいます。かれ、幾時もあらずて、御琴の音聞こえずなりぬ。すなわち火をあげて見まつれば、すでに崩りたまいつ。
    • 第五巻 第一〇号 校註『古事記』(七)武田祐吉
    • 古事記 中つ巻
    •  七、応神天皇
    •   后妃と皇子女
    •   大山守の命と大雀の命
    •   葛野の歌
    •   蟹の歌
    •   髪長比売
    •   国主歌
    •   文化の渡来
    •   大山守の命と宇遅の和紀郎子
    •   天の日矛
    •   秋山の下氷壮夫と春山の霞壮夫
    •   系譜
    •  また昔、新羅の国主の子、名は天の日矛というあり。この人まい渡り来つ。まい渡り来つる故は、新羅の国に一つの沼あり、名を阿具沼という。この沼のほとりに、ある賤の女昼寝したり。ここに日の耀虹のごと、その陰上にさしたるを、またある賤の男、そのさまを異しと思いて、つねにその女人のおこないをうかがいき。かれこの女人、その昼寝したりしときより妊みて赤玉を生みぬ。ここにそのうかがえる賤の男、その玉を乞い取りて、つねに裹みて腰につけたり。この人、山谷の間に田を作りければ、耕人どもの飲食を牛に負せて、山谷の中に入るに、その国主の子天の日矛に遇いき。ここにその人に問いていわく、「何ぞ汝飲食を牛に負せて山谷の中に入る。汝かならずこの牛を殺して食うならん」といいて、すなわちその人を捕らえて、獄内に入れんとしければ、その人答えていわく、「吾、牛を殺さんとにはあらず、ただ田人の食を送りつらくのみ」という。しかれどもなおゆるさざりければ、ここにその腰なる玉を解きて、その国主の子に幣しつ。かれその賤の夫をゆるして、その玉を持ち来て、床の辺に置きしかば、すなわち顔美き嬢子になりぬ。よりて婚して嫡妻とす。ここにその嬢子、つねに種々の珍つ味を設けて、つねにその夫に食わしめき。かれその国主の子心おごりて、妻を詈りしかば、その女人の言わく、「およそ吾は、汝の妻になるべき女にあらず。わが祖の国に行かん」といいて、すなわち窃びて小船に乗りて、逃れ渡り来て、難波に留まりぬ。〈こは難波の比売碁曽の社にます阿加流比売という神なり。
    •  ここに天の日矛、その妻の遁れしことを聞きて、すなわち追い渡りきて、難波にいたらんとするほどに、その渡りの神塞えて入れざりき。かれさらに還りて、多遅摩の国に泊てつ。すなわちその国に留まりて、多遅摩の俣尾が女、名は前津見に娶いて生める子、多遅摩母呂須玖。これが子多遅摩斐泥。これが子多遅摩比那良岐。これが子多遅摩毛理、つぎに多遅摩比多訶、つぎに清日子〈三柱〉。この清日子、当摩の�@斐に娶いて生める子、酢鹿の諸男、つぎに妹菅竃由良度美、かれ上にいえる多遅摩比多訶、その姪由良度美に娶いて生める子、葛城の高額比売の命。〈こは息長帯比売の命の御祖なり。
    •  かれその天の日矛の持ち渡り来つる物は、玉つ宝といいて、珠二貫、また浪振る比礼、浪切る比礼、風振る比礼、風切る比礼、また奥つ鏡、辺つ鏡、あわせて八種なり。〈こは伊豆志の八前の大神なり。
    • 第五巻 第一一号 大正十二年九月一日の大震に際して(他)芥川龍之介
    • オウム ――大震覚え書きの一つ―
    • 大正十二年九月一日の大震に際して
    •  一 大震雑記
    •  二 大震日録
    •  三 大震に際せる感想
    •  四 東京人
    •  五 廃都東京
    •  六 震災の文芸に与うる影響
    •  七 古書の焼失を惜しむ
    •  今度の地震で古美術品と古書との滅びたのは非常に残念に思う。表慶館に陳列されていた陶器類はほとんど破損したということであるが、その他にも損害は多いにちがいない。しかし古美術品のことはしばらくおき、古書のことを考えると黒川家の蔵書も焼け、安田家の蔵書も焼け、大学の図書館の蔵書も焼けたのは取り返しのつかない損害だろう。商売人でも村幸とか浅倉屋とか吉吉だとかいうのが焼けたから、そのほうの罹害も多いにちがいない。個人の蔵書はともかくも、大学図書館の蔵書の焼かれたことはなんといっても大学の手落ちである。図書館の位置が火災の原因になりやすい医科大学の薬品のあるところと接近しているのもよろしくない。休日などには図書館に小使いくらいしかいないのもよろしくない、(そのために今度のような火災にもどういう本が貴重かがわからず、したがって貴重な本を出すこともできなかったらしい。)書庫そのものの構造のゾンザイなのもよろしくない。それよりももっとつきつめたことをいえば、大学が古書を高閣に束ねるばかりで古書の覆刻をさかんにしなかったのもよろしくない。いたずら材料を他に示すことを惜しんで、ついにその材料を烏有に帰せしめた学者の罪は、鼓をならして攻むべきである。大野洒竹の一生の苦心になった洒竹文庫の焼け失せただけでも残念でたまらぬ。「八九間雨柳」という士朗〔井上士朗か〕の編んだ俳書などは、勝峰晋風氏の文庫と天下に二冊しかなかったように記憶しているが、それも今は一冊になってしまったわけだ。「七 古書の焼失を惜しむ」より)
    • 第五巻 第一二号 日本歴史物語〈上〉(一)喜田貞吉
    •  児童たちへ
    •  一、万世一系の天皇陛下
    •  二、日本民族(上)
    •  三、日本民族(下)
    •  四、天照大神
    •  五、天の岩屋戸ごもり
    •  六、八岐の大蛇退治
    •  七、因幡の白兎
    •  八、出雲の大社
    •  九、天孫降臨と三種の神器
    •  
    • (略)そこで天照大神は、いよいよ御孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)をこの国にお降しになって、これを安い国として平らかにお治めしめなさることになりましたが、それにはまずもって、大国主神の国をたてまつらしめなければなりません。これがために、三度まで使いをつかわしになりました。しかし、なにぶん大国主神の威勢がさかんなものですから、使いの神もその方へついてしまって帰ってまいりませんでした。最後に武甕槌神と経津主神とがお使いに立ちました。武甕槌神はのちに常陸の鹿島神宮に、また経津主神はのちに下総の香取神宮に、それぞれ軍神としておまつり申したほどの武勇すぐれた神々でありましたから、大国主神の威勢にもおそれず、よく利害をお説きになり、国を天孫にたてまつるようにとお諭しになりました。天孫とは瓊瓊杵尊の御事を申すのです。しかしこれは大国主神にとってはまことに重大な事件です。ご自身だけのお考えでは、おはからいかねになりました。そこでまずもって御子の事代主神のご意見をお問いになりましたところが、このとき出雲の美保が崎で、魚を釣っておられました事代主神は、
    • 「それはもちろん、大神のおおせにしたがいますよう」
    • と、いさぎよくご同意申し上げました。出雲の美保神社は、ここで釣りをしておられました縁故で、この事代主神をおまつりしてあるのです。
    •  かく事代主神がご賛成申したので、大国主神も今はご異存もなく、久しく治めておられました国を天孫にさしあげましたが、事代主神の弟神の建御名方神は、たいそう元気のさかんな神でありましたから、なかなかそれを承知いたしません。
    • 「それなら大神のお使いの神たちと、力競べをしてみよう」
    • と申しました。しかし建御名方神の力は、とても武甕槌神にかないっこはありません。とうとう信濃の諏訪まで逃げて行って、そこでおそれ入りました。今の諏訪神社は、その土地にこの神をおまつり申したのです。
    •  大国主神は、いよいよその国をさしあげましたについて、杵築の宮にお引きこもりになりました。これは今の出雲の大社で、その御殿は天孫のご宮殿と同じようにお造り申したということであります。命(みこと)が大神の命を奉じて、いさぎよくその国を治めることを天孫におまかせ申しあげましたので、天孫の方からは、特別の尊敬をもってこれをご待遇なされましたわけなのです。「八、出雲の大社」より)
    • 第五巻 第一三号 日本歴史物語〈上〉(二)喜田貞吉
    •  十、山幸彦と海幸彦
    •  十一、金鵄(きんし)の光
    •  十二、熊襲と蝦夷(一)
    •  十三、熊襲と蝦夷(二)
    •  十四、熊襲と蝦夷(三)
    •  十五、熊襲と蝦夷(四)
    •  十六、朝鮮半島諸国の服属
    •  十七、外人の渡来と外国文化の輸入(一)
    •  十八、外人の渡来と外国文化の輸入(二)
    •  十九、外人の渡来と外国文化の輸入(三)
    •  二十、外人の渡来と外国文化の輸入(四)
    •  
    •  今は帝国の一部となっている朝鮮半島にも、大昔にはたくさんの国がありました。その南のほうは馬韓・弁辰〔弁韓〕・秦韓〔辰韓〕の三つに分かれて、それを三韓と申しましたが、そのうちでも名のわかっているものが馬韓五十四国、これは半島の西南部に、弁辰十二国、秦韓十二国、これは半島の東南部に、三韓あわせて七十八か国ありました。またその北には高麗という強い国があり、そのほかにもまだ多くの国々がありまして、天孫降臨以前の日本内地と同じように、統一がなくておたがいに争うておりました。そのなかでも秦韓人は、シナの秦という時代に移住したシナ人の末で、その秦韓の中の新羅という国がだんだん強くなり、しだいに近所の国を併合します。また馬韓の中の百済という国もだんだん強くなって近所の国々を併合しまして、朝鮮半島には北に高麗、東南に新羅、西南に百済と、三つの強い国が鼎の足のように並んでいるというありさまとなりました。「十六、朝鮮半島諸国の服属」より)
    •  シナ人でいちばん古く朝鮮半島に移住したのは、前に申した秦韓人で、これはシナでは秦という時代の人々だといわれておりますが、その後今から二〇〇〇年ばかり前、秦が滅んで漢の時代となり、その漢の武帝という偉い天子のときに朝鮮を伐って、さかんに漢人の移住がありました。
    •  この人たちは、朝鮮半島の西北部にある大同江の付近、楽浪という所におもに住んでおりましたので、今にその地の古い墓の中から漢時代の文化を見るべき立派な品物がたくさん掘り出されまして、近ごろ日本の大学の学者たちが熱心にそれを研究しております。すなわち朝鮮には秦人と漢人と、同じシナ人でも時代が違い、しぜん文化も違った二通りの人たちが秦韓と楽浪とに移住していたのです。
    •  その秦人のいた秦韓の地は、のちに新羅の国となったところですが、ここからはいちばん早く日本へ移住民がありました。天日槍(あめのひぼこ)のお話はそのことを語っているものであります。「十七、外人の渡来と外国文化の輸入(一)」より)
    • 第五巻 第一四号 日本歴史物語〈上〉(三)喜田貞吉
    •  二十一、外人の渡来と外国文化の輸入(五)
    •  二十二、外人の渡来と外国文化の輸入(六)
    •  二十三、大臣(おおおみ)と大連(おおむらじ)
    •  二十四、仏教の伝来
    •  二十五、聖徳太子と文化の進展(上)
    •  二十六、聖徳太子と文化の進展(下)
    •  二十七、大化の新政(上)
    •  二十八、大化の新政(中)
    •  二十九、大化の新政(下)
    •  三十、朝鮮半島諸国の離反
    •  
    •  応神天皇の御代に渡来した阿知使主(あちのおみ)の仲間は、これももとはシナ人ではありますが、朝鮮の大同江付近、すなわち漢の時代の楽浪、魏の時代の帯方から来たもので、古くここに移住していた漢人の子孫でありましょう。わが国ではこれを弓月君(ゆつきのきみ)の仲間の秦人に対して、漢人といっています。文字に「漢人」と書くのは、シナ漢代の人の移住民の子孫だからでありましょうが、これをわが国で「あやびと」といったのは、かれらがいろいろの模様のついた織り物を織ったためであります。(略)
    •  漢人の仲間は、秦人が衰えて方々に散らばったのとは様子が違って、都に近い大和の国の高市郡(たかいちごおり)にまとまって住んでおりました。今から一一〇〇年ばかり前までも高市郡の住民は十中の八、九まで、みなこの仲間であったというほどにも、かれらはここで繁昌したのでした。しかしこれらの多数の人々も、いつの間にか、みな日本民族の仲間になり、ほかの人たちと少しも区別のないものになってしまっているのです。
    •  高市郡の中では、飛鳥が漢人の中心地でありました。そしてここが久しくわが国における文化の起原地となりました。のちに仏法が伝わってきましたときにも、まずここに立派な寺ができます。しぜん、政治の上にも社会の上にも勢力を有することとなり、おしまいには、これまで御代ごとにたいてい場所が変わっておった都までが、この飛鳥にきまってしまうというほどの勢いとなりました。
    • (略)のちに第三十三代推古天皇の御代に、聖徳太子のお指図でシナへ留学しました僧侶や学生なども、やはりみなこの漢人の仲間でした。「二十一、外人の渡来と外国文化の輸入(五)」より)
    • 第五巻 第一五号 日本歴史物語〈上〉(四)喜田貞吉
    •  三十一、奈良の都(上)
    •  三十二、奈良の都(下)
    •  三十三、奈良朝仏教の隆盛(上)
    •  三十四、奈良朝仏教の隆盛(下)
    •  三十五、奈良時代の行きづまり
    •  三十六、平安遷都
    •  三十七、藤原氏の全盛(一)
    •  三十八、藤原氏の全盛(二)
    •  三十九、藤原氏の全盛(三)
    •  四十、藤原氏の全盛(四)
    •   
    •  そんな勢いですから宇多天皇は、こう藤原氏ばかりにすべての政治をおまかせになりましては、ますますそのわがままがひどくなることをご心配になりまして、菅原道真をお引き上げになり、藤原氏の勢力をおさえようとなさいました。かくてつぎの帝(みかど)第五十九代醍醐天皇の御代には、基経(もとつね)の子時平(ときひら)は左大臣、道真は右大臣というぐあいに、あいならんで政治にあずかることになりました。
    •  しかしながら菅原氏はもと学者の家で、むかしから大臣になったことなどは一度もなかったのであります。されば、いかに天皇のご信任がお厚かったとは申せ、この藤原氏のさかんな時代に、そんな家から出た道真が大臣となって藤原氏とならぶということは、時平にとっては不平でたまりません。その他のものも、道真がその家柄の低いのにかかわらず出世があまりにひどかったので、自然それをねたむようになります。そんなしだいで道真は、のちに太宰府にうつされまして、せっかくの宇多天皇の御心も、かえって藤原氏の勢力をいっそう盛んならしめる結果となりました。
    •  道真が退けられましてのちは、もはや藤原氏と張りあってその勢力を分かとうというほどのものもありません。これからのち藤原氏の人々は、ご幼少の天皇をお立て申しては自身摂政に任ぜられ、天皇がご成長あそばしますと関白に任ぜられるというふうに、おそれ多いことではありますが、天皇はただ尊く上にましますばかりで、政治はすべて藤原氏まかせというような、ひどい御ありさまになってしまいました。「三十八、藤原氏の全盛(二)」より)
    • 第五巻 第一六号 校註『古事記』(八)武田祐吉
    •  古事記 下つ巻
    •   一、仁徳天皇
    •    后妃と皇子女
    •    聖の御世
    •    吉備の黒日売
    •    皇后石の比売の命
    •    八田の若郎女
    •    速総別の王と女鳥の王
    •    雁の卵(こ)
    •    枯野という船
    •   二、履中天皇・反正天皇
    •    履中天皇と墨江の中つ王
    •    反正天皇
    •   
    •  子伊耶本和気(いざほわけ)の王〔履中天皇〕、伊波礼の若桜の宮にましまして、天の下治らしめしき。この天皇、葛城の曽都毘古(そつびこ)の子、葦田の宿祢が女、名は黒比売の命に娶いて生みませる御子、市の辺の忍歯の王、つぎに御馬の王、つぎに妹青海の郎女、またの名は飯豊の郎女〈三柱〉。
    •  もと難波の宮にましましし時に、大嘗にいまして、豊の明したまうときに、大御酒にうらげて、大御寝ましき。ここにその弟墨江の中つ王、天皇を取りまつらんとして、大殿に火をつけたり。ここに倭の漢の直の祖、阿知の直、ぬすみ出でて、御馬に乗せまつりて、倭にいでまさしめき。かれ多遅比野にいたりて寤めまして詔りたまわく、「ここは何処ぞ」と詔りたまいき。ここに阿知の直白さく、「墨江の中つ王、大殿に火をつけたまえり。かれ率まつりて、倭に逃るるなり」ともうしき。ここに天皇歌よみしたまいしく、
    •  丹比野に 寝んと知りせば、
    •  防壁(たつごも)も 持ちて来ましもの。
    •  寝んと知りせば。
    •  波邇賦(はにふ)坂にいたりまして、難波の宮を見放けたまいしかば、その火なお炳(も)えたり。ここにまた歌よみしたまいしく、
    •  波邇布坂 吾が立ち見れば、
    •  かぎろいの 燃ゆる家群、
    •  妻が家のあたり。
    •  かれ大坂の山口にいたりまししときに、女人遇えり。その女人の白さく、「兵を持てる人ども、多(さわ)にこの山を塞えたれば、当岐麻道よりめぐりて、越え幸(い)でますべし」ともうしき。ここに天皇歌よみしたまいしく、
    •  大坂に 遇うや嬢子を。
    •  道問えば ただには告らず、
    •  当岐麻路を告る。
    •  かれのぼり幸でまして、石の上の宮にましましき。「二、履中天皇・反正天皇」「履中天皇と墨江の中つ王」より)

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