武田祐吉 たけだ ゆうきち
1886-1958(明治19.5.5-昭和33.3.29)
国文学者。東京都出身。小田原中学の教員を辞し、佐佐木信綱のもとで「校本万葉集」の編纂に参加。1926(昭和元)、国学院大学教授。「万葉集」を中心に上代文学の研究を進め、「万葉集全註釈」(1948-51)に結実させた。著書「上代国文学の研究」「古事記研究―帝紀攷」「武田祐吉著作集」全8巻。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)
◇表紙イラスト:福島県三春町西方前遺跡出土、大洞 A' 式土偶。『日本の古代遺跡・福島』(保育社、1991.5)より。


もくじ 
校註『古事記』(六)武田祐吉


ミルクティー*現代表記版
校註『古事記』(六)
  古事記 中つ巻
   五、景行天皇・成務天皇
    后妃と皇子女
    倭建(やまとたける)の命の西征
    出雲建(いずもたける)
    倭建の命の東征
    思国歌(くにしのひうた)
    白鳥の陵(みはか)
    倭建の命の系譜
    成務天皇
   六、仲哀天皇
    后妃と皇子女
    神功皇后
    鎮懐石と釣り魚
    香坂の王と忍熊の王
    気比(けひ)の大神
    酒楽(さかくら)の歌曲

オリジナル版
校註『古事記』(六)

地名年表人物一覧書籍
難字、求めよ
後記次週予告

※ 製作環境
 ・Macintosh iBook、Mac OS 9.2.2、T-Time 2.3.1
 ・ ポメラ DM100、ソーラーパネル GOAL ZERO NOMAD 7(ガイド10プラス)
※ 週刊ミルクティー*は、JIS X 0213 文字を使用しています。
※ この作品は青空文庫にて校正中です。著作権保護期間を経過したパブリック・ドメイン作品につき、引用・印刷および転載・翻訳・翻案・朗読などの二次利用は自由です。
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*凡例
  • ( ):小書き。〈 〉:割り注。
  • 〔 〕:編者もしくは、しだによる注。
  • 一、漢字、かなづかい、漢字の送りは現代表記に改めました。
  •    例、云う → いう / 言う
  •      処  → ところ / 所
  •      有つ → 持つ
  •      這入る → 入る
  •      円く → 丸く
  •      室  → 部屋
  • 一、同音異義の一部のひらがなを、便宜、漢字に改めました。
  •    例、いって → 行って / 言って
  •      きいた → 聞いた / 効いた
  • 一、若干の句読点を改めました。適宜、ルビや中黒や感嘆・疑問符をおぎないました。一部、改行と行頭の字下げを改めました。
  • 一、漢数字の表記を一部、改めました。
  •    例、七百二戸 → 七〇二戸
  •    例、二萬六千十一 → 二万六〇一一
  • 一、ひらがなに傍点は、一部カタカナに改めました。
  • 一、カタカナ漢字混用文は、ひらがな漢字混用文に改めました。
  • 一、和暦にはカッコ書きで西暦をおぎないました。年次のみのばあいは単純な置き換えにとどめ、月日のわかるばあいには陰暦・陽暦の補正をおこないました。
  • 一、「今から○○年前」のような経過年数の表記は改めず、底本のままにしました。和歌・俳句・短歌は五七五(七七)の音節ごとに半角スペースで句切りました。
  • 一、表や図版キャプションなどの組版は、便宜、改めました。
  • 一、書名・雑誌名は『 』、論文名・記事名および会話文は「 」で示しました。
  • 一、差別的表現・好ましくない表現はそのままとしました。

*尺貫法
  • 寸 すん 長さの単位。尺の10分の1。1寸は約3.03cm。
  • 尺 しゃく 長さの単位。1mの33分の10と定義された。寸の10倍、丈の10分の1。
  • 丈 じょう 長さの単位。(1) 尺の10倍。約3m。(2) 周尺で、約1.7m。成人男子の身長。
  • 歩 ぶ (1) 左右の足を一度ずつ前に出した長さ。6尺。(2) 土地面積の単位。1歩は普通、曲尺6尺平方で、1坪に同じ。
  • 町 ちょう (1) 土地の面積の単位。1町は10段。令制では3600歩、太閤検地以後は3000歩とされ、約99.17アール。(2) (「丁」とも書く) 距離の単位。1町は60間。約109m強。
  • 里 り 地上の距離を計る単位。36町(3.9273km)に相当する。昔は300歩、すなわち今の6町の定めであった。
  • 合 ごう 容積の単位。升の10分の1。1合は180.39立方cm。
  • 升 しょう 容量の単位。古来用いられてきたが、現代の1升は1.80391リットル。斗の10分の1で、合の10倍。
  • 斗 と 容量の単位。1斗は1升の10倍で、18.039リットルに当たる。
  • 海里・浬 かいり (sea mile; nautical mile) 緯度1分の子午線弧長に基づいて定めた距離の単位で、1海里は1852m。航海に用いる。
  • 尋 ひろ (1) (「広(ひろ)」の意)両手を左右にひろげた時の両手先の間の距離。(2) 縄・水深などをはかる長さの単位。1尋は5尺(1.515m)または6尺(1.818m)で、漁業・釣りでは1.5mとしている。
  • 坪 つぼ 土地面積の単位。6尺四方、すなわち約3.306平方m。歩(ぶ)。



*底本

底本:「古事記」角川文庫、角川書店
   1956(昭和31)年5月20日初版発行
   1965(昭和40)年9月20日20版発行
底本の親本:「眞福寺本」
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1349.html

NDC 分類:164(宗教 / 神話.神話学)
http://yozora.kazumi386.org/1/6/ndc164.html
NDC 分類:210(日本史)
http://yozora.kazumi386.org/2/1/ndc210.html





 校註『古事記』 凡例

  • 一 本書は、『古事記』本文の書き下し文に脚注を加えたもの、および索引からなる。
  • 一 『古事記』の本文は、真福寺本を底本とし、他本をもって校訂を加えたものを使用した。その校訂の過程は、特別の場合以外は、すべて省略した。
  • 一 『古事記』は、三巻にわけてあるだけで、内容については別に標題はない。底本とした真福寺本には、上方に見出しが書かれているが、今それによらずに、新たに章をわけて、それぞれ番号や標題をつけ、これにはカッコをつけて新たに加えたものであることをあきらかにした。また歌謡には、末尾にカッコをして歌謡番号を記し、索引に便にすることとした。


校註『古事記』(六)

稗田の阿礼、太の安万侶
武田祐吉(注釈・校訂)

 古事記 なかつ巻

  〔五、景行天皇・成務天皇〕

   后妃こうひと皇子女〕


 大帯日子淤斯呂和気おおたらしの天皇〔景行天皇〕(一)纏向まきむく日代ひしろの宮(二)にましまして、天の下らしめしき。この天皇すめらみこと吉備きびの臣らのおや若建吉備津日子わかたけが女、名は針間はりま伊那毘いなび大郎女おおいらつめいて生みませる御子、櫛角別くしつのわけの王、つぎに大碓おおうすみこと、つぎに小碓おうすみこと倭建命やまとたけるのみこと(三)、またの名は倭男具那やまとおぐなの命、つぎに倭根子やまとねこの命、つぎに神櫛かむくしの王〈五柱〉。また八尺やさか入日子いりひこの命が女、八坂やさか入日売いりの命にいて生みませる御子、若帯日子わかたらしの命〔成務天皇〕(四)、つぎに五百木いおき入日子いりの命、つぎに押別おしわけの命、つぎに五百木いおきいり日売の命、またのみめの御子、豊戸別とよとわけの王、つぎに沼代ぬなしろ郎女いらつめ、またのみめの御子、沼名木ぬなき郎女いらつめ、つぎに香余理かぐ比売の命、つぎに若木わかき入日子いりひこの王、つぎに吉備の兄日子の王、つぎに高木比売の命、つぎに弟比売おとひめの命。また日向ひむか美波迦斯毘売いて生みませる御子、豊国別とよくにわけの王。また伊那毘大郎女おおいらつめの弟、伊那毘の若郎女わかいらつめいて生みませる御子、真若まわかの王、つぎに日子人ひと大兄おおえの王。また倭建やまとたけるの命の曾孫みひひこ(五)名は須売伊呂大中おおなか日子ひこの王が女、訶具漏比売にいて生みませる御子、大枝おおえの王。およそこの大帯日子おおたらしひこの天皇の御子たち、しるせるは二十一王はたちまりひとはしら、記さざる五十九王いそじまりここのはしら、あわせて八十はしらいますうちに、若帯日子の命と倭建やまとたけるの命、また五百木いおき入日子いりひこの命と、この三王みはしら太子ひつぎのみこ(六)の名を負わし、それよりほか七十七王ななまりななはしらのみこは、ことごとに国々の国のみやつこ、またわけ稲置いなぎ県主あがたぬし(七)けたまいき。かれ若帯日子わかたらしひこの命は、天の下らしめしき。小碓おうすの命は、東西の荒ぶる神、またまつろわぬ人どもをことむけたまいき。つぎに櫛角別くしつのわけの王は、茨田の下の連らが祖なり。つぎに大碓おおうすの命は守の君、太田の君、島田の君が祖なり。つぎに神櫛かむくしの王は、木の国の酒部の阿比古、宇陀の酒部が祖なり。つぎに豊国別とよくにわけの王は、日向の国の造が祖なり。
 ここに天皇、三野みのの国の造の祖、大根おおねの王(八)が女、名は兄比売えひめ弟比売おとひめ二嬢子ふたおとめ、それ容姿麗美かおよしときこしめし定めて、その御子大碓おおうすの命を遣わして、しあげたまいき。かれその遣わさえたる大碓の命、召し上げずて、すなわちおのれみずからその二嬢子にいて、さらにあだおみなぎて、その嬢子おとめといつわり名づけてたてまつりき。ここに天皇すめらみことそれあだおみななることを知らしめして、つねに長眼を経しめ(九)、またいもせずて、たしなめたまいき。かれその大碓おおうすの命、兄比売えひめいて生みませる子、押黒おしくろの兄日子の王。こは三野の宇泥須和気が祖なり。また弟比売にいて生みませる子、押黒の弟日子の王。こは牟宜都の君らが祖なり。この御世に田部を定め、またあずまあわ水門みなと(一〇)を定め、またかしわで大伴部おおともべを定め、またやまと屯家みやけ(一一)を定めたまい、また坂手さかての池(一二)を作りて、すなわちそのつつみに竹をえしめたまいき。

  •  (一)景行天皇。
  •  (二)奈良県磯城郡。
  •  (三)ヤマトタケルの命。『日本書紀』に、父の天皇が皇子の誕生にあたって、石臼いしうすの上で踊ってよろこんだから大碓の命、小碓の命というとある。
  •  (四)成務天皇。
  •  (五)皇子の曾孫ひまごの子だから、天皇の孫の孫の子にあたり、それを妃としたというのは時間的に不可能である。ある氏の伝えをそのまま取り入れたものだろう。
  •  (六)後世のように皇太子を立てることはなかったが、有力な后妃こうひの生んだ皇子がつぎに帝位に昇るべき方として予想されたのである。ヒツギのミコは、継嗣けいしの皇子の義。
  •  (七)いずれも古代の地方官で、世襲である。
  •  (八)開化天皇の孫。
  •  (九)長く見て居させる。待ちぼうけさせる。
  • (一〇)神奈川県から千葉県安房郡にわたる水路。
  • (一一)大和の国の租税収納所。
  • (一二)奈良県磯城郡。

   倭建やまとたけるみことの西征〕


 天皇、小碓おうすの命にりたまわく、なにとかもみましいろせあしたゆうべ大御食おおみけにまい出来でこざる。もはらみましねぎ(一)教えさとせ」とりたまいき。かくりたまいて後、五日にいたるまでに、なおまいでず。ここに天皇すめらみこと、小碓の命に問いたまわく、なにみましいろせ、久しくまい出来ざる。もし、いまだおしえずありや」と問いたまいしかば、答えてもうさく、「すでにねぎつ」ともうしたまいき。また「いかにか、ねぎつる(二)」とりたまいしかば、答えてもうさく、朝署あさけ(三)かわやに入りしとき、待ち捕らえつかみひしぎて、その枝(四)を引ききて、こもにつつみて投げてつ」ともうしたまいき。
 ここに天皇すめらみこと、その御子のたけあらこころをかしこみて、りたまいしく、「西の方に熊曽建くまそたける二人(五)あり。これまつろわず、礼旡いやなき人どもなり。かれその人どもを取れ」とのりたまいて遣わしたまいき。この時にあたりて、その御髪みかみぬかに結わせり(六)。ここに小碓おうすの命、そのみおば倭比売やまとひめの命(七)御衣御裳をたまわり、たち御懐ふところれていでましき。かれ熊曽建くまそたけるが家にいたりて見たまえば、その家のあたりに、いくさ三重にかこみ、むろを作りていたり。ここに御室楽みむろうたげ(八)せんといいとよみて、おし物をけそなえたり。かれそのあたりを遊行あるきて、そのうたげする日を待ちたまいき。ここにそのうたげの日になりて、童女おとめの髪のごとそのわせる髪をけずり垂れ、そのみおば御衣御裳して、すでに童女の姿になりて、女人おみなの中にまじり立ちて、その室内むろぬちに入ります。ここに熊曽建くまそたける兄弟二人、その嬢子おとめを見でて、おのがうちにせて、盛んにうたげつ。かれ、そのたけなわなるときになりて、御懐ふところよりたちだし、熊曽くまそが衣のくび(九)を取りて、たちもちてその胸よりし通したまうときに、そのおとたける見かしこみて逃げでき。すなわちそのむろはし(一〇)の元に追いいたりて、背の皮を取り、たちを尻よりし通したまいき。ここにその熊曽建くまそたける白してもうさく、「その刀をな動かしたまいそ。やつこもうすべきことあり」ともうす。ここにしましゆるして押しせつ。ここに白してもうさく、みことたれそ」ともうししかば、纏向まきむく日代ひしろの宮にましまして、大八島国おおやしまぐにらしめす、大帯日子淤斯呂和気おおたらしの天皇の御子、名は倭男具那やまとおぐなみこなり。おれ〔おのれ〕熊曽建くまそたける二人、まつろわず、いやなしと聞こしめして、おれを取りれとりたまいて遣わせり」とのりたまいき。ここにその熊曽建くまそたけるもうさく、「まことにしからん。西の方に二人をきては、たけこわき人なし。しかれども大倭おおやまとの国に、二人にましてたけき男はいましけり。ここをもちて御名みなをたてまつらん。今よ後(一一)倭建やまとたけるの御子(一二)となえもうさん」ともうしき。このこともうえつれば、すなわち熟Fほぞちのごと(一三)、振りきて殺したまいき。かれその時より御名みなをとなえて、倭建やまとたけるみことともうす。しかありてかえりのぼりますときに、山の神・河の神また穴戸あなどの神(一四)をみな言向ことむやわ(一五)してまいのぼりたまいき。

  •  (一)なだめう。
  •  (二)どんなふうに、なだめうたのか。
  •  (三)朝早く。
  •  (四)手足。
  •  (五)クマソは地名で、クマの地(熊本県)とソの地(鹿児島県)とをあわせ称する。タケルは勇者の義。物語では兄弟二人となっている。
  •  (六)男子少年の風俗。
  •  (七)父の妹にあたる。
  •  (八)新築を祝う酒宴しゅえん
  •  (九)衣服のえり
  • (一〇)庭上におりる階段。
  • (一一)今から後。ヨは助詞。ユ、ヨリに同じ。
  • (一二)『日本書紀』には、「日本武の尊」と書く。
  • (一三)熟したうりのように。
  • (一四)海峡の神。
  • (一五)平定し、おだやかにして。

   出雲建いずもたける


 すなわち出雲の国に入りまして(一)、その出雲いずもの国のたけるらんとおもおして、いたりまして、すなわち結交うるわしみしたまいき。かれみそか〔ひそか〕赤梼いちいのきもちて、詐刀こだち(二)を作りて、御佩みはかしとして、ともにかわかわあみしき。ここに倭建やまとたけるみこと、河よりまずがりまして、出雲建いずもたけるき置ける横刀たちを取りかして、易刀たちかえせん」とりたまいき。かれ後に出雲建いずもたける河よりあがりて、倭建やまとたけるみこと詐刀こだちきき。ここに倭建やまとたけるみこと「いざたちわせん」とあとらえたまう。かれ、おのもおのもその刀を抜くときに、出雲建いずもたける詐刀こだちをえかず、すなわち倭建やまとたけるみこと、その刀をきて、出雲建いずもたけるを打ち殺したまいき。ここに御歌みうたよみしたまいしく、

やつめさす(三) 出雲建いずもたけるけるたち
黒葛つづらさわ(四)なしにあわれ(五)
〔歌謡番号二四〕

 かれ、かくはらおさめて、まいのぼりて、覆奏かえりごともうしたまいき。

  •  (一)この物語は『日本書紀』には出雲いずもの振根ふるねがその弟、飯入根いいいりねを殺した話になっている。
  •  (二)にせの刀。木刀。
  •  (三)枕詞。「八雲立つ」の転訛。『日本書紀』にはヤクモタツになっている。
  •  (四)つかさやに植物のツルをたくさんいてある。
  •  (五)刀身がないことだ。アハレは感動を表示している。

   倭建やまとたけるみことの東征〕


 ここに天皇すめらみこと、またきて倭建やまとたけるみことに、「東の方十二道とおまりふたみち(一)の荒ぶる神、またまつろわぬ人どもを、言向ことむやわせ」とりたまいて、吉備きびおみらが祖、名は御�K友耳建日子すきともみみたけをたぐえて遣わすときに、比比羅木八尋矛やひろぼこ(二)たまいき。かれ命を受けたまわりて、まかりでますときに、伊勢の大御神おおみかみみやにまいりて、神の朝廷みかど(三)おろがみたまいき。すなわちそのみおばやまと比売のみこともうしたまいしくは、天皇すめらみことすでにを死ねと思おせか、なんぞ、西の方のあらぶる人どもをりに遣わして、返りまいのぼり来しほど、幾時いくだもあらねば、軍衆いくさびとどもをもたまわずて、今さらに東の方の十二道とおまりふたみちあらぶる人どもをことむけに遣わす。これによりて思えば、なおをすでに死ねと思おしめすなり」ともうして、わずらえ泣きてまかりたまうときに、倭比売の命、草薙くさなぎたちをたまい、また御袋みふくろをたまいて、「もしとみのことあらば、このふくろの口をきたまえ」とりたまいき。
 かれ尾張の国にいたりまして、尾張の国の造が祖、美夜受比売の家に入りたまいき。すなわちわんと思おししかども、またかえりのぼりなんときにわんと思おして、ちぎりさだめて、東の国にでまして、山河の荒ぶる神またはまつろわぬ人どもを、ことごとにことむやわしたまいき。かれここに相武さがむの国(四)にいたりますときに、その国の造、いつわりてもうさく、「この野の中に大きなる沼あり。この沼の中に住める神、いとちはやぶる神(五)なり」ともうしき。ここにその神をそなわしに、その野に入りましき。ここにその国の造、その野に火つけたり。かれあざむかえんと知らしめして、そのみおば倭比売の命のたまえるふくろの口をき開けて見たまえば、そのうちに火打あり。ここにまずその御刀みはかしもちて、草をりはらい、その火打もちて火を打ち出で、向火むかえびをつけて(六)焼き退けて、かえり出でまして、その国の造どもをみな切りころし、すなわち火つけて焼きたまいき。かれ今に焼遣やきづ(七)という。
 そこより入りでまして、走水はしりみずの海(八)を渡りますときに、そのわたりの神、なみをたてて御船をもとおして、え進みわたりまさざりき。ここにそのきさき名は弟橘おとたちばな比売の命(九)もうしたまわく、あれ、御子にかわりて海に入らん。御子は遣わさえしまつりごととげて、覆奏かえりごともうしたまわね」ともうして海に入らんとするときに、菅畳すがだたみ八重やえ皮畳かわだたみ八重やえサ畳きぬだたみ八重やえを波の上に敷きて(一〇)、その上に下りましき(一一)。ここにそのあらなみおのずからぎて、御船え進みき。ここにそのきさきの歌よみしたまいしく、

さねさし(一二) 相模さがむ小野おの
燃ゆる火の 中に立ちて、
問いし君はも。〔歌謡番号二五〕

 かれ七日なぬかの後に、そのきさき御櫛みぐし海辺うみべたによりき。すなわちそのくしを取りて、御陵みはかを作りておさめ置きき(一三)
 そこより入りでまして、ことごとに荒ぶる蝦夷えみしども(一四)言向ことむけ、また山河の荒ぶる神どもをことむやわして、かえりのぼりいでますときに、足柄あしがらの坂もとにいたりまして、御かれいこしすところに、その坂の神、白き鹿になりて来立ちき。ここにすなわちそののこりのひるの片端もちて、待ち打ちたまえば、その目にあたりて打ち殺しつ。かれその坂に登り立ちて、三たびなげかしてりたまいしく、吾嬬あづまはや」とりたまいき。かれその国に名づけて阿豆麻というなり。
 すなわちその国より越えて、甲斐に出でて、酒折さかおり(一五)の宮にましますときに歌よみしたまいしく、

新治にいばり 筑波つくは(一六)をすぎて、幾夜か宿つる。
〔歌謡番号二六〕

 ここにその御火焼みひたき老人おきな御歌みうたぎて歌よみしていしく、

かがなべて(一七) 夜には九夜ここのよ 日には十日を。
〔歌謡番号二七〕

と歌いき。ここをもちてその老人をほめて、すなわちあずまくにみやつこ(一八)たまいき。
 その国より科野しなのの国(一九)に越えまして、科野しなのの坂(二〇)の神を言向ことむけて、尾張の国にかえり来まして、先の日にちぎりおかしし美夜受比売のもとに入りましき。ここに大御食おおみけたてまつるときに、その美夜受比売、大御酒盞さかずきをささげてたてまつりき。ここに美夜受比売、そのおすい(二一)すそ月経さわりのものきたり。かれその月経を見そなわして、御歌みうたよみしたまいしく、

ひさかたの(二二) あめ香山かぐやま
利鎌とかま(二三)に さわたくび(二四)
弱細ひわぼそ(二五) 手弱たわやかいな
かんとは あれはすれど、
んとは あれおもえど、
せる おすいすそ
月立ちにけり。〔歌謡番号二八〕

 ここに美夜受比売、御歌みうたに答えて歌よみしていしく、

高光る 日の御子
やすみしし わが大君(二六)
あら玉の(二七) 年が来経きふれば、
あら玉の 月は来経往く。
うべなうべな(二八) 君待ちがたに(二九)
わがせる おすいすそ
月立たなんよ(三十)〔歌謡番号二九〕

 かれここに御合みあいしたまいて、その御刀みはかし草薙くさなぎたちを、その美夜受比売のもとに置きて、伊服岐の山(三一)の神を取りにでましき。

  •  (一)九四ページ「崇神天皇」の「将軍の派遣」脚注参照。
  •  (二)ヒイラギの木のの長いほこ。ヒイラギは葉の縁にトゲがあり、魔物に対して威力があるとされる。
  •  (三)神が諸事をとりおこなわれるところの意。
  •  (四)相模の国に同じ。神奈川県の一部。
  •  (五)暴威をふるう神。
  •  (六)こちらから火をつけて向こうへ焼く。野火にあったときには、手元からも火をつけて先に野を焼いてしまって難をまぬがれる方法である。
  •  (七)焼津やいづとする伝えもある。静岡県の焼津町がその伝説地であるが、相武の国のこととしているので問題が残る。
  •  (八)浦賀水道から千葉県に渡ろうとした。
  •  (九)『日本書紀』に穂積氏ほづみしの女とする。
  • (一〇)波の上に多くの敷物しきものをしいて。
  • (一一)海上で風波の難にあうのは、その海の神が船中の人または物のたぐいを欲するからで、その神の欲するものを海に入れれば風波がしずまるとする思想がある。そこで姫が皇子にかわって海に入って風波をしずめたのである。
  • (一二)枕詞。みねが立っている義だろうとする。峰は静岡県とすれば富士山、神奈川県とすれば大山である。
  • (一三)所在不明。浦賀市走水に走水神社があって、倭建の命と弟橘姫とをまつる。
  • (一四)アイヌ族をいう。
  • (一五)山梨県西山梨郡。
  • (一六)ともに茨城県の地名。
  • (一七)日をならべて。
  • (一八)東方の国の長官。実際上はそのような広大な土地の国の造を置かない。
  • (一九)信濃の国。今の長野県。
  • (二〇)長野県の伊那いなから岐阜県の恵那えなに通ずる山路。木曽路は奈良時代になって開通された。
  • (二一)四四ページ「大国主の神」の「八千矛の神の歌物語」脚注参照。
  • (二二)枕詞。語義不明。日のさす方か。
  • (二三)鵠のわたる線の形容か。
  • (二四)クビは、クグヒに同じ。コヒ、コフともいう。白鳥。ただしくいの義とする説もある。以上、たわや腕の比喩。
  • (二五)よわよわとして細い。修飾句。
  • (二六)以上、天皇または皇子をたたえる。光かがやく太陽のような御子、天下を知ろしめすわが大君。ヤスミシシ、語義不明。
  • (二七)枕詞。みがかない玉の意。ト(ぐ)に冠する。月に冠するのは転用。
  • (二八)ほんとにと、うなずく意の語。底本にウベナウベナウベナとする。
  • (二九)カタニは、不能の意の助動詞。『万葉集』に多くカテニの形をとり、ここはその原形。
  • (三十)当然そうなるだろうの語意とみられる。この語形は普通、願望の意を表示するに使用されるのに、ここに願望になっていないのは特例とされる。ヨは間投の助詞。
  • (三一)滋賀県と岐阜県との堺にある高山。

   思国歌くにしのひうた


 ここにりたまいしく、「この山の神は徒手むなでただに取りてん(一)」とのりたまいて、その山にのぼりたまうときに、山の白猪しろいえり。その大きさ牛のごとくなり。ここに言挙ことあげして(二)りたまいしく、「この白猪しろいになれるは、その神の使者つかいにあらん。今らずとも、かえらんときにりてかえりなん」とのりたまいてのぼりたまいき。ここに大氷雨おおひさめらして、倭建やまとたけるみことを打ちまどわしまつりき。〈この白猪にかれるは、その神の使者にはあらずて、その神の正身ただみなりしを、言挙ことあげしたまえるによりてまどわさえつるなり。かれかえり下りまして、玉倉部たまくらべ清泉しみず(三)にいたりて、いこいますときに、御心みこころややめたまいき。かれその清泉しみずに名づけて居寤いさめ清泉しみずという。
 そこよりたして、当芸たぎ(四)の上にいたりますときにりたまわくは、「わが心、つねはそらかけり行かんとおもいつるを(五)、今わが足え歩かず、たぎたぎしく(六)なりぬ」とのりたまいき。かれ其地そこに名づけて当芸たぎという。其地そこよりややすこしでますに、いたく疲れませるによりて、御杖みつえかして、ややにあゆみたまいき。かれ其地そこに名づけて杖衝坂つえつきざか(七)という。尾津のさき(八)の一つ松のもとにいたりまししに、先に、御食みおしせしとき、其地そこに忘らしたりし御刀みはかしせずてなおありけり。ここに御歌みうたよみしたまいしく、

尾張に ただに向かえる(九)
尾津の埼なる 一つ松、吾兄あせ(一〇)
一つ松 人にありせば、
大刀けましを きぬ着せましを。
一つ松、吾兄あせを。〔歌謡番号三〇〕

 其地そこよりでまして、三重の村(一一)にいたりますときに、またりたまわく、「わが足三重のまがり(一二)なして、いたく疲れたり」とのりたまいき。かれ其地そこに名づけて三重という。
 そこよりでまして、能煩野(一三)にいたりますときに、国しのはして歌よみしたまいしく、

やまとは 国のまほろば(一四)
たたなずく 青垣(一五)
ごもれる やまとうるわし。〔歌謡番号三一〕

 また、歌よみしたまいしく、

命の またけん人は、
畳薦たたみこも(一六) 平群へぐりの山(一七)
くま白梼が葉を
髻華うず(一八)。その子。〔歌謡番号三二〕

 この歌は思国歌くにしのひうた(一九)なり。また歌よみしたまいしく、

はしけやし(二〇) 吾家わぎえの方よ(二一) 雲居起ち来も。
〔歌謡番号三三〕

 こは片歌かたうた(二二)なり。このとき御病いとにわかになりぬ。ここに御歌みうたよみしたまいしく、

嬢子おとめとこ
わが置きし つるぎの大刀(二三)
その大刀はや。〔歌謡番号三四〕

 と歌いえて、すなわちかむあがりたまいき。ここに駅使はゆまづかいをたてまつりき。

  •  (一)退治しよう。
  •  (二)言い立てをして。
  •  (三)滋賀県坂田郡のさめはその伝説地。
  •  (四)岐阜県養老郡。
  •  (五)空中を飛んで行こうと思ったが。
  •  (六)びっこを引く形容。高かったり低かったりするさま。
  •  (七)三重県三重郡。
  •  (八)三重県桑名郡。サキは、海上・陸上にかぎらず、突き出した地形をいう。ここは陸上。
  •  (九)じかに対している。
  • (一〇)「あなたよ」という意の語で、歌詞を歌うときのはやしである。『日本書紀』には、アハレになっている。
  • (一一)三重県三重郡。
  • (一二)餅米をこねて、ねじまげて作った餅。
  • (一三)三重県鈴鹿郡。
  • (一四)もっともすぐれたところ。マは接頭語。ロバは接尾語。『日本書紀』にマホラマ。
  • (一五)かさなりあっている青い垣。山のこと。
  • (一六)枕詞。敷物しきものにしたコモ(草の名)。ヘ(隔)に冠する。
  • (一七)奈良県生駒郡。
  • (一八)美しい白梼かしの木の葉を頭髪にさせ。ウズは髪にさす飾り。もと魔よけの信仰のためにさすもの。
  • (一九)歌曲としての名。
  • (二〇)愛すべき。愛しきに、助詞ヤシの接続したもの。ハシキヨシ、ハシキヤシともいう。
  • (二一)わが家の方から。
  • (二二)五音七音七音の三句の歌の称。以上三首、『日本書紀』に景行天皇の御歌みうたとする。
  • (二三)普通、ツルギは両刃、タチは片刃の武器をいうが、厳密な区別ではない。

   〔白鳥のみはか


 ここにやまとにますきさきたち、また御子たちもろもろ下りきまして、御陵みはか(一)を作りき。すなわち其地そこのなずき(二)匍匐はらばもとおりて、みねなかしつつ歌よみしたまいしく、

なずきの 田の稲幹いながらに、
稲幹いながらいもとおろう z葛ところずら(三)
〔歌謡番号三五〕

 ここに八尋白智鳥しろちどり(四)になりて、天翔あまがけりて、浜に向きて飛びいでます。ここにそのきさきたち御子たち、その小竹しの刈杙かりばね(五)に、足切り破るれども、その痛みをも忘れて、きつつ追いいでましき。このとき、歌よみしたまいしく、

浅小竹原あさじのはら こしなずむ(六)
虚空そらは行かず、足よ行くな(七)〔歌謡番号三六〕

 またその海水うしおに入りて、なずみでますとき、歌よみしたまいしく、

海が行けば 腰なずむ。
大河原の 植草うえぐさ
海がは いさよう(八)〔歌謡番号三七〕

 また、飛びてその磯にいたまうとき、歌よみしたまいしく、

浜つ千鳥ちどり 浜よ行かず(九) 磯つたう。
〔歌謡番号三八〕

 この四歌は、みなその御葬みはふりに歌いき。かれ今にいたるまで、その歌は天皇の大御葬おおみはふりに歌うなり。かれその国より飛びかけり行でまして、河内の国の志幾しき(一〇)に留まりたまいき。かれ其地そこに御陵を作りて、しずまりまさしめき。すなわちその御陵に名づけて白鳥の御陵という。しかれどもまた其地そこよりさらに天翔あまがけりて飛び行でましき。およそこの倭建やまとたけるみこと、国けにめぐりでまししとき、久米くめあたえが祖、名は七拳脛つかはぎ、つねに膳夫かしわとして御伴おとも仕えまつりき。

  •  (一)能褒野の御陵。
  •  (二)御陵の周囲の田。
  •  (三)ヤマノイモ科のツルクサのつる。比喩で、いまつわるさまを描く。
  •  (四)大きな白鳥。倭建の命の神霊が化したものとする。
  •  (五)小竹の刈ったあと。
  •  (六)腰が難渋する。
  •  (七)徒歩で行くよ。ナは感動の助詞。
  •  (八)ためらう。
  •  (九)浜からは行かないで。
  • (一〇)大阪府南河内郡。

   倭建やまとたけるみことの系譜〕


 この倭建の命、伊玖米いくめの天皇〔垂仁天皇〕(一)が女、布多遅伊理毘売の命にいて生みませる御子みこ帯中津日子たらしなかの命〔仲哀天皇〕(二)〈一柱〉。またその海に入りましし弟橘おとたちばな比売の命(三)いて生みませる御子、若建わかたけるの王〈一柱〉。またちか淡海おうみやすの国の造の祖、意富多牟和気が女、布多遅比売にいて生みませる御子、稲依別いなよりわけの王〈一柱〉。また吉備きびの臣建日子たけが妹、大吉備おおたけ比売にいて生みませる御子、建貝児たけかいこの王〈一柱〉。また山代の玖玖麻毛理比売にいて生みませる御子、足鏡別あしかがみわけの王〈一柱〉。またあるみめみこ息長田別おきながわけの王。およそこの倭建やまとたけるみことの御子たち、あわせて六柱。かれ帯中津日子たらしなかの命は、天の下らしめしき。つぎに稲依別の王は、犬上の君、建部の君らが祖なり。つぎに建貝児の王は、讃岐のあやの君、伊勢の別、登袁の別、麻佐のおびと、宮のおびとの別らが祖なり。足鏡別の王は鎌倉の別、小津の石代の別、漁田すなきだの別が祖なり。つぎに息長田別おきながたわけの王のみこ杙俣長日子くいまたながの王。この王の子、飯野いいの真黒まぐろ比売の命、つぎに息長真若中おきながまわかなかつ比売、つぎに弟比売おとひめ〈三柱〉。かれ上にいえる若建の王、飯野の真黒比売にいて生みませる子、須売伊呂大中おおなか日子ひこの王。この王、淡海おうみ柴野入杵しばのいりきが女、柴野比売にいて生みませる子、迦具漏比売の命。かれ大帯日子おおたらしひこの天皇〔景行天皇〕、この迦具漏比売の命にいて生みませる子、大江おおえの王〈一柱〉。この王、庶妹ままいもしろがねの王にいて生みませる子、大名方おおながたの王、つぎに大中おおなかつ比売の命〈二柱〉。かれこの大中おおなかつ比売の命は、香坂かごさかの王、忍熊おしくまの王の御祖みおやなり。
 この大帯日子おおたらしひこの天皇の御年、一百ももちまり三十七歳みそななつ、御陵は山のの道の上(四)にあり。

  •  (一)垂仁天皇。
  •  (二)仲哀天皇。
  •  (三)このこと、一一一ページ「景行天皇・成務天皇」の「倭建の命の東征」に出ている。
  •  (四)奈良県磯城郡。

   〔成務天皇〕


 若帯日子わかたらしひこの天皇〔成務天皇〕(一)、近つ淡海おうみ志賀しがの高穴の宮(二)にましまして、天の下らしめしき。この天皇、穂積ほづみの臣らの祖、建忍山垂根たけおしやまたりねが女、名は弟財おとたから郎女いらつめいて生みませる御子和訶奴気の王。かれ建内たけしうちの宿祢を大臣おおおみ(三)として、大国小国(四)の国のみやつこを定めたまい、また国々の堺、また大あがた小県(五)県主あがたぬしを定めたまいき。
 天皇、御年九十ここのそじ五歳まりいつつ乙卯きのとうの年三月十五日、かむあがりたまいき。御陵は、沙紀さき多他那美(六)にあり。

  •  (一)成務天皇。
  •  (二)滋賀県滋賀郡。
  •  (三)宮廷の臣中の最高の位置。この後、建内の宿祢の子孫がこれに任ぜられた。
  •  (四)諸国の意。
  •  (五)クニよりはアガタの方が小さい。
  •  (六)奈良県生駒郡。

  〔六、仲哀天皇〕

   后妃こうひと皇子女〕


 帯中たらしなか日子ひこの天皇〔仲哀天皇〕(一)穴門あなと豊浦とよらの宮(二)また筑紫つくし訶志比の宮(三)にましまして、天の下らしめしき。この天皇、大江おおえの王が女、大中津おおなかつ比売の命にいて生みませる御子、香坂かごさかの王、忍熊おしくまの王〈二柱〉。また息長帯おきながたらし比売の命〔神功皇后〕(四)いたまいき。この太后おおきさきの生みませる御子、品夜和気ほむの命、つぎに大鞆和気おおともの命、またの名は品陀和気ほむの命〔応神天皇〕〈二柱〉。この太子ひつぎのみこ御名みな大鞆和気おおともの命と負わせる所以ゆえは、はじめれまししときに、とも(五)なすしし御腕みただむきいき。かれその御名みなにつけまつりき。ここをもちて腹ぬちにましまして国らしめしき。この御世に、淡道あわじ屯家みやけを定めたまいき。

  •  (一)仲哀天皇。
  •  (二)山口県豊浦郡。
  •  (三)福岡県糟屋郡香椎町。
  •  (四)神功皇后。開化天皇の系統。九〇ページ「綏靖天皇以後八代」の「開化天皇」参照。母系の系譜は一三九ページ「応神天皇」の「天の日矛」にある。
  •  (五)獣皮で球形に作り、左の手につける。

   〔神功皇后〕


 その太后おおきさき息長帯日売おきながたらしひめみこと〔神功皇后〕は、当時そのかみ(一)したまいき。かれ天皇、筑紫の訶志比の宮にましまして熊曽の国を撃たんとしたまうときに、天皇御琴ことかして、建内たけしうちの宿祢の大臣沙庭さにわ(二)にいて、神の命をいまつりき。ここに太后おおきさき、神せして、言教えさとりたまいつらくは、「西の方に国あり。くがねしろがねをはじめて、目耀まかがや種々くさぐさ珍宝うづたからその国にさわなるを、あれ今その国をせたまわん」とりたまいつ。ここに天皇、答えもうしたまわく、「高きところに登りて西の方を見れば、国は見えず、ただ大海のみあり」ともうして、いつわりせす神と思おして、御琴みことを押し退けて、きたまわず、もだいましき。ここにその神いたく忿いかりてりたまわく、「およそこの天の下は、いましの知らすべき国にあらず、いまし一道ひとみち〔一説に、死出の道。冥土めいどに向かいたまえ(三)」とりたまいき。ここに建内たけしうちの宿祢の大臣もうさく、かしこし、わが天皇おおきみ。なおその大御琴おおみことあそばせ」ともうす。ここにややにその御琴みことを取りよせて、なまなまにきいます。かれ、幾時いくだもあらずて、御琴みこと聞こえずなりぬ。すなわち火をあげて見まつれば、すでにかむあがりたまいつ。
 ここに驚きかしこみて、あらきの宮(四)にませまつりて、さらに国の大幣おおぬさをとりて(五)生剥いきはぎ逆剥さかはぎ阿離あはなち溝埋みぞうみ屎戸くそへ上通下通婚おやこたわけ馬婚うまたわけ牛婚うしたわけ鶏婚とりたわけ犬婚いぬたわけの罪の類を種々くさぐさ(六)ぎて、国の大祓おおはらえ(七)して、また建内たけしうちの宿祢沙庭さにわにいて、神のみこといまつりき。ここに教えさとしたまうさま、つぶさにさきの日のごとくありて、「およそこの国は、汝命いましみことの御腹にます御子の知らさん国なり」とのりたまいき。
 ここに建内たけしうちの宿祢もうさく、かしこし、わが大神、その神の御腹にます御子は何の御子ぞも」ともうせば、答えてりたまわく、男子おのこなり」とりたまいき。ここにつぶさにいまつらく、「今かく言教えたまう大神は、その御名みなを知らまくほし」ともうししかば、答えりたまわく、「こは天照あまてらす大神の御心なり。また底筒そこつつ中筒なかつつ上筒うわつつ三柱の大神(八)なり。〈このときに、その三柱の大神の御名みなあらわしたまえり。今まことにその国を求めんと思おさば、あまかみくにかみ、また山の神・海河の神たちまでにことごとに幣帛ぬさたてまつり、わが御魂を御船の上にませて、真木まきの灰をひさごに納(九)れ、またはし葉盤ひらで(一〇)とをさわに作りて、皆々みなみな大海にらし浮けて、わたりますべし」とのりたまいき。
 かれつぶさに教えさとしたまえるごとくに、いくさを整え、船めて、わたりいでますときに、海原の魚ども、大きも小さきも、ことごとに御船を負いて渡りき。ここに順風おいかぜいたくおこり、御船なみのまにまにゆきつ。かれその御船の波、新羅しらぎの国(一一)に押しあがりて、すでに国なからまでいたりき。ここにその国主こにきし(一二)かしこみてもうしてもうさく、「今よ後、天皇おおきみの命のまにまに、御馬甘かいとして、年のに船めて船腹さず、さおかじさず、天地のむた、退しぞきなく仕えまつらん」ともうしき。かれここをもちて、新羅しらぎの国をば、御馬甘みまかいと定めたまい、百済くだらの国(一三)をば、わた屯家みやけ(一四)と定めたまいき。ここにその御杖を新羅しらぎ国主こにきしかなとき立てたまい、すなわち墨江すみのえの大神の荒御魂あらみたま(一五)を、国守くにまもります神とまつりしずめてかえり渡りたまいき。

  •  (一)神霊をよせて教えを受けること。
  •  (二)祭の場。
  •  (三)ひたすらに一つの方向に進め。
  •  (四)葬らない前に祭をおこなう宮殿。
  •  (五)けがれができたので、それをきよめるために、その料として筑紫の一国から品物を取り立てる。その産物などである。
  •  (六)けがれを生じたのは、種々の罪が犯されたからであるから、まずその罪の類を求め出す。屎戸までは、岩戸の物語(三二ページ「天照らす大神と須佐の男の命」の「天の岩戸」)に出た。生剥・逆剥は、馬の皮をむく罪。屎戸は、きたないものを清浄なるべきところに散らす罪。上通下通婚おやこたわけ以下は、不倫の婚姻行為。
  •  (七)一国をあげての罪穢つみけがれをはらう行事をして。
  •  (八)住吉神社の祭神。二七ページ「伊耶那岐の命と伊耶那美の命」の「身禊」参照。
  •  (九)木を焼いて作った灰を、ヒサゴ(ツルクサの実、ユウガオ、ヒョウタンの類)に入れて。これは魔よけのためと解せられる。
  • (一〇)木の葉の皿。これは食物を与える意。
  • (一一)当時、朝鮮半島の東部を占めていた国。
  • (一二)朝鮮語で王、または貴人をいう。コニキシともコキシともいう。
  • (一三)当時、朝鮮半島の南部を占めていた国。
  • (一四)渡海の役所。
  • (一五)神霊の荒い方面。

   〔鎮懐石と釣り魚〕


 かれそのまつりごと、いまだえざるほどにはらませるが、れまさんとしつ。すなわち御腹をいわいたまわんとして、石を取らして、御裳みもの腰にかして、筑紫つくしの国に渡りましてぞ、その御子はれましつる。かれその御子のれましし地に名づけて、宇美(一)という。またその御裳みもかしし石は、筑紫の国の伊斗いとの村(二)にあり。
 また筑紫の末羅県まつらがたの玉島の里(三)にいたりまして、その河のほとりに御食みおししたまうときに、四月うづき上旬はじめのころなりしを、ここにその河中の磯にいまして、御裳みもの糸をぬきとり、飯粒いいぼにして、その河の年魚あゆを釣りたまいき。〈その河の名を小河という。またその磯の名を勝門比売という。かれ四月の上旬のとき、女どもの糸をぬき、飯粒をにして、年魚あゆること今にいたるまでえず。

  •  (一)福岡県糟屋郡。
  •  (二)同、糸島郡いとしまぐん『万葉集』巻の五に、この石をんだ歌がある。
  •  (三)佐賀県東松浦郡の玉島川。

   香坂かごさかの王と忍熊おしくまの王〕


 ここに息長帯日売おきながたらしひめみこと〔神功皇后〕やまとかえりのぼりますときに人の心うたがわしきによりて、喪船もふねを一つそなえて、御子をその喪船に載せまつりて、まず「御子はすでにかむあがりましぬ」と言いらさしめたまいき。かくしてのぼりいでまししときに、香坂かごさかの王・忍熊おしくまの王聞きて、待ち取らんと思おして、斗賀野(一)に進み出でて、祈狩うけいがり(二)したまいき。ここに香坂かごさかの王、歴木くぬぎにのぼりいまして見たまうに、大きなる怒り出でて、その歴木くぬぎを掘りて、すなわちその香坂かごさかの王をみつ。その弟忍熊おしくまの王、そのしわざをかしこまずして、軍をおこし、待ちかうるときに、喪船にむかいてむなふねを攻めたまわんとす。ここにその喪船よりいくさを下して戦いき。
 そのとき忍熊おしくまの王は、難波なにわ吉師部が祖、伊佐比の宿祢を将軍いくさのきみとし、太子ひつぎのみこ御方おかたには、丸邇わにの臣が祖、難波根子建振熊なにたけふるくまの命を、将軍としたまいき。かれ追い退けて山代やましろ(三)にいたりしときに、かえり立ちておのもおのも退かずてあい戦いき。ここに建振熊たけふるくまみことたばかりて、「息長帯日売の命は、すでにかむあがりましぬ。かれ、さらに戦うべくもあらず」といわしめて、すなわち弓弦づらちて、いつわりて帰服まつろいぬ。ここにその将軍いくさのきみすでにいつわりをけて、弓をはずし、つわものをおさめつ。ここに頂髪たぎふさ(四)の中よりけのゆづる(五)り出でさらにりて追い撃つ。かれ逢坂おうさか(六)に逃げ退きて、き立ちてまた戦う。ここに追いめ敗りて、沙沙那美(七)に出でて、ことごとにそのいくさりつ。ここにその忍熊おしくまの王、伊佐比の宿祢とともに追いめらえて、船に乗り、海(八)に浮きて、歌よみしていしく、

いざ吾君あぎ(九)
振熊ふるくまが 痛手わずは、
鳰鳥におどり(一〇)の 淡海の海(一一)
かずきせなわ(一二)〔歌謡番号三九〕

と歌いて、すなわち海に入りて共ににき。

  •  (一)兵庫県武庫郡むこぐん
  •  (二)神にちかって狩りをして、これによって神意をうかがう。ここでは凶兆であった。
  •  (三)山城に同じ。
  •  (四)頭上にてつかねた髪。
  •  (五)用意の弓弦。
  •  (六)京都府と滋賀県との境の山。
  •  (七)琵琶湖の南方の地。
  •  (八)琵琶湖。
  •  (九)さあ、あなた。
  • (一〇)カイツブリ。水鳥。叙述による枕詞。
  • (一一)琵琶湖。
  • (一二)水にもぐりましょう。ナは自分の希望をあらわす助詞。ワは感動の助詞。

   気比けひの大神〕


 かれ建内たけしうちの宿祢の命、その太子ひつぎのみこまつりて、御禊そぎ(一)せんとして、淡海また若狭の国を経歴めぐりたまうときに、高志みちのくち角鹿つぬが(二)に、仮宮かりみやをつくりてませまつりき。ここに其地そこにます伊奢沙和気の大神の命(三)、夜のいめに見えて、「わが名を御子の御名みなえまくほし」とのりたまいき。ここに言祷ことほぎてもうさく、かしこし、命のまにまに、えまつらん」ともうす。またその神りたまわく、明日あすあした、浜にいでますべし。易名なかえみやじり(四)たてまつらん」とのりたまう。かれそのあした浜にいでますときに、鼻やぶれたる入鹿魚、すでに一浦にれり。ここに御子、神にもうさしめたまわく、「われに御食みけたまえり」ともうしたまいき。かれまたその御名みなをたたえて御食津大神ともうす。かれ今に気比けひの大神ともうす。またその入鹿魚の鼻の血くさかりき。かれその浦に名づけて血浦という。いまは都奴賀というなり。

  •  (一)水によってけがれをはらう行事。既出。
  •  (二)越前の国の敦賀市つるがし
  •  (三)同市、気比神宮じんぐうの祭神。
  •  (四)名をとりかえたしるしの贈り物。

   酒楽さかくらの歌曲〕


 ここにかえりのぼりますときに、その御祖みおや息長帯日売の命、待酒まちざけ(一)みてたてまつりき。ここにその御祖おや御歌みうたよみしたまいしく、

この御酒みきは わが御酒ならず。
くしかみ(二) 常世とこよ(三)にいます
いわたす(四) 少名すくな御神(五)の、
神寿かむほ寿ことほくるおし
豊寿とよほ寿ことほきもとおし(六)
まつ御酒みき
さずおせ(七)。ささ(八)〔歌謡番号四〇〕

 かく歌いたまいて、大御酒おおみきたてまつりき。ここに建内たけしうちの宿祢の命、御子のために答えて歌いしていしく、

この御酒みきみけん人は、
そのつづみ(九) うすに立てて(一〇)
歌いつつ みけれかも(一一)
舞いつつ みけれかも、
この御酒の 御酒の
あやに うただの(一二)。ささ。〔歌謡番号四一〕

 こは酒楽さかくら(一三)の歌なり。
 およそこの帯中津日子たらしなかつひこの天皇〔仲哀天皇〕の御年五十いそじまり二歳ふたつ壬戌みずのえいぬの年六月十一日、かむあがりたまいき。御陵は河内の恵賀長江ながえ(一四)にあり。皇后おおぎさきは御年一百歳にしてかむあがりましき。狭城さき楯列たたなみの陵(一五)おさめまつりき。

  •  (一)人を待って飲む酒。
  •  (二)酒をつかさどる長官。原文「久志能加美」美はミの甲類の字であり、神のミは乙類であるから、酒の神とする説は誤り。
  •  (三)永久の世界。また海外。スクナビコナは海外へ渡ったという。
  •  (四)石のように立っておいでになる。
  •  (五)スクナビコナに同じ。
  •  (六)祝い言をさまざまにして。
  •  (七)盃が乾かないように続けてめしあがれ。
  •  (八)はやし詞。
  •  (九)後世のツヅミの大きいもの。太鼓。
  • (一〇)酒をかもす入れ物として。
  • (一一)酒を作ったからか。疑問の已然条件法。
  • (一二)たいへんに楽しい。
  • (一三)歌曲の名。この二首、琴歌譜きんかふ』にもある。
  • (一四)大阪府南河内郡。
  • (一五)奈良県生駒郡。

(つづく)



底本:「古事記」角川文庫、角川書店
   1956(昭和31)年5月20日初版発行
   1965(昭和40)年9月20日20版発行
底本の親本:「眞福寺本」
※底本は校注が脚註の形で配置されています。このファイルでは校註者が追加した標題ごとに、書き下し文、校注の順序で編成しました。
※(一)〜(五五)は注釈番号です。底本では、直前の文字の右横に、ルビのように漢数字のみ付いています。このファイルでは本文の漢数字との混同を避けるため(漢数字)で表しました。
〔 〕は底本の親本にはないもので、校註者が補った箇所を表します。
※頁数を引用している箇所には校註者が追加した標題を注記しました。
入力:川山隆
校正:しだひろし
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校註『古事記』(六)

稗田の阿礼、太の安万侶
武田祐吉注釈校訂

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)上《かみ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)神|蕃息《はんそく》

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(例)※[#「二点しんにょう+貌」、第3水準1-92-58]
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[#1字下げ]古事記 中つ卷[#「古事記 中つ卷」は大見出し]

[#3字下げ]〔三、崇神天皇〕[#「〔三、崇神天皇〕」は中見出し]

[#5字下げ]〔后妃と皇子女〕[#「〔后妃と皇子女〕」は小見出し]
 御眞木入日子印惠《みまきいりひこいにゑ》の命(一)、師木《しき》の水垣《みづかき》の宮(二)にましまして、天の下治らしめしき。この天皇、木の國の造、名は荒河戸辨《あらかはとべ》が女、遠津年魚目目微比賣《とほつあゆめまくはしひめ》に娶ひて、生みませる御子、豐木入日子《とよきいりひこ》の命、次に豐※[#「金+且」、第3水準1-93-12]入日賣《とよすきいりひめ》の命二柱[#「二柱」は1段階小さな文字]。また尾張《をはり》の連が祖|意富阿麻《おほあま》比賣に娶ひて、生みませる御子、大入杵《おほいりき》の命、次に八坂《やさか》の入日子《いりひこ》の命、次に沼名木《ぬなき》の入日賣の命、次に十市《とをち》の入日賣の命四柱[#「四柱」は1段階小さな文字]。また大毘古《おほびこ》の命が女、御眞津《みまつ》比賣の命に娶ひて、生みませる御子、伊玖米入日子伊沙知《いくめいりひこいさち》の命、次に伊耶《いざ》の眞若《まわか》の命、次に國片《くにかた》比賣の命、次に千千都久和《ちぢつくやまと》比賣の命、次に伊賀《いが》比賣の命、次に倭日子《やまとひこ》の命六柱[#「六柱」は1段階小さな文字]。この天皇の御子たち、并せて十二柱[#割り注]男王七、女王五なり。[#割り注終わり]かれ伊久米伊理毘古伊佐知《いくめいりびこいさち》の命は、天の下治らしめしき。次に豐木入日子《とよきいりひこ》の命は、上つ毛野、下つ毛野の君等が祖なり。妹|豐※[#「金+且」、第3水準1-93-12]《とよすき》比賣の命は伊勢の大神の宮を拜《いつ》き祭りたまひき。次に大入杵《おほいりき》の命は、能登の臣が祖なり。次に倭日子《やまとひこ》の命は、この王の時に始めて陵に人垣を立てたり(三)。

(一) 崇神天皇。
(二) 奈良縣磯城郡。
(三) 人を埋めて垣とするもの。

[#5字下げ]〔美和の大物主〕[#「〔美和の大物主〕」は小見出し]
 この天皇の御世に「役病《えやみ》多《さは》に起り、人民《おほみたから》盡きなむとしき。ここに天皇|愁歎《うれ》へたまひて、神牀《かむとこ》(一)にましましける夜に、大物主《おほものぬし》の大神《おほかみ》、御夢に顯はれてのりたまひしく、「こは我《あ》が御心なり。かれ意富多多泥古《おほたたねこ》をもちて、我が御前に祭らしめたまはば、神の氣《け》起らず(二)、國も安平《やすらか》ならむ」とのりたまひき。ここを以ちて、驛使《はゆまづかひ》(三)を四方《よも》に班《あか》ちて、意富多多泥古《おほたたねこ》といふ人を求むる時に、河内の美努《みの》の村(四)にその人を見得て、貢《たてまつ》りき。ここに天皇問ひたまはく、「汝《いまし》は誰が子ぞ」と問ひたまひき。答へて白さく「僕《あ》は大物主の大神、陶津耳《すゑつみみ》の命が女、活玉依《いくたまより》毘賣に娶ひて生みませる子、名は櫛御方《くしみかた》の命の子、飯肩巣見《いひがたすみ》の命の子、建甕槌《たけみかづち》の命の子、僕《やつこ》意富多多泥古」とまをしき。
 ここに天皇いたく歡びたまひて、詔りたまはく、「天の下平ぎ、人民《おほみたから》榮えなむ」とのりたまひて、すなはち意富多多泥古の命を、神主《かむぬし》(五)として、御諸山(六)に、意富美和《おほみわ》の大神の御前を拜《いつ》き祭りたまひき。また伊迦賀色許男《いかがしこを》の命に仰せて、天の八十平瓮《やそひらか》(七)を作り、天つ神|地《くに》つ祇《かみ》の社を定めまつりたまひき。また宇陀《うだ》の墨坂《すみさか》(八)の神に、赤色の楯矛《たてほこ》を祭り(九)、また大坂《おほさか》の神(一〇)に、墨色の楯矛を祭り、また坂《さか》の御尾《みを》の神、河《かは》の瀬《せ》の神までに、悉に遺忘《おつ》ることなく幣帛《ぬさ》まつりたまひき。これに因りて役《え》の氣《け》悉に息《や》みて、國家《みかど》安平《やすら》ぎき。
 この意富多多泥古といふ人を、神の子と知れる所以《ゆゑ》は、上にいへる活玉依《いくたまより》毘賣、それ顏好かりき。ここに壯夫《をとこ》ありて、その形姿《かたち》威儀《よそほひ》時に比《たぐひ》無きが、夜半《さよなか》の時にたちまち來たり。かれ相感《め》でて共婚《まぐはひ》して、住めるほどに、いまだ幾何《いくだ》もあらねば、その美人《をとめ》姙《はら》みぬ。
 ここに父母、その姙《はら》める事を怪みて、その女に問ひて曰はく、「汝《いまし》はおのづから姙《はら》めり。夫《ひこぢ》無きにいかにかも姙《はら》める」と問ひしかば、答へて曰はく、「麗《うるは》しき壯夫《をとこ》の、その名も知らぬが、夕《よ》ごとに來りて住めるほどに、おのづからに姙《はら》みぬ」といひき。ここを以ちてその父母、その人を知らむと欲《おも》ひて、その女に誨《をし》へつらくは、「赤土《はに》を床の邊に散らし、卷子紡麻《へそを》を針に貫《ぬ》きて、その衣の襴《すそ》に刺せ」と誨《をし》へき(一一)。かれ教へしが如して、旦時《あした》に見れば、針をつけたる麻《を》は、戸の鉤穴《かぎあな》より控《ひ》き通りて出で、ただ遺《のこ》れる麻《を》(一二)は、三勾《みわ》のみなりき。
 ここにすなはち鉤穴より出でし状を知りて、絲のまにまに尋ね行きしかば、美和山に至りて、神の社に留まりき。かれその神の御子なりとは知りぬ。かれその麻《を》の三勾《みわ》遺《のこ》れるによりて、其地《そこ》に名づけて美和《みわ》といふなり。この意富多多泥古の命は、神《みわ》の君、鴨の君が祖なり。

(一) 神に祈つて寢る床。夢に神意を得ようとする。
(二) 神のたたり。
(三) 馬に乘つて行く使。
(四) 大阪府中河内郡。日本書紀には茅渟の縣の陶の村としている。これは和泉の國である。
(五) 神のよりつく人。
(六) 奈良縣磯城郡の三輪山。
(七) 多くの平たい皿。既出の語。
(八) 奈良縣宇陀郡。大和の中央部から見て東方の通路の坂。
(九) 奉ることによつて祭をする。神に武器を奉つて魔物の入り來るを防ごうとする思想。
(一〇) 奈良縣北葛城郡二上山の北方を越える坂。大和の中央部から西方の坂。
(一一) 人間ならざる者の正體を見現すために行う。ヘソヲは絲卷にまいた麻。
(一二) 絲卷に殘つた麻。

[#5字下げ]〔將軍の派遣〕[#「〔將軍の派遣〕」は小見出し]
 またこの御世に、大毘古《おほびこ》の命(一)を高志《こし》の道《みち》に遣し、その子|建沼河別《たけぬなかはわけ》の命を東《ひむがし》の方|十二《とをまりふた》道(二)に遣して、その服《まつろ》はぬ人どもを言向け和《やは》さしめ、また日子坐《ひこいます》の王《みこ》をば、旦波《たには》の國(三)に遣して、玖賀耳《くがみみ》の御笠《みかさ》[#割り注]こは人の名なり。[#割り注終わり]を殺《と》らしめたまひき。
 かれ大毘古《おほびこ》の命、高志《こし》の國に罷り往《い》でます時に、腰裳《こしも》服《け》せる少女《をとめ》(四)、山代の幣羅坂《へらさか》(五)に立ちて、歌よみして曰ひしく、
[#ここから2字下げ]
御眞木入日子《みまきいりびこ》(六)はや、
御眞木入日子はや、
おのが命《を》を 竊《ぬす》み殺《し》せむと、
後《しり》つ戸《と》よ い行き違《たが》ひ(七)
前《まへ》つ戸よ い行き違ひ
窺はく 知らにと(八)、
御眞木入日子はや。  (歌謠番號二三)
[#ここで字下げ終わり]
と歌ひき。ここに大毘古《おほびこ》の命、怪しと思ひて、馬を返して、その少女に問ひて曰はく、「汝《いまし》がいへる言は、いかに言ふぞ」と問ひしかば、少女答へて曰はく、「吾《あ》は言ふこともなし。ただ歌よみしつらくのみ」といひて、その行く方《へ》も見えずして忽に失せぬ(九)。かれ大毘古の命、更に還りまゐ上りて、天皇にまをす時に、天皇答へて詔りたまはく、「こは山代の國なる我が庶兄《まませ》、建波邇安《たけはにやす》の王の、邪《きたな》き心を起せる表《しるし》ならむ。伯父、軍を興して、行かさね」とのりたまひて、丸邇《わに》の臣《おみ》の祖、日子國夫玖《ひこくにぶく》の命を副へて、遣す時に、すなはち丸邇坂《わにさか》に忌瓮《いはひべ》を居《す》ゑて、罷り往《い》でましき。
 ここに山代の和訶羅《わから》河(一〇)に到れる時に、その建波邇安の王、軍を興して、待ち遮り、おのもおのも河を中にはさみて、對《む》き立ちて相|挑《いど》みき。かれ其地《そこ》に名づけて、伊杼美《いどみ》といふ。[#割り注]今は伊豆美といふ。[#割り注終わり]ここに日子國夫玖《ひこくにぶく》の命、「其方《そなた》の人まづ忌矢《いはひや》を放て」と乞ひいひき。ここにその建波邇安の王射つれどもえ中てず。ここに國夫玖《くにぶく》の命の放つ矢は、建波邇安の王を射て死《ころ》しき。かれその軍、悉に破れて逃げ散《あら》けぬ。ここにその逃ぐる軍を追ひ迫《せ》めて、久須婆《くすば》の渡《わたり》(一一)に到りし時に、みな迫めらえ窘《たしな》みて、屎《くそ》出でて、褌《はかま》に懸かりき。かれ其地《そこ》に名づけて屎褌《くそはかま》といふ。[#割り注]今は久須婆といふ。[#割り注終わり]またその逃ぐる軍を遮りて斬りしかば、鵜のごと河に浮きき。かれその河に名づけて、鵜河といふ。またその軍士《いくさびと》を斬り屠《はふ》りき。かれ、其地に名づけて波布理曾能《はふりその》(一二)といふ。かく平《ことむ》け訖へて、まゐ上りて覆《かへりごと》奏《まを》しき。
 かれ大毘古《おほびこ》の命は、先の命のまにまに、高志《こし》の國に罷り行《い》でましき。ここに東の方より遣しし建沼河別《たけぬなかはわけ》、その父|大毘古《おほびこ》と共に、相津《あひづ》(一三)に往き遇ひき。かれ其地《そこ》を相津《あひづ》といふ。ここを以ちておのもおのも遣さえし國の政を和《やは》し言向けて、覆《かへりごと》奏《まを》しき。
 ここに天の下平ぎ、人民《おほみたから》富み榮えき。ここに初めて男《をとこ》の弓端《ゆはず》の調《みつき》(一四)、女《をみな》の手末《たなすゑ》の調(一五)を貢《たてまつ》らしめたまひき。かれその御世を稱《たた》へて、初《はつ》國知らしし(一六)、御眞木《みまき》の天皇とまをす。またこの御世に、依網《よさみ》の池(一七)を作り、また輕《かる》の酒折《さかをり》の池(一八)を作りき。
 天皇、御歳|一百六十八歳《ももぢあまりむそぢやつ》、[#割り注]戊寅の年の十二月に崩りたまひき。[#割り注終わり]御陵は、山《やま》の邊《べ》の道《みち》の勾《まがり》の岡《をか》の上《へ》(一九)にあり。

(一) 孝元天皇の御子。
(二) 十二國に同じ。伊勢(志摩を含む)、尾張、參河、遠江、駿河、甲斐、伊豆、相模、武藏、總(上總、下總、安房)、常陸、陸奧の十二國であるという。
(三) 京都府の北部。
(四) 腰に裳をつけた少女。裳は女子の腰部にまとう衣服。
(五) 大和の國から山城の國に越えた所の坂。
(六) 崇神天皇。
(七) 後方の戸から人目をはずして。
(八) 窺うことを知らずにと、ニは打消の助動詞ヌの連用形。
(九) 神が少女に化して教えた意になる。
(一〇) 木津川の別名。
(一一) 大阪府北河内郡淀川の渡り場。
(一二) 京都府相樂郡。
(一三) 福島縣の會津。
(一四) 男子が弓によつて得た物の貢物。獸皮の類をいう。
(一五) 女子の手藝によつて得た物の貢物。織物、絲の類。
(一六) 新しい土地を領有した。
(一七) 大阪市東成區。
(一八) 奈良縣高市郡。
(一九) 奈良縣磯城郡。

[#3字下げ]〔四、垂仁天皇〕[#「〔四、垂仁天皇〕」は中見出し]

[#5字下げ]〔后妃と皇子女〕[#「〔后妃と皇子女〕」は小見出し]
 伊久米伊理毘古伊佐知《いくめいりびこいさち》の命(一)、師木《しき》の玉垣《たまがき》の宮(二)にましまして、天の下治らしめしき。この天皇、沙本毘古《さほびこ》の命が妹、佐波遲《さはぢ》比賣の命(三)に娶ひて、生みませる御子、品牟都和氣《ほむつわけ》の命一柱[#「一柱」は1段階小さな文字]。また旦波《たには》の比古多多須美知能宇斯《ひこたたすみちのうし》の王が女、氷羽州《ひばす》比賣の命(四)に娶ひて、生みませる御子、印色《いにしき》の入日子《いりひこ》の命、次に大帶日子淤斯呂和氣《おほたらしひこおしろわけ》の命、次に大中津日子《おほなかつひこ》の命、次に倭《やまと》比賣の命、次に若木《わかき》の入日子《いりひこ》の命五柱[#「五柱」は1段階小さな文字]。またその氷羽州《ひばす》比賣の命が弟、沼羽田《ぬばた》の入《いり》毘賣の命に娶ひて、生みませる御子、沼帶別《ぬたらしわけ》の命、次に伊賀帶日子《いがたらしひこ》の命二柱[#「二柱」は1段階小さな文字]。またその沼羽田《ぬばた》の入《いり》日賣の命が弟、阿耶美《あざみ》の伊理《いり》毘賣の命に娶ひて、生みませる御子、伊許婆夜和氣《いこばやわけ》の命、次に、阿耶美都《あざみつ》比賣の命二柱[#「二柱」は1段階小さな文字]。また大筒木垂根《おほつつきたりね》の王が女、迦具夜《かぐや》比賣の命に娶ひて、生みませる御子、袁那辨《をなべ》の王一柱[#「一柱」は1段階小さな文字]。また山代の大國《おほくに》の淵《ふち》が女、苅羽田刀辨《かりばたとべ》に娶ひて、生みませる御子、落別《おちわけ》の王、次に五十日帶日子《いかたらしひこ》の王、次に伊登志別《いとしわけ》の王三柱[#「三柱」は1段階小さな文字]。またその大國《おほくに》の淵《ふち》が女、弟苅羽田刀辨《おとかりばたとべ》に娶ひて、生みませる御子、石衝別《いはつくわけ》の王、次に石衝《いはつく》毘賣の命、またの名は布多遲《ふたぢ》の伊理《いり》毘賣の命二柱[#「二柱」は1段階小さな文字]。およそこの天皇の御子等、十六王《とをまりむはしら》ませり。[#割り注]男王十三柱、女王三柱。[#割り注終わり]
 かれ大帶日子淤斯呂和氣《おほたらしひこおしろわけ》の命は、天の下治らしめしき。[#割り注]御身のたけ一丈二寸、御脛の長さ四尺一寸ましき。[#割り注終わり]次に印色《いにしき》の入日子《いりひこ》の命は、血沼《ちぬ》の池(五)を作り、また狹山《さやま》の池を作り、また日下《くさか》の高津《たかつ》の池(六)を作りたまひき。また鳥取《ととり》の河上の宮(七)にましまして、横刀《たち》壹|仟口《ちぢ》を作らしめたまひき。こを石《いそ》の上《かみ》の神宮(八)に納めまつる。すなはちその宮にましまして、河上部を定めたまひき(九)。次に大中津日子《おほなかつひこ》の命は、山邊の別、三枝の別、稻木の別、阿太の別、尾張の國の三野の別、吉備の石|旡《なし》の別、許呂母の別、高巣鹿の別、飛鳥の君、牟禮の別等が祖なり。次に倭《やまと》比賣の命は、伊勢の大神の宮を拜《いつ》き祭りたまひき。次に伊許婆夜和氣《いこばやわけ》の王は、沙本の穴本《あなほ》部の別が祖なり。次に阿耶美都《あざみつ》比賣の命は、稻瀬毘古の王に嫁《あ》ひましき。次に落別《おちわけ》の王は、小目の山の君、三川の衣の君が祖なり。次に五《い》十|日帶日子《かたらしひこ》の王は、春日の山の君、高志の池の君、春日部の君が祖なり。次に伊登志和氣《いとしわけ》の王は、子なきに因りて、子代として、伊登志部を定めき。次に石衝別《いはつくわけ》の王は、羽咋《はくひ》の君、三尾の君が祖なり。次に布多遲《ふたぢ》の伊理《いり》毘賣の命は、倭建の命の后となりたまひき。

(一) 垂仁天皇。
(二) 奈良縣磯城郡。
(三) 沙本毘賣に同じ。開化天皇の皇女。
(四) 以下の三后妃は、開化天皇の卷に見え、また下に見える。その條參照。
(五) 大阪府泉南郡。
(六) 大阪府南河内郡。
(七) 大阪府泉南郡。
(八) 奈良縣山邊郡の石上の神宮。
(九) 人民の集團に縁故のある名をつけて記念とし、またこれを支配する。以下、何部を定めたという記事が多い。

[#5字下げ]〔沙本毘古の叛亂〕[#「〔沙本毘古の叛亂〕」は小見出し]
 この天皇、沙本《さほ》毘賣を后としたまひし時に、沙本《さほ》毘賣の命の兄《いろせ》、沙本毘古《さほびこ》の王、その同母妹《いろも》に問ひて曰はく、「夫《せ》と兄《いろせ》とはいづれか愛《は》しき」と問ひしかば、答へて曰はく「兄を愛しとおもふ」と答へたまひき。ここに沙本毘古《さほびこ》の王、謀りて曰はく、「汝《みまし》まことに我《あれ》を愛しと思ほさば、吾と汝と天の下治らさむとす」といひて、すなはち八鹽折《やしほり》の紐小刀《ひもがたな》(一)を作りて、その妹《いろも》に授けて曰はく、「この小刀もちて、天皇の寢《みね》したまふを刺し殺《し》せまつれ」といふ。かれ天皇、その謀を知《し》らしめさずて、その后の御膝を枕《ま》きて、御寢したまひき。ここにその后、紐小刀もちて、その天皇の御頸《おほみくび》を刺しまつらむとして、三度|擧《ふ》りたまひしかども、哀《かな》しとおもふ情にえ忍《あ》へずして、御頸をえ刺しまつらずて、泣く涙、御面《おほみおも》に落ち溢《あふ》れき。天皇驚き起ちたまひて、その后に問ひてのりたまはく、「吾《あ》は異《け》しき夢《いめ》を見つ。沙本《さほ》(二)の方《かた》より、暴雨《はやさめ》の零《ふ》り來て、急《にはか》に吾が面を沾《ぬら》しつ。また錦色の小蛇《へみ》、我が頸に纏《まつ》はりつ。かかる夢は、こは何の表《しるし》にあらむ」とのりたまひき。ここにその后、爭ふべくもあらじとおもほして、すなはち天皇に白して言さく、「妾が兄|沙本毘古《さほびこ》の王、妾に、夫と兄とはいづれか愛《は》しきと問ひき。ここにえ面勝たずて、かれ妾、兄を愛しとおもふと答へ曰へば、ここに妾に誂《あとら》へて曰はく、吾と汝と天の下を治らさむ。かれ天皇を殺《し》せまつれといひて、八鹽折《やしほり》の紐小刀を作りて妾に授けつ。ここを以ちて御頸を刺しまつらむとして、三度|擧《ふ》りしかども、哀しとおもふ情忽に起りて、頸をえ刺しまつらずて、泣く涙の落ちて、御面を沾らしつ。かならずこの表《しるし》にあらむ」とまをしたまひき。
 ここに天皇詔りたまはく、「吾はほとほとに欺かえつるかも(三)」とのりたまひて、軍を興して、沙本毘古《さほびこ》の王を撃《う》ちたまふ時に、その王|稻城《いなぎ》(四)を作りて、待ち戰ひき。この時|沙本毘賣《さほびめ》の命、その兄にえ忍《あ》へずして、後《しり》つ門より逃れ出でて、その稻城《いなぎ》に納《い》りましき。
 この時にその后|姙《はら》みましき。ここに天皇、その后の、懷姙みませるに忍へず、また愛重《めぐ》みたまへることも、三年になりにければ、その軍を※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]《かへ》して急《すむや》けくも攻めたまはざりき。かく逗留《とどこほ》る間に、その姙《はら》める御子既に産《あ》れましぬ。かれその御子を出して、稻城《いなぎ》の外に置きまつりて、天皇に白さしめたまはく、「もしこの御子を、天皇の御子と思ほしめさば、治めたまふべし」とまをしたまひき。ここに天皇|詔《の》りたまはく、「その兄を怨《きら》ひたまへども、なほその后を愛しとおもふにえ忍へず」とのりたまひて、后を得むとおもふ心ましき。ここを以ちて軍士《いくさびと》の中に力士《ちからびと》の輕捷《はや》きを選り聚《つど》へて、宣りたまはくは、「その御子を取らむ時に、その母王《ははみこ》をも掠《かそ》ひ取れ(五)。御髮にもあれ、御手にもあれ、取り獲むまにまに、掬《つか》みて控《ひ》き出でよ」とのりたまひき。ここにその后、あらかじめその御心を知りたまひて、悉にその髮を剃りて、その髮もちてその頭を覆ひ、また玉の緒を腐《くた》して、御手に三重|纏《ま》かし、また酒もちて御衣《みけし》を腐して、全き衣《みそ》のごと服《け》せり。かく設け備へて、その御子を抱《うだ》きて、城の外にさし出でたまひき。ここにその力士《ちからびと》ども、その御子を取りまつりて、すなはちその御祖《みおや》を握《と》りまつらむとす。ここにその御髮を握《と》れば、御髮おのづから落ち、その御手を握《と》れば、玉の緒また絶え、その御衣《みけし》を握《と》れば、御衣すなはち破れつ。ここを以ちてその御子を取り獲て、その御|祖《おや》をばえとりまつらざりき。かれその軍士ども、還り來て、奏《まを》して言さく、「御髮おのづから落ち、御衣破れ易く、御手に纏《ま》かせる玉の緒もすなはち絶えぬ。かれ御祖を獲まつらず、御子を取り得まつりき」とまをす。ここに天皇悔い恨みたまひて、玉作りし人どもを惡《にく》まして、その地《ところ》をみな奪《と》りたまひき。かれ諺《ことわざ》に、地《ところ》得ぬ玉作り(六)といふなり。
 また天皇、その后に命詔《みことのり》したまはく、「およそ子の名は、かならず母の名づくるを、この子の御名を、何とかいはむ」と詔りたまひき。ここに答へて白さく、「今火の稻城《いなぎ》を燒く時に、火《ほ》中に生《あ》れましつ。かれその御名は、本牟智和氣《ほむちわけ》(七)の御子《みこ》とまをすべし」とまをしたまひき。また命詔したまはく「いかにして日足《ひた》しまつらむ(八)」とのりたまへば、答へて白さく、「御母《みおも》を取り、大湯坐《おほゆゑ》、若湯坐《わかゆゑ》(九)を定めて、日足しまつるべし」とまをしたまひき。かれその后のまをしたまひしまにまに、日足《ひた》しまつりき。またその后に問ひたまはく、「汝《みまし》の堅めし瑞《みづ》の小佩《をひも》(一〇)は、誰かも解かむ」とのりたまひしかば、答へて白さく、「旦波《たには》の比古多多須美智能宇斯《ひこたたすみちのうし》の王《みこ》が女、名は兄比賣《えひめ》弟比賣《おとひめ》、この二柱の女王《ひめみこ》、淨き公民《おほみたから》にませば、使ひたまふべし」とまをしたまひき。然ありて遂にその沙本比古《さほひこ》の王を殺《と》りたまへるに、その同母妹《いろも》も從ひたまひき。

(一) 色濃く染めた紐のついている小刀。この紐、下の錦色の小蛇というのに關係がある。
(二) 奈良市佐保。佐本毘古の王の居所。
(三) あぶなくだまされる所だつた。ホトホトニは、ほとんど。
(四) 稻を積んだ城。俵を積んだのだろう。
(五) かすめ取れ。
(六) 玉作りは、土地を持たないという諺のもとだという。
(七) ホが火を意味し、ムチは尊稱、ワケは若い御方の義の名。
(八) 日を足して成育させる。
(九) 赤子の湯を使う人。そのおもな役と若い方の役。
(一〇) 妻が男の衣の紐を結ぶ風習による。ミヅは美稱。生氣のある意。

[#5字下げ]〔本牟智和氣《ほむちわけ》の御子〕[#「〔本牟智和氣の御子〕」は小見出し]
 かれその御子を率《ゐ》て遊ぶ状《さま》は、尾張の相津(一)なる二俣榲《ふたまたすぎ》を二俣小舟《ふたまたをぶね》に作りて、持ち上り來て、倭《やまと》の市師《いちし》の池(二)輕《かる》の池(三)に浮けて、その御子を率《ゐ》て遊びき。然るにこの御子、八|拳鬚心前《つかひげむなさき》に至るまでにま言《こと》とはず。かれ今、高往く鵠《たづ》が音を聞かして、始めてあぎとひ(四)たまひき。ここに山邊《やまべ》の大※[#「帝+鳥」、第4水準2-94-28]《おほたか》[#割り注]こは人の名なり。[#割り注終わり]を遣して、その鳥を取らしめき。かれこの人、その鵠を追ひ尋ねて、木《き》の國より針間《はりま》の國に到り、また追ひて稻羽《いなば》の國に越え、すなはち旦波《たには》の國|多遲麻《たぢま》の國に到り、東の方に追ひ※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]りて、近《ちか》つ淡海《あふみ》の國に到り、三野《みの》の國に越え、尾張《をはり》の國より傳ひて科野《しなの》の國に追ひ、遂に高志《こし》の國に追ひ到りて、和那美《わなみ》の水門《みなと》(五)に網を張り、その鳥を取りて、持ち上りて獻りき。かれその水門に名づけて和那美《わなみ》の水門《みなと》といふなり。またその鳥を見たまへば、物言はむと思ほして、思ほすがごと言ひたまふ事なかりき。
 ここに天皇患へたまひて、御寢《みね》ませる時に、御夢に覺《さと》してのりたまはく、「我が宮を、天皇《おほきみ》の御舍《みあらか》のごと修理《をさ》めたまはば、御子かならずま言《ごと》とはむ」とかく覺したまふ時に、太卜《ふとまに》に占《うら》へて(六)、「いづれの神の御心ぞ」と求むるに、ここに祟《たた》りたまふは、出雲《いづも》の大神(七)の御心なり。かれその御子を、その大神の宮を拜《をろが》ましめに遣したまはむとする時に、誰を副《たぐ》へしめば吉《え》けむとうらなふに、ここに曙立《あけたつ》(八)の王|卜《うら》に食《あ》へり(九)。かれ曙立《あけたつ》の王に科《おほ》せて、うけひ白さしむらく(一〇)、「この大神を拜むによりて、誠《まこと》に驗《しるし》あらば、この鷺《さぎ》の巣《す》の池(一一)の樹に住める鷺を、うけひ落ちよ」と、かく詔りたまふ時に、うけひてその鷺|地《つち》に墮ちて死にき。また「うけひ活け」と詔りたまひき。ここにうけひしかば、更に活きぬ。また甜白檮《あまがし》の前《さき》(一二)なる葉廣熊白檮《はびろくまがし》(一三)をうけひ枯らし、またうけひ生かしめき。ここにその曙立《あけたつ》の王に、倭《やまと》は師木《しき》の登美《とみ》の豐朝倉《とよあさくら》の曙立《あけたつ》の王といふ名を賜ひき。すなはち曙立《あけたつ》の王|菟上《うながみ》の王|二王《ふたばしら》を、その御子に副へて遣しし時に、那良戸《ならど》(一四)よりは跛《あしなへ》、盲《めしひ》遇はむ。大阪戸(一五)よりも跛《あしなへ》、盲《めしひ》遇はむ。ただ木戸(一六)ぞ掖戸《わきど》の吉き戸(一七)と卜へて、いでましし時に、到ります地《ところ》ごとに品遲部《ほむぢべ》を定めたまひき。
 かれ出雲《いづも》に到りまして、大神《おほかみ》を拜み訖《を》へて、還り上ります時に、肥《ひ》の河(一八)の中に黒樔《くろす》の橋(一九)を作り、假宮を仕へ奉《まつ》りて、坐《ま》さしめき。ここに出雲《いづも》の國《くに》の造《みやつこ》の祖、名は岐比佐都美《きひさつみ》、青葉の山を餝《かざ》りて、その河下に立てて、大御食《おほみあへ》獻らむとする時に、その御子詔りたまはく、「この河下に青葉の山なせるは、山と見えて山にあらず。もし出雲《いづも》の石※[#「石+炯のつくり」、103-本文-11]《いはくま》の曾《そ》の宮(二〇)にます、葦原色許男《あしはらしこを》の大神(二一)をもち齋《いつ》く祝《はふり》が大|庭《には》(二二)か」と問ひたまひき。ここに御供に遣さえたる王《みこ》たち、聞き歡び見喜びて、御子は檳榔《あぢまさ》の長穗《ながほ》の宮(二三)にませまつりて、驛使《はゆまづかひ》をたてまつりき。
 ここにその御子、肥長《ひなが》比賣に一宿《ひとよ》婚ひたまひき。かれその美人《をとめ》を竊伺《かきま》みたまへば、蛇《をろち》なり。すなはち見畏みて遁げたまひき。ここにその肥長《ひなが》比賣|患《うれ》へて、海原を光《て》らして船より追ひ來《く》。かれ、ますます見畏みて山のたわより御船を引き越して、逃げ上りいでましつ。ここに覆奏《かへりごと》まをさく、「大神を拜みたまへるに因りて、大御子《おほみこ》物《もの》詔《の》りたまひつ。かれまゐ上り來つ」とまをしき。かれ天皇歡ばして、すなはち菟上《うながみ》の王を返して、神宮を造らしめたまひき。ここに天皇、その御子に因りて鳥取部《ととりべ》、鳥甘《とりかひ》、品遲部《ほむぢべ》、大湯坐《おほゆゑ》、若湯坐《わかゆゑ》を定めたまひき。

(一) 所在不明。
(二) 奈良縣磯城郡。
(三) 同高市郡。
(四) アギと言つた。あぶあぶ言つた。
(五) 新潟縣西蒲原郡、また北魚澤郡[#「澤」は底本のまま]に傳説地がある。ワナミは羂網の義。
(六) 二〇頁[#「二〇頁」は「伊耶那岐の命と伊耶那美の命」の「島々の生成」]參照。
(七) 出雲大社の祭神。大國主の神。
(八) 開化天皇の子孫。
(九) 占いにかなつた。
(一〇) 神に誓つて神意を窺わしめることは。
(一一) 奈良縣高市郡。
(一二) 同郡飛鳥村にある。
(一三) 葉の廣いりつぱなカシの木。クマはウマに同じ。美稱。
(一四) 奈良縣の北部の奈良山を越える道。不具者に逢うことを嫌つた。
(一五) 二上山を越えて行く道。
(一六) 紀伊の國へ出る道。吉野川の右岸について行く。
(一七) 迂※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]してゆく道でよい道。
(一八) 斐伊の川。
(一九) 皮つきの木を組んで作つた橋。
(二〇) 出雲大社の別名。
(二一) 大國主の神の別名。
(二二) お祭する神職の齋場か。
(二三) ビロウの木の葉を長く垂れて葺いた宮。

[#5字下げ]〔丹波の四女王〕[#「〔丹波の四女王〕」は小見出し]
 またその后の白したまひしまにまに、美知能宇斯《みちのうし》の王の女たち(一)、比婆須《ひばす》比賣の命、次に弟《おと》比賣の命、次に歌凝《うたこり》比賣の命、次に圓野《まとの》比賣の命、并はせて四柱を喚上《めさ》げたまひき。然れども比婆須《ひばす》比賣の命、弟比賣《おとひめ》の命、二柱を留めて、その弟王《おとみこ》二柱は、いと醜きに因りて本《もと》つ土《くに》に返し送りたまひき。ここに圓野《まとの》比賣|慚《やさし》みて「同兄弟《はらから》の中に、姿|醜《みにく》きによりて、還さゆる事、隣里《ちかきさと》に聞えむは、いと慚《やさ》しきこと」といひて、山代の國の相樂《さがらか》(二)に到りし時に、樹の枝に取り懸《さが》りて、死なむとしき。かれ其地《そこ》に名づけて、懸木《さがりき》といひしを、今は相樂《さがらか》といふ。また弟國《おとくに》(三)に到りし時に、遂に峻《ふか》き淵に墮ちて、死にき。かれ其地《そこ》に名づけて、墮國《おちくに》といひしを、今は弟國といふなり。

(一) 九〇頁[#「九〇頁」は「綏靖天皇以後八代」の「開化天皇」]の后妃皇子女に關する條參照。王女の數などが違うのは別の資料によるものであろう。
(二) 京都府相樂郡。
(三) 同乙訓郡。

[#5字下げ]〔時じくの香《かく》の木の實〕[#「〔時じくの香の木の實〕」は小見出し]
 また天皇、三宅《みやけ》の連《むらじ》等が祖、名は多遲摩毛理《たぢまもり》(一)を、常世《とこよ》の國(二)に遣して、時じくの香《かく》の木《こ》の實《み》(三)を求めしめたまひき。かれ多遲摩毛理《たぢまもり》、遂にその國に到りて、その木の實を採りて、縵八縵矛八矛《かげやかげほこやほこ》(四)を、將《も》ち來つる間に、天皇既に崩《かむあが》りましき。ここに多遲摩毛理《たぢまもり》、縵四縵矛四矛《かげよかげほこよほこ》を分けて、大后に獻り、縵四縵矛四矛《かげよかげほこよほこ》を、天皇の御陵の戸に獻り置きて、その木の實を※[#「敬/手」、第3水準1-84-92]《ささ》げて、叫び哭《おら》びて白さく、「常世の國の時じくの香《かく》の木《こ》の實《み》を持ちまゐ上りて侍《さもら》ふ」とまをして遂に哭《おら》び死にき。その時じくの香《かく》の木の實は今の橘なり。
 この天皇、御年|一百五十三歳《ももちまりいそぢみつ》、御陵は菅原《すがはら》の御立野《みたちの》(五)の中にあり。
 またその大后《おほきさき》比婆須《ひばす》比賣の命の時、石祝作《いしきつくり》(六)を定め、また土師部《はにしべ》を定めたまひき。この后は狹木《さき》の寺間《てらま》の陵(七)に葬《をさ》めまつりき。

(一) 天の日矛の子孫。系譜は一三九頁[#「一三九頁」は「應神天皇」の「天の日矛」]にある。
(二) 海外の國。大陸における橘の原産地まで行つたのだろう。
(三) その時節でなく熟する香のよい木の實。
(四) カゲは蔓のように輪にしたもの。矛は、直線的なもの。どちらも苗木。
(五) 奈良縣生駒郡。
(六) 石棺を作る部族。
(七) 奈良縣生駒郡。

[#3字下げ]〔五、景行天皇・成務天皇〕[#「〔五、景行天皇・成務天皇〕」は中見出し]

[#5字下げ]〔后妃と皇子女〕[#「〔后妃と皇子女〕」は小見出し]
 大帶日子淤斯呂和氣《おほたらしひこおしろわけ》の天皇(一)、纏向《まきむく》の日代《ひしろ》の宮(二)にましまして、天の下治らしめしき。この天皇、吉備《きび》の臣等の祖、若建吉備津日子《わかたけきびつひこ》が女、名は針間《はりま》の伊那毘《いなび》の大郎女《おほいらつめ》に娶ひて、生みませる御子、櫛角別《くしつのわけ》の王、次に大碓《おほうす》の命、次に小碓《をうす》の命(三)、またの名は倭男具那《やまとをぐな》の命、次に倭根子《やまとねこ》の命、次に神櫛《かむくし》の王五柱[#「五柱」は1段階小さな文字]。また八尺《やさか》の入日子《いりひこ》の命が女、八坂《やさか》の入日賣《いりひめ》の命に娶ひて、生みませる御子、若帶日子《わかたらしひこ》の命(四)、次に五百木《いほき》の入日子《いりひこ》の命、次に押別《おしわけ》の命、次に五百木《いほき》の入《いり》日賣の命、またの妾《みめ》の御子、豐戸別《とよとわけ》の王、次に沼代《ぬなしろ》の郎女《いらつめ》、またの妾《みめ》の御子、沼名木《ぬなき》の郎女《いらつめ》、次に香余理《かぐより》比賣の命、次に若木《わかき》の入日子《いりひこ》の王、次に吉備の兄日子《えひこ》の王、次に高木比賣の命、次に弟比賣《おとひめ》の命。また日向《ひむか》の美波迦斯毘賣《みはかしびめ》に娶ひて、生みませる御子、豐國別《とよくにわけ》の王。また伊那毘《いなび》の大郎女《おほいらつめ》の弟、伊那毘の若郎女《わかいらつめ》に娶ひて、生みませる御子、眞若《まわか》の王、次に日子人《ひこひと》の大兄《おほえ》の王。また倭建《やまとたける》の命の曾孫《みひひこ》(五)名は須賣伊呂大中《すめいろおほなか》つ日子《ひこ》の王が女、訶具漏《かぐろ》比賣に娶ひて生みませる御子、大枝《おほえ》の王。およそこの大帶日子《おほたらしひこ》の天皇の御子たち、録《しる》せるは廿一王《はたちまりひとはしら》、記さざる五十九王《いそぢまりここのはしら》、并はせて八十|王《はしら》います中に、若帶日子の命と倭建《やまとたける》の命、また五百木《いほき》の入日子《いりひこ》の命と、この三王《みはしら》は太子《ひつぎのみこ》(六)の名を負はし、それより餘《ほか》七十七王《ななまりななはしらのみこ》は、悉に國國の國の造、また別《わけ》、稻置《いなぎ》、縣主《あがたぬし》(七)に別け賜ひき。かれ若帶日子《わかたらしひこ》の命は、天の下治らしめしき。小碓《をうす》の命は、東西の荒ぶる神、また伏《まつろ》はぬ人どもを平《ことむ》けたまひき。次に櫛角別《くしつのわけ》の王は、茨田の下の連等が祖なり。次に大碓《おほうす》の命は守の君、太田の君、島田の君が祖なり。次に神櫛《かむくし》の王は、木の國の酒部の阿比古、宇陀の酒部が祖なり。次に豐國別《とよくにわけ》の王は、日向の國の造が祖なり。
 ここに天皇、三野《みの》の國の造の祖、大根《おほね》の王(八)が女、名は兄比賣《えひめ》弟比賣《おとひめ》二孃子《ふたをとめ》、それ容姿麗美《かほよ》しときこしめし定めて、その御子|大碓《おほうす》の命を遣して、喚《め》し上げたまひき。かれその遣さえたる大碓の命、召し上げずて、すなはちおのれみづからその二孃子に婚ひて、更に他《あだ》し女《をみな》を求《ま》ぎて、その孃子と詐り名づけて貢上《たてまつ》りき。ここに天皇それ他《あだ》し女《をみな》なることを知らしめして、恆に長眼を經しめ(九)、また婚《あ》ひもせずて、惚《たしな》めたまひき。かれその大碓《おほうす》の命、兄比賣《えひめ》に娶ひて生みませる子、押黒《おしくろ》の兄日子の王。こは三野の宇泥須和氣が祖なり。また弟比賣に娶ひて生みませる子、押黒の弟日子の王。こは牟宜都の君等が祖なり。この御世に田部《たべ》を定め、また東《あづま》の淡《あは》の水門《みなと》(一〇)を定め、また膳《かしはで》の大伴部《おほともべ》を定め、また倭《やまと》の屯家《みやけ》(一一)を定めたまひ、また坂手《さかて》の池(一二)を作りて、すなはちその堤に竹を植ゑしめたまひき。

(一) 景行天皇。
(二) 奈良縣磯城郡。
(三) ヤマトタケルの命。日本書紀に、父の天皇が皇子の誕生に當つて、石臼の上で躍つて喜んだから大碓の命、小碓の命というとある。
(四) 成務天皇。
(五) 皇子の曾孫の子だから、天皇の孫の孫の子に當りそれを妃としたというのは時間的に不可能である。ある氏の傳えをそのまま取り入れたものだろう。
(六) 後世のように皇太子を立てることは無かつたが、有力な后妃の生んだ皇子が次に帝位に昇るべき方として豫想されたのである。ヒツギのミコは、繼嗣の皇子の義。
(七) いずれも古代の地方官で世襲である。
(八) 開化天皇の孫。
(九) 長く見て居させる。待ちぼうけさせる。
(一〇) 神奈川縣から千葉縣安房郡に渡る水路。
(一一) 大和の國の租税收納所。
(一二) 奈良縣磯城郡。

[#5字下げ]〔倭建の命の西征〕[#「〔倭建の命の西征〕」は小見出し]
 天皇、小碓《をうす》の命に詔りたまはく、「何とかも汝《みまし》の兄《いろせ》、朝《あした》夕《ゆふべ》の大御食《おほみけ》にまゐ出來《でこ》ざる。もはら汝《みまし》ねぎ(一)教へ覺せ」と詔りたまひき。かく詔りたまひて後、五日に至るまでに、なほまゐ出でず。ここに天皇、小碓の命に問ひたまはく、「何ぞ汝の兄久しくまゐ出來ざる。もしいまだ誨《をし》へずありや」と問ひたまひしかば、答へて白さく、「既にねぎつ」とまをしたまひき。また「いかにかねぎつる(二)」と詔りたまひしかば、答へて白さく、「朝署《あさけ》(三)に厠に入りし時、待ち捕へ※[#「てへん+縊のつくり」、108-本文-1]《つか》み批《ひし》ぎて、その枝(四)を引き闕《か》きて、薦《こも》につつみて投げ棄《う》てつ」とまをしたまひき。
 ここに天皇、その御子の建く荒き情を惶《かしこ》みて、詔りたまひしく、「西の方に熊曾建《くまそたける》二人(五)あり。これ伏《まつろ》はず、禮旡《ゐやな》き人どもなり。かれその人どもを取れ」とのりたまひて、遣したまひき。この時に當りて、その御髮《みかみ》を額《ぬか》に結はせり(六)。ここに小碓《をうす》の命、その姨《みをば》倭比賣《やまとひめ》の命(七)の御衣《みそ》御裳《みも》を給はり、劒《たち》を御懷《ふところ》に納《い》れていでましき。かれ熊曾建《くまそたける》が家に到りて見たまへば、その家の邊に、軍《いくさ》三重に圍み、室を作りて居たり。ここに御室樂《みむろうたげ》(八)せむと言ひ動《とよ》みて、食《をし》物を設《ま》け備へたり。かれその傍《あたり》を遊行《ある》きて、その樂《うたげ》する日を待ちたまひき。ここにその樂の日になりて、童女《をとめ》の髮のごとその結はせる髮を梳《けづ》り垂れ、その姨《みをば》の御衣《みそ》御裳《みも》を服《け》して、既に童女の姿になりて、女人《をみな》の中に交り立ちて、その室内《むろぬち》に入ります。ここに熊曾建《くまそたける》兄弟二人、その孃子を見|感《め》でて、おのが中に坐《ま》せて、盛に樂《うた》げつ。かれその酣《たけなは》なる時になりて、御懷より劒を出だし、熊曾《くまそ》が衣の矜《くび》[#「矜」は底本のまま](九)を取りて、劒もちてその胸より刺し通したまふ時に、その弟《おと》建《たける》見畏みて逃げ出でき。すなはちその室の椅《はし》(一〇)の本に追ひ至りて、背の皮を取り劒を尻より刺し通したまひき。ここにその熊曾建白して曰さく、「その刀をな動かしたまひそ。僕《やつこ》白すべきことあり」とまをす。ここに暫《しまし》許して押し伏せつ。ここに白して言さく、「汝《な》が命は誰そ」と白ししかば、「吾《あ》は纏向《まきむく》の日代《ひしろ》の宮にましまして、大八島國《おほやしまぐに》知《し》らしめす、大帶日子淤斯呂和氣《おほたらしひこおしろわけ》の天皇の御子、名は倭男具那《やまとをぐな》の王なり。おれ熊曾建二人、伏《まつろ》はず、禮《ゐや》なしと聞こしめして、おれを取り殺《と》れと詔りたまひて、遣せり」とのりたまひき。ここにその熊曾建白さく、「信に然《しか》らむ。西の方に吾二人を除《お》きては、建《たけ》く強《こは》き人無し。然れども大倭《おほやまと》の國に、吾二人にまして建《たけ》き男は坐《いま》しけり。ここを以ちて吾、御名を獻らむ。今よ後(一一)、倭建《やまとたける》の御子(一二)と稱へまをさむ」とまをしき。この事|白《まを》し訖へつれば、すなはち熟※[#「くさかんむり/瓜」、第3水準1-90-73]《ほぞち》のごと(一三)、振り拆《さ》きて殺したまひき。かれその時より御名を稱へて、倭建《やまとたける》の命とまをす。然ありて還り上ります時に、山の神河の神また穴戸《あなど》の神(一四)をみな言向け和《やは》(一五)してまゐ上りたまひき。

(一) なだめ乞う。
(二) どんなふうになだめ乞うたのか。
(三) 朝早く。
(四) 手足。
(五) クマソは地名で、クマの地(熊本縣)とソの地(鹿兒島縣)とを合わせ稱する。タケルは勇者の義。物語では兄弟二人となつている。
(六) 男子少年の風俗。
(七) 父の妹に當る。
(八) 新築を祝う酒宴。
(九) 衣服の襟。
(一〇) 庭上におりる階段。
(一一) 今から後。ヨは助詞。ユ、ヨリに同じ。
(一二) 日本書紀には、日本武の尊と書く。
(一三) 熟した瓜のように。
(一四) 海峽の神。
(一五) 平定しおだやかにして。

[#5字下げ]〔出雲建《いづもたける》〕[#「〔出雲建〕」は小見出し]
 すなはち出雲の國に入りまして(一)、その出雲《いづも》の國の建《たける》を殺《と》らむとおもほして、到りまして、すなはち結交《うるはしみ》したまひき。かれ竊に赤檮《いちひのき》もちて、詐刀《こだち》(二)を作りて、御|佩《はか》しとして、共に肥の河に沐《かはあみ》しき。ここに倭建《やまとたける》の命、河よりまづ上《あが》りまして、出雲建《いづもたける》が解き置ける横刀《たち》を取り佩かして、「易刀《たちかへ》せむ」と詔りたまひき。かれ後に出雲建河より上りて、倭建の命の詐刀《こだち》を佩きき。ここに倭建の命「いざ刀合《たちあ》はせむ」と誂《あとら》へたまふ。かれおのもおのもその刀を拔く時に、出雲建、詐刀《こだち》をえ拔かず、すなはち倭建の命、その刀を拔きて、出雲建を打ち殺したまひき。ここに御歌よみしたまひしく、
[#ここから2字下げ]
やつめさす(三) 出雲建《いづもたける》が 佩ける刀《たち》、
黒葛《つづら》多《さは》纏《ま》き(四) さ身《み》無しにあはれ(五)。  (歌謠番號二四)
[#ここで字下げ終わり]
 かれかく撥《はら》ひ治めて、まゐ上りて、覆奏《かへりごと》まをしたまひき。

(一) この物語は日本書紀には出雲振根がその弟飯入根を殺した話になつている。
(二) にせの刀。木刀。
(三) 枕詞。八雲立つの轉訛。日本書紀にはヤクモタツになつている。
(四) 柄や鞘に植物の蔓を澤山卷いてある。
(五) 刀身が無いことだ。アハレは感動を表示している。

[#5字下げ]〔倭建の命の東征〕[#「〔倭建の命の東征〕」は小見出し]
 ここに天皇、また頻《し》きて倭建《やまとたける》の命に、「東の方|十二道《とをまりふたみち》(一)の荒ぶる神、また伏《まつろ》はぬ人どもを、言向け和《やは》せ」と詔りたまひて、吉備《きび》の臣《おみ》等が祖、名は御※[#「金+且」、第3水準1-93-12]友耳建日子《みすきともみみたけひこ》を副へて遣す時に、比比羅木《ひひらぎ》の八尋矛《やひろぼこ》(二)を給ひき。かれ命を受けたまはりて、罷り行《い》でます時に、伊勢の大御神の宮に參りて、神の朝廷《みかど》(三)を拜みたまひき。すなはちその姨《みをば》倭《やまと》比賣の命に白したまひしくは、「天皇既に吾を死ねと思ほせか、何ぞ、西の方の惡《あら》ぶる人《ひと》どもを撃《と》りに遣して、返りまゐ上り來し間《ほど》、幾時《いくだ》もあらねば、軍衆《いくさびとども》をも賜はずて、今更に東の方の十二道の惡ぶる人どもを平《ことむ》けに遣す。これに因りて思へばなほ吾を既に死ねと思ほしめすなり」とまをして、患へ泣きて罷りたまふ時に、倭比賣の命、草薙《くさなぎ》の劒《たち》を賜ひ、また御嚢《みふくろ》を賜ひて、「もし急《とみ》の事あらば、この嚢《ふくろ》の口を解きたまへ」と詔りたまひき。
 かれ尾張の國に到りまして、尾張の國の造が祖、美夜受《みやず》比賣の家に入りたまひき。すなはち婚《あ》はむと思ほししかども、また還り上りなむ時に婚はむと思ほして、期《ちぎ》り定めて、東の國に幸でまして、山河の荒ぶる神又は伏はぬ人どもを、悉に平《ことむ》け和《やは》したまひき。かれここに相武《さがむ》の國(四)に到ります時に、その國の造、詐《いつは》りて白さく、「この野の中に大きなる沼あり。この沼の中に住める神、いとちはやぶる神(五)なり」とまをしき。ここにその神を看そなはしに、その野に入りましき。ここにその國の造、その野に火著けたり。かれ欺かえぬと知らしめして、その姨《みをば》倭比賣の命の給へる嚢《ふくろ》の口を解き開けて見たまへば、その裏《うち》に火打あり。ここにまづその御刀《みはかし》もちて、草を苅り撥《はら》ひ、その火打もちて火を打ち出で、向火《むかへび》を著けて(六)燒き退《そ》けて、還り出でまして、その國の造どもを皆切り滅し、すなはち火著けて、燒きたまひき。かれ今に燒遣《やきづ》(七)といふ。
 そこより入り幸《い》でまして、走水《はしりみづ》の海(八)を渡ります時に、その渡の神、浪を興《た》てて、御船を※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]《もとほ》して、え進み渡りまさざりき。ここにその后名は弟橘《おとたちばな》比賣の命(九)の白したまはく、「妾、御子に易《かは》りて海に入らむ。御子は遣さえし政遂げて、覆奏《かへりごと》まをしたまはね」とまをして、海に入らむとする時に、菅疊《すがだたみ》八重《やへ》、皮疊《かはだたみ》八重《やへ》、※[#「糸+施のつくり」、第3水準1-90-1]疊《きぬだたみ》八重《やへ》を波の上に敷きて(一〇)、その上に下りましき(一一)。ここにその暴《あら》き浪おのづから伏《な》ぎて、御船え進みき。ここにその后の歌よみしたまひしく、
[#ここから2字下げ]
さねさし(一二) 相摸《さがむ》の小野《をの》に
燃ゆる火の 火《ほ》中に立ちて、
問ひし君はも。  (歌謠番號二五)
[#ここで字下げ終わり]
 かれ七日《なぬか》の後に、その后の御櫛《みぐし》海邊《うみべた》に依りき。すなはちその櫛を取りて、御陵《みはか》を作りて治め置きき(一三)。
 そこより入り幸《い》でまして、悉に荒ぶる蝦夷《えみし》ども(一四)を言向け、また山河の荒ぶる神どもを平け和して、還り上りいでます時に、足柄《あしがら》の坂|下《もと》に到りまして、御|粮《かれひ》聞《きこ》し食《め》す處に、その坂の神、白き鹿《か》になりて來立ちき。ここにすなはちその咋《を》し遺《のこ》りの蒜《ひる》の片端もちて、待ち打ちたまへば、その目に中《あた》りて、打ち殺しつ。かれその坂に登り立ちて、三たび歎かして詔りたまひしく、「吾嬬《あづま》はや」と詔りたまひき。かれその國に名づけて阿豆麻《あづま》といふなり。
 すなはちその國より越えて、甲斐に出でて、酒折《さかをり》(一五)の宮にまします時に歌よみしたまひしく、
[#ここから2字下げ]
新治《にひばり》 筑波《つくは》(一六)を過ぎて、幾夜か宿《ね》つる。  (歌謠番號二六)
[#ここで字下げ終わり]
 ここにその御火燒《みひたき》の老人《おきな》、御歌に續ぎて歌よみして曰ひしく、
[#ここから2字下げ]
かがなべて(一七) 夜には九夜《ここのよ》 日には十日を。  (歌謠番號二七)
[#ここで字下げ終わり]
と歌ひき。ここを以ちてその老人を譽めて、すなはち東《あづま》の國《くに》の造《みやつこ》(一八)を給ひき。
 その國より科野《しなの》の國(一九)に越えまして、科野の坂(二〇)の神を言向けて、尾張の國に還り來まして、先の日に期《ちぎ》りおかしし美夜受《みやず》比賣のもとに入りましき。ここに大御食《おほみけ》獻る時に、その美夜受《みやず》比賣、大御|酒盞《さかづき》を捧げて獻りき。ここに美夜受《みやず》比賣、その襲《おすひ》(二一)の襴《すそ》に月經《さはりのもの》著きたり。かれその月經を見そなはして、御歌よみしたまひしく、
[#ここから2字下げ]
ひさかたの(二二) 天《あめ》の香山《かぐやま》
利鎌《とかま》(二三)に さ渡る鵠《くび》(二四)、
弱細《ひはぼそ》(二五) 手弱《たわや》腕《かひな》を
枕《ま》かむとは 吾《あれ》はすれど、
さ寢《ね》むとは 吾《あれ》は思《おも》へど、
汝《な》が著《け》せる 襲《おすひ》の襴《すそ》に
月立ちにけり。  (歌謠番號二八)
[#ここで字下げ終わり]
 ここに美夜受《みやず》比賣、御歌に答へて歌よみして曰ひしく、
[#ここから2字下げ]
高光る 日の御子
やすみしし 吾《わ》が大君(二六)、
あら玉の(二七) 年が來經《きふ》れば、
あら玉の 月は來經往《きへゆ》く。
うべなうべな(二八) 君待ちがたに(二九)、
吾《わ》が著《け》せる 襲《おすひ》の裾《すそ》に
月立たなむよ(三十)。  (歌謠番號二九)
[#ここで字下げ終わり]
 かれここに御合ひしたまひて、その御刀《みはかし》の草薙の劒《たち》を、その美夜受《みやず》比賣のもとに置きて、伊服岐《いぶき》の山(三一)の神を取りに幸でましき。

(一) 九四頁[#「九四頁」は「崇神天皇」の「將軍の派遣」]脚註參照。
(二) ヒイラギの木の柄の長い桙。ヒイラギは葉の縁にトゲがあり魔物に對して威力があるとされる。
(三) 神が諸事を執り行われる所の意。
(四) 相模の國に同じ。神奈川縣の一部。
(五) 暴威を振う神。
(六) こちらから火をつけて向うへ燒く。野火に逢つた時には手元からも火をつけて先に野を燒いてしまつて難を免れる方法である。
(七) 燒津とする傳えもある。靜岡縣の燒津町がその傳説地であるが、相武の國の事としているので問題が殘る。
(八) 浦賀水道から千葉縣に渡ろうとした。
(九) 日本書紀に穗積氏の女とする。
(一〇) 波の上に多くの敷物を敷いて。
(一一) 海上で風波の難にあうのは、その海の神が船中の人または物の類を欲するからで、その神の欲するものを海に入れれば風波がしずまるとする思想がある。そこで姫が皇子に代つて海に入つて風波をしずめたのである。
(一二) 枕詞。嶺が立つている義だろうとする。嶺は靜岡縣とすれば富士山、神奈川縣とすれば大山である。
(一三) 所在不明。浦賀市走水に走水神社があつて、倭建の命と弟橘姫とを祭る。
(一四) アイヌ族をいう。
(一五) 山梨縣西山梨郡。
(一六) 共に茨城縣の地名。
(一七) 日を並べて。
(一八) 東方の國の長官。實際上はそのような廣大な土地の國の造を置かない。
(一九) 信濃の國。今の長野縣。
(二〇) 長野縣の伊那から岐阜縣の惠那に通ずる山路。木曾路は奈良時代になつて開通された。
(二一) 四四頁[#「四四頁」は「大國主の神」の「八千矛の神の歌物語」]脚註參照。
(二二) 枕詞。語義不明。日のさす方か。
(二三) 鵠の渡る線の形容か。
(二四) クビは、クグヒに同じ。コヒ、コフともいう。白鳥。但し杙の義とする説もある。以上、たわや腕の譬喩。
(二五) よわよわとして細い。修飾句。
(二六) 以上、天皇または皇子をたたえる。光りかがやく太陽のような御子、天下を知ろしめすわが大君。ヤスミシシ、語義不明。
(二七) 枕詞。みがかない玉の意。ト(磨ぐ)に冠する。月に冠するのは轉用。
(二八) ほんとにとうなずく意の語。底本にウベナウベナウベナとする。
(二九) カタニは、不能の意の助動詞。萬葉集に多くカテニの形を取り、ここはその原形。
(三十) 當然そうなるだろうの語意と見られる。この語形は、普通願望の意を表示するに使用されるのに、ここに願望になつていないのは特例とされる。ヨは間投の助詞。
(三一) 滋賀縣と岐阜縣との堺にある高山。

[#5字下げ]〔思國歌《くにしのひうた》〕[#「〔思國歌〕」は小見出し]
 ここに詔りたまひしく、「この山の神は徒手《むなで》に直《ただ》に取りてむ(一)」とのりたまひて、その山に騰《のぼ》りたまふ時に、山の邊に白猪逢へり。その大きさ牛の如くなり。ここに言擧して(二)詔りたまひしく、「この白猪になれるは、その神の使者《つかひ》にあらむ。今|殺《と》らずとも、還らむ時に殺《と》りて還りなむ」とのりたまひて騰りたまひき。ここに大氷雨《おほひさめ》を零《ふ》らして、倭建の命を打ち惑はしまつりき。[#割り注]この白猪に化れるは、その神の使者にはあらずて、その神の正身なりしを、言擧したまへるによりて、惑はさえつるなり。[#割り注終わり]かれ還り下りまして、玉倉部《たまくらべ》の清泉《しみづ》(三)に到りて、息ひます時に、御心やや寤《さ》めたまひき。かれその清泉《しみづ》に名づけて居寤《ゐさめ》の清泉《しみづ》といふ。
 其處《そこ》より發《た》たして、當藝《たぎ》の野《の》(四)の上に到ります時に、詔りたまはくは、「吾が心、恆は虚《そら》よ翔《かけ》り行かむと念ひつるを(五)、今吾が足え歩かず、たぎたぎしく(六)なりぬ」とのりたまひき。かれ其地《そこ》に名づけて當藝《たぎ》といふ。其地《そこ》よりややすこし幸でますに、いたく疲れませるに因りて、御杖を衝《つ》かして、ややに歩みたまひき。かれ其地《そこ》に名づけて杖衝坂《つゑつきざか》(七)といふ。尾津の前《さき》(八)の一つ松のもとに到りまししに、先に、御食《みをし》せし時、其地《そこ》に忘らしたりし御刀《みはかし》、失《う》せずてなほありけり。ここに御歌よみしたまひしく、
[#ここから2字下げ]
尾張に 直《ただ》に向へる(九)
尾津の埼なる 一つ松、吾兄《あせ》を(一〇)。
一つ松 人にありせば、
大刀|佩《は》けましを 衣《きぬ》着せましを。
一つ松、吾兄を。  (歌謠番號三〇)
[#ここで字下げ終わり]
 其地より幸でまして、三重の村(一一)に到ります時に、また詔りたまはく、「吾が足三重の勾《まがり》(一二)なして、いたく疲れたり」とのりたまひき。かれ其地に名づけて三重といふ。
 そこより幸でまして、能煩野《のぼの》(一三)に到ります時に、國|思《しの》はして歌よみしたまひしく、
[#ここから2字下げ]
倭《やまと》は 國のまほろば(一四)、
たたなづく 青垣(一五)、
山|隱《ごも》れる 倭し 美《うるは》し。  (歌謠番號三一)
[#ここで字下げ終わり]
 また、歌よみしたまひしく、
[#ここから2字下げ]
命の 全《また》けむ人は、
疊薦《たたみこも》(一六) 平群《へぐり》の山(一七)の
熊白檮《くまかし》が葉を
髻華《うず》に插せ(一八)。その子。  (歌謠番號三二)
[#ここで字下げ終わり]
 この歌は思國歌《くにしのひうた》(一九)なり。また歌よみしたまひしく、
[#ここから2字下げ]
はしけやし(二〇) 吾家《わぎへ》の方よ(二一) 雲居起ち來も。  (歌謠番號三三)
[#ここで字下げ終わり]
 こは片歌(二二)なり。この時御病いと急《にはか》になりぬ。ここに御歌よみしたまひしく、
[#ここから2字下げ]
孃子《をとめ》の 床の邊《べ》に
吾《わ》が置きし つるぎの大刀(二三)、
その大刀はや。  (歌謠番號三四)
[#ここで字下げ終わり]
 と歌ひ竟《を》へて、すなはち崩《かむあが》りたまひき。ここに驛使《はゆまづかひ》を上《たてまつ》りき。

(一) 退治しよう。
(二) 言い立てをして。
(三) 滋賀縣坂田郡の醒が井はその傳説地。
(四) 岐阜縣養老郡。
(五) 空中を飛んで行こうと思つたが。
(六) びつこを引く形容。高かつたり低かつたりするさま。
(七) 三重縣三重郡。
(八) 三重縣桑名郡。サキは、海上陸上に限らず突出した地形をいう。ここは陸上。
(九) じかに對している。
(一〇) 「あなたよ」という意の語で、歌詞を歌う時のはやしである。日本書紀には、アハレになつている。
(一一) 三重縣三重郡。
(一二) 餅米をこねて、ねじまげて作つた餅。
(一三) 三重縣鈴鹿郡。
(一四) もつともすぐれたところ。マは接頭語。ロバは接尾語。日本書紀にマホラマ。
(一五) 重なり合つている青い垣。山のこと。
(一六) 枕詞。敷物にしたコモ(草の名)。ヘ(隔)に冠する。
(一七) 奈良縣生駒郡。
(一八) 美しい白檮の木の葉を頭髮にさせ。ウズは髮にさす飾。もと魔よけの信仰のためにさすもの。
(一九) 歌曲としての名。
(二〇) 愛すべき。愛しきに、助詞ヤシの接續したもの。ハシキヨシ、ハシキヤシともいう。
(二一) わが家の方から。
(二二) 五音七音七音の三句の歌の稱。以上三首、日本書紀に景行天皇の御歌とする。
(二三) 普通ツルギは兩刃、タチは片刃の武器をいうが、嚴密な區別ではない。

[#5字下げ]〔白鳥の陵〕[#「〔白鳥の陵〕」は小見出し]
 ここに倭《やまと》にます后たち、また御子たちもろもろ下りきまして、御陵(一)を作りき。すなはち其地《そこ》のなづき田(二)に匍匐《はらば》ひ※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]《もとほ》りて、哭《みねなか》しつつ歌よみしたまひしく、
[#ここから2字下げ]
なづきの 田の稻幹《いながら》に、
稻幹《いながら》に 蔓《は》ひもとほろふ ※[#「くさかんむり/解」、第3水準1-91-31]葛《ところづら》(三)。  (歌謠番號三五)
[#ここで字下げ終わり]
 ここに八尋|白智鳥《しろちどり》(四)になりて、天翔《あまがけ》りて、濱に向きて飛びいでます。ここにその后たち御子たち、その小竹《しの》の苅杙《かりばね》(五)に、足切り破るれども、その痛みをも忘れて、哭きつつ追ひいでましき。この時、歌よみしたまひしく、
[#ここから2字下げ]
淺小竹原《あさじのはら》 腰《こし》なづむ(六)。
虚空《そら》は行かず、足よ行くな(七)。  (歌謠番號三六)
[#ここで字下げ終わり]
 またその海水《うしほ》に入りて、なづみ行《い》でます時、歌よみしたまひしく、
[#ここから2字下げ]
海が行けば 腰なづむ。
大河原の 植草《うゑぐさ》、
海がは いさよふ(八)。  (歌謠番號三七)
[#ここで字下げ終わり]
 また飛びてその磯に居たまふ時、歌よみしたまひしく、
[#ここから2字下げ]
濱つ千鳥 濱よ行かず(九) 磯傳ふ。  (歌謠番號三八)
[#ここで字下げ終わり]
 この四歌は、みなその御葬《みはふり》に歌ひき。かれ今に至るまで、その歌は天皇の大御葬《おほみはふり》に歌ふなり。かれその國より飛び翔り行でまして、河内の國の志幾《しき》(一〇)に留まりたまひき。かれ其地《そこ》に御陵を作りて、鎭まりまさしめき。すなはちその御陵に名づけて白鳥の御陵といふ。然れどもまた其地より更に天翔りて飛び行でましき。およそこの倭建の命、國|平《む》けに※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]り行《い》でましし時、久米《くめ》の直《あたへ》が祖、名は七|拳脛《つかはぎ》、恆《つね》に膳夫《かしはで》として御伴仕へまつりき。

(一) 能褒野の御陵。
(二) 御陵の周圍の田。
(三) 山の芋科の蔓草の蔓。譬喩で這いまつわる状を描く。
(四) 大きな白鳥。倭建の命の神靈が化したものとする。
(五) 小竹の刈つたあと。
(六) 腰が難澁する。
(七) 徒歩で行くよ。ナは感動の助詞。
(八) ためらう。
(九) 濱からは行かないで。
(一〇) 大阪府南河内郡。

[#5字下げ]〔倭建の命の系譜〕[#「〔倭建の命の系譜〕」は小見出し]
 この倭建の命、伊玖米《いくめ》の天皇(一)が女、布多遲《ふたぢ》の伊理毘賣《いりびめ》の命に娶ひて生みませる御子《みこ》帶中津日子《たらしなかつひこ》の命(二)一柱[#「一柱」は1段階小さな文字]。またその海に入りましし弟橘《おとたちばな》比賣の命(三)に娶ひて生みませる御子、若建《わかたける》の王一柱[#「一柱」は1段階小さな文字]。また近《ちか》つ淡海《あふみ》の安《やす》の國の造の祖、意富多牟和氣《おほたむわけ》が女、布多遲《ふたぢ》比賣に娶ひて、生みませる御子、稻依別《いなよりわけ》の王一柱[#「一柱」は1段階小さな文字]。また吉備《きび》の臣|建日子《たけひこ》が妹、大吉備《おほきび》の建《たけ》比賣に娶ひて、生みませる御子、建貝兒《たけかひこ》の王一柱[#「一柱」は1段階小さな文字]。また山代の玖玖麻毛理《くくまもり》比賣に娶ひて生みませる御子、足鏡別《あしかがみわけ》の王一柱[#「一柱」は1段階小さな文字]。またある妾《みめ》の子《みこ》、息長田別《おきながたわけ》の王。およそこの倭建の命の御子たち、并はせて六柱。かれ帶中津日子《たらしなかつひこ》の命は、天の下治らしめしき。次に稻依別の王は、犬上の君、建部の君等が祖なり。次に建貝兒の王は、讚岐の綾の君、伊勢の別、登袁の別、麻佐の首、宮の首の別等が祖なり。足鏡別の王は鎌倉の別、小津の石代の別、漁田《すなきだ》の別が祖なり。次に息長田別《おきながたわけ》の王の子《みこ》、杙俣長日子《くひまたながひこ》の王。この王の子、飯野《いひの》の眞黒《まぐろ》比賣の命、次に息長眞若中《おきながまわかなか》つ比賣、次に弟比賣《おとひめ》三柱[#「三柱」は1段階小さな文字]。かれ上にいへる若建の王、飯野の眞黒比賣に娶ひて生みませる子、須賣伊呂大中《すめいろおほなか》つ日子《ひこ》の王。この王、淡海《あふみ》の柴野入杵《しばのいりき》が女、柴野比賣に娶ひて生みませる子、迦具漏《かぐろ》比賣の命。かれ大帶日子《おほたらしひこ》の天皇、この迦具漏比賣の命に娶ひて生みませる子、大江《おほえ》の王一柱[#「一柱」は1段階小さな文字]。この王、庶妹《ままいも》銀《しろがね》の王に娶ひて生みませる子、大名方《おほながた》の王、次に大中《おほなか》つ比賣の命二柱[#「二柱」は1段階小さな文字]。かれこの大中《おほなか》つ比賣の命は、香坂《かごさか》の王、忍熊《おしくま》の王の御祖なり。
 この大帶日子《おほたらしひこ》の天皇の御年、一百三十七歳《ももちまりみそななつ》、御陵は山の邊の道の上(四)にあり。

(一) 垂仁天皇。
(二) 仲哀天皇。
(三) この事、一一一頁[#「一一一頁」は「景行天皇・成務天皇」の「倭建の命の東征」]に出ている。
(四) 奈良縣磯城郡。

[#5字下げ]〔成務天皇〕[#「〔成務天皇〕」は小見出し]
 若帶日子《わかたらしひこ》の天皇(一)、近つ淡海《あふみ》の志賀《しが》の高穴|穗《ほ》の宮(二)にましまして、天の下治らしめしき。この天皇、穗積《ほづみ》の臣等の祖、建忍山垂根《たけおしやまたりね》が女、名は弟財《おとたから》の郎女《いらつめ》に娶ひて、生みませる御子|和訶奴氣《わかぬけ》の王。かれ建内の宿禰を大臣《おほおみ》(三)として、大國小國(四)の國の造を定めたまひ、また國國の堺、また大縣小縣(五)の縣主を定めたまひき。
 天皇、御年|九十五歳《ここのそぢまりいつつ》[#割り注]乙卯の年三月十五日崩りたまひき。[#割り注終わり]御陵は、沙紀《さき》の多他那美《たたなみ》(六)にあり。

(一) 成務天皇。
(二) 滋賀縣滋賀郡。
(三) 宮廷の臣中の最高の位置。この後、建内の宿禰の子孫がこれに任ぜられた。
(四) 諸國の意。
(五) クニよりはアガタの方が小さい。
(六) 奈良縣生駒郡。

[#3字下げ]〔六、仲哀天皇〕[#「〔六、仲哀天皇〕」は中見出し]

[#5字下げ]〔后妃と皇子女〕[#「〔后妃と皇子女〕」は小見出し]
 帶中《たらしなか》つ日子《ひこ》の天皇(一)、穴門《あなと》の豐浦《とよら》の宮(二)また筑紫《つくし》の訶志比《かしひ》の宮(三)にましまして、天の下治らしめしき。この天皇、大江《おほえ》の王が女、大中津《おほなかつ》比賣の命に娶ひて、生みませる御子、香坂《かごさか》の王、忍熊《おしくま》の王二柱[#「二柱」は1段階小さな文字]。また息長帶《おきながたらし》比賣の命(四)に娶ひたまひき。この太后の生みませる御子、品夜和氣《ほむやわけ》の命、次に大鞆和氣《おほともわけ》の命、またの名は品陀和氣《ほむだわけ》の命二柱[#「二柱」は1段階小さな文字]。この太子《ひつぎのみこ》の御名、大鞆和氣《おほともわけ》の命と負はせる所以《ゆゑ》は、初め生れましし時に、鞆(五)なす宍《しし》、御腕《みただむき》に生ひき。かれその御名に著けまつりき。ここを以ちて腹|中《ぬち》にましまして國知らしめしき。この御世に、淡道《あはぢ》の屯家《みやけ》を定めたまひき。

(一) 仲哀天皇。
(二) 山口縣豐浦郡。
(三) 福岡縣糟屋郡香椎町。
(四) 神功皇后。開化天皇の系統。九〇頁[#「九〇頁」は「綏靖天皇以後八代」の「開化天皇」]參照。母系の系譜は一三九頁[#「一三九頁」は「應神天皇」の「天の日矛」]にある。
(五) 獸皮で球形に作り左の手につける。

[#5字下げ]〔神功皇后〕[#「〔神功皇后〕」は小見出し]
 その太后息長帶日賣の命は、當時《そのかみ》神|歸《よ》せ(一)したまひき。かれ天皇筑紫の訶志比《かしひ》の宮にましまして熊曾の國を撃たむとしたまふ時に、天皇御琴を控《ひ》かして、建内の宿禰の大臣|沙庭《さには》(二)に居て、神の命を請ひまつりき。ここに太后、神|歸《よ》せして、言教へ覺《さと》し詔りたまひつらくは、「西の方に國あり。金《くがね》銀《しろがね》をはじめて、目耀《まかがや》く種種《くさぐさ》の珍寶《うづたから》その國に多《さは》なるを、吾《あれ》今その國を歸《よ》せたまはむ」と詔りたまひつ。ここに天皇、答へ白したまはく、「高き地《ところ》に登りて西の方を見れば、國は見えず、ただ大海のみあり」と白して、詐《いつは》りせす神と思ほして、御琴を押し退《そ》けて、控きたまはず、默《もだ》いましき。ここにその神いたく忿りて、詔りたまはく、「およそこの天の下は、汝の知らすべき國にあらず、汝は一道に向ひたまへ(三)」と詔りたまひき。ここに建内の宿禰の大臣白さく、「恐《かしこ》し、我が天皇《おほきみ》。なほその大御琴あそばせ」とまをす。ここにややにその御琴を取り依せて、なまなまに控きいます。かれ、幾時《いくだ》もあらずて、御琴の音聞えずなりぬ。すなはち火を擧げて見まつれば、既に崩《かむあが》りたまひつ。
 ここに驚き懼《かしこ》みて、殯《あらき》の宮(四)にませまつりて、更に國の大幣《おほぬさ》を取りて(五)、生剥《いきはぎ》、逆剥《さかはぎ》、阿離《あはなち》、溝埋《みぞうみ》、屎戸《くそへ》、上通下通婚《おやこたはけ》、馬婚《うまたはけ》、牛婚《うしたはけ》、鷄婚《とりたはけ》、犬婚《いぬたはけ》の罪の類を種種《くさぐさ》求(六)ぎて、國の大|祓《はらへ》(七)して、また建内の宿禰|沙庭《さには》に居て、神の命《みこと》を請ひまつりき。ここに教へ覺したまふ状、つぶさに先《さき》の日の如くありて、「およそこの國は、汝命《いましみこと》の御腹にます御子の知らさむ國なり」とのりたまひき。
 ここに建内の宿禰白さく、「恐し、我が大神、その神の御腹にます御子は何の御子ぞも」とまをせば、答へて詔りたまはく、「男子《をのこ》なり」と詔りたまひき。ここにつぶさに請ひまつらく、「今かく言教へたまふ大神は、その御名を知らまくほし」とまをししかば、答へ詔りたまはく、「こは天照らす大神の御心なり。また底筒《そこつつ》の男《を》、中筒《なかつつ》の男《を》、上筒《うはつつ》の男《を》三柱の大神(八)なり。[#割り注]この時にその三柱の大神の御名は顯したまへり。[#割り注終わり]今まことにその國を求めむと思ほさば、天《あま》つ神《かみ》地《くに》つ祇《かみ》、また山の神海河の神たちまでに悉に幣帛《ぬさ》奉り、我が御魂を御船の上にませて、眞木《まき》の灰を瓠《ひさご》に納(九)れ、また箸と葉盤《ひらで》(一〇)とを多《さは》に作りて、皆皆大海に散らし浮けて、度《わた》りますべし」とのりたまひき。
 かれつぶさに教へ覺したまへる如くに、軍《いくさ》を整へ、船|雙《な》めて、度りいでます時に、海原の魚ども、大きも小きも、悉に御船を負ひて渡りき。ここに順風《おひかぜ》いたく起り、御船浪のまにまにゆきつ。かれその御船の波、新羅《しらぎ》の國(一一)に押し騰《あが》りて、既に國|半《なから》まで到りき。ここにその國主《こにきし》(一二)、畏《お》ぢ惶《かしこ》みて奏《まを》して言《まを》さく、「今よ後、天皇《おほきみ》の命のまにまに、御馬甘《みまかひ》として、年の毎《は》に船|雙《な》めて船腹|乾《ほ》さず、※[#「木+施のつくり」、122-本文-8]※[#「楫+戈」、第3水準1-86-21]《さをかぢ》乾さず、天地のむた、退《しぞ》きなく仕へまつらむ」とまをしき。かれここを以ちて、新羅《しらぎ》の國をば、御馬甘《みまかひ》と定めたまひ、百濟《くだら》の國(一三)をば、渡《わた》の屯家《みやけ》(一四)と定めたまひき。ここにその御杖を新羅《しらぎ》の國主《こにきし》の門《かなと》に衝き立てたまひ、すなはち墨江《すみのえ》の大神の荒御魂《あらみたま》(一五)を、國守ります神と祭り鎭めて還り渡りたまひき。

(一) 神靈をよせて教を受けること。
(二) 祭の場。
(三) ひたすらに一つの方向に進め。
(四) 葬らない前に祭をおこなう宮殿。
(五) 穢が出來たので、それを淨めるために、その料として筑紫の一國から品物を取り立てる。その産物などである。
(六) 穢を生じたのは、種々の罪が犯されたからであるからまずその罪の類を求め出す。屎戸までは、岩戸の物語(三二頁[#「三二頁」は「天照らす大神と須佐の男の命」の「天の岩戸」])に出た。生剥逆剥は、馬の皮をむく罪。屎戸は、きたないものを清淨なるべき所に散らす罪。上通下通婚以下は、不倫の婚姻行爲。
(七) 一國をあげての罪穢を拂う行事をして。
(八) 住吉神社の祭神。二七頁[#「二七頁」は「伊耶那岐の命と伊耶那美の命」の「身禊」]參照。
(九) 木を燒いて作つた灰をヒサゴ(蔓草の實、ユウガオ、ヒョウタンの類)に入れて。これは魔よけのためと解せられる。
(一〇) 木の葉の皿。これは食物を與える意。
(一一) 當時朝鮮半島の東部を占めていた國。
(一二) 朝鮮語で王または貴人をいう。コニキシともコキシともいう。
(一三) 當時朝鮮半島の南部を占めていた國。
(一四) 渡海の役所。
(一五) 神靈の荒い方面。

[#5字下げ]〔鎭懷石と釣魚〕[#「〔鎭懷石と釣魚〕」は小見出し]
 かれその政いまだ竟へざる間《ほど》に、妊《はら》ませるが、産《あ》れまさむとしつ。すなはち御腹を鎭《いは》ひたまはむとして、石を取らして、御裳《みも》の腰に纏かして、筑紫《つくし》の國に渡りましてぞ、その御子は生《あ》れましつる。かれその御子の生れましし地に名づけて、宇美(一)といふ。またその御裳に纏《ま》かしし石は、筑紫の國の伊斗《いと》の村(二)にあり。
 また筑紫の末羅縣《まつらがた》の玉島の里(三)に到りまして、その河の邊に御|食《をし》したまふ時に、四月《うづき》の上旬《はじめのころ》なりしを、ここにその河中の磯にいまして、御裳の絲を拔き取り、飯粒《いひぼ》を餌にして、その河の年魚《あゆ》を釣りたまひき。[#割り注]その河の名を小河といふ。またその磯の名を勝門比賣といふ。[#割り注終わり]かれ四月の上旬の時、女ども裳の絲を拔き、飯粒を餌にして、年魚《あゆ》釣ること今に至るまで絶えず。

(一) 福岡縣糟屋郡。
(二) 同糸島郡。萬葉集卷の五にこの石を詠んだ歌がある。
(三) 佐賀縣東松浦郡の玉島川。

[#5字下げ]〔香坂《かごさか》の王と忍熊《おしくま》の王〕[#「〔香坂の王と忍熊の王〕」は小見出し]
 ここに息長帶日賣の命、倭《やまと》に還り上ります時に人の心|疑《うたが》はしきに因りて、喪船を一つ具へて、御子をその喪船に載せまつりて、まづ「御子は既に崩りましぬ」と言ひ漏らさしめたまひき。かくして上りいでましし時に、香坂《かごさか》の王|忍熊《おしくま》の王聞きて、待ち取らむと思ほして、斗賀野《とがの》(一)に進み出でて、祈狩《うけひがり》(二)したまひき。ここに香坂《かごさか》の王、歴木《くぬぎ》に騰りいまして見たまふに、大きなる怒り猪出でて、その歴木《くぬぎ》を掘りて、すなはちその香坂《かごさか》の王を咋《く》ひ食《は》みつ。その弟忍熊の王、その態《しわざ》を畏《かしこ》まずして、軍を興し、待ち向ふる時に、喪船に赴《むか》ひて空《むな》し船《ふね》を攻めたまはむとす。ここにその喪船より軍を下して戰ひき。
 その時|忍熊《おしくま》の王は、難波《なには》の吉師部《きしべ》が祖、伊佐比《いさひ》の宿禰を將軍《いくさのきみ》とし、太子《ひつぎのみこ》の御方には、丸邇《わに》の臣が祖、難波根子建振熊《なにはねこたけふるくま》の命を、將軍としたまひき。かれ追ひ退《そ》けて山代(三)に到りし時に、還り立ちておのもおのも退かずて相戰ひき。ここに建振熊の命|權《たばか》りて、「息長帶日賣の命は、既に崩りましぬ。かれ、更に戰ふべくもあらず」といはしめて、すなはち弓絃《ゆづら》を絶ちて、欺《いつは》りて歸服《まつろ》ひぬ。ここにその將軍既に詐りを信《う》けて、弓を弭《はづ》し、兵《つはもの》を藏めつ。ここに頂髮《たぎふさ》(四)の中より設《ま》けの弦《ゆづる》(五)を採《と》り出で更に張りて追ひ撃つ。かれ逢坂《あふさか》(六)に逃げ退きて、對《む》き立ちてまた戰ふ。ここに追ひ迫《せ》め敗りて、沙沙那美《ささなみ》(七)に出でて、悉にその軍を斬りつ。ここにその忍熊の王、伊佐比《いさひ》の宿禰と共に追ひ迫めらえて、船に乘り、海(八)に浮きて、歌よみして曰ひしく、
[#ここから2字下げ]
いざ吾君《あぎ》(九)、
振熊《ふるくま》が 痛手負はずは、
鳰鳥《にほどり》(一〇)の 淡海の海(一一)に
潛《かづ》きせなわ(一二)。  (歌謠番號三九)
[#ここで字下げ終わり]
と歌ひて、すなはち海に入りて共に死《し》にき。

(一) 兵庫縣武庫郡。
(二) 神に誓つて狩をして、これによつて神意を窺う。ここでは凶兆であつた。
(三) 山城に同じ。
(四) 頭上にてつかねた髮。
(五) 用意の弓弦。
(六) 京都府と滋賀縣との堺の山。
(七) 琵琶湖の南方の地。
(八) 琵琶湖。
(九) さああなた。
(一〇) カイツブリ。水鳥。敍述による枕詞。
(一一) 琵琶湖。
(一二) 水にもぐりましよう。ナは自分の希望を現す助詞。ワは感動の助詞。

[#5字下げ]〔氣比《けひ》の大神〕[#「〔氣比の大神〕」は小見出し]
 かれ建内の宿禰の命、その太子《ひつぎのみこ》を率《ゐ》まつりて、御禊《みそぎ》(一)せむとして、淡海また若狹の國を經歴《めぐ》りたまふ時に、高志《こし》の前《みちのくち》の角鹿《つぬが》(二)に、假宮を造りてませまつりき。ここに其地《そこ》にます伊奢沙和氣《いざさわけ》の大神の命(三)、夜の夢《いめ》に見えて、「吾が名を御子の御名に易へまくほし」とのりたまひき。ここに言祷《ことほ》ぎて白さく、「恐し、命のまにまに、易へまつらむ」とまをす。またその神詔りたまはく、「明日《あす》の旦《あした》濱にいでますべし。易名《なかへ》の幣《みやじり》(四)獻らむ」とのりたまふ。かれその旦濱にいでます時に、鼻|毀《やぶ》れたる入鹿魚《いるか》、既に一浦に依れり。ここに御子、神に白さしめたまはく、「我に御食《みけ》の魚《な》給へり」とまをしたまひき。かれまたその御名をたたへて御食津《みけつ》大神とまをす。かれ今に氣比《けひ》の大神とまをす。またその入鹿魚《いるか》の鼻の血|臭《くさ》かりき。かれその浦に名づけて血浦といふ。今は都奴賀《つぬが》といふなり。

(一) 水によつて穢を拂う行事。既出。
(二) 越前の國の敦賀市。
(三) 同市氣比神宮の祭神。
(四) 名をとりかえたしるしの贈り物。

[#5字下げ]〔酒樂《さかくら》の歌曲〕[#「〔酒樂の歌曲〕」は小見出し]
 ここに還り上ります時に、その御祖《みおや》息長帶日賣の命、待酒(一)を釀みて獻りき。ここにその御祖、御歌よみしたまひしく、
[#ここから2字下げ]
この御酒《みき》は わが御酒ならず。
酒《くし》の長《かみ》(二) 常世《とこよ》(三)にいます
石《いは》立《た》たす(四) 少名《すくな》御神(五)の、
神壽《かむほ》き 壽き狂《くる》ほし
豐壽《とよほ》き 壽きもとほし(六)
獻《まつ》り來《こ》し 御酒《みき》ぞ
乾《あ》さずをせ(七)。ささ(八)。  (歌謠番號四〇)
[#ここで字下げ終わり]
 かく歌ひたまひて、大御酒獻りき。ここに建内の宿禰の命、御子のために答へて歌ひして曰ひしく、
[#ここから2字下げ]
この御酒を 釀《か》みけむ人は、
その鼓《つづみ》(九) 臼に立てて(一〇)
歌ひつつ 釀《か》みけれかも(一一)、
舞ひつつ 釀《か》みけれかも、
この御酒の 御酒の
あやに うた樂《だの》し(一二)。ささ。  (歌謠番號四一)
[#ここで字下げ終わり]
 こは酒樂《さかくら》(一三)の歌なり。
 およそこの帶中津日子《たらしなかつひこ》の天皇の御年|五十二歳《いそぢまりふたつ》。[#割り注]壬戌の年六月十一日崩りたまひき。[#割り注終わり]御陵は河内の惠賀《ゑが》の長江《ながえ》(一四)にあり。皇后は御年一百歳にして崩りましき。狹城《さき》の楯列《たたなみ》の陵(一五)に葬めまつりき。

(一) 人を待つて飮む酒。
(二) 酒をつかさどる長官。原文「久志能加美」美はミの甲類の字であり、神のミは乙類であるから、酒の神とする説は誤。
(三) 永久の世界。また海外。スクナビコナは海外へ渡つたという。
(四) 石のように立つておいでになる。
(五) スクナビコナに同じ。
(六) 祝い言をさまざまにして。
(七) 盃がかわかないようにつづけてめしあがれ。
(八) はやし詞。
(九) 後世のツヅミの大きいもの。太鼓。
(一〇) 酒をかもす入れものとして。
(一一) 酒を作つたからか。疑問の已然條件法。
(一二) 大變にたのしい。
(一三) 歌曲の名。この二首、琴歌譜にもある。
(一四) 大阪府南河内郡。
(一五) 奈良縣生駒郡。

(つづく)



底本:「古事記」角川文庫、角川書店
   1956(昭和31)年5月20日初版発行
   1965(昭和40)年9月20日20版発行
底本の親本:「眞福寺本」
※底本は校注が脚註の形で配置されています。このファイルでは校註者が追加した標題ごとに、書き下し文、校注の順序で編成しました。
※(一)〜(五五)は注釈番号です。底本では、直前の文字の右横に、ルビのように漢数字のみ付いています。このファイルでは本文の漢数字との混同を避けるため(漢数字)で表しました。
※〔〕は底本の親本にはないもので、校註者が補った箇所を表します。
※頁数を引用している箇所には校註者が追加した標題を注記しました。
※底本は書き下し文のみ歴史的かなづかいで、その他は新かなづかいです。なお拗音・促音は小書きではありません。
入力:川山隆
校正:しだひろし
YYYY年MM月DD日作成
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*地名

(※ 市町村名は、平成の大合併以前の表記のまま。一般的な国名・地名などは解説省略。
  • 大八島国 おおやしまぐに おおやしま。大八洲国。(多くの島から成る意)日本国の古称。
  • 阿豆麻 あずま → 東
  • 東・吾妻・吾嬬 あずま (1) (景行紀に、日本武尊が東征の帰途、碓日嶺から東南を眺めて、妃弟橘媛の投身を悲しみ、「あづまはや」と嘆いたという地名起源説話がある)日本の東部地方。古くは逢坂の関以東、また伊賀・美濃以東をいったが、奈良時代にはほぼ遠江・信濃以東、後には箱根以東を指すようになった。(2) 特に京都からみて関東一帯、あるいは鎌倉・鎌倉幕府・江戸をいう称。
  • [茨城県]
  • 新治 にいはり/にいばり 郡名・村名。現、新治郡千代田村新治。
  • 筑波 つくは/つくば (古くは清音) 茨城県筑波郡の旧地名。
  • [千葉県]
  • 安房郡 あわぐん 房総半島の南端にある郡。北東に鴨川市、南西に館山市があり、明治30(1897)には両市を含む地域、すなわち旧安房国四郡の全域が合併により新たに安房郡として成立した。古代の安房郡は、原始・古代より大地震などに伴うとみられる地盤の隆起が激しく、今から6000年くらい前の縄文時代前期の頃とくらべると約25mほど隆起していると考えられている。古墳時代から奈良・平安時代にかけての館山湾(鏡ヶ浦)から白浜町にかけての海岸一帯は少なくとも現在の標高5mくらいの所まで海であったものと考えられ、海岸部は古代と現在では景観がまったく異なっていたことが想定される。
  • 東の淡の水門 あずまのあわのみなと → 安房の水門
  • 安房の水門 あわのみなと 淡水門。比定地は浦賀水道・館山湾・平久里川(湊川)下流左岸館山市湊の三説がある。
  • [神奈川県]
  • [相武の国] さがむ 相模の国に同じ。神奈川県の一部。
  • 走水の海 はしりみずのうみ 浦賀水道のこと。
  • 浦賀 うらが 神奈川県横須賀市の地名。1853年(嘉永6)アメリカの提督ペリーが来航して通商を求めた地。
  • 走水 はしりみず 村名。現、神奈川県横須賀市走水。
  • 走水神社 はしりみず じんじゃ、か。現、横須賀市走水。旧、走水村は三浦半島東端に位置し、浦賀水道を扼する交通・軍事上の要地。走水湊を見下ろす鎮守走水神社(走水権現社)は日本武尊・牛頭天王を祀り、旗山崎にあった弟橘媛を祀る橘神社を明治42年合祀した。
  • 浦賀水道 うらが すいどう 東京湾の入口、三浦半島と房総半島との間の海峡。幅約7km。
  • 大山 おおやま 神奈川県中部の山。一名、雨降山。頂上の大山阿夫利神社は雨乞いの神。標高1252m。
  • 足柄 あしがら 神奈川県南西部の地方名。
  • 坂本 さかもと 現、南足柄市足柄山。
  • 小野 おの、か。 現、横浜市鶴見区小野町か。
  • [静岡県]
  • 焼遣 やきづ → 焼津
  • 焼津 やいづ 静岡県中部の市。駿河湾西岸に位置する遠洋漁業の根拠地で、缶詰など水産加工業が盛ん。日本武尊東征の際に、草を薙いで火難を鎮めた所という。人口12万。
  • 焼津町 やいづちょう、か。現、焼津市焼津。旧、焼津村。小石川河口の南に位置し、益津郡に属する。古代の焼遣・焼津の遺称地とされ、中世には焼津郷とよばれた。
  • 富士山 ふじさん (不二山・不尽山とも書く)静岡・山梨両県の境にそびえる日本第一の高山。富士火山帯にある典型的な円錐状成層火山で、美しい裾野を引き、頂上には深さ220mほどの火口があり、火口壁上では剣ヶ峰が最も高く3776m。史上たびたび噴火し、1707年(宝永4)爆裂して宝永山を南東中腹につくってから静止。箱根・伊豆を含んで国立公園に指定。立山・白山と共に日本三霊山の一つ。芙蓉峰。富士。
  • [山梨県]
  • [甲斐] かい 旧国名。いまの山梨県。甲州。
  • 酒折の宮 さかおりのみや 日本武尊が東征の途中立ち寄ったという伝説の地。甲府市の酒折宮がその址とされる。
  • 筑波の道 つくばのみち 連歌の別称。日本武尊が筑波を過ぎて甲斐国酒折宮に着いた時、「新治筑波を過ぎて幾夜か寝つる」と歌ったのに対して、火ともしの翁が「かがなべて夜には九夜日には十日を」と答えたのを、連歌の初めとしたことから。
  • 西山梨郡 にしやまなしぐん 明治11(1878)山梨郡が東西に分割されて成立。成立時には東は東山梨郡、南東は笛吹川を境に東八代郡、北と西は荒川を境に中巨摩郡に接していた。旧甲府城下の町々を含み、ほぼ現在の甲府市東半部にあたる。
  • [長野県]
  • [科野の国] しなののくに 信濃国。旧国名。いまの長野県。科野。信州。
  • [信濃の国] しなののくに 旧国名。いまの長野県。科野。信州。
  • 伊那 いな 長野県伊那盆地北部の市。天竜川の段丘上に位置し、かつて養蚕業が盛んであったが、今は電子・精密機械工業が立地。人口7万2千。
  • [尾張の国]  おわりのくに 旧国名。今の愛知県の西部。尾州。張州。
  • [岐阜県]
  • 恵那 えな 岐阜県南東部の市。中山道の宿駅。製紙・精密機械工業が立地。付近に恵那峡がある。人口5万6千。
  • 木曽路 きそじ 中山道の一部。木曾谷を通る街道。贄川から馬籠あたりまでをいう。木曾街道。
  • 養老郡 ようろうぐん 岐阜県南西部の郡。1897(明治30)多芸郡・上石津郡が合併して成立。(日本史)
  • 当芸の野 たぎのの → 当芸野
  • 当芸野 たぎの 多芸野。現、岐阜県養老郡養老町か。養老の滝。
  • 当芸 たぎ 多芸庄は現、養老郡養老町の中央部から北部一帯および大垣市南西部の多芸島(たぎしま)あたりにわたる地に比定される。多岐・多記とも書かれる。
  • 多芸郡 たぎぐん 郡名の用字は多彩で、当芸・当耆・当嗜・当伎・多紀・多伎などがある。本来の読みはタギであろう。西美濃と伊勢・尾張を結ぶ交通路として重要な位置にある。
  • 牟宜都 むげつ 現、岐阜県武儀郡。県中央部。大化前代に牟義都国があり、国造は牟義都氏(牟宜都、身毛などとも記す)。中心は現、美濃市・関市の平野部であったとみられる。
  • [三重県]
  • 伊勢市
  • 伊勢の大御神の宮 → 伊勢大神宮
  • 伊勢大神宮 いせ だいじんぐう 伊勢神宮の別称。
  • 伊勢神宮 いせ じんぐう 三重県伊勢市にある皇室の宗廟。正称、神宮。皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮)との総称。皇大神宮の祭神は天照大神、御霊代は八咫鏡。豊受大神宮の祭神は豊受大神。20年ごとに社殿を造りかえる式年遷宮の制を遺し、正殿の様式は唯一神明造と称。三社の一つ。二十二社の一つ。伊勢大廟。大神宮。
  • 三重郡 みえぐん 伊勢国北部の郡。現在の三重県三重郡・四日市市にあたる。(日本史)
  • 杖衝坂 つえつきざか 三重県四日市市采女にある東海道の坂の名称。国道1号横の旧東海道にあり、三重県名の由来にもなったヤマトタケルの故事がある急坂。東海道五十三次の四日市宿と石薬師宿の中間に位置する。
  • 三重の村 みえのむら 現、三重郡か。県北部。
  • 三重 みえ 近畿地方東部の県。伊賀・伊勢・志摩3国の全域と紀伊国の東部を管轄。県庁所在地は津市。面積5760平方km。人口186万7千。全14市。
  • 鈴鹿郡 すずかぐん 伊勢国北西部の郡。現在の三重県鈴鹿郡・亀山市・鈴鹿市にあたる。国府や三関の一つ鈴鹿関がおかれた。(日本史)
  • 能煩野 のぼの 能褒野。三重県亀山市の町。日本武尊を埋葬した地と称し、能褒野神社がある。
  • 桑名郡 くわなぐん 三重県の北部に位置する郡。
  • 尾津の前 おつのさき 尾津の埼。現、桑名郡多度町小山の付近に比定。紀は乙津浜。
  • [滋賀県]
  • 伊服岐の山 いぶきのやま 伊吹山。胆吹山とも。滋賀県坂田郡と岐阜県揖斐郡・不破郡との境にある山。標高1377m。記紀は日本武尊が東国征討の帰途、この山に住む荒ぶる神の平伏にむかったが、かえって神のおこした悪天候のために道に迷って体力を失い、これがもとで死亡したとする。日本海からの強風で常に気象状況が悪いことからうまれた説話であろう。(日本史)
  • 伊吹 いぶき 滋賀県北東部、伊吹山西麓の地。
  • 坂田郡 さかたぐん 湖東から湖北にかけて位置し、かつての郡は、北は浅井郡、南は犬上郡、東は美濃国、西は琵琶湖に面していた。北東には伊吹山、南東には霊仙山(1084m)の山地があり、中央部には低い横山山地が南北に連なり、北端部を姉川、郡の南寄りを天野川が流れる。
  • 醒が井 さめがい 宿名。現、滋賀県米原町。中山道の宿駅。(日本史)
  • 玉倉部の清水 たまくらべの しみず 玉倉部邑。現比定地には、(1) 現、米原町醒井説と、(2) 同じく伊吹山の山麓にあって不破と息長の中間に位置する現、岐阜県不破郡関ヶ原大字玉の説とがある。
  • 居寤の清泉 いさめのしみず 現、坂田郡米原町醒井に比定。
  • 滋賀郡 しがぐん 琵琶湖南西部にある。旧郡域の大部分は大津市に編入され、現在は一町のみが郡域として残る。
  • 近つ淡海 ちかつおうみ 近江。浜名湖を「遠つ淡海」というのに対して、琵琶湖の称。また、近江の古称。
  • 志賀の高穴穂の宮 しがの たかあなほのみや 記では成務天皇の、紀では景行天皇以来、仲哀天皇まで用いられた宮とする。『帝王編年記』などは、現在の大津市坂本穴太町に比定する。周辺には舘所・大門の地名がある。(日本史)
  • 逢坂 おおさか/おうさか 大津市南部にある、東海道の坂。北西に逢坂山がある。(歌枕)
  • 沙沙那美 ささなみ 篠波。
  • 淡海の海 おうみのうみ 琵琶湖。
  • [大阪府]
  • [河内国] かわちのくに (古くカフチとも)旧国名。五畿の一つ。今の大阪府の東部。河州。
  • 志幾 しき 志紀郡。志貴。近世の郡域は、八尾市の南部と藤井寺市の東部・柏原市の一部に属する。
  • 白鳥の御陵 しらとりのみささぎ? 白鳥陵。現、御所市大字富田小字天皇。国見山西側中腹に所在する円墳で、日本武尊陵と伝える。記紀によれば、日本武尊は伊勢の能褒野に葬られたが、白鳥と化して大和に飛び、琴弾原にとどまったので、同地に陵を造ったという。さらに白鳥は河内国の旧市邑にとどまったので同地も陵を造った。俗に白鳥の三陵という。『大和志』『大和遷都図考』その他は、琴弾原を冨田村・原谷村間とするので、鑵子塚古墳(大字柏原)を白鳥陵とする説もある。
  • 南河内郡 みなみかわちぐん 府の南東部、旧河内国の南部にあたる。明治29(1896)成立。当時の南河内郡は、東は金剛山・葛城山の金剛山地で奈良県、南は和泉山脈で和歌山県、西は泉北郡、北は中河内郡に接し、中河内郡との間に大和川が流れていた。
  • 恵賀の長江 えがのながえ
  • 恵賀 えが 現、羽曳野市恵我之荘か。
  • 恵賀の裳伏の岡 えがの もふしの おか 現、羽曳野市誉田。誉田御廟山古墳。応神天皇陵に比定されている。
  • [大阪市]
  • 住吉神社 すみよし じんじゃ 大阪市住吉区住吉にある元官幣大社。住吉神の三神と神功皇后とを祀る。二十二社の一つ。摂津国一の宮。今は住吉大社と称す。同名の神社は、下関市一の宮住吉(長門国一の宮)や福岡市博多区住吉(筑前国一の宮)など各地にある。
  • [奈良県]
  • [大倭の国] おおやまとのくに (2) 大和国の称。
  • [大和国] やまとのくに 大和・倭。(「山処(やまと)」の意か) 旧国名。今の奈良県の管轄。もと、天理市付近の地名から起こる。初め「倭」と書いたが、元明天皇のとき国名に2字を用いることが定められ、「倭」に通じる「和」に「大」の字を冠して大和とし、また「大倭」とも書いた。和州。
  • 桜井市
  • 纏向日代宮 まきむくの ひしろのみや 現、桜井市。景行天皇の宮。
  • 天の香山 あめのかぐやま 天香山・天香具山。奈良県橿原市の南東部にある山。標高152m。耳成山・畝傍山と共に大和三山と称する。樹木が繁茂して美しい。麓に埴安池の跡がある。天の香具山。(歌枕)
  • 磯城郡 しきぐん 奈良盆地中央部の低平地。ほぼ東境から北境を初瀬川(大和川上流)が流れ、中央の寺川、西の飛鳥川、西境の曾我川が曲折しつつ北流し、北端で大和川に注ぐ。東は天理市・桜井市、西は北葛城郡、南は橿原市、北は大和郡山市・生駒郡。
  • 坂手の池 さかてのいけ 現、磯城郡田原本町大字阪手に比定。
  • 山の辺の道の上 やまのべの みちのえ → 山辺道上陵
  • 山辺道上陵 やまのべの みちのえの みささぎ 現、奈良県天理市渋谷町の渋谷向山古墳に比定。
  • 生駒郡 いこまぐん 県北西部に位置し、生駒山地や矢田丘陵の傾斜地(平群谷)と大和川北岸の平坦地からなる。北は生駒市、東は大和郡山市、南は大和川をはさんで北葛城郡・磯城郡、西は生駒山地を境として大阪府。古代の平群郡の一部。
  • 平群の山 へぐりのやま 現、生駒郡斑鳩町の矢田丘陵に比定。
  • 平群 へぐり 古代の豪族平群氏の拠点。大和国平群郡。現在の奈良県生駒郡・生駒市南部を中心とした地域。
  • 沙紀の多他那美 さきの たたなみ 佐紀の盾列か。佐紀は現、奈良市北部、佐紀町・歌姫町・山陵町付近一帯の総称。奈良市曾布の佐紀丘陵に佐紀盾列古墳群が所在。
  • 狭城の楯列 さきのたたなみ 現、奈良市山陵町。狭城楯列池後陵。成務天皇陵に治定。
  • [兵庫県]
  • 武庫郡 むこぐん かつて兵庫県・摂津国に存在した郡。当初の郡域は現在の芦屋市・宝塚市南西部・西宮市南部・尼崎市西部にあたるが後に拡大した。
  • 斗賀野 とがの 菟餓野。古代の地名。現、大阪市北区兎我野町周辺を遺称地とする説が有力であるが、現、灘区都賀川流域に比定する説や、夢野の古称と解して兵庫区夢野町付近に求める説もある。
  • 淡路の屯倉 あわじのみやけ 現、三原郡三原町の榎列大榎列(えなみおおえなみ)には屯倉神社があり、屯倉の所在地の中心部を示唆する。皇室直轄の地として三原平野に産する穀物等を納める倉庫や、田地・山野が定められたのであろう。
  • [淡海] おうみ 近江・淡海。(アハウミの転。淡水湖の意で琵琶湖を指す)旧国名。今の滋賀県。江州。
  • [若狭の国] わかさ 旧国名。今の福井県の西部。若州。
  • [越の国] こしのくに 北陸道の古称。高志国。こしのみち。越。越路。
  • [高志] こし 越・高志。(→)「こしのくに(越の国)」に同じ。
  • 高志の前 こしのみちのくち → 道の口
  • 道の口 みちのくち (1) ある国に入る道の入口。(2) 古代、一国を二つまたは三つに分けたときの、都に最も近い地方。例えば越地方では越前を「こしのみちのくち」という。
  • [越前の国]
  • 角鹿 つぬが → 敦賀
  • 敦賀 つるが 福井県の南部、敦賀湾に面する港湾都市。古代から日本海側における大陸交通の要地。奈良時代には角鹿と称。原子力発電所が立地。人口6万8千。/郡域は現、敦賀市・南条郡・武生市南西部・丹生郡西南部にわたっていた。『和名抄』東急本郡部は「都留我」と訓ずる。古くは角鹿と記し、「つぬが」と訓じた。紀の垂仁天皇2年の条の注に、崇神天皇のとき「意富加羅国」の王子「都怒我阿羅斯等」が笥飯(けひ)浦に来着したが、額に角があったのでこの地を角鹿と称したと記す。
  • 気比神宮 けひ じんぐう 福井県敦賀市曙町にある元官幣大社。祭神は伊奢沙別命・日本武尊・帯中津彦命・息長帯姫命・誉田別命・豊姫命・武内宿祢。越前国一の宮。
  • 血浦 ちうら → 敦賀
  • 都奴賀 つぬが → 敦賀
  • [出雲国]
  • 肥の河 ひのかわ → 簸川、斐伊川
  • 簸川 ひのかわ 日本神話に出る出雲の川の名。川上で素戔嗚命が八岐大蛇を退治したという。島根県の東部を流れる斐伊川をそれに擬する。
  • [山口県]
  • 豊浦郡 とようらぐん 県の西端を占め、北東は大津郡・長門市、東は美祢市、南は下関市に接し、西は響灘に臨む。下関市が分離する以前の旧豊浦郡域は関門海峡をはさんで九州に対する本州最西端の地でもあった。
  • 穴門 あなと 関門海峡の古称。また、長門国の古称。
  • 豊浦の宮 とよらのみや 現、山口県下関市忌宮神社の境内地あたりと伝えられる。
  • [筑紫の国] つくしのくに
  • [福岡県]
  • 糟屋郡 かすやぐん 県北部に位置し、北は玄界灘に臨む。東は北部から古賀市、三郡山地で鞍手郡・飯塚市・嘉穂郡と接し、南は筑紫野市・太宰府市・大野城市、西側の北部は福岡市東区と南部は大城山から北へと延びる丘陵で同市博多区と接する。東部の山地に流れを発する多々良川が西流し、東区へ博多湾へと入る。郡南部からは須恵川を合わせた宇美川が北流して河口部で多々良川に合流する。同川下流の粕屋町から東区にかけては、かつて多々良潟とよばれた低平地が広がる。
  • 香椎町 かしいちょう、か。 現、福岡市東区香椎。立花山(367m)の南麓一帯、香椎宮周辺の地名。近世まで西は海に面していた。『和名抄』所載の糟屋郡香椎郷の遺称地。昭和18年、香椎村が町制施行、同30年、香椎町と多々良町が福岡市に合併。
  • 筑紫の訶志比の宮 つくしの かしひのみや → 香椎宮か
  • 香椎宮 かしいぐう 福岡市香椎にある元官幣大社。仲哀天皇・神功皇后を祀る。記紀伝承の橿日宮の旧址に当たるという。香椎廟。
  • 宇美 うみ 福岡県糟屋郡宇美町宇美。三郡山の西に位置し、宇美川の上流域を占める。
  • 糸島郡 いとしまぐん 福岡県。怡土郡+志摩郡。県西部。
  • 伊斗 いと 現、糸島郡二丈町児饗野か。神功皇后の産気を抑えた霊石の伝説にちなむ地名。遺称地とされる深江の子負ヶ原には現在、鎮懐石八幡宮が鎮座。
  • 伊都国 いとこく 弥生時代の北九州、今の福岡市西方の半島にあった小国。後世怡土郡となり、また志摩郡と合併して糸島郡となる。
  • [佐賀県]
  • 末羅県 まつらがた 松浦県。 → 松浦
  • 松浦 まつら 肥前松浦地方(現在の佐賀県・長崎県の北部)の古称。「魏志」に見える末盧(末羅)国にあたる。古代に、松浦県、次いで松浦郡が設置された。梅豆羅国。
  • 東松浦郡 ひがしまつうらぐん 県の北西部に位置し、玄界灘に面する上場(うわば)と称せられる東松浦半島と周辺の向島・馬渡島・松島・加唐島・加部島・小川島などを含み、中心部は松浦川流域。東は福岡県・佐賀郡と接し、西は伊万里湾に面する。
  • 玉島川 たましまがわ 七山村の北端、浮岳の峰続きの荒川峠に源を発する。昔は五反田付近から鏡山の北山麓へ大きく迂回してかつての栗川と合流して唐津湾に出ていたという。
  • 玉島 たましま 現、東松浦郡浜玉町大字南山字玉島。
  • 小河
  • 勝門比売 磯の名。
  • [肥後国]
  • [熊本県]
  • クマの地 肥後国球磨郡。熊本県人吉盆地。(日本史)
  • [鹿児島県]
  • ソの地 ソオ。大隅国曽於郡。鹿児島県国分平野を中心とする一帯。(日本史)
  • 熊曽国 くまそのくに 豊国は豊日別といい、肥国は建日向日豊久土比泥別といい、熊曽国は建日別といったとされる(記)。熊曽国は、のちの国名でいえば日向・大隅・薩摩の三国の地域になる。
  • 新羅 しらぎ (古くはシラキ)古代朝鮮の国名。三国の一つ。前57年頃、慶州の地に赫居世が建てた斯盧国に始まり、4世紀、辰韓諸部を統一して新羅と号した。6世紀以降伽�(加羅)諸国を滅ぼし、また唐と結んで百済・高句麗を征服、668年朝鮮全土を統一。さらに唐の勢力を半島より駆逐。935年、56代で高麗の王建に滅ぼされた。中国から取り入れた儒教・仏教・律令制などを独自に発展させ、日本への文化的・社会的影響大。しんら。(356〜935)
  • 百済 くだら (クダラは日本での称) 古代朝鮮の国名。三国の一つ。4〜7世紀、朝鮮半島の南西部に拠った国。4世紀半ば馬韓の1国から勢力を拡大、371年漢山城に都した。後、泗�城(現、忠清南道扶余)に遷都。その王室は中国東北部から移った扶余族といわれる。高句麗・新羅に対抗するため倭・大和王朝と提携する一方、儒教・仏教を大和王朝に伝えた。唐・新羅の連合軍に破れ、660年31代で滅亡。ひゃくさい。はくさい。( 〜660)


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『日本史広辞典』(山川出版社、1997.10)。




*人物一覧

(人名、および組織・団体名・神名)
  • 大帯日子淤斯呂和気の天皇 おおたらしひこおしろわけのすめらみこと → 景行天皇
  • 景行天皇 けいこう てんのう 記紀伝承上の天皇。垂仁天皇の第3皇子。名は大足彦忍代別。熊襲を親征、後に皇子日本武尊を派遣して、東国の蝦夷を平定させたと伝える。
  • 吉備の臣 きびのおみ → 吉備氏
  • 吉備氏 きびうじ 古代の吉備地方に栄えた諸豪族の総称。大化前代の国造で、姓は臣。紀は孝霊天皇の皇子稚武彦命を始祖とし、応神22年条は命の孫の御友別の兄弟と子が吉備の五県に分封され、下道臣・上道臣・香屋臣・三野臣・笠臣・苑臣の祖となったと記す。特産の鉄や塩、さらには瀬戸内の要衝を押さえて、独特の文化と半独立的な勢力を誇り、巨大な造山・作山古墳も築造した。大王家や葛城氏などとも婚姻関係を結び、朝鮮外交でも活躍したが、数々の反乱伝承ももつ。6世紀以後、大和王権への従属を強め、白猪・児島の屯倉が設置された。684(天武13)の八色の姓では、下道臣と笠臣が朝臣姓を得、律令時代にも吉備真備のように高官に昇る者もあった。(日本史)
  • 若建吉備津日子 わかたけきびつひこ → 若日子建吉備津日子命
  • 若日子建吉備津日子命 わかひこたけきびつひこのみこと 稚武彦命(紀)。孝霊天皇の子。母は阿礼比売命の弟女蝿伊呂泥。紀に吉備臣始祖とある。記では吉備下道臣、笠臣の祖。孝霊記に大吉備津日子命とともに針間の道の口として吉備国を言向け和したとある。(神名)
  • 針間の伊那毘の大郎女 播磨稲日大郎姫(紀)。景行天皇の皇后。父は若建吉備津日子。櫛角別王、大碓命、小碓命(倭男具那命)、倭根子命、神櫛王の母。紀では小碓命の別名として日本童男、倭建御子をあげている。『播磨国風土記』には同一人物と思われる印南別媛と大帯日子命(景行天皇)との婚姻の話や、その屍が川中に入った伝承がある。(神名)
  • 櫛角別の王 くしつのわけのみこ 「くしつぬ…」。景行天皇の子。母は吉備臣らの祖若建吉備津日子の女針間の伊那毘の大郎女。茨田連らの祖。『姓氏録』には、景行天皇の子で、茨田勝の祖として息長彦人大兄磯城命の記載があるが、同神か。(神名)
  • 大碓の命 おおうすのみこと 大碓皇子(紀)。景行天皇の皇子。母は若建吉備津日子の女の針間の伊那毘の大郎女。倭建御子の双子の兄。記によると、天皇に召された三野国造の女の兄比売・弟比売と勝手に結婚し、押黒の兄日子王と押黒の弟日子王を設け、出仕しなかったため、弟の小碓命(倭建御子)に殺された。紀では殺されることはなく、後に東征の将を命じられたのをこばんで美野国に封ぜられ、身毛津君、守君の祖となっている。(神名)
  • 小碓の命 おうすのみこと → 日本武尊
  • 日本武尊・倭建命 やまとたけるのみこと 古代伝説上の英雄。景行天皇の皇子で、本名は小碓命。別名、日本童男。天皇の命を奉じて熊襲を討ち、のち東国を鎮定。往途、駿河で草薙剣によって野火の難を払い、走水の海では妃弟橘媛の犠牲によって海上の難を免れた。帰途、近江伊吹山の神を討とうとして病を得、伊勢の能褒野で没したという。
  • 倭男具那の命 やまとおぐなのみこと → 日本武尊
  • 倭根子の命 やまとねこのみこと
  • 神櫛の王 かむくしのみこ 景行天皇の皇子。母は記では伊那毘の大郎女。紀では五十河媛とする。讃岐公・酒部公(姓)、木国之酒部比古・宇陀酒部(記)はその末胤(記・紀・讃岐国両王墳墓考)。(神名)
  • 八尺の入日子の命 やさかのいりひこのみこと 崇神天皇の子。母は尾張連の祖、意富阿麻比売。(神名)
  • 八坂の入日売の命 やさかのいりひめのみこと 八尺の入日子の命が女。/景行天皇との間に、若帯日子命、五百木の入日子命、押別命、五百木の入日売命を生む。(神名)
  • 若帯日子の命 わかたらしひこのみこと → 成務天皇
  • 成務天皇 せいむ てんのう 記紀伝承上の天皇。景行天皇の第4皇子。名は稚足彦。
  • 五百木の入日子の命 いおきのいりひこのみこと 五百城入彦皇子(紀)。景行天皇の皇子。母は八尺入日子命の女八坂の入日売命。若帯日子命(成務天皇)、倭建御子とともに太子であった。(神名)
  • 押別の命 おしわけのみこと 景行天皇の子。母は八坂の入日売命。成務天皇の同母弟。(神名)
  • 五百木の入日売の命 いおきのいりひめのみこと 五百城入姫皇子(紀)。景行天皇の皇女。母は八尺入日子命の女八坂の入日売命。『尾張国風土記』には命の産屋のあったところが宇夫須那社であるという記事がある。(神名)
  • 豊戸別の王 とよとわけのみこ 景行天皇の皇子。母は妾とのみで名は不詳。(神名)
  • 沼代の郎女 ぬなしろのいらつめ 「ぬのしろの…」。渟熨斗皇女(紀)。景行天皇の皇女。母は八城之入日売命。事跡不詳。紀では、八城入媛を母。(神名)
  • 沼名木の郎女 ぬなきのいらつめ 渟名城皇女(紀)。景行天皇の皇女。景行記では、母は妾と記されるのみで名は不詳だが、五人の同母の兄弟姉妹がある。景行紀は母を八城入媛としている。(神名)
  • 香余理比売の命 かぐよりひめのみこと 「かごより…」。�依姫女(紀)。景行天皇の子。母は又妾としている。紀では母は八坂入媛としている。(神名)
  • 若木の入日子の王 わかきのいりひこのみこ 景行天皇の子。母の名は未詳。(神名)
  • 吉備の兄日子の王 きびのえひこのみこ 吉備兄彦皇子(紀)。景行天皇の子。母は又妾となっている。紀では八坂入媛が母。(神名)
  • 高木比売の命 たかぎひめのみこと 景行天皇の妾の子。紀では高城入姫皇女とあり八坂入媛を母とする。(神名)
  • 弟比売の命 おとひめのみこと (2) 景行天皇の皇女。母は不詳。(神名)
  • 日向の美波迦斯毘売 ひむかのみはかしびめ 日向御刀媛(紀)か。/景行天皇との間に豊国別王を生む。(神名)
  • 豊国別の王 とよくにわけのみこ 景行天皇の皇子。母は日向の美波迦斯毘売(紀では御刀媛)。日向国造の祖。(神名)
  • 伊那毘の若郎女 いなびのわかいらつめ 稲日稚郎女(紀)。景行天皇の妃。真若王、日子人之大兄王の母。記では針間の伊那毘の大郎女の妹。紀では播磨稲日大郎女姫の別称とする。『播磨国風土記』には丸部臣らの祖の比古汝茅と吉備比売の女の印南別嬢がおり、死後、印南川に入れられている。(神名)
  • 真若の王 まわかのみこ (1) 景行天皇の皇子。母は伊那毘の若郎女。紀には記載なし。(神名)
  • 日子人の大兄の王 ひこひとのおおえのみこ 彦人大兄命(紀)。景行天皇の皇子。母は伊那毘の若郎女。紀では仲哀天皇の叔父で、女の大中姫が天皇の妃となる。また敏達紀に敏達天皇の皇女小墾田皇子が彦人大兄皇子に嫁すとある。『姓氏録』では彦人大兄王は敏達天皇の子とある。(神名)
  • 須売伊呂大中つ日子の王 すめいろおおなかつひこのみこ 倭建御子の曾孫。父は若建王。母は飯野真黒比売。柴野比売との間に景行天皇の妃となった迦具漏日売を生む。(神名)
  • 訶具漏比売 かぐろひめ 倭建御子の子孫。須売伊呂大中つ日子の王の女。母は柴野比売。景行天皇に召されて大江王(大枝王)を生んだ。(神名)
  • 大枝の王 おおえのみこ 名義不詳。景行天皇の皇子。倭建御子と弟橘比売との間の子若建王の孫にあたる。母は訶具漏比売。(神名)
  • 茨田の下の連
  • 守の君
  • 太田の君
  • 島田の君
  • 木の国の酒部の阿比古
  • 宇陀の酒部
  • 日向の国の造 ひむかのくにのみやつこ 日向国におかれた国造。記は景行天皇と日向之美波迦斯毘売との間に生まれた豊国別を祖と記し、紀にも同様の記述がみえる。『国造本紀』にはその三世孫老男が応神朝に国造になったとある。大八島国の生成段には筑紫島(九州)は筑紫国・豊国・肥国・熊曽国からなるとして日向国はみえないが、あるいは熊曽国に含まれたか。(日本史)
  • 三野の国の造  みののくにのみやつこ 美濃国におかれた国造。記の景行段は大根王をその祖と記すが、開化段には大根王、別名八瓜入日子王を三野国の本巣国造の祖とする。『国造本紀』は三野前国造・三野後国造を載せ、前者の祖を八瓜命と記すので、三野国造=本巣国造=三野前国造となり、本巣国造が勢力拡大により美濃国全体の国造になったか。(日本史)
  • 大根の王 おおねのみこ 三野の国の造の祖。
  • 兄比売 えひめ 大根の王が女。
  • 弟比売 おとひめ 大根の王が女。
  • 押黒の兄日子の王 おしくろのえひこのみこ 景行天皇の皇子大碓命と三野国造の祖である神大根王の女の兄比売との間の子。三野之宇泥須和気の祖。母ははじめ天皇に貢されたが、大碓命が自らの妻とした。(神名)
  • 三野の宇泥須和気
  • 押黒の弟日子の王 おしくろのおとひこのみこ 景行天皇の皇子大碓命と兄比売の妹の弟比売との子。牟宜都君らの祖。紀にはない。(神名)
  • 牟宜都の君 むげつのきみ → 牟義都国造
  • 牟義都国造 むげつのくにのみやつこ 美濃国武芸郡を本拠とした国造。氏姓は牟宜都(むげつ、身毛津・身毛とも)君。記の景行段は、大碓命と三野国造の祖大根王の女との間に生まれた押黒弟日子王を祖と記す。『上宮記』には継体天皇の祖母がこの氏の女とみえ、大和政権との関係が深い。雄略紀や壬申の乱の際には舎人として仕える者がみえ、また『延喜式』主水司式には立春の日に牟義都首が若水をくむとあるので、内廷にも奉仕したか。(日本史)
  • 膳の大伴部 かしわでの おおともべ → 膳氏か
  • 膳氏 かしわでうじ 古代の氏族。孝元天皇の孫の大稲輿命を始祖とする伴造系の氏。氏の名称は、景行天皇が東国を巡狩した際に大稲輿命の磐鹿六鴈命が食膳を供給し、天皇から膳臣の氏姓を賜ったことに由来すると伝える。6世紀に台頭し、朝廷での食膳供給のほか、対外関係でも種々の使として朝鮮半島諸国との交渉に活躍。684(天武13)朝臣の姓を賜り、高橋朝臣氏となった。御食国としての志摩国守には代々高橋朝臣が任じられ、若狭国造は膳臣氏であった。内膳司の長官である奉膳二人には高橋氏と安(阿)曇氏から各一人が選ばれたが、その上下関係をめぐり8世紀末〜9世紀に両氏族間に争いがおこった。その状況については「高橋氏文」に詳しい。(日本史)
  • 大伴部 おおともべ 大和時代に大伴氏が私有した部曲。
  • 倭の屯家 やまとの みやけ
  • 熊曽建 くまそたける 熊襲梟帥(紀)。南九州で勢力をもった熊襲の首魁。紀には景行天皇が討った襲国の厚鹿文・鹿文、小碓命が討った取石鹿文(川上梟帥)という熊曽建が登場する(記には名がみえない)。後者は殺される際に小碓命に倭建御子(記)、日本武皇子(紀)の名を献じたという。(日本史)
  • 倭比売の命 やまとひめのみこと 倭姫命。垂仁天皇の皇女といわれる伝説上の人物。天照大神の祠を大和の笠縫邑から伊勢の五十鈴川上に遷す。景行天皇の時、甥の日本武尊の東国征討に際して草薙剣を授けたという。
  • 山の神 やまのかみ 山を守り、山をつかさどる神。また、山の精。民間信仰では、秋の収穫後は近くの山に居り、春になると下って田の神となるという。
  • 河の神 かわのかみ 河川を守護する神。河伯。
  • 穴戸の神 あなどのかみ/あなとのかみ 穴戸は長門の旧名か。長門と豊前の間に住んでいた邪神と『古事記伝』にはあるが異説がある。景行天皇の時代、倭建御子に平定された。(神名)
  • 出雲の国の建 いずものくにのたける → 出雲建
  • 出雲建 いずもたける 景行記によると、倭建御子は熊曽建の征伐からの帰途、出雲に寄り、偽の太刀を出雲建に与えて打ち殺した。(神名)
  • 出雲振根 いずものふるね 記紀伝承上の人物。出雲臣の祖。崇神天皇が武日照命の天から持ち帰った出雲大神の宮の神宝をみようと使者を遣わしたところ、管理をしていた振根は留守のため、弟の飯入根がこれを献上した。帰ってそれを知った振根は弟を殺したが、これを聞いた天皇は吉備津彦と武渟河別を派遣して振根を殺させたと伝える。(日本史)
  • 飯入根 いいいりね 出雲振根の弟。
  • 御�K友耳建日子 みすきともみみたけひこ 倭建御子が東征の際、従った。吉備臣らの祖。紀には吉備武彦と大伴武日連が東征に従ったとあり、御�K友耳建日子と吉備武彦は同一人物とされている。吉備武彦は倭建御子の命令で、碓日坂から越国に派遣され、美濃で再会し、御子の死を景行天皇に報告する。(神名)
  • 尾張の国の造 → 尾張氏
  • 尾張氏 おわりうじ 尾治氏とも。古代の氏族。火明命を始祖とし、皇妃や皇子妃を数名だしたとする伝承があり、古くから大和政権との関係をもっていたらっしい。部曲と考えられる尾張(尾治)部が各地に存在する。氏の名称は尾張国内を根拠地としたことに由来し、一族から尾張国造が任じられていた。もと連姓であったが、684(天武13)に宿祢の姓を賜った。律令制下には、尾張国内の諸郡司など在地有力者としての存在が知られるだけでなく、尾張連氏・尾張宿祢氏ともに畿内とその周辺にも分布して、中央の官人としても活躍した。(日本史)
  • 美夜受比売 みやずひめ 宮簀媛(紀)。記紀伝承で日本武尊の妃。尾張国造の祖、建稲種公の妹。日本武尊は東征後、草薙剣を媛の許に留めたが、尊の没後、媛は神剣を祀り、熱田神宮の起源をなした。
  • 弟橘比売の命 おとたちばなひめのみこと 弟橘媛(紀)。日本武尊の妃。穂積氏忍山宿祢の女。記紀の伝説で尊東征の時、相模海上(浦賀水道の辺)で風波の起こった際、海神の怒りをなだめるため、尊に代わって海に投じたと伝える。橘媛。
  • 東の国造 あずまのくにのみやつこ 「あずま」は相模国足柄山以東の諸国の総称で、東国造は国造に分割される以前の東国を想定したものか、東国全体を統轄する大国造の意味であろうが、実態のない架空の称号である。(日本史)
  • 科野の坂の神 しなののさかのかみ 「しなぬの」。倭建御子が東征の途中、科野国を越える際に言向けた神。(神名)
  • 穂積氏 ほづみうじ 大和国山辺郡穂積郷(現、奈良県天理市前栽付近か)を本拠とした氏族。684(天武13)11月に臣から朝臣に改姓。記および『新撰姓氏録』左京神別の穂積朝臣条などは、饒速日命の後裔で物部・采女両氏と同族とする。しかし、記の孝元段や紀の開化即位前紀は、内色許男命(鬱色雄命)を祖とする。前者は、物部氏の祖伊香色雄命(饒速日命の五世孫)と内色許男命を混同した疑いがあり、物部氏との同族関係には疑問もある。(日本史)
  • 久米の直 くめのあたえ → 久米氏
  • 久米氏 くめうじ 久米(来目)部の伴造氏族。姓は直。紀では大伴氏の遠祖天忍日命が来目部の遠祖天�津大来目を率いて天降ったとあるが、記では久米氏と大伴氏とを対等にあつかい、ともに靫・太刀・弓矢をもって降臨に供奉したことになっている。また神武東征説話にみえる久米歌や、後世の戦闘歌舞である久米舞などは、久米氏や久米部の軍事氏族としての性格をあらわしている。(日本史)
  • 七拳脛 ななつかはぎ 七掬(紀)。久米直の祖。倭建御子の国土平定に膳夫として従った人。(神名)
  • 伊玖米の天皇 いくめのすめらみこと → 垂仁天皇
  • 布多遅の伊理毘売の命 ふたじのいりびめのみこと 両道入姫皇女(紀)。垂仁天皇の皇女。石衝毘売命ともいう。景行天皇の皇妹。母は苅羽田刀弁。倭建御子の妃となり、帯中日子天皇(仲哀天皇)を生む。紀では稲依別王、仲哀天皇、布忍入姫命、稚武王を生んでいる。(神名)
  • 帯中津日子の命 たらしなかつひこのみこと → 仲哀天皇
  • 仲哀天皇 ちゅうあい てんのう 記紀伝承上の天皇。日本武尊の第2王子。皇后は神功皇后。名は足仲彦。熊襲征討の途中、筑前国の香椎宮で没したという。
  • 若建の王 わかたけるのみこ 倭建御子の子。母は弟橘比売命。その後裔は応神天皇の皇位継承にあたって対抗した忍熊王に連なる。紀では倭建御子と両道入姫との間の第四子としている。(神名)
  • 近つ淡海の安の国の造 ちかつおうみのやすのくにのみやつこ
  • 意富多牟和気 おおたむわけ 近つ淡海の安の国造の祖。 → 大多牟夜別か
  • 大多牟夜別 おおたむやわけ 日子坐王三世の裔孫。成務天皇のとき、近淡海安国造となる。近淡海安は近江国野州郡(『国造本紀』)(神名)
  • 布多遅比売 ふたじひめ 意富多牟和気の女。 → 布多遅能伊理毘売命か
  • 布多遅能伊理毘売命 ふたじのいりびめのみこと 両道入姫皇女(紀)。垂仁天皇の皇女。石衝毘売命ともいう。景行天皇の皇妹。母は苅羽田刀弁。倭建御子の妃となり帯中日子天皇(仲哀天皇)を生む。紀では稲依別王、仲哀天皇、布忍入姫命、稚武王を生んでいる。(神名)
  • 稲依別の王 いなよりわけのみこ 第12代景行天皇の孫で日本武尊の第1子。母は両道入姫皇女(垂仁天皇の皇女)。第14代仲哀天皇の同母兄とされる。
  • 建日子 たけひこ → 吉備武彦
  • 吉備武彦 きびのたけひこ 稚武彦命の子。景行天皇の勅命により、大伴武日命とともに倭建御子に従って倭建御子をよく輔佐し、内事を専掌した。毛人・凶鬼らを伐って阿倍廬原国にいたり、その功により復命の日に廬原国を賜った。廬原国とは駿河国阿倍郡廬原郷。娘は倭建御子の妃となっている。(神名)
  • 大吉備の建比売 おおきびのたけひめ 倭建御子の妃で、吉備臣建日子の妹。建貝児王の母。紀の吉備武彦の女の吉備穴門武媛にあたり、讃岐綾君の祖武卵王と伊予別君の祖十城別王の母となっている。岡山県の穴門山神社の祭神。(神名)
  • 建貝児の王 たけかいこのみこ 武卵王(紀)。景行天皇の子。母は大吉備建比売。讃岐綾君、伊勢(「記伝」には「豫」とある)之別、登袁之別、麻佐首、宮道之別らの祖。紀では讃岐の綾君の始祖とあり、記に登場しない弟十城別王が伊豫別君の始祖とある。(神名)
  • 山代の玖玖麻毛理比売 やましろのくくまもりひめ 倭建御子の妃となって足鏡別王を生む。紀にはこの妃と子に該当する人物はみえない。(神名)
  • 足鏡別の王 あしかがみわけのみこ 名義不詳。倭建御子の子。母は山代の玖玖麻毛理比売。鎌倉別らの祖。(神名)
  • 息長田別の王 おきながたわけのみこ
  • 犬上の君 いぬかみのきみ
  • 建部の君 たけべのきみ
  • 讃岐の綾の君 さぬきのあやのきみ
  • 伊勢の別
  • 登袁の別 とおのわけ
  • 麻佐の首 おびと
  • 宮の首の別 おびと
  • 鎌倉の別
  • 小津の石代の別
  • 漁田の別 すなきだのわけ
  • 杙俣長日子の王 くいまたながひこのみこ 息長田別王の子。母は記されていない。飯野真黒比売命、息長真若中つ比売、弟比売の父。(神名)
  • 飯野の真黒比売の命 いいののまぐろひめのみこと 飯野は地名。伊勢国飯野郡、杙俣長日子の王の子。事跡不詳。(神名)
  • 息長真若中つ比売 おきながまわかなかつひめ 応神天皇の妃となり、若沼毛二俣王を生んだ。倭建御子の子長田別王の孫にあたる。紀では若沼毛二俣王の母は弟媛とする。(神名)
  • 弟比売 おとひめ (3) 応神天皇の妃。品陀真若王の女。姉二人と共に召され、王子を生んだ。(神名)
  • 須売伊呂大中つ日子の王 すめいろおおなかつひこのみこ 倭建御子の曾孫。父は若建王。母は飯野の真黒比売。柴野比売との間に景行天皇の妃となった迦具漏比売を生む。(神名)
  • 淡海の柴野入杵 おうみのしばのいりき 「しばぬいりき」。近江の人。子に柴野比売がいる。(神名)
  • 柴野比売 しばのひめ 淡海の柴野入杵の女。須売伊呂大中つ日子王との間に迦具漏比売を生んだ。(神名)
  • 迦具漏比売の命 かぐろひめのみこと 倭建御子の子孫。須売伊呂大中つ日子王の女。母は柴野比売。景行天皇に召されて大江王(大枝王)を生んだ。(神名)
  • 大帯日子の天皇 おおたらしひこのすめらみこと → 景行天皇
  • 大江の王 おおえのみこ 大枝王。名義不詳。景行天皇の皇子。倭建御子と弟橘ヒメ命との間の子若建王の孫にあたる。母は迦具漏比売。(神名)
  • 銀の王 しろがねのみこ 大江の王の庶妹。/系統不詳。景行天皇の皇子で倭建御子の子孫である大江王に嫁し、大名方王を生む。(神名)
  • 大名方の王 おおながたのみこ 「おおなかた」。景行天皇の皇子大江王の子。母はその庶妹銀王。事跡不詳。紀には記載はない。(神名)
  • 大中つ比売の命 おおなかつひめのみこと 大中姫(紀)。大江王(紀では彦人大兄)の女。母は大江王の庶妹の銀王。仲哀天皇の妃となり、香坂王、忍熊王を生んだ。(神名)
  • 香坂の王 かごさかのみこ �坂皇子(紀)。父は仲哀天皇。母は大江王の女大中つ比売命。弟の忍熊王と神功皇后に対して軍をおこすが、菟賀野における祈狩の際に、赤い猪に食い殺される。(神名)
  • 忍熊の王 おしくまのみこ 仲哀天皇の皇子。母は大中津比売。兄の香坂王と共に新羅から帰還する神功皇后と太子に反乱をおこしたが、建振熊によって討たれ、海に入って死んだ。(神名)
  • 若帯日子の天皇 わかたらしひこのすめらみこと → 成務天皇
  • 成務天皇 せいむ てんのう 記紀伝承上の天皇。景行天皇の第4皇子。名は稚足彦。
  • 穂積の臣 ほづみのおみ → 穂積氏
  • 建忍山垂根 たけおしやまたりね 穂積臣の祖。子に弟財郎女がいる。(神名)
  • 弟財の郎女 おとたからのいらつめ 成務天皇の妃。穂積臣らの祖の建忍山垂根の女。和訶奴気王を生んでいる。紀にはない。(神名)
  • 和訶奴気の王 わかぬけのみこ 成務天皇の皇子。母は穂積臣らの祖の建忍山垂根の女、弟財郎女。(神名)
  • 武内宿祢 たけしうちのすくね → たけうちのすくね
  • 武内宿祢 たけうちの すくね 大和政権の初期に活躍したという記紀伝承上の人物。孝元天皇の曾孫(一説に孫)で、景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5朝に仕え、偉功があったという。その子孫と称するものに葛城・巨勢・平群・紀・蘇我の諸氏がある。
  • -----------------------------------
  • 大中津比売の命 おおなかつひめのみこと 大中姫(紀)。大江王(紀では彦人大兄)の女。母は大江王の庶妹の銀王。仲哀天皇の妃となり、香坂王、忍熊王を生んだ。(神名)
  • 息長帯比売の命 おきながたらしひめのみこと → 神功皇后
  • 神功皇后 じんぐう こうごう 仲哀天皇の皇后。名は息長足媛。開化天皇第5世の孫、息長宿祢王の女。天皇とともに熊襲征服に向かい、天皇が香椎宮で死去した後、新羅を攻略して凱旋し、誉田別皇子(応神天皇)を筑紫で出産、摂政70年にして没。(記紀伝承による)
  • 品夜和気の命 ほむやわけのみこと 仲哀天皇の皇子。母は記では息長帯比売命。紀では大酒王の女の弟媛。事跡不詳。(神名)
  • 大鞆和気の命 おおともわけのみこと 品陀和気命の別名。応神天皇のこと。生まれたとき、腕に鞆のようなものがあったため、この名がついた。この名は後に気比大神に献じた。(神名)
  • 品陀和気の命 ほむだわけのみこと → 応神天皇
  • 応神天皇 おうじん てんのう 記紀に記された天皇。5世紀前後に比定。名は誉田別。仲哀天皇の第4皇子。母は神功皇后とされるが、天皇の誕生については伝説的な色彩が濃い。倭の五王のうち「讃」にあてる説がある。異称、胎中天皇。
  • 底筒の男 そこつつ/そこづつのおのみこと 底筒男命。「住吉神」参照。
  • 中筒の男 なかつつ/なかづつのおのみこと 中筒男命。「すみのえのかみ(住吉神)」参照。
  • 上筒の男の大神 うわつつのおのおおかみ → 住吉神
  • 住吉神・墨江神 すみのえのかみ 大阪の住吉神社の祭神である表筒男命・中筒男命・底筒男命の三神。伊弉諾尊が筑紫の檍原で、禊をした時に生まれたという。航海の神、また和歌の神とされる。すみよしのかみ。
  • 墨江の大神 すみのえのおおかみ → 墨江神
  • 難波の吉師部 なにわのきしべ
  • 伊佐比の宿祢 いさひのすくね 五十狭茅宿祢(紀)。仲哀記によると、香坂王と忍熊王の反乱に忍熊王の将として従い、山代で建振熊命と戦って敗れ、逢坂から沙々那美へと後退し、ついに忍熊王と共に琵琶湖に沈んだ。難波吉師部の祖。(神名)
  • 丸邇の臣 わにのおみ → 和珥氏
  • 和珥氏 わにうじ 丸邇・和邇・丸とも。古代の有力氏族。姓は臣。始祖は天足彦国押人命という。本拠地は大和国添上郡一帯と推定されるが、欽明朝頃、春日氏と改めたと考えられる。応神・反正・雄略・仁賢・継体・欽明・敏達天皇に9人の后妃を入れ、5〜6世紀にかけて外戚氏族として勢力を誇った。(日本史)
  • 難波根子建振熊の命 なにわねこたけふるくまのみこと 武振熊(紀)。建振熊命ともいう。神功皇后のときの勇将。丸邇臣の祖。皇后が新羅より凱旋しようとしたとき、香坂・忍熊の二王が反乱を謀ったので鎮圧の命にしたがい、智謀をめぐらして近江の滋賀に攻め討ってことごとく亡ぼした。また、仁徳紀にも皇命に逆らう飛騨国人を討った話がみえる。(神名)
  • 伊奢沙和気の大神の命 いざさわけのおおかみのみこと 伊奢は誘うの意。沙は神稲。和気は男子の敬称とされる。気比神宮の祭神。仲哀記によると、誉田別尊(応神天皇)が角鹿に禊したとき、夢告により大神と太子とが互いの名をかえたとされる。また、入鹿魚(いるか)を大神の御食としたことから御食津大神と称えられ、気比大神ともいわれえるようになった。播種・養蚕の神として有名。(神名)
  • 御食津大神 みけつおおかみ → 御食津神
  • 御食津神・御饌津神 みけつかみ (1) 食物を主宰する神。大宜都比売神・保食神・倉稲魂神・豊宇気毘売神・若宇迦乃売神など。(2) 宇賀御魂神、すなわち稲荷の神の一名。「三狐神」とも当て字されたので狐に付会された。(3) 敦賀の気比神。古事記で、応神天皇に魚を奉ったので御食津大神と称された。
  • 気比の大神 けひのおおかみ → 御食津神
  • 少名御神 すくなのみかみ → 少彦名神
  • 少彦名神 すくなびこなのかみ 日本神話で、高皇産霊神(古事記では神産巣日神)の子。体が小さくて敏捷、忍耐力に富み、大国主命と協力して国土の経営に当たり、医薬・禁厭などの法を創めたという。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『国史大辞典』(吉川弘文館)『日本史広辞典』(山川出版社、1997.10)『日本神名辞典 第二版』(神社新報社、1995.6)。



*書籍

(書名、雑誌名、論文名、映画・能・狂言・謡曲などの作品名)
  • 『日本書紀』 にほん しょき 六国史の一つ。奈良時代に完成した日本最古の勅撰の正史。神代から持統天皇までの朝廷に伝わった神話・伝説・記録などを修飾の多い漢文で記述した編年体の史書。30巻。720年(養老4)舎人親王らの撰。日本紀。
  • 『万葉集』 まんようしゅう (万世に伝わるべき集、また万(よろず)の葉すなわち歌の集の意とも)現存最古の歌集。20巻。仁徳天皇皇后作といわれる歌から淳仁天皇時代の歌(759年)まで、約350年間の長歌・短歌・旋頭歌・仏足石歌体歌・連歌合わせて約4500首、漢文の詩・書翰なども収録。編集は大伴家持の手を経たものと考えられる。東歌・防人歌なども含み、豊かな人間性にもとづき現実に即した感動を率直に表す調子の高い歌が多い。
  • 『琴歌譜』 きんかふ 万葉仮名で書いた大歌22首を和琴の譜とともに記した書。1巻。平安初期の成立。981年(天元4)の写本がある。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。



*難字、求めよ

  • かれ 故 (接続) (カ(此)アレ(有リの已然形)の約、「かあれば」の意) (1) (前段を承けて)こういうわけで。ゆえに。(2) (段落の初めにおいて)さて。そこで。
  • 治る しる 領る・知る。(ある範囲の隅々まで支配する意。原義は、物をすっかり自分のものにすることという) (1) (国などを)治める。君臨する。統治する。(2) (土地などを)占める。領有する。(3) (ものなどを)専有して管理する。専有して扱う。(4) (妻・愛人などとして)世話をする。
  • 倭根子 やまとねこ 詔勅などに歴代天皇の用いた通号。
  • 妾 みめ 御妻。「み」は接頭語。「め」は妻の意)妃、嬪、女御など、天皇や高貴な人の妻を敬っていう語。
  • 曾孫 みひひこ 孫の子。ひいまご。そうそん。
  • 太子 ひつぎのみこ 日嗣の御子。日嗣を受け継ぐ御子、すなわち皇太子の尊称。東宮。春宮。
  • 国の造 くにのみやつこ (「国の御奴」の意)古代の世襲の地方官。ほぼ1郡を領し、大化改新以後は多く郡司となった。大化改新後も1国一人ずつ残された国造は、祭祀に関与し、行政には無関係の世襲の職とされた。
  • 別 わけ 古代の姓の一つ。主として古来の地方豪族が称した。
  • 稲置 いなぎ (1) 古代の下級地方官。隋書東夷伝に「八十戸置一伊尼翼如今里長也。十伊尼翼属一軍尼」とある。(2) 八色姓の第8位。
  • 県主 あがたぬし 大和時代の県の支配者。後に姓の一つとなった。
  • 平く ことむく 言趣く・言向く。ことばで説いて従わせる。転じて、平定する。
  • あだし 他し・異し・徒し・空し (古くはアタシ) (1) 《他・異》異なっている。ほかのものである。別である。
  • 長眼 ながめ 末長く考える気持ち。長い目で見るさま。
  • 眺め経 ながめふ もの思いに沈みながら月日を過ごす。和歌では多く「長雨(ながめ)降る」とかけて用いる。(角)
  • 惚《たしな》め
  • 田部 たべ 大和時代、屯倉の耕作に従事した農民。
  • ねぐ 労ぐ・犒ぐ (1) 神などの心を安めやわらげる。(2) ねぎらう。
  • ねぐ 祈ぐ 祈願する。いのりねがう。
  • 朝署 あさけ 朝明。「あさあけ」の変化した語)夜が明ける時分。夜明け方。あさあけ。多く歌語として用いられる。
  • ひしぐ 拉ぐ (1) おしつけてつぶす。おしつぶす。(2) 勢いをくじく。
  • 熊襲 くまそ 記紀伝説に見える九州南部の地名、またそこに居住した種族。肥後の球磨と大隅の贈於か。日本武尊の征討伝説で著名。
  • いやなし 礼無し 無礼である。無作法である。
  • 御衣 みそ/みぞ (古くは清音)衣服の尊敬語。おんぞ。
  • 御裳  みも 裳(も)の尊敬語。
  • 御室楽 みむろうたげ 御室宴。御殿を新築したことを祝う宴会。新室宴。
  • 御室 みむろ (神・貴人のこもる岩屋のような聖域をさすのが原義)(1) 貴人の住居の敬称。とくに、天皇・皇族などの庵室をいう。おすまい。(2)「みもろ」におなじ。(角)
  • いい動む とよむ 響動む・響む。(後世ドヨムとも) (2) 鳴きさわぐ。大声でさわぐ。どよめく。
  • 室内 むろぬち
  • 室の椅 むろのはし
  • な動かしたまいそ な……そ 副詞「な」を伴い、「な……そ」の形で禁止を表す。「な」が禁止を表し、「そ」は添えられた語とする解釈もある。……するな。
  • おれ 己 (1) (二人称)相手を卑しめて呼ぶ語。おのれ。
  • 熟F ほぞち 熟瓜。(古くはホソヂ。ホゾオチ(蔕落)の約か) よく熟したまくわ瓜。
  • うるわしみ 愛しみ (形容詞「うるはし」の語幹に接尾語「み」の付いたもの) 親しみ愛すること。
  • 赤梼 いちいのき いちい 櫟・赤檮・石�。(→)「いちいがし」に同じ。
  • 石� いちいがし ブナ科の常緑高木。暖地産で高さ約30mに達し、葉は先端で急にとがる。葉の裏面、若枝は黄褐色の短毛で被われる。実は大形で食用となり、味はシイに似る。材は堅く強靱で、鋤・鍬の柄、大工・土木用具などに用いる。イチイ。イチガシ。
  • 詐刀 こだち
  • 御佩刀 みはかし 佩刀(はかし)の尊敬語。貴人の佩刀。みはかせ。
  • かわあみ 川浴み。川で水浴すること。
  • 誂う あとらう 相手に誘いかける。頼みかける。
  • やつめさす 〔枕〕「いづも(出雲)」にかかる。
  • さ身 さみ (サは接頭語)物の主要な部分。なかみ。み。
  • 覆奏 かえりごと 使者が帰ってする報告。
  • 復奏・覆奏 ふくそう 繰り返し取り調べて奏上すること。
  • 頻く しく 動作がしばしばくりかえされる。事が重なって起こる。しきる。
  • 荒ぶる神 あらぶるかみ 荒立つ国つ神。人に害を与える暴悪の神。
  • たぐえる ともなわせる。あわせる。
  • 比比羅木 ひいらぎ 柊・疼木。モクセイ科の常緑小高木。高さ約3m。葉は革質で光沢あり、縁には先が鋭いとげとなった顕著な切れ込みがある。秋、単性または両性の白色の小花を密生、佳香を発する。花冠は鐘形で4深裂。熟すと暗紫色の核果をつける。材は強く、細工物にする。節分の夜、この枝と鰯の頭を門戸に挿すと悪鬼を払うという。
  • 八尋矛 やひろぼこ/やひろほこ 非常に長い矛。やひろほこね。
  • 神の朝廷 かみのみかど 神の御門。(1) 神のいらっしゃるところ。(2) 皇居。朝廷。(角)
  • 草薙の剣 くさなぎのたち/くさなぎのつるぎ 三種の神器の一つ。記紀で、素戔嗚尊が退治した八岐大蛇の尾から出たと伝える剣。日本武尊が東征の折、これで草を薙ぎ払ったところからの名とされるが、クサは臭、ナギは蛇の意で、原義は蛇の剣の意か。のち、熱田神宮に祀られたが、平氏滅亡に際し海に没したとされる。天叢雲剣。
  • 急 とみ 頓 (「頓」の字音から)にわかなこと。急なこと。
  • ちはやぶる 千早振る 〔枕〕 (古くはチハヤフルとも)「神」「うぢ」などにかかる。
  • みそなわす 見そなわす。(ミソコナワスの約) 「見る」の尊敬語。御覧になる。
  • 向い火 むかいび 野火などの、焼け来る火に向かい、こちらからも火を放って焼き、あちらの火勢を弱らせること。火退(ほそけ)。
  • もとおす 回す・廻す。めぐらす。まわす。
  • 菅畳 すがだたみ スゲで編んだ畳。
  • 皮畳 かわだたみ 獣の皮の敷き物。
  • サ畳 きぬだたみ 絹畳。(たたみは敷物の総称)絹製の敷物。太さのそろわない絹の糸で織った敷物。
  • さねさし 〔枕〕「さがむ(相模)」にかかる。
  • 蝦夷 えみし 「えぞ(蝦夷)」の古称。
  • 蝦夷 えぞ 古代の奥羽から北海道にかけて住み、言語や風俗を異にして中央政権に服従しなかった人びと。えみし。
  • 粮 かれい 餉。(カレイヒ(乾飯)の約)旅行のときなどに携帯した干した飯。転じて、広く携帯用食料にもいう。
  • 蒜 ひる ネギ・ニンニク・ノビルなどの総称。
  • 吾妻・吾嬬 あずま わが妻。
  • 御火焼 みひたき 御火炬。古代、神祇官などで火炬(ひたき)に従事した職。
  • かがなべて (一説に、「日々並べて」の意という) 日数を重ねて。
  • 襲 おすい 衣服の名。頭からかぶって衣裳の上をおおうもの。後世の被衣はその遺風と考えられている。
  • 月経 さわりのもの さわり。月経。生理。(角)
  • ひさかたの 久方の・久堅の 〔枕〕 (1) 「あめ(天)」「あま(天)」「そら(空)」にかかる。(2) 転じて、天空に関係のある「月」「日」「昼」「雨」「雪」「雲」「霞」「星」「光」または「夜」にかかる。(3) 「桂」「都」「鏡」にかかる。
  • 利鎌 とがま よく切れる鎌。するどい鎌。
  • 鵠 くび (「くひ」とも)鳥。「はくちょう(白鳥)」の古名。
  • 弱細 ひわぼそ 繊弱細。か弱く細いさま。
  • 手弱腕 たわや かいな たおやかな腕。若くしなやかな腕。
  • 高光る たかひかる 〔枕〕「ひ(日)」にかかる。
  • やすみしし 八隅知し・安見知し。 〔枕〕 (八隅を治める、また、心安く天の下をしろしめす意などという) 「わが大君」「わご大君」にかかる。
  • あらたまの 新玉の・荒玉の。 〔枕〕「年」「月」「日」「夜」「春」にかかる。「あらたまの年」は新年の意で。
  • うべなうべな 宜な宜な。もっともなことであることよ。
  • 思国歌 くにしのびうた (奈良時代はクニシノヒウタと清音)郷国をしのび、その国土をほめる歌。
  • 空手・徒手 むなで (→)「むなしで」に同じ。からて。すで。むなで。
  • 白猪 しろい 白い色のいのしし。特に2月4日の祈年祭に神に奉るもの。一説に、白いものでなく、若くて色のうすいものをいうとも。
  • 言挙 ことあげ 言葉に出して特に言い立てること。とりたてて言うこと。揚言。
  • 正身・直身 ただみ その人自身。本人。当人。
  • たぎたぎしく 凹凸がある。一説に、道が歩きにくい。
  • しのはす 偲はす。(平安時代以後はシノバス。スは尊敬の意) お思い出しになる。
  • まほろば(→)「まほら」に同じ。(マホ(真秀)に、漠然と場所を示す意の接尾語ラの付いたもの) すぐれたよい所・国。まほらま。まほらば。まほろば。
  • たたなずく 幾重にもかさなり合う。また、かさなりつく。
  • 一つ松 ひとつまつ ただ一本だけ生えて立っている松。一本松。
  • 熊白梼 くまかし/くまがし 熊樫。(1)(「くま」は大きい意の美称)大きい樫。
  • 髻華 うず 古代、木の枝・葉・花や造花を、冠や髪にさして飾りとしたもの。かざし。
  • はしけやし 愛しけやし。(→)「はしきやし」に同じ。(ハ(愛)シの連体形に間投助詞ヤおよび強めの副助詞シの付いたもの) 愛すべきである。いとおしい。また感動詞的に、ああ。はしきよし。はしけやし。
  • 吾家 わぎえ 我家。(ワガイヘの約) 自分の家。
  • 片歌 かたうた 雅楽寮で教習した大歌の一体。五・七・七または五・七・五の3句で1首をなす歌で、奈良時代以前には、多くは問答に用いた。江戸時代、建部綾足は俳諧の一体として、片歌の復興を志した。
  • 崩り かむあがり (1) 神が天にあがること。転じて、崩御。
  • 駅使 はゆまづかい はゆまに乗って急ぎ行く官の使者。えきし。
  • なずき田 なずきだ 語義未詳。水にひたった田の意か。一説に、まわりにくっついている田の意。
  • なずき 水にひたる意、また傍に付いている意などという。
  • もとおる 回る・廻る。めぐる。まわる。徘徊する。
  • 哭す みねなかす 御哭泣(みねなく)。「ねなく(ねをなく)」すなわち声をあげて泣くことの、「ね」に「み」を冠したもの。「み」はあとの「たまふ」と応じて尊敬の意をあらわす。
  • 稲幹 いながら 稲の茎。
  • z葛 ところずら 野老葛・冬薯蕷葛。(1) トコロの古名。(2) 〔枕〕 (同音の反復で)「常(とこ)しく」「求(と)む」にかかる。
  • 八尋 やひろ 非常に長いこと。また、非常に大きいこと。
  • 白智鳥 しろちどり 白千鳥。(2) 白い鳥。「ち」は語義未詳。
  • 刈ばね かりばね 竹や木などを刈り取ってあとに残った株。切り株。
  • 浅小竹原 あさじのはら 浅篠原。篠のまばらに生えている野原。
  • なずむ 泥む。(1) 行きなやむ。はかばかしく進まない。とどこおる。(2) 離れずにからみつく。(3) なやみ苦しむ。気分が晴れない。(4) 拘泥する。こだわる。(5) かかずらわって、その事に苦心をする。(6) 執着する。思いつめる。惚れる。
  • いさよう いざよう。(上代ではイサヨフと清音) 進もうとして進まない。たゆたう。
  • 膳・膳夫 かしわで (古代、カシワの葉を食器に用いたことから) (1) 飲食の饗膳。供膳。(2) 饗膳のことをつかさどる人。料理人。(3) (「膳部」と書く) 大和政権の品部で、律令制では宮内省の大膳職・内膳司に所属し、朝廷・天皇の食事の調製を指揮した下級官人。長は膳臣と称し、子孫の嫡系は高橋朝臣。かしわべ。
  • はいまつわる 這い纏わる。はってまつわる。はって行ってまきつく。
  • 大臣 おおおみ 大和政権の執政者。臣の姓を持つ諸氏中の最も有力な者が任ぜられ、記紀伝承では武内宿祢に始まり、その子孫の諸氏が世襲したという。大化改新の際に滅ぼされた蘇我蝦夷が最後。
  • 大県 おおあがた 大化改新以前の土地区画上の称の一つ。大きな県。←→小県
  • 小県 おあがた  大化前代の地方行政区画の一つ。小さな県。←→大県
  • 県 あがた (1) 大和時代の諸地方にあった地方行政組織。畿内周辺では直轄地的性格が強い。みあがた。(2) 地方官の任国。
  • 県主 あがたぬし 大和時代の県の支配者。後に姓の一つとなった。
  • -----------------------------------
  • 鞆 とも 弓を射る時に、左手首内側につけ、弦が釧などに触れるのを防ぐ、まるい皮製の具。弦が当たると音を発する。平安時代以後は武官の射礼用の形式的弓具となった。ほむた。
  • 腕 ただむき うで。
  • 太后 おおぎさき/おおきさき (1) 天皇の正妻。第一のきさき。皇后。
  • 神帰せ かみよせ 神寄せ。神を招きよせてお告げを聞くこと。
  • 沙庭 さにわ さ庭。(サは神稲の意) (1) 斎(い)み清めた場所。神おろしを行う場所。(2) 神慮を審察する人。神命をうけたまわる人。(3) 神楽で和琴を弾く人。
  • 珍宝 うづたから
  • 珍 うづ 高貴で美しいこと。尊く珍しいこと。(角)
  • いつわりせす神
  • 黙す もだす (1) 口をつむぐ。沈黙する。(2) だまって見過ごす。そのままにしておく。(角)
  • 一道 ひとみち (1) ただ1本の道。それ以外に道のないこと。(2) その事に一途なこと。ひとすじ。専心。(3) 死出の道。冥土。
  • 恐し かしこし 畏し。(海・山・風などあらゆる自然の事物に宿っていると信じられた精霊の霊威に対して、畏怖・畏敬の念を持つのが原義) (1) おそろしい。つつしむべきである。(2) おそれ多い。もったいない。ありがたい。かたじけない。(3) (挨拶語として、「―・けれど」の形で)「恐縮ですが」「失礼な申し分ですが」の意。(4) (連用形を副詞的に用いて)ありがたいことに。
  • ややに 稍に・漸に。次第次第に。ようやく。徐々に。段々。
  • なまなま (2) いいかげんなさま。未熟なさま。中途半端。
  • 殯の宮 あらきのみや 「あらき」の場所を尊んでいう語。あがりの宮。もがりの宮。
  • 大幣 おおぬさ 大麻。(1) 祓えのときに用いる大串につける幣帛。祓えのあと、人々がこれを引きよせてからだをなで、罪やけがれをそれに移したという。
  • 生剥 いきはぎ/いけはぎ 天つ罪の一つ。生きている獣の皮を剥ぐこと。
  • 逆剥 さかはぎ 獣などを殺し、皮を尻の方から剥ぐこと。天つ罪の一つ。
  • 阿離 あはなち 畔放ち。天つ罪の一つ。田のあぜを崩すこと。
  • 溝埋 みぞうみ/みぞうめ 天つ罪の一つ。田に水を引く溝を埋めて、引き水を妨げること。
  • 屎戸 くそへ 糞戸。天つ罪の一つ。汚いものをまきちらすこと。
  • 上通下通婚 おやこたわけ 親子婚。「たわけ」は道ならぬ肉体関係のこと)古代の罪目の一つ。実の親子が肉体上の関係をもつこと。
  • 馬婚 うまたわけ 人が馬を姦すること。
  • 牛婚 うしたわけ 人が牛と姦淫すること。
  • 鶏婚 とりたわけ 上代、国つ罪の一つ。人と家禽との交婚。
  • 犬婚 いぬたわけ 獣姦の一種で、犬と交合すること。国つ罪の一つ。
  • たわけ 戯け (1) みだらな通婚。(2) ふざけること。おどけ。たわむれ。(3) たわけもの。ばかもの。
  • 大祓 おおはらえ 古来、6月と12月の晦日に、親王以下在京の百官を朱雀門前の広場に集めて、万民の罪や穢を祓った神事。現在も宮中を初め全国各神社で行われる。中臣の祓。みそぎはらえ。おおはらい。
  • ぞも 〔助詞〕 (古くはソモと清音。指定のゾに詠嘆のモを添えた語) (1) 詠嘆を表す。…ぞまあ。(2) 疑問の語と共に用いて、詠嘆を含む疑問を表す。…かまあ。
  • 言教え
  • 知らまくほし
  • まく (推量の助動詞ムのク語法) …しようとすること。…だろうこと。
  • 真木 まき �y・槙。(立派な木の意) (1) スギの古名。(2) イヌマキ・ラカンマキ・コウヤマキなどの汎称。(3) 建築材料の最上の木の意。多くはヒノキの美称。
  • 瓠 ひさご 瓠・匏・瓢。(古くは清音) (1) ユウガオ・ヒョウタン・トウガンなどの総称。特に、その果実。(2) ひさごの果実の内部を刳りぬいて乾燥させたもの。酒などの容器とした。(3) (「柄杓」「杓」と書く)(ひさごの果実を縦半分に割って用いたという)水を汲むのに用いた具。ひしゃく。
  • 葉盤 ひらで 枚手・葉手・葉盤。数枚の柏の葉を、細い竹釘で刺し止め、盤のようにした器。後世ではその形の土器をいい、木製・陶製もある。神饌の祭祀具として使用。ひらすき。
  • 双める なめる 並める。ならべる。つらねる。(角)
  • 国主 こにきし 王。(古代朝鮮語で、「コニ」は大の意。「キシ」は君の意か)(1) 古代朝鮮の、三韓の王。コンキシ。コキシ。(2) 百済王族の渡来人に与えられた姓。
  • 御馬甘 みまかい 御馬飼・飼部。馬飼の美称。
  • 年の毎 としのは 年の端。(1) 毎年。としごと。(3) 年の初め。
  • � さおかじ 棹舵。舟の棹と舵。
  • さおかじ干さず 舟が絶えず通航して舟をこぐ道具を乾かすひまがない。舟の通行の多いさまにいう。
  • むた 与・共 名詞・代名詞に「の」または「が」を介して付き、「と共に」の意を示す古語。
  • 渡の屯家 わたのみやけ/わたりのみやけ 海を渡った向こうにある屯家。海(わた)の屯家。
  • 荒御魂 あらみたま 荒く猛き神霊。←→和御魂(にきみたま)
  • 国つ守り くにつまもり 国のまもり。国家の守護。
  • 鎮懐石 ちんかいせき
  • 産れます あれます (動詞「生(あ)る」の連用形+尊敬の補助動詞「座(ま)す」)お生まれになる。「産れまさん」は、お生まれになるだろう。出現なさるだろう。(角)
  • 鎮う いわう 斎う・祝う、か。(幸福・旅の安全、夫の無事の帰還などを願って呪術をおこなうのが原義)(2)(神秘的な力で)守護する。加護する。(角)
  • 喪船 もふね 棺をのせた船。
  • 祈狩 うけいがり 事の吉凶を獲物で占うため、神に祈ってする狩。
  • 歴木 くぬぎ 櫟・椚・橡・櫪。ブナ科の落葉高木。山野に自生し、特に武蔵野の雑木林の主要樹種。高さ約10m。樹皮は暗褐色で深く縦裂。葉は有柄互生、クリの葉に似るが縁の刺(とげ)が緑色にならない。雌雄同株。初夏、黄褐色の花を穂状につける。果実は「おかめどんぐり」ともいい、大きく球形で、半分が殻斗に包まれる。材は薪炭材としては最高の品質。樹皮や葉は染料・薬用に供する。古名、つるばみ。
  • 弓弦 ゆづら 弓のつる。ゆづる。
  • 頂髪 たぎふさ/たきふさ 頭髻。上へあげて束ねた髪。たぶさ。もとどり。
  • 吾君 あぎ 相手の人を親しんで呼ぶ語。あなた。わがきみ。
  • 鳰鳥 におどり カイツブリの古名。
  • 鳰鳥の におどりの 〔枕〕「かづく(潜)」「かづ」「かづしか(葛飾)」「なづさふ」「おきなが(息長)」「ならびゐ」などにかかる。
  • 御禊 みそぎ/ごけい 天皇の即位後、大嘗会の前月に賀茂河原に行幸して行うみそぎの儀式。また、伊勢の斎宮や賀茂の斎院が卜定の後や祭の前に賀茂川などで行うみそぎにもいう。
  • 仮宮 かりみや (1) 仮に造った宮殿。(2) (→)行宮に同じ。(3) 神輿渡御の時の御旅所。
  • 行宮 あんぐう (アンは唐音)天皇行幸の時の仮の宮居。かりみや。行在所。
  • 言祷ぐ ことほぐ 寿ぐ・言祝ぐ。(上代は清音)ことばで祝福する。
  • 幣 みやじり
  • 待酒 まちざけ 来る人に飲ませるために造っておく酒。
  • 酒の長 くしのかみ 酒の司・酒の長。酒のことをつかさどる首長。
  • 常世 とこよ (1) 常に変わらないこと。永久不変であること。(2) 「常世の国」の略。
  • 常世の国 とこよのくに (1) 古代日本民族が、はるか海の彼方にあると想定した国。常の国。(2) 不老不死の国。仙郷。蓬莱山。(3) 死人の国。よみのくに。よみじ。黄泉。
  • 石立たす いわたたす 岩となって(石神として)お立ちになる。
  • 神寿き かむほき 神寿・神賀。神の祝福。
  • 寿き ことほき/ことほぎ 寿・言寿・言祝 (上代は清音)ことほぐこと。ことばによる祝福。ことぶき。ことほがい。
  • 狂おし くるおし 常軌を逸してしまいそうな気持である。感情が激して異常な状態に陥りそうになるさま。くるわしい。
  • 豊寿き とよほき 豊祷。たたえいわうことの美称。
  • もとおし 回・廻 (1) めぐり。まわり。
  • あやに 奇に。何とも不思議なまでに。むやみに。
  • うた楽し うただのし 転楽し。(「うた」は「うたた」の意)無性に楽しい。
  • 酒楽の歌 さかくらのうた


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『日本国語大辞典 第二版』(小学館、2001.5)『日本史広辞典』(山川出版社、1997.10)『全訳古語辞典』(角川書店、2002.10)。



*後記(工作員スリーパーズ日記)


 以下、『校註古事記』本文検索の結果(割注含む。校註と章題は含まず)。
 
たけ
「建」……112件。
「健」……1件。「男健《をたけび》」
「武」……2件。「相武《さがむ》の國」「金波鎭漢紀武《こみはちにかにきむ》」
「竹」……19件。

禾の部
「稻」……28件。
「米」……28件。
「麥」……1件。「陰《ほと》に麥生り」
「穗」……41件。
「穀」……なし。
「穢」……6件。
「稗」……2件。いずれも序「稗田の阿禮」
「稔」……なし。
「稙」……なし。
「種」……18件。
「稚」……2件。「國|稚《わか》く」「八|稚女《をとめ》」
「秦」……2件。「秦《はた》の造《みやつこ》の祖」「秦《はた》人」
「秋」……16件。

 直前に読んでいた本の中に、二十八宿に関する記述があった。古代日本と陰陽道の関係を示唆するものとして説明づけている。(碓井洸『三角縁神獣鏡と邪馬台国――古代国家成立と陰陽道』友月書房、2006.6)
 二十八宿とは古代中国の星座(星宿)のことで、黄道の東西南北の四神をさらに七分ずつしたもの。高松塚古墳の壁画に二十八宿図が描かれてある。「28という数字は、月の任意の恒星に対する公転周期(恒星月)である27.32日に由来すると考えられ」る。(Wikipedia)
 三角縁神獣鏡や古代天皇名称の漢字画数などに、マジックナンバー「28」がしばしば出現する……というのだけれど、ざんねんながら博引旁証・牽強付会のきらいがって、信用に足るのか判断つかない。
 
 ところが、なにげにかぞえた『古事記』の中の「稻」と「米」の出現数が、両方とも28。いまのところ確認できたのはこの2つだけなので何ともいえないが、偶然にしてはできすぎているようで、ちょっと。。。




*次週予告


第五巻 第一〇号 
校註『古事記』(七)武田祐吉


第五巻 第一〇号は、
二〇一二年九月二九日(土)発行予定です。
月末最終号:無料


T-Time マガジン 週刊ミルクティー 第五巻 第九号
校註『古事記』(六)武田祐吉
発行:二〇一二年九月二二日(土)
編集:しだひろし / PoorBook G3'99
 http://www33.atwiki.jp/asterisk99/
出版:*99 出版
 〒994-0024 山形県天童市鎌田2丁目
 アパートメント山口A−202
販売:DL-MARKET
※ T-Timeは(株)ボイジャーの商標・製品です。