アンリ・ファーブル Jean Henri Fabre
1823-1915(1823.12.21-1915.10.11)
フランスの昆虫学者。昆虫、特に蜂の生態観察で有名。進化論には反対であったが、広く自然研究の方法を教示した功績は大きい。主著「昆虫記」


大杉栄 おおすぎ さかえ
1885-1923(明治18.1.17-大正12.9.16)
無政府主義者。香川県生れ。東京外語卒業後、社会主義運動に参加、幾度か投獄。関東大震災の際、憲兵大尉甘粕正彦により妻伊藤野枝らと共に殺害。クロポトキンの翻訳・紹介、「自叙伝」などがある。


伊藤野枝 いとう のえ
1895-1923(明治28.1.21-大正12.9.16)
女性解放運動家。福岡県生れ。上野女学校卒。青鞜(せいとう)社・赤瀾会に参加。無政府主義者で、関東大震災直後に夫大杉栄らとともに憲兵大尉甘粕正彦により虐殺された。



◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。写真は、Wikipedia 「ファイル-Jean-henri fabre.jpg」 「ファイル-Sakae.jpg」 「ファイル-Ito Noe.png」より。
◇表紙:Wikipedia、ジョロウグモ「ファイル-Nephila_clavata2.jpg」より。


もくじ 
科学の不思議(四)アンリ・ファーブル


ミルクティー*現代表記版
科学の不思議(四)
  二八 猟(りょう)
  二九 毒虫
  三〇 毒
  三一 マムシとサソリ
  三二 イラクサ
  三三 行列虫
  三四 嵐(あらし)
  三五 電気
  三六 ネコの実験

オリジナル版
科学の不思議(四)

地名年表人物一覧書籍
難字、求めよ
後記次週予告

※ 製作環境
 ・Macintosh iBook、Mac OS 9.2.2、T-Time 2.3.1
 ・ ポメラ DM100、ソーラーパネル NOMAD 7
※ 週刊ミルクティー*は、JIS X 0213 文字を使用しています。
※ この作品は青空文庫にて公開中です。転載・印刷・翻訳は自由です。
(c) Copyright this work is public domain.

*凡例
  • ( ):小書き。〈 〉:割り注。
  • 〔 〕:編者もしくは、しだによる注。
  • 一、漢字、かなづかい、漢字の送りは現代表記に改めました。
  •    例、云う → いう / 言う
  •      処  → ところ / 所
  •      有つ → 持つ
  •      這入る → 入る
  •      円く → 丸く
  • 一、異句同音の一部のひらがなに限り、便宜、漢字に改めました。
  •    例、いって → 行って / 言って
  •      きいた → 聞いた / 効いた
  • 一、若干の句読点のみ改めました。適宜、ルビや中黒や感嘆・疑問符をおぎないました。一部、改行と行頭の字下げを改めました。
  • 一、漢数字の表記を一部、改めました。
  •    例、七百二戸 → 七〇二戸
  •    例、二萬六千十一 → 二万六〇一一
  • 一、和暦にはカッコ書きで西暦をおぎないました。年次のみのばあいは単純な置き換えにとどめ、月日のわかるばあいには陰暦・陽暦の補正をおこないました。
  • 一、ひらがなに傍点は、一部カタカナに改めました。
  • 一、カタカナ漢字混用文は、ひらがな漢字混用文に改めました。
  • 一、書名・雑誌名は『 』、論文名・記事名および会話文は「 」で示しました。
  • 一、差別的表現・好ましくない表現はそのままとしました。


底本:「定本 伊藤野枝全集 第四巻 翻訳」學藝書林
   2000(平成12)年12月15日初版発行
底本の親本:「科学の不思議」アルス
   1923(大正12)年8月1日
http://www.aozora.gr.jp/cards/001049/card4920.html

NDC 分類:K404(自然科学 / 論文集.評論集.講演集)
http://yozora.kazumi386.org/4/0/ndck404.html





登場とうじょうするひと
・ポールおじさん フランス人。
・アムブロアジヌおばあさん ポールおじさんの家の奉公人ほうこうにん
・ジャックおじいさん アムブロアジヌおばあさんのつれあい。
・エミル いちばん年下。
・ジュール エミルの兄さん。
・クレール エミルのねえさん。いちばん年上。

科学かがく不思議ふしぎ(四)

STORY-BOOK OF SCIENCE
アンリ・ファーブル Jean-Henri Fabre
大杉おおすぎさかえ伊藤いとう野枝(訳)

   二八 りょう


 ポールおじさんは、「みんな、早起きをしよう」といいました。が、だれも起こされませんでした。いつもよりはすこし早く起きて、ジョロウグモのりを見にゆきました。七時ごろ朝日がかがやきだすのと同じくらいに、みんなは流れのふちにいました。蛛網くものすはできあがっていました。そして、その糸につゆたまがかかっていて真珠しんじゅのようにかがやいていました。で、クモはまだあみなかにはいませんでした。それはたしかに、その部屋からおりてくる前に、太陽たいようひかりで、朝の湿気しっけるのをっているのでした。一行いっこうは、朝のごはんを食べるために草の上にこしをおろしました。そこは蛛網くものす大綱おおづながくっついているはんの木のすぐ根元ねもとでした。青いとうすみとんぼ〔イトトンボ〕藺草いぐさのくさむらの間をあちらこちらとびまわって、それぞれにりょう最中さいちゅうでした。気をつけろ、そそっかしやのやつ! お前はどうして蛛網くものすの上をすか、下をくぐるかしてそのあみをよけるか知らないのか! アッ! 生贄いけにえのためにわるいことができた。一つのやつが、仲間なかまのやつとふざけている。一つの方はどう見てもあみのそばに行かなくちゃならない。一匹いっぴきのトンボがあみにかかった。一方いっぽうの自由な方のはねで、げようとしてたたかっている。蛛網くものすが動く。が、そのゆるぎにもかかわらず、大綱おおづなはしっかりしている。そしてあみにかかった大事だいじなものが動くので、居室いまにいるジョロウグモはそこにつづいている糸のゆれで注意ちゅういされる。クモは急いでおりてきた。が、らえそこなった。トンボはそのはね必死ひっし打撃だげきで、体をあみからはなしてげて行った。そして蛛網くものすには大きなあながあいた。
「やあ! うまくげたなあ!」ジュールがさけびました。「もうすこしで、あのかわいそうなトンボはいのちをとられるところだった。見たかいエミル、クモがあみの動くので獲物えもののかかったことを知ったときにかくれ場所からび出してくるのを。なんて早いんだろう! だけども、このはじめのりはダメだ。獲物えものげてしまうし、あみもやぶれてしまった。
「そうだ。だがクモは、そのやぶれを手入ていれするよ。」とおじさんは、ジュールを安心あんしんさせました。
 そして、本当にクモはすでに、その不幸ふこう回復かいふくしました。ジョロウグモはやぶれたあみを、非常に器用きように、新しく作りかえました。つくろいかがりはすみました。いたんだところはやっと見つかるぐらいです。クモは今度こんどはあきらかに、りょうの大事の機会きかいをのがさないように、そしてできるだけ早く獲物えものにつかみかかって、また失敗しっぱいすることのないように、一番いちばん得策とくさくとして蛛網くものすなかじんどります。えんの中に八本のあしをひろげて、蛛網くものすの何の点からくるどんな軽い動揺どうようでもわかるように、まったく動かずにじっとしてっています。
 トンボどもは、ひっきりなしにあちらこちらすることをつづけています。けれども、一つもつかまりません。たった今のおどろきが、トンボどもを用心ようじんぶかくしたのです。オヤ? オヤ? あんなにそそっかしくんできてあみに頭をぶつけたのは何でしょう? ハナバチです。あの全身ぜんしんが黒ビロードのようではらあかい、あのハナバチがったのです。ジョロウグモが走ってゆきました。けれども、捕虜ほりょ元気げんきのいい強いやつです。そしてきっとすでしょう。クモはそれをかんづきます。で、自分の糸嚢しのうから糸をひき出して、大いそぎでハチの上に糸をひっぱりまわします。第二の糸、第三、第四とすぐに捕虜ほりょしにものぐるいの骨折ほねおりに打ち勝ってしまいます。で、今、ハチはしめられていますけれど、じゅうぶん生きているのです。そしておどしています。それをつかむのはクモのいのちをあぶなくするたいへんな不注意ふちゅういなことです。クモはどうしてこの危険きけん生餌いきえをすこしもおそれないでいられるのでしょう? クモはするどい、とがった二本のきばをその頭の下にりこんでっています。それは、その尖端せんたんあなをとおしてほんのすこしのどくのしたたりを流すようになっていて、これが、クモのりの武器ぶきなのです。ジョロウグモは用心ぶかく近づいて行きます。そしてそのきばを開いてハチをします。そしてすぐにそばによけます。そのすべては一瞬間いっしゅんかんにすみます。どくはたちまちにそのはたらきをあらわして、ハチはふるえます。そしてそのあしはこわばります。ハチはんだのです。クモはそれを自分のきぬのかくれ部屋べやに持ちこんで、ゆっくりとしゃぶるのです。クモはいつもその皮を残すのですが、その蛛網くものす死骸しがいでよごして、あとでの勝負しょうぶのときに獲物えものをおどろかさないように、その住居じゅうきょから遠くの方へそれをはなって、何も残さないようにします。
「バカに早くやっちまったなあ」とジュールは不平ふへいそうにいいました。「ぼくは、クモのどくのあるきばなんて見られなかった。だけどもうすこしって、ほかのハナバチがきてひっかかったら、そのときにはもっとよく見よう。
「そんなら、べつにつことはないよ」とポールおじさんがこたえました。「もし、われわれが本当にじょうずに、クモにもう一度そのりの方法をくりかえしてやらせるだんどりをつけてやることができさえすればいいのだ。みんな、よく注意ちゅういして見るんだよ。
 ポールおじさんはちょっとのあいだ野原のはらの花の中をさがして、一匹いっぴきの大きなハエをとらえました。そして一方のはねを持って、蛛網くものすのすぐそばではなしました。ハエはすぐにそれにぶつかって糸にからまりました。蛛網くものすれます。クモはハチを残しておいて、自分のエサがまたそんなにも早くかかったそのしあわせな機会かいをよろこんで走ってきました。そして同じ手段しゅだんがまたくりかえされました。ハエは最初さいしょにしめられました。ジョロウグモはそのとがったきばを開いてハエをちょっとします。それでおしまいです。その生贄いけにえはふるえて自分の体をのばします。そして動くのがみます。
「アッ! 見えましたよ」とジュールが満足まんぞくして言いました。
「クレール、あのクモのするどいきばをよく見て?」とエミルがたずねました。「ぼく、きっとあなたの針箱はりばこの中にだって、あんなによくとがったはりはないだろうと思いますよ。
「わたしは、そうは思いません。わたしが一等いっとうおどろいたのは、クモのきばのするどいことじゃなくって、ハエのかたの早いということですわ。わたしには、このくらいの大きさのハエのどこかをいっしょ、わたしたちの持つはりで、ちょっとつきしたって、そんなに早くぬとは思えませんわ。
「まったくだ」と、おじさんが同意どういしました。昆虫こんちゅうは、ピンでつきしたって長いあいだ生きている。けれども、もしそれがするどくとがったクモのきばのひときであれば、ほとんどすぐにぬ。それは、クモがどくをもって武器ぶきとしているからだ。そのきばどくなのだ。クモはほんのちょっとの間にあなをあけて、虫がきぬ材料ざいりょうえきをつくるようにしてつくった毒液どくえきの、やっと見えるくらいのわずかのしたたりをそのくだから流しこむのだ。その毒液どくえききば内部ないぶにある、細長いふくろの中にたくわえて持っているのだ。クモがその生餌いきえいたときに、そのきずから毒液どくえきが入っていく、するとそのきずついた虫はたちまちんでしまうのだ。その生贄いけにえは、ただされただけのことでぬのではなくって、そのきず注射ちゅうしゃされたどくのおそろしいはたらきでぬのだ。
 ポールおじさんはここで、子どもたちにもっとよくそのどくを持ったきばを見せるために、ジョロウグモをその指先ゆびさきでつまみとりました。クレールはこわがってさけび出しました。けれどもおじさんは、すぐにクレールをおちつかせました。
心配しんぱいすることはないよ。このどくはハエをころすことはできるが、おじさんのかた皮膚ひふすことはできやしないよ。
 そしておじさんは、ピンでもってその生きもののきばをあけて、それを子どもたちにくわしく見せてやりました。子どもたちはすっかり安心あんしんしました。
「お前たちは、おどろきすぎないようにしなくちゃいけないよ」とポールおじさんはつづけました。「ハナバチやハエのぬのがあんなに早いので、クモが人間にだって同じようにおそろしい生きもののように思ってはいけない。あのきばで人間の皮膚ひふきとおすことは、まあ、できないといってもいいくらいむずかしいことだ。大胆だいたん研究者けんきゅうしゃたちは、自分たちをわが国のいろんなクモにさせた。けれどもその結果けっかは、にさされて赤くなるように赤くなるだけで、それよりも心配しんぱい結果けっかは何もなかった。同時に人は、弱い皮膚ひふいためないようにいろんな注意ちゅういをしなければならない。われわれが胡蜂こばち〔スズメバチ〕されるのをけるのも、法外ほうがいおどろきをまぬかれさせる。それは非常ひじょういたむのだ。で、その虫を見るとすぐ、クモのきばけるのと同じ方法でければ、大声を出してかないでもすむのだ。そのどくを持った昆虫こんちゅうの話をつづけよう。だが、それはあとでのことだ。さあ帰ろう。

   二九 毒虫どくむし


「お前たちが聞いて知っている、あるどくを出す生きものというのは、それに近づくとはなれていても顔や手にひどい力を持ったえきをはなって、ころすか、あるいは少なくともがあかないようにするか、もっと他をいためるかするのだね。先週せんしゅうジュールは、イモのなえの上で、まがったつの武装ぶそうした一匹いっぴきの大きな虫を見つけたね。
「ぼく、おぼえてますよ。ええ」ジュールが言い出しました。「その虫は、おじさんがぼくに話してくださいましたね。それはスフィンクス・アトロポスという立派りっぱなチョウになるんだって。そのチョウは、わたしの手のように大きくて、その背中せなかに白い点があって、それがドクロにちょっとているというので、たくさんの人にこわがられているのです。そしてまた、そのは黒くひかっています。おじさんはそのとき、その生きものはがいにはならないので、こわがるのだって理屈りくつにあわないこわがり方だってつけくわえていいましたね。
「ジャックがイモの雑草ざっそうを取っていたね。」と、ポールおじさんがつづけました。「その虫はジャックの手でたたきとされて、そしてその大きな木靴きぐつで、すぐにふみつぶされたね。『なんて険呑けんのんなことをなさるんです!』と、あの人のいいジャックがいったね。『このどくのある虫を手でいじるなんて! この緑色みどりいろどくをごらんなさい。ちかよっちゃいけません! まだすっかりんでいませんから、どくをかけますよ。』りっぱな研究けんきゅうをする人たちが、そのおしつぶされた虫の青い内臓ないぞうを取ってためしてみた。それらの内臓ないぞうには何のどくふくんではいなかった。その内臓ないぞうがどうして青いかというと、それは、虫が食べていたっぱのしるのためなんだ。
「たいていの人は、ジャックと同じような意見いけんでいる。その人たちはみんな虫の内臓ないぞうの青いのをおそれているのだ。そしてある生きもののどくは、何でもそれにれさえすればどくをあびせると思っているのだ。いいかい、お前たちはそのお前の心の中にある大事だいじなもののために、そんなバカげたおそれにつかまらないようにしっかりしなくちゃいけない。そして同時どうじに、ほんとうの危険けんたいしてはちゃんと自分のまもらなければならない。遠くの方からどくをはなってわれわれをがいすることのできるものは、動物どうぶつのどんな種類しゅるいにでも、絶対ぜったいにないのだ。それは、ほんとうにどくを持っているものとしてじゅうぶんに知られているものが、ちゃんと証拠しょうこだてているのだ。どく武器ぶきとしてあたえられている大小さまざまの生きものも、その武器ぶきは、そのエサになるやつをおそうときか、防御ぼうぎょかの二つに使うだけだ。ハチはわれわれのいちばんよく知っているどくを持った生きものだ。
「なんですって!」エミルがさけびました。「ハチにどくがあるんですって? あの、わたしたちにみつをつくってくれるあのハチに?」
「そうだ、あのハチだ。お前は、お前がおとなしくしているときにアムブロアジヌおばあさんが作ってくれるあのお菓子かしみつを持っているあのハチも、のけものにするわけにはゆかない。お前は、ハチにさされて、あんなにいたときのことを考えることはできないかい?」
 エミルは、おじさんがつまらない記憶きおくびかえしましたので、顔を赤くしてはずかしがりました。エミルは、まったくの不注意ふちゅういから、ある日ハチが何をしているか見にゆきました。そして巣箱すばこの小さなとびらぼうをつっこみました。ハチはこの無分別むふんべつなやり方におこってきました。で、エミルはほおや手を三つも四つもされたのです。エミルはたいへんかなしそうにき出しました。おじさんはそれをなぐさめてやるのに大骨折おおほねおりをしました。つめたい水でひやして、ようようエミルのピリピリするいたみはしずまりました。
「ハチにはどくがある」と、ポールおじさんはくりかえしました。「エミル、お前のされた話をしてごらん。
胡蜂こばちもやっぱりそうですか?」とジュールがたずねました。「いつかぼくが、ブドウのふさからっぱらおうとしたときに、ぼくを一つしましたよ。ぼく、何もいいはしませんけれど、やっぱりたいへん不愉快ふゆかいでしたよ。それを考えると、ほんのちょっとした何かが、あんなにきずつけるのですねえ! ぼくの手はちょうど火であぶったようになりましたよ。
「たしかにそうだ。胡蜂こばちにはどくがあるのだ。ミツバチよりももっとある。そしてそのす感じでもずっといたいよ。ハナバチもやはりそうだ。オオキバチも同様だ。それらの大きなあかばんだハチは、一インチぐらいの長さがあって、そのハチどもは時としては果樹園かじゅえんのナシをかむことがある。お前たちは一般いっぱんに、このオオキバチに気をつけなければならないのだ。そのハチから一つされると、たった一つでお前たちは長いあいだおそろしいいたみをけるのだ。
「すべてそれらの昆虫こんちゅうの持っているどく武器ぶきは、彼らの防御ぼうぎょのために、同じ方法でつくられたものだ。それを螫毛さしけ刺毛しもうという。それは小さくて、かたくて、そして非常ひじょうにとがったものだ。それはするどいはりよりももっとするどい懐剣かいけん一種いっしゅだ。その螫毛さしけは、その虫の胃袋いぶくろのはしについている。しずかに休んでいるときには、それは見えない。胃袋いぶくろの中に入っているさやの中にかくしてあるのだ。自分をまもるときには、そのさやから引き出して、その先を無遠慮ぶえんりょゆびにつっこむのだ。
「お前たちがよく知っているあのピリピリいた原因げんいんは、けっしてされたときにできたきずのためではないのだ。そのきずというのはごく軽いもので、われわれは見ることもできやしない。われわれは、はりでか、するどいとげしてできたきずを感じるくらいにやっと感じるくらいだ。しかしその螫毛さしけは、虫の体の中にしまってあるどくふくろに通じていて、その中にとおっているくだからそのおそろしい毒液どくえきのしたたりをきずの中にそそぎこむのだ。そしてそれから螫毛さしけを引きぬくのだ。そのどくはそのままそのきずの中にとどまっている。ただそれだけなんだ。そしてそのどくいたみをはなつのだ。エミルには、そのいたいことの話ができるだろう?」
 ポールおじさんの、この二度目の攻撃こうげきにあってエミルは、自分がハチを不注意ふちゅういにあつかっておこられたことからきたその災難さいなんのことに気をとられました。そしてエミルは鼻汁はなじるをかみました。それは彼のれかくしだったのです。おじさんは、べつにそれに気をつけるようなふうもなしにつづけました。
学者がくしゃたちの研究けんきゅうは、このおもしろい問題をいた。それは、虫にされていたむのはそのきずのためではなくって、きずの中につぎこまれる毒液どくえきのためだということをあきらかにする実験じっけん説明せつめいしたのだ。自分で非常ひじょうにするどいはりで自分のどこかをいたときにでも、そのいたみはごく軽くて、すぐにってしまう。クレールは裁縫さいほうをしていて、はりゆびをついてもそうおどろかないと思うが、どうだい?」
「いいえ」とクレールはこたえました。「じきになおりますわ。が出たって何ともありはしませんわ。
「よろしい。そのはりでついたのは何でもない。けれども小さなきずでひどくいたむのは、ミツバチや胡蜂こばちどくされたからなのだ。学者たちは、わたしがお前たちに話した、ハチの体の中のどくふくろの中にはりきをつけて、その毒液どくえきでしめったはりの先で、自分たちの体を軽くすのだ。いたみはすぐにはげしくなる。そして、実験者じっけんしゃが本物のハチにされたのよりは、もっとずっと長いあいだそのいたみがつづく、そのいたみがすのは当然とうぜんのことなんだ。それは比較的ひかくてき大きなはりきずの中にみちびくどくは、ハチの細い螫毛さしけがみちびくのよりも多いわけだ。わかったかね。きずの中にどくをみちびくということが、すべての難儀なんぎ原因げんいんなんだ。
「それはわかりました。」とジュールがいいました。「ですけれど、おじさん、その学者たちはハチのどくにつけたはりで自分をつっついて、それでよろこんでいるんですか? ずいぶんみょう道楽どうらくだなあ。なんでもないことに自分がいたい目にあうなんて。
「ハラムウスカアムが何でもないことのためにそんなことをしたって? 今、わたしがお前たちに話したことを、お前は何でもないことのように思うのかい? わたしがそれを知っているのは、ほかに、わたしに教えてくれた人たちがあるからなのじゃあるまいか? そのほかの人たちというのはだれだろう? その人たちは勇敢ゆうかん研究者けんきゅうしゃで、いろんな学問がくもんをして、いろんな調しらべものや研究をして、われわれのいろんなことに対する難儀なんぎ緩和かんわしてくれるのだ。その人たちがどくで自分の体をすときには、その研究のために、その体を危険けんにさらすのだ。そして、そのどくはたらきや、その抵抗ていこう結果けっかをわたしたちに教えるのだ。それは時によっては、非常ひじょうにおそろしいことだ。マムシやサソリにされれば、われわれの生命いのちはあぶないのだ。そしていちばん重要じゅうようなことは、どくがどういうふうにはたらくか、そしてそのがいをおさえるのにはどうしなければならないかを完全かんぜんに知ることなんだ。それから、その学者たちの研究が鑑定かんていされるのだ。研究はジュールの考えのようにまるでみょう道楽どうらくのようなものだ。科学かがくは、おかすことのできない熟練じゅくれんを持っている。それは、われわれの知識しき範囲はんいをひろげ、人間の損害そんがいを少なくする、どんなこころみからもけっしてしりごみはしないのだ。
 ジュールは、自分の生意気なまいき批評ひひょう恥入はじいって、頭をさげて何もいえませんでした。ポールおじさんはおこっていました。けれど、すぐ何でもなくなりました。そして、どくを持った生きものの説明せつめいつづけました。

   三〇 どく


「すべてのどくを持った生きものは、ミツバチや胡蜂こばちやオオキバチとおなじような方法ではたらく。そのしゅにしたがってあるときは体の一部分に、あるときはほかに持っている―はりや、きばや、螫毛さしけや、刃針はばりの―特別とくべつ武器で、毒液どくえきをしみこますきずをつける。その武器ぶきは、毒液どくえきのための道をひらくことよりほかにはたらきはないのだ。そして、それががい原因げんいんなのだ。どくがわれわれの体にはたらくのには、われわれの出会であわねばならない。そのきずはそのためにあけた道なのだ。しかしそのどくは、そこがたいしたきずでなければ、ちょっとしたきずならば、われわれの皮膚ひふにはたしかに何のはたらきもできない。それはすぐににくにつきとおされてとまじってしまうのだ。いちばんおそろしいどくでも、もし皮膚ひふがやぶれさえしなければ危険きけんはないのだ。なお、そのうえにできれば、くちびるしたい取ってわる結果けっかにならないようにするのだ。オオキバチのどくくちびるに持ってゆけば、水よりももっと効果こうかがなくなるのだ。しかし、もしくちびるにちょっとしたきずでもあれば、そのいたみは猛烈もうれつだ。マムシのどくもやはり同じように、それがとまじらないかぎりがいはない。大胆だいたん実験者じっけんしゃはそれをんでためしてみたが、それを飲まない前よりは飲んでからわるくなったということは、まだないのだ。〔※ 注意ちゅうい素人しろうとによるどくい出しはおこわないこと。すみやかに病院びょういんなどで治療ちりょうけること。
「それはほんとうですの、おじさん? マムシのどくむなんてそんな大胆だいたんな人があるのですか? まあ! わたしなんかは、とてもそんな勇敢ゆうかんなことはできませんわ」とクレールが言い出しました。
「けっこうだ、クレールや。それはほかの人たちがわれわれのためにしてくれる。そしてわれわれは、その人たちのおんはありがたく思わなければならない。その人たちが、われわれに教えてくれたやりかたは、お前たちにもわかるだろうが、不意ふい出来事できごとのばあいにする仕事の中で、いちばんのある、そしていちばんはやい方法なのだ。
「そのマムシの、手やくちびるしたの上でべつに何ともないどくが、にまじると、ひどくおそろしいものなんですか?」
「それはおそろしいものなんだよ。ちょうどわたしは、それについてお前たちに話すところだったんだ。ある不注意ふちゅういな人が、日向ひなたているおそろしいマムシをおどろかしたと想像そうぞうする。その生きものは、たちまちいたとぐろを開いて頭を持ちあげ、一方いっぽうでは不意ふいにはねかえってそれをきほぐして、なかばひらいたあごでお前の手をつのだ。それは一瞬間いっしゅんかんでおしまいになる。そして同じはやさで、マムシはそのうずまきをきおこして、それを回復かいふくすると、つづいてとぐろなかのその頭でお前たちをおどかすのだ。お前たちはその二度目の襲撃しゅうげきってはいけない。げるのだ。しかしああ! もうきずはついたのだ。きずついた手には、二つの小さな赤い点が見えている。たいていは、ほんのちょっとはりでついたほどのかすかなものだ。もしお前たちが、わたしがこんなに一心いっしんにお前たちに教えようとすることを知らなかったら、お前たちはそれをたいしておどろかないだろう。見かけは何でもないのだ! 見るにその赤い点は鉛色なまりいろ隈取くまどられてくる。にぶいたみとともに手がはれる。そして、そのれはだんだんにうでにひろがる。すぐにつめたいあせ嘔気はきけがくる。呼吸こきゅう困難こんなんになり、視力しりょくがおとろえ、知覚ちかくをうしない、一般いっぱん黄色きいろく見えるようになる。そしてひきつける。もし、時をおくらさずに助けることができなければ、んでしまうのだ。
「おじさんは、わたしどもをゾッとさせますよ。」とジュールが身ぶるいをしながら言いました。「わたしたちがもしおじさんからはなれた、家からはなれたところで、そんな不幸ふこう出会であったとしたら、そのなさけないきずをどうしたらいいのでしょう? 人が言っていますよ、あのおかのそばの下生したばえの中にはマムシがいるって。
「そんな険呑けんのん機会きかいからは神さまがまもってくださるよ、ぼうや! だが、もしお前にそんなことがおこったら、お前はゆびでも、手でも、うででも、そのきずのそばをしっかりとしばって、の中にどくがひろがるのをふせがなければならない。きずをつくって、そのまわりをししぼってを出さなければならない。それから、その毒液どくえきをしぼり取るのにそれを強くわなければならない。わたしはお前に、どく皮膚ひふには効果こうかがないと話したね。それをうにも、もし口に何のかすりきずもなければがいはないのだ。もし強くい出すことや、しぼることでを出すということがお前にわかれば、お前はそのきずからすべてのどくをしぼり出すことに成功せいこうしたのだ。それからは、そのきずだけならばたいしたことではない。もっとまちがいのないようにするには、できるだけ早くそのきずを、硝酸しょうさんかアンモニアかのような腐蝕薬ふしょくやくか、あるいはまっいたてつかでく。焼灼しょうしゃくという方法は、毒物どくぶつころがあるのだ。それはいたい、ということはわたしもみとめる。が、だれでもいっそうわるくなるのをふせぐためには、それにしたがわなければならない。焼灼しょうしゃくはお医者いしゃさんの仕事だ。まっさきにやる予備よび手当てあては、どくがひろがらないようにしばって、きずをしぼってどくの入ったを出すこと、そのどくを強くって出してしまうことで、それは自分で直接ちょくせつにやる仕事だ。それはみんな即刻すぐにやらなければならない。それを長くほうっておくと、もう取りかえしのつかないことになる。そういう手当てあてを、じゅうぶんに早くやったときにでも、たまには、そのマムシにかまれた結果けっかわるくなることがある。
「ぼく、安心あんしんしましたよ、おじさん。その予備よび手当てあては、だれでも、もし、うろたえさえしなければむずかしいことじゃありませんね。
「それからわれわれは、危険きけんにあったときには、時をはずさずに、自分の知っている理屈りくつ応用おうようする習慣しゅうかんをつけるということは、たいへん大事だいじなことだ。そして、不意ふいおそれに圧倒あっとうされてはいけない。人はいつでも、ちゃんと自分の心をおちつかせていなくてはいけない。半分はんぶんしか心がおちつかないと危険きけんだ。

   三一 マムシとサソリ


「今ね、おじさんが……」とエミルが言い出しました。「マムシがすと言わないで、かむと言いましたね。ではヘビは、さないでかむのですね。ぼくはまた、ほかの方法かと思っていましたよ。ぼくはいつも、ヘビはさすのだと聞いていました。この前の木曜日に、びっこのルイね、あの男はなんにもおそれませんね。あのルイが古いかべあなの中でヘビをらえたんです。ルイは二人、仲間なかまをつれていました。みんなはそのヘビの首のまわりをいぐさでもってくびっているのです。ぼくがとおりかかると、みんながんだんです。ヘビはその口から、黒くてとがった、やわらかいようなへんなものをび出さしていました。それは大急おおいそぎで出したり入れたりしているのです。ぼく、それがすのだろうと思ったんです。そしてたいへんこわかったんです。ルイはわらって、ぼくがすものだと思っていたそれを、ヘビのしただといって、自分の手をそのそばに持って行ってぼくに見せましたよ。
「ルイの言ったのはほんとうだよ」とポールおじさんがこたえました。ヘビはみんな、非常ひじょうにやわらかいけ目のある黒い線を、くちびるのあいだから非常ひじょうはやび出さしている。それは、ヘビがいろんな目的もくてきのために持っている武器ぶきだ。けれどもその線は、実際じっさいに何でもないしたなんだ。まったく何のがいもないしたなんだ。それはヘビが虫をとらえるのに使うのと、何かの激情げきじょうをあらわすのに、くちびるの間からそれをいそいで出したり入れたりする特別とくべつ習慣しゅうかんをあらわすのに使う。どんなヘビも、何かの例外れいがいでないものを一つは持っている。しかし、われわれの国ではマムシがおそろしいどく装置そうちをただ一つ持っているだけだ。
「この装置そうち組織そしきは、第一に、二つのかぎかあるいはだ。長くてとがっていて、上あごについている。ヘビが勝手かって獲物えものおそうためにまっすぐに立ったり、あるいはゴムの敷居しきいのようにたり、自分の住居じゅうきょにいるときにはがいのないように、その小剣はさやの中に入っている。ヘビが走っている途中とちゅうではきずつけられる危険きけんはない。そのきばにはあながあって、その先の方に向かって小さくつらぬきとおっている。それは、きずの中にどく注入ちゅうにゅうするあななのだ。最後さいごに別のきばそこ毒液どくえきでいっぱいになった小さなふくろがある。そのどくは何でもないように見える液体えきたいで、においもなければあじもない。だれでもたいていはそれをただの水だと思うだろう。マムシがそのきばでかかってくるときには、どくふくろはその中にある毒液どくえきあなの中に出す。そして、そのおそろしい液体えきたいきずの中にしみこむのだ。
「マムシがえらんでむのは、あたたかで、岩の多いおかで、そこの石の下とあつくしげった下生したばえの中にいる。その色は赤ちゃけているか褐色かっしょくかだ。背中せなかにはくすんだギザギザの線があって、その両側りょうがわには斑点はんてんれつがある。はらの方はかわらのような灰色はいいろだ。その頭は小さな三角形で、その首よりは大きく、すこしにぶ角度かくどでちょうど前を切り取ったようになっている。マムシは臆病おくびょうものおじする。マムシが人をおそうのはただ、自分をまもるときだけだ。その動作どうさあらっぽくて、不規則ふきそくで、そしてにぶい。
「われわれの国でのそのほかの一般いっぱんのヘビは、マムシのようなどくのあるきばは持っていない。そのヘビにかまれたのは、たいしたことはない。そして、そのヘビに嫌悪けんおかんずるのはまったく根拠こんきょのないことだ。
「マムシのつぎには、フランスではサソリよりおそれられている毒虫どくむしはない。それは非常ひじょうみにくいもので、八本のあしで歩く。そして、前の方にエビのハサミのような二つのハサミを持っていて、背中せなかふしだらけで、うねったのはしにけんがある。ハサミはつまらないおどし道具で、がいにはならない。それは、のはしのけん武装そうしているのだ。そしてそのけんどくがあるのだ。サソリはそのけん自衛じえいのためや、自分で食べる虫をころすのに使う。フランスの南部なんぶの方で、二つのちがった種類しゅるいのサソリが発見はっけんされた。一つはみどりがかった黒で、よくくらつめたい場所ばしょにいる。そして家のうちにさえもいる。そのかくれ場所を出てくるのは夜だけだ。それは、れたところを走っている時と、かべをはってワラジムシやクモなどの、きまりどおりの生餌いきえをさがしているときに見ることができたのだ。もう一つの方は、たいへん大きくてあおみがかった黄色きいろだ。それは、あたたかいすなまじりの石の下にんでいる。黒いサソリのしたのは、ひどいがいはしない。黄色きいろいサソリにされたのは生命いのちにかかわる。そのどちらかの虫がおこったときには、そのけんのはしに小さなしずく真珠しんじゅのようになって見える。それが襲撃しゅうげき準備じゅんびなのだ。それはどくしたたりで、サソリはそれをきずの中ににじますのだ。
「わたしが外国の毒虫どくむしについてお前たちに話すことができたら、そこにはもっといろいろ重要じゅうようなことがある。いろいろなヘビにかまれたのがおそろしい原因げんいんになるような話がね。だが、アムブロアジヌおばあさんが食事しょくじだと言ってんでいるようだ。今、わたしがお前たちに話したことをいそいでくりかえせば、それがどんなわるい虫でもはなれたところからわれわれにがいをしたり、どくはなったりする虫はいない。すべてのどくはおなじ方法ではたらく。その特別とくべつ武器ぶきでちょっとしたきずをつける。そしてそのきずの中に毒液どくえきをみちびくのだ。そのきずだけならばなんでもない。その中につぎこまれたどくいたますのだ。そして時としては生命いのちまでもとるのだ。そのどくのある武器ぶきは、その虫のりと自衛じえいとのやくに立つのだ。その武器ぶきは、そのいろいろなしゅによって体のある部分についている。クモは一対いっついきばを口の入口に持っている。ミツバチ、胡蜂こばち、オオキバチ、ハナバチは、螫毛さしけ胃袋いぶくろのはしに持っていて、休んでいるときにはそのさやの中にかくしている。マムシとそのほかすべてのどくヘビは、二つの長いあなのあいたを上あごに持っている。サソリはのはしにけんを持っている。
「ぼくはたいへん残念ざんねんです」とジュールがいいました。「それはジャックが、おじさんの毒虫どくむし説明せつめいを聞かなかったことです。それを聞いたらジャックも、毒虫どくむし緑色みどりいろ内臓ないぞうどくでないことがわかったでしょうに。ぼくは、おじいさんにすっかり話してやろう。そしてもし今度こんど、ぼく、あのきれいなアオムシを見つけても、みにじらないようにしよう。

   三二 イラクサ


 食事しょくじあとで、おじさんはクリの木の下で本を読んでいました。そのあいだ子どもたちはにわでべつべつにはなれてあそんでいました。クレールはちものをしていました。ジュールは自分の花瓶かびんに水を入れていました。エミルは――ちょっとめまいがしました。何がおこったのかと思いましたが、災難さいなんはすぐ行ってしまいました。一匹いっぴきの大きなチョウが石垣いしがきの下にはえているあしの上をんでいます。まあ、なんという立派りっぱなチョウでしょう。そのはね上側うえがわは赤で、黒のふちがとってあり、は青くて下側したがわ褐色かっしょく波形なみがたの線があります。そのチョウがまりました。うまい。エミルは体を小さくして、手をのばして、爪先つまさきでそっと近づきました。すぐにチョウはんで行ってしまいました。が、そのあとをいました。エミルはいそいで手をひっこめました。何かにひっかかれて赤くなっています。それはだんだんいたみがしてきて、わるくなってきました。エミルは、おじさんのところに走って行きました。なみだでいっぱいになっています。
毒虫どくむしがぼくをしたんです!」エミルはきました。「おじさん、ぼくの手を見て! いたむんです!――ああ、なんていたいんだろう! マムシがぼくをんだんです!。
 マムシという言葉ことばで、ポールおじさんはびっくりしました。おじさんは立ってその手を見ました。おじさんのくちもとにわらいがうかびました。
「そんなことはないよ、ぼうや。このにわの中にはマムシはいない。なんてバカなことをしていたんだい? どこにいた?」
「ぼく、チョウのあとをいかけたんです。ぼくがあの石垣いしがきあしの上にいたのをとらえるのに手をのばしたら、何かがしたんです。見てください!」
「なんでもないよエミル、泉水せんすいつめたい水の中に手をつけてごらん、いたくないようになるから。
 十五分ののちには、みんなはエミルのケガの話をしていました。エミルはもう、そのあやまちから回復かいふくしていました。
「さあ、いたいのはなおったろう。エミル、お前は何がお前をしたか知りたくはないかい?」とおじさんがたずねました。
「ええ、ぼくはたしかに、それを知らなければなりませんよ。今度こんどはもう、つかまらないように。
「よろしい。お前をしたのはイラクサという植物しょくぶつなんだよ。そのも、くきも、ちょっとしたえだも―無数むすうかたい、そしてうつろになったとげでおおわれている。そしてそのとげにはいっぱいどくが入っているのだ。そのとげが人の皮膚ひふをつきとおすと、そのさきがやぶれて、そのどくのガラスビンの中味なかみきずにしみるのだ。いたみはそれからくるのだ。けれども、それは危険きけんいたみではない。わかるかい? イラクサのとげは、毒虫どくむし武器ぶきのようなはたらきをするのだ。その皮膚ひふきずをつけるのはいつもそのあなのあるとがった部分で、そこから毒液どくえききずの中に入れるのだ。そして、それがすべていたみの原因げんいんなのだ。イラクサというのはそういう毒草どくそうだ。
「それからね、エミル、お前はきれいなチョウをとらえようとして、うっかりイラクサのしげった中へ手をつっこんだというが、そのチョウはヴアネスサ・イオというのだ。その幼虫ようちゅうは、白い斑点ほしのある黒いビロードのような虫だ。その虫もやはりかたはりを持っている。これはマユは作らない。そのさなぎきんのようにひかったおびでかざられている。そしてそののはしでちゅうにぶらさがっている。その幼虫ようちゅうはイラクサの上にんで、そのどくのある刺毛さしげがあるのもかまわずに、そのを食べるのだ。
どくのある草を食べていて、その幼虫ようちゅうはどうしてどく平気へいきなんでしょう?」とクレールがたずねました。
「お前は、ヴエノマスとポイゾナスとを混同こんどうしている。ヴエノマスというのの本質ほんしつは、きずの中にそれをみちびくと、マムシのどくのようなふうにそれががい原因げんいんになるものなのだ。ポイゾナスの本質ほんしつは、それが胃袋いぶくろの中に入れば原因げんいんになるかもしれないようなのだ。劇薬げきやくはポイゾナスのほうだから、もしそれをめばころされる。マムシのきばから流し出されるえきとサソリのけんはヴエノマスの方だから、それがにまざればころされる。だが、それはんでころされるほうのどくではない。だからそれは平気へいきむことができる。それはイラクサのどくと同じだ。アムブロアジヌおばあさんは、イラクサをって家畜かちくに食べさせるし、そしてヴアネスサの幼虫ようちゅうは何の危険きけんもなしにその上にいて、そのを食べている。その草はついさっきエミルをいたいのでかせたんだがね。されてどくのある植物しょくぶつは、フランスではイラクサだけだ。だが、食べれば病気びょうきになったりにさえもするどく植物しょくぶつはたくさんある。わたしはいつか、お前たちにその毒草どくそうのことをしっかりとおしえなくちゃならない。そんなどくがいされないようにね。
「イラクサの刺毛さしげは、わたしに毛虫けむしを思い出させる。幼虫ようちゅうの多くはむきだしの皮膚ひふを持っている。それはまったくがいのないやつだ。それはどんなに大きくても、背中せなかのはしにつのを持っていても、何の危険きけんもなしに手にとることができるのだ。それはカイコよりももっとおそれることはない。だが別に、その体じゅうがかたで、それは時によって非常ひじょうにするどく逆立さかだって皮膚さることができる。そして、そのの残ったところは非常ひじょうなかゆさを感じたり、あるいはいたんでふくれあがったりさえもする。それはよく、ビロードのような幼虫ようちゅうとまちがえられる。その虫は、とくまつの木やかしの木の上の、大きなきぬの中にかたまりになってんでいる。その名前は行列虫ぎょうれつちゅうというのだ。

   三三 行列虫ぎょうれつちゅう


「わたしたちはよく、まつえだの先に、まつをまぜた、白いきぬのかさばったふくろを見ることがある。そのふくろは、ふつうにさきの方がぶっとふくらんで、そこの方がほそくなってなしのようなかっこうをしている。それは、ときには人間の頭ほどの大きさのがある。幼虫ようちゅうはそのかたまってんでいる。それは赤いで、ビロードのような幼虫ようちゅう一種類いっしゅるいなのだ。その毛虫けむし一家族いっかぞく一匹いっぴきのチョウが生んだたまごから生まれるので、一つのきぬ住居じゅうきょ共同きょうどうでつくるのだ。みんながその仕事の部分部分を受け持っていて、みんなの利益りえきのために、みんながつむぎ、みんながるのだ。そのの内部は、うすいきぬ仕切しきかべで、たくさんの区画くかくにわかれている。大きい方のはしに、時によってはもっと別のところが、じょうごがたに開いているのが見える。それは大きな出入口でいりぐちなのだ。ほかの戸口とぐちは小さくてあちらこちらにわかれている。毛虫けむしは冬のあいだをこのの中ですごし、天気のわるいのもここでさける。夏になると、夜と非常ひじょうあつい間だけを、そこにかくれる。
昼間ひるまになるとすぐに、毛虫けむしはそこから出てまつの木の上にって、そのを食べる。そしてはらいっぱい食べたあとでまた、そのきぬ住居じゅうきょに入って太陽たいようねつをよける。さて、その毛虫けむしが木の上にをつくったり、あるまつの木からほかのへうつってゆくときに、地面じめんを歩いたりして運動うんどうするときには、一列いちれつになって進んでゆく。行列虫ぎょうれつちゅうという名前はそこから出たものだ。なぜかというと、一匹いっぴきのあとにほかのがつづくというふうにして、立派りっぱ縦列じゅうれつをつくって進んで行くからだ。
一匹いっぴき先頭せんとうに立つ――それは、そこにいる完全かんぜん平等びょうどうな虫のなかの一匹だ。そして、ちょうど遠征隊えんせいたい先頭せんとうのように出発しゅっぱつする。第二番目の虫は、二つのあいだをあけないようにつづいて行く。第三番目のも、二番目のと同じようにしてしたがう。ずっとそういうふうにして、の中にいるたくさんの毛虫けむしつづくのだ。その行列ぎょうれつをつくっている虫は数百をかぞえられる。さて、行列がはじまる。一列いちれつ縦隊じゅうたいは、まっすぐに行ったりうねりまがったりしながら、それぞれの虫が、前にゆく毛虫けむしのしっぽに自分の頭をくっつけてついて行くので、いつもつづいて行く。その行列は、右に左にたえずいろいろな変化へんかのあるうねり方をして、地面じめんにおもしろい花輪はなわのような模様もようをえがいて行く。いくつものが近くにかたまりあっていて、そしてその行列が出会であうときには、それは非常ひじょう興味きょうみのあるものになる。そのときには、生きた花輪はなわはおたがいに交差こうさする。そしてもつれたりほぐれたり、むすばったりとけたりして、まぐれなかたちをつくりだす。その不意ふい衝突しょうとつも、混乱こんらんをみちびくことはできない。同じれつ毛虫けむしはみんな、一様いちようにまじめな歩き方で列を進める。一匹いっぴきいそいで、ほかのものよりは前に出る者はない。一匹もおくれるものもない。一匹だって行列をまちがえるのはない。そのれつはめいめいでまもられてい、その進行しんこう先頭せんとうに立った一匹が用心ようじんぶかく加減かげんしている。その先頭に立ったのがその全体ぜんたい指揮しきしているのだ。で、先頭の一匹が右の方へまわれば、その後につづいた同じれつの毛虫はみんな右へまわるし、左へまわれば、それにつづく毛虫がみんな左へまわる。もし先頭せんとうが止まれば、全行列ぜんぎょうれつが止まる。が、いっせいにではない。二番目がまず止まり、それから三番目、四番目、五番目、というふうにして最後までゆく。その列の最後まで命令めいれいが伝わって縦列じゅうれつが止まったときには、よく訓練くんれんされた兵隊へいたいということができるだろう。
「その遠征えんせいは、ただの散歩さんぽか、あるいは食物しょくもつをさがしに行く旅行りょこうかなのだ。それがすむ。毛虫は自分のからずっとはなれたところに行っている。住居じゅうきょかえるときになる。草むらや下生したばえの中をぬけ、いろんな障害しょうがいをこえてとおってきた道を、どうして毛虫どもは見つけだすだろう? 毛虫はで見つけだすことができるだろうか、小さい草むらがたくさんあるのでとてもそんなことはできそうもない。では嗅覚きゅうかくでさがしだすのだろうか。それはいろいろなかおりがプンプンしていて、まちがうかもしれないではないか? いや、いや、そんなことではない。行列虫ぎょうれつちゅうは、視力しりょくよりも嗅覚きゅうかくよりももっといいものを、その旅行りょこう案内あんないにする。その虫どもは、本能ほんのうというものを持っている。その本能ほんのうは、かれらにまちがいのない手段しゅだんをさとらせる。その仕事は、理屈くつでやっているようには見えても、彼らにはその理由りゆう説明せつめいすることはできない。かれらに理屈りくつがないということはうたがいのないことだ。けれども、彼らはその生涯しょうがいのあいだ、自分の中にある永遠えいえん理屈りくつ神秘しんぴ衝動しょうどうにしたがっているのだ。
「さて、行列虫ぎょうれつちゅうが、遠いところからその住居じゅうきょに道をまよわないで帰ってくることができるようにするのは、その本能ほんのうという神秘しんぴ衝動しょうどうだ。われわれは、道に舗石しきいしく。毛虫の往来おうらいはもっと贅沢ぜいたくだ。毛虫はその道にきぬのカーペットをはるのだ。虫どもはそのたびのあいだじゅう糸をつむぎつづけて、その道にずっときぬにかわづけにする。行列ぎょうれつをしているどの毛虫も、それぞれにその頭を上げたりげたりしているのが見える。その頭を下げているときには、糸嚢しのう下唇したくちびるの中においてあって、行列につづきながら道に糸をにかわづけにしているのだ。それから頭をあげているときには、糸嚢しのうは糸をすべり出させていて、同時どうじに虫はそれぞれに歩いている。それから頭はひくく下がり、またあがる。第二の糸が長くなってかれる。毛虫はそれぞれ、先に立った一つが残したきぬの上を歩いてついて行きながら、自分の糸をそのきぬくわえていく。そういうふうにしてとおった道の長さだけを、すっかりきぬのリボンでいてしまう。そのリボンの指揮しきどおりに、行列虫ぎょうれつちゅうはどんなにまがりくねっている道だろうが、すこしもまよわずに、自分たちの住居じゅうきょへ帰ってゆくのだ。
「もし、その行列の邪魔じゃまをしようと思えば、そのきぬの道を切るようにじゅうぶんにゆびをわたしてそのあとをかくしてしまう。行列はうたがいとおそれのいろいろな表示ひょうじといっしょに、その切れたところの手前てまえで止まる。虫どもは進むだろうか? 進まないだろうか? 虫は頭をあげたりさげたりして、期待きたいした指揮者しきしゃの糸をたずねる。ついに、ほかの者よりは大胆だいたんな、あるいはずっと辛抱しんぼうのない一匹いっぴきの虫が、わるい場所をよこぎって、切られた一方いっぽうのはしから、ほかのはしへとその糸をはる。二番目の虫は、躊躇ちゅうちょなく一番はじめの者が残した糸の上をわたって行く。そしてそのはしをわたりながら、自分の糸をそこにくっつけてゆく。ほかの者もみんなおんなじようにして行く。すぐにそのやぶれた道は修繕しゅうぜんができる。そしてその縦隊じゅうたいの行列はつづけられる。
かしの木の行列虫ぎょうれつちゅうは、ほかの方法で行進こうしんする。その虫は、白いでおおわれていて、その毛は非常ひじょうに長くて背中せなかの方に向かっている。一つのの中には七〇〇から八〇〇までの虫をふくんでいる。遠征えんせい決定けっていしたときには、一匹の毛虫がまずから出る。そしてすこしはなれたところで休んで、ほかの虫がれつをつくる時間をあたえる。みんな、ならんで一つのたいを形づくる。するとその先頭せんとうの虫が進行しんこうをはじめる。ほかの者は自分の場所でそれにしたがってゆく。が、そのならび方は、まつの木の行列虫ぎょうれつちゅうのように一匹いっぴきのあとにほかの一匹がつづくというのではなく、二列、三列、四列、あるいはもっとたくさんならぶ。全体ぜんたいは、すっかり、そのれつ指揮者しゃにみちびかれるままに従順じゅうじゅんに動きはじめる。その指揮者は、ただいつもその軍隊ぐんたい先頭せんとうに立って進んでいるだけだ。同時にほかの毛虫どもは、完全かんぜんな列にするためにその列をととのえながら、それぞれに平行へいこうして前進ぜんしんする。この軍隊の最初さいしょの列はいつも楔形くさびがたにならんでいる。そして列をつくっている毛虫の数がだんだんにふえてくるので、そのほかの列は、いくぶんかひろがるようになる。時としては十五列から二十列までの毛虫が、よく訓練くんれんされた兵隊へいたいのように頭と頭をくっつけあわせて、同じあゆみで行進こうしんしている。もちろんその全隊ぜんたいが歩いてきたとおりに、に帰る道を見失みうしなわないようにきぬみちいて行く。
行列虫ぎょうれつちゅうは、特にこのかしの木の行列虫は、脱皮だっぴをしにそのの中に隠退いんたいする。そして、それらのは最後には切れたのほこりでいっぱいになる。そのときにお前たちがそのにさわると、その毛のほこりは、お前たちの顔や手をしてそれが炎症えんしょう原因げんいんになる。そしてもし、その皮膚ひふがやわかくて弱かったら、それから幾日いくにちもの間、なおらない。その行列虫がくっているかしの木の根元ねもとに立っただけでも、風にかれてくるそのほこりでされる。そして、そのされたあとはいたがゆさを感じる。
「そんないやな毛を持っている行列虫は、なんてかわいそうなやつだろう!」とジュールがさけびました。「もし、そんなものを持っていなかったら――」
「もしそれがなかったら、ジュールはその虫の行列ぎょうれつを見るのが大好だいすきだろう。心配しんぱいはないよ、それはたいしてあぶないもんじゃない。そして、それはすこしきさえすればいいのだ。さて、わたしたちはもう一度、かしの木のよりはあぶなげの少ないまつの木の行列虫ぎょうれつちゅうに気をつけることにしよう。昼間ひるまのあたたかい間に、まつの木の森に行ってその行列虫のを見ることにしよう。しかし、それはわたしとジュールだけだ。クレールとエミルにはすこしあつすぎるからね。

   三四 あらし


 ポールおじさんとジュールが出発しゅっぱつしたときは、ほんとうにあつうございました。このけるような太陽たいようで、毛虫けむしはきっとそのきぬふくろの中に入っているでしょう。その虫にはギラギラしすぎる光をよけるためには、まちがいなくそのかくに入るのです。時間が早いかおそいかだとそのはからっぽで、その遠足えんそくはムダになるかもしれないのです。
 ジュールのむねは、子ども特有とくゆうのかざりけのないよろこびでいっぱいになっていました。そして行列虫ぎょうれつちゅうとその行列にすっかり気をとられて、あつさもつかれもわすれて元気げんきよく歩きました。彼はえりかざりを取って、そしてブラウスをぬいでかたにかけていました。生垣いけがきからおじさんに切ってもらった大事だいじなステッキは、三番目の足というふうにやくに立っていました。
 そのうちに、コオロギの声がふつうよりも騒々そうぞうしくなりました。池の中ではカエルがいていました。ハエはくっついてきてうるさくなりました。ときどき微風そよかぜが、やにわに街道かいどうき立ててほこりをきあげました。ジュールはそんなことには無頓着むとんちゃくでしたが、おじさんは気をつけていました。そしてときどき空を見上げていました。南の方に、かたまった赤味あかみがかったくもりが、何かおじさんの気がかりになっているようでした。「雨にいそうだよ」と、おじさんはいいました。「いそごう」
 三時すこし前ぐらいに、二人はまつの木の森につきました。ポールおじさんは、すばらしいのついたえだを切りました。おじさんのさっしはあたっていました。毛虫はたぶんそのわるい天気を予覚よかくしてか、みんなその住居じゅうきょに帰っていました。それから二人は、まつの木のしげりあったかげこしをおろしました。すこし休んでから帰ろうというのです。自然しぜんに話は毛虫けむしのことになりました。
行列虫ぎょうれつちゅうは……」とジュールがいいました。から出て、まつの木じゅうにはなればなれになってそのを食べるんだっておじさんは話してくださいましたね。実際じっさい、たくさんのえだがおおかたれてダメになっていますね。ほら、あのまつの木、ぼくのさしている――まるで火事かじにでもけたように、が半分むしられているじゃありませんか。ぼく、行列虫ぎょうれつちゅうの行列はきだけど、あんな立派りっぱな木が、毛虫のであんなにらされているのはかわいそうだなあ。
「もし、このまつの木の持ちぬしがもっと考えのある人なら……」と、ポールおじさんは答えました。幼虫ようちゅうがそのきぬふくろの中にかたまっている冬のあいだにそれを集めていてしまうだろう。そのまつ若枝わかえだをかみ、新芽しんめを食って木のそだつのをさまたげるわるい虫が繁殖はんしょくしないようにころしてしまうためには、そうするより仕方しかたがない。わたしたちの果樹園かじゅえんでも、そういう虫のがい非常ひじょうなものだ。いろいろな毛虫が果樹かじゅんでいて、行列虫のように同じ方法でをつくるのだ。夏になると、えた虫は木いっぱいにって、若枝わかえだをメチャメチャにする。果樹園はわずかのあいだに坊主ぼうずにされて、収穫しゅうかく芽生めばえのあいだにダメにされてしまう。だからそれを注意ちゅういぶかく保護ほごするには、その毛虫のを見つけだして、春にならないうちに木からはなしていてしまうことが必要ひつようなのだ。そうすれば、その収穫しゅうかくはきっといいにちがいない。さいわいにいろんな生きもの、特に小鳥ことりが、この毛虫と人間のあいだの必死ひっし戦争せんそうに、人間の味方みかたをしてくれる。でなければ、無限むげんにかぞえられる、その数で人間よりも強い虫は、人間の収穫しゅうかくらしつくしてしまうだろう。だがその小鳥の話は、ほかのときにしよう。さあ行かなくっちゃ、だいぶあやしい天気だ。
 南の方のあかみがかったくもりは、刻々こっこくにあつくくらくなり、大きなくろくもになって、みるみる空のきれいに晴れたところまでおそうてきました。風はそれに先立さきだってまつの木のこずえを、んぼの作物さくもつの先をきまげるようにまげました。そして、あらしのはじまる前にかわいた大地だいちから立つほこりのにおいが、土からきてきました。
「もう、帰りかけるのは見あわせだ」とおじさんは注意ちゅうしていいました。「もうすぐに、あらしがここまでくるよ。いそいでけ場所を見つけよう。
 遠くの方での雨は、晴れた空をよこぎる薄暗うすぐらいカーテンにています。その水のカーテンは、競馬けいばうまけるようなたいへんな速度そくどでひろがってきます。そのくもは、ズンズンこちらの方にやってます。そしてとうとうました。はげしい閃光せんこうがそのくもってひかりました。そしてそれといっしょに、ゴウゴウという音がしました。
 その何よりもひどい音にジュールはちぢみあがってしまいました。「ここにいましょうよ、おじさん」と、こわがっていいました。「この大きなしげったまつの木の下にいましょう。ここなら雨もかかりませんよ。
「いけない……」とおじさんは答えました。おじさんは、自分たちがあらし中心ちゅうしんにいるのだということを知っていました。「この木はあぶない、ほかへ行こう。
 そして、おじさんはジュールの手をとって、自分が先に立っておおつぶのひょうのような雨の中をいそぎました。ポールおじさんは、この森の向こうにある岩の中に洞穴ほらあながあるのを知っていました。二人がそこについたときには、あらし非常ひじょうな力でれまわりました。
 二人はそこで十五分ぐらいだまって、その重々おもおもしい大荒おおあれのありさまを見ていました。そのときに、まぶしいほどひかった閃光せんこうがギザギザの線になって黒雲こくうんをやぶって、やまびこでも反響はんきょうでもないおそろしい爆音ばくおんといっしょに、一本のまつの木をちました。その爆音ばくおんは、空が落ちてくるかと思われるほどのはげしい音でした。そのおそろしさに、ジュールはひざに顔をつけて手をしっかりとにぎっていました。そしてきながらおいのりをしていました。おじさんは平気へいきでおちついていました。
「さあ、元気げんきをお出し、ジュール」とポールおじさんは、もう危険きけんったのを見るとすぐにいいました。
「そしておたがいに、無事ぶじだったおれいを神さまにもうし上げよう、わたしたちは今、たいへんな危険きけんからのがれたのだ。あのかみなりは雨よけをしようとしたあのまつの木に落ちたのだよ。
「ああ、ぼくはどんなにおどろいたかしれませんよ、おじさん!」とジュールはさけびました。「ぼくはにはしないかと思いました。おじさんがあの雨に打たれながら、いそいでほかへ行こうと無理むりにおっしゃったとき、おじさんはもう、あの木にかみなりが落ちることを知っていたのですか?」
「いや、そうじゃない。わたしは何も知らなかった。だれだって知りはしない。ただ、あるわけで、わたしはあの大きなまつの木の近所きんじょこわかっただけなんだ。そして用心ようじんが、もっと危険きけんの少ない場所をさがさせたのだ。もしわたしがこわがって、ほんとうに用心をしなかったらどんなことになったろう! あのあぶない瞬間しゅんかんにわたしをおちつかせてくださったのは、まったく神さまのおかげです。
「どうしておじさんが、あのあぶない木をよけたのか、それを話してくださるでしょうね、おじさん?」
「ああいいとも。だがそれは、みんながいっしょにいるときにしよう。そのわけを知っておくのはだれにもためになることだからね。だれでもあぶないことを知らなければ、あらしの中を木の下に走って行ってよけるからね。だれもそんなことのないようにしなければならないだろう。
 そのうちに雨雲あまぐもは、あの電光でんこうかみなりもいっしょに遠くへ行ってしまいました。そして一方いっぽうでは太陽たいようが晴れやかにしずみかけていますし、もう一方のあらしがとおってゆく方の空には、きれいなアーチのようなにじがかかっています。ポールおじさんとジュールは、だいじな価値かちのある、名高なだか毛虫けむしわすれずに、帰りかけました。

   三五 電気でんき


 ジュールは、ねえさんとおとうとにその日のことをくわしく話しました。そしてかみなりの話のところになると、クレールはのようにふるえました。「わたしだと、おどろいてんだかもしれないのね」とクレールはいいました。「もしか、わたしが、そのまつの木を電光いなびかりがったのを見ていたのならね。」それから、ふか好奇心こうきしんがおこってきました。みんなはいっしょに、おじさんにかみなりの話をしてくださるようにたのむことを相談そうだんしました。そしてそのつぎの日に、ジュール、エミル、クレールの三人はそのお話を聞くために、おじさんのそばに集まりました。そして、まずジュールがそのことについて口を切りました。
「おじさん、もうぼく、こわくはありませんから、なぜ、あらしのときに木の下によけてはいけないのか、わたしたちに話してくださいませんか? エミルも聞きたがっているようですから。
かみなりってなんだか、ぼくはだれよりか一等いっとう知りたいんです。
「わたしだって」とクレールもいいました。「わたしたちにかみなりがどんなものかということがすこしわかれば、木があぶないということがたいへんらくにわかると思いますわ。
「まったくだ」と、おじさんは賛成さんせいしました。「だが第一だいいちに、わたしはお前たちのうちのだれかに、かみなりというものについてどんなことを知っているか話してもらいたいね。
「ぼく、まだずっとちいさかったときに……」エミルが話し出しました。「あの音を、よくひびける金属きんぞくでおおうた円天井まるてんじょう大空おおぞらのたとえ。を、大きなてつたまをころがすので出る音だと思っていました。そして、もしかどこかその円天井がやぶれると、そのたま地面じめんに落ちる、それがかみなりの落ちるのだと思ったのです。だけど、今はそうは思いません。ぼく、もう大きくなったんですから。
「大きくなったって――なんだい、おじさんのチョッキの一等いっとうしたのボタンぐらいの高さしかないじゃないか! それはお前の推理力すいりりょくが目ざめてきて、そんなてつたまなんてかんたんな説明せつめいではもう納得なっとくすることができなくなったというものだ。
 それから、クレールが話しました。「わたしも、以前ぜん、わたしが考えていたような説明せつめいではにおちないのです。わたしは、かみなりは、古いてつをどっさりせた荷馬車しゃだと思っていました。それがよくひびける円天井の頂上ちょうじょうころがるのです。時によると、その車輪しゃりんの下から火花ひばなります。それはうま蹄鉄ていてつが石にあたったときに出るようなのです。それが電光いなびかりでした。その円天井はすべっこくて、その境目さかいめがけです。もしかその荷馬車しゃがひっくりかえると、そのてつ地面じめんにおちるんです。そして人や木やうまをつぶすんです。このわたしの説明せつめいは、昨日きのうのジュールのお話ですっかりおかしくなってしまいました。けれども、それ以上のことは今もわからないのです。わたしはまだ、かみなりのことはまったく何も知らないのですわ。
「お前たちのかみなりは二つとも、お前たちに似合にあった子どもらしい想像そうぞうだが、それは両方りょうほうとも同じ考えがもとになっている。それは、よくひびける円天井という考えだ。いいかい、よくおぼえておおき。あの青い空の円天井まるてんじょうは、ただ、わたしたちをつつんでいる空気くうきのせいでああ見えるだけなのだ。あのきれいな青い色は、空気くうきがあつくかさなってそう見えるのだ。わたしたちのまわりには空気くうきのあついそうがあるだけで、円天井はない。そしてその空気くうきそうの先は、あの星のむれに近づくまでの間には何もないのだ。
「わたしたちは、青い円天井という考えはてます」とジュールがいいました。「エミルもクレールもぼくも、空には何もないことがよくわかりました。それから、もっとどうぞ。
「もっとだ? これからがむずかしくなるのだ。お前たちは、お前たちの質問しつもんが、時によるとたいへんに面倒めんどうなことになるのがわかるかい? もっと話せとすぐにいうが、そしておじさんの知識ちしきしんじて、その説明せつめいでお前たちは自分の好奇心こうきしん満足まんぞくさせようと思ってっているが、お前たちが物事ものごと理解りかいしなければならないといったところで、お前たちの知恵ちえとはかけはなれたことがうんとあるのだ。お前たちは、いろんなことを知りたがる前に、理解力りかいりょく用意よういをしなければならないのだ。かみなり原因げんいんもその一つだ。わたしがお前たちにそのかみなりについて何か話してやるのはわけもないことだが、もし、そのわたしの話がお前たちにわからないときには、お前たちは自分のなまいきな好奇心こうきしんじなければならない。そのかみなりの話は、お前たちにはまだむつかしいよ。それはたいへんにむつかしいことなんだから。
かみなりのことは、話すだけは話してください。」とジュールはねだりました。「わたしたちは一生いっしょう懸命けんめいで聞きますから。
「では、話そう。空気くうきは見えもしないし、だれもそれを手に取ることもできない。もし空気くうきがいつもしずかだったら、お前たちはたぶん、空気くうきというものがあるかないかもがつかないだろう。だが、はげしい風が高いポプラをまげたり、ったをうずまいたり、木をこぎにしたり、建物たてもの屋根やねきめくったりするのを見たときに、だれが空気くうき存在そんざいうたがうことができよう? 風は、ふせぎきれない空気の流れなのだ。そのかたちのない、にも見えないしずかな空気も、やはりほんとうは一種いっしゅ物質ぶっしつなのだ。すなわち物質ぶっしつは、たとえわたしたちのの前に何もあらわさないでも存在そんざいができるのだ。わたしたちが見たりふれたりすることもできず、またそれをかんずることができなくても、やはり、わたしたちのまわりはすっかり空気だ。わたしたちは空気に取りかれ、空気のなかに生きているのだ。
「さて、ここにその空気よりはもっとかくれた、もっとに見えない、もっと見あらわしにくいものがある。それはどこにもある。かならずどこにもある。わたしたちの体の中にさえある。だがそれは、お前たちが自分がそれを持っていることに今もまだけっしてがつかないくらいに、しずかにしているのだ。
 エミルもクレールもジュールも、意味いみのこもったをチラと見かわしました。三人ともどうかして、そのどこにでもあって自分たちのまだ知らないものをててみようとしていました。しかし、そのみんなの考えは、おじさんの言ったものとはずっとかけはなれていました。
「お前たちだけで一日じゅうさがしても、一年じゅうさがしても、たぶん一生いっしょうかかっても、それはムダだろう。お前たちには見つけ出すことはできまい。そのわたしの話しているものは、別段べつだんによくかくれている。学者たちは、それについてのいろんなことを知るために、非常ひじょうにめんどうな研究けんきゅうをした。わたしたちは、その学者たちがわたしたちに教えてくれた方法をもちいて、手軽てがるにそれを引っぱり出してみよう。
 ポールおじさんは、つくえから封蝋ふうろうぼうを取って、それを上着うわぎのそでで手早てばやくこすりました。それからそれを、小さなかみきれに近づけました。子どもたちはそれを見つめています。見ると、そのかみいあがって封蝋ふうろうぼうにくっつきました。その実験じっけんを、いくどもくりかえしました。そのたびにかみきれは、ひとりでい上がってぼうにくっつきます。
「この封蝋ふうろうのはしは、前にはかみをひきつけることをしなかったが、今、それができる。このぼう着物きものにこすりつけると、そのときに、そのに見ることのできないものがあらわれるのだ。ぼう外見がいけんはそのためにわりはしない。そしてこのに見えないものは、見えなくても、かみを持ちあげ、ろうまで引きよせて、そこにくっつけることができる以上いじょうは、ほんとうにそういうものがあるにちがいないのだ。この見えないものを、電気でんきというのだ。ガラスのかけらや、硫黄いおう樹脂じゅし封蝋ふうろうなどのぼう着物きものにこすりつけて、それで電気でんきをおこすことはお前たちにもたやすくできることだ。それらのもの摩擦まさつをすると、小さなわらきれやかみのきれっぱしや、ほこりのようなかるいものを引きつけるもちまえを出すのだ。もし、うまいぐあいにゆけば、今夜こんや、ネコがそのことについて、もっとよくわたしたちに教えてくれるだろう。

   三六 ネコの実験じっけん


 つめたい、かわいた風がいていました。昨日きのうあらしのせいなのです。ポールおじさんはそれを口実こうじつにして、アムブロアジヌおばあさんのいいぐさには頓着とんちゃくなしに、台所だいどころのストーブに火をやしつけました。おばあさんは、その時候じこうはずれのストーブの火を見てさけび出しました。
なつにストーブをたくなんて!」おばあさんはいいました。「なんてことでしょう? だんなさまででもなけりゃ、だれもそんなことを考えつきはしませんね。わたしたちはあぶりになるのですか。
 ポールおじさんには自分の考えがあったのです。で、おばあさんには勝手かってに言わしておきました。みんなはテーブルにつきました。ゆうはんがすんだ。大きなネコは、ストーブのそばのイスの上にうつりました。ネコはけっしてあつがらないのです。そしてすぐに、その背中せなかをストーブの方にけて、うれしそうにのどをらしはじめました。すべておじさんののぞみどおりに行っていました。ポールおじさんの計画けいかくは、非常ひじょうにうまく行きかけています。あついので不平ふへいもいくらか出ましたが、おじさんは無頓着むとんちゃくでした。
「さあ、お前たちは、わたしがお前たちのためにストーブをいたのだと思うかい?」と、おじさんは子どもたちにいいました。「かんちがいをしちゃいけない、これはネコのためだ。ネコだけのためだ。ネコはつめたい、かわいそうなやつだ。あのイスの上で気持きもちよさそうにしているのをごらん。
 エミルは、オスネコへのおじさんの親切しんせつ注意ちゅういわらい出そうとしましたが、クレールはおじさんのまじめな様子ようすさっしていて、ひじでエミルをかるくつきました。クレールのうたがいはもっともでした。夕飯ゆうはんわると、みんなはまたかみなりの話をつづけました。ポールおじさんが話し出しました。
今朝けさ、わたしはお前たちに、ネコのたすけをりてたいへんおもしろいものを見せると約束やくそくしたね。ネコがいうことをきさえすれば、いま、約束やくそくをはたすことができるのだ。
 おじさんは、ネコを取って自分のひざの上におきました。ネコのはすっかりあつくなっていました。子どもたちはそのそばにちかよりました。
「ジュール、ランプをおし。まっくらでなくちゃやれないのだ。
 ランプはえました。ポールおじさんの手はそのオスネコの背中せなかを行ったりきたりしました。まあ! 不思議! ネコのにはあわつぶのようなひかりが流れています。手がふれるとおりに、小さな白い閃光せんこうあらわれてパチパチと音をたててはえます。それは毛皮けがわから出る煙火はなび火花ひばなのようでした。みんなはおどろいてそのきれいなネコを見ていました。
「もう、さわるのはおよしなさい! ネコがけますよ!」と、アムブロアジヌおばあさんがさけびました。
「おじさん、その火はえているんですか?」とジュールがたずねました。「ネコがき出しませんね。そしておじさんは、さわってもこわくないんですね。
「この火花ひばなは火じゃないんだ。」とポールおじさんは答えました。「お前たちはみんな、あの封蝋ふうろうぼう着物きものでこすると、わらかみのきれを引きつけるのをおぼえているだろう。わたしはその封蝋ふうろうが紙を引きつけるのは、摩擦まさつによっておこったもので、それは電気でんきだとお前たちに話したね。いいかい、わたしは自分の手でネコの背中せなかをこすって電気でんきを出すのだ。その電気でんきりょうがたくさんなので、最初さいしょは見えなかったのが見えるようになり、そして火花ひばなや音を出すようになったのです。
「もしえていないのなら、ぼくにもやらして見せてください。」とジュールが言い出しました。
 ジュールは自分の手で、ネコのをこすりました。そのひかあわつぶとそのパチパチいう音とはもっと強く出はじめました。エミルもクレールも、同じようにやって見ました。アムブロアジヌおばあさんはこわがりました。おばあさんは、自分のネコから出る火花ひばなを、たぶん魔法まほうか何かのように思ったのです。ネコははなされました。その実験じっけんはもうネコには迷惑めいわくになってはじめていましたので、もし、ポールおじさんがネコをしっかりつかまえていなかったら、たぶん、ひっかきはじめていたかもしれません。(つづく)



底本:「定本 伊藤野枝全集 第四巻 翻訳」學藝書林
   2000(平成12)年12月15日初版発行
底本の親本:「科学の不思議」アルス
   1923(大正12)年8月1日
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:トレンドイースト
2010年7月31日作成
2011年1月17日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。



科学の不思議(四)

STORY-BOOK OF SCIENCE
アンリイ・ファブル Jean-Henri Fabre
大杉栄、伊藤野枝訳

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)お婆《ば》あさんの

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一体|何《ど》うして

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(例)※[#「睹のつくり/火」、第3水準1-87-52]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)もつと/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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[#5字下げ]二八 猟[#「二八 猟」は中見出し]

 ポオル叔父さんは、『みんな早起きをしよう』と云ひました。が、誰も起されませんでした。いつもよりは少し早く起きて、じよらうぐも[#「じよらうぐも」に傍点]の狩を見にゆきました。七時頃朝日が輝き出すのとおなじ位に、みんなは流れの縁にゐました。蛛網は出来上つてゐました。そして其の糸に露の珠がかゝつてゐて真珠のやうに輝いてゐました。で、蜘蛛はまだ網の真中にはゐませんでした。それは確かに其の部屋から降りて来る前に、太陽の光りで、朝の湿気が散るのを待つてゐるのでした。一行は、朝の御飯を食べる為めに草の上に腰を下ろしました。其処は蛛網の大綱がくつついてゐる榛《はん》の木の直ぐ根元でした。青い豆※[#「虫+良」、第3水準1-91-57]《とうすみとんぼ》が藺草《いぐさ》の叢の間を彼方此方と飛びまはつて、それ/″\に猟の最中でした。気をつけろ、そそつかしやの奴! お前はどうして蛛網の上を越すか、下をくゞるかしてその網を避けるか知らないのか! アツ! 生贄の為めに悪い事が出来た。一つの奴が、仲間の奴とふざけてゐる。一つの方はどう見ても網のそばに行かなくちやならない。一匹の蜻蛉が網にかゝつた。一方の自由な方の翅で、逃げようとして闘つてゐる。蛛網が動く。が、そのゆるぎにも拘はらず、大綱はしつかりしてゐる。そして網にかゝつた大事なものが、動くので、居室《いま》にゐるじよらうぐも[#「じよらうぐも」に傍点]は其処に続いてゐる糸の揺れで、注意される。蜘蛛は急いで降りて来た。が、捕へ損つた。蜻蛉は其の翅の必死の打撃で、体を網から離して逃げて行つた。そして蛛網には大きな穴があいた。
『やあ! うまく逃げたなあ!』ジユウルが叫びました。『もう少しであの可愛想な蜻蛉は命をとられる処だつた。見たかいエミル、蜘蛛が網の動くので獲物のかゝつた事を知つた時にかくれ場所から飛び出して来るのを。何んて早いんだらう? だけども、此のはじめの狩は駄目だ。獲物は逃げてしまふし、網も破れてしまつた。』
『さうだ。だが蜘蛛はその破れを手入れするよ。』と叔父さんは、ジユウルを安心させました。
 そして、本当に蜘蛛はすでに、その不幸を回復しました。じよらうぐも[#「じよらうぐも」に傍点]は破れた網を、非常に器用に、新らしくつくり更へました。繕《つくろ》ひかゞりは済みました。いたんだ所はやつと見つかる位です。蜘蛛は、今度は明かに、猟の大事の機会をのがさないように、そして出来るだけ早く獲物につかみかゝつて、また失敗する事のないやうに、一番の得策として、蛛網の真中に陣取ります。円の中に八本の肢を拡げて、蛛網の何の点から来るどんな軽い動揺でも分るように、全く動かずにぢつとして待つてゐます。
 蜻蛉共は、ひつきりなしに彼方此方することを続けてゐます。けれども一つも捕まりません。たつた今の驚きが、蜻蛉共を用心深くしたのです。オヤ! オヤ! あんなにそそつかしく飛んで来て網に頭をブツけたのは何んでせう? はな[#「はな」に傍点]蜂です。あの全身が黒ビロオドのやうで腹の紅い、あのはな[#「はな」に傍点]蜂が捕つたのです。じよらうぐも[#「じよらうぐも」に傍点]が走つてゆきました。けれども、捕虜は元気のいゝ強い奴です。そしてきつと螫《さ》すでせう。蜘蛛はそれを勘づきます。で、自分の糸嚢から糸をひき出して、大急ぎで蜂の上に糸をひつぱりまはします。第二の糸、第三、第四とすぐに捕虜の死ものぐるいの骨折りに打ち勝つてしまひます。で、今蜂は締められてゐますけれど、十分活きてゐるのです。そして嚇《おど》してゐます。それを掴むのは蜘蛛の命をあぶなくする大変な不注意な事です。蜘蛛はどうして此の危険な生餌《いきえ》を少しもおそれないでゐられるのでせう? 蜘蛛は鋭い尖つた二本の牙をその頭の下に折り込んで待つてゐます。それは、その尖端の穴を通してほんの少しの毒の滴りを流すやうになつてゐて、これが、蜘蛛の狩りの武器なのです。じよらうぐも[#「じよらうぐも」に傍点]は用心深く近づいて行きます。そしてその牙を開いて蜂を螫します。そして直ぐに傍によけます。そのすべては一瞬間にすみます。毒は忽ちにその働きを表はして、蜂は震えます。そしてその肢はこはゞります。蜂は死んだのです。蜘蛛はそれを自分の絹の隠れ部屋に持ち込んで、ゆつくりと、しやぶるのです。蜘蛛はいつも、その皮を残すのですが、その蛛網を屍骸でよごして、あとでの勝負のときに獲物を驚かさないように、その住居から遠くの方へそれを放つて、何にも残さないようにします。
『馬鹿に早くやつちまつたなあ』とジユウルは不平さうに云ひました。『僕は蜘蛛の毒のある牙なんて見られなかつた。だけどもう少し待つて、他のはな[#「はな」に傍点]蜂が来てひつかゝつたら、其の時にはもつとよく見よう。』
『そんなら、別に待つことはないよ』とポオル叔父さんが答へました。『もし、吾々が本当に上手に、蜘蛛にもう一度その狩りの方法を繰り返してやらせるだんどり[#「だんどり」に傍点]をつけてやる事が出来さへすればいゝのだ。みんなよく注意して見るんだよ。』
 ポオル叔父さんはちよつとの間野原の花の中をさがして、一匹の大きな蠅を捉へました。そして一方の翅を持つて、蛛網のすぐそばではなしました。蠅はすぐにそれにブツかつて糸に絡まりました。蛛網は揺《ゆれ》ます。蜘蛛は蜂を残しておいて、自分の餌がまた、そんなにも早くかゝつたその仕合せな機会をよろこんで走つて来ました。そして同じ手段がまた繰り返されました。蠅は最初に締められました。じよらうぐも[#「じよらうぐも」に傍点]はその尖つた牙を開いて蠅を一寸螫します。それでおしまひです。その生贄は震へて、自分の体を伸ばします。そして動くのが止みます。
『アツ! 見えましたよ』とジユウルが満足して云ひました。
『クレエル、あの蜘蛛の鋭い牙をよく見て?』とエミルが尋ねました。『僕きつとあなたの針箱の中にだつてあんなによく尖つた針はないだらうと思ひますよ。』
『私はさうは思ひません。私が一等おどろいたのは、蜘蛛の牙の鋭いことぢやなくつて、蠅の死に方の早いと云ふ事ですわ。私には此の位の大きさの蠅の何処かを一ヶ所私達の持つ針で、ちよつと突き刺したつて、そんなに早く死ぬとは思へませんわ。』
『全くだ』と叔父さんが同意しました。『昆虫はピンで突き刺したつて長い間生きてゐる。けれども若しそれが鋭く尖つた蜘蛛の牙の一と突きであれば、殆んど直ぐに死ぬ。それは蜘蛛が、毒をもつて武器としてゐるからだ。その牙が毒なのだ。蜘蛛はほんの一寸の間に孔を穿《あ》けて、虫が絹の材料の液をつくるやうにしてつくつた毒液の、やつと見える位の僅かの滴りをその管から流し込むのだ。その毒液は牙の内部にある、細長い袋の中に貯へて持つてゐるのだ。蜘蛛が其の生餌を突いた時に、その傷から毒液がはいつて行く、するとその傷ついた虫は忽ち死んでしまふのだ。その生贄は、たゞ刺されただけの事で死ぬのではなくつて、その傷に注射された毒の恐ろしい働きで死ぬのだ。』
 ポオル叔父さんは此処で、子供達にもつとよくその毒を持つた牙を見せる為めに、じよらうぐも[#「じよらうぐも」に傍点]をその指先きでつまみとりました。クレエルは恐がつて叫び出しました。けれども叔父さんは直ぐにクレエルを落ちつかせました。
『心配することはないよ。此の毒は蠅を殺す事は出来るが、叔父さんの硬い皮膚を刺すことは出来やしないよ。』
 そして叔父さんはピンでもつて、その活きものゝ牙をあけて、それを子供達に詳しく見せてやりました。子供達はすつかり安心しました。
『お前達は驚きすぎないやうにしなくちやいけないよ』とポオル叔父さんは続けました。『はな[#「はな」に傍点]蜂や、蠅の死ぬのがあんなに早いので、蜘蛛が人間にだつて同じやうにおそろしい活きものゝやうに思つてはいけない。あの牙で人間の皮膚を刺《つ》きとほす事はまあ出来ないといつてもいゝ位六かしい事だ。大胆な研究者達は、自分達を我が国のいろんな蜘蛛に刺させた。けれどもその結果は、蚊に螫されて赤くなるやうに、赤くなるだけで、それよりも心配な結果は何んにもなかつた。同時に人は弱い皮膚を痛めないやうに、いろんな注意をしなければならない。吾々が胡蜂《こばち》に螫されるのを避けるのも、法外な驚きをまぬかれさせる。それは非常に痛むのだ。で、その虫を見ると直ぐ、蜘蛛の牙を避けるのと同じ方法で避ければ、大声を出して泣かないでもすむのだ。その毒を持つた昆虫の話を続けよう。だが、それはあとでの事だ。さあ帰らう。』

[#5字下げ]二九 毒虫[#「二九 毒虫」は中見出し]

『お前達が聞いて知つてゐる、或る毒を出す活きものといふのは、それに近づくと、離れてゐても、顔や手に、ひどい力を持つた液を放つて、殺すか、或は少くとも眼があかないやうにするか、もつと他をいためるかするのだね。先週ジユウルは、薯の苗の葉の上で、曲つた角で武装した一匹の大きな虫を見つけたね。』
『僕覚えてますよ、えゝ』ジユウルが云ひ出しました。『その虫は、叔父さんが僕に話して下さいましたね、それはスフインクス・アトロポスと云ふ立派な蝶になるんだつて。その蝶は、私の手のやうに大きくて、その背中に白い点があつて、それが髑髏《どくろ》にちよつと似てゐるといふので沢山の人に恐がられてゐるのです。そして又、その眼は黒く光つてゐます。叔父さんはその時その活きものは害にはならないので、恐がるのだつて理窟にあはない恐がり方だつて附加へて云ひましたね。』
『ジヤツクが薯の雑草をとつてゐたね。』とポオル叔父さんが続けました。『その虫はジヤツクの手で叩きおとされて、そしてその大きな木靴で、すぐに踏みつぶされたね、「なんて険呑な事をなさるんです。」とあの人のいゝジヤツクが云つたね。「此の毒のある虫を手でいぢるなんて! 此の緑色の毒を御覧なさい。近よつちやいけません、まだすつかり死んでゐませんから毒をかけますよ。」立派な研究をする人達が、その圧しつぶされた虫の青い内臓を取つて試して見た。それ等の内臓には何の毒も含んではゐなかつた。その内臓がどうして青いかと云ふと、それは、虫がたべてゐた葉つぱの汁の為めなんだ。
『大抵の人はジヤツクと同じやうな意見でゐる。その人達はみんな虫の内臓の青いのをおそれてゐるのだ。そして或る活きものゝ毒は、何んでもそれにふれさへすれば毒を浴びせると思つてゐるのだ。いゝかい、お前達はそのお前の心の中にある大事なものゝ為めに、そんな馬鹿気たおそれにつかまらないやうにしつかりしなくちやいけない。そして同時に、本当の危険に対してはちやんと自分の身を衛《まも》らなければならない。遠くの方から毒を放つて吾々を害することの出来るものは、動物のどんな種類にでも、絶対にないのだ。それは、本当に毒をもつてゐるものとして十分に知られてゐるものが、ちやんと証拠立てゝゐるのだ。毒を武器として与へられてゐる大小さま/″\の活きものも、その武器は、その餌になる奴を襲ふ時か、防禦かの二つに使ふだけだ。蜂は吾々の一番よく知つてゐる毒を持つた活きものだ。』
『何ですつて!』エミルが叫びました。『蜂に毒があるんですつて、あの私達に蜜をつくつてくれるあの蜂に?』
『さうだ、あの蜂だ。お前はお前がおとなしくしてゐる時にアムブロアジヌお婆あさんがつくつてくれるあのお菓子の蜜を持つてゐるあの蜂も、のけものにするわけにはゆかない。お前は、蜂に螫されて、あんなに泣いた時の事を考へる事は出来ないかい?』
 エミルは叔父さんがつまらない記憶を呼び返しましたので顔を赤くして羞しがりました。エミルは、全くの不注意から、或る日蜂が何をしてゐるか見にゆきました。そして巣箱の小さな扉に棒をつつ込みました。蜂は此の無分別なやり方に怒つて来ました。で、エミルは頬や手を三つも四つも螫されたのです。エミルは大変悲しさうに泣き出しました。叔父さんはそれを慰めてやるのに大骨折りをしました。冷たい水でひやして、やう/\エミルのピリ/\する痛みは鎮まりました。
『蜂には毒がある』とポオル叔父さんは繰り返しました。『エミルお前の螫された話をして御覧。』
『胡蜂もやつぱりさうですか?』とジユウルがたづねました。『いつか僕が、葡萄の房から追つぱらはうとした時に、僕を一つ螫しましたよ。僕何にも云ひはしませんけれど、やつぱり大変不愉快でしたよ。それを考へると、ほんのちよつとした何かが、あんなに傷つけるのですねえ! 僕の手は丁度火であぶつたやうになりましたよ。』
『確かにさうだ。胡蜂には毒があるのだ。蜜蜂よりももつとある。そしてその螫す感じでもずつと痛いよ。はな[#「はな」に傍点]蜂もやはりさうだ。大黄蜂《おおきばち》も同様だ。それ等の大きな赤ばんだ蜂は、一インチ位の長さがあつて、その蜂共は時としては果樹園の梨を嚼《か》む事がある。お前達は一般に此の大黄蜂に気をつけなければならないのだ。その蜂から一つ螫されると、たつた一つでお前達は長い間おそろしい痛みを受けるのだ。
『すべてそれ等の昆虫の持つてゐる毒の武器は、彼等の防禦の為めに、同じ方法でつくられたものだ。それを螫毛《さしけ》と云ふ。それは小さくて、堅くて、そして非常に尖つた刃ものだ。それは鋭い針よりももつと鋭い懐剣の一種だ。その螫毛は、その虫の胃袋の端についてゐる。静かに休んでゐる時には、それは見えない。胃袋の中にはいつてゐる鞘の中に隠してあるのだ。自分を防《まも》る時には、その鞘から引き出して、その尖を、無遠慮な指に突つ込むのだ。
『お前達がよく知つてゐるあのピリ/\痛む原因は決して螫された時に出来た傷の為ではないのだ。その傷といふのは、極く軽いもので吾々は見る事も出来やしない。我々は、針でか、鋭い刺をさして出来た傷を感じる位にやつと感じる位だ。しかし、その螫毛は虫の体の中にしまつてある毒の嚢《ふくろ》に通じてゐて、その中にとほつてゐる管からその恐ろしい毒液の滴りを傷の中に注ぎ込むのだ。そしてそれから螫毛を引き抜くのだ。その毒はそのまゝその傷の中に停まつてゐる。たゞそれだけなんだ。そしてその毒が痛みを放つのだ。エミルには、その痛いことの話が出来るだらう。』
 ポオル叔父さんの此の二度目の攻撃に合つてエミルは、自分が蜂を不注意に扱つて怒られた事から起きた其の災難の事に気を取られました。そしてエミルは鼻汁をかみました。それは彼れの照れかくしだつたのです。叔父さんは、別にそれに気をつけるやうな風もなしに続けました。
『学者達の研究は、此のおもしろい問題を解いた。それは、虫に螫されて痛むのは、その傷の為めではなくつて、傷の中につぎ込まれる毒液の為めだと云ふ事を明かにする実験で説明したのだ。自分で非常に鋭い針で自分の何処かを突いた時にでも、そのいたみは、極く軽くて、すぐに去つてしまふ。クレエルは裁縫をしてゐて、針で指をついてもさう驚かないと思ふが、何うだい?』
『いゝえ』とクレエルは答へました。『ぢきになをりますわ、血が出たつて何んともありはしませんわ。』
『よろしい、その針でついたのは何んでもない。けれども、小さな傷でひどく痛むのは蜜蜂や胡蜂の毒を螫されたからなのだ。学者達は、私がお前達に話した、蜂の体の中の毒の袋の中に針の尖きをつけて、その毒液で湿つた針の先きで、自分達の体を軽く螫すのだ。痛みは直ぐにはげしくなる。そして、実験者が本物の蜂にさゝれたのよりは、もつとずつと永い間その痛みが続く、その痛みが増すのは当然の事なんだ。それは比較的大きな針が傷の中に導く毒は、蜂の細い螫毛が導くのよりも多い訳だ。分つたかね。傷の中に毒を導くと云ふ事が、すべてのなんぎの原因なんだ。』
『それは分りました。』とジユウルが云ひました。『ですけれど叔父さん、其の学者達は蜂の毒につけた針で自分を突ついて、それで喜こんでゐるんですか? ずゐぶん妙な道楽だなあ、なんでもない事に自分が痛い目にあふなんて。』
『ハラムウスカアム氏が何んでもない事の為めにそんな事をしたつて? 今、私がお前達に話した事をお前は何んでもない事のやうに思ふのかい? 私がそれを知つてゐるのは、他に、私に教へてくれた人達があるからなのぢやあるまいか? その他の人達と云ふのは誰だらう? その人達は勇敢な研究者で、いろんな学問をして、いろんな調べものや研究をして、吾々のいろんな事に対する難儀を緩和してくれるのだ。その人達が、毒で自分の体を刺す時には、其の研究の為めに、その体を危険に曝すのだ。そして、その毒の働きや、その抵抗の結果を私達に教へるのだ。それは時によつては、非常に恐ろしい事だ。蝮《まむし》や蠍《さそり》に刺されゝば、吾々の生命はあぶないのだ。そして、一番重要な事は、毒がどういふ風に働くか、そして其の害をおさへるのにはどうしなければならないかを完全に知る事なんだ。それから、其の学者達の研究が鑑定されるのだ。研究はジユウルの考のやうにまるで妙な道楽のやうなものだ。科学は、冒すことの出来ない熟練を持つてゐる。それは、吾々の知識の範囲を拡げ、人間の損害を少くする、どんな試みからも決してしりごみはしないのだ。』
 ジユウルは、自分の生憎《なまいき》な批評で恥入つて、頭を下げて、何にも云へませんでした。ポオル叔父さんは怒つてゐました。けれど、すぐ何んでもなくなりました。そして、毒をもつた活きものの説明を続けました。

[#5字下げ]三〇 毒[#「三〇 毒」は中見出し]

『すべての毒を持つた活きものは、蜜蜂や、胡蜂や、大黄蜂とおなじやうな方法で働く。其の種に従つて或時は体の一部分に、或時は他に持つてゐる――針や、牙や、螫毛や、刃針の――特別な武器で、毒液を滲み込ます傷をつける。その武器は、毒液の為めの道をひらく事よりほかに働きはないのだ。そして、それが害の原因なのだ。毒が吾々のからだに働くのには、吾々の血と出遇はねばならない。その傷はその為めにあけた道なのだ。しかし其の毒は、其処が大した傷でなければ、一寸した傷ならば、吾々の皮膚には、確かに何んの働きも出来ない。それはすぐに肉につきとほされて血とまじつてしまふのだ。一番恐ろしい毒でも、もし皮膚が破れさへしなければ危険はないのだ。尚其の上に出来れば、唇や舌で吸ひとつて悪い結果にならないやうにするのだ。大黄蜂の毒は唇に持つてゆけば、水よりももつと効果がなくなるのだ。しかし、もし唇に一寸した疵でもあれば、その痛みは猛烈だ。蝮の毒もやはり同じやうに、それが血と混らない限り害はない。大胆な実験者はそれを呑んで試めして見たが、それを呑まない前よりは呑んでから悪くなつたといふ事はまだないのだ。』
『それは本当ですの、叔父さん? 蝮の毒を呑むなんてそんな大胆な人があるのですか? まあ! 私なんかはとてもそんな勇敢な事は出来ませんわ』とクレエルが云ひ出しました。
『結構だ、クレエルや、それは他の人達が吾々の為めにしてくれる。そして吾々は其の人達の恩はありがたく思はなければならない。その人達が、吾々に教へてくれたやりかたは、お前達にも分るだらうが、不意の出来事の場合にする仕事の中で、一番|効目《ききめ》のある、そして一番速い方法なのだ。』
『その蝮の、手や唇や舌の上で別に何んともない毒が、血に混じると、ひどく恐ろしいものなんですか?』
『それは恐ろしいものなんだよ、丁度私はそれについてお前達に話す処だつたんだ。或る不注意な人が、日向に寝てゐる恐ろしい蝮をおどろかしたと想像する。其の活きものは忽ち巻いたとぐろ[#「とぐろ」に傍点]を開いて頭を持ちあげ一方では不意にはね返つてそれを巻きほぐして、半ば開いた顎でお前の手を撃つのだ。それは一瞬間でおしまひになる。そして同じ速さで、蝮は、その渦巻きを巻き起して、それを回復すると、続いてとぐろ[#「とぐろ」に傍点]の真中のその頭でお前達を嚇かすのだ。お前達は其の二度目の襲撃を待つてはいけない。逃げるのだ。しかしあゝ! もう傷はついたのだ。傷ついた手には、二つの小さな赤い点が見えてゐる。大抵はほんの一寸針でついた程の微かなものだ。もしお前達が、私がこんなに一心にお前達に教へようとする事を知らなかつたら、お前達はそれを大して驚かないだらう。見かけは何んでもないのだ! 見る間にその赤い点は鉛色の輪で隈取られてくる。鈍い痛みと共に手が腫れる。そしてその腫れはだん/\に腕に拡がる。すぐに冷たい汗と嘔気《はきけ》が来る。呼吸困難になり、視力が衰へ、知覚を失ひ、一般に黄色く見えるやうになる。そしてひきつける。もし時を遅らさずに助ける事が出来なければ、死んでしまふのだ。』
『叔父さんは私共をぞつとさせますよ。』とジユウルが身震ひをしながら云ひました。『私達がもし叔父さんから離れた、家から離れた処で、そんな不幸に出遇つたとしたら、其の情ない傷をどうしたらいいのでせう? 人が云つてゐますよ、あの丘のそばの下生《したばえ》の中には蝮がゐるつて。』
『そんな険呑な機会からは神様が護つて下さるよ坊や! だが、もしお前にそんな事が起つたら、お前は指でも、手でも、腕でも、その傷のそばをしつかりと縛つて、血の中に毒が拡がるのを防がなければならない。傷をつくつて、そのまはりを圧し絞つて血を出さなければならない。それからその毒液を絞り取るのにそれを強く吸はなければならない。私はお前に、毒は皮膚には効果がないと話したね。それを吸ふにも、もし口に何のかすりきずもなければ、害はないのだ。もし強く吸ひ出す事や、絞る事で血を出すと云ふ事がお前に分れば、お前はその傷からすべての毒を絞り出すことに成功したのだ。それからは、その傷だけならば大した事ではない。もつとまちがひのないやうにするには、出来るだけ早くその傷を、硝酸かアムモニアかのやうな腐蝕薬か、或は真赤に焼いた鉄かで灼く。焼灼《しょうしゃく》と云ふ方法は、毒物を殺す効目があるのだ。それは痛い、と云ふ事は私も認める。が、誰でも一層悪くなるのを防ぐ為めには、それに従はなければならない。焼灼はお医者さんの仕事だ。真先きにやる予備手当は、毒が拡がらないやうにしばつて、傷を絞つて毒のはいつた血を出すこと、その毒を強く吸つて出してしまふ事で、それは自分で直接にやる仕事だ。それはみんな即刻《すぐ》にやらなければならない。それを長く放つておくと、もう取り返しのつかない事になる。さういふ手当てを、十分に早くやつた時にでも、たまには、その蝮に咬まれた結果は悪くなる事がある。』
『僕安心しましたよ叔父さん、その予備手当は、誰でも、もし狼狽《うろた》へさへしなければ六ヶしい事ぢやありませんね。』
『それから、吾々は、危険に遇つた時には、時を外づさずに、自分の知つてゐる理窟を応用する習慣をつけると云ふ事は、大変大事な事だ。そして、不意の怖れに圧倒されてはいけない。人は何時でも、ちやんと自分の心を落ちつかせてゐなくてはいけない。半分しか心が落ちつかないと危険だ。』

[#5字下げ]三一 蝮と蠍[#「三一 蝮と蠍」は中見出し]

『今ね、叔父さんが』とエミルが云ひ出しました。『蝮が螫すと云はないで、咬むと云ひましたね。では蛇は螫さないで咬むのですね。僕はまた他の方法かと思つてゐましたよ。僕はいつも蛇は螫すのだと聞いてゐました。此の前の木曜日に、びつこ[#「びつこ」に傍点]のルイね、あの男は何んにも恐れませんね。あのルイが古い壁の穴の中で蛇を捕へたんです。ルイは二人仲間を連れてゐました。みんなはその蛇の首のまはりを藺《いぐさ》でもつて縊《くび》つてゐるのです。僕が通りかゝると、皆なが呼んだんです。蛇はその口から、黒くて、尖つた、軟かいやうな変なものを飛び出さしてゐました。それは大急ぎで出したり入れたりしてゐるのです。僕、それが螫すのだらうと思つたんです。そして大変恐かつたんです。ルイは笑つて、僕が螫すものだと思つてゐたそれを、蛇の舌だと云つて、自分の手をそのそばにもつて行つて僕に見せましたよ。』
『ルイの云つたのは本当だよ』とポオル叔父さんが答へました。蛇はみんな非常に軟かい岐《さ》け目のある、黒い線を唇の間から非常に速く飛び出さしてゐる。それは、蛇がいろんな目的の為めに持つてゐる武器だ。けれども、その線は、実際に何んでもない、舌なんだ。全く何んの害もない舌なんだ。それは蛇が虫を捉へるのに使ふのと、何かの激情を表はすのに、唇の間からそれを急いで出したり入れたりする特別な習慣を表はすのに使ふ。どんな蛇も、何かの例外でないものを一つは持つてゐる。しかし、吾々の国では蝮が恐ろしい毒の装置をたゞ一つ持つてゐるだけだ。
『此の装置の組織は、第一に、二つの鈎か或は歯だ。長くて尖つてゐて、上顎についてゐる。蛇が勝手に獲物を襲ふために真直ぐに立つたり、或はゴムの敷居のやうに寝たり、自分の住居にゐるときには、害のないやうに、その小剣は鞘の中にはいつてゐる。蛇が走つてゐる途中では傷つけられる危険はない。その牙には孔があつて、その尖の方に向つて小さく貫き通つてゐる。それは、傷の中に毒を注入する孔なのだ。最後に別の牙の底に毒液で一杯になつた小さな嚢がある。その毒は、何んでもないやうに見える液体で、臭ひもなければ、味もない。誰でも大抵はそれをたゞの水だと思ふだらう。蝮が、其の牙でかゝつて来る時には、毒の嚢はその中にある毒液を歯の穴の中に出す。そしてその恐ろしい液体は傷の中に滲み込むのだ。
『蝮が選んで住むのは暖かで、岩の多い丘で、其処の石の下とあつく茂つた下生の中にゐる。その色は赤ちやけてゐるか、褐色かだ。背中にはくすんだギザ/\の線があつて其の両側には斑点の列がある。腹の方は瓦のやうな灰色だ。その頭は小さな三角形で、その首よりは大きく、少し鈍い角度で丁度前を切り取つたようになつてゐる。蝮は臆病で物怯ぢする。蝮が人を襲のはたゞ自分を護る時だけだ。その動作は荒つぽくて、不規則で、そして鈍い。
『吾々の国でのその外の一般の蛇は、蝮のやうな毒のある牙は持つてゐない。その蛇に咬まれたのは、大した事はない。そしてその蛇に嫌悪を感ずるのは全く根拠のない事だ。
『蝮の次ぎにはフランスでは蠍より恐れられてゐる毒虫はない。それは非常に醜いもので、八本の肢で歩く。そして前の方に鰕の鋏のやうな二つの鋏を持つてゐて、背中は節だらけで、うねつた尾の端に螫《けん》がある。鋏は、つまらない嚇し道具で、害にはならない。それは、尾の端の螫で武装してゐるのだ。そしてその螫に毒があるのだ。蠍は其の螫を、自衛の為めや、自分で食べる虫を殺すのに使ふ。フランスの南部の方で、二つの違つた種類の蠍が発見された。一つは緑がかつた黒で、よく暗い、冷たい場所にゐる。そして家の内にさへもゐる。その隠れ場所を出て来るのは、夜だけだ。それは、濡《ぬれ》た処を走つてゐる時と、壁を這つてわらじむし[#「わらじむし」に傍点]や蜘蛛等の、きまりどほりの生餌をさがしてゐる時に見る事が出来たのだ。もう一つの方は、大変大きくて蒼みがかつた黄色だ。それは暖い砂まじりの石の下に住んでゐる。黒い蠍の螫したのは、ひどい害はしない。黄色い蠍に刺されたのは生命にかゝはる。其のどちらかの虫が怒つた時には、その螫の端に小さな滴が真珠のやうになつて見える。それが襲撃の準備なのだ。それは毒の滴《したたり》で、蠍はそれを傷の中に滲ますのだ。
『私が外国の毒虫についてお前達に話すことが出来たら、其処にはもつといろ/\重要なことがある。いろ/\な蛇に咬まれたのが恐ろしい死の原因になるやうな話がね。だが、アムブロアジヌお婆あさんが、食事だと云つて呼んでゐるやうだ。今私がお前達に話した事を急いで繰り返せば、それがどんな悪い虫でも離れた処から、吾々に害をしたり、毒を放たりする虫はゐない。すべての毒はおなじ方法で働く。その特別な武器で一寸した傷をつける。そしてその傷の中に毒液を導くのだ。その傷だけならばなんでもない。その中に注ぎ込まれた毒が、痛ますのだ。そして時としては生命までも奪るのだ。その毒のある武器は、その虫の狩りと自衛との役に立つのだ。その武器は、そのいろ/\な種によつて、体の或部分についてゐる。蜘蛛は一対の牙を口の入口に持つてゐる。蜜蜂、胡蜂、大黄蜂、はな[#「はな」に傍点]蜂は、螫毛を胃袋の端に持つてゐて、休んでゐる時には、その鞘の中に隠してゐる。蝮とその他すべての毒蛇は、二つの長い、孔のあいた歯を上顎に持つてゐる。蠍は尾の端に螫を持つてゐる。』
『僕は大変残念です』とジユウルが云ひました。『それはジヤツクが、叔父さんの毒虫の説明を聞かなかつた事です。それを聞いたら、ジヤツクも、毒虫の緑色の内臓が毒でない事が分つたでせうに。僕はお爺さんにすつかり話してやらう。そしてもし今度僕あのきれいな青虫を見つけても踏みにぢらないやうにしよう。』

[#5字下げ]三二 蕁麻《いらくさ》[#「三二 蕁麻」は中見出し]

 食事の後で、叔父さんは栗の木の下で本を読んでゐました。その間子供達は庭で別々に離れて遊んでゐました。クレエルは截ちものをしてゐました。ジユウルは自分の花瓶に水を入れてゐました。エミルは――一寸めまいがしました。何が起つたのかと思ひましたが、災難はすぐ行つてしまひました。一匹の大きな蝶が石墻《いしがき》の下に生えてゐる葦の上を飛んでゐます。まあ、何んと云ふ立派な蝶でせう。その翅の上側は赤で、黒の縁がとつてあり、眼は青くて下側は褐色で波形の線があります。その蝶がとまりました。うまい。エミルは体を小さくして、手をのばして、爪先きでそつと近づきました。すぐに蝶はとんで行つてしまひました。が、その跡を追ひました。エミルは急いで手を引つこめました。何かに引掻かれて赤くなつてゐます。それはだん/\痛みが増して来て、悪くなつて来ました。エミルは叔父さんの処に走つて行きました。眼は涙で一杯になつてゐます。
『毒虫が僕を螫したんです!』エミルは泣きました。『叔父さん僕の手を見て! 痛むんです――ああ、何んて痛いんだらう! 蝮が僕を咬んだんです!。』
 蝮と云ふ言葉で、ポオル叔父さんはびつくりしました。叔父さんは立つてその手を見ました。叔父さんの口許に笑ひが浮びました。
『そんな事はないよ、坊や。此の庭の中には蝮はゐない。何んて馬鹿な事をしてゐたんだい? 何処にゐた?』
『僕、蝶の跡を追かけたんです。僕があの石墻の根の葦の上にゐたのを捉へるのに手を延ばしたら、何かが螫したんです。見て下さい!』
『何んでもないよエミル、泉水の冷たい水の中に手をつけて御覧、痛くないやうになるから。』
 十五分の後には、みんなはエミルの怪我の話をしてゐました。エミルはもうそのあやまちから回復してゐました。
『さあ、痛いのはなをつたらう。エミルお前は、何がお前を螫したか知りたくはないかい?』と叔父さんが尋ねました。
『えゝ、僕は慥《たし》かにそれを知らなければなりませんよ、今度はもう捉らないやうに。』
『よろしい。お前を刺したのは蕁麻と云ふ植物なんだよ。その葉も、茎も、一寸した枝も――無数の硬い、そしてうつろになつた刺で覆はれてゐる。そしてその刺には一ぱい毒がはいつてゐるのだ。その刺が人の皮膚をつきとほすと、その尖が破れて、その毒の硝子壜《がらすびん》の中味が傷に滲みるのだ。痛みはそれから来るのだ。けれども、それは危険な痛みではない。解るかい。蕁麻の刺は、毒虫の武器のやうな働きをするのだ。その皮膚に傷をつけるのはいつもその穴のある尖つた部分で、そこから毒液を傷の中に入れるのだ。そして、それがすべて痛みの原因なのだ。蕁麻といふのは、さう云ふ毒草だ。
『それからね、エミル、お前は綺麗な蝶を捉へようとしてうつかり蕁麻の茂つた中へ手を突つ込んだと云ふが、其の蝶は、ヴアネスサ・イオと云ふのだ。其の幼虫は、白い斑点《ほし》のある黒いビロオドのやうな虫だ。その虫もやはり硬い毛と針を持つてゐる。これは繭はつくらない。その蛹は金のやうに光つた帯で飾られてゐる。そしてその尾の端で宙にぶら下つてゐる。其の幼虫は蕁麻の上に住んで、その毒のある刺毛《さしげ》があるのもかまはずに、其の葉を食べるのだ。』
『毒のある草を食べてゐて、その幼虫はどうして毒を平気なんでせう?』とクレエルが尋ねました。
『お前はヴエノマスとポイゾナスとを混同している。ヴエノマスと云ふのの本質は、傷の中にそれを導くと蝮の毒のやうな風にそれが害の原因になるものなのだ。ポイゾナスの本質は、それが胃袋の中にはいれば死の原因になるかも知れないやうなのだ。劇薬はポイゾナスの方だから、もしそれを飲めば殺される。蝮の牙から流し出される液と蠍の螫はヴエノマスの方だから、それが血に混れば殺される。だが、それは飲んで殺される方の毒ではない。だからそれは平気で呑む事が出来る。それは蕁麻の毒と同じだ。アムブロアジヌお婆あさんは、蕁麻を刈つて家畜に食べさせるし、そしてヴアネスサの幼虫は何の危険もなしにその上にゐて、その葉を食べてゐる。その草はついさつきエミルを痛いので泣かせたんだがね。刺されて毒のある植物は、フランスでは蕁麻だけだ。だが、食べれば病気になつたり死にさへもする毒の植物は沢山ある。私は何時かお前達にその毒草の事をしつかりと教へなくちやならない。そんな毒に害されないやうにね。
『蕁麻の刺毛は私に毛虫の毛を思ひ出させる。幼虫の多くはむき出しの皮膚を持つてゐる。それは全く害のない奴だ。それはどんなに大きくても、背中の端に角を持つてゐても、何んの危険もなしに手にとる事が出来るのだ。それは蚕よりももつと恐れる事はない。だが別にその体中が硬い毛で、それは時によつて非常に鋭く逆立つて皮膚に刺さることが出来る。そしてその毛の残つた処は非常な痒《か》ゆさを感じたり、或は痛んで脹れ上つたりさへもする。それはよくビロオドのやうな幼虫とまちがへられる。その虫は、特に松の木や樫の木の上の、大きな絹の巣の中にかたまりになつて住んでゐる。その名前は行列虫と云ふのだ。

[#5字下げ]三三 行列虫[#「三三 行列虫」は中見出し]

『私達はよく松の枝の先きに、松の葉を混ぜた、白い絹のかさばつた袋を見る事がある。その袋は、普通に尖の方がぶつと脹らんで、底の方が細くなつて梨のやうな格好をしてゐる。それは時には人間の頭ほどの大きさのがある。幼虫はその巣に固まつて住んでゐる。それは赤い毛で、ビロオドのやうな幼虫の一種類なのだ。その毛虫の一家族は一匹の蝶が生んだ卵から生れるので、一つの絹の住居を共同でつくるのだ。みんながその仕事の部分部分を受持つてゐて、みんなの利益の為めに、みんなが紡ぎ、みんなが織るのだ。その巣の内部は、うすい絹の仕切り壁で、沢山の区画に分れてゐる。大きい方の端に、時によつてはもつと別の処が、漏斗形に開いてゐるのが見える。それは大きな出入口なのだ。他の戸口は小さくて彼方此方に分れてゐる。毛虫は冬の間を此の巣の中で過し、天気の悪いのも此処で避ける。夏になると、夜と非常に暑い間だけを、其処にかくれる。
『昼間になるとすぐに毛虫は其処から出て松の木の上に散つて、其の葉を食べる。そして腹一杯たべたあとでまたその絹の住居にはいつて太陽の熱を避ける。さて、その毛虫が木の上に巣をつくつたり、或松の木から他のへ移つてゆく時に、地面を歩いたりして運動する時には、一列になつて進んでゆく。行列虫と云ふ名前は其処から出たものだ。何故かと云ふと、一匹のあとに他のが続くといふ風にして、立派な縦列をつくつて進んでゆくからだ。
『一匹が先頭に立つ――それは其処にゐる完全に平等な虫の中の一匹だ。そして、丁度遠征隊の先頭のやうに出発する。第二番目の虫は二つの間をあけないやうにつゞいてゆく。第三番目のも、二番目のと同じやうにして随ふ。ずつとさういふ風にして巣の中にゐる沢山の毛虫が続くのだ。その行列をつくつてゐる虫は数百を数へられる。さて、行列が始まる。一列の縦隊は、真直に行つたりうねり曲つたりしながら、それ/″\の虫が、前にゆく毛虫の尻尾に自分の頭をくつつけてついてゆくので、いつも続いてゆく。その行列は、右に左に絶えずいろ/\な変化のあるうねり方をして、地面におもしろい花輪のやうな模様を画いてゆく。いくつもの巣が近くに固まりあつてゐて、そしてその行列が出遇ふ時には、それは非常に興味のある観ものになる。その時には生きた花輪はお互ひに交叉する。そしてもつれたりほぐれたり、結ばつたり解けたりして、気まぐれな象《かたち》をつくり出す。その不意の衝突も、混乱を導く事は出来ない。同じ列の毛虫はみんな一様に真面目な歩き方で列を進める。一匹も急いで、他のものよりは前に出る者はない。一匹も後れるものもない。一匹だつて行列をまちがへるのはない。その列はめい/\でまもられてゐ、その進行は先頭にたつた一匹が用心深く加減してゐる。その先頭に立つたのがその全体を指揮してゐるのだ。で、先頭の一匹が右の方へまはれば、その後に続いた同じ列の毛虫はみんな右へまはるし、左へまはれば、それにつゞく毛虫がみんな左へまはる。もし先頭が止まれば、全行列が止まる。が、一斉にではない。二番目が先づ止まり、それから三番目、四番目、五番目、と云ふ風にして最後までゆく。その列の最後まで命令が伝はつて縦列が止つたときには、よく訓練された兵隊と云ふ事が出来るだらう。
『その遠征は、たゞの散歩か、或は食物をさがしに行く旅行かなのだ。それがすむ。毛虫は自分の巣からずつと離れた処に行つてゐる。住居に帰る時になる。草叢や下生の中をぬけ、いろんな障碍を越えて通つて来た道を、どうして毛虫共は見つけ出すだらう? 毛虫は眼で見つけ出す事が出来るだらうか、小さい草叢が沢山あるのでとてもそんな事は出来さうもない。では嗅覚でさがし出すのだらうか、それはいろ/\な香がプンプンしてゐて間違ふかも知れないではないか? 否、否、そんな事ではない。行列虫は、視力よりも嗅覚よりももつといゝものを、その旅行の案内にする。其の虫共は、本能といふものを持つてゐる。其の本能は、彼等に間違ひのない手段を悟らせる。その仕事は、理屈でやつてゐるやうには見えても、彼等にはその理由を説明する事は出来ない。彼等に理窟がないと云ふ事は疑ひのない事だ。けれども、彼等はその生涯の間、自分の中にある永遠の理屈の神秘な衝動に従つてゐるのだ。
『さて、行列虫が、遠い処から、その住居に道を迷はないで帰つて来る事が出来るやうにするのは、その本能といふ神秘な衝動だ。吾々は、道に舗石《しきいし》を敷く。毛虫の往来はもつと贅沢だ。毛虫はその道に絹のカアペツトを張るのだ。虫共はその旅の間中糸を紡ぎつゞけて、その道にずつと絹を膠付けにする。行列をしてゐるどの毛虫もそれ/″\にその頭を上げたり下げたりしてゐるのが見える。その頭を下げてゐる時には、糸嚢は下唇の中に置いてあつて、行列につゞきながら道に糸を膠づけにしてゐるのだ。それから頭を上げてゐる時には、糸嚢は糸をすべり出させてゐて同時に虫はそれぞれに歩いてゐる。それから頭は低く下り、またあがる。第二の糸が長くなつて敷かれる。毛虫はそれぞれ、先に立つた一つが残した絹の上を歩いてついてゆきながら、自分の糸をその絹に加へて行く。さういふ風にして通つた道の長さだけをすつかり絹のリボンで敷いてしまふ。そのリボンの指揮どほりに、行列虫はどんなにまがりくねつてゐる道だらうが、少しも迷はずに、自分達の住居へ帰つてゆくのだ。
『もし、その行列の邪魔をしようと思へばその絹の道を切るやうに十分に指を渡してその跡をかくしてしまふ。行列は疑ひと恐れのいろいろな表示と一緒にその切れた処の手前で止まる。虫共は進むだらうか? 進まないだらうか? 虫は頭を上げたり下げたりして、期待した指揮者の糸を尋ねる。遂に、他の者よりは大胆な、或はずつと辛抱のない、一匹の虫が、悪い場所を横ぎつて、切られた一方の端から、他の端へとその糸を張る。二番目の虫は躊躇なく一番はじめの者が残した糸の上を渡つて行く。そしてその橋を渡りながら自分の糸を其処にくつつけてゆく。他の者もみんなおんなじやうにしてゆく。すぐにその破れた道は修繕が出来る。そしてその縦隊の行列は続けられる。
『樫の木の行列虫は他の方法で行進する。その虫は、白い毛で被はれてゐて、その毛は非常に長くて背中の方に向つてゐる。一つの巣の中には七百から八百までの虫を含んでゐる。遠征が決定した時には一匹の毛虫がまづ巣から出る。そして少し離れた処で休んで、他の虫が列をつくる時間を与へる。みんな、並んで一つの隊を形づくる。すると其の先頭の虫が進行をはじめる。他の者は自分の場所でそれに随つてゆく。が、そのならび方は、松の木の行列虫のやうに一匹のあとに他の一匹が続くと云ふのではなく、二列、三列、四列、或はもつと沢山ならぶ。全体は、すつかり、その列の指揮者に導かれるまゝに従順に動きはじめる。その指揮者はたゞいつもその軍隊の先頭に立つて進んでゐるだけだ。同時に他の毛虫共は、完全な列にする為めにその列を整へながら、それ/″\に平行して前進する。此の軍隊の最初の列は何時も楔形《くさびがた》に並んでゐる。そして列をつくつてゐる毛虫の数がだん/\にふえて来るので、その外の列は、幾分か拡がるやうになる。時としては十五列から二十列までの毛虫が、よく訓練された兵隊のやうに頭と頭をくつつけ合はせて、同じ歩みで行進してゐる。勿論その全隊が、歩いて来たとほりに、巣に帰る道を見失はないやうに絹を路に敷いて行く。
『行列虫は、特に此の樫の木の行列虫は、脱皮をしに、その巣の中に隠退する。そして、それ等の巣は最後には切れた毛の埃で一杯になる。その時にお前達がその巣に触ると、その毛の埃は、お前達の顔や手を刺してそれが炎症の原因になる。そしてもしその皮膚が軟かくて弱かつたらそれから幾日もの間なをらない。その行列虫が巣喰つてゐる樫の木の根本に立つただけでも、風に吹かれて来るその埃で刺される。そしてその刺されたあとは痛がゆさを感じる。』
『そんないやな毛を持つてゐる行列虫は、何んて可哀想な奴だらう!』とジユウルが叫びました。『もしそんなものを持つてゐなかつたら――』
『もしそれがなかつたら、ジユウルはその虫の行列を見るのが大好きだらう。心配はないよ、それは大してあぶないもんぢやない。そして、それは少し掻きさへすればいゝのだ。さて、私達はもう一度樫の木のよりはあぶなげの少い松の木の行列虫に気をつける事にしよう。昼間の暖い間に、松の木の森に行つて其の行列虫の巣を見る事にしよう。しかし、それは私とジユウルだけだ。クレエルとエミルには少し暑すぎるからね。』

[#5字下げ]三四 嵐[#「三四 嵐」は中見出し]

 ポオル叔父さんとジユウルが出発した時は本当に暑うございました。此の焼けるやうな太陽で、毛虫はきつとその絹の袋の中にはいつてゐるでせう。その虫にはギラ/\しすぎる光を避ける為めには、間違ひなくその隠家にはいるのです。時間が早いか遅いかだとその巣はからつぽで、その遠足は無駄になるかも知れないのです。
 ジユウルの胸は子供特有の飾り気のない歓びで一杯になつてゐました。そして行列虫とその行列にすつかり気をとられて、暑さも疲れも忘れて元気よく歩きました。彼は襟飾をとつて、そしてブラウズをぬいで肩にかけてゐました。生墻《いけがき》から叔父さんに切つて貰つた大事なステツキは、三番目の足といふ風に役に立つてゐました。
 そのうちに蟋蟀《こおろぎ》の声が普通よりも騒々しくなりました。池の中では蛙が鳴いてゐました。蠅はくつついて来て煩《うるさ》くなりました。時々微風が、矢庭に街道を吹き立てて埃を巻きあげました。ジユウルはそんな事には無頓着でしたが、叔父さんは気をつけてゐました。そして時々空を見上げてゐました。南の方に、かたまつた赤味がかつた曇りが、何か叔父さんの気がかりになつてゐるやうでした。『雨に合ひさうだよ』と叔父さんは云ひました。『急がう』
 三時少し前位に、二人は松の木の森につきました。ポオル叔父さんは、すばらしい巣のついた枝を切りました。叔父さんの察しはあたつてゐました。毛虫は多分その悪い天気を予覚してかみんなその住居に帰つてゐました。それから二人は松の木の茂り合つた蔭に腰を下しました。少し休んでから帰らうと云ふのです。自然に話は毛虫の事になりました。
『行列虫は』とジユウルが云ひました。『巣から出て、松の木ぢうに離れ/″\になつて其の葉を食べるんだつて叔父さんは話して下さいましたね。実際、沢山の枝が大方枯れて駄目になつてゐますね。ほら、あの松の木、僕の指してゐる――まるで火事にでも焼けたやうに、葉が半分むしられてゐるぢやありませんか。僕、行列虫の行列は好きだけど、あんな立派な木が、毛虫の歯であんなに荒らされてゐるのは可哀想だなあ。』
『もし此の松の木の持主がもつと考へのある人なら』とポオル叔父さんは答へました。『幼虫がその絹の袋の中に固まつてゐる冬の間にそれを集めて焼いてしまふだらう。その松の嫩枝を咬み、新芽を食つて木の育つのを妨げる悪い虫が繁殖しないやうに殺してしまふ為めにはさうするより仕方がない。私達の果樹園でもさういふ虫の害は非常なものだ。いろいろな毛虫が、果樹に住んでゐて、行列虫のやうに同じ方法で巣をつくるのだ。夏になると、飢ゑた虫は木一杯に散つて、葉や、芽や、嫩枝をめちやめちやにする。果樹園は僅かの間に坊主にされて、収穫は芽生の間に駄目にされてしまふ。だからそれを注意深く保護するにはその毛虫の巣を見つけ出して、春にならないうちに木から離して焼いてしまふ事が必要なのだ。さうすれば、その収穫はきつといゝに違ひない。幸にいろんな活きもの、特に小鳥が、此の毛虫と人間の間の必死の戦争に、人間の味方をしてくれる。でなければ、無限に数へられる、その数で人間よりも強い虫は、人間の収穫を荒しつくしてしまふだらう。だが其の小鳥の話は他の時にしよう。さあ行かなくつちや、大分怪しい天気だ。』
 南の方の赤みがかつた曇りは、刻々にあつく暗くなり、大きな真黒な雲になつて、見る見る空のきれいに晴れた処まで襲ふて来ました。風はそれに先立つて松の木の梢を、田圃の作物の先きを吹きまげるやうにまげました。そして、嵐の始まる前に乾いた大地から立つ埃のにほひが土から起きて来ました。
『もう帰りかけるのは見合はせだ』と叔父さんは注意して云ひました。『もうすぐに、嵐が此処まで来るよ。急いで避《よ》け場所を見つけよう。』
 遠くの方での雨は、晴れた空を横切る薄暗いカアテンに似てゐます。その水のカアテンは、競馬の馬が馳けるやうな大変な速度で拡がつて来ます。その雲はずん/\此方の方にやつて来ます。そしてたうとう来ました。激しい閃光がその雲を割つて光りました。そしてそれと一しよに轟々と云ふ音がしました。
 その何よりもひどい音にジユウルは縮みあがつてしまひました。『此処にゐませうよ叔父さん』と恐がつて云ひました。『此の大きな茂つた松の木の下にゐませう。此処なら雨もかゝりませんよ。』
『いけない』と叔父さんは答へました。叔父さんは、自分達が嵐の中心にゐるのだと云ふことを知つてゐました。『此の木はあぶない、他へ行かう。』
 そして、叔父さんはジユウルの手をとつて、自分が先きに立つて大粒の雹《ひょう》のやうな雨の中を急ぎました。ポオル叔父さんは、此の森の向ふにある、岩の中に洞穴があるのを知つてゐました。二人が其処についた時には嵐は非常な力で荒れまはりました。
 二人は其処で十五分位だまつてその重々しい大荒れの有様を見てゐました。その時に、眩しい程光つた閃光がギザ/\の線になつて黒雲を破つて、山彦でも反響でもない恐ろしい爆音と一しよに一本の松の木を撃ちました。その爆音は空が落ちて来るかと思はれる程の激しい音でした。その恐ろしさに、ジユウルは膝に顔をつけて手をしつかりと握つてゐました。そして泣きながらお祈りをしてゐました。叔父さんは平気で落ちついてゐました。
『さあ元気をお出しジユウル』とポオル叔父さんはもう危険が去つたのを見るとすぐに云ひました。
『そしてお互ひに、無事だつたお礼を神様に申上げよう、私達は今大変な危険からのがれたのだ。あの雷は雨よけをしようとしたあの松の木に落ちたのだよ。』
『あゝ、僕はどんなに驚いたかしれませんよ叔父さん!』とジユウルは叫びました。『僕は死にはしないかと思ひました。叔父さんがあの雨に打たれながら急いで他へ行かうと無理におつしやつたとき、叔父さんはもうあの木に雷が落ちる事を知つてゐたのですか?』
『いやさうぢやない。私は何にも知らなかつた。誰れだつて知りはしない。たゞ、ある理《わけ》で、私はあの大きな松の木の近所が恐かつただけなんだ。そして用心が、もつと危険の少い場所をさがさせたのだ。もし私が恐がつて、本当に用心をしなかつたらどんな事になつたらう! あのあぶない瞬間に私を落ちつかせて下さつたのは、全く神様のおかげです。』
『どうして叔父さんが、あのあぶない木を避けたのか、それを話して下さるでせうね、叔父さん?』
『あゝいゝとも。だが、それは、みんなが一緒にゐる時にしよう。そのわけを知つておくのは誰れにも為めになる事だからね。誰でもあぶない事を知らなければ、嵐の中を木の下に走つて行つて避けるからね。誰れもそんな事のないやうにしなければならないだらう。』
 そのうちに、雨雲は、あの電光も雷も一緒に遠くへ行つてしまひました。そして一方では太陽が晴れやかに沈みかけてゐますし、もう一方の嵐が通つてゆく方の空には、きれいなアーチのやうな虹がかゝつてゐます。ポオル叔父さんとジユウルは、大事な価値のある名高い毛虫の巣を忘れずに、帰りかけました。

[#5字下げ]三五 電気[#「三五 電気」は中見出し]

 ジユウルは、姉さんと弟に其の日の事を委しく話しました。そして雷の話の処になるとクレエルは木の葉のやうに震えました。『私だと驚いて死んだかもしれないのね』とクレエルは云ひました。『もしか私が其の松の木を電光《いなびか》りが撃つたのを見てゐたのならね。』それから深い好奇心が起つて来ました。みんなは、一緒に、叔父さんに雷の話をして下さるやうに頼むことを相談しました。そして其の次ぎの日に、ジユウル、エミル、クレエルの三人は、そのお話を聞くために叔父さんのそばに集まりました。そしてまづジユウルがその事について口を切りました。
『叔父さん、もう僕恐はくはありませんから、何故嵐の時に木の下に避けてはいけないのか、私達に話して下さいませんか? エミルも聞きたがつてゐるやうですから。』
『雷つて何んだか僕は誰よりか一等知りたいんです。』
『私だつて』とクレエルも云ひました。『私達に雷がどんなものかと云ふ事が少し分れば、木があぶないと云ふ事が大変楽にわかると思ひますわ。』
『全くだ』と叔父さんは賛成しました。『だが第一に私はお前達のうちの誰かに、雷と云ふものについてどんな事を知つてゐるか話して貰ひたいね。』
『僕まだずつと幼《ちい》さかつた時に』エミルが話し出しました。『あの音をよく響ける金属で覆ふた円天井を大きな鉄の球をころがすので出る音だと思つてゐました。そして、もしか何処か其の円天井が破れると、その球が地面に落ちるそれが雷の落ちるのだと思つたのです。だけど、今はさうは思ひません。僕もう大きくなつたんですから。』
『大きくなつたつて――なんだい、叔父さんのチヨツキの一等したのボタン位の高さしかないぢやないか! それはお前の推理力が目醒めて来て、そんな鉄の球なんて簡単な説明ではもう納得する事が出来なくなつたと云ふものだ。』
 それから、クレエルが話しました。『私も以前私が考へてゐたやうな説明では腑に落ちないのです。私は、雷は古い鉄をどつさり載せた荷馬車だと思つてゐました。それがよく響ける円天井の頂上を転がるのです。時によると、その車輪の下から火花が散ります。それは馬の蹄鉄が石に当つた時に出るやうなのです。それが電光りでした。その円天井は滑つこくてその境目は崖です。もしか其の荷馬車がひつくりかへると、その積み荷の鉄が地面に落ちるんです。そして人や木や馬をつぶすんです。此の私の説明は、昨日のジユウルのお話ですつかりおかしくなつてしまひました。けれども、それ以上の事は今も分らないのです。私はまだ雷の事は全く何んにも知らないのですわ。』
『お前達の雷は二つとも、お前達に似合つた、子供らしい想像だが、それは両方とも同じ考へが基になつてゐる。それは、よく響ける円天井といふ考へだ。いゝかい、よく覚えてお置き。あの青い空の円天井は、たゞ私達を包んでゐる空気のせいであゝ見えるだけなのだ。あのきれいな青い色は空気があつく重なつてさう見えるのだ。私達のまはりには空気のあつい層があるだけで、円天井はない。そしてその空気の層の先きはあの星の群に近づくまでの間には何んにもないのだ。』
『私達は青い円天井と云ふ考へは捨てます』とジユウルが云ひました。『エミルもクレエルも僕も空には何んにもない事がよく分りました。それから、もつと何卒《どうぞ》。』
『もつとだ? これからがむづかしくなるのだ。お前達はお前達の質問が、時によると大変に面倒な事になるのが分るかい? もつと話せと直ぐに云ふが、そして叔父さんの知識を信じて、その説明でお前達は自分の好奇心を満足させようと思つて待つてゐるが、お前達が物事を理解しなければならないと云つた処で、お前達の知慧とはかけ離れた事がうんとあるのだ。お前達はいろんな事を知りたがる前に、理解力の用意をしなければならないのだ。雷の原因もその一つだ。私がお前達にその雷について何か話してやるのは訳もない事だが、もしその私の話がお前達に分らない時には、お前達は自分の生意気な好奇心を恥ぢなければならない。その雷の話はお前達にはまだ六つかしいよ。それは大変に六かしい事なんだから。』
『雷の事は話すだけは話して下さい。』とジユウルはねだりました。『私達は一生懸命で聞きますから。』
『では話さう。空気は見えもしないし、誰もそれを手に取る事も出来ない。もし空気が何時も静かだつたら、お前達は多分空気と云ふものが、あるかないかも気がつかないだらう。だが激しい風が、高いポプラを曲げたり、散つた木の葉を渦巻いたり、木を根こぎにしたり、建物の屋根を吹きめくつたりするのを見た時に誰れが空気の存在を疑ふ事が出来よう? 風は、防ぎ切れない空気の流れなのだ。その形のない、眼にも見えない静かな空気も、やはり本当は一種の物質なのだ。即ち、物質は、たとへ私達の眼の前に何にも現はさないでも存在が出来るのだ。私達が見たり触れたりする事も出来ず、またそれを感ずる事が出来なくても、やはり私達のまはりはすつかり空気だ。私達は空気に取り巻かれ、空気の真中に生きてゐるのだ。
『さて、此処に其の空気よりはもつとかくれた、もつと眼に見えない、もつと見あらはしにくいものがある。それは何処にもある、必ず何処にもある。私達の体の中にさへある。だがそれは、お前達が自分がそれを持つてゐる事に今もまだ決して気がつかない位に、静かにしてゐるのだ。』
 エミルもクレエルもジユウルも意味のこもつた眼をチラと見交はしました。三人ともどうかして、その何処にでもあつて自分達のまだ知らないものを当てゝ見ようとしてゐました。しかし、そのみんなの考へは、叔父さんの云つたものとはずつとかけ離れてゐました。
『お前達だけで一日中さがしても、一年中さがしても、多分一生かゝつても、それは無駄だらう。お前達には見つけ出すことは出来まい。其の私の話してゐる物は別段によくかくれてゐる。学者達は、それについてのいろんな事を知る為めに非常に面倒な研究をした。私達はその学者達が私達に教へてくれた方法を用ゐて手軽にそれを引つぱり出して見よう。』
 ポオル叔父さんは机から封蝋の棒を取つてそれを上着の袖で手早く磨《こす》りました。それからそれを小さな紙きれに近づけました。子供達はそれを見つめてゐます。見ると、その紙は舞ひあがつて封蝋の棒にくつつきました。その実験を、幾度も繰り返しました。その度に、紙きれはひとりで舞ひ上つて棒にくつつきます。
『此の封蝋の端は、前には紙を引きつける事をしなかつたが、今、それが出来る。此の棒を着物にこすりつけると、其の時に、その眼に見る事の出来ないものが顕はれるのだ。棒の外見は其の為めに変りはしない。そして此の眼に見えないものは、見えなくても、紙を持ちあげ、蝋まで引きよせて、其処にくつつける事が出来る以上は、本当にさういふものがあるに違ひないのだ。此の見えないものを、電気と云ふのだ。硝子のかけらや、硫黄、樹脂、封蝋等の棒を着物にこすりつけてそれで電気を起すことはお前達にもたやすく出来る事だ。それ等の物は、摩擦をすると、小さな藁きれや紙のきれつぱしや、埃のやうな軽いものを引きつけるもちまへを出すのだ。もしうまい工合にゆけば、今夜、猫がその事について、もつとよく私達に教へてくれるだらう。』

[#5字下げ]三六 猫の実験[#「三六 猫の実験」は中見出し]

 冷たい乾いた風が吹いてゐました。昨日の嵐のせいなのです。ポオル叔父さんはそれを口実にしてアムブロアジヌお婆あさんの云ひ草には、頓着なしに、台所のストオヴに火を燃しつけました。お婆あさんは、その時候はづれのストオヴの火を見て叫び出しました。
『夏にストオヴをたくなんて!』お婆あさんは云ひました。『何んて事でせう? 旦那様ででもなけれや、誰もそんな事を考へつきはしませんね。私達は火焙《ひあぶ》りになるのですか。』
 ポオル叔父さんには自分の考へがあつたのです。で、お婆あさんには勝手に云はしておきました。みんなはテエブルにつきました。夕御飯がすんだ。大きな猫は、ストオヴのそばの椅子の上に移りました。猫は決して暑がらないのです。そしてすぐに、その背中をストオヴの方に向けて、うれしさうに咽喉をならしはじめました。すべて叔父さんの望みどほりに行つてゐました。ポオル叔父さんの計画は非常にうまくゆきかけてゐます。熱いので不平もいくらか出ましたが、叔父さんは無頓着でした。
『さあ、お前達は、私がお前達の為めにストオヴを燃《た》いたのだと思ふかい?』と叔父さんは子供達に云ひました。『感違ひをしちやいけない、これは猫のためだ、猫だけの為めだ。猫は冷たい可愛想な奴だ。あの椅子の上で気持よささうにしてゐるのを御覧。』
 エミルは牡猫への叔父さんの親切な注意に笑ひ出さうとしましたが、クレエルは叔父さんの真面目な様子を察してゐて、肘でエミルを軽く突きました。クレエルの疑ひはもつともでした。夕飯が終ると、みんなはまた雷の話を続けました。ポオル叔父さんが話し出しました。
『今朝私はお前達に、猫の助けを借りて大変おもしろいものを見せると約束したね。猫が云ふ事をききさへすれば、今約束を果す事が出来るのだ。』
 叔父さんは猫を取つて自分の膝の上におきました。猫の毛はすつかりあつくなつてゐました。子供達はそのそばに近よりました。
『ジユウル、ラムプをお消し、真暗でなくちややれないのだ。』
 ラムプは消えました。ポオル叔父さんの手はその牡猫の背中を行つたり来たりしました。まあ! 不思議! 猫の毛には泡粒のやうな光りが流れてゐます。手がふれるとほりに、小さな白い閃光が現はれてパチ/\と音をたてゝは消えます。それは毛皮から出る煙火《はなび》の火花のやうでした。みんなは驚いて其のきれいな猫を見てゐました。
『もう触るのはおよしなさい! 猫が焼けますよ』とアムブロアジヌお婆あさんが叫びました。
『叔父さん、其の火は燃えてゐるんですか?』とジユウルが尋ねました。『猫が泣き出しませんね、そして叔父さんは触つても恐くないんですね。』
『此の火花は火ぢやないんだ。』とポオル叔父さんは答へました。『お前達はみんなあの封蝋の棒を着物でこすると、藁や紙のきれを引きつけるのを覚えてゐるだらう。私はその封蝋が紙を引きつけるのは、摩擦によつて起つたもので、それは電気だとお前達に話したね。いゝかい、私は自分の手で猫の背中をこすつて、電気を出すのだ。その電気の量が沢山なので、最初は見えなかつたのが、見えるやうになり、そして火花や、音を出すやうになつたのです。』
『もし燃えてゐないのなら、僕にもやらして見せて下さい。』とジユウルが云ひ出しました。
 ジユウルは自分の手で猫の毛をこすりました。その光る泡粒とそのパチ/\云ふ音とはもつと強く出はじめました。エミルもクレエルも同じやうにやつて見ました。アムブロアジヌお婆あさんは恐がりました。お婆あさんは、自分の猫から出る火花を、多分魔法か何かのやうに思つたのです。猫は放されました。その実験はもう猫には迷惑になつて来はじめてゐましたので、もしポオル叔父さんが猫をしつかりつかまへてゐなかつたら、多分ひつかきはじめてゐたかもしれません。(つづく)



底本:「定本 伊藤野枝全集 第四巻 翻訳」學藝書林
   2000(平成12)年12月15日初版発行
底本の親本:「科学の不思議」アルス
   1923(大正12)年8月1日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※ルビは新仮名とする底本の扱いにそって、ルビの拗音、促音は小書きしました。
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:トレンドイースト
2010年7月31日作成
2011年1月17日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。



*人物一覧

(人名、および組織・団体名・神名)
  • ハラムウスカアム


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。



*難字、求めよ

  • 榛の木 はんのき (ハリノキの音便)カバノキ科の落葉高木。山地の湿地に自生。また田畔に栽植して稲穂を干す。高さ約20メートルに達し、雌雄同株。2月頃、葉に先だって暗紫褐色の単性花をつけ、花後、松かさ状の小果実を結ぶ。材は薪・建築および器具用、樹皮と果実は染料。ハリ。ハギ。
  • 豆普@とうすみ とんぼ → とうしみ とんぼ
  • 灯心蜻蛉 とうしみ とんぼ イトトンボの異称。「とうすみ」はトウシミの訛。
  • イトトンボ 糸蜻蛉・豆娘。イトトンボ亜目のトンボの総称。普通のトンボより小形で、体は細く、静止時は翅を背上に合わせる。池沼の草むらに多い。トウスミトンボ。トウセミ。灯心蜻蛉。
  • 藺草 いぐさ → 藺
  • 藺 い イグサ科の多年草。湿地に自生。また水田に栽培。地下茎をもつ。茎は地上約1メートル、中に白色の髄がある。葉は退化し、茎の基部で褐色の鞘となる。5〜6月頃、茎の先端に花穂をつけ、その上部に茎のように伸びるのは苞。花は小さく緑褐色。茎は畳表・花筵(はなむしろ)、髄は灯心(とうしん)とする。イグサ。トウシンソウ。
  • ハナバチ 花蜂 ハチの一群で、幼虫の食物として花粉と花蜜を集めるもの。ミツバチもこの類に属する。体に毛が密生し、花粉を集めるのに役立つ。
  • 糸嚢 しのう
  • スフィンクス・アトロポス
  • 険呑 けんのん 険難・剣呑。(ケンナンの転という。「剣呑」は当て字)あやういこと。あやぶむこと。
  • 大黄蜂 おおきばち
  • 螫毛 さしけ → 刺毛
  • 刺毛 しもう (1) 植物の表皮にある毛の一種。毒液を含み、先端はもろく、動物などが触れれば刺さって折れ、毒液を注入する。イラクサにある棘(とげ)はその例。棘毛。�o毛(きんもう)。螫毛(せきもう)。(2) 昆虫などにある毒腺につらなった毛。
  • 懐剣 かいけん 懐中に携える護身用の短刀。ふところがたな。
  • 小剣
  • 螫 けん
  • イラクサ 刺草・蕁麻。イラクサ科の多年草。山野の陰地に自生。高さ数十センチメートル。葉は先端がとがり、粗鋸歯がある。茎は四角で叢生。茎や葉の細かいとげに蟻酸を含み、触れれば痛みが残る。雌雄同株。秋、葉腋に淡緑色の小花を穂状につける。茎の繊維を糸や織物の原料とし、若芽は食用、美味。いたいたぐさ。いらぐさ。
  • ヴアネスサ・イオ チョウ。
  • ヴエノマス
  • ポイゾナス
  • 行列虫 ぎょうれつちゅう
  • ぶつと
  • 予覚 よかく 予感に同じ。
  • 嫩枝 わかえだ/すわえ 楚・�・杪 (古く「すはゑ」とも表記) (1) 木の枝や幹から細く長くのびた若い小枝。しもと。(2) 刑罰の具。杖(じょう)やむちの類。笞(しもと)。
  • 馳ける 駆(か)ける、か。
  • 円天井・丸天井 まるてんじょう (1) 半円球をなす天井。ドーム。(2) 比喩的に、大空。青空。
  • 時候外れ じこう はずれ 時候にあわないこと。時候に先だちまたは遅れた状態にあること。旬(しゅん)外れ。
  • 尖 さき? とがり?
  • 生憎 なまいき? 生意気か。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。



*後記(工作員スリーパーズ日記)


『ず・ぼん』17号(ポット出版、2011.12)、読了。
『季刊東北学』最新30号にて休刊。後記を見ると、前々からの予定済みだったらしい。またひとつ、楽しみが減ってしまった。
 
 25日(土)。大雪、山形へ。市立図、市民講座「シルクロード見聞記・紅花のふるさとを訪ねて」日原もとこちゃん。聴衆は40名ぐらい。ほぼ60、70代。半分がおばちゃんたち。前半、ビデオを見る。パキスタン、カラコルム、フンザ、杏、長谷川メモリアルスクール、ヒツジ、ヤクか、西洋アカネ、フンザ川、キルギット、アリザニン、マスファル、サフラン、ムスリム・グリーン、シーア・ブラック、ジプシーのパンジャーラ、染め洗いの河水、端縫い・ボロ刺し、中国の書『古今注』「紅藍花」が紅花の初出か、燕地山、冒頓単于、張騫が持ち帰る、匈奴・フンヌ、ほおに丸紅、人形、仮面、婚礼正装、ヨンジ・コンジ、シベリア・蝦夷ルートでの紅花伝来説を提唱。
 
 じつにおもしろい。「紅花がなぜ日本でもてはやされ、山形に根付いたのか」「なぜ、原産地のシルクロードに紅花染めがなくなったのか」……単純で素朴な疑問からはじまった謎解き紀行に仕立てている。
 直接ふれていなかったが、タイトルに「シルクロード」をつけたのはたまたまではなく、「紅」だから「シルク=白」という対句なのだろう。綿羊やヤクの毛ではたぶん鮮血のようなレッドは染め出せない。おそらく明度の高い赤を染め出すには、シルクの白地が必須。養蚕=秦。紅花と養蚕が出会ってようやく染めの条件がそろうと考えていいんじゃないだろうか。
 現地で嗜好色の調査をおこなっていた。おもしろい試みではあるし結果からいろいろ類推できるだろうけれども、アブダクションを拡げることが容易なだけに、そこから何かを抽出するのはむずかしくもありそう。自身が指摘していたようにカラーと宗教・政党政治の関連づけ。色の嗜好をたずねることは、思想主義や支持政党をたずねる行為にひとしい。
 
 婚礼のようなハレの日の色、ここぞという時の勝負色、国旗の中心をかざる色、源平紅白・敵味方を見極める戦闘色……常ならぬ色。身近な人がなくなったり、大きな災害のあとも積極的に「赤」を選んで着にくいもの。嗜好=常用とはかならずしも直結しない。
 わたしの名は紅。




*次週予告


第四巻 第三二号 
科学の不思議(五)アンリ・ファーブル


第四巻 第三二号は、
二〇一二年三月三日(土)発行予定です。
定価:200円


T-Time マガジン 週刊ミルクティー 第四巻 第三一号
科学の不思議(四)アンリ・ファーブル
発行:二〇一二年二月二五日(土)
編集:しだひろし/PoorBook G3'99
 http://www33.atwiki.jp/asterisk99/
出版:*99 出版
 〒994-0024 山形県天童市鎌田2丁目1−21
 アパートメント山口A−202
販売:DL-MARKET
※ T-Timeは(株)ボイジャーの商標・製品です。



  • T-Time マガジン 週刊ミルクティー *99 出版
  • バックナンバー
  • 第一巻
  • 創刊号 竹取物語 和田万吉
  • 第二号 竹取物語小論 島津久基(210円)
  • 第三号 竹取物語の再検討(一)橘 純一(210円)
  • 第四号 竹取物語の再検討(二)橘 純一(210円)
  •  「絵合」『源氏物語』より 紫式部・与謝野晶子(訳)
  • 第五号 『国文学の新考察』より 島津久基(210円)
  •  昔物語と歌物語 / 古代・中世の「作り物語」/
  •  平安朝文学の弾力 / 散逸物語三つ
  • 第六号 特集 コロボックル考 石器時代総論要領 / コロボックル北海道に住みしなるべし 坪井正五郎 マナイタのばけた話 小熊秀雄 親しく見聞したアイヌの生活 / 風に乗って来るコロポックル 宮本百合子
  • 第七号 コロボックル風俗考(一〜三)坪井正五郎(210円)
  •  シペ物語 / カナメの跡 工藤梅次郎
  • 第八号 コロボックル風俗考(四〜六)坪井正五郎(210円)
  • 第九号 コロボックル風俗考(七〜十)坪井正五郎(210円)
  • 第十号 特集 コロボックル考 喜田貞吉
  •  日本太古の民族について / 日本民族概論 / 土蜘蛛種族論につきて
  • 第十一号 特集 コロボックル考 喜田貞吉
  •  東北民族研究序論 / 猪名部と佐伯部 / 吉野の国巣と国樔部
  • 第十二号 日高見国の研究 喜田貞吉
  • 第十三号 夷俘・俘囚の考 喜田貞吉
  • 第十四号 東人考     喜田貞吉
  • 第十五号 奥州における御館藤原氏 喜田貞吉
  • 第十六号 考古学と古代史 喜田貞吉
  • 第十七号 特集 考古学 喜田貞吉
  •  遺物・遺蹟と歴史研究 / 日本における史前時代の歴史研究について / 奥羽北部の石器時代文化における古代シナ文化の影響について
  • 第十八号 特集 考古学 喜田貞吉
  •  日本石器時代の終末期について /「あばた」も「えくぼ」、「えくぼ」も「あばた」――日本石器時代終末期―
  • 第十九号 特集 考古学 喜田貞吉
  •  本邦における一種の古代文明 ――銅鐸に関する管見―― /
  •  銅鐸民族研究の一断片
  • 第二〇号 特集 考古学 喜田貞吉
  •  「鐵」の字の古体と古代の文化 / 石上神宮の神宝七枝刀 /
  •  八坂瓊之曲玉考
  • 第二一号 博物館(一)浜田青陵
  • 第二二号 博物館(二)浜田青陵
  • 第二三号 博物館(三)浜田青陵
  • 第二四号 博物館(四)浜田青陵
  • 第二五号 博物館(五)浜田青陵
  • 第二六号 墨子(一)幸田露伴
  • 第二七号 墨子(二)幸田露伴
  • 第二八号 墨子(三)幸田露伴
  • 第二九号 道教について(一)幸田露伴
  • 第三〇号 道教について(二)幸田露伴
  • 第三一号 道教について(三)幸田露伴
  • 第三二号 光をかかぐる人々(一)徳永 直
  • 第三三号 光をかかぐる人々(二)徳永 直
  • 第三四号 東洋人の発明 桑原隲蔵
  • 第三五号 堤中納言物語(一)池田亀鑑(訳)
  • 第三六号 堤中納言物語(二)池田亀鑑(訳)
  • 第三七号 堤中納言物語(三)池田亀鑑(訳)
  • 第三八号 歌の話(一)折口信夫
  • 第三九号 歌の話(二)折口信夫
  • 第四〇号 歌の話(三)・花の話 折口信夫
  • 第四一号 枕詞と序詞(一)福井久蔵
  • 第四二号 枕詞と序詞(二)福井久蔵
  • 第四三号 本朝変態葬礼史 / 死体と民俗 中山太郎
  • 第四四号 特集 おっぱい接吻  
  •  乳房の室 / 女の情欲を笑う 小熊秀雄
  •  女体 芥川龍之介
  •  接吻 / 接吻の後 北原白秋
  •  接吻 斎藤茂吉
  • 第四五号 幕末志士の歌 森 繁夫
  • 第四六号 特集 フィクション・サムライ 愛国歌小観 / 愛国百人一首に関連して / 愛国百人一首評釈 斎藤茂吉
  • 第四七号 「侍」字訓義考 / 多賀祢考 安藤正次
  • 第四八号 幣束から旗さし物へ / ゴロツキの話 折口信夫
  • 第四九号 平将門 幸田露伴
  • 第五〇号 光をかかぐる人々(三)徳永 直
  • 第五一号 光をかかぐる人々(四)徳永 直
  • 第五二号 「印刷文化」について 徳永 直
  •  書籍の風俗 恩地孝四郎
  • 第二巻
  • 第一号 奇巌城(一)モーリス・ルブラン
  • 第二号 奇巌城(二)モーリス・ルブラン
  • 第三号 美し姫と怪獣 / 長ぐつをはいた猫 楠山正雄(訳)
  • 第四号 毒と迷信 / 若水の話 / 麻薬・自殺・宗教 小酒井不木 / 折口信夫 / 坂口安吾
  • 第五号 空襲警報 / 水の女 / 支流 海野十三 / 折口信夫 / 斎藤茂吉
  • 第六号 新羅人の武士的精神について 池内 宏
  • 第七号 新羅の花郎について 池内 宏
  • 第八号 震災日誌 / 震災後記 喜田貞吉
  • 第九号 セロ弾きのゴーシュ / なめとこ山の熊 宮沢賢治
  • 第一〇号 風の又三郎 宮沢賢治
  • 第一一号 能久親王事跡(一)森 林太郎
  • 第一二号 能久親王事跡(二)森 林太郎
  • 第一三号 能久親王事跡(三)森 林太郎
  • 第一四号 能久親王事跡(四)森 林太郎
  • 第一五号 【欠】
  • 第一六号 【欠】
  • 第一七号 赤毛連盟       コナン・ドイル
  • 第一八号 ボヘミアの醜聞    コナン・ドイル
  • 第一九号 グロリア・スコット号 コナン・ドイル
  • 第二〇号 暗号舞踏人の謎    コナン・ドイル
  • 第二一号 蝦夷とコロボックルとの異同を論ず 喜田貞吉
  • 第二二号 コロポックル説の誤謬を論ず 上・下 河野常吉
  • 第二三号 慶長年間の朝日連峰通路について 佐藤栄太
  • 第二四号 まれびとの歴史 /「とこよ」と「まれびと」と 折口信夫
  • 第二五号 払田柵跡について二、三の考察 / 山形県本楯発見の柵跡について 喜田貞吉
  • 第二六号 日本天変地異記 田中貢太郎
  • 第二七号 種山ヶ原 / イギリス海岸 宮沢賢治
  • 第二八号 翁の発生 / 鬼の話 折口信夫
  • 第二九号 生物の歴史(一)石川千代松
  • 第三〇号 生物の歴史(二)石川千代松
  • 第三一号 生物の歴史(三)石川千代松
  • 第三二号 生物の歴史(四)石川千代松
  • 第三三号 特集 ひなまつり
  •  雛 芥川龍之介 / 雛がたり 泉鏡花 / ひなまつりの話 折口信夫
  • 第三四号 特集 ひなまつり
  •  人形の話 / 偶人信仰の民俗化並びに伝説化せる道 折口信夫
  • 第三五号 右大臣実朝(一)太宰 治
  • 第三六号 右大臣実朝(二)太宰 治
  • 第三七号 右大臣実朝(三)太宰 治
  • 第三八号 清河八郎(一)大川周明
  • 第三九号 清河八郎(二)大川周明
  • 第四〇号 清河八郎(三)大川周明
  • 第四一号 清河八郎(四)大川周明
  • 第四二号 清河八郎(五)大川周明
  • 第四三号 清河八郎(六)大川周明
  • 第四四号 道鏡皇胤論について 喜田貞吉
  • 第四五号 火葬と大蔵 / 人身御供と人柱 喜田貞吉
  • 第四六号 手長と足長 / くぐつ名義考 喜田貞吉
  • 第四七号 「日本民族」とは何ぞや / 本州における蝦夷の末路 喜田貞吉
  • 第四八号 若草物語(一)L.M. オルコット
  • 第四九号 若草物語(二)L.M. オルコット
  • 第五〇号 若草物語(三)L.M. オルコット
  • 第五一号 若草物語(四)L.M. オルコット
  • 第五二号 若草物語(五)L.M. オルコット
  • 第五三号 二人の女歌人 / 東北の家 片山広子
  • 第三巻
  • 第一号 星と空の話(一)山本一清
  • 第二号 星と空の話(二)山本一清
  • 第三号 星と空の話(三)山本一清
  • 第四号 獅子舞雑考 / 穀神としての牛に関する民俗 中山太郎
  • 第五号 鹿踊りのはじまり 宮沢賢治 / 奥羽地方のシシ踊りと鹿供養 喜田貞吉
  • 第六号 魏志倭人伝 / 後漢書倭伝 / 宋書倭国伝 / 隋書倭国伝
  • 第七号 卑弥呼考(一)内藤湖南
  • 第八号 卑弥呼考(二)内藤湖南
  • 第九号 卑弥呼考(三)内藤湖南
  • 第一〇号 最古日本の女性生活の根底 / 稲むらの陰にて 折口信夫
  • 第一一号 瀬戸内海の潮と潮流(他三編)寺田寅彦
  •  瀬戸内海の潮と潮流 / コーヒー哲学序説 /
  •  神話と地球物理学 / ウジの効用
  • 第一二号 日本人の自然観 / 天文と俳句 寺田寅彦
  • 第一三号 倭女王卑弥呼考(一)白鳥庫吉
  • 第一四号 倭女王卑弥呼考(二)白鳥庫吉
  • 第一五号 倭奴国および邪馬台国に関する誤解 他 喜田貞吉
  •  倭奴国と倭面土国および倭国とについて稲葉君の反問に答う /
  •  倭奴国および邪馬台国に関する誤解
  • 第一六号 初雪 モーパッサン 秋田 滋(訳)
  • 第一七号 高山の雪 小島烏水
  • 第一八号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(一)徳永 直
  • 第一九号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(二)徳永 直
  • 第二〇号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(三)徳永 直
  • 第二一号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(四)徳永 直
  • 第二二号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(五)徳永 直
  • 第二三号 銀河鉄道の夜(一)宮沢賢治
  • 第二四号 銀河鉄道の夜(二)宮沢賢治
  • 第二五号 ドングリと山猫 / 雪渡り 宮沢賢治
  • 第二六号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(六)徳永 直
  • 第二七号 特集 黒川能・春日若宮御祭 折口信夫
  •  黒川能・観点の置き所 / 村で見た黒川能
  •  能舞台の解説 / 春日若宮御祭の研究
  • 第二八号 面とペルソナ/人物埴輪の眼 他 和辻哲郎
  •  面とペルソナ / 文楽座の人形芝居
  •  能面の様式 / 人物埴輪の眼
  • 第二九号 火山の話 今村明恒
  • 第三〇号 現代語訳『古事記』(一)前巻(前編)武田祐吉(訳)
  • 第三一号 現代語訳『古事記』(二)前巻(後編)武田祐吉(訳)
  • 第三二号 現代語訳『古事記』(三)中巻(前編)武田祐吉(訳)
  • 第三三号 現代語訳『古事記』(四)中巻(後編)武田祐吉(訳)
  • 第三四号 山椒大夫 森 鴎外
  • 第三五号 地震の話(一)今村明恒
  • 第三六号 地震の話(二)今村明恒
  • 第三七号 津波と人間 / 天災と国防 / 災難雑考 寺田寅彦
  • 第三八号 春雪の出羽路の三日 喜田貞吉
  • 第三九号 キュリー夫人 / はるかな道(他)宮本百合子
  • 第四〇号 大正十二年九月一日…… / 私の覚え書 宮本百合子
  • 第四一号 グスコーブドリの伝記 宮沢賢治
  • 第四二号 ラジウムの雁 / シグナルとシグナレス(他)宮沢賢治
  • 第四三号 智恵子抄(一)高村光太郎
  • 第四四号 智恵子抄(二)高村光太郎
  • 第四五号 ヴェスヴィオ山 / 日本大地震(他)斎藤茂吉
  • 第四六号 上代肉食考 / 青屋考 喜田貞吉
  • 第四七号 地震雑感 / 静岡地震被害見学記(他)寺田寅彦
  • 第四八号 自然現象の予報 / 火山の名について 寺田寅彦
  • 第四九号 地震の国(一)今村明恒
  • 第五〇号 地震の国(二)今村明恒
  • 第五一号 現代語訳『古事記』(五)下巻(前編)武田祐吉(訳)
  • 第五二号 現代語訳『古事記』(六)下巻(後編)武田祐吉(訳)
  • 第四巻
  • 第一号 日本昔話集 沖縄編(一)伊波普猷・前川千帆(絵)
  • 第二号 日本昔話集 沖縄編(二)伊波普猷
  • 第三号 アインシュタイン(一)寺田寅彦
  •  物質とエネルギー / 科学上における権威の価値と弊害 /
  •  アインシュタインの教育観
  • 第四号 アインシュタイン(二)寺田寅彦
  •  アインシュタイン / 相対性原理側面観
  • 第五号 作家のみた科学者の文学的活動 / 科学の常識のため 宮本百合子
  • 第六号 地震の国(三)今村明恒
  • 第七号 地震の国(四)今村明恒
  • 第八号 地震の国(五)今村明恒
  • 第九号 地震の国(六)今村明恒
  • 第一〇号 土神と狐 / フランドン農学校の豚 宮沢賢治
  • 第一一号 地震学の角度から見た城輪柵趾 今村明恒
  • 第一二号 庄内と日高見(一)喜田貞吉
  • 第一三号 庄内と日高見(二)喜田貞吉
  • 第一四号 庄内と日高見(三)喜田貞吉
  • 第一五号 私は海をだきしめてゐたい / 安吾巷談・ストリップ罵倒 坂口安吾
  • 第一六号 三筋町界隈 / 孫 斎藤茂吉
  • 第一七号 原子力の管理(他)仁科芳雄
  •  原子力の管理 / 日本再建と科学 / 国民の人格向上と科学技術 /
  •  ユネスコと科学
  • 第一八号 J・J・トムソン伝(他)長岡半太郎
  •  J・J・トムソン伝 / アインシュタイン博士のこと 
  • 第一九号 原子核探求の思い出(他)長岡半太郎
  •  総合研究の必要 / 基礎研究とその応用 / 原子核探求の思い出
  • 第二〇号 蒲生氏郷(一)幸田露伴
  • 第二一号 蒲生氏郷(二)幸田露伴
  • 第二二号 蒲生氏郷(三)幸田露伴
  • 第二三号 科学の不思議(一)アンリ・ファーブル
  • 大杉栄、伊藤野枝(訳)
  •  訳者から
  •  一 六人
  •  二 おとぎ話と本当のお話
  •  三 アリの都会
  •  四 牝牛(めうし)
  •  五 牛小舎
  •  六 利口な坊さん
  •  七 無数の家族
  •  学問というものは、学者といういかめしい人たちの研究室というところにばかり閉じこめておかれるはずのものではありません。だれもかれも知らなければならないのです。今までの世間の習慣は、学問というものをあんまり崇(あが)めすぎて、一般の人たちから遠ざけてしまいすぎました。何の研究でも、その道の学者だけが知っていれば、ほかの者は知らなくてもいいようなふうにきめられていました。いや、知らなくてもいい、ではなくて、知る資格がないようにきめられていました。けれども、この習慣はまちがっています。非常にこみ入ったむずかしい研究は別として、だれでもひととおりの学問は知っていなければなりません、子どもでも大人でも。
  •  子どものためのおとぎ話の本は、たくさんすぎるほどあります。けれども、おとぎ話よりは「本当の話が聞きたい」という、ジュールのような子どものためのおもしろい本を書いてくれる学者は日本にはあまりないのか、いっこうに見あたりません。 (伊藤野枝「訳者から」より)
  • 第二四号 科学の不思議(二)アンリ・ファーブル
  • 大杉栄、伊藤野枝(訳)
  •  八 古い梨の木
  •  九 樹木の齢(とし)
  •  一〇 動物の寿命
  •  一一 湯わかし
  •  一二 金属
  •  一三 被金(きせがね)
  •  一四 金と鉄
  •  一五 毛皮
  •  一六 亜麻と麻
  •  一七 綿
  •  一八 紙
  • 「亜麻(あま)は小さな青い花が咲く細い植物で、毎年まいたり、刈ったりする。これは北フランスや、ベルギーや、オランダにたくさん栽培されている。そしてこれは、人間が一番はじめに織り物をつくるのに使った植物だ。四〇〇〇年以上もたった大昔のエジプトのミイラは、リンネルの帯でまいてある。(略)
  • 「麻は何百年もヨーロッパじゅうで栽培された。麻は一年生の、じょうぶな、いやな香(にお)いのする、緑色の陰気な小さな花を開く。そして茎は溝が深くて六尺くらいにのびる。麻は、亜麻と同じように、その皮と、麻の実という種子を取るために栽培せられるんだ。(略)
  • 「麻や亜麻が成熟すると、刈られて種子は扱(こ)きわけられてしまう。それから、それを湿して、皮の繊維を取る仕事がはじまる。すなわち、その繊維がわけもなく木から離れるようにする仕事だ。実際この繊維は、茎にくっついていて、非常に抵抗力の強い、弾力の強い物で、くさってしまうまで離れないようになっている。時によると、この麻の皮を一、二週間も野原にひろげて、なんべんもなんべんもひっくり返して、皮が自然と木質の部分、すなわち、茎から離れるまでつづける。
  • 「だが、一番早い方法は、亜麻や麻を束にしてしばって、池の中にしずめておくことだ。すると、まもなく腐っていやなにおいを出し、皮は朽ちて、強い弾力を持った繊維がやわらかくなる。
  • 「それから麻束を乾かして、ブレーキという道具の歯の間でそれを押しつぶして、皮と繊維とを離してしまう。しまいに、その繊維のくずを取って、それを美しい糸にするために、刷梳(こきくし)という大きな櫛のような鋼鉄の歯のあいだを通す。そしてこの繊維は手なり機械なりでつむがれて、そうしてできた糸を機(はた)にかけるのだ。
  • 第二五号 ラザフォード卿を憶う(他)長岡半太郎
  • ラザフォード卿を憶う
  •  順風に帆をはらむ
  •  放射性の探究へ
  •  新しき関門をひらく
  •  核原子
  •  原子転換に成功
  •  学界の重鎮
  •  卿の風貌の印象
  •  ラザフォード卿からの書簡
  • ノーベル小伝とノーベル賞
  • 湯川博士の受賞を祝す
  •  〔ノーベル〕物理学賞と化学賞とを受けた研究者の中で、原子関係の攻究に従事した学者がもっとも多い。したがってこれらの人々の多くは、原子爆弾の発案構造などを協議して終(つい)にこれを実現するに至った。その過程を調べれば、発明の功績は多分にこれらの諸賢に帰せねばならぬ。さらに目下懸案中の原子動力機の発展も、ひとしくこれらの人々の協力を藉(か)らざれば、実用の領域に進まぬであろう。一朝、平和工業にこれを活用するに至らば、いかに世界の状況を変化するであろうか、一言(ひとこと)にしてつくすべからざるものがある。(略)加速度的に進歩する科学界において、原子動力機の端緒をとらえるを得ば、その工業的に発展するは論をまたず、山岳を平坦にし、河流をつごうよく変更し、さらに天然の形勢を利用せず、人為的に港湾河川を築造するに至らば、世界は別天地を出現するであろう。かくして国際的の呑噬(どんぜい)行動を絶滅し、互いに相融和するに至らば、ユートピアならざるもこれに近き安楽国を出現するは疑いをいれず、巨大なる威力を獲得して、これを恐れるよりもむしろこれを善用するが得策である。今日の科学研究は、もっぱらこの針路をたどりつつある。現今、危機一髪の恐怖に迷わされて神経をとがらしているから、世界平和を信ずるもの少ないが、一足飛びにここに至らざるも、波乱は幾回か曲折をへて、ついにここに収まるであろう。けだしこの証左を得るには、少なくも半世紀を要するは必然である。
  • 第二六号 追遠記 / わたしの子ども時分 伊波普猷
  •  物心がついた時分、わたしの頭に最初に打ち込まれた深い印象は、わたしの祖父(おじい)さんのことだ。わたしの祖父さんは十七のとき家の系図を見て、自分の祖先に出世した人が一人もいないのを悲しみ、奮発してシナ貿易を始め、六、七回も福州に渡った人だ。わたしが四つの時には祖父さんはまだ六十にしかならなかったが、髪の毛もひげも真っ白くなって、七、八十ぐらいの老人のようであった。(略)
  •  わたしは生まれてから何不足なしに育てられたが、どうしたのか、泣くくせがついて家の人を困らせたとのことだ。
  •  いつぞやわたしが泣き出すと、乳母がわたしを抱き、祖母さんは団扇でわたしをあおぎ、お父さんは太鼓をたたき、お母さんは人形を持ち、家中の者が行列をなして、親見世(今の那覇警察署)の前から大仮屋(もとの県庁)の前を通って町を一周したのを覚えている。もう一つ、家の人を困らせたことがある。それは、わたしが容易に飯を食べなかったことだ。他の家では子どもが何でも食べたがって困るが、わたしの家では子どもが何も食べないで困った。そこで、わたしに飯を食べさせるのは家中の大仕事であった。あるとき祖父さんはおもしろいことを考え出した。向かいの屋敷の貧しい家の子どもで、わたしより一つ年上のワンパク者を連れてきて、わたしといっしょに食事をさせたが、わたしはこれと競争していつもよりたくさん食べた。その後、祖父さんはしばしばこういう晩餐会を開くようになった。
  •  それから祖父さんは、わたしと例の子どもとに竹馬をつくってくれて、十二畳の広間で競馬のまねをさせて非常に興に入ることもあった。そのときには祖父さんはまったく子どもとなって子どもとともに遊ぶのであった。 (「わたしの子ども時分」より)
  • 第二七号 ユタの歴史的研究 伊波普猷
  • (略)おおよそ古代において国家団結の要素としては権力・腕力のほかに重大な勢力を有するのは血液と信仰であります。すなわち、古代の国家なるものはみな祖先を同じうせる者の相集まって組織せる家族団体であって、同時にまた、神を同じうせる者の相集まって組織せる宗教団体であります。いったい、物には進化してはじめて分化があります。そこで今日においてこそ、政治的団体、宗教的団体などおのおの相分かれて互いに別種の形式内容を保っているものの、これら各種の団体は、古代にさかのぼるとしだいに相寄り相重なり、ついにまったくその範囲を同じうして、政治的団体たる国家は同時に家族的団体たり、宗教的団体たりしもので、古来の国家がはじめて歴史にあらわれた時代にはみなそうであったのであります(略)。わたしは沖縄の歴史においても、かくのごとき事実のあることを発見するのであります。
  • (略)さて、政治の方面において国王が国民最高の機官であるごとく、宗教の方面においては聞得大君が国民最高の神官でありました。(略)それは伊勢神宮に奉仕した斎女王のようなもので、昔は未婚の王女(沖縄では昔は、王女は降嫁しなかった)がこれに任ぜられたのであります。(略)聞得大君の下には、前に申し上げた三殿内(三神社)の神官なる大アムシラレがあります。これには首里の身分のよい家の女子が任ぜられるのであります。もちろん昔は、未婚の女子が任ぜられたのであります。さてこの「あむ」という語は母ということで、「しられ」という語は治めるまたは支配するということであるから、大アムシラレには政治的の意味のあることがよくわかります。そして大アムシラレの下には三〇〇人以上のノロクモイという田舎の神官がありまして、これには地方の豪族の女子(もちろん昔は未婚の女子)が任ぜられたのであります(ノロクモイの中で格式のよいのは、大アムととなえられています)。(略)そしてこれらのノロクモイの任免の時分には、銘々の監督たる大アムシラレの所に行って辞令を受けるのであります(これらの神官はいずれも世襲であります)。
  • 第二八号 科学の不思議(三) アンリ・ファーブル
  • 大杉栄、伊藤野枝(訳)
  •  一九 本
  •  二〇 印刷
  •  二一 チョウ
  •  二二 大食家(たいしょくか)
  •  二三 絹(きぬ)
  •  二四 変態(へんたい)
  •  二五 クモ
  •  二六 ジョロウグモの橋
  •  二七 蛛網(くものす)
  •  
  • 「その絹糸は、唇の下から出てくる。その孔を糸嚢(しのう)という。虫の体の中には絹の材料がうんと入っているのだ。それはゴムに似たネバネバする液体だ。唇が開いて出てくるその液体をひきのばしたものが糸になるが、それは糸になるまでは膠(にかわ)のような粘着物だが、すぐに固まってしまう。絹の材料は虫の食べる桑の葉の中には、まったく含まれてはいない。(略)虫の助けがなかったならば、人間は決して桑の葉から高価な織り物の材料を引き出すことはできなかったのだ。(略)
  • 「二週間のあいだに、もしも適当な温度であればカイコの蛹(さなぎ)は熟した果物のように割れる。そして、その小さな部屋を破り開いてそこからチョウがぬけ出す。すべてがクシャクシャで湿って、そのふるえる足でやっと立つことができるくらいだ。(略)
  • 「そのマユは歯でやぶって出るのじゃないんですか?」とエミルがたずねました。
  • 「だが、ぼうや、それがないんだよ。それに似たものもないんだ。ただ、とがった鼻を持っているだけだ。いいかげんな骨折りは役に立たない。
  • 「じゃあ、ツメでですか?」とジュールがいい出しました。
  • 「そうだ、もしそれを持っていればじゅうぶん役に立つ。だが厄介なことには、それもないのだ。
  • 「だって、チョウは外に出ることができなければならないのです」とジュールががんばりました。
  • 「まちがいなく外へ出る。すべての生物がそうとはゆかないが、生命の困難な瞬間の手段はみんな持っている。ニワトリのヒナが閉じこめられていた卵を破るのに、その小さなヒナのくちばしの端がその目的のために、ほんのすこしその先が固くなっている。だが、チョウはそのマユを破るのに何も持たないだろうか? 持っている! だが、お前たちには、とても簡単な道具だが、何を使うか察しはつくまい。それはね、眼を使うのだよ。
  • 第二九号 南島の黥 / 琉球女人の被服 伊波普猷
  •  南島の黥もやはり宗教的意義を有していたようである。琉球の漢詩人喜舎場朝賢翁の『続東汀随筆』にこういうことが見えている。
  •  女子すでに人に嫁すれば、すなわち左右の手指表面に墨黥す。これを波津幾(はづき)という。鍼衝(はりつき)の中略なり。婦女もっとも愛好す。もし久しく白指なる者は、※(ちくり)これを笑う。ゆえに、二十一、二をすぎて墨黥せざる者なし。『隋書』「流求伝」に、婦人手に墨黥して梅花の形をなすと。上古の遺風なり。すでに黥して数年を経れば、墨色淡薄になる。ふたたび黥して新鮮ならしむ。すでに黥して五、六回におよぶときは終身淡薄になる憂いなし。置県の今日にいたり、人身墨黥するを許さざる法律を発せらる。もしこれを犯しおよびこれを業となす者あらば、捕えられて処刑せらるるにつき、ついにその悪弊を止めたり。
  •  はじめて黥するときは、閑静な別荘などを借り、親戚縁者を招待してごちそうしながらおこなったものであるが、このとき十二、三歳ぐらいの少女たちは、図のごとき黥をしてもらい、黥の色のあせた人たちもその上に黥をしてもらうのであった。歌などを謡っていたところから見ると、古くはオモロなどを謡って、宗教的儀式をおこなっていたことが推測される。すでに嫁した者が黥をしないうちに死ぬことがあったら、そのままであの世に行くと、葦のイモを掘らせられるというので、手の甲にその紋様を描いてやって、野辺送りをすることになっていた。ついでにいうが、葦のイモを掘ることは、あの世での最も苦しい労働だと信じられている。 (「南島の黥」より)
  • 第三〇号 『古事記』解説 / 上代人の民族信仰 武田祐吉・宇野円空
  • (略)神聖な動物としては、記録に現われるところではヘビがもっとも多くその大部分を占め、そのほかにはオオカミも少くはないが、トラ・ワニ・ウサギなどは特殊の例と見ることができる。植物としては単に大木としたのがことに多く、槻・杉・楠・椋などもあり、またツバキ・発枳などの特例もあげることができるが、ただしこれらも特に、その大木であるばあいが多い。これをもって見るに、その崇拝の対象となるものが、有用、殊に経済的生活に必要なものからむしろよほどかけ離れておるということができる。動物においてもクマやイノシシ・シカの類をさしおいて、特にヘビとオオカミとが諸所に散見することは、上代人の神秘観が単に食用、または有用ということにもとづいているのでないことを明らかにするものである。これは、一面には上代日本人がすでに狩猟時代のものでなく、肉としてのイノシシ・シカなどに宗教的力を認める以上に、農耕時代の民族として、殊にその開墾または耕作に密接な関係のあるヘビやオオカミの類を、より多くいっそう神秘的な存在と考えたからでもあろう。すなわち『常陸風土記』によると、麻多智という人が開墾に従事中、夜刀神(やとのかみ)すなわちヘビが群がり来たって耕作を妨げた。そこで麻多智は大いに怒り、みずから武装してこれらのヘビを打ち殺し、また駆逐し、山口のところに至って杭を打ち、堺を掘り、夜刀神に告げてこれより以上を神地とし、以下を人間の田地とする。今後、神祝となって永久に奉斎するから、祟ることなく恨むことなかれといった、とある。 (宇野円空「上代人の民族信仰」より)

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