アンリ・ファーブル Jean Henri Fabre
1823-1915(1823.12.21-1915.10.11)
フランスの昆虫学者。昆虫、特に蜂の生態観察で有名。進化論には反対であったが、広く自然研究の方法を教示した功績は大きい。主著「昆虫記」


大杉栄 おおすぎ さかえ
1885-1923(明治18.1.17-大正12.9.16)
無政府主義者。香川県生れ。東京外語卒業後、社会主義運動に参加、幾度か投獄。関東大震災の際、憲兵大尉甘粕正彦により妻伊藤野枝らと共に殺害。クロポトキンの翻訳・紹介、「自叙伝」などがある。


伊藤野枝 いとう のえ
1895-1923(明治28.1.21-大正12.9.16)
女性解放運動家。福岡県生れ。上野女学校卒。青鞜(せいとう)社・赤瀾会に参加。無政府主義者で、関東大震災直後に夫大杉栄らとともに憲兵大尉甘粕正彦により虐殺された。



◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。写真は、Wikipedia 「ファイル-Jean-henri fabre.jpg」 「ファイル-Sakae.jpg」 「ファイル-Ito Noe.png」より。


もくじ 
科学の不思議(三)アンリ・ファーブル


ミルクティー*現代表記版
科学の不思議(三)
  一九 本
  二〇 印刷
  二一 チョウ
  二二 大食家(たいしょくか)
  二三 絹(きぬ)
  二四 変態(へんたい)
  二五 クモ
  二六 ジョロウグモの橋
  二七 蛛網(くものす)

オリジナル版
科学の不思議(三)

地名年表人物一覧書籍
難字、求めよ
後記次週予告

※ 製作環境
 ・Macintosh iBook、Mac OS 9.2.2、T-Time 2.3.1
※ 週刊ミルクティー*は、JIS X 0213 文字を使用しています。
※ この作品は青空文庫にて公開中です。転載・印刷・翻訳は自由です。
(c) Copyright this work is public domain.

*凡例
  • 〈 〉( ):割り注、もしくは小書き。
  • 〔 〕:編者もしくは、しだによる注。
  • 一、漢字、かなづかい、漢字の送りは現代表記に改めました。
  •    例、云う → いう / 言う
  •      処  → ところ / 所
  •      有つ → 持つ
  •      這入る → 入る
  •      円く → 丸く
  • 一、同音異句のごく一部のひらがなに限り、便宜、漢字に改めました。
  •    例、いって → 行って / 言って
  •      きいた → 聞いた / 効いた
  • 一、若干の句読点のみ改めました。適宜、ルビや中黒や感嘆・疑問符をおぎないました。一部、改行と行頭の字下げを改めました。
  • 一、漢数字の表記を一部、改めました。
  •    例、七百二戸 → 七〇二戸
  •    例、二萬六千十一 → 二万六〇一一
  • 一、和暦にはカッコ書きで西暦をおぎないました。年次のみのばあいは単純な置き換えにとどめ、月日のわかるばあいには陰暦・陽暦の補正をおこないました。
  • 一、ひらがなに傍点は、一部カタカナに改めました。
  • 一、カタカナ漢字混用文は、ひらがな漢字混用文に改めました。
  • 一、書名・雑誌名は『 』、論文名・記事名および会話文は「 」で示しました。
  • 一、差別的表現・好ましくない表現はそのままとしました。


底本:「定本 伊藤野枝全集 第四巻 翻訳」學藝書林
   2000(平成12)年12月15日初版発行
底本の親本:「科学の不思議」アルス
   1923(大正12)年8月1日
http://www.aozora.gr.jp/cards/001049/card4920.html

NDC 分類:K404(自然科学 / 論文集.評論集.講演集)
http://yozora.kazumi386.org/4/0/ndck404.html





登場するひと
・ポールおじさん フランス人。
・アムブロアジヌおばあさん ポールおじさんの家の奉公人。
・ジャックおじいさん アムブロアジヌおばあさんのつれあい。
・エミル いちばん年下。
・ジュール エミルの兄さん。
・クレール エミルのねえさん。いちばん年上。

科学の不思議(三)

STORY-BOOK OF SCIENCE
アンリ・ファーブル Jean-Henri Fabre
大杉おおすぎさかえ伊藤いとう野枝(訳)

   一九 本


「それで、紙は何でできるかわかりましたが、今度こんどは、どうして本をつくるのか、それを知りたいものですね。」とジュールがいいました。
「ぼくは一日じゅうでもお話を聞きます。お話ときたらぼく、コマも兵隊へいたいもみんなわすれてしまうんです。」と、エミルがあいづちを打ちました。
「本をつくるには二重にじゅうの仕事がいる。まず、考えて物を書く仕事、それから、それを印刷いんさつする仕事だ。何か考えて、それをそのまま書き取るということは、じつにほねれる仕事だ。のうを動かす仕事は、肉体にくたい労働ろうどうよりもよけい早く体力を消耗しょうもうする。というのは、われわれは自分のできるだけの力を、われわれのたましいである、この仕事にささげるからだ。これでお前たちは、お前たちの将来しょうらいを心配して、お前たちが自分で考えることのできるように、そしてお前たちをなさけない無知むちからすくうために、いろいろと考えたり書いたりしてくれる人々に、じゅうぶん感謝かんしゃしなければならないということがわかるだろう。
「心に思うままのことを書き取って本を作るには、いろんな困難こんなんに打ちたなければならないということは、よくわかりました。」とジュールが答えました。「というのは、半ページばかりの年賀状ねんがじょうを書こうとしても、ぼくはその第一句でもう、行きづまってしまうんですもの。書き出しの文句もんくは、なんてむずかしいものでしょうね。ぼくの頭はおもくなって、目はくらんで、まっすぐに物を見ることもできなくなります。ぼく、文法ぶんぽうをよくおぼえたら、もっとよく書けるようになりましょうか?」
「そうっちゃかわいそうだが、しかし、本当のことをおう。文法ぶんぽうは書くことを教えるものでない。文法は動詞どうし主格しゅかくにあわせたり、形容詞けいようし名詞めいしにあわせたりする方法を教える。この文法の法則ほうそくやぶることほど人を不快ふかいにさせるものはないのだから、たしかに文法は必要なものだ。しかし、文法は書くことを教えるものではない。世間せけんには、文法の法則だけをうんとおぼんでいて、それでお前のように、書き出しに行きづまる人がある。
言葉ことばというものは、頭の中の考えにせる着物きもののようなものだ。われわれがないものをることはできないように、われわれの心の中にないものは、話すことも書くこともできない。頭が命令めいれいしてペンが書くのだ。だから、考えることを勉強べんきょうするのが、書くことを勉強することになる。頭に考えができあがっていて、そして書きなれというものが文法以上に言葉の法則ほうそくを教えてくれたときには、立派りっぱなことがちゃんとよく書けるようになるのだ。頭がからっぽで、考えがないときに、何が書けるのだ! では、どうしてその考えを手に入れるかというに、それは勉強と読書どくしょと、われわれよりももっと教育きょういくのある人との話によってられるのだ。
「では、おじさんがこうして話してくださるいろんなことを聞いていると、ぼくは書く稽古けいこをしていることになるのですね。」とジュールがいいました。
「そうだとも。たとえば、二、三日前にかみもとについて二行ほど書いてくれとたのまれても、お前たちには何も書けなかったろう。それはどうしてか。文法ぶんぽうといっても、お前たちはまだほんのすこししかっちゃいないが、それを知らないからではなくって、紙がどうしてできるかという考えがなかったからだ。
「そのとおりです。ぼくは紙が何からできるのか、すこしも知りませんでした。いまは、ぼくは綿わたわたの木という草の丸莢まるさやに入っている毛房けふさだということを知りました。そしてこの毛房から糸をつくり、それから糸からぬのをつくるということを知り、布が使いふるされると、機械きかいでパルプにされて、このパルプがうすいたに引きのばされて、それが圧搾あっさくされてついに紙になるということも知りました。ぼくは、そういうことはよくわかったのですけれど、それでもまだそれを書くのはずいぶんほねれますね。
「いや、そんなことはない。お前はただ、今お前がわたしに言ったとおりをそのまま書けばいいのだ。
「では、みんなその話すとおりに書くんですか?」とジュールがいいました。
「そうだ。ただ書くときにはね、話したとおりをすこしなおすだけだ。話すのには、ひまがとれないけれど、書くのにはすこし時間がかかるからね。
「それじゃ、ぼく、すぐ五行ほど書いてみよう。」とジュールは言って、つぎのように読みあげました。綿わたは棉の木という草の丸莢まるさやに入っている毛房であります。人はこの毛房で糸をつくり、その糸でぬのをつくります。布が着られなくなりますと、機械きかいがそれを小さくいて、挽臼ひきうすでそれをひいてパルプにしてしまいます。このパルプはうすそうに引きばされて、圧搾あっさくしてからかわかします。それが紙になるのです。さあ、おじさん、これでようございますか?」
「お前のとしごろとしては大出来おおできだよ。」と、おじさんはほめてくれました。
「ですが、これではほんめませんね。
「どうしてできない? いつかはそれが本の中に入るようになるのだ。わたしたちの話は、お前のようにやはり物を知りたがるたくさんの余所よその子どもにも有益ゆうえきなのだから。できるだけそれを簡単かんたんなものにしてあつめて、おじさんはそれをほんにしようと思っているんだ。
「おじさんがぼくたちに話してくれるお話を、ひまなときに読めるごほんにするんですか? ああ、ぼく、うれしいなあ――おじさん、ぼく、おじさんが大好だいすきですよ。だけど、その本には、ぼくの何も知らない質問しつもんは書かないでくださるでしょうね?」
「それもすっかり書きこむんだ。お前はホンのすこししか知っていないが、ずいぶん熱心ねっしんに聞きたがる。それはいい性質せいしつで、ちっともじるにはおよばないことだ。
「でも、その本を読む子どもたちはきっと、ぼくのことをわらわないでしょうか?」
「だいじょうぶさ。
「それだと、ぼくはその人たちをみんな大好だいすきだって、書いてくださいね。
「ぼくは、みんながおじさんからいただいた綺麗きれいなコマや、立派りっぱなまり兵隊へいたいさんをもらえるように、と書いてくださいね。」とエミルがいいました。
「気をおつけよエミル、おじさんはお前の兵隊へいたいさんのことを本に書きこむかもしれないよ。」とにいさんがおどしました。
「書くとも。もうちゃんと書いてあるよ。」とおじさんはわらいました。

   二〇 印刷いんさつ


「本が書かれると、著者ちょしゃはその作物さくもつ、すなわち原稿げんこう印刷屋いんさつやに送る。印刷屋はそれを活字かつじにして、本を作りたいと思う数だけ複製ふくせいする。
「はしの方にアルファベットの文字をうきりにきざんだ、短かいきれいな金属きんぞくぼう想像そうぞうしてごらん。あるぼうのはしには「a」という文字があり、別なのには「b」、あるいは「c」という文字がある。また中には、何もってないのや、点や、コンマや、そのほかわれわれの言葉をしるした種々しゅしゅの文字や符号ふごうのすべてと同じだけのいろいろの活字かつじがある。そのうえどの文字もどの符号ふごうも、幾通いくとおりでも幾通いくとおりでも使うことができるようになっている。こういう活字は、みんな以前はさかさに字がきざんであったものだ。その理由はいまにわかる。
植字工しょくじこうという労働者ろうどうしゃは、自分の前にケースの台を持っている。そのケースの中にはアルファベットの文字や符号ふごうが、ひと区切くぎりひと区切くぎり入っている。「a」は「a」の区切くぎりの中に、「b」はそのつぎの区切くぎりに、「c」はそのまたつぎの区切くぎりにというぐあいになっている。しかしそれらの文字は、アルファベットじゅんはこがならんでいるのではない。仕事をッとり早くするために、一番たくさん使われる文字、たとえば「e」だとか「r」だとか「i」だとかといったふうの文字を、手近てぢか区切くぎりに入れておく。そして「x」だとか「y」だとかいうような、あまり使わない文字の区切くぎりはもっとはなれたところにおく。
植字工しょくじこうは自分の前に原稿げんこういて、左手には植字台ステッキという、ふちのあるてつのじょうぎを持っている。そして原稿げんこうを読みながら、長い習慣しゅうかんになれた右手は、指定していされた文字をさがして、それを他の字とれつをならべてステッキの上におく。植字工しょくじこうは文字のあるのにた、しかしはしの方の低い、そして何もってない活字かつじで一字一字の間をへだてる。第一行がすむと、植字工しょくじこうはすでにできあがったぎょうのつぎに、小さな活字をならべて新しいぎょうを作り始める。そして最後さいごにステッキがいっぱいになると、職工しょっこうはその中味なかみをていねいにてつわくの中に入れる。そしてわくがいっぱいになって、印刷床いんさつどこというものができあがるまで、この仕事をつづける。このとこはただ、つぎからつぎにならべた無数むすうの小さい活字からできている。この無数の小さい金属きんぞくをならべるのは忍耐にんたい熟練じゅくれんとの大仕事で、ちょいとまちがってもダメになってしまう。そして、そのてつわくのすみずみをしっかりとかためて、全体をまるで一枚いちまい金属板きんぞくいたのようにする。これで、そのとこ印刷いんさつされる準備じゅんびができたのだ。
あぶら油煙ゆえんとでできたインキをふくませたローラーが、この床の上をころがる。すると、文字や符号ふごうなどの浮彫うきぼりの活字はインキをりかぶせられてしまうが、残りの活字は表面ひょうめんが低いからインキをかぶらない。一枚の紙がこのインキのついた床の上にせられる。そしてその紙を保護ほごするにおもしをかぶせておいて、それを強くす。活字のインキは紙について、紙は一方いっぽうのほうが印刷いんさつされて出る。また別なものを印刷いんさつするには、この方法をそのつぎの床でくりかえすのだ。活字かつじの文字は、前にわたしが以前いぜんに話したとおり、さかさに字がってあった。それが紙に印刷いんさつされると、ちゃんとした字になるのだ。
最初さいしょの紙がすむと、すぐに第二の紙がつづく。ローラーでふたたび板はインキをられ、その上へ一枚がってされると、それでもう仕上しあがったのだ。そこで第三番目の紙がくる。百遍目ぺんめ、千遍目べんめつづいてくる。そのたびごとに必要なのは、板にインキをぬって、紙でおおって、それからすということだ。こうして、その一枚でも手で書けばまる一月ひとつきもかかるようなのを幾千いくせん幾万枚いくまんまいも、たちまちの間に印刷いんさつしてしまう。
「人間の心のはたらきを非常ひじょうに早く、そして、ほしいだけたくさんうつし出すこのすぐれた技術ぎじゅつ発明はつめいされるまでは、手製てせい写本しゃほんにかぎられていた。この手写てうつし本はその仕事に長い年月がかかったので、数もきわめて少なく、値段ねだんも高かった。五、六さつの本を手に入れるには、非常ひじょううんがよくなくてはダメだった。今日こんにちでは、本はどこにでもあって、ごく低級ていきゅうな人間のあいだにも知識ちしきとうとかてはたくさんひろがっている。この印刷術いんさつじゅつは四〇〇年以前いぜんにグーテンベルクが発明はつめいしたものだ。
「その名前を、ぼくはけっしてわすれませんよ。」とジュールがいいました。
「それはおぼえていていい名だ。本を印刷いんさつするということで、グーテンベルクは、人間が無知むちでいるということのできないようにした。将来しょうらいちからになるわれわれの知識ちしきたからは、いし金属きんぞくきざみつけられるだけではたりない。その数の多いところから、なくなるという心配しんぱいのない紙に書かれなければならない。

   二一 チョウ


 まあ、なんてきれいだろう。まあ本当に、なんというきれいなことだろう。中には暗紅色あんこうしょくの地に赤筋あかすじのとおったはねや、黒いのついたさおはねや、オレンジ色のまだらのある黄色きいろはねや、さてはまた、金色きんいろに白いふちをとったはねがある。チョウはひたい立派りっぱなツノ、すなわち二本の触角しょっかくを持っている。それは鳥毛とりげのようにふちがとられていたり、羽毛うもうの先のようにけていたりすることがある。頭の下には、かみのように美しい、そしてうずまいた吸口すいくちのクチバシを持っている。チョウが花に近づくと、チョウはそのクチバシをのばして、みつうために花冠かかんそこへそれをしこむ。まあ、なんてきれいだろう。まあ本当に、なんというきれいなことだろう。もし人がチョウにさわろうとしようものなら、そのはねはしおれて、ゆびと指との間に、貴金属きんぞくのような美しいこなをぬりつける。
 おじさんは子どもたちに、にわの花の上をんでいるチョウの名を教えました。おじさんはいいました。「この白地しろじに黒いすじが入って、黒いほしが三つあるチョウはモンシロチョウというのだ。長いまでも黒いすじの入った黄色きいろの大きなはねを持っていて、そのそこのほうに大きなサビ色のと青いほしとを持っているのはアゲハチョウというのだ。はね上部じょうぶ空色そらいろをして、下部かぶ銀灰色ぎんかいしょくで、白いに黒いを入れて、はねあかがかったほしの入っている、この美しいチョウはジャノメチョウというのだ。
 そしてポールおじさんは、晴れた太陽たいようが花のもとへみちびいてきたチョウの名をいいながら、その話をつづけて行きました。
「ジャノメチョウはらえがたいんですねえ。このチョウには何でもでも見えるのです。あのつばさだらけですよ。」とエミルがいいました。
「たくさんのチョウが、そのはねに持っている美しいまるまだらは、あれは本当のじゃないんだ。といわれてはいるけれども、じつはかざりなのだ。それだけのことだよ。本当の、すなわち物を見るは頭にあるのだ。ジャノメチョウには、ほかのチョウと同じようにが二つある。
「クレールが、チョウは毛虫けむしから生まれてくるんだっていいましたよ。おじさん、本当ですか?」とジュールがいいました。
「そうだよ。美しいはねで、花から花へびまわる美しい虫になる前は、何のチョウも何のチョウも、くるしそうにしてはっている、あのみにく毛虫けむしだったのだ。そうして、今、お前たちに見せたモンシロチョウは、はじめはキャベツのをかじっていた青虫あおむしだったんだ。青虫あおむし非常ひじょう食欲しょくよくがはげしいので、ジャックじいさんは、この大食おおぐいの虫をキャベツばたけから取りのぞくのに、ずいぶんほねれるというだろう。その理由りゆうはすぐにわかるよ。
昆虫こんちゅう大半たいはんは、このチョウと同じようにして生まれてくる。すなわちたまごから出るときには、一時いっときかり姿すがたをしていて、あとでまたすぐほかの姿すがたわる。つまり二度にど生まれてくるようなもので、最初さいしょ不完全ふかんぜんで、ノロノロして、大食おおぐいで、みにくいが、あとには完全かんぜんで、敏捷びんしょうで、大食おおぐいでなく、きれいなものになる。この最初さいしょ形態けいたいをしているときの昆虫こんちゅうは、幼虫ようちゅうという総称そうしょうでよばれている。
「お前たちは、ジラミの獅子ししのことをおぼえているだろう。この虫はバラのジラミを食べるのだが、幾週間いくしゅうかんも幾週間も、いくらってもいたらずに夜も昼もさかんにらしつづける。この虫は幼虫ようちゅうで、はね金色きんいろを持ったクサカゲロウという小さなレースはねをしたハエ〔※ 注意、羽虫はむし」の意味いみか。にかわるのだ。黒い斑点ほしのある、美しい赤色あかいろのテントウムシは、そうなる前には瓦色かわらいろをして、小さなトゲのいっぱいはえた、そして木ジラミを非常ひじょうきな、みにくい虫だ。カナブンもやはり、はじめは色の白いはだかの、ふとった虫であって、の中に住んで、植物しょくぶつの根をい、穀物こくもつをからす。シカのつののようなおそろしい形をしたうわアゴでかためられた頭をした、大きなクワガタムシも、はじめは古い木のみきに住んでいる大きな白虫しらむしだ。その長い触角しょっかく有名ゆうめいな、あのカミキリムシもやはりもとは白虫しらむしだ。それからじゅくしたサクランボの中に入っている、あの小さな白虫しらむしは何になるかというに、これは黒いビロードのおびが四つ入ったつばさをつけた、美しいハエになるのだ。
「さて、昆虫こんちゅう初期しょき、すなわちそのわかいときの最初さいしょの形を、幼虫ようちゅうという。幼虫を完全かんぜん昆虫こんちゅうえてしまう大変化だいへんか変態へんたいという。毛虫けむし青虫あおむしは幼虫である。この変態へんたいでもって、幼虫はわれわれをおどろかせるような豊富ほうふ色彩しきさいでかざられたつばさを持っているチョウになるのだ。青空色あおぞらいろはねを持った美しいジャノメチョウは、はじめは見すぼらしい毛ぶかい毛虫けむしであったし、美しいアゲハチョウは黒いよこじまのとおった、わきに赤いほしのある青虫あおむしであったのだ。そのほかのきたない虫も変態へんたいをすると、あの花と優美ゆうびきそうことのできる、きれいなきものになるのだ。
「お前たちはみんな、あのシンデレラのお話を知っているね。あの姉妹しまいたちはおおいばりで、おしゃれをして舞踏会ぶとうかいへ行ってしまう。シンデレラはわかしのばんだ。彼女かのじょはもうむねがいっぱいになっている。そこに教母きょうぼがくる。『おいで』と彼女はいう。にわへ行ってとうなすを取るのだよ。』そして見ていると、えぐり出されたとうなすは、教母の魔法杖まほうづえ最上等さいじょうとう馬車ばしゃに変わった。『シンデレラ』と教母はまた言いました。『その捕鼠機ねずみとりをおあけ。』その中から六ぴきのネズミがび出した。そしてそれが魔法まほうつえにふれるが早いか、連銭れんぜん葦毛あしげのきれいな六匹のうまになった。ヒゲのあるネズミは、その威儀いぎのあるヒゲで大きな御者ぎょしゃにちょうどよかった。如露じょうろかげにねむっていた六匹のトカゲは、青くかざった従僕おともになった。その従僕おともはすぐに馬車ばしゃのうしろにび乗った。最後さいごにそのかわいそうなむすめのボロボロの着物きものは、金銀きんぎん宝石ほうせきをちりばめたものに変わった。シンデレラは舞踏会ぶとうかいに出かけて行った。お前たちはそのあとはわたしよりもよっぽどよく知っているね。
「それらの教母たちにとっては、ネズミを馬にしたり、トカゲを従僕おともにしたり、みすぼらしい着物きものをぜいたくなものにしたりするのは、ほんのたわむれだ。とてもしんじられないような不思議ふしぎなことでお前たちをおどろかす。それらの親切しんせつ妖精おばけたちは、いったい何だろうね? それを実際じっさいのことに引きあわせて考えてごらん。立派りっぱな神さまの妖精おばけは、きたない虫から、そのきらわれるところを取りのぞいて、どうしてあのうっとりするようなきれいなきものをつくったのだろう! 彼がその魔法まほうつえでさわれば、みじめな毛虫けむしも、くさった木の中のウジむし不思議ふしぎ立派りっぱ仕上しあげられるのだ。きらわれる幼虫ようちゅう金色きんいろかがやくカブトムシに変わってしまうし、チョウの浅藍色せんらんしょくはねは、シンデレラのすぐれたおめかしにもひけはとらないだろう。

   二二 大食家たいしょくか


昆虫こんちゅうたまごでその繁殖はんしょくをする。彼らはおどろくべき先見せんけんで、わかい虫がそこでたしかにすぐ栄養物えいようぶつを見い出すだろうところにそのたまごむ。たまごから出た幼虫ようちゅうというその小さなきもののかよわい虫は、食物しょくもつ庇護物ひごぶつ危険きけんからしばしばその位置をうつす――それはこの虫の世界では非常ひじょう困難こんなんなことなのだ。それらのつらいはじめの仕事も、その母親ははおやからは何の助けもあてにすることはできない。母親はそれより前に死んでしまっている。昆虫こんちゅうの生活では、その両親りょうしん一般いっぱんに、たまごかえってわかい虫が生まれる前に死ぬのだ。幼虫はすぐに仕事にかかる。仕事というのは食べることだ。それはその虫の将来しょうらいにかかっているまじめな、唯一ゆいいつの仕事なのだ。それはほとんど毎日まいにち毎日ちからいっぱいに食べつづけるのだ。なによりもムクムクとふとることが、将来しょうらい変態へんたいに必要なのだ。わたしはお前たちに話さなくちゃならない――それは、きっとお前たちをおどろかすだろう―昆虫こんちゅう最後さいご完全かんぜんかたちになったあとでは、もう大きくなることをめるのだ。昆虫こんちゅうのその点はなかなかよく知られている――とりわけカイコのチョウのこと。はね――カイコは、ある栄養物えいようぶつ以外のものはとらないのだ。
「ネコの生まれたては、小さな薄紅色うすべにいろはなをした、手のくぼみでられるほど小さいものだ。ひとつきかふたつきたつと、自分であそぶのに夢中むちゅうなだけのそれはきれいなネコで、そのすばしっこい足で人がその前に投げてやった紙のたばにじゃれつく。それから年がたつとそれは一匹いっぴきのオスネコで、辛抱しんぼう強くネズミのばんをしているか、あるいはその競争者きょうそうしゃ屋根やねの上でたたかいをまじえている。しかし、それが小さなあおをやっとあいている小さな生きものにしても、あるいは、きれいなふざけやの小ネコにしても、あるいはまたケンカきのオスネコにしても、どれもいつもネコのかたちをそなえている。
昆虫こんちゅう場合ばあいにはそれとは反対はんたいなのだ。アゲハチョウは、そのチョウのかたちで、最初さいしょは小さく、それからちゅうぐらいになり、それからさらに大きくなるというようなことはない。最初さいしょからはねをひろげてぶし、そのはねはいつもおなじに大きいのだ。それが地面じめんの下から出てくる時までは、そこに虫の姿すがたで住んでいる。そして、やがてまず最初さいしょ日光にっこうの中に出てくる。カナブンもやっぱりそうだ。それはお前たちも知ってるね。小さいネコはある。けれども小さいアゲハチョウや小さいカナブンはない。昆虫こんちゅう変態へんたいをすませば、もうそれきりでわらないのだ。
「でもぼくね、夕方ゆうがたやなぎのまわりをちいちゃなカナブンがんでいるのを見ましたよ。」ジュールが反対はんたいしました。
「その小さなカナブンは、ちがう種類しゅるいのものなのだ。それはいつでもおなじ大きさだ。それが大きくなって、ふつうのカナブンになり、ネコよりも成長せいちょうしたものがトラになるということはけっしてない。たいへんよくてはいるが、ちがうものだ。
「その小さな虫はひとりでそだつのだ。たまごから出てきたばかりの最初さいしょのときは非常ひじょうに小さい。が、だんだんに大きくなっていって、将来しょうらい昆虫こんちゅうてきするようになる。それは、その変態へんたい必要ひつような材料をあつめるのだ――その材料というのは、はね触角しょっかくあしになるので、それはみんな幼虫にはないが、昆虫こんちゅうは持っていなければならないのだ。あの死んだ木の中に住んでいる大きな青虫あおむしが、いつかクワガタムシにならねばならないのだが、あの異常いじょうえだのついたアゴや、頑丈がんじょうかた完全かんぜん昆虫こんちゅう外被がいひを何からつくるのだろう? 長いカミキリの触角しょっかくを幼虫は何でつくるのだろう? アゲハチョウの大きなはね毛虫けむしは何でつくるのだろう? 毛虫けむしや、青虫あおむしや、幼虫や、蠕虫ぜんちゅう〔ミミズ・ゴカイなど。は、その時代じだいに、生命せいめいをささえる大事な材料をさかんにあつめてめるのだ。
「もし、小さい薄紅色うすべにいろはなをしたネコが、耳も足も尻尾しっぽもヒゲもなしで生まれてきて、もしそれが簡単かんたんな小さいにくたまで、何日なんにちねむっている間に、耳も足も尻尾しっぽもヒゲも、その他のいろんなものも、みんな一度にできるとして、この必要ひつようにせまられて材料をあつめるせいの仕事が、脂肪しぼうの多い組織そしき動物どうぶつに、前もってあつめたものをつかんでべつに取りのぞけておくということが、はたして間違まちがいのないことだろうか? からは何もつくることはできない。いきおいよく前の方にはねているネコのヒゲのあのすこしの毛でも、食べることによってつくられた動物どうぶつ本質ほんしつそんをさせることになるのだ。
幼虫ようちゅうはそっくりそのまま、このれいのとおりなのだ。完全かんぜん昆虫こんちゅうたねばならないものをなんにも持たない。幼虫のつぎの時代じだいになってもなんにも持たない。だから、将来しょうらい変化へんかのことを考えて、その変化へんかのための材料をたくわえておかなければならないのだ。それには二つの目的のために食べねばならない。第一には幼虫自身じしんのためと、それから昆虫こんちゅう本質ほんしつからくる、かたを変えることや、感覚かんかくやの変化へんかをするためにうのだ。幼虫はそういうふうにして、無類むるい食欲しょくよくさずけられているのだ。わたしが言ったように、食べることは、彼らのたった一つの仕事なのだ。彼らは夜も昼も食べる。そしてしばしば、とめどなしにいきもつかずに食べる。そしてひとくちの食物しょくもつまよっている。なんという不謹慎きんしんなことだろう? こうして彼らは意地いじきたなく食べる。その胃袋いぶくろは大きくふくれてブクブクになる。それが幼虫のつとめなのだ。
「あるものは、草木くさきをおそう。彼らはの上で新芽しんめを食べる。花をかむ。果物くだものにくいこむ。それからべつに、木をじゅうぶんに消化しょうかさせるほど強い胃袋いぶくろをもったやつがいる。彼らは、木のみきにトンネルをうがち、れつをわけてすりらしていって、かたかしの木もこなになるし、やわらかいやなぎ同様どうようだ。さらにまた、そんなものよりは動物どうぶつの体をくさらしたものをきなやつがいる。彼らは病毒びょうどくまった死体したいの中にくっている。彼らの胃袋いぶくろくさったものでいっぱいになっている。なお、ほかに、フンをさがしてその不潔ふけつなものをごちそうにするものがある。彼らはみんな、地面じめん汚物おぶつをきれいにする立派りっぱ役目やくめ発達はったつした掃除夫そうじふだ。お前たちはそういうウジむしが、膿汁うみしるの中にむらがっているのを考えたらむねわるくなるだろう。だが、それはもっとも大事だいじやくに立つことの一つであり、用意よういぶかい一つの仕事なのだ。その伝染力でんせんりょくをおい、構成こうせい要素ようそ忠実ちゅうじつにもとにもどす役目やくめは、このむねわるくさせるいしんぼうの虫によってはたされるのだ。そして、まるでこの不潔ふけつな必要をつぐなうように、それらの幼虫の一つは、あとではみがいた青銅せいどうとその光輝こうききそうきれいなハエになるし、ほかのものは、みごとな宝石ほうせききん光彩こうさいとその立派りっぱ上衣うわぎとをきそわせて麝香じゃこうにおいをさせているカミキリになるのだ。
「しかし、それらの一般いっぱん衛生えいせいの仕事に貢献こうけんしている幼虫は、われわれを被害者ひがいしゃにするほかの食いしんぼうのことをわれわれにわすれさすことはできない。カナブンの幼虫は、たった一つから繁殖はんしょくして、おさない間に広大こうだい地域ちいき植物しょくぶつをはぎとってしまうほどはやくふえる。それは草や木の根をかむのだ。林業家りんぎょうか灌木かんぼくや、百姓ひゃくしょう収穫物しゅうかくぶつや、園芸家えんげいかの植物などが、ちょうどこれから元気よくそだっていこうという時分じぶんのある上天気じょうてんきの朝に、しおれて死んでしまう。虫がそこをとおったのだ。それでみんな死んだのだ。火はこんなおそろしいらし方はしなかった。の下に住んで、やっとのことで見られるくらいのつまらない黄色きいろなシラミが、ブドウの木の根をおそう。その虫はブドウ虫というのだ。この災難さいなんな虫の繁殖はんしょくは、われわれのブドウえんだいなしになる前ぶれだ。ある虫は、小麦こむぎつぶ十分じゅうぶんそのやどり場所にするほど小さい。その虫は、われわれの穀倉こくそうらしてふすまだけを残す。ほかの虫はまたムラサキウマゴヤシ〔植物、アルファルファの和名。の若草を草刈くさかり手がなんにもるものを見あたらないほどすっかり食べてしまう。別の虫は、何年もかかってかしやポプラや松や、その他いろいろの大木たいぼくしんをかみらす。それからまたこれは、といって夕方ランプのまわりをびまわる白いチョウになるのだが、その虫は、われわれの毛織物おりもの着物きものをだんだんにっていって、しまいにはボロにしてしまう。もっと他のものは羽目板はめいたや古い家具かぐをおそうてこれをこなにしてしまう。それからまた――だが、わたしがもしお前たちにそれをみんな話すとしたら、いつまでたってもおしまいにすることができないだろう。この小さな者たちをわれわれは軽蔑けいべつして、うわっつらだけの注意しかしない。が、この小さな昆虫こんちゅう仲間なかまは、その幼虫のじょうぶな食欲しょくよくのために非常ひじょうに力あるものなのだ。人間はそれをまじめに考えなくてはならない。もしも本当にその虫がとめどなく繁殖はんしょくすることができたら、どこの国でもみんな飢餓きが悲惨ひさん運命うんめいにおびやかされるのだ。そしてわれわれは、それらの大食家たいしょくかどもの目的をまったく知らずにいたのだ。もしもお前たちが悪魔あくまを知らないときに、お前たちはどうして自分たちでその悪魔あくまふせぐことができる? わたしはただ一つ、それらのものを支配しはいすることを知っている。お前たちは、それらのらしについてのもっとくわしいわたしたちの話をまだつづけるのをつ間に、こういうことを思いしてごらん。昆虫こんちゅうの幼虫はこの世界の大食家たいしょくかで、このらしは、前に話したようにしてその生命せいめいのために用意をして、ほかのものを滅亡めつぼうさせる仕事をおしまいにする。その間すべてのもの、あるいはすべてに近いものが、彼らの胃袋いぶくろをとおるのだ。

   二三 きぬ


幼虫ようちゅうは、その種属しゅぞくによって、いつかは自分が変態へんたい危険きけんめんしてもじゅうぶんに強くなったことを感ずる日がくる。それにはまず、幼虫のつとめであるはらをふくらしつめこんだ後に、勇敢ゆうかんにその義務ぎむをはたす。幼虫は自分自身のためと成熟せいじゅくした昆虫こんちゅうとの二つのもののためにったのだ。今が食べることを思いきって外界がいかいから退しりぞき、その死のようなねむりの間のしずかなかくれ場所で、同時に再生さいせいの場所を自分で用意する適当てきとうなときなのだ。この住居じゅうきょを用意するのに、せんもの方法を使っている。
「ある幼虫は簡単かんたんにその体を地中にかくすし、ほかのものはかべのみがいためんをほる。それからまた、あるものはかわいたふくろをつくるし、ほかのものはまた土やくさった木や、砂のつぶで、うつろのたまをつくってその外側をにかわづけにしてかためることを知っている。木のみきに住んでいるものは、自分でほったトンネルの両端りょうたんをその木クズのつめでふさいでいるし、小麦の中に住むのは小麦粒こむぎつぶこなになるすべての部分をかんで、用心ぶかく、外側にはふれないか、あるいはふすまにする。それが、この虫たちに揺床ゆれどこのような役目やくめをするのだ。またほかに、もっとわずかな用心でかくれ場所をつくるのがある。それは木のかわかべ裂目さけめかくれるので、自分の体をまいた糸でそこに自分の体をしばりつけるのだ。モンシロチョウやアゲハチョウの幼虫はこの種類しゅるいぞくする。しかし、マユという小さなきぬ部屋へやをつくる幼虫の熟練じゅくれん特別とくべつにすぐれて見える。
灰白色かいはくしょく小指こゆびぐらいの大きさの虫がある。そのマユを取るのにたくさんにそれをう。そのマユできぬが取れるのだ。その虫をカイコというのだ。清潔せいけつにした部屋わらふるいを置き、その上にくわをおく。そして幼虫は家の中でたまごからかえる。くわは大きな木で、その幼虫をやしなう目的で栽培さいばいするのだ。このくわは、ただカイコの食物しょくもつになるそののぞいては何のうちもない。広い地域が、このくわ栽培さいばいにあてられている。それほど、この虫の手細工てざいくたっといものなのだ。幼虫はたびたびふるいの上をすっかり新しくするくわの葉の定食じょうしょくを食べる。そして、おりおり、彼らがそだつわりあいにしたがってそのかわをぬぐ。その食欲しょくよくは、おだやかな木の葉簇はむらににわかあめりそそぐような音が彼らのアゴからおこるくらいにあらい。その部屋へやにはじつに無数むすうの虫をいれてあるのだ。幼虫は四週間しゅうかんから五週間のあいだそだっていく。それからふるいはヒーザー〔heather か。種々しゅじゅのヒースの総称そうしょう。特にギョリュウモドキ(英国産)。エリカ。小枝こえだで用意される。虫はそのマユをつむぐ時がくると、その上にはいあがるのだ。彼らは一つ一つ小枝こえだの中におちついて、非常ひじょうにきれいなたくさんの糸をあちらこちらに、一種の網細工あみざいくをつくるようにむすびつける。それは、マユをつくる大仕事のために足として役に立ち、またそれをつるしておくささえになるのだ。
「その絹糸きぬいとは、くちびるの下から出てくる。そのあな糸嚢しのうという。虫の体の中にはきぬの材料がうんと入っているのだ。それはゴムにたネバネバする液体えきたいだ。くちびるが開いて出てくるその液体えきたいをひきのばしたものが糸になるが、それは糸になるまではにかわのような粘着物ねんちゃくぶつだが、すぐに固まってしまう。きぬの材料は虫の食べるくわの葉の中には、まったくふくまれてはいない。それは牝牛めうしが食べる草の中のミルクよりはもっとふくまれていない。それは虫が、自分の食べたものからつくるのだ。ちょうど牝牛うしがその飼葉かいばからミルクをつくるのとおなじように、虫の助けがなかったならば、人間はけっしてくわの葉から高価こうかものの材料を引き出すことはできなかったのだ。われわれの一番きれいなきぬものはじつに、虫が生んだものを取ったのだ。それは虫のよだれが糸になったのだ。
「話をもどそう。虫が自分のあみなかに体をつるしたところまでだったね。それからマユをつくるのだ。その虫の頭はつづけさまに動く。それは前に進んだり、あともどったり、上がったり、下がったり、右へ行き、左へゆく。そのあいだ、くちびるからごくわずかずつの糸を出している。その糸はゆるくその体のまわりにかってゆく。そしてその体はすでにもう、そこで糸にひっついてしまう。そしておしまいにはハトのたまごぐらいの大きさにすっかりつつまれたものができあがる。そのきぬのつくり方は、最初さいしょにはきとおっていて、だれでも十分に虫のはたらきを見ることができる。しかし、内側うちがわを通る糸があつくなっていってすぐにその観察かんさつからかくれてしまうが、容易ようい推察すいさつにしたがうことができる。三日かあるいは四日の間、そのたくわえたきぬえきを使いつくしてしまうまで、マユのかべあつくすることをつづけている。それがすむと最後にこの世界からしりぞいてひとりになり、しずかにもうすぐにおこなわれる変態へんたいのための準備じゅんびをする。その全生活は、その長い生活は一か月だ。くわの葉をうんとその体につめこんだのも、マユのきぬをつくるのに自分の体を軽くしたのも、その仕事はみんな変態へんたい前置まえおきなのだ。こうしてその虫はチョウになりつつあるのだ。それは幼虫にとってはなんという厳粛げんしゅく瞬間しゅんかんだろう!」
「おお! そうだ。わたしはそれについての人間に関した部分のことをおおかた忘れていた。やっとそのマユをつくることがすむと、人間はすぐにヒーザーの小枝えだけつける。そして乱暴らんぼうな手をマユにかけて、それを製造人せいぞうにんの手にわたす。製造人はさっそくにそれをかまに入れて未来のチョウをころすのに蒸気じょうきすのだ。そのやわらかい肉はもとの形のままだ。もしも製造人が猶予ゆうよすればチョウはマユをつきやぶるだろう。そしてそのマユは切れ切れになった糸のためにもうぐす資格しかくがなく、そのうちが下がってしまうのだ。この予防よぼうをしてしまえば、そのあとはゆっくりとできるのだ。そのマユは、工場の紡績機ぼうせききというものでほぐされる。マユは湯の煮立にたったなべの中につっこまれてゴムをゆるめられる。そのゴムは長々とつづいてうねりくねった糸を集めてしっかりと持たしておくのだ。女工じょこうはそのにぎった小さなヒーザーの掃木ほうきで湯の中のマユをかきまわして、順に糸のはしを見い出して取り上げる。そしてそれをまわっている紡車つむぎぐるまの上に置く。すると機械きかいの活動の下に絹糸きぬいとはほぐれていく。そのあいだマユは、だれかが糸をひっぱったときの毛糸けいとの玉のようにあつい湯の中ではねている。糸のうすくなったマユのなかには、火であぶりころされたさなぎがいる。その後できぬはいろいろな作業にあう。それはもっとしなやかにし光沢こうたくを出させることや、紺屋こんやおけをとおってそこでそれぞれこのみの色にめられ、最後にられて、ものになるのだ。

   二四 変態へんたい


「一度マユの中にかくれた虫は、ちょうど死にかかったもののようにしなちぢむ。第一に背中せなかかわれる。それから、あちらこちらをひっぱって痙攣けいれんをくりかえす。虫は非常ひじょう難儀なんぎでその皮を引きはがす。その皮で頭の外面がいめん、アゴ、あし胃袋いぶくろやその他のいろんなものができる。それが普通ふつうのひきはがし方だ。古い体をおおっていたやぶれた皮は、しまいにマユの中ですみの方におしつけられる。
「マユの中でその仕事をしているのは何だろう? ちがう虫か、それともチョウか、どっちでもないのだ。彼らの体は巴旦杏はだんきょう〔アーモンドのこと。かたをして一方のはしは丸くなり他の方はとがっていて、皮のような見かけをしている。それをさなぎというのだ。それは、虫とチョウとの二つの資格しかくの中間のものだ。そこでは、すでに未来の昆虫こんちゅうの型を表示ひょうじした投影とうえいをたしかに見ることができる。大きい方のはしでは触角しょっかくを見わけることができ、はねはしっかりとさなぎの横にりたたまれている。
「カナブン、よろい虫、クワガタムシ、その他の甲虫こうちゅう幼虫ようちゅうも、もっと強いかたでほぼ同様な状態じょうたいをぬける。頭やはねあしの各部分が、精巧せいこうさなぎのわきにりたたまれていて、非常ひじょうによくそれをみとめることができる。だが、それはみんなじっとして動かない。そしてやわらかで白く、あるいは水晶すいしょうのようにきとおっているのさえある。この昆虫こんちゅう輪郭りんかくをしたものを活動蛹かつどうようというのだ。さなぎという名はチョウのに使う。活動蛹かつどうようの名はおなじものでいても、何かのちがった外見がいけんをあらわしている他の昆虫こんちゅうのに使う。さなぎ活動蛹かつどうようの二つは昆虫こんちゅう形成けいせい途中とちゅうなのだ―昆虫こんちゅうはひそかに纏布てんぷにつつまって、その中で、頭から足の先まですっかり構造こうぞうを変える神秘しんぴなはたらきをするのだ。
「二週間のあいだに、もしも適当てきとうな温度であればカイコのさなぎじゅくした果物くだもののようにれる。そして、その小さな部屋へややぶり開いてそこからチョウがぬけ出す。すべてがクシャクシャで湿しめって、そのふるえる足でやっと立つことができるくらいだ。外の空気は、はねをかわかし、はりひろげ、力をるのに必要なのだ。マユからは出なければならないのだ。だが、どうして幼虫はマユをかたくつくったのに、チョウはそんなに弱いのだろうか? そのかわいそうなものは、その牢屋ろうやの中でいためられたのだろうか? その小さなふさいだ部屋へやの中で、仕事をとげるのに窒息ちっそくするほどの悲惨ひさんなたくさんの困難こんなんにもおこらないのだ。もう最後にいたったのだ!」
「そのマユはでやぶって出るのじゃないんですか?」とエミルがたずねました。
「だが、ぼうや、それがないんだよ。それにたものもないんだ。ただ、とがったはなを持っているだけだ。いいかげんな骨折ほねおりは役に立たない。
「じゃあ、ツメでですか?」とジュールがいい出しました。
「そうだ、もしそれを持っていればじゅうぶん役に立つ。だが厄介やっかいなことには、それもないのだ。
「だって、チョウは外に出ることができなければならないのです」とジュールががんばりました。
「まちがいなく外へ出る。すべての生物がそうとはゆかないが、生命せいめい困難こんなん瞬間しゅんかんの手段はみんな持っている。ニワトリのヒナがじこめられていたたまごやぶるのに、その小さなヒナのくちばしはしがその目的のために、ほんのすこしその先が固くなっている。だが、チョウはそのマユをやぶるのに何も持たないだろうか? 持っている! だが、お前たちには、とても簡単かんたんな道具だが、何を使うかさっしはつくまい。それはね、を使うのだよ。
ですって?」クレールがさえぎりました。
「そうだ。昆虫こんちゅうきとおるような角性のふたでおおわれていて、固くて切れる多面体ためんたいだ。その多面体をよく見ようとするには、拡大鏡かくだいきょうがいる。それは非常ひじょうにするどくてほねを切ることができるほどだ。それをみんな集めることができれば、必要なときにはおろしのようなふうに使えるだろう。チョウはその仕事をはじめるときには、つばでマユのここと思うところを湿しめして、それから、そのやわらかにしたシミにをあてる。そしてそれをねじ、たたき、ひっかき、ヤスリをかける。絹糸きぬいとは一つ一つに負けてすりきれてゆく。あなができる。チョウは外に出るのだ。お前たちはそれについてどう考える? 四人で考えても、時としては動物どうぶつの持っている知恵ちえにおよばないではないか? 牢屋ろうやかべでたたいてきつらぬくということが、われわれに考えられるだろうか?」
「チョウはその利口りこうな方法を、長いあいだ考えて研究けんきゅうしなければなりますまいね。」とエミルが質問しつもんしました。
「チョウは研究することなんかできない。思案しあんをすることもできない。それはいつでもその重要な仕事をどうするか、どうすればうまくゆくか、ということを直接ちょくせつに知っているのだ。そのために考えるのはほかの者だ。
「それはだれです?」
「神さまだ。神さまは偉大いだい知恵者ちえしゃだ。カイコのチョウはきれいではない。白ぼけた色で、大きなはらおもい。そして他のチョウのように、花から花へびまわることはできないし、食物しょくもつもとらない。そのチョウはマユから出るやいなや、たまごを生む仕事にかかる。そして死ぬのだ。カイコのたまごはふつうに“たね”といっている。それは、植物のたまごたねであるように、動物どうぶつの種であるたまごのためには、たいへんにいいかただ。たまごたね一致いっちするのだ。人間はマユをすっかり蒸気じょうき窒息ちっそくさせはしない。それを空気にさらしたあとで、たねとそれをむチョウを手に入れるためにいくらかの数を取りのけておく。そのたねはつぎの年に新しいカイコをつくりだすのだ。
「すべての昆虫こんちゅうは、わたしが今、お前たちに話したように四つの状態じょうたいつうずる変態へんたいをする。たまご、幼虫、さなぎあるいは活動蛹かつどうよう完全かんぜん昆虫こんちゅうという四つだ。完全な昆虫こんちゅうは卵を生む、そして順に変形へんけいをくりかえしてゆく。

   二五 クモ


 ある朝、アムブロアジヌおばあさんは、すこし前にかえったばかりの小なニワトリのヒナのためにリンゴを、草をきざんでいました。大きな一匹の灰色はいいろのクモが、その長い糸を自分ですべらせながら、天井てんじょうからその善良ぜんりょうなおばあさんのかたにおりてきました。その長いビロウドのようなあしを見るとすぐ、アムブロアジヌおばあさんは恐怖きょうふのさけび声をめることができませんでした。そして、そのかたをふるわせて虫を落としました。虫はおばあさんの足でおしつぶされました。「朝のクモはかなしみのしるしだ。」おばあさんはひとりで思いました。この時にポールおじさんとクレールとがいそいで入ってきました。
「よくないことがございました、だんなさま」とおばあさんがいいました。「わたしたちは役に立たない面倒めんどうを見て、あんなにたくさんのかわいそうなものを死なさなければならないのです。十二の小さなヒナがかえって、きんのようにかがやいています。ちょうど今、わたしがそのヒナのために食べものの用意をしておりましたら、あのまあ悪いクモがわたしのかたに落ちてきましたのです。
 アムブロアジヌおばあさんは、まだ足をふるわせているおしつぶされたばかりの虫をゆびさしました。
「わたしはまだそのヒナを見なかったが、クモが何かおそろしいものを持っているのかい?」とポールおじさんがいいました。
「いいえ、何も持ちはいたしません。おそろしいものは死にました。けれどもあなたは『朝のクモは悲しみ、夜のクモはよろこび』ということわざをごぞんじでしょう。だれでも、朝、クモを見れば悪いことのしるしとしています。あの小さなヒナは険呑けんのんです。ネコが取るのでしょう。だんなさま、ごらんになってください。ごらんになってください。」アムブロアジヌおばあさんの恐怖きょうふじょうが動きました。「ヒナはネコのかからない安全あんぜんな所におこう。そしてわたしは、その他の返事へんじをしよう。そのクモのことわざは、ただ馬鹿ばかげたまちがった考えなんだよ」と、ポールおじさんは言いました。
 アムブロアジヌおばあさんは、何も言うことができませんでした。おばあさんは、ポール先生が何についてでもよく説明せつめいをして聞かせてくれることを知っていますし、また、クモにも時によってはほめられる資格しかくのあることもわかっているのです。クレールはどうしてクモがほめられるのか、おじさんに質問しつもんしました。
「ねえおじさん、わたし、おじさんの目にうつるすべての動物どうぶつは、たとえどんなにいやなものであっても、何かその言いわけになるすぐれたところを持っているものだ、ということは知っています。みんな考える価値があります。みんな神さまがおきめになった役目やくめをつとめているんです。そしてみんな、それを観察かんさつ研究けんきゅうすれば興味きょうみがあるのです。けれどもおじさん、わたし、おたずねしたいんです。あの蛛網くものす天井てんじょうきたなくする、そしてどくを持ったあのいやなクモを、おじさんはどういうほめ方をなさいますの?」
「どういうほめ方をするかって? ほめることはどっさりあるよ。もしお前がクモのことわざのうそだという説明せつめいを聞きたかったら、ヒナにエサを食べさしてネコを用心してやる間に話してあげよう。
 夕方、アムブロアジヌおばあさんは大きなまんまるいメガネをはなの上にのせて、靴足袋くつたびんでいました。おばあさんのひざの上ではネコがねむっていました。そしてそのネコのゴロゴロいう音と、はりのカチカチいう音とがまじっていました。子どもたちはクモのお話をっています。おじさんは始めました。
「あのきれいなクモのは、穀倉こくそうのすみにはってあるか、それともにわの木の間にはってあるか、それからその蛛網くものすでクモが何をするのか、この三つのことをお前たちはわたしに話すことができるかい?」
 エミルが第一に話しました。「その蛛網くものすというのはクモのですね、おじさん。それはクモの家で、そしてかくなんですね。
かく場所ばしょ!」ジュールがさけびました。「そうだ、ぼくはそれよりももっと考えます。ある日、ぼくはライラックのえだの間で、ヒィーィーィィッ! という金切かなり声を聞いたんです。見ると一匹のアオバエが蛛網くものすにからまってげようとしてもがいていました。その音はハエがはねをバタバタさしている音だったんです。すると、一匹のクモがきぬ漏斗じょうごそこから走ってきて、そのハエをつかみました。そしてそれをなかあなはこびこんでたしかに食べてしまったんです。それを見てからは、ぼくは、蛛網くものすはクモがりをするあみだと思っています。
「それは、たしかにそのとおりだ。」とおじさんがいいました。「すべてのクモは生き物をとらえて餌食えじきにしている。クモは、ハエややアブやその他の虫とたたかいつづけているのだ。もしお前たちが、夜、わたしたちをさしてってゆくあのにくらしい小さな虫どもをおそれるなら、お前たちはあのクモをかばってやらねばならない。そうすれば、できるだけわれわれはからさされないでもすむ。勝負しょうぶをするにはあみが必要なのだ。その絹糸きぬいとったあみは、飛んでいるハエをらえるのだ。その絹糸きぬいとはクモの体から出すのだ。
昆虫こんちゅうの体の中には、きぬのようなものがある。ちょうど青虫あおむし毛虫けむしが持っているような、ゴムかにかわたネバネバした液体えきたいだ。それは出てきて空気くうきにふれるやいなや、すぐにかたまって糸になる。そしてそれは液体えきたいようをなさないのだ。クモはつむぐ必要ができたときには、糸嚢しのうといって、胃袋いぶくろのはしにある四つのくびから、そのきぬ液体えきたいを流し出す。それらのくびの先には水まきの如露じょうろのようなたくさんのあながとおっている。その四つのくびにあるあなの数は、ざっとの計算けいさんでもせんぐらいはある。その一つ一つが、めいめいに少しずつのえきを出し、それがかたまって糸になる。そして、その糸がせんもくっついて、一つの完全かんぜんな糸になり、その最後の糸をクモは使うのだ。クモの糸にくらべて、それよりもずっときれいなもの、といってもほかにはないというわけは今すぐにわかるが、クモの糸はじつにそれほど繊細せんさいだ。人間の使う絹糸きぬいとは、上等じょうとうものの糸は、クモの糸に比較ひかくすると、それを二つ、三つ、四つもあわせたほどの太綱ふとつなだ。同時に、そのくらべもののないほどほそ一条いちじょうの糸の中にはせんもの糸がふくまれているのだ。一本のかみほどの太さの糸をつくるのには、どれだけのクモの糸がいるだろうか? かれこれ十ぴきのクモの糸はいるだろう。そして糸嚢しのう別々べつべつあなから流れ出すののような細い糸でどのくらいいるかといえば、一万いちまんだ。このちぢめておけるきぬの材料は、それを引きのばせば、一万いちまんもよせて、一本のかみの太さと同じになる一番ほそい糸になるのだ。なんというおどろくべきことだろう。そしてそれはただ、クモのごちそうになるハエをらえるのにだけしか役に立たないのだ。

   二六 ジョロウグモのはし


 ここでポールおじさんは、考え深いでおじさんを見つめているクレールにひかれました。それはあきらかに、クレールの心の中で何かの変化へんかがおこりかけていたのです。クモはもうちかよれないほどいややな生きものではありませんでした。われわれが注意する価値かちのないものではありませんでした。ポールおじさんは話しつづけました。
「クモは、くしのような、するどいのある小さなツメで武装ぶそうしたその足で、糸嚢しのうから必要におうじて糸を引き出す。もし、ちょうど今朝けさアムブロアジヌおばあさんのかたの上に天井てんじょうからりてきたやつのように、りてこようと思えば、その糸のはしを出発点しゅっぱつてんにかわづけにして、自分の体を垂直すいちょくに落とすんだ。すると糸はクモの体のおもみで糸嚢しのうからひき出される。それから後は、そっとぶらさがって、それでいいと思うどれだけかの深さまでできるだけそろそろりてゆく。今度こんどがろうというときには、その糸を足の間のかせの中にだんだんたぐりこんでよじのぼって行く。二度目にりるときにはクモはただ、そのかせ絹糸きぬいとをすこしずつりほぐしてゆけばいいのだ。
蛛網くものするには、クモはその種々しゅじゅにしたがってそれぞれにその持ち前の方法や手順てじゅんでつくる。りをする種類しゅるいにしたがい、場所もあちらこちらで、まだその特別な性癖せいへきや、鑑識かんしきや、本能ほんのうにしたがうのだ。わたしはお前たちにただ、あの大きくて立派りっぱな、黄や、黒や、銀色ぎんいろ斑点はんてんのあるジョロウグモについて簡単かんたんに話そう。そのクモは、よくかわの流れに近くいるあの青やみどりとうすみとんぼ灯心とうしみ蜻蛉とんぼ。イトトンボの異称いしょうや、チョウや大きなハエと大きな勝負しょうぶをする狩人かりうどだ。その蛛網くものすは二本の木の間にたてにはったり、一方の流れのきしから、もう一方のきしへかけてさえもはるのだ。そのあとの方のれいをしらべてみよう。
「一匹のジョロウグモが、りをするのにいい場所を見つけだす。トンボや、青やみどりとうすみとんぼが、あるアシの草むらからほかの場所へと行ったりきたりして、あるときは高くのぼり、あるときは流れの上にりてきたりしている。チョウもやはりそういうふうにしているし、アブやあの牛のう大きなハエも飛んでいる。場所は上等じょうとうのところだ。さて、それから仕事だ! ジョロウグモは水際みずぎわやなぎてっぺんによじのぼる。そこで一つのとても仕遂しとげることのできそうに思えない大胆だいたんな計画を熟慮じゅくりょするのだ。一本の大綱おおづなはしがかかる。そのつなは一方のきしから向こう側のきしにはらねばならない蛛網くものすをささえる役に立つのだ。そうして、みんなよく考えてごらん。クモはおよいで流れをすことはできないのだ。もしも、冒険ぼうけんをして水の中に入るようなことがあれば、おぼれ死んでしまうだろう。だが、そのはしは、大綱おおづなは、どうしてもやなぎえだとがりから向こうがわへかけなければならないのだ。そんなむずかしい仕事には機械師きかいしでもけっして気がつかないだろう。その小さな生きものはどうするのだろう? さあ、みんなで一つ考えてごらん。わたしはみんなの考えを聞こう。
「クモが、水もわたらず自分のいるところから向こうへ行きもしないで、一方のがわから向こうがわはしをかけるんですって? もし本当にそうできるのなら、クモはぼくよりずっと利口りこうですね」とジュールがいいました。
「ぼくだっても、そう思うなあ」とおとうと同意どういしました。
「もし、わたしが……」とクレールがいいました。「ちょうどこれからおじさんがわたしたちに話してくださる、クモがどうしてその仕事を仕遂しとげるかということを知らなかったら、わたしはきっと、そのはしはできっこはありませんといいますでしょう。
 アンブロアジヌおばあさんは何もいいませんでした。けれども、おばあさんのはりの音がのろいので、だれにも、おばあさんがそのクモのはし非常ひじょう興味きょうみを持っていることがわかります。
動物どうぶつはよく、人間よりももっと知恵ちえを持っている。」ポールおじさんはつづけました。「ジョロウグモはそれをわたしたちに見せる。その後肢あとあし糸嚢しのうから糸をひきだす。その糸は長く長くなって、やなぎえだとがりからたれてゆらゆらしている。クモはもっともっと糸をひきだす。そして、最後にやめる。糸は十分に長くなったか? みじかすぎはしないか? それもよくり返って見なくちゃならない。もし長すぎたら、それはだいじなきぬえきを使いすぎたのだ。もし、またみじかすぎたら、それが不成功ふせいこうのもとだ。クモはすばやく、そのよこぎろうとする距離きょりを見る。正確せいかくに見るのだ。それはお前たちにもしんじられるだろう。糸が短かすぎるということが見い出される。クモはもう少し引き出して長くする。さあ、もうすっかりいい。糸はちょうどいい長さになった。仕事はすんだ。ジョロウグモはやなぎえだてっぺんで、たすけなしにできてしまったその残りの仕事をつのだ。ときどきクモは足で糸をささえて、糸に何かさまたげがありはしないかと注意している。そのさまたげるものだ! はしはそのさまたげるものにくっつくのだ! クモは流れをよこぎってそのはしをかけたのだ。どうしてそんなことができたのだろう? 糸はやなぎてっぺんからたれて、ゆらゆらしているのだ。しずかな風が、糸のはしを、向かいがわきしやなぎえだきつける。するとその糸のはしが、そこにからまりつくのだ。不思議ふしぎに見えた仕事はそれなのだ。ジョロウグモはただ糸を引き出すだけで、その糸のはしをかけ、蛛網くものすをはるのだ。
「やあ、何でもないんだなあ!」とジュールがさけびました。「そしてぼくらは、一人もそれを考えつかなかったんですね。
「そうだ、ジュール。それはたいへん簡単かんたんなんだ。けれども同時に非常ひじょう利口りこうな方法だ。それはどんな仕事でもそうだが、仕事の手段しゅだん簡単かんたんにするのはそれがすぐれているしるしだ。一つの仕事でも単純たんじゅんにかたづくのは知識しき手伝てつだっているし、こみらすのは無知むちだからだ。ジョロウグモは、その作業については、じゅうぶんに科学かがくつうじているのだ。
「どこにでも科学かがくを取り入れることができますの? おじさん」とクレールがたずねました。動物どうぶつ理屈りくつを知りませんでしょう? それが、だれがジョロウグモにそのつりばしをかけることを教えたのでしょう?」
「だれも教えないんだよクレールや。それは生まれると同時に持っている知恵ちえなんだ。本能ほんのうによって持っているのだ。それはすべてのものをつくった神さまの、まちがいのない思いつきなのだ。神さまは自分でつくった生きものの中でも、一番小さいものを保護ほごするために、ときどきまよう人間の理性りせいよりは、まちがいのない道をおつくりになったのだ。いつでもジョロウグモは、やなぎてっぺんから蛛網くものすをつむぐ準備じゅんびをしている。何が、その大胆だいたんな計画ではしをかけることをさとらせたか。何が、ゆれている糸のはしが向こうぎしえだの中にからまりつくのを辛抱しんぼうをあたえたか。また、何が、おそらくはただ一度で仕遂しとげられる、そしてまだかつてやったことのないその労働ろうどう成功せいこう保証ほしょうするのか? それは、すべての創造物そうぞうぶつ監視かんしする全般的ぜんぱんてき理性りせいだ。
 ポールおじさんはそのれいわりました。だれのにも、アムブロアジヌおばあさんにでさえも、もうクモは、少しもいやな生きものではなくなったことがわかりました。

   二七 蛛網くものす


 翌日よくじつ、小さなニワトリのヒナはみんなかえって、じょうぶでいました。牝鶏めんどりはそのヒナどもを中庭なかにわでつれていました。そして、クックッといいながら土をひっかいては小さなたねをほじくり出しました。そのたねを小さなヒナがてはおかあさんのクチバシから取りました。そして、ほんの少しでも険呑けんのんなことに近づくと牝鶏めんどりはヒナをびます。するとヒナはみんな走って行って、牝鶏めんどりのひろげたはねの下にくっつきってしまいます。が、すぐに彼らは大胆だいたんに頭を外につき出します。そのきれいな小さな黄色きいろい頭は、お母さんの赤い羽根はねの中にはめこんだようです。おどろきがってしまうと、牝鶏めんどりはまたクックッといいながらほじくります。小さいヒナはもう一度、お母さんのまわりを走っています。アムブロアジヌおばあさんは、もうまったく安心しました。そして、クモのことわざはすっかりてました。夕方になると、ポールおじさんはジョロウグモの話をつづけました。
「それから、第一にはった糸を、支柱しちゅうのように使わねばならない。で、その糸をうんとしっかりとしたものにしなければならない。そこでジョロウグモは、糸の両端りょうたんをよくねばりつかせる。それから一方いっぽうのはしからもう一方いっぽうのはしへと糸の上を行ったりきたりしはじめる。そしてその間いつも糸はつむぎ出していて、それを二重にじゅうに―三重さんじゅうに――それをよせ集めてひっつけ、ふつうのつなのようにしていあわせる。つぎには第二のつなが必要だ。それは、第一のよりはすこし下の方で、ほとんど平行へいこうしておくのだ。蛛網くものすはその二つのつなの間でつむがれるのだ。
「この目的のために、ジョロウグモは、すでにできあがっているつなの一方のはしから自分の体を垂直すいちょくに落として、糸嚢しのうからもれ出す糸でぶら下がる。クモはすぐに低いえだとどく。そして糸をそのえだにしっかりとくっつけて、りてくるときに使ったたての糸をつたって、はしまでのぼって行く。それからクモは、やはり糸をつむぎながら、しかしその新しい糸を、大綱おおづなにひっつけることはしないで、向こうぎしく。くとクモはまた自分の体を便宜べんぎのいいえだまですべり落として、そこに向こうがわからこちらまで道々みちみちつむいできた糸のはしをくっつける。この二度目のだいじな骨組ほねぐみの一部も新しい糸の添加てんかにしたがって一つの大綱おおづなになる。ついに二つの平行へいこうした大綱おおづなは、それぞれのはしをみずからえだむすびつけてめいめいの方向から、出てきたたくさんの糸でしっかりとできあがる。そして一つのつなからほかつなへと出ている他の糸は、そのみ立てのなかに、つなのあいだに、大きなほぼ円形えんけい空間くうかんを残して、あみをつくる予定よていをきめる。
「ここまでで、ジョロウグモは、その建築けんちくのざっとした、しかししっかりとしたその骨組ほねぐみだけをみ立てわったのだ。さてこれからは、きれいな精密せいみつな仕事だ。あみをつむがねばならないのだ。さまざまな骨組ほねぐみの糸が残しておいたまるい空間くうかんをよこぎって、まず第一の糸がはられる。ジョロウグモはその糸のなかを自分の居場所いばしょにする。それは蛛網くものすができるとその中央ちゅうおうになるところだ。この中央から、無数むすうの糸が出てそのはしを周囲しゅういにしっかりとくっつける。その距離きょりがほとんどどれがどうともいえないほど同じように出ていなければならない。それを放射線ほうしゃせんというのだ。ジョロウグモはそれにしたがって、中央に糸をにかわづけにする。そして、すでにはった横糸よこいとによってのぼって行って、その糸のはしを円周まわりにくっつける。それがすむと、たった今ひっぱったその線によって中央に帰ってくる。そこでまた第二の糸をにかわづけさせて、ただちにまた円周まわまで行きついて、第一の糸からすこしへだたったところに第二の糸のはしをくっつける。そういうふうに、中央から円周まわりに、円周まわりからたった今はったばかりの糸をつたっては中央へとかわりがわりにやって行って、クモはお前たちが専門家せんもんかの手で定規じょうぎとコンパスでえがいたのだというだろうほど正確せいかく間隔かんかくをおいた放射線ほうしゃせんで、円形えんけい空間くうかんをうめてしまうのだ。
放射線ほうしゃせんはすんだ。が、クモにはすべての仕事の中で、いちばんこまかい仕事が残っているのだ。そのめいめいの線に糸でくぎりをつくらねばならない。それは丸くかこんだ線からはじまって、螺旋形らせんけいの線をえがいてまわりながら、中心ちゅうしんのまわりまで行ってそこでわる。ジョロウグモは蛛網くものすのいちばん頂上ちょうじょうから出て、糸をきほぐしながら一つの放射線ほうしゃせんからほかのへと、たえず外側そとがわの糸との間隔かんかくたもちながらはって行く。こうして、先の糸から同じ間隔かんかくのところをたえずまわりながら、クモは放射線ほうしゃせん中心ちゅうしんでその仕事をおしまいにする。あみをつくる仕事はそれですんだのだ。
「だがなお、クモはもう一つ小さなかくを用意しなければならない。それは、そこからジョロウグモが自分の蛛網くものすを見とおしのできるところで、昼間のあつさや、夜の冷気れいきをさえぎる休息所きゅうそくしょだ。クモは、密集みっしゅうした小さなたばの中に、きぬ巣窟そうくつをつくる。小さなじょうごがた精巧せいこうものだ。それはクモのふだんの住居じゅうきょだ。もし、天気が上等じょうとうで、たくさんの獲物えものがかかりそうだと、ことに朝とばんは、ジョロウグモは、その巣窟そうくつを出て蛛網くものすなかに、じっとその体をおく。そして、いっそう近くで見はりをし、かかった獲物えものげない前に、じゅうぶんはやく走って行く。クモがあみなかにいるときにはその八本のあしをじゅうぶんにりひろげている。そしてすこしも動かないで死んだふりをしている。狩人かりうどでなくても、見はりにはそんな辛抱しんぼうがいるのだ。われわれもそのお手本てほんにならって、つぎの勝負しょうぶとう。
 子どもたちは失望しつぼうしました。ちょうどそのとき、お話がたいへんおもしろくなってきたところで、おじさんはその話のこしったのです。
「ジョロウグモの話は、ぼくにはたいへんおもしろいのですよ、おじさん」とジュールがいいました。「流れの上にかけるはしも、蛛網くものす規則きそく正しい放射線ほうしゃせんも、その糸が螺旋形らせんけいにまわりながら間隔かんかくをとって中心ちゅうしんまでつづいてゆくのも、それからかくれたり休んだりするための部屋へやも、みんな本当におどろくことばかりです。生きものはそんなえらいことをおそわらずに知っているんですねえ。そして、その獲物えものをつかまえるときには、まだもっとめずらしいことがあるでしょうね。
「そうだ、たいへんにおもしろいことがあるよ。だから、おじさんはお前たちに、それを話して聞かすことよりは、その本当のことを見せる方をえらんだのだ。昨日きのう、たんぼをとおるときに、わたしはジョロウグモがあのきれいな川エビのとれる小さい流れの上の二本の木のあいだに、蛛網くものすをかけているのを見たのだ。明日あしたの朝は、みんなで早起はやおきをしてそこに行ってかりを見よう。(つづく)



底本:「定本 伊藤野枝全集 第四巻 翻訳」學藝書林
   2000(平成12)年12月15日初版発行
底本の親本:「科学の不思議」アルス
   1923(大正12)年8月1日
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:トレンドイースト
2010年7月31日作成
2011年1月17日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。



科学の不思議(三)

STORY-BOOK OF SCIENCE
アンリイ・ファブル Jean-Henri Fabre
大杉栄、伊藤野枝訳

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)お婆《ば》あさんの

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一体|何《ど》うして

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「睹のつくり/火」、第3水準1-87-52]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)もつと/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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[#5字下げ]一九 本[#「一九 本」は中見出し]

『それで、紙は何で出来るか分りましたが、今度は、どうして本を造るのか、それを知りたいものですね。』とジユウルが云ひました。
『僕は一日中でもお話を聞きます。お話ときたら僕、独楽も兵隊も皆んな忘れて了ふんです。』とエミルが合槌を打ちました。
『本を造るには二重の仕事が要る。先づ考へて物を書く仕事、それからそれを印刷する仕事だ。何か考へてそれをそのまゝ書き取ると云ふ事は、実に骨の折れる仕事だ。脳を動かす仕事は、肉体の労働よりも余計早く体力を消耗する。と云ふのは、我々は自分の出来るだけの力を吾々の魂である、此の仕事に捧げるからだ。これでお前たちは、お前たちの将来を心配して、お前たちが自分で考へる事の出来るやうに、そしてお前たちを情けない無智から救うために、いろいろと考へたり書いたりしてくれる人々に、十分感謝しなければならないと云ふ事が分るだらう。』
『心に思ふまゝの事を書き取つて本を作るには、いろんな困難に打ち克たなければならないと云ふ事は、よく分りました。』とジユウルが答へました。『と云ふのは、半ペーヂばかりの年賀状を書かうとしても、僕は其の第一句でもう行き詰つて了ふんですもの。書き出しの文句は何て難しいものでせうね。僕の頭は重くなつて、眼は眩んで、真直に物を視る事も出来なくなります。僕文法をよく覚えたら、もつとよく書けるやうになりませうか。』
『さう云つちや可哀さうだが、しかし本当の事を云はう。文法は書く事を教へるものでない。文法は動詞を主格に合せたり、形容詞を名詞に合せたりする方法を教へる。此の文法の法則を破る事程人を不快にさせるものは無いのだから、確かに文法は必要なものだ。しかし、文法は書く事を教へるものではない。世間には文法の法則だけをうんと覚え込んでゐて、それでお前のやうに、書き出しに行き詰る人がある。
『言葉と云ふものは、頭の中の考へに着せる着物のやうなものだ。我々が無いものを着る事は出来ないやうに、我々の心の中に無いものは、話す事も書く事も出来ない。頭が命令してペンが書くのだ。だから、考へる事を勉強するのが、書く事を勉強する事になる。頭に考へが出来上つてゐて、そして書き馴れと云ふものが文法以上に言葉の法則を教へてくれた時には、立派な事がちやんとよく書けるやうになるのだ。頭が空つぽで、考へがない時に、何が書けるのだ! では、どうして其の考へを手に入れるかと云ふに、それは勉強と読書と、吾々よりももつと教育のある人との話によつて得られるのだ。』
『では、叔父さんがかうして話して下さるいろんな事を聞いてゐると、僕は書く稽古をしてゐる事になるのですね。』とジユウルが云ひました。
『さうだとも、例へば、二三日前に紙の源《もと》に就いて二行程書いてくれと頼まれても、お前たちには何にも書けなかつたらう。それはどうしてか。文法と云つても、お前たちはまだほんの少ししか知つちやゐないが、それを知らないからではなくつて、紙がどうして出来るかと云ふ考へがなかつたからだ。』
『その通りです。僕は紙が何から出来るのか少しも知りませんでした。今は、僕は綿は棉の木といふ草の円莢に入つてゐる毛房だと云ふ事を知りました。そして此の毛房から糸を造り、それから糸から布を造ると云ふ事を知り、布が使ひ古されると、機械でパルプにされて、このパルプが薄い板に引き延されて、それが圧搾されて遂に紙になると云ふ事も知りました。僕はさう云ふ事は好く分つたのですけれど、それでもまだそれを書くのは随分骨が折れますね。』
『いや、そんな事はない。お前はたゞ、今お前が私に云つた通りを其の儘書けばいゝのだ。』
『では、皆んな其の話す通りに書くんですか。』とジユウルが云ひました。
『さうだ。たゞ書く時にはね、話した通りを少し直すだけだ。話すのには、ひまがとれないけれど、書くのには少し時間がかゝるからね。』
『それぢや、僕直ぐ五行程かいてみよう。』とジユウルは云つて、次ぎのやうに読みあげました。『綿は棉の木といふ草の円莢に入つてゐる毛房であります。人は此の毛房で糸を造り、其の糸で布を造ります。布が着られなくなりますと、機械がそれを小さく裂いて、挽臼でそれを挽いてパルプにして了ひます。このパルプは薄い層に引き伸ばされて、圧搾してから乾かします。それが紙になるのです。さあ、叔父さんこれでようございますか。』
『お前の年頃としては大出来だよ。』と叔父さんはほめてくれました。
『ですが、これでは本に組めませんね。』
『どうして出来ない? いつかはそれが本の中にはいるやうになるのだ。私達の話はお前のやうにやはり物を知りたがる沢山の余所《よそ》の子供にも有益なのだから。出来るだけそれを簡単なものにして集めて叔父さんはそれを本にしようと思つてゐるんだ。』
『叔父さんが僕たちに話してくれるお話を暇な時に読める御本にするんですか。あゝ僕嬉しいなあ――叔父さん、僕叔父さんが大好きですよ。だけど、其の本には、僕の何にも知らない質問は書かないで下さるでせうね。』
『それもすつかり書き込むんだ。お前はホンの少ししか知つてゐないが、随分熱心に聞きたがる。それは好い性質で、ちつとも恥ぢるには及ばない事だ。』
『でも、その本を読む子供達は屹度《きっと》僕の事を笑はないでせうか。』
『大丈夫さ。』
『それだと、僕は其の人達を皆な大好きだつて、書いて下さいね。』
『僕は、皆なが叔父さんから頂いた綺麗な独楽や、立派な鉛の兵隊さんを貰へるやうにと書いて下さいね。』とエミルが云ひました。
『気をおつけよエミル、叔父さんはお前の兵隊さんの事を本にかき込むかも知れないよ。』と兄さんがおどしました。
『書くとも、もうちやんと書いてあるよ。』と叔父さんは笑ひました。

[#5字下げ]二〇 印刷[#「二〇 印刷」は中見出し]

『本が書かれると、著者は其の作物、即ち原稿を印刷屋に送る。印刷屋はそれを活字にして、本を作りたいと思ふ数だけ複製する。
『端の方にアルフアベツトの文字を浮き彫りに刻んだ、短かい綺麗な金属の棒を想像してごらん、或る棒の端にはaといふ文字があり、別なのにはb、或はcといふ文字がある。又中には、何にも彫つてないのや、点や、コンマや、其他吾々の言葉を記《しる》した種々の文字や符号のすべてと同じだけのいろいろの活字がある。その上どの文字もどの符号も、幾通でも/\使ふ事が出来るやうになつてゐる。かう云ふ活字は皆以前は逆さに字が刻んであつたものだ。その理由は今に分る。
『植字工と云ふ労働者は、自分の前にケースの台を持つてゐる。そのケースの中にはアルフアベツトの文字や符号が、一と区切り/\入つてゐる。aはaの区切りの中に、bはその次の区切りに、cはその又次ぎの区切りにと云ふ工合になつてゐる。しかしそれらの文字はアルフアベツト順に箱が並んでゐるのではない。仕事を手ツ取り早くするために、一番沢山使はれる文字、例へばeだとかrだとかiだとかと云つた風の文字を、手近の区切りに入れておく。そしてxだとかyだとか云ふやうなあまり使はない文字の区切りはもつと離れたところに置く。
『植字工は自分の前に原稿を置いて、左手には植字台《ステッキ》と云ふ、縁のある鉄の定規を持つてゐる。そして原稿を読みながら、長い習慣になれた右手は、指定された文字を探して、それを他の字と列を並べてステツキの上に置く。植字工は文字のあるのに似た、しかし端の方の低い、そして何も彫つてない活字で一字一字の間を隔てる。第一行が済むと、植字工は既に出来上つた行の次ぎに、小さな活字を並べて新しい行を作り始める。そして最後にステツキが一杯になると、職工はその中味を丁寧に鉄の枠の中に入れる。そして枠が一杯になつて、印刷床と云ふものが出来上るまで、此の仕事をつゞける。此の床はたゞ次ぎから次ぎに並べた無数の小さい活字から出来てゐる。此の無数の小さい金属を列べるのは忍耐と熟練との大仕事で、ちよいと間違つても駄目になつて了ふ。そして其の鉄の枠の隅々をしつかりと固めて、全体をまるで一枚の金属板のやうにする。これで、其の床は印刷される準備が出来たのだ。
『油と油煙とで出来たインキを含ませたルラアが、此の床の上を転がる。すると、文字や符号などの浮彫りの活字はインキを塗り被《かぶ》せられて了ふが、残りの活字は表面が低いからインキを被らない。一枚の紙が此のインキのついた床の上に載せられる。そして其の紙を保護するに重しを被せて置いて、それを強く圧《お》す。活字のインキは紙に附いて、紙は一方の方が印刷されて出る。又別なものを印刷するには、此の方法を其の次ぎの床で繰り返すのだ。活字の文字は前に私が以前に話した通り、逆さに字が彫つてあつた。それが紙に印刷されると、ちやんとした字になるのだ。
『最初の紙が済むと、直ぐに第二の紙がつゞく、ルラアで再び板はインキを塗られ、其の上へ一枚が載つて圧されると、それでもう仕上がつたのだ。そこで第三番目の紙が来る。百遍目、千遍目と続いて来る。その度毎に必要なのは、板にインキを塗つて、紙で被つて、それから圧すと云ふ事だ。かうして其の一枚でも手でかけばまる一月もかゝるやうなのを幾千幾万枚も、忽ちの間に印刷して了ふ。
『人間の心の働きを非常に早く、そして欲しいだけ沢山写し出す此の優れた技術が発明されるまでは手製の写本に限られてゐた。此の手写し本はその仕事に長い年月がかゝつたので、数も極めて少く、値段も高かつた。五六冊の本を手に入れるには非常に運が好くなくては駄目だつた。今日では、本は何処にでもあつて、極く低級な人間の間にも知識の貴い糧は沢山拡つてゐる。此の印刷術は四百年以前にギユテンベルグが発明したものだ。』
『その名前を僕は決して忘れませんよ。』とジユウルが云ひました。
『それは覚えてゐていゝ名だ。本を印刷すると云ふ事で、ギユテンベルグは、人間が無知でゐると云ふ事の出来ないやうにした。将来の力になる我々の知識の宝は、石や金属に刻みつけられるだけでは足りない。其の数の多いところから無くなると云ふ心配のない紙に書かれなければならない。』

[#5字下げ]二一 蝶[#「二一 蝶」は中見出し]

 まあ何て綺麗だらう。まあ本当に、何と云ふ綺麗な事だらう。中には暗紅色の地に赤筋の通つた翅《はね》や、黒い輪のついた真青な翅や、オレンヂ色の斑《まだら》のある真黄色な翅や、さては又、金色に白い縁をとつた翅がある。蝶は額に立派な角、即ち二本の触角を持つてゐる。それは鳥毛のやうに縁がとられて居たり、羽毛の先のやうに裂けてゐたりする事がある。頭の下には、髪の毛のやうに美しいそして渦巻いた吸口の、嘴を持つてゐる。蝶が花に近づくと、蝶は其の嘴を伸して、蜜を吸ふために花冠の底へそれを差し込む。まあ何て綺麗だらう、まあ本当に、何と云ふ綺麗な事だらう。若し人が蝶に触らうとしやうものなら、其の翅は萎れて、指と指との間に、貴金属のやうな美しい粉を塗りつける。
 叔父さんは子供達に、庭の花の上を飛んでゐる蝶の名を教へました。叔父さんは云ひました。『此の白地に黒い筋が入つて、黒い斑《ほし》が三つある蝶はもんしろてふ[#「もんしろてふ」に傍点]と云ふのだ。長い尾までも黒い筋の入つた、黄色の大きな翅を持つてゐてその底の方に大きな錆色の眼と青い斑とを持つてゐるのはあげはのてふ[#「あげはのてふ」に傍点]と云ふのだ。翅の上部は空色をして、下部は銀灰色で、白い輪に黒い眼を入れて、翅に赤がかつた斑の入つてゐる、此の美しい蝶はじやのめてふ[#「じやのめてふ」に傍点]と云ふのだ。』
 そしてポオル叔父さんは、晴れた太陽が、花の許へ導いて来た蝶の名を云ひながら、其の話しをつづけて行きました。
『じやのめてふ[#「じやのめてふ」に傍点]は捕へ難いんですねえ。此の蝶には何でも彼でも見えるのです。あの翼は眼だらけですよ。』とエミルが云ひました。
『沢山の蝶が、其の翅に持つてゐる美しい丸い斑は、あれは本当の眼ぢやないんだ。眼と云はれてはゐるけれども、実は飾りなのだ。それだけの事だよ。本当の眼、即ち物を見る眼は頭にあるのだ。じやのめてふ[#「じやのめてふ」に傍点]には、他の蝶と同じやうに眼が二つある。』
『クレエルが、蝶は毛虫から生れてくるんだつて云ひましたよ。叔父さん本当ですか。』とジユウルが云ひました。
『さうだよ。美しい翅で、花から花へ飛び廻る美しい虫になる前は、何の蝶も何の蝶も[#「蝶も」は底本では「喋も」]、苦しさうにして這つてゐる、あの醜い毛虫だつたのだ。さうして、今お前たちに見せたもんしろてふ[#「もんしろてふ」に傍点]は、初めはキヤベツの葉を噛つてゐた青虫だつたんだ。青虫は非常に食慾が烈しいので、ジヤツク爺さんは、此の大食ひの虫をキヤベツ畑から取り除くのに、随分骨が折れると云ふだらう。その理由は直ぐに分るよ。
『昆虫の大半は此の蝶と同じやうにして生れて来る。即ち卵から出る時には、一時仮の姿をしてゐて、あとで又直ぐ外の姿に変る。つまり二度生れて来るやうなもので、最初は不完全で、ノロ/\して、大食ひで、醜いが、後には完全で、敏捷で、大食でなく、綺麗なものになる。此の最初の形態をしてゐる時の昆虫は、幼虫と云ふ総称で呼ばれてゐる。
『お前たちは、木虱の獅子の事を覚えてゐるだらう。此の虫は薔薇の木虱を食べるのだが、幾週間も幾週間も、いくら食つても食ひたらずに夜も昼も盛んに食ひ荒しつゞける。此の虫は幼虫で、絽《ろ》の翅と金色の眼を持つたくさかげろふ[#「くさかげろふ」に傍点]と云ふ小さなレース翅をした蠅に変はるのだ。黒い斑点《ほし》のある、美しい赤色のてんとうむし[#「てんとうむし」に傍点]は、さうなる前には、瓦色をして、小さな棘の一杯生えた、そして木虱を非常に好きな、醜い虫だ。かなぶん[#「かなぶん」に傍点]もやはり、初めは色の白い裸の、肥つた虫であつて、地の中に住んで、植物の根を食ひ、穀物を枯らす。鹿の角のやうな恐ろしい形をした上顎で固められた頭をした、大きなくわがたむし[#「くわがたむし」に傍点]も、初めは古い木の幹に住んでゐる大きな白虫だ。其の長い触角で有名な、あのかみきりむし[#「かみきりむし」に傍点]もやはりもとは白虫だ。それから熟したさくらんぼう[#「さくらんぼう」に傍点]の中に入つてゐる、あの小さな白虫は、何んになるかと云ふに、之れは黒いビロウドの帯が四つ入つた翼をつけた、美しい蠅になるのだ。
『さて、昆虫の初期、即ち其の若い時の最初の形を、幼虫と云ふ。幼虫を完全な昆虫に変へて了ふ大変化を変態と云ふ。毛虫や青虫は幼虫である。此の変態でもつて、幼虫は我々を驚かせるやうな豊富な色彩で飾られた翼を持つてゐる蝶になるのだ。青空色の翅を持つた美しいじやのめてふ[#「じやのめてふ」に傍点]は、初めは見すぼらしい、毛深い、毛虫であつたし、美しいあげはのてふ[#「あげはのてふ」に傍点]は黒い横縞の通つた、側《わき》に赤い斑のある青虫であつたのだ。其の他の穢い虫も変態をすると、あの花と優美を競ふ事の出来るきれいな活きものになるのだ。
『お前達はみんなあのシンデレラのお話を知つてゐるね。あの姉妹達は大威張りで、おしやれをして舞踏会へ行つてしまふ。シンデレラは湯沸しの番だ。彼女はもう胸が一杯になつてゐる。其処に教母が来る、『お出』と彼女は云ふ、『庭へ行つてとうなす[#「とうなす」に傍点]を取るのだよ。』そして見てゐるとえぐり出されたとうなす[#「とうなす」に傍点]は教母の魔法杖で最上等の馬車に変つた。『シンデレラ』と教母はまた云ひました『その捕鼠機《ねずみとり》をおあけ。』その中から六匹の鼠が飛び出した。そしてそれが魔法の杖にふれるが早いか、連銭葦毛のきれいな六匹の馬になつた。髭のある鼠は、その威儀のある髭で、大きな御者に丁度よかつた。如露の蔭に眠つてゐた六匹のとかげ[#「とかげ」に傍点]は、青く着かざつた従僕《おとも》になつた。その従僕はすぐに馬車の後に飛び乗つた。最後に其の可愛想な娘のボロ/\の着物は、金銀宝石をちりばめたものにかはつた。シンデレラは舞踏会に出かけて行つた。お前達は其の後は私よりもよつぽどよく知つてゐるね。
『それ等の教母達にとつては、鼠を馬にしたり、とかげ[#「とかげ」に傍点]を従僕にしたり、みすぼらしい着物を贅沢なものにしたりするのは、ほんのたはむれだ。とても信じられないやうな不思議な事でお前達を驚かす。それ等の親切な妖精《おばけ》達は、一体何んだらうね。それを実際の事に引きあはせて考へて御覧。立派な神様の妖精は、きたない虫から、そのきらはれる処を取り除いて、どうしてあのうつとりするやうなきれいな活きものを造つたのだらう! 彼が其の魔法の杖で触《さ》はれば、みぢめな毛虫も、腐つた木の中の蠕虫《うじむし》も不思議に立派に仕上げられるのだ。嫌はれる幼虫も金色に輝く甲虫に代つて了ふし、蝶の浅藍色《せんらんしょく》の翅はシンデレラのすぐれたおめかしにもひけはとらないだらう。』

[#5字下げ]二二 大食家[#「二二 大食家」は中見出し]

『昆虫は卵で其の蕃殖をする。彼等は驚くべき先見で、若い虫が其処で確かに直ぐ営養物を見出すだらう処に其の卵を生む。卵から出た幼虫といふ其の小さな活きものゝかよはい虫は、食物と庇護物の危険から屡々《しばしば》其の位置を移す――それは此の虫の世界では非常に困難な事なのだ。それ等のつらい初めの仕事も其の母親からは何んの助けも当にする事は出来ない。母親はそれより前に死んでしまつてゐる。昆虫の生活では、其の両親は一般に、卵がかへつて[#「かへつて」に傍点]若い虫が生れる前に死ぬのだ。幼虫は直ぐに仕事にかゝる。仕事と云ふのは食べる事だ。それは其の虫の将来に懸つてゐる真面目な、唯一の仕事なのだ。それは殆んど毎日々々力一杯に食べつゞけるのだ。何よりもムク/\と肥る事が、将来の変態に必要なのだ。私はお前達に話さなくちやならない――それはきつとお前達を驚かすだらう――昆虫は最後の完全な態《かたち》になつたあとではもう大きくなる事を止めるのだ。昆虫の其の点はなか/\よく知られてゐる――とりわけ蚕の蝶はね――蚕は或る営養物以外のものはとらないのだ。
『猫の生れたては、小さな薄紅色の鼻をした手の窪みで寝られる程小さいものだ。一と月か二た月たつと自分で遊ぶのに夢中なだけのそれはきれいな小猫で、そのすばしつこい足で人がその前に投げてやつた紙の束にじやれつく。それから年がたつとそれは一匹の牡猫で、辛抱強く鼠の番をしてゐるか、或は其の競争者と屋根の上で戦を交へてゐる。しかし、それが小さな蒼い眼をやつとあいてゐる小さな活きものにしても、或は綺麗なふざけやの小猫にしても、或は又喧嘩好きの牡猫にしても、どれもいつも猫の態を備へてゐる。
『昆虫の場合にはそれとは反対なのだ。あげはの[#「あげはの」に傍点]蝶は、其の蝶の態で、最初は小さく、それから中位になり、それから更に大きくなるといふやうな事はない。最初から翅をひろげて飛ぶし、其の翅はいつもおなじに大きいのだ。それが地面の下から出て来る時までは、其処に虫の姿で住んでゐる。そしてやがてまづ最初に日光の中に出て来る。かなぶん[#「かなぶん」に傍点]もやつぱりさうだ。それはお前達も知つてるね。小さい猫はある、けれども小さいあげはの[#「あげはの」に傍点]蝶や小さいかなぶん[#「かなぶん」に傍点]はない。昆虫は変態を済ませば、もうそれきりで変らないのだ。』
『でも僕ね、夕方柳のまはりを小ちやなかなぶん[#「かなぶん」に傍点]が飛んでゐるのを見ましたよ。』ジユウルが反対しました。
『その小さなかなぶん[#「かなぶん」に傍点]は、ちがふ種類のものなのだ。それはいつでもおなじ大きさだ。それが大きくなつて、普通のかなぶん[#「かなぶん」に傍点]になり、猫よりも成長したものが虎になるといふ事は決してない。大変よく似てはゐるが、違ふものだ。
『その小さな虫はひとりで育つのだ。卵から出て来たばかりの最初の時は非常に小さい。が、だんだんに大きくなつて行つて、将来の昆虫に適するやうになる。それは、その変態に必要な材料を集めるのだ――その材料といふのは、翅、触角、肢《あし》、になるので、それはみんな幼虫にはないが、昆虫は持つてゐなければならないのだ。あの死んだ木の中に住んでゐる大きな青虫が、いつか鍬形虫にならねばならないのだが、あの異常な枝のついた顎や、頑丈な硬い完全な昆虫の外被を何からつくるのだらう? 長いかみきり[#「かみきり」に傍点]の触角を幼虫は何でつくるのだらう? あげはの[#「あげはの」に傍点]蝶の大きな翅を毛虫は何でつくるのだらう? 毛虫や、青虫や、幼虫や、蠕虫は、その時代に、生命を支へる大事な材料を旺《さか》んに集めて蓄めるのだ。
『もし、小さい、薄紅色の鼻をした猫が、耳も、足も、尻尾も、毛も、鬚もなしで生れて来て、もしそれが簡単な小さい肉の球で、何日か眠つてゐる間に、耳も、足も、尻尾も、毛も、鬚も、その他のいろんなものも、みんな一度に出来るとして、此の必要に迫まられて材料を集める生の仕事が、脂肪の多い組織の動物に、前もつて集めたものを掴んで別に取り除けておくといふ事が果して間違ひのない事だらうか? 無からは何んにもつくる事は出来ない。勢よく前の方にはねてゐる猫の鬚のあの少しの毛でも、食べる事によつてつくられた動物の本質に損をさせる事になるのだ。
『幼虫はそつくりそのまゝ此の例の通りなのだ。完全な昆虫が持たねばならないものを何んにも持たない。幼虫の次の時代になつても何んにも持たない。だから、将来の変化の事を考へて、其の変化の為めの材料を貯へて置かなければならないのだ。それには二つの目的の為めに食べねばならない。第一には幼虫自身の為めと、それから昆虫の本質から来る、型を変へる事や、感覚やの変化をするために食ふのだ。幼虫はさういふ風にして、無類の食慾を授けられてゐるのだ。私が云つたやうに、食べる事は、彼等のたつた一つの仕事なのだ。彼等は夜も昼も食べる。そして屡々止め度なしに息もつかずに食べる。そして一口の食物に迷つてゐる。何といふ不謹慎な事だらう? かうして彼等は意地汚く食べる。其の胃袋は大きく脹れてブク/\になる。それが幼虫のつとめ[#「つとめ」に傍点]なのだ。
『或ものは、草木を襲ふ。彼等は葉の上で新芽を食べる。花を噛む。果物の肉に喰ひ込む。それから別に、木を十分に消化させる程強い胃袋を持つた奴がゐる。彼等は、木の幹に隧道《トンネル》を穿《うが》ち、列を分けて擦り減らして行つて、硬い樫の木も粉になるし、柔かい柳も同様だ。更に又そんなものよりは動物の体を腐らしたものを好きな奴がゐる。彼等は病毒に染つた屍体の中に巣喰つてゐる。彼等の胃袋は腐つたもので一杯になつてゐる。猶《なお》、他に、糞をさがして、その不潔なものを御馳走にするものがある。彼等はみんな、地面の汚物をきれいにする立派な役目の発達した掃除夫だ。お前達はさういふ蛆虫が、膿汁の中に群がつてゐるのを考へたら胸が悪くなるだらう。だが、それは最も大事な役に立つ事の一つであり、用意深い一つの仕事なのだ。その伝染力を逐ひ、構成要素を忠実にもとに戻す役目は此の胸を悪くさせる食ひしんぼうの虫によつて果されるのだ。そして、まるで此の不潔な必要を償ふように、それ等の幼虫の一つは、あとでは磨いた青銅と其の光輝を競ふ綺麗な蠅になるし、他のものは、見事な宝石や金の光彩と其の立派な上衣とを競はせて麝香《じゃこう》の匂をさせてゐるかみきり[#「かみきり」に傍点]になるのだ。
『しかし、それ等の一般の衛生の仕事に貢献してゐる幼虫は、吾々を被害者にする他の食ひしんぼう[#「食ひしんぼう」に傍点]の事を吾々に忘れさすことは出来ない。かなぶん[#「かなぶん」に傍点]の幼虫は、たつた一つから繁殖して、幼い間に広大な地域の植物を剥ぎとつてしまふ程速く殖える。それは草や木の根を咬むのだ。林業家の灌木や、百姓の収穫物や、園芸家の植物などが、丁度これから元気よく育つて行かうと云ふ時分の或る上天気の朝に、萎れて死んでしまふ。虫が其処を通つたのだ。それでみんな死んだのだ。火はこんな恐ろしい荒らし方はしなかつた。地の下に住んで、やつとの事で見られる位のつまらない黄色な虱が葡萄の木の根を襲ふ。その虫は葡萄虫といふのだ。此の災難な虫の繁殖は、吾々の葡萄園が台なしになる前ぶれだ。或る虫は、小麦の粒を十分其の宿り場所にする程小さい。その虫は吾々の穀倉を荒らして麩《ふすま》だけを残す。他の虫はまたむらさきうまごやし[#「むらさきうまごやし」に傍点]の若草を草刈り手が何んにも刈るものを見当らない程すつかり食べてしまふ。別の虫は何年もかゝつて樫やポプラや松やその他いろ/\の大木の心《しん》を咬み耗《へ》らす。それからまたこれは、蛾と云つて夕方ランプのまはりを飛びまはる白い蝶になるのだが、その虫は吾々の毛織物の着物をだんだんに食つて行つてしまひにはボロにしてしまふ。もつと他のものは羽目板や古い家具を襲ふてこれを粉にしてしまふ。それからまた――だが、私がもしお前達にそれをみんな話すとしたら、何時までたつてもおしまひにする事が出来ないだらう。此の小さな者達を吾々は軽蔑して上つ面だけの注意しかしない。が、此の小さな昆虫の仲間は、その幼虫の丈夫な食慾の為めに非常に力あるものなのだ。人間はそれを真面目に考へなくてはならない。もしも本当にその虫がとめ度なく繁殖する事が出来たら、何処の国でもみんな飢餓の悲惨な運命に脅かされるのだ。そして吾々はそれらの大食家共の目的を全く知らずにゐたのだ。若しもお前達が悪魔を知らないときにお前達はどうして自分達でその悪魔を防ぐ事が出来る? 私はたゞ一つそれ等のものを支配する事を知つてゐる。お前達は、それ等の荒し手に就いてのもつと委しい私達の話をまだ続けるのを待つ間に、斯ういふことを思ひ出して御覧。昆虫の幼虫は此の世界の大食家で、此の荒しやは、前に話したやうにしてその生命の為めに用意をして、他のものを滅亡させる仕事をお仕舞ひにする。その間すべてのもの、或はすべてに近いものが、彼等の胃袋を通るのだ。』

[#5字下げ]二三 絹[#「二三 絹」は中見出し]

『幼虫は、其の種属によつて、何時かは、自分が変態の危険に面しても十分に強くなつたことを感ずる日が来る。それには先づ幼虫の務めである腹をふくらしつめ込んだ後に、勇敢にその義務を果す。幼虫は自分自身の為めと成熟した昆虫との二つのものゝ為めに食つたのだ。今が食べる事を思い切つて外界から退き、その死のやうな眠りの間の静かな隠れ場所で同時に再生の場所を自分で用意する適当な時なのだ。此の住居を用意するのに、千もの方法を使つてゐる。
『或る幼虫は簡単にその体を地中に匿《か》くすし、他のものは壁の磨いた面を穿《ほ》る。それから又或るものは乾いた葉で袋をつくるし、他のものはまた土や腐つた木や、砂の粒で、うつろの球をつくつてその外側を膠《にかわ》づけにして固める事を知つてゐる。木の幹に住んでゐるものは、自分で穿つた隧道の両端をその木屑のつめ[#「つめ」に傍点]で塞いでゐるし、小麦の中に住むのは小麦粒の粉になるすべての部分を咬んで、用心深く、外側にはふれないか、或はふすま[#「ふすま」に傍点]にする。それが、此の虫達に揺床《ゆれどこ》のやうな役目をするのだ。また他にもつと僅かな用心で隠れ場所をつくるのがある。それは木の皮や壁の裂目に隠れるので、自分の体を巻いた糸で其処に自分の体をしばりつけるのだ。もんしろてふ[#「もんしろてふ」に傍点]やあげはのてふ[#「あげはのてふ」に傍点]の幼虫は此の種類に属する。しかし繭といふ小さな絹の室をつくる幼虫の熟練は特別に優れて見える。
『灰白色の小指位の大さの虫がある。その繭をとるのに沢山にそれを飼う。その繭で絹がとれるのだ。其の虫を蚕といふのだ。清潔にした室に藁の篩《ふるい》を置き、その上に桑の葉を置く。そして幼虫は家の中で卵から孵《かえ》る。桑は大きな木で、其の幼虫を養ふ目的で栽培するのだ。此の桑は、たゞ蚕の食物になるその葉を除いては何の値うちもない。広い地域が、此の桑の栽培に当てられてゐる。それほど此の虫の手細工は貴《たっと》いものなのだ。幼虫は度々篩の上をすつかり新しくする桑の葉の定食《じょうしょく》を食べる。そして、折々、彼等が育つ割り合ひに従つて其の皮を脱ぐ。その食慾は、穏やかな木の葉簇《はむら》に俄雨《にわかあめ》が降りそゝぐやうな音が彼等の顎から起る位に荒い。その室には実に無数の虫を容れてあるのだ。幼虫は四週間から五週間の間育つて行く。それから篩はヒーザアの小枝で用意される。虫はその繭を紡ぐ時が来ると其の上に這ひ上るのだ。彼等は一つ一つ小枝の中に落ちついて、非常にきれいな沢山の糸を彼方此方に一種の網細工をつくるやうに、結びつける。それは、繭をつくる大仕事の為めに足として役に立ち、またそれを吊しておく支へになるのだ。
『その絹糸は、唇の下から出て来る。その孔を糸嚢《しのう》といふ。虫の体の中には絹の材料がうんとはいつてゐるのだ。それは護謨《ごむ》に似たねばねばする液体だ。唇が開いて出て来る其の液体を引き延ばしたものが糸になるが、それは糸になるまでは膠のやうな粘着物だが、すぐに固まつてしまふ。絹の材料は虫の食べる桑の葉の中には、全く含まれてはゐない。それは牝牛が食べる草の中のミルクよりはもつと含まれてゐない。それは虫が、自分の食べたものからつくるのだ。丁度牝牛がその飼葉からミルクをつくるのとおなじやうに、虫の助けがなかつたならば、人間は決して桑の葉から高価な織物の材料を引き出すことは出来なかつたのだ。吾々の一番きれいな絹織物は実に、虫が生んだものを取つたのだ。それは虫のよだれ[#「よだれ」に傍点]が糸になつたのだ。
『話を戻さう。虫が自分の網の真中に体を吊した処までだつたね。それから繭をつくるのだ。其の虫の頭は続《つづけ》さまに動く。それは前に進んだり、後戻つたり、上つたり、下つたり、右へ行き、左へゆく。その間、唇から極く僅かづつの糸を出してゐる。その糸はゆるくその体のまはりに巻かつてゆく。そしてその体は既にもう其処で糸にひつついてしまふ。そしておしまひには鳩の卵位の大きさにすつかり包まれたものが出来上る。その絹のつくり方は、最初には透きとほつてゐて、誰でも十分に虫の働きを見る事が出来る。しかし、内側を通る糸が厚くなつて行つて直ぐに其の観察から隠れてしまふが、容易に推察に従ふ事が出来る。三日か或は四日の間その貯へた絹の液を使ひつくしてしまふまで、繭の壁をあつくする事を続けてゐる。それが済むと最後に此の世界から退いて独りになり、静かにもう直ぐに行はれる変態の為めの準備をする。その全生活は、その長い生活は一ヶ月だ。桑の葉をうんとその体に詰め込んだのも、繭の絹をつくるのに自分の体を軽くしたのも、その仕事はみんな変態の前置きなのだ。斯うしてその虫は蝶になりつつあるのだ。それは幼虫にとつては何んといふ厳粛な瞬間だらう!
『おゝ! さうだ、私はそれについての人間に関した部分の事を大方忘れてゐた。やつと其の繭をつくる事が済むと人間は直ぐにヒーザアの小枝に馳けつける。そして乱暴な手を繭にかけてそれを製造人の手に渡す。製造人は早速にそれを窯に入れて未来の蝶を殺すのに蒸気で蒸すのだ。その柔かい肉はもとの形のまゝだ。もしも製造人が猶予すれば蝶は繭をつき破るだらう。そしてその繭は切れ/″\になつた糸の為めにもう解《ほ》ぐす資格がなく、その値うちが下つてしまふのだ。此の予防をしてしまへば、そのあとはゆつくりと出来るのだ。其の繭は、工場の紡績機といふものでほぐされる。繭は湯の※[#「睹のつくり/火」、第3水準1-87-52]立つた鍋の中に突込まれてゴムを弛められる。そのゴムは長々と続いてうねりくねつた糸を集めてしつかりともたしておくのだ。女工は其の握つた小さなヒーザアの掃木で湯の中の繭を攪きまはして順に糸の端を見出して取り上げる。そしてそれを廻つてゐる紡車《つむぎぐるま》の上に置く。すると機械の活動の下に絹糸はほぐれて行く。その間繭は、誰れかゞ糸を引つぱつた時の毛糸の玉のやうに熱い湯の中で跳ねてゐる。糸の薄くなつた繭の真中には、火で焙り殺された蛹《さなぎ》がゐる。その後で絹はいろ/\な作業に遭ふ。それはもつとしなやか[#「しなやか」に傍点]にし光沢を出させることや、紺屋の桶を通つて其処でそれ/″\好みの色に染められ、最後に織られて、織り物になるのだ。』

[#5字下げ]二四 変態[#「二四 変態」は中見出し]

『一度繭の中に隠れた虫は、丁度死にかゝつたものゝやうに萎《しな》び縮む。第一に、背中の皮が割れる。それから彼方此方を引つぱつて痙攣を繰り返す。虫は非常な難儀でその皮を引きはがす。その皮で頭の外面、顎、眼、肢、胃袋やその他のいろんなものが出来る。それが普通のひきはがし方だ。古い体を覆つてゐた破れた皮は、終ひに繭の中で隅の方におしつけられる。
『繭の中でその仕事をしてゐるのは何んだらう? 違ふ虫か、それとも蝶か、どつちでもないのだ。彼等の体は巴旦杏《はだんきょう》の型をして一方の端は円くなり他の方は尖つてゐて、皮のやうな見かけをしてゐる。それを蛹といふのだ。それは、虫と蝶との二つの資格の中間のものだ。其処では、既に未来の昆虫の型を表示した投影を確かに見る事が出来る。大きい方の端では触角を見分ける事が出来、翅はしつかりと蛹の横に折り畳まれてゐる。
『かなぶん[#「かなぶん」に傍点]、よろひ虫、鍬形虫、其の他の甲虫の幼虫も、もつと強い型でほぼ同様な状態を抜ける。頭や翅や肢の各部分が、精巧に蛹の脇に折りたゝまれてゐて非常によくそれを認める事が出来る。だが、それはみんなぢつとして動かない。そして柔かで、白く、或は水晶のやうに透きとほつてゐるのさへある。此の昆虫の輪郭をしたものを活動蛹といふのだ。蛹といふ名は蝶のに使ふ。活動蛹の名はおなじものでゐても、何かの違つた外見を表はしてゐる他の昆虫のに使ふ。蛹と活動蛹の二つは昆虫の形成の途中なのだ――昆虫はひそかに纏布《てんぷ》に包まつて、その中で、頭から足の先きまですつかり構造を変へる神秘な働きをするのだ。
『二週間の間に、もしも適当な温度であれば蚕の蛹は熟した果物のやうに割れる。そして、その小さな室を破り開いて其処から蝶が脱け出す。すべてがくしや/\で、湿つてその震へる足でやつと立つ事が出来る位だ。外の空気は、翅を乾かし、張りひろげ、力を得るのに必要なのだ。繭からは出なければならないのだ。だが、どうして幼虫は繭を堅くつくつたのに、蝶はそんなに弱いのだらうか? その可哀想なものは、その牢屋の中でいためられたのだらうか? その小さな塞《ふさ》いだ室の中で、仕事を遂げるのに窒息する程の悲惨な沢山の困難にも怒らないのだ。もう最後に到つたのだ!』
『その繭は歯で破つて出るのぢやないんですか?』とエミルがたづねました。
『だが坊や、それがないんだよ、それに似たものもないんだ。たゞ尖つた鼻を持つてゐるだけだ。いい加減な骨折りは役に立たない。』
『ぢやあ、爪でですか?』とジユウルが云ひ出しました。
『さうだ、もしそれを持つてゐれば十分役に立つ。だが厄介な事には、それもないのだ。』
『だつて、蝶は外に出る事が出来なければならないのです』とジユウルが頑張りました。
『間違ひなく外へ出る。すべての生物がさうとはゆかないが、生命の困難な瞬間の手段はみんな持つてゐる。鶏の雛がとぢ込められてゐた卵を破るのに、その小さな雛のくちばし[#「くちばし」に傍点]の端がその目的の為めに、ほんの少しその先きが固くなつてゐる。だが、蝶はその繭を破るのに何にも持たないだらうか? 持つてゐる! だが、お前達には、とても簡単な道具だが、何をつかふか察しはつくまい。それはね、眼を使ふのだよ。』
『眼ですつて?』クレエルが遮りました。
『さうだ。昆虫の眼は透きとほるような角性の蓋《ふた》で被はれてゐて、堅くて切れる多面体だ。その多面体をよく見ようとするには、廓大鏡が要る。それは非常に鋭くて骨を切る事が出来る程だ。それをみんな集める事が出来れば必要な時には銹器《おろしき》のやうな風に使へるだらう。蝶はその仕事を初める時には、唾で繭の此処と思ふ処を湿して、それから、その柔かにしたしみ[#「しみ」に傍点]に眼を当《あて》る。そしてそれを捩《ね》ぢ、叩き、ひつかき、鑢《やすり》を[#「鑢《やすり》を」は底本では「鑪《やすり》を」]かける。絹糸は一つ一つに負けて擦りきれてゆく。穴が出来る。蝶は外に出るのだ。お前達はそれについてどう考へる? 四人で考へても、時としては動物の持つてゐる智慧に及ばないではないか? 牢屋の壁を眼で叩いて突き貫くといふ事が吾々に考へられるだらうか?』
『蝶はその利口な方法を、長い間考へて研究しなければなりますまいね。』とエミルが質問しました。
『蝶は研究する事なんか出来ない。思案をする事も出来ない。それは何時でもその重要な仕事をどうするか、どうすればうまくゆくか、と云ふ事を直接に知つてゐるのだ。その為めに考へるのは他の者だ。』
『それは誰れです?』
『神様だ。神様は偉大な智慧者だ。蚕の蝶は綺麗ではない。白ぼけた色で、大きな腹で重い、そして他の蝶のやうに、花から花へ飛びまはる事は出来ないし、食物もとらない。その蝶は繭から出るや否や、卵を生む仕事に掛る。そして死ぬのだ。蚕の卵は普通に種《たね》と云つてゐる。それは、植物の卵が種であるやうに、動物の種である卵の為めには、大変にいゝ呼び方だ。卵と種は一致するのだ。人間は繭をすつかり蒸気で窒息させはしない。それを空気に曝らしたあとで、種とそれを産む蝶を手に入れるためにいくらかの数をとりのけておく。その種は次の年に新らしい蚕をつくり出すのだ。
『すべての昆虫は、私が今お前達に話したやうに四つの状態を通ずる変態をする。卵、幼虫、蛹或は活動蛹、完全な昆虫と云ふ四つだ。完全な昆虫は卵を生む、そして順に変形を繰り返してゆく。』

[#5字下げ]二五 蜘蛛[#「二五 蜘蛛」は中見出し]

 或朝、アムブロアジヌお婆あさんは、少し前に孵つたばかりの小な鶏の雛の為めに林檎を※[#「睹のつくり/火」、第3水準1-87-52]、草を刻んでゐました。大きな一匹の灰色の蜘蛛が、其の長い糸を自分で滑らせながら天井から其の善良なお婆あさんの肩に降りて来ました。その長いびろうど[#「びろうど」に傍点]のやうな肢を見るとすぐアムブロアジヌお婆あさんは恐怖の叫び声を禁《と》める事が出来ませんでした。そしてその肩を震はせて、虫を落しました。虫はお婆あさんの足で圧しつぶされました。『朝の蜘蛛は悲しみのしるしだ。』お婆あさんはひとりで思ひました。此の時にポオル叔父さんとクレエルとが急いではいつて来ました。
『よくない事が御座いました旦那様』とお婆あさんが云ひました。『私達は役に立たない面倒を見てあんなに沢山の可哀想なものを死なさなければならないのです。十二の小さな雛が孵つて、金のやうに輝いてゐます。丁度今私が其の雛の為めに食べものゝ用意をして居りましたらあのまあ悪い蜘蛛が私の肩に落ちて来ましたのです。』
 アムブロアジヌお婆あさんは、まだ足を震はせてゐる圧しつぶされたばかりの虫を指さしました。
『私はまだ其の雛を見なかつたが、蜘蛛が何か恐ろしいものを持つてゐるのかい?』とポオル叔父さんが云ひました。
『いゝえ何にも持ちは致しません。恐ろしい活物《いきもの》は死にました。けれどもあなたは『朝の蜘蛛は悲しみ、夜の蜘蛛は喜び』と云ふ諺を御存じでせう。誰でも、朝蜘蛛を見れば悪い事のしるしとしてゐます。あの小さな雛は険呑です。猫がとるのでせう。旦那様御覧になつて下さい。御覧になつて下さい。』アムブロアジヌお婆あさんの眼に恐怖の情が動きました。『雛は猫のかゝらない安全な処に置かう。そして私は其の他の返事をしよう。其の蜘蛛の諺は、たゞ馬鹿気た間違つた考へなんだよ』とポオル叔父さんは云ひました。
 アムブロアジヌお婆あさんは何にも云ふ事が出来ませんでした。お婆あさんは、ポオル先生が何についてでもよく説明をして聞かせてくれる事を知つてゐますし、また、蜘蛛にも時によつては讚められる資格のあることもわかつてゐるのです。クレエルは、どうして蜘蛛が賞められるのか叔父さんに質問しました。
『ねえ叔父さん、私叔父さんの目に映るすべての動物は、たとへどんなにいやなものであつても、何かその云ひわけになる勝れた処を持つてゐるものだ、と云ふ事は知つてゐます。みんな考へる価値があります。みんな神様がおきめになつた役目をつとめてゐるんです。そしてみんなそれを観察し研究すれば興味があるのです。けれども叔父さん、私おたづねしたいんです、あの蛛網《くものす》で天井を汚くするそして毒を持つたあのいやな蜘蛛を、叔父さんは何う云ふほめ方をなさいますの?』
『どういふほめ方をするかつて? ほめる事はどつさりあるよ。もしお前が蜘蛛の諺の嘘だといふ説明を聞きたかつたら、雛に餌を食べさして猫を用心してやる間に話してあげよう。』
 夕方、アムブロアジヌお婆あさんは大きなまんまるい眼鏡を鼻の上にのせて、靴足袋を編んでゐました。お婆あさんの膝の上では猫が眠つてゐました。そしてその猫のゴロ/\云ふ音と、針のカチカチ云ふ音とが混つてゐました。子供達は蜘蛛のお話を待つてゐます。叔父さんは始めました。
『あの綺麗な蜘蛛の巣は、穀倉の隅に張つてあるか、それとも庭の木の間に張つてあるか、それからその蛛網で蜘蛛が何をするのか、此の三つの事をお前達は私に話すことが出来るかい?』
 エミルが第一に話しました。『その蛛網といふのは蜘蛛の巣ですね叔父さん、それは蜘蛛の家で、そして隠れ場なんですね。』
『隠れ場所!』ジユウルが叫びました。『さうだ、僕はそれよりももつと考へます。或る日僕はライラツクの枝の間で、ヒイーイーイイツ!と云ふ金切り声を聞いたんです。見ると一匹の蒼蠅《あおばい》が蛛網に絡つて逃げようとしてもがいてゐました。その音は蠅が翅をバタ/\さしてゐる音だつたんです。すると、一匹の蜘蛛が絹の漏斗《じょうご》の底から走つて来てその蠅をつかみました。そしてそれを真中の穴に運び込んで確かに食べてしまつたんです。それを見てからは僕は、蛛網は、蜘蛛が狩りをする網だと思つてゐます。』
『それは、たしかに其の通りだ。』と叔父さんが云ひました。『すべての蜘蛛は生き物を捕へて餌食にしてゐる。蜘蛛は蠅や、蚊や、虻《あぶ》やその他の虫と戦ひつゞけてゐるのだ。もしお前達が、夜私達をさして血を吸つてゆくあの悪《にく》らしい小さな虫共を恐れるなら、お前達はあの蜘蛛を庇つてやらねばならない。さうすれば、出来るだけ吾々は蚊からさされないでもすむ。勝負をするには網が必要なのだ。その絹糸で織つた網は、飛んでゐる蠅を捕へるのだ。その絹糸は蜘蛛の体から出すのだ。
『昆虫の体の中には絹のやうなものがある。丁度青虫や毛虫が持つてゐるような、ゴムか膠に似たねばねば[#「ねばねば」に傍点]した液体だ。それは出て来て空気に触れるや否や、すぐに固まつて糸になる。そしてそれは液体の要を成さないのだ。蜘蛛は紡ぐ必要が出来た時には、糸嚢と云つて、胃袋の端にある四つの乳くびから、その絹の液体を流し出す。それ等の乳くびの先きには水撒きの如露のやうな沢山の穴が通つてゐる。その四つの乳くびにある穴の数は、ざつとの計算でも千位はある。その、一つ一つが、めいめいに少しづつの液を出しそれが固つて糸になる。そして、その糸が千もくつついて、一つの完全な糸になり、その最後の糸を蜘蛛は使ふのだ。蜘蛛の糸に較べて、それよりもずつときれいなもの、と云つても他にはないと云ふ訳は今直ぐに分るが、蜘蛛の糸は実にそれ程繊細だ。人間の使ふ絹糸は、上等の織物の糸は、蜘蛛の糸に比較すると、それを二つ、三つ、四つも合はせた程の太綱《ふとつな》だ。同時に、そのくらべものゝない程細い一条の糸の中には千もの糸が含まれてゐるのだ。一本の髪の毛程の太さの糸をつくるのには、どれだけの蜘蛛の糸が要るだらうか? かれこれ十匹の蜘蛛の糸は要るだらう。そして糸嚢の別々の穴から流れ出すののやうな細い糸でどの位要るかと云へば、一万だ。此の縮めておける絹の材料は、それを引きのばせば、一万もよせて、一本の髪の毛の太さと同じになる一番細い糸になるのだ。何と云ふ驚くべき事だらう。そしてそれはたゞ蜘蛛の御馳走になる蠅を捕へるのにだけしか役に立たないのだ。』

[#5字下げ]二六 絡新婦《じょろうぐも》の橋[#「二六 絡新婦の橋」は中見出し]

 此処で、ポオル叔父さんは、考へ深い眼で叔父さんを見つめてゐるクレエルにひかれました。それは明かに、クレエルの心の中で何かの変化が起りかけてゐたのです。蜘蛛はもう近よれない程嫌やな活きものではありませんでした。吾々が注意する価値のないものではありませんでした。ポオル叔父さんは話しつゞけました。
『蜘蛛は、櫛のやうな、鋭い歯のある小さな爪で武装した其の足で、糸嚢から必要に応じて糸を引き出す。もし、丁度今朝アムブロアジヌお婆あさんの肩の上に天井から降りて来た奴のやうに、降りて来ようと思へば、其の糸の端を出発点に膠付けにして、自分の体を垂直に落すんだ。すると糸は蜘蛛の体の重味で糸嚢からひき出される。それから後は、そつとぶら下つて、それでいゝと思ふどれだけかの深さまで出来るだけそろ/\下りてゆく、今度は上らうといふ時には、其の糸を足の間の※[#「木+裃のつくり」、第3水準1-85-66]《かせ》の中にだんだんたぐり込んで攀《よ》ぢ上つて行く。二度目に降りる時には蜘蛛はたゞ、其の※[#「木+裃のつくり」、第3水準1-85-66]の絹糸を少しづつ繰りほぐしてゆけばいゝのだ。
『蛛網を織るには、蜘蛛は其の種々に従つてそれ/″\にその持ち前の方法や手順でつくる。狩りをする種類に従ひ、場所も彼方此方で、まだ其の特別な性癖や、鑑識や、本能に従ふのだ。私はお前達にたゞ、あの大きくて立派な、黄や、黒や、銀色の斑点のあるじよらうぐも[#「じよらうぐも」に傍点]について簡単に話そう。その蜘蛛は、よく河の流れに近くゐるあの青や緑の豆※[#「虫+良」、第3水準1-91-57]《とうすみとんぼ》や、蝶や大きな蠅と大きな勝負をする狩人だ。その蛛網は二本の木の間に竪に張つたり、一方の流れの岸から、もう一方の岸へかけてさへも張るのだ。其のあとの方の例をしらべて見よう。
『一匹のじよらうぐも[#「じよらうぐも」に傍点]が、狩りをするのにいゝ場所を見つけ出す。蜻蛉や、青や緑の豆※[#「虫+良」、第3水準1-91-57]が、或る蘆の叢から他の場所へと、行つたり来たりして或時は高く昇り、或時は流れの上に降りて来たりしてゐる。蝶もやはりさういふ風にしてゐるし、虻《あぶ》やあの牛の血を吸ふ大きな蠅も飛んでゐる。場所は上等の処だ。さて、それから仕事だ! じよらうぐも[#「じよらうぐも」に傍点]は水際の柳のてつぺん[#「てつぺん」に傍点]に攀ぢ上る。其処で一つのとても仕遂げることの出来さうに思へない大胆な計画を熟慮するのだ。一本の大綱の橋が懸る。その綱は一方の岸から向ふ側の岸に張らねばならない蛛網を支へる役に立つのだ。さうして、みんなよく考へて御覧、蜘蛛は泳いで流れを越すことは出来ないのだ。もしも、冒険をして水の中にはいるやうな事があれば、溺れ死んでしまうだらう。だが、其の橋は、大綱は、どうしても柳の枝の尖から向ふ側へ掛けなければならないのだ。そんな六ヶしい仕事には機械師でも決して気がつかないだらう。其の小さな活きものはどうするのだらう? さあ、みんなで一つ考へて御覧。私はみんなの考へを聞かう。』
『蜘蛛が、水も渡らず、自分のゐる処から向ふへ行きもしないで、一方の側から向ふ側に橋を掛けるんですつて? もし本当にさう出来るのなら、蜘蛛は僕よりずつと悧巧ですね』とジユウルが云ひました。
『僕だつてもさう思ふなあ』と弟も同意しました。
『もし私が、』とクレエルが云ひました。『丁度これから叔父さんが私達に話して下さる、蜘蛛がどうしてその仕事を仕遂げるかと云ふ事を知らなかつたら、私はきつと、その橋は出来つこはありませんと云ひますでせう。』
 アンブロアジヌお婆あさんは何んにも云ひませんでした。けれども、お婆あさんの針の音がのろいので、誰にも、お婆あさんがその蜘蛛の橋に非常な興味を持つてゐる事が分ります。
『動物はよく、人間よりももつと智慧を持つてゐる。』ポオル叔父さんは続けました。『じよらうぐも[#「じよらうぐも」に傍点]はそれを私達に見せる。其の後肢で糸嚢から糸をひき出す。其の糸は長く長くなつて、柳の枝の尖から垂れてゆら/\してゐる。蜘蛛はもつともつと糸をひき出す、そして、最後にやめる。糸は十分に長くなつたか? 短かすぎはしないか? それもよく振り返つて見なくちやならない。もし長すぎたら、それは大事な絹の液をつかひすぎたのだ。もしまた短かすぎたら、それが不成功のもとだ。蜘蛛はすばやく、その横ぎらうとする距離を見る。正確に見るのだ、それはお前達にも信じられるだらう。糸が短かすぎると云ふ事が見出される。蜘蛛はもう少し引き出して長くする。さあ、もうすつかりいゝ。糸は丁度いゝ長さになつた。仕事はすんだ。じよらうぐも[#「じよらうぐも」に傍点]は柳の枝のてつぺん[#「てつぺん」に傍点]で、助けなしに出来てしまつたその残りの仕事を待つのだ。時々蜘蛛は足で糸を支へて、糸に何か妨げがありはしないかと注意してゐる。その妨げるものだ! 橋は其の妨げるものにくつつくのだ! 蜘蛛は流れを横切つてその橋を懸けたのだ。何うしてそんな事が出来たのだらう? 糸は柳のてつぺん[#「てつぺん」に傍点]から垂れて、ゆら/\してゐるのだ。静かな風が、糸の端を、向側の岸の柳の枝に吹きつける。するとその糸の端が、其処に絡りつくのだ。不思議に見えた仕事はそれなのだ。じよらうぐも[#「じよらうぐも」に傍点]はたゞ糸を引き出すだけで、その糸の橋を懸け、蛛網を張るのだ。』
『やあ、何でもないんだなあ!』とジユウルが叫びました。『そして僕等は一人もそれを考へつかなかつたんですね。』
『さうだ、ジユウル、それは大変簡単なんだ。けれども同時に非常に利口な方法だ。それはどんな仕事でもさうだが、仕事の手段を簡単にするのはそれが優れてゐる標《しるし》だ。一つの仕事でも単純に片づくのは知識が手伝つてゐるし、こみ入らすのは無知だからだ。じよらうぐも[#「じよらうぐも」に傍点]は、その作業については、十分に科学に通じてゐるのだ。』
『何処にでも科学を取り入れる事が出来ますの? 叔父さん』とクレエルがたづねました。『動物は理窟を知りませんでせう。それが誰がじよらうぐも[#「じよらうぐも」に傍点]にその吊橋をかける事を教へたのでせう?』
『誰も教へないんだよクレエルや、それは生れると同時に持つてゐる知慧なんだ。本能によつて持つてゐるのだ。それはすべてのものを創つた神様の、間違ひのない思ひつきなのだ。神様は自分でつくつた活きものゝ中でも、一番小さいものを保護する為めに、時々迷ふ人間の理性よりは、間違ひのない道をおつくりになつたのだ。何時でもじよらうぐも[#「じよらうぐも」に傍点]は、柳のてつぺん[#「てつぺん」に傍点]から蛛網を紡ぐ準備をしてゐる。何が、その大胆な計画で橋をかける事を悟らせたか。何が、揺れてゐる糸の端が向ふ岸の枝の中に絡りつくのを待つ辛抱を与へたか。又、何が、恐らくはたゞ一度で仕遂げられる、そしてまだ且つてやつたことのない其の労働の成功を保証するのか? それは、すべての創造物を監視する全般的な理性だ。』
 ポオル叔父さんはその例を説き終りました。誰れの眼にも、アムブロアジヌお婆あさんにでさへも、もう蜘蛛は少しも嫌やな活きものではなくなつたことがわかりました。

[#5字下げ]二七 蛛網[#「二七 蛛網」は中見出し]

 翌日小さな鶏の雛は、みんな孵つて、丈夫でゐました。牝鶏はその雛共を中庭で連れてゐました。そして、クツクツと云ひながら土をひつかいては小さな種をほじくり出しました。その種を小さな雛が来てはお母さんの嘴から取りました。そして、ほんの少しでもけんのんな事に近づくと牝鶏は雛を呼びます。すると雛はみんな走つて行つて牝鶏の拡げた羽の下にくつつき合つてしまひます。が、すぐに彼等は大胆に頭を外につき出します。その綺麗な小さな黄色い頭は、お母さんの赤い羽根の中に嵌《は》め込んだやうです。驚きが過ぎ去つてしまふと、牝鶏はまたクツクツと云ひながらほじくります。小さい雛はもう一度お母さんのまはりを走つてゐます。アムブロアジヌお婆あさんは、もう全く安心しました。そして蜘蛛の諺はすつかり棄てました。夕方になると、ポオル叔父さんはじよらうぐも[#「じよらうぐも」に傍点]の話を続けました。
『それから、第一に張つた糸を、支柱のやうに使はねばならない。で、その糸をうんと確《し》つかりとしたものにしなければならない。そこでじよらうぐも[#「じよらうぐも」に傍点]は、糸の両端をよく粘りつかせる。それから一方の端からも一方の端へと糸の上を行つたり来たりしはじめる。そしてその間何時も糸は紡ぎ出してゐて、それを二重に――三重に――それをよせ集めてひつつけ、普通の綱のやうにして掏《な》ひ合はせる。次ぎには第二の綱が必要だ、それは、第一のよりは少し下の方で、殆んど平行して置くのだ。蛛網《くものす》は其の二つの綱の間で紡がれるのだ。
『此の目的の為めに、じよらうぐも[#「じよらうぐも」に傍点]は、既に出来上つてゐる綱の一方の端から自分の体を垂直に落して、糸嚢から洩れ出す糸でぶら下る。蜘蛛はすぐに低い枝に届く。そして糸を其の枝にしつかりとくつつけて、降りて来る時に使つた竪《たて》の糸を伝つて、橋まで昇つて行く。それから蜘蛛は、やはり糸を紡ぎながら、しかしその新しい糸を、大綱にひつつけることはしないで、向ふ岸に着く。着くと蜘蛛はまた自分の体を便宜のいゝ枝まで辷り落して、其処に向ふ側から此方まで道々紡いで来た糸の端をくつつける。此の二度目の大事な骨組みの一部も新しい糸の添加に従つて一つの大綱になる。遂に二つの平行した大綱は、それ/″\の端を自ら枝に結びつけてめい/\の方向から、出て来た沢山の糸でしつかりと出来上る。そして一つの綱から他の綱へと出てゐる他の糸は、その組み立ての真中に、綱の間に、大きな略《ほ》ぼ円形の空間を残して、網をつくる予定をきめる。
『此処までで、じよらうぐも[#「じよらうぐも」に傍点]は、其の建築のざつとした、しかし確つかりとしたその骨組みだけを組立て終つたのだ。さてこれからは綺麗な精密な仕事だ。網を紡がねばならないのだ。様々な骨組の糸が残しておいた円い空間を横ぎつて、先づ第一の糸が張られる。じよらうぐも[#「じよらうぐも」に傍点]はその糸の真中を自分の居場所にする。それは蛛網が出来るとその中央になる処だ。此の中央から、無数の糸が出てその端を周囲にしつかりとくつつける。その距離が殆んどどれがどうとも云へない程おなじやうに出てゐなければならない。それを放射線と云ふのだ。じよらうぐも[#「じよらうぐも」に傍点]はそれに従つて、中央に糸を膠付《にかわづ》けにする。そして、既に張つた横糸によつて昇つて行つて、その糸の端を円周《まわり》にくつつける。それがすむと、たつた今引つぱつたその線によつて中央に帰つて来る。其処で又第二の糸を膠着《にかわづけ》させて、直ちにまた円周まで行きついて、第一の糸から少し隔つた処に第二の糸の端をくつつける。さう云ふ風に、中央から円周に、円周からたつた今張つたばかりの糸を伝つては中央へと代り代りにやつて行つて、蜘蛛はお前達が専門家の手で定規とコンパスで描いたのだと云ふだらう程正確な間隔をおいた放射線で、円形の空間をうめてしまふのだ。
『放射線はすんだ。が、蜘蛛にはすべての仕事の中で一番細かい仕事が残つてゐるのだ。そのめい/\の線に糸で区切りをつくらねばならない。それは円く囲んだ線から始まつて、螺旋形の線を描いてまはりながら中心のまはりまで行つて其処で終る。じよらうぐも[#「じよらうぐも」に傍点]は、蛛網の一番頂上から出て、糸を巻きほぐしながら一つの放射線から他のへと、絶えず外側の糸との間隔を保ちながら張つて行く。斯うして、先の糸から同じ間隔の処を絶えずまはりながら、蜘蛛は放射線の中心で其の仕事をおしまひにする。網をつくる仕事はそれで済んだのだ。
『だが猶、蜘蛛はもう一つ小さな隠れ家を用意しなければならない。それは、其処からじよらうぐも[#「じよらうぐも」に傍点]が自分の蛛網を見透しの出来る処で、昼間の暑さや、夜の冷気を遮る休息所だ。蜘蛛は、葉の密集した小さな束の中に、絹の巣窟《そうくつ》をつくる。小さな漏斗形の精巧な織物だ。それは蜘蛛のふだんの住居だ。もし、天気が上等で、沢山の獲物がかゝりさうだと、殊に朝と晩は、じよらうぐも[#「じよらうぐも」に傍点]は、其の巣窟を出て蛛網の真中に、ぢつと其の体を置く。そして、一層近くで見張りをし、かゝつた獲物が逃げない前に、十分速く走つて行く。蜘蛛が網の真中にゐる時には其の八本の肢を十分に張り拡げてゐる。そして少しも動かないで死んだふりをしてゐる。狩人でなくても、見張りにはそんな辛抱が要るのだ。吾々も其のお手本に傚《なら》つて、次ぎの勝負を待たう。』
 子供達は失望しました。丁度其の時お話が大変面白くなつて来た処で、叔父さんはその話の腰を折つたのです。
『じよらうぐも[#「じよらうぐも」に傍点]の話は僕には大変面白いのですよ叔父さん』とジユウルが云ひました。『流れの上に架ける橋も、蛛網の規則正しい放射線も、その糸が螺旋形にまはりながら間隔をとつて中心まで続いてゆくのも、それから隠れたり休んだりする為めの室も、みんな本当に驚く事ばかりです。活きものはそんなえらい事を教はらずに知つてゐるんですねえ。そして、その獲物をつかまへる時には、まだもつと珍らしい事があるでせうね。』
『さうだ、大変に面白い事があるよ。だから、叔父さんはお前達に、それを話して聞かす事よりは、その本当の事を見せる方を択んだのだ。昨日田圃を通る時に私はじよらうぐも[#「じよらうぐも」に傍点]が、あのきれいな川鰕《かわえび》のとれる小さい流れの上の二本の木の間に蛛網を掛けてゐるのを見たのだ。明日の朝は、皆んなで早起きをして其処に行つて猟を見よう。』(つづく)



底本:「定本 伊藤野枝全集 第四巻 翻訳」學藝書林
   2000(平成12)年12月15日初版発行
底本の親本:「科学の不思議」アルス
   1923(大正12)年8月1日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※ルビは新仮名とする底本の扱いにそって、ルビの拗音、促音は小書きしました。
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:トレンドイースト
2010年7月31日作成
2011年1月17日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。



*人物一覧

(人名、および組織・団体名・神名)
  • グーテンベルク Johannes Gutenberg 1400頃-1468 ドイツの人。鋳型によって活字を鋳造し、プレス印刷機を考案。活版印刷術を実用化した。それで印刷した42行聖書は有名。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。



*難字、求めよ

  • 棉の木 めんのき? わたのき?
  • 毛房 けふさ?
  • パルプ pulp 木材やその他の植物を化学的あるいは機械的に処理してセルロース繊維をなるべく純粋に取り出したもの。紙・レーヨン・セロファンなどの主原料。製法から化学パルプ・砕木パルプなど、用途から製紙用パルプ・溶解用パルプなどに分かれる。
  • 植字 しょくじ 活版印刷で、活字ケースから文選した活字を、原稿に指定してある体裁に並べ組むこと。組版。ちょくじ。
  • 印刷床 いんさつどこ
  • 暗紅色 あんこうしょく 黒みを帯びた紅色。
  • 花冠 かかん 花の雌しべ雄しべの外側にある部分。様々な美しい色彩と形をもち、花の中で最も目立つ。花冠の構成する単位を花弁という。多くの場合、花冠は5・4・3個の花弁をもつ。花冠と萼(がく)を合わせて花被という。
  • 絽 ろ 搦(から)み織物の一種。紗(しゃ)と平織とを組み合わせた組織の絹織物。緯(よこ)三本・五本おきに透き目を作る。紋絽・竪(たて)絽・絽縮緬(ちりめん)などがある。夏季の着尺地用。
  • 瓦色 かわらいろ
  • 教母 きょうぼ 教保(きょうほ)・教父母(きょうふぼ)か。
  • 教父母 きょうふぼ 聖公会での洗礼の立会人。名親。教保。
  • とうなす 唐茄子・蕃南瓜。(1) 東京地方で、南瓜類の総称。(2) カボチャの一品種。果体は長く瓢箪形を呈し、表面は平滑または瘤質をなすもの。京都付近に栽培。カラウリ。
  • 連銭葦毛 れんぜん あしげ 馬の毛色の名。葦毛に灰色の円い斑点のまじったもの。虎葦毛。星葦毛。
  • 浅藍色 せんらんしょく
  • 外被 がいひ 物の外側をおおっているもの。
  • 蠕虫 ぜんちゅう ミミズ・ゴカイなどうごめいて移動する虫。
  • 灌木 かんぼく (1) 枝がむらがり生える樹木。(2) 低木に同じ。←→喬木。
  • ブドウ虫 ぶどうむし 「えびづるむし(蝦蔓虫)」の異名。方言(1) 透翅蛾(すかしば)の幼虫。(2) 虫。こがね虫。(3) かなぶん(金)。
  • 蝦蔓虫 えびづるむし スカシバガ科のブドウスカシバとムラサキスカシバの幼虫の俗称。ブドウやエビヅルの枝に食い入って虫�(ちゅうえい)をつくる。釣餌や小鳥の餌として市販。ぶどう虫。
  • �・麩 ふすま 小麦をひいて粉にした時に残る皮の屑。洗い粉または牛馬の飼料に用いる。もみじ。殻粉(からこ)。むぎかす。
  • ムラサキウマゴヤシ 紫馬肥 〔植〕アルファルファの和名。
  • アルファルファ alfalfa マメ科の多年生牧草。西南アジア原産。古来、世界で広く栽培され、現在では重要な牧草の一つ。日本には明治期に導入。乾草としてよく、飼料価値が高い。また、もやしは生食用。ムラサキウマゴヤシ。紫苜蓿。ルーサン。
  • 揺床 ゆれどこ
  • ヒーザー heather か。種々のヒースの総称。特にギョリュウモドキ(英国産)。エリカ。
  • ヒース heath (1) ツツジ科の低木エリカ属の数種とカルーナ(ハイデソウ)を含む呼称。地中海沿岸からスコットランド・北欧の山地に分布。いずれも荒地に群生する常緑低木で、春または秋、白・淡紅などの鐘形の小花を多くつける。(2) 本来は (1) の茂った荒地。
  • 糸嚢 しのう
  • 掃木 ほうき?
  • 紺屋 こんや (コウヤとも)染物屋。元来は藍染業者をいったが、のち染物を業とするものの総称。中世は「紺掻」といった。
  • 巴旦杏 はたんきょう (1) アーモンドの別称。(2) スモモの一品種トガリスモモのこと。
  • よろい虫 よろいむし 鎧虫。「こうちゅう(甲虫)」の異称。
  • 活動蛹 かつどうよう? biomorphotica か? 活蛹昆虫。蛹が活動的な脈翅目昆虫のことをこのように称する。(素木得一編『昆虫学辞典』昭和57.2、北隆館)
  • 纏布 てんぷ 纏足に用いる布。
  • 角性
  • 険呑 けんのん 険難・剣呑。(ケンナンの転という。「剣呑」は当て字)あやういこと。あやぶむこと。
  • 靴足袋 くつたび 足袋のようにつま先が二つに割れた靴下。
  • 蛛網 くものす/しゅもう クモの巣。
  • ライラック lilac 〔植〕リラ(lilas)の英語名。
  • リラ lilas モクセイ科の落葉低木。南ヨーロッパの山地に自生し、高さ5メートル内外。5月頃、淡紫色で4裂した長さ約1センチメートルの花を開き、芳香を放つ。観賞用に栽培。園芸品には白・淡紅色がある。ムラサキハシドイ。ハナハシドイ。ライラック。
  • 豆普@とうすみ とんぼ → とうしみ とんぼ
  • 灯心蜻蛉 とうしみ とんぼ イトトンボの異称。「とうすみ」はトウシミの訛。
  • イトトンボ 糸蜻蛉・豆娘。イトトンボ亜目のトンボの総称。普通のトンボより小形で、体は細く、静止時は翅を背上に合わせる。池沼の草むらに多い。トウスミトンボ。トウセミ。灯心蜻蛉。
  • 牝鶏 めんどり/ヒンケイ
  • 室 へや 部屋。
  • 尖 さき? とがり?


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『日本国語大辞典 第二版』(小学館、2001.5)『学研新漢和大字典』、素木得一編『昆虫学辞典』(北隆館、1982.2)。



*後記(工作員スリーパーズ日記)


 一月二十八日(土)雪。西沼田(にしぬまた)遺跡。記念講演シンポジウム、苅谷俊介。天童説、♪因幡の白うさぎ、どんぐりころころ。インドネシア、スンバ島、奈良纏向遺跡の写真スライド。遺跡と自然環境と日常生活は、それぞれ、メンとスープと具材のようなもの。「天童市=ラーメン屋」になることを提言。
 さらに俊介しゃん、復原住居で厳冬の一晩を体験することを提案。実験考古学!

 寒気もさることながら、海水温が気にかかる。積雪量が多いということは、海水温と寒気の温度差から生じる水蒸気量が日本海で多量に発生しているということ、か。諏訪湖の御神渡、四年ぶりに観測とのこと。




*次週予告


第四巻 第二九号 
南島のいれずみ / 琉球女人の被服 伊波普猷


第四巻 第二九号は、
二〇一二年二月一一日(土)発行予定です。
定価:200円


T-Time マガジン 週刊ミルクティー 第四巻 第二八号
科学の不思議(三)アンリ・ファーブル
発行:二〇一二年二月四日(土)
編集:しだひろし/PoorBook G3'99
 http://www33.atwiki.jp/asterisk99/
出版:*99 出版
 〒994-0024 山形県天童市鎌田2丁目1−21
 アパートメント山口A−202
販売:DL-MARKET
※ T-Timeは(株)ボイジャーの商標・製品です。



  • T-Time マガジン 週刊ミルクティー *99 出版
  • バックナンバー
  • 第一巻
  • 創刊号 竹取物語 和田万吉
  • 第二号 竹取物語小論 島津久基(210円)
  • 第三号 竹取物語の再検討(一)橘 純一(210円)
  • 第四号 竹取物語の再検討(二)橘 純一(210円)
  •  「絵合」『源氏物語』より 紫式部・与謝野晶子(訳)
  • 第五号 『国文学の新考察』より 島津久基(210円)
  •  昔物語と歌物語 / 古代・中世の「作り物語」/
  •  平安朝文学の弾力 / 散逸物語三つ
  • 第六号 特集 コロボックル考 石器時代総論要領 / コロボックル北海道に住みしなるべし 坪井正五郎 マナイタのばけた話 小熊秀雄 親しく見聞したアイヌの生活 / 風に乗って来るコロポックル 宮本百合子
  • 第七号 コロボックル風俗考(一〜三)坪井正五郎(210円)
  •  シペ物語 / カナメの跡 工藤梅次郎
  • 第八号 コロボックル風俗考(四〜六)坪井正五郎(210円)
  • 第九号 コロボックル風俗考(七〜十)坪井正五郎(210円)
  • 第十号 特集 コロボックル考 喜田貞吉
  •  日本太古の民族について / 日本民族概論 / 土蜘蛛種族論につきて
  • 第十一号 特集 コロボックル考 喜田貞吉
  •  東北民族研究序論 / 猪名部と佐伯部 / 吉野の国巣と国樔部
  • 第十二号 日高見国の研究 喜田貞吉        
  • 第十三号 夷俘・俘囚の考 喜田貞吉
  • 第十四号 東人考     喜田貞吉
  • 第十五号 奥州における御館藤原氏 喜田貞吉
  • 第十六号 考古学と古代史 喜田貞吉
  • 第十七号 特集 考古学 喜田貞吉
  •  遺物・遺蹟と歴史研究 / 日本における史前時代の歴史研究について / 奥羽北部の石器時代文化における古代シナ文化の影響について
  • 第十八号 特集 考古学 喜田貞吉
  •  日本石器時代の終末期について /「あばた」も「えくぼ」、「えくぼ」も「あばた」――日本石器時代終末期―
  • 第十九号 特集 考古学 喜田貞吉
  •  本邦における一種の古代文明 ――銅鐸に関する管見―― /
  •  銅鐸民族研究の一断片
  • 第二〇号 特集 考古学 喜田貞吉
  •  「鐵」の字の古体と古代の文化 / 石上神宮の神宝七枝刀 /
  •  八坂瓊之曲玉考
  • 第二一号 博物館(一)浜田青陵
  • 第二二号 博物館(二)浜田青陵
  • 第二三号 博物館(三)浜田青陵
  • 第二四号 博物館(四)浜田青陵
  • 第二五号 博物館(五)浜田青陵
  • 第二六号 墨子(一)幸田露伴
  • 第二七号 墨子(二)幸田露伴
  • 第二八号 墨子(三)幸田露伴
  • 第二九号 道教について(一)幸田露伴
  • 第三〇号 道教について(二)幸田露伴
  • 第三一号 道教について(三)幸田露伴
  • 第三二号 光をかかぐる人々(一)徳永 直
  • 第三三号 光をかかぐる人々(二)徳永 直
  • 第三四号 東洋人の発明 桑原隲蔵
  • 第三五号 堤中納言物語(一)池田亀鑑(訳)
  • 第三六号 堤中納言物語(二)池田亀鑑(訳)
  • 第三七号 堤中納言物語(三)池田亀鑑(訳)
  • 第三八号 歌の話(一)折口信夫
  • 第三九号 歌の話(二)折口信夫
  • 第四〇号 歌の話(三)・花の話 折口信夫
  • 第四一号 枕詞と序詞(一)福井久蔵
  • 第四二号 枕詞と序詞(二)福井久蔵
  • 第四三号 本朝変態葬礼史 / 死体と民俗 中山太郎
  • 第四四号 特集 おっぱい接吻  
  •  乳房の室 / 女の情欲を笑う 小熊秀雄
  •  女体 芥川龍之介
  •  接吻 / 接吻の後 北原白秋
  •  接吻 斎藤茂吉
  • 第四五号 幕末志士の歌 森 繁夫
  • 第四六号 特集 フィクション・サムライ 愛国歌小観 / 愛国百人一首に関連して / 愛国百人一首評釈 斎藤茂吉
  • 第四七号 「侍」字訓義考 / 多賀祢考 安藤正次
  • 第四八号 幣束から旗さし物へ / ゴロツキの話 折口信夫
  • 第四九号 平将門 幸田露伴
  • 第五〇号 光をかかぐる人々(三)徳永 直
  • 第五一号 光をかかぐる人々(四)徳永 直
  • 第五二号 「印刷文化」について 徳永 直
  •  書籍の風俗 恩地孝四郎
  • 第二巻
  • 第一号 奇巌城(一)モーリス・ルブラン
  • 第二号 奇巌城(二)モーリス・ルブラン
  • 第三号 美し姫と怪獣 / 長ぐつをはいた猫 楠山正雄(訳)
  • 第四号 毒と迷信 / 若水の話 / 麻薬・自殺・宗教 小酒井不木 / 折口信夫 / 坂口安吾
  • 第五号 空襲警報 / 水の女 / 支流 海野十三 / 折口信夫 / 斎藤茂吉
  • 第六号 新羅人の武士的精神について 池内 宏
  • 第七号 新羅の花郎について 池内 宏
  • 第八号 震災日誌 / 震災後記 喜田貞吉
  • 第九号 セロ弾きのゴーシュ / なめとこ山の熊 宮沢賢治
  • 第一〇号 風の又三郎 宮沢賢治
  • 第一一号 能久親王事跡(一)森 林太郎
  • 第一二号 能久親王事跡(二)森 林太郎
  • 第一三号 能久親王事跡(三)森 林太郎
  • 第一四号 能久親王事跡(四)森 林太郎
  • 第一五号 【欠】
  • 第一六号 【欠】
  • 第一七号 赤毛連盟       コナン・ドイル
  • 第一八号 ボヘミアの醜聞    コナン・ドイル
  • 第一九号 グロリア・スコット号 コナン・ドイル
  • 第二〇号 暗号舞踏人の謎    コナン・ドイル
  • 第二一号 蝦夷とコロボックルとの異同を論ず 喜田貞吉
  • 第二二号 コロポックル説の誤謬を論ず 上・下 河野常吉
  • 第二三号 慶長年間の朝日連峰通路について 佐藤栄太
  • 第二四号 まれびとの歴史 /「とこよ」と「まれびと」と 折口信夫
  • 第二五号 払田柵跡について二、三の考察 / 山形県本楯発見の柵跡について 喜田貞吉
  • 第二六号 日本天変地異記 田中貢太郎
  • 第二七号 種山ヶ原 / イギリス海岸 宮沢賢治
  • 第二八号 翁の発生 / 鬼の話 折口信夫
  • 第二九号 生物の歴史(一)石川千代松
  • 第三〇号 生物の歴史(二)石川千代松
  • 第三一号 生物の歴史(三)石川千代松
  • 第三二号 生物の歴史(四)石川千代松
  • 第三三号 特集 ひなまつり
  •  雛 芥川龍之介 / 雛がたり 泉鏡花 / ひなまつりの話 折口信夫
  • 第三四号 特集 ひなまつり
  •  人形の話 / 偶人信仰の民俗化並びに伝説化せる道 折口信夫
  • 第三五号 右大臣実朝(一)太宰 治
  • 第三六号 右大臣実朝(二)太宰 治
  • 第三七号 右大臣実朝(三)太宰 治
  • 第三八号 清河八郎(一)大川周明
  • 第三九号 清河八郎(二)大川周明
  • 第四〇号 清河八郎(三)大川周明
  • 第四一号 清河八郎(四)大川周明
  • 第四二号 清河八郎(五)大川周明
  • 第四三号 清河八郎(六)大川周明
  • 第四四号 道鏡皇胤論について 喜田貞吉
  • 第四五号 火葬と大蔵 / 人身御供と人柱 喜田貞吉
  • 第四六号 手長と足長 / くぐつ名義考 喜田貞吉
  • 第四七号 「日本民族」とは何ぞや / 本州における蝦夷の末路 喜田貞吉
  • 第四八号 若草物語(一)L.M. オルコット
  • 第四九号 若草物語(二)L.M. オルコット
  • 第五〇号 若草物語(三)L.M. オルコット
  • 第五一号 若草物語(四)L.M. オルコット
  • 第五二号 若草物語(五)L.M. オルコット
  • 第五三号 二人の女歌人 / 東北の家 片山広子
  • 第三巻
  • 第一号 星と空の話(一)山本一清
  • 第二号 星と空の話(二)山本一清
  • 第三号 星と空の話(三)山本一清
  • 第四号 獅子舞雑考 / 穀神としての牛に関する民俗 中山太郎
  • 第五号 鹿踊りのはじまり 宮沢賢治 / 奥羽地方のシシ踊りと鹿供養 喜田貞吉
  • 第六号 魏志倭人伝 / 後漢書倭伝 / 宋書倭国伝 / 隋書倭国伝
  • 第七号 卑弥呼考(一)内藤湖南
  • 第八号 卑弥呼考(二)内藤湖南
  • 第九号 卑弥呼考(三)内藤湖南
  • 第一〇号 最古日本の女性生活の根底 / 稲むらの陰にて 折口信夫
  • 第一一号 瀬戸内海の潮と潮流(他三編)寺田寅彦
  •  瀬戸内海の潮と潮流 / コーヒー哲学序説 /
  •  神話と地球物理学 / ウジの効用
  • 第一二号 日本人の自然観 / 天文と俳句 寺田寅彦
  • 第一三号 倭女王卑弥呼考(一)白鳥庫吉
  • 第一四号 倭女王卑弥呼考(二)白鳥庫吉
  • 第一五号 倭奴国および邪馬台国に関する誤解 他 喜田貞吉
  •  倭奴国と倭面土国および倭国とについて稲葉君の反問に答う /
  •  倭奴国および邪馬台国に関する誤解
  • 第一六号 初雪 モーパッサン 秋田 滋(訳)
  • 第一七号 高山の雪 小島烏水
  • 第一八号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(一)徳永 直
  • 第一九号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(二)徳永 直
  • 第二〇号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(三)徳永 直
  • 第二一号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(四)徳永 直
  • 第二二号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(五)徳永 直
  • 第二三号 銀河鉄道の夜(一)宮沢賢治
  • 第二四号 銀河鉄道の夜(二)宮沢賢治
  • 第二五号 ドングリと山猫 / 雪渡り 宮沢賢治
  • 第二六号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(六)徳永 直
  • 第二七号 特集 黒川能・春日若宮御祭 折口信夫
  •  黒川能・観点の置き所 / 村で見た黒川能
  •  能舞台の解説 / 春日若宮御祭の研究
  • 第二八号 面とペルソナ/人物埴輪の眼 他 和辻哲郎
  •  面とペルソナ / 文楽座の人形芝居
  •  能面の様式 / 人物埴輪の眼
  • 第二九号 火山の話 今村明恒
  • 第三〇号 現代語訳『古事記』(一)前巻(前編)武田祐吉(訳)
  • 第三一号 現代語訳『古事記』(二)前巻(後編)武田祐吉(訳)
  • 第三二号 現代語訳『古事記』(三)中巻(前編)武田祐吉(訳)
  • 第三三号 現代語訳『古事記』(四)中巻(後編)武田祐吉(訳)
  • 第三四号 山椒大夫 森 鴎外
  • 第三五号 地震の話(一)今村明恒
  • 第三六号 地震の話(二)今村明恒
  • 第三七号 津波と人間 / 天災と国防 / 災難雑考 寺田寅彦
  • 第三八号 春雪の出羽路の三日 喜田貞吉
  • 第三九号 キュリー夫人 / はるかな道(他)宮本百合子
  • 第四〇号 大正十二年九月一日…… / 私の覚え書 宮本百合子
  • 第四一号 グスコーブドリの伝記 宮沢賢治
  • 第四二号 ラジウムの雁 / シグナルとシグナレス(他)宮沢賢治
  • 第四三号 智恵子抄(一)高村光太郎
  • 第四四号 智恵子抄(二)高村光太郎
  • 第四五号 ヴェスヴィオ山 / 日本大地震(他)斎藤茂吉
  • 第四六号 上代肉食考 / 青屋考 喜田貞吉
  • 第四七号 地震雑感 / 静岡地震被害見学記(他)寺田寅彦
  • 第四八号 自然現象の予報 / 火山の名について 寺田寅彦
  • 第四九号 地震の国(一)今村明恒
  • 第五〇号 地震の国(二)今村明恒
  • 第五一号 現代語訳『古事記』(五)下巻(前編)武田祐吉(訳)
  • 第五二号 現代語訳『古事記』(六)下巻(後編)武田祐吉(訳)
  • 第四巻
  • 第一号 日本昔話集 沖縄編(一)伊波普猷・前川千帆(絵)
  • 第二号 日本昔話集 沖縄編(二)伊波普猷
  • 第三号 アインシュタイン(一)寺田寅彦
  •  物質とエネルギー / 科学上における権威の価値と弊害 /
  •  アインシュタインの教育観
  • 第四号 アインシュタイン(二)寺田寅彦
  •  アインシュタイン / 相対性原理側面観
  • 第五号 作家のみた科学者の文学的活動 / 科学の常識のため 宮本百合子
  • 第六号 地震の国(三)今村明恒
  • 第七号 地震の国(四)今村明恒
  • 第八号 地震の国(五)今村明恒
  • 第九号 地震の国(六)今村明恒
  • 第一〇号 土神と狐 / フランドン農学校の豚 宮沢賢治
  • 第一一号 地震学の角度から見た城輪柵趾 今村明恒
  • 第一二号 庄内と日高見(一)喜田貞吉
  • 第一三号 庄内と日高見(二)喜田貞吉
  • 第一四号 庄内と日高見(三)喜田貞吉
  • 第一五号 私は海をだきしめてゐたい / 安吾巷談・ストリップ罵倒 坂口安吾
  • 第一六号 三筋町界隈 / 孫 斎藤茂吉

  • 第一七号 原子力の管理(他)仁科芳雄
  • 原子力の管理
  •  一 緒言
  •  二 原子爆弾の威力
  •  三 原子力の管理
  •  
  • 日本再建と科学
  •  一.緒言
  •  二.科学の役割
  •  三.科学の再建
  •  四.科学者の組合組織
  •  五.科学教育
  •  六.結語
  •  
  • 国民の人格向上と科学技術
  • ユネスコと科学
  •  
  •  原子爆弾は有力な技術力、豊富な経済力の偉大な所産である。ところが、その技術力も経済力も科学の根につちかわれて発達したことを思うとき、アメリカの科学の深さと広さとは歴史上比類なきものといわねばならぬ。しかしその科学はまた、技術力と経済力とに養われたものである。アメリカの膨大な研究設備や精巧な測定装置や純粋な化学試薬が、アメリカ科学をして今日あらしめた大切な要素である。これはもちろん、アメリカ科学者の頭脳の問題であるとともに、その技術力・経済力の有力なる背景なくしては生まれ得なかったものなのである。すなわち科学は技術・経済の発達をつちかい、技術・経済はまた科学を養うものであって、互いに原因となり結果となって進歩するものである。「日本再建と科学」より)
  •  科学は呪うべきものであるという人がある。その理由は次のとおりである。
  •  原始人の闘争と現代人の戦争とを比較してみると、その殺戮の量において比較にならぬ大きな差異がある。個人どうしのつかみ合いと、航空機の爆撃とをくらべて見るがよい。さらに進んでは人口何十万という都市を、一瞬にして壊滅させる原子爆弾にいたっては言語道断である。このような残虐な行為はどうして可能になったであろうか。それは一に自然科学の発達した結果にほかならない。であるから、科学の進歩は人類の退歩を意味するものであって、まさに呪うべきものであるという。「ユネスコと科学」より)
  • 第一八号 J・J・トムソン伝(他)長岡半太郎
  • J・J・トムソン伝
  •  学修時代
  •  研究生時代
  •  実験場におけるトムソン
  •  トムソンの研究
  •  余談
  • アインシュタイン博士のこと 
  •  帯電した物体の運動は、従来あまり攻究されなかった。物体が電気を帯びたるも帯びざるも、その質量において認め得べき差あるわけはない。しかし、ひとたび運動するときは磁性を生ずる。仮に帯電をeとし、速度をvとすれば、磁力はevに比例す。しかして物体の周囲におけるエネルギー密度は磁力の二乗に比例するにより、帯電せる物体の運動エネルギーは、帯電せられざるときのそれと、帯電によるものとの和にて示されるゆえ、物体の見かけの質量は m + ke2 にて与えらるべし。式中mは質量、kは正常数である。すなわち、あたかも質量が増加したるに等しいのである。その後かくのごとき問題は電子論において詳悉されたのであるが、先生はすでにこの将来ある問題に興味をよせていた。(略)
  •  電子の発見は電子学に対し画期的であったが、はじめは半信半疑の雲霧につつまれた。ある工学者はたわむれに、また物理学者の玩弄物が一つ加わったとあざけった。しかし電子ほど一定不変な帯電をもち、かつ小さな惰性を有するものはなかったから、これを電気力で支配するときは、好個の忠僕であった。その作用の敏速にして間違いなきは、他物のおよぶところでなかった。すなわち工業上電子を使役すれば、いかなる微妙な作用でもなしうることがだんだん確かめられた。果然、電子は電波の送受にもっぱら用いらるるようになって、現時のラジオは電子の重宝な性質を遺漏なく利用して、今日の隆盛を来たした。その他整流器、X線管、光電管など枚挙にいとまあらず。ついに電気工学に、電子工学の部門を構成したのも愉快である。かくのごとく純物理学と工学との連鎖をまっとうした例はまれである。
  • 第一九号 原子核探求の思い出(他)長岡半太郎
  • 総合研究の必要
  • 基礎研究とその応用
  • 原子核探求の思い出
  •  湯川君の受賞
  •  土星原子模型
  •  トムソンが電子を発見
  •  マックスウェル論文集
  •  化学原子に核ありと発表
  •  原子核と湯川君
  •  (略)十七世紀の終わりに、カヴェンジッシュ(Cavendish)が、ジェレキ恒数〔定数〕・オーム則などを暗々裏に研究していたが、その工業的価値などはまったく論外であった。一八三一年にファラデー(Faraday)が誘導電流を発見したけれども、その利用は数十年後に他人によって発展せられ、強電流・弱電流・変圧器・モーターなどにさかんに用いられ、結局、電気工学の根幹はこの誘導電流の発見にもとづくものといってよろしい。(略)近年は電気工学の一部門として、電子工学なるものが生まれた。その源をたずねてみると、J・J・トムソン(Joseph John Thomson)が気体中の電気伝導を研究したのに始まっている。気体が電離すると、物質は異なっていても必ず同じ帯電と同じ質量を持っている微細なものが存在する。すなわち電子であって、今日まで知られているもっとも微質量の物質である。その帯電を利用し、自由にこれが速度を調節することが可能であることを認め、はじめてフレミング(Fleming)によって無線通信を受けるに使われた。(略)
  •  つぎに申し上げるのは、光電池のことである。ドイツの片田舎ウォルフェンブッテル(Wolfenbu:ttel)の中学教員エルステル(Elster)とガイテル(Geitel)は、真空内にカリウム元素を置き、これに光をあてると電子の発散するのを認め、ついにこれをもって光電池を作った。近ごろではカリウムよりセシウム(Caesium)が感度が鋭敏であるから、物質は変化したけれども、その本能においては変わらない。この発見者はこれを工業的に発展することはべつに考えなかったが、意外な方面に用いられるようになった。すなわち光度計としては常識的に考えうるが、これを利用してドアを開閉し、あるいは盗賊の警戒にもちい、あるいは光による通信に利するなど、意外なる利用方法が普通におこなわれるようになった。もっともさかんに使われるのは活動写真のトーキーであろう。光電池の創作者にこの盛況を見せ得ないのは残念である。
  • 第二〇号 蒲生氏郷(一)幸田露伴
  •  (略)当時の武士、ケンカ商買、人殺し業、城取り、国取り、小荷駄取り、すなわち物取りを専門にしている武士というものも、然様さようチャンチャンバラばかり続いているわけではないから、たまには休息して平穏に暮らしている日もある。行儀のよい者は酒でも飲むくらいのことだが、犬をひき鷹を肘にして遊ぶほどの身分でもなく、さればといって何の洒落た遊技を知っているほど怜悧(れいり)でもない奴は、他に知恵がないから博奕を打って閑(ひま)をつぶす。戦(いくさ)ということが元来バクチ的のものだからたまらないのだ、バクチで勝つことの快さを味わったが最期、何に遠慮をすることがあろう、戦乱の世はいつでもバクチが流行る。そこで社や寺はバクチ場になる。バクチ道の言葉に堂を取るだの、寺を取るだの、開帳するだのというのは今に伝わった昔の名残だ。そこでバクチのことだから勝つ者があれば負けるものもある。負けた者は賭(か)ける料がなくなる。負ければ何の道の勝負でもくやしいから、賭ける料がつきてもやめられない。仕方がないから持ち物をかける。また負けて持ち物を取られてしまうと、ついには何でも彼でもかける。いよいよ負けてまた取られてしまうと、ついには賭けるものがなくなる。それでも剛情にいまひと勝負したいと、それでは乃公(おれ)は土蔵ひとつかける、土蔵ひとつをなにがし両のつもりにしろ、負けたら今度、戦のある節にはかならず乃公が土蔵ひとつを引き渡すからというと、その男が約を果たせるらしい勇士だと、ウンよかろうというので、その口約束に従ってコマをまわしてくれる。ひどい事だ。自分の土蔵でもないものを、分捕(ぶんどり)して渡す口約束でバクチを打つ。相手のものでもないのにバクチで勝ったら土蔵ひと戸前(とまえ)受け取るつもりで勝負をする。こういうことが稀有ではなかったから雑書にも記されて伝わっているのだ。これでは資本の威力もヘチマもあったものではない。
  • 第二一号 蒲生氏郷(二)幸田露伴
  •  (略)政宗も底倉(そこくら)幽居を命ぜられた折に、心配の最中でありながら千ノ利休を師として茶事を学んで、秀吉をして「辺鄙(ひな)の都人」だと嘆賞させたが、氏郷は早くより茶道を愛して、しかも利休門下の高足〔高弟のこと。〕であった。(略)また氏郷があるときに古い古い油を運ぶ竹筒を見て、その器をおもしろいと感じ、それを花生けにして水仙の花を生け、これも当時風雅をもって鳴っていた古田織部に与えたという談が伝わっている。織部はいまに織部流の茶道をも花道をも織部好みの建築や器物の意匠をも遺している人で、利休に雁行すべき侘道の大宗匠であり、利休より一段簡略な、侘(わび)に徹した人である。氏郷のその花生けの形は普通に「舟」という竹の釣花生けに似たものであるが、舟とはすこし異なったところがあるので、今にその形を模した花生けを舟とはいわずに、「油さし」とも「油筒」ともいうのは最初の因縁からおこってきているのである。古い油筒を花生けにするなんというのは、もう風流において普通を超えて宗匠分になっていなくてはできぬ作略で、宗匠の指図や道具屋の入れ知恵を受け取っている分際の茶人のことではない。(略)天下指折りの大名でいながら古油筒のおもしろみを見つけるところはうれしい。(略)氏郷がわびの趣味を解して油筒を花器に使うまで踏込んでいたのは利休の教えを受けた故ばかりではあるまい、たしかに料簡の据えどころを合点して何にも徹底することのできる人だったからであろう。しかも油筒ごとき微物をとりあげるほどの細かい人かと思えば、細川越中守が不覚に氏郷所有の佐々木の鐙を所望したときには、それが蒲生重代の重器であったにかかわらず(略)真物を与えた。(略)竹の油筒を掘り出して賞美するかと思えば、ケチではない人だ、家重代のものをも惜し気なく親友の所望には任せる。なかなかおもしろい心の行きかたを持った人だった。
  • 第二二号 蒲生氏郷(三)幸田露伴
  •  氏郷はまことに名生(みょう)の城が前途にあったことを知らなかったろうか。種々の書にはまったくこれを知らずに政宗にあざむかれたように記してある。なるほど氏郷の兵卒らは知らなかったろうが、氏郷が知らなかったろうとは思えぬ。縮みかえっていた小田原を天下の軍勢と共に攻めたときにさえ、忍びの者を出しておいて、五月三日の夜の城中からの夜討ちを知って、使い番をもって陣中へ夜討ちがくるぞと触れ知らせたほどに用意をおこたらぬ氏郷である。ましていまだかつて知らぬ敵地へふみこむ戦、ことに腹の中の黒白不明な政宗を後ろへおいて、三里五里の間も知らぬごとき不詮議のことで真っ黒闇の中へ盲目さぐりで進んで行かれるものではない。小田原の敵の夜討ちを知ったのは、氏郷の伊賀衆の頭、忍びの上手と聞こえし町野輪之丞という者で、毎夜毎夜忍びて敵城をうかがったとある。(略)頭があれば手足は無論ある。不知案内の地へのぞんで戦い、料簡不明の政宗と与(とも)にするに、氏郷がこの輪之丞以下の伊賀衆をポカリと遊ばせておいたり徒(いたず)らに卒伍の間に編入していることのありうるわけはない。輪之丞以下は氏郷出発以前から秘命を受けて、(略)ある者は政宗の営をうかがい、ある者は一揆方の様子をさぐり、必死の大活躍をしたろうことは推察にあまりあることである。そしてこれらの者の報告によって、いたって危ない中からいたって安らかな道を発見して、精神気迫の充ち満ちた力足を踏みながら、忠三郎氏郷は兜の銀のナマズを悠然と游がせたのだろう。それでなくて何で中新田城から幾里も距らぬところにあった名生の敵城を知らずに、十九日の朝に政宗を後ろにして出立しよう。城は騎馬武者の一隊ではない、突然にわいて出るものでも何でもない。まして名生の城は木村の家来の川村隠岐守が守っていたのを旧柳沢の城主・柳沢隆綱が攻め取って拠っていたのである。それだけの事実が氏郷の耳に入らぬわけはない。
  • 第二三号 科学の不思議(一)アンリ・ファーブル
  • 大杉栄、伊藤野枝(訳)
  •  訳者から
  •  一 六人
  •  二 おとぎ話と本当のお話
  •  三 アリの都会
  •  四 牝牛(めうし)
  •  五 牛小舎
  •  六 利口な坊さん
  •  七 無数の家族
  •  学問というものは、学者といういかめしい人たちの研究室というところにばかり閉じこめておかれるはずのものではありません。だれもかれも知らなければならないのです。今までの世間の習慣は、学問というものをあんまり崇(あが)めすぎて、一般の人たちから遠ざけてしまいすぎました。何の研究でも、その道の学者だけが知っていれば、ほかの者は知らなくてもいいようなふうにきめられていました。いや、知らなくてもいい、ではなくて、知る資格がないようにきめられていました。けれども、この習慣はまちがっています。非常にこみ入ったむずかしい研究は別として、だれでもひととおりの学問は知っていなければなりません、子どもでも大人でも。
  •  子どものためのおとぎ話の本は、たくさんすぎるほどあります。けれども、おとぎ話よりは「本当の話が聞きたい」という、ジュールのような子どものためのおもしろい本を書いてくれる学者は日本にはあまりないのか、いっこうに見あたりません。 (伊藤野枝「訳者から」より)
  • 第二四号 科学の不思議(二)アンリ・ファーブル
  • 大杉栄、伊藤野枝(訳)
  •  八 古い梨の木
  •  九 樹木の齢(とし)
  •  一〇 動物の寿命
  •  一一 湯わかし
  •  一二 金属
  •  一三 被金(きせがね)
  •  一四 金と鉄
  •  一五 毛皮
  •  一六 亜麻と麻
  •  一七 綿
  •  一八 紙
  • 「亜麻(あま)は小さな青い花が咲く細い植物で、毎年まいたり、刈ったりする。これは北フランスや、ベルギーや、オランダにたくさん栽培されている。そしてこれは、人間が一番はじめに織り物をつくるのに使った植物だ。四〇〇〇年以上もたった大昔のエジプトのミイラは、リンネルの帯でまいてある。(略)
  • 「麻は何百年もヨーロッパじゅうで栽培された。麻は一年生の、じょうぶな、いやな香(にお)いのする、緑色の陰気な小さな花を開く。そして茎は溝が深くて六尺くらいにのびる。麻は、亜麻と同じように、その皮と、麻の実という種子を取るために栽培せられるんだ。(略)
  • 「麻や亜麻が成熟すると、刈られて種子は扱(こ)きわけられてしまう。それから、それを湿して、皮の繊維を取る仕事がはじまる。すなわち、その繊維がわけもなく木から離れるようにする仕事だ。実際この繊維は、茎にくっついていて、非常に抵抗力の強い、弾力の強い物で、くさってしまうまで離れないようになっている。時によると、この麻の皮を一、二週間も野原にひろげて、なんべんもなんべんもひっくり返して、皮が自然と木質の部分、すなわち、茎から離れるまでつづける。
  • 「だが、一番早い方法は、亜麻や麻を束にしてしばって、池の中にしずめておくことだ。すると、まもなく腐っていやなにおいを出し、皮は朽ちて、強い弾力を持った繊維がやわらかくなる。
  • 「それから麻束を乾かして、ブレーキという道具の歯の間でそれを押しつぶして、皮と繊維とを離してしまう。しまいに、その繊維のくずを取って、それを美しい糸にするために、刷梳(こきくし)という大きな櫛のような鋼鉄の歯のあいだを通す。そしてこの繊維は手なり機械なりでつむがれて、そうしてできた糸を機(はた)にかけるのだ。
  • 第二五号 ラザフォード卿を憶う(他)長岡半太郎
  • ラザフォード卿を憶う
  •  順風に帆をはらむ
  •  放射性の探究へ
  •  新しき関門をひらく
  •  核原子
  •  原子転換に成功
  •  学界の重鎮
  •  卿の風貌の印象
  •  ラザフォード卿からの書簡
  • ノーベル小伝とノーベル賞
  • 湯川博士の受賞を祝す
  •  〔ノーベル〕物理学賞と化学賞とを受けた研究者の中で、原子関係の攻究に従事した学者がもっとも多い。したがってこれらの人々の多くは、原子爆弾の発案構造などを協議して終(つい)にこれを実現するに至った。その過程を調べれば、発明の功績は多分にこれらの諸賢に帰せねばならぬ。さらに目下懸案中の原子動力機の発展も、ひとしくこれらの人々の協力を藉(か)らざれば、実用の領域に進まぬであろう。一朝、平和工業にこれを活用するに至らば、いかに世界の状況を変化するであろうか、一言(ひとこと)にしてつくすべからざるものがある。(略)加速度的に進歩する科学界において、原子動力機の端緒をとらえるを得ば、その工業的に発展するは論をまたず、山岳を平坦にし、河流をつごうよく変更し、さらに天然の形勢を利用せず、人為的に港湾河川を築造するに至らば、世界は別天地を出現するであろう。かくして国際的の呑噬(どんぜい)行動を絶滅し、互いに相融和するに至らば、ユートピアならざるもこれに近き安楽国を出現するは疑いをいれず、巨大なる威力を獲得して、これを恐れるよりもむしろこれを善用するが得策である。今日の科学研究は、もっぱらこの針路をたどりつつある。現今、危機一髪の恐怖に迷わされて神経をとがらしているから、世界平和を信ずるもの少ないが、一足飛びにここに至らざるも、波乱は幾回か曲折をへて、ついにここに収まるであろう。けだしこの証左を得るには、少なくも半世紀を要するは必然である。
  • 第二六号 追遠記 / わたしの子ども時分 伊波普猷
  •  物心がついた時分、わたしの頭に最初に打ち込まれた深い印象は、わたしの祖父(おじい)さんのことだ。わたしの祖父さんは十七のとき家の系図を見て、自分の祖先に出世した人が一人もいないのを悲しみ、奮発してシナ貿易を始め、六、七回も福州に渡った人だ。わたしが四つの時には祖父さんはまだ六十にしかならなかったが、髪の毛もひげも真っ白くなって、七、八十ぐらいの老人のようであった。(略)
  •  わたしは生まれてから何不足なしに育てられたが、どうしたのか、泣くくせがついて家の人を困らせたとのことだ。
  •  いつぞやわたしが泣き出すと、乳母がわたしを抱き、祖母さんは団扇でわたしをあおぎ、お父さんは太鼓をたたき、お母さんは人形を持ち、家中の者が行列をなして、親見世(今の那覇警察署)の前から大仮屋(もとの県庁)の前を通って町を一周したのを覚えている。もう一つ、家の人を困らせたことがある。それは、わたしが容易に飯を食べなかったことだ。他の家では子どもが何でも食べたがって困るが、わたしの家では子どもが何も食べないで困った。そこで、わたしに飯を食べさせるのは家中の大仕事であった。あるとき祖父さんはおもしろいことを考え出した。向かいの屋敷の貧しい家の子どもで、わたしより一つ年上のワンパク者を連れてきて、わたしといっしょに食事をさせたが、わたしはこれと競争していつもよりたくさん食べた。その後、祖父さんはしばしばこういう晩餐会を開くようになった。
  •  それから祖父さんは、わたしと例の子どもとに竹馬をつくってくれて、十二畳の広間で競馬のまねをさせて非常に興に入ることもあった。そのときには祖父さんはまったく子どもとなって子どもとともに遊ぶのであった。 (「わたしの子ども時分」より)
  • 第二七号 ユタの歴史的研究 伊波普猷
  • (略)おおよそ古代において国家団結の要素としては権力・腕力のほかに重大な勢力を有するのは血液と信仰であります。すなわち、古代の国家なるものはみな祖先を同じうせる者の相集まって組織せる家族団体であって、同時にまた、神を同じうせる者の相集まって組織せる宗教団体であります。いったい、物には進化してはじめて分化があります。そこで今日においてこそ、政治的団体、宗教的団体などおのおの相分かれて互いに別種の形式内容を保っているものの、これら各種の団体は、古代にさかのぼるとしだいに相寄り相重なり、ついにまったくその範囲を同じうして、政治的団体たる国家は同時に家族的団体たり、宗教的団体たりしもので、古来の国家がはじめて歴史にあらわれた時代にはみなそうであったのであります(略)。わたしは沖縄の歴史においても、かくのごとき事実のあることを発見するのであります。
  • (略)さて、政治の方面において国王が国民最高の機官であるごとく、宗教の方面においては聞得大君が国民最高の神官でありました。(略)それは伊勢神宮に奉仕した斎女王のようなもので、昔は未婚の王女(沖縄では昔は、王女は降嫁しなかった)がこれに任ぜられたのであります。(略)聞得大君の下には、前に申し上げた三殿内(三神社)の神官なる大アムシラレがあります。これには首里の身分のよい家の女子が任ぜられるのであります。もちろん昔は、未婚の女子が任ぜられたのであります。さてこの「あむ」という語は母ということで、「しられ」という語は治めるまたは支配するということであるから、大アムシラレには政治的の意味のあることがよくわかります。そして大アムシラレの下には三〇〇人以上のノロクモイという田舎の神官がありまして、これには地方の豪族の女子(もちろん昔は未婚の女子)が任ぜられたのであります(ノロクモイの中で格式のよいのは、大アムととなえられています)。(略)そしてこれらのノロクモイの任免の時分には、銘々の監督たる大アムシラレの所に行って辞令を受けるのであります(これらの神官はいずれも世襲であります)。

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