MT*2_8-震災日誌 / 震災後記 喜田貞吉
2009.9.12 第二巻 第八号
震災日誌 / 震災後記
喜田貞吉
定価:200円(税込) |
p.255 / *99 出版 |
付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(18項目)p.101
※ オリジナル版に加えて、ミルクティー*現代表記版を同時収録。
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(略)転じて本郷の通りへ出て、焼けたという一高へ行ってみると、これも噂ばかりで何のこともない。門内には避難者が群集している。様子を聞こうと門衛所の前へ行くと、「喜田先生ではありませんか」と声をかける生徒がいる。よく見るとこれは原博士(京大文学部長)の令息が警戒に立っておられるのだ。
帝大の大部はすでに無残にも焼け落ちている。門衛について聞くと、法文両学部は全滅で、図書館の書庫まで焼けてしまったという。なんという情けないことであろう。ここには金で補いのつかぬ多くの書籍があったはずだのに。しかし史料編纂掛が無事だと聞いて、国史科のためには思わず万歳を唱えざるを得なかった。
大学の前は避難者でいっぱいだ。その中を押しわけて本郷三丁目の十字路へ来てみると、角の長島雑貨店など二、三戸を残したほかは、本郷座の方へかけて見渡すかぎり一面の火だ。これではたとい水があったとて消防の手のまわるはずはない。猛火は容赦なくあらゆる物を焼いて、下谷・神田・浅草の方まで一つになっているのだという。湯島の和田英松君(史料編纂官)のお宅が気にかかるがとても寄りつかれそうもない。同君は自分ら仲間ではことに蔵書家として知られている人だ。浅草には黒川真道君や大槻如電翁がおられる。有名な書肆(しょし)浅倉屋がある。その莫大な蔵書はどうなったことであろうと気にかかる。
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喜田貞吉 きた さだきち
1871-1939(明治4.5.24- 昭和14.7.3)
歴史学者。徳島県出身。東大卒。文部省に入る。日本歴史地理学会をおこし、雑誌「歴史地理」を刊行。法隆寺再建論を主張。南北両朝並立論を議会で問題にされ休職。のち京大教授。
◇参照:Wikipedia、『広辞苑』。
底本
2009.9.20:公開
目くそ鼻くそ/PoorBook G3'99
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最終更新:2009年09月21日 00:09