ミルクティー*No.26〜

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週刊ミルクティー*第26号〜


※ オリジナル版に加えて、ミルクティー*現代表記版を同時収録。
※ JIS X 0213・ttz 形式。
※ 「墨子」は2009年1月24日現在、青空文庫にて校正待ちです。「道教について」は2009年2月21日現在、青空文庫にて入力中です。翻訳・朗読・転載は自由です。
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2009.2.21 No.31

幸田露伴 道教について(三)
定価:200円(税込)  p.103 / *99 出版
付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(167項目)p.585

 張魯はついに漢中によって独立し、五斗米道をもって実際的に一団をなしたいわば一国のようなものを建設した形になり、漢中巴蜀(はしょく)に雄視すること三十年におよんだ。(略)諸葛孔明が廬を出づるに先だって劉玄徳と天下の形勢を論じたとき(略)玄徳をして荊州・益州に拠らんことをすすめている場合に、張魯も算計の中に入れられている。孔明の眼中に、曹操・孫権・劉璋らと共に入っている張魯の勢いは実にあなどるべからざるものがあったのである。(略)韓遂の乱を平らげ馬超を逐ったのち、曹操眼前の大邪魔物は張魯であった。建安二十年(二一五)、曹操は大軍をもってみずから散関を出で張魯を征伐した。(略)曹操はもとより如才ない聡明の人であったから、魯の人物を見ぬき、かつこれを追窮して紛争を後に遺さんよりはと思ったのであろう、人を遣って慰喩して魯の心をにぎった。そこで魯は家族をひきいて出て降ったところ、曹操はこれを迎えて、魯を鎮南将軍となし(略)魯の五子および閻圃らを封じてみな列侯となし、吾子の彭祖のために魯の女をめとって魯と姻戚関係をむすんだ。
31.rm
(朗読:RealMedia 形式 280KB、2'15'')

張魯 ちょうろ ?-216? 後漢末期から三国時代にかけての五斗米道(後の正一教)の指導者。字は公祺。豫州沛国豊県の人。張陵の孫、張衡の子、張衛の兄。
劉璋 りゅうしょう 162?-219 後漢末期の群雄。劉焉の子。家系は劉氏。爵位は、振威将軍・監軍使者・益州牧・陽城侯。
閻圃 えん ほ ?-230頃 後漢時代末期の政治家。益州巴西郡出身。張魯の功曹として仕えた。
彭祖 ほうそ ?-? 曹宇(そうう)。曹操の第九子で、生母は環夫人。魏の最後の皇帝・元帝(曹奐)の父。妻は張魯の娘。

◇参照:Wikipedia、『広辞苑』『学研新漢和大字典』。

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(572KB)


2009.2.14 第三〇号

幸田露伴 道教について(二)
定価:200円(税込)  p.125 / *99 出版
付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(113項目)p.410

 秦の襄公が少昊(しょうこう)をあがめて西畤を作り白帝をまつった。後の五帝の思想の起こったのはけだしこれからで、少昊・金天氏と西と白とは五行思想において結びついているのであって、五行の思想は、戦国に鄒衍(すうえん)に鼓吹され、漢においてさかんにおこなわれたが、けだし洪範のむかし、周易のむかしより、ずいぶんとうに支那に潜在したものであるといってもよいような気がする。(略)
 秦が始皇に至って天下の主となるにおよび、五徳の説により、秦は周の火徳にかわり、水徳をもって帝たりとした。始皇は儒生をよろこばず、泰山に封じ、梁父(りょうほ)に禅するにおよんでも、その礼は雍(よう)において上帝をまつるの儀をもちいた、といわれている。(略)それから始皇は東のかた海上に遊んで、名ある山川や八神やを祭り、僊人(せんにん)を求めるなどということをするにおよんだ。八神というのは古からあって、天主、地主、丘主、陰主、陽主、月主、日主、四時主の八つだが、これらはみな支那の東北地方にあった神々である。秦はもと西北方から出てきたのであるが、天下の主たるにいたって東北方の神々をも神としてあがめたのである。五徳終始の論も東北方におこなわれた説であるが、秦はこれを採用したのである。
30.rm
(朗読:RealMedia 形式 292KB、2:21秒)

襄公 じょうこう BC651-BC631 中国春秋時代の宋の君主。姓は子、諱は茲父(茲甫)、諡は襄。桓公の子。春秋五覇の一人に数えられることがある。
少昊 しょうこう 青陽氏、金天氏、窮桑氏、雲陽氏,朱宣と称されることもある中国古代の五帝の一人。
鄒衍 すうえん BC305-BC240 衍。中国、戦国時代の斉の人。儒家の九州を超える大九州世界の存在と、五行(五徳)の消長による王朝の交替を説いたとされる。
洪範 こうはん (1) 模範となる大法。(2) 書経周書の編名。儒家の政治道徳の基本法則に基づいて述べた政治哲学の書。
周易 しゅうえき 易経(えききょう)。占筮に用いられる書物。三易の一つ。単に『易』とも言う。また儒教の基本テキスト五経の筆頭に挙げられる経典。
◇参照:Wikipedia、『広辞苑』『学研新漢和大字典』。

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(476KB)


2009.2.7 第二九号

幸田露伴 道教について(一)
定価:200円(税込)  p.93 / *99 出版
付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(55項目)p.248

 いったい道教は黄帝・老・荘などから導かれ出されたように思われているのが、普通人の認定になっている。なるほど道教では老子を尊んで太上老君としている。荘・列のごときもこれを尊んで、その書を『南華真経』『冲虚真経』などと称し、経典あつかいにしている。これらは周知の事である。しかし考察なしに、老・荘から道教が出たものとするのは早計である。神仙もまた道教のものになっている。神仙と道教者とは同じもので、神仙はすなわち道教の成就者・及第者のように思われているのが一般認識である。しかしこれも無批判に是認するのはあぶないことである。
29.rm
(朗読:RealMedia 形式 148KB、1:10秒)

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2009.1.31 第二八号

幸田露伴 墨子(三)
月末最終号:無料  p.81 / *99 出版
付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(78項目)p.395

 『荘子』が墨家を評して、「その生けるや勤め、その死するや薄く、生きて歌うたわず、死して服せられず、桐棺三寸にしてしかも椁(かく)なく、その道や大(たいかく)、人をして憂いしめ、人をして悲しましむ、そのなしがたきを行なうや、そのもって聖人の道となすべからざるを恐れ、天下の心に反す、天下堪えずんば、墨子ひとりよく任うといえども、天下をいかにせん」といったは実に適評で、大(たいかく)というのは「うるおいのない」ということである。墨子の道は悪(あ)しからずといえども、「うるおいのない」ことはあらそえない。ただしい説でもあり善(よ)い教えでもあろうが、ひとくちにいえば野暮なことで、天下堪えず、墨子ひとりよく任うといえども天下をいかにせん、といったのはさすがに洒落者の巧みな論破ぶりである。
28.rm
(朗読:RealMedia 形式 176KB、1:24秒)

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(432KB)


2009.1.24 第二七号

幸田露伴 墨子(二)
定価:200円(税込)  p.90 / *99 出版
付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(78項目)p.395

 『墨子』の道とするところは孔子の道とするところとは何としても異なっている。しかし古(いにしえ)より儒墨といい、または孔墨と併べ称したのはなぜであるか、それは『淮南子(えなんじ)』がいったとおり、両者いずれも先聖の術をおさめ古王の道によったからで、孔子とはその執(と)るところが異なったとはいえ、墨子もまた孔子と同じく尭舜禹湯文武を称したのである。墨子もまた孔子と同じく『詩』『書』を称したのである。墨子は、吾(われ)かつて百国の春秋を見るといい、またその蔵書のはなはだ多かったことを本書に記されている。墨子もじつに孔子と同じく古(いにしえ)をまなび史によりて、そして所信を立てているので、我流に一家の見を立てたのではない。
27.rm
(朗読:RealMedia 形式 152KB、1:13秒)

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2009.1.17 第二六号

幸田露伴 墨子(一)
定価:200円(税込)  p.96 / *99 出版
付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(70項目)p.364

 墨子の学のおおいに一時に勢力のあったことは孔子系の孟子・荀子らがこれを駁撃しているのでも明白で、軽視しておけぬほどに当世に威炎を有したればこそ孟子・荀子らがこれに対して筆舌を労したのである。それのみならず人間の善悪を超越し是非を忘却するようなことを理想としたかのごとき荘周でさえも墨家に論及し、それからまた手厳しい法治論者の韓非までも墨家を儒家とならべて論じている。これらの事実はみな墨子の学が少なからざる力を当時に有していたことの傍証であって(略)『墨子』の本書に、墨子の弟子禽滑釐(きんかつり)ら三百余人が墨子の道のために守禦の器を持して宋のために楚を防がんとしたことが、「魯問篇」に見えているし、(略)かくのごとくに墨子の弟子または再伝三伝の弟子を二千年前の昔に指摘しうることは、墨子の道の盛行したことを語るものでなくて何であろう。
26.rm
(朗読:RealMedia 形式、180KB、1:27秒)

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(428KB)

幸田露伴 こうだ ろはん
1867-1947(慶応3.7.23-昭和22.7.30)
 本名、成行(しげゆき)。江戸(現東京都)下谷生れ。小説家。別号には、蝸牛庵(かぎゅうあん)、笹のつゆ、雪音洞主、脱天子など。『風流仏』で評価され、「五重塔」「運命」などの作品で文壇での地位を確立。尾崎紅葉とともに紅露時代と呼ばれる時代を築いた。擬古典主義の代表的作家で、また古典や諸宗教にも通じ、多くの随筆や史伝のほか、『芭蕉七部集評釈』などの古典研究などを残した。第1回文化勲章受章。娘の文は随筆家。
◇参照:Wikipedia。


公開:2009.1.17
更新:2009.2.24
しだ目くそ鼻くそ/PoorBook G3'99
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  • 守禦の器の「器」を「うつわ」と読みましたが、ここはおそらく武器や兵器の意味で「キ」のほうがあっている気がします。 -- しだ (2009-01-20 23:04:51)
  • 朗読ファイルへのリンクがまちがっていたもようです。修正しました。 -- しだ (2009-02-11 09:22:07)
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