ケイジ。
エヴァンゲリオンを格納し、整備し、そして制御する場所。
その一つに、3号機は静かに立っている。
静か過ぎて、怖いほどに、沈黙を保っている。

「……」

 喜緑さんは、ありえないと言っていた。
あの状況下、エヴァ単機での脱出は不可能だと。
否。そもそもとして3号機の活動限界はあの時点でとうに過ぎている。
稼動すること事態が不可能なのだ。
だというのに、3号機は動いた。
動いて、如何なる干渉もできなかったあの影を粉砕し、
脱出してきたのだ。
最も経験の浅いパイロットであるあやのが登場する、3号機は。

「……お前は、どうしたいんだ?」

 あの後、神人を破壊し破綻させた3号機は
街中でその活動を停止させた。
俺自身は詳しいことなど知らないが、
しかし聞いた話によると回収された3号機のエネルギーはほぼ満タンになっていて、
あやのも生命維持になんの異常もなくプラグの中で静かに眠っていたという。

「お前が、なんかやったんだろ?」

 繰り返し、3号機の黒い機体に向かって言葉を続ける。
返答などない。あるはずがない。
それでも聞こえてると確信を持って俺は問いを紡ぐ。

「あやのを、助けてくれたん、だよな?
 ……ありがとう、すまなかった」

――――

「いらっしゃーせー」

「え~っと、おっ、そこのテーブル席空いてるジャン」

「じゃあそこでいいか」

「居酒屋って私始めてなのよね~」

「わ、私も……」

「まぁまぁくつろぎたまへ、おっちゃん! とりあえず人数分生中ね!」

「えっ? 私はお酒とかあんまり……」

「流石にビール一杯じゃ酔わないだろあやの、
 最初に一口周りに合わせて飲んであとは烏龍茶でいいか?」

「う、うん。長門さんは?」

「ジョッキ大」

「え?」「でさ! でさ! なに頼む?」

「はしゃぎすぎだこなた、少しテンション落とせ」

「いんやーみんなで飲みに行けるとは思わなくてね~」

「……まぁあれよね、普通に考えたら思わないわよね。あと数年は」

「気にすんなって柊。家での宴会は参加するくせに」

「あんたはずいぶんと平常営業ね」

「慣れてるからな。第二に居た時は向こうの悪友と一緒にさ」

「へぇ…、そういや私ってあんたの昔話って全然聞いたことないのよね」

「私もないです」

「はいはーい、私も~」

「お前は知ってるだろうが」

「でもキョンの口から聞いたことはありましぇ~ん」

「……ま、過去話ってのは俺は好きじゃないからな
 その辺も、こなたは知ってると思うんだが」

「前の学校の事位は別になんのタブーにも触れないでしょ?
 酔った勢いだよ、自分から口にしたんだから言っちゃえ!」

「……まだ飲んでないんだがな」
「お待たせしやしたー」

「おっ、ナイスタイミング! ありがとうおっちゃん!」

「じゃあこれあんた達の分ね」

「うわ、結構一杯……」

「……」

「はい、じゃあ乾杯!」

「かんぱーい」
「乾杯」
「か、かんぱい」
「……かんぱい」

「んっ、んっ……ぷはぁっ!」

「無茶苦茶な飲み方だな、一杯目一杯目」

「ほら、ぐっといきたいじゃん?」

「最初は抑え目にが俺のやり方だ」「でさー」

「……なんだ」

「さっきの話」

「はぁ……、わぁったよ」

「でも、キョンって本当自分のこと話さないわよね」

「お前らもな。なんだかんだいって
 お互いの根幹に触れる会話は今までしてなかった気がする」

「やってることがやってることだから、昔話が重くなるのは仕方ないことなのかしらね?」

「さてな、俺やあやのは巻き込まれ型でお前らみたいな自主参加型じゃないからな」

「だけど、キョンはあやのとは全然違う色々を背負ってるように見えるわよ?」

「知らないな。とにかく今俺が話すことは前の学校でのこと、だろ?」

「うん、知りたいな。キョン君の前のことを少しでも」

「はいはい、面白くなんてない話だし重要でもない、俺も忘れかけてる話だ」

 向こうでの俺は、まぁ微妙に浮いていた訳だ。
クラスの連中とはそれなりに話すし、
勉強もそこそこできた。運動だってできないわけじゃなかった。
だけどなんだろうか、そこはかとない雰囲気なのか
俺は微妙にクラスで逸れてたんだ。

「はぁん、まぁ想像はしやすいわね」
「え? それは俺が疎外されやすいということが一見してわかるということか!?」
「疎外というよりは、単に疎遠って感じよね。
 あんたって最近はなくなってきたけど、前は結構他人を近寄らせないってのもあったじゃない」
「それはお前が相手だからじゃないのか?
 初対面の辺りのやりとりを思うに」
「あー……」

 とにかく、クラスでは話したりするが
休日にどこかにつるんで行くことはないような
典型的な生活を向こうで俺は送ってたんだな。

「そこらの大学生みたいだね~」
「うっさい」
「どうせ能動的なコミュニケを怠ってたんでしょ?」
「……それは、まぁ否定はせん」
「あっ、焼き鳥きたよん?」
「刺身は?」
「まだー」

 でもま、それでも一人だけ友達ってのがいてさ。
谷口っつぅんだが、非常に馬鹿な奴で
いっつも女の尻ばっかり追いかけてるような奴だった。
なにせ学校中の女子をデータ化して、
ランクの高い女子の顔と名前を頭にインプットしてるほどだった。

「なんで友達やってたのキョン君?」
「いや……、こう表現すると下衆野朗みたいだけどさ、違うんだ……。
 馬鹿だけど変態じゃないんだ……、ちょっとベクトルがおかしい奴で……」
「ふぅん……。キョン君はそういうデータとか見たりしてたの?」
「え!? いや、し、してない! 毛頭してないぞ!?」
「へぇー?」
「本当! 本当に!」
「ま、信じてあげる」
「……」

 うん。で、そいつがさっきの悪友って奴でさ、
よく学校帰りにゲーセンでぷらついたり、
稀にあいつに付き合って顔見知りがやってる居酒屋で飲んだこともあった。
「そういやキョンってゲーム結構上手だよね」
「長門には負けるがな」
「……そう」
「まぁアレよね、ゲーセンとかでやるとスキルあがるわよね」
「谷口はいつまでたっても微妙だったがな」
「キョン君って昔はちょい悪だったんだ……」
「え、ちょい悪?」
「そんな頃からお酒を飲んで」
「いまも大して変わらんが……」

――――


 拝啓から始まり、早々不一で完とする丁寧な文章が
どこの大型量販店でも小型の文具店でも売っていそうなレターセットの紙数枚に渡って
つらつらと大仰に書き綴られていた。

 他人の手に渡ることも考えての事なのか、
便箋が入っていた封筒にも、また便箋に連なる文面のどこにも
差出人が一体どこの誰なのかは書いては居ないのだが。
けれどボールペンで書かれたのだろうその簡素で他人行儀な文字の羅列は、
俺の心を強く揺さぶるに値した。

 その内容は端的に示してしまえば『生存報告』。
そう。俺と、俺やあやの達と短い時間ながらクラスメートをして、
俺達が操るエヴァと対峙した“トライデント”のパイロット。
藤原達の『生存報告』だった。

 差出人と同様の理由から長い文面ながら、
詳細は全く伏せられて一見ただの文通相手に贈る
少々堅苦しいだけの普通の手紙にしか見えないこの数枚の紙。
しかし何度か目を通せばわかる法則の元、
浮かび上がる単語がいくつもある。 もちろん、ある程度以上見る目がある人間が居れば
この法則などすぐに見破られるかも知らんが、
しかしでてくる単語は抽出すると『修学旅行』『ゲームセンター』『昼食会議』と言った
どことなく懐かしいイメージが髣髴する、当事者しか知らない単語。
そして、拝啓の後の『こちら同様御健勝の程と存じます』という添え句。

 べつに絶対とはいえない。
牽強付会と言われればそれまでの話だ。
けれど俺は、それをあの不器用な連中の生存報告と信じて疑わなかった。
理由などない。根拠などない。
ただ、信じたかった。それだけの話。

 逃げ切れたとは言わないまでも、
現状、俺に手紙を出せる程度には余裕があるのだろうと。
そう信じたかっただけの話。

 さらに幾度かその手紙を読んでから、
俺は皺のついたこの便箋を封筒に畳んで仕舞い直して
机の引き出しに隠すようにそっと入れる。

「朝倉……、か」

 そして馳せるのは、当然連中との邂逅の夢想ではなく。
この手紙を所持し、俺に手渡してきた朝倉涼子という人物に対する想像。
ただ人伝に回されてきただけなのか。
それとも戦略自衛隊の関係者なのか。
もしくは連中がいざという時のために作った第三の協力者なのか。
敵なのか、そうでないのか。
そんなあれこれ。

「色々ありすぎて、わけがわかんねぇよ」

 そういって自分の机から離れてベッドに倒れこむ。
使い方が荒い所為かここに住み始めると同時に使い始めた
かなり新しい筈のベッドのスプリングは、俺一人の体重にキシキシと音を立てる。
俺はそれに構うことなく寝返りをして、足を外に放り出した状態で天井と向き合う。

「それに、手紙のことも十分でかいが。
 ……それ以上にやっぱり考えることは今回の敵だよな?」

 自問自答。
投げた言葉は宙に舞って誰にも聞かれること無く霧散する。
手紙を見つけてから、3号機のケイジを離れて一目散に帰ってきた俺。
3号機の暴走ともいえるなにかに驚愕というか困惑というか、
とにかく動揺していた柊や3号機の詳しいデータを取るこなたは
まだこっちには帰ってきていない。
柊はチルドレン用の個室で休息中、こなたは現場指揮を行っている。
あやのはあやので初搭乗に続いてまた検査入院中、
この短期間でもう四人の中で戦闘後の入院回数が最高になってしまったあやの。
守るとか言っておきながらこの有様じゃあ、まったく情けない。

 というか実際俺が今回やったことってなんだろうか?
出撃したエヴァ四機の中で飲み込まれた3号機は無傷、
零号機と弐号機は吹き飛ばされた際の接触だけで実質無傷だし、
俺だけが腕をもってかれて中破。
また戦闘でなにか有効な行動がとれたわけでもないし、
あやのが呑まれたあとは一人で暗くなって柊に怒鳴られて殴られて。
やる気を再燃させたときにはあやのは自力で戻ってきて。

「……なっさけねぇの」

 自嘲。いや、慙愧の念に固まったなにかを呟いて、
けれど思考停止だけはせず、さらに考える。
考えなくてはいけない。

 エヴァンゲリオンがケーブル無しで動けるのは最大でも五分。
予備バッテリーを肩部に接続してようやく三十五分。
これは絶対的に変らない。現代科学の限界ギリギリの数値だ。
もちろん、これは戦闘用としてエヴァの機能を全て使用した数値であって、
生命維持モードと呼ばれるエントリープラグ内の最低限の機能のみを使用する
所謂エコモード見たいのに切り替えればバッテリー無しでも十数時間は保つらしい。

 だから影に入ったと同時にケーブルが切断され、
同じタイミングで生命維持モードに切り替えれば
呑まれてから十時間以上たったあの瞬間までに
エヴァの生命維持モードに使用する電力すらなくなるということはない。
そして十数時間維持モードで過ごした後、戦闘モードに再度移行という形を取れば、
ほんの数秒ながらエヴァはまた動かせる。
だから正確に正確には完全に稼動することが不可能と決まったわけじゃない。
ほんとうに微妙なタイミングの問題だが、
可能性は零じゃないんだ、と思う。机上の空論だが。

 まぁその辺のことは喜緑さんとてわかっているのだろう、
わかった上でありえないと言う文言を吐いたのだろうから。
これは多分考える必要性もないほどにミリ単位の可能性。
 俺は天井を無為に眺め続けながら次の仮定に入る。
曰くあの影の中、及び神人の内部は二乗してマイナスになる事で有名な虚数で満たされた空間
『ディラックの海』と呼称される別の宇宙時空に繋がってるらしい。
まったく別の、星々など一つも無い、白い無の宇宙。
ならば相対性理論などを例に上げるのはどうだろう?
地球上と宇宙空間では時間の流れは違う、
浦島太郎のお話で七日間で地上が様変わりしたのは
助けた亀は宇宙人で竜宮上は宇宙船だったからなどという話も聞いたことがある。
俺は宇宙に行ったことはないし、相対性理論についてもそこまで詳しくないが、
こちらの十数時間が『ディラックの海』の中ではほんの数秒だったのでは?
という可能性だって見えてきたっていい。
少なくともあの神人の中に広がる宇宙なのだと言う事実が、
どんな可能性も“ありえるかもしれない”と思わせる。
少なくとも、完全に否定しきれない以上
いくら考えたところで答えはでやしない。
一番高い可能性を、一番信憑性の有るパターンを
どうにか導き出したところで、確認はできない。
聞いた話によれば、エントリープラグ内に設置されている内部を録音、録画する
機器は悉く壊れてしまいデータのサルベージは理論上不可能らしく、
あの影に入ってからでるまでにどれほどのタイムラグがあったのか、
それが俺達と同じだったのかズレが生じていたのか、
もはや完全に知るすべはないのだ。

 ベッドから起き上がり、頭を振って細々した思考を散らす。
あやのは無事に帰ってきた。
神人も、消えた。
いまはそれでよしとしよう。
よしと、するしかないだろう。
そう楽観的に思い直して俺は冷たいものを飲む為に部屋をでた。

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最終更新:2010年01月14日 14:09