風を切る音がした、甲高く、鋭い笛のような音が聞こえた。
が、音というのは現象の結果としての現象であって音が先行する事は無い、
それは基本的な、基盤的な問題であり、音が出るにはなにかその前に動作が在る。

「あがっ……!」

 だから音を聞いて物事に気付いた時には、当然事後ないし進行形
事前なんてことは遠方で爆音がしたようなケースしかありえず、
よって行動を予測して見切るという最善だけで次善は無く。
そのため俺は長門の深く落とした上体に反比例した形で予備動作なしに
綺麗に跳ね上がるその蹴りをこめかみに受けて昏倒した。
しかけた。 蹴りを受けた衝撃で倒れそうになるのを堪えたたらを踏み、とどまる俺。
それを見て取った長門は、回転の勢いをそのままに逆の足の爪先で先程と同座標に
追撃を続けて二撃。カポエラのような動きで俺の側頭部につま先、
さらにまた踵と長門の軽量さを感じさせない強烈な蹴りを食らって、今度こそ本当に俺は倒れた。

「…いっ、つぅ……」
「だいじょび?」
「…なんとか」

 格闘訓練、長門を相手取った俺の成績。56戦56敗、勝率ゼロ。
無残である。が、しかし事実長門は強い、柊も長門に勝ったことはほとんど無いらしい、
まぁ柊は試合ってる所を見せたがらない、ほとんどと言うのが少々怪しい所(まぁ普段の
俺に対する軽佻浮薄さを思えばそれなりに納得である、誰だってこんな小柄の少女に
いいようにやられる様は見られたくないだろう、俺も訓練と言っても
知り合いの女子が、殴り合う姿を観賞する趣味は無いしな)。

 正直、この手の訓練、白兵訓練はつい先日までまったくの一般女子高生だったあやのを除けば
俺は最弱なのだ。こなたなんかは、俺だって数ヶ月前までは訓練とかとは無縁だったのだから仕方ないと言うが
しかし男として情けないと思う気持ちは、確かにある。 そりゃ長門や柊に対して
本気で拳を振るえないという自分の勝手なセーブや言い訳も考えられるのだが。
それがさらに情けない。こなたのフォローを受け入れられず、しかし言い訳するなんて、あまりにもしょぼすぎる。

「いんやぁ、しかし随分と打たれ強くなったねキョンは、よく気絶しなかったね? うん?」
「……おかげさまでな」

 やられるだけならまだしも、同年齢の女子に敗北してさらには気絶なんて
絶対にできないという、それもまた情けない男のささやかな意地だった。
こういう中途半端な意地か、また格好悪いと自覚しているのだが、まったくにもまったくだった。
内心にネチネチとある痛みと悔しさで往々と渦巻く不快な気分を、こなたが放った氷嚢で一振、
氷のゴロゴロした感触と右顔面に広がる冷たさでクリアにする。

「基礎体も相当上がったしね、日々精進ね」
「へいへい」

 モバイルパソコンを片手で操作しながら俺と長門に続けてタオルを寄越すこなた、
長門よりもさらにやや身長の低いこいつだが、実際格闘技術は長門よりも高く、俺なんかは
右へ左へぶん投げられる。実戦経験の有無の差は訓練ではやはり埋められない
と言う事を身を持って知った、いい見本で手本だ。射撃の腕前も非常に高く語学も堪能、
喜緑さんみたいに圧倒的な専門家ではないが、しかし泉こなたという人物はその10代という
低年齢も相俟って、こうやって分析するとやはりなにやら素晴らしい、
素直に圧倒されてしまう様なステータスを持つ人間である。
……幼すぎる外見と私生活での適当な振る舞いを知らなければ、…であるが。

「口にでてるよ~?」
「なっ!? マジか!?」
「…嘘だけど、なにやらお馬鹿さんは見つかったみたいだね?」
「なっー!」

 みたいなことを喋りながら、そろそろ立ち上がる、すると俺を見下ろして居たこなたの顔は
俺の胸辺りまで一気に高度を下げる。…まぁ、実際には俺が高度あげたのだが。
うん、人間の身体と言う物はなかなかどうして伸張性に欠けるのだ、そう簡単に伸び縮みさせるには
怪しい木の実でも食べるしかなかろう。
 しかし、と俺から離れて黙って汗を拭く長門に声を掛けるこなたを見ながら、
もしかして身長と実力は反比例するのじゃないだろうか? などと言う思考が頭を過ぎる。
まぁヒットするゾーンが狭いしな、速いし。

「口にでてるよ~?」
「こ、今度はそんな手には乗らんぞ!」
「……その理論でいくと、あやのちゃんはそのうちかがみより強くなるねぇ?」
「なっー!」

 今度は本当に口走っていたらしい、しかも恐ろしい事実の発覚。
俺はどうやらあやのの尻に敷かれるのかもしれない。恐怖。

「まったく失礼しちゃうよね、小さい小さいって」
「…事実」
「あのねぇ…ゆきも言われてるんだよ? 悔しくない?」
「別に」
「あっそ…」

 不貞腐れるこなたと、絡まれながらも微動だにしない長門、というより相手にしてないのか。
とりあえず俺はその二人に先んじてシャワーを浴びることにして、その場を去らせてもらう。
いくらタオルで拭いたところで匂いやベタベタした感触はそう簡単にとれやしないからな。

 圧縮空気が流れて扉が自動に開く。道場と言われて畳の敷かれたあの部屋も、出入り口はハイテクだった。
 ヒンヤリとした空気が外にでた直後に身体を包む。急場でない本部は対して人はおらず、
廊下の空気は循環機で、少し肌寒いくらいに保たれている。
それは、まぁ火照った身体も作用してのことだろうけど…。

「ふぅ…、なんか買ってくか」

 訓練道場の前には、気を使った結果なのか、自販機のある休憩所がある。
観葉植物が白い鉢に入って僅かばかりの緑を見せるその場所に訓練で当然渇いてる喉の欲求に従い
ウェアのポケットからIDカードを取り出して自販機に差し入れる、欲しいのは炭酸。
グイッといきたいものである。
 炭酸の抜ける音、キャップを開けると同時にするその音に爽快さを感じる。

「……ぷはぁっ…、さてと帰るか」

 刺激の強い液体が喉を通り過ぎる感覚に身を震わせて、
タオルでガシガシと髪の毛の水分を拭う。汗でなく、シャワーで濡れた髪は
しかしドライヤーでも使わなければいつまでも湿っていて、このままバイクで帰ると
ヘルメットで髪が変になるな、と少し車が欲しくなる。

「……つまんねぇ理由だな俺」

 グイッとペットボトルの残りを飲み干して、空になった容器を捨てる。

 今夜の夕飯はなににしよう?

―――――

 ポンと小さく、危うく聞き損ね兼ねない音。
俺がそれに気付いたのは、まぁタイミングが良かったのだろうと思う。
端末用のMMを落としてしまい、それを拾うために顔が、つまりは耳が
ぐっと端末のスピーカーに近付かなければ多分、俺は少なくともその授業中は
このメールに気付くことなんてなかっただろう。

『放課後、体育館裏で待ってます』

 非通知(と言っても教師にはバレバレなのだが)で送られて来たメール。
教室内のBluetoothではなく校内の直接回線からなので差出人に目星が着かない。
……と言うかこれはなんだ? 果し状か? だとしたら古風だが、ハイテク頼りの便りは
果たして古風か?

「あ? さぁ、告白でもしてくるんじゃねぇの?」

 授業後、席の近い日下部に事情を話すと、日下部は面倒そうにそう言った。

「なるほど恋文と言う奴か」
「……まぁそれも間違っちゃいないけど。どうすんだよキョンよぉ。行くのか?」
「まぁそうなるだろうな、無視する訳には行かないだろ」
「彼女いるくせにわざわざ行くのか?」
「無視しろってのか」
「そーじゃねけど」

 机に座って足をぶらつかせる日下部はどうにも不明瞭に言葉を濁す。
らしくないと言えばらしくない。

「いやぁ、流石の私も今回ばかりは燥げないと言うか…
いや、本当、隠しといた方がいいゼ? マジでこえぇからな」

 俺が指摘すると、柊と雑談してる彼女をチラチラと確かめながら、
恐る恐る俺にそう呟く。……そう言う事か。

「あやのは静かに怒るからなぁ…」
「大人しい奴ほど怒ると怖いって言うし、色恋でのいざこざが過去にないから
なんとも言えないけど、やっぱり怒らせない方が…」
「そりゃな、だがあやのがそんな事でどうこう言うか? 二股かけようとしてる訳じゃないんだぞ?」

 俺がそう言うと日下部は大袈裟に首を一回りさせてから
「わかってない!」と机からわざわざ降りて、自分の座っていた辺りを両手でバンと強く叩く。
お前あやのに隠したいのかばらしたいのかどっちだ?

「前者に決まってるだろ! いいかキョン、女の子ってのは恋した男に対しては
平常なんてどっかにだな、ポーンなんだよ」
「そうか、わかったから落ち着け」
「とにかく、さっさとフッときて何事もなかったかのようにだな」

 ……あー、それなんか今更無理っぽいなぁ

「なぁに話してるの?」

 あれだけ騒げば、親しい人間なら興味持って話しかけて来ても仕方なし。
柊とともにあやのは、予定通りと言っていい位あっさりこの場に現われた。
まぁ俺は日下部の言う程にはあやのがこの事に対してどうこうするとは思ってないし
そもそも隠そうともあまり考えてなかったので、
「あぁ、実は……」と正直に端末画面を指差して話し始めた。
 と言うかどちらにしても隠してる方が後ろめたそうで余計に怒らせるだけだと思うし。

「へぇ、また分かりやすい呼び出しね」

 簡潔にそう感想を言ったのは柊。

「どんな子かしらね? 隠れて見に行って良い?」

 などと続けてみせるあたり、普通に楽しんでる。
 と。唐突に柊はカタカタと俺の端末を弄りだした。

「…いや、なにしてる?」
「いや、返事してあげようと思って」
「なにを勝手に…」

 意味不明な行動をする柊に対し、当然のようにその腕の動きを遮ろうとする俺。
 よりも早く

「やめてね柊ちゃん。キョン君は当然ハッキリキッパリ断るんだし、
返信なんかして希望もたせちゃ可哀相でしょ? キョン君は欠片もその子の好きになるわけがないんだから 」


 恐怖が舞い降りた。

―――――

 と言う感じで。あやのに本気で恐怖を抱いた訳じゃ決してないが
しかしまぁ現在俺はあやのと付き合っていて、好いているのは事実で、
俺は当然その呼び出しに応じ、相手に早急に自分の意思を伝え、
さっさと帰ってあやのの機嫌を取る運びになった。

 ……っとストップだ、何故か気付けば女子からのラブレターである事が決定事項で
あるかのようになっている。まだ果し状や悪戯の可能性も捨て切れんと言うのに。
 いや、むしろその可能性の方が高いだろうのにだ、俺がエヴァのパイロット
だと言う事実はこの高校内では自明であるし、それは柊やあやのも同じ事で、
そう言う有名人(笑)みたいな扱いを受けてる奴が気に食わない奴は確実に居るだろう?
少なくともミーハー的に告白を行う女子よりムカついて悪戯を行う男子の方が多そうだ、
外見や勉学や部活で活躍したりなどわかりやすい形で有名なのではないのだから。

 ま、そんな事を思った所で既に事は終わり間際。
後ろの茂み越しに複数の気配を感じつつメールの相手を待つ放課後なのだが。

「来ないわね?」

 茂みin柊がボソッと呟く。
お前はそれで隠れてるつもりか? 無理矢理お前が連れてきた長門を見ろ、
ほぼ完璧に自然と一体化しているぞ。見習え。

「…だが確かに遅いな」

 長門が暇を持て余して本を読み始める前に来ていただきたい。
本を読み始めたら一区切り付くまで根が張って動かなくなるんだから。

「本当に悪戯だったのかしら」
「なら時間を無駄にしたな」
「私はその方が都合がいいけどね」
「……」

 一見、一人で植物と会話している不信極まりない人物を演じて居る。
あっちもあっちで傍からみたら等しく不信だからまだいいが。…よくないが。

と、

「あの…」

 声を、かけられた。
 知らない、声だった。

「……」

 あれ程暇そうに文句をたれ、呼び出し人の登場を待望むような口振りだった柊も
呼び出した女の子(あの時点ではまだ確定できないにも関わらず)に対し
猛烈怒髪(誇張表現)だったあやのも、元から静かな長門は言うまでも無く
ひたすらにその自身の存在を消していた。まるでこの場には俺と目の前の彼女しかいない
とでも言いたいかのように。
戸惑いを隠せない俺に彼女は嬉しそうに

「驚いた?」

 と、やたらと心地よい響きの声で朗々と問う。
まるで思い付きの悪戯の結果を待つ子供のように、だ。

「……まぁ、それなりに」
「あはっ」

 そして、目を輝かせて成功を確認した子供は、朝倉涼子は、楽しそうに快活に笑った。

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最終更新:2009年02月04日 13:31