*人物一覧
(人名、および組織・団体名・神名)
稗田阿礼 ひえだの あれ 天武天皇の舎人。記憶力がすぐれていたため、天皇から帝紀・旧辞の誦習を命ぜられ、太安万侶がこれを筆録して「古事記」3巻が成った。
太安万侶 おおの やすまろ ?-723 奈良時代の官人。民部卿。勅により、稗田阿礼の誦習した帝紀・旧辞を筆録して「古事記」3巻を撰進。1979年、奈良市の東郊から遺骨が墓誌銘と共に出土。
武田祐吉 たけだ ゆうきち 1886-1958 国文学者。東京都出身。小田原中学の教員を辞し、佐佐木信綱のもとで「校本万葉集」の編纂に参加。1926(昭和元)、国学院大学教授。「万葉集」を中心に上代文学の研究を進め、「万葉集全註釈」(1948-51)に結実させた。著書「上代国文学の研究」「古事記研究―帝紀攷」。「武田祐吉著作集」全8巻。(日本史)
アメノミナカヌシの神 天之御中主神・天御中主神 古事記で、造化の三神の一柱。天地開闢のはじめ、高天原に最初に出現、天の中央に座して宇宙を主宰したという神。中国の思想による天帝の観念から作られたという。
タカミムスビの神 高皇産霊神・高御産巣日神・高御産日神・高御魂神
古事記で、天地開闢の時、高天原に出現したという神。天御中主神・神皇産霊神と共に造化三神の一神。天孫降臨の神勅を下す。鎮魂神として神祇官八神の一神。たかみむすびのかみ。別名、高木神。
カムムスビの神 神産巣日神・神皇産霊神 記紀神話で天地開闢の際、天御中主神・高皇産霊神と共に高天原に出現したと伝える神。造化三神の一神。女神ともいう。かむみむすひのかみ。
イザナギの神 伊弉諾尊・伊邪那岐命 (古くはイザナキノミコト)日本神話で、天つ神の命を受け伊弉冉尊と共にわが国土や神を生み、山海・草木をつかさどった男神。天照大神・素戔嗚尊の父神。
イザナミの神 伊弉冉尊・伊邪那美命 日本神話で、伊弉諾尊の配偶女神。火の神を生んだために死に、夫神と別れて黄泉国に住むようになる。
スサノオの命 素戔嗚尊・須佐之男命 日本神話で、伊弉諾尊の子。天照大神の弟。凶暴で、天の岩屋戸の事件を起こした結果、高天原から追放され、出雲国で八岐大蛇を斬って天叢雲剣を得、天照大神に献じた。また新羅に渡って、船材の樹木を持ち帰り、植林の道を教えたという。
天照らす大神 あまてらす おおみかみ 天照大神・天照大御神。伊弉諾尊の女。高天原の主神。皇室の祖神。大日�t貴とも号す。日の神と仰がれ、伊勢の皇大神宮(内宮)に祀り、皇室崇敬の中心とされた。
タケミカヅチノオの命 武甕槌命・建御雷命。日本神話で、天尾羽張命の子。経津主命と共に天照大神の命を受けて出雲国に下り、大国主命を説いて国土を奉還させた。鹿島神宮はこの神を祀る。
大国主の神 → 大国主命
大国主命 おおくにぬしの みこと 日本神話で、出雲国の主神。素戔嗚尊の子とも6世の孫ともいう。少彦名神と協力して天下を経営し、禁厭・医薬などの道を教え、国土を天孫瓊瓊杵尊に譲って杵築の地に隠退。今、出雲大社に祀る。大黒天と習合して民間信仰に浸透。大己貴神・国魂神・葦原醜男・八千矛神などの別名が伝えられるが、これらの名の地方神を古事記が「大国主神」として統合したもの。
オオアナムチの神 大己貴神。
アシハラシコオの神 葦原醜男。
ヤチホコの神 八千矛神。
ウツシクニダマの神 宇都志国玉神。
ニニギの命 ににぎのみこと 瓊瓊杵尊・邇邇芸命。日本神話で天照大神の孫。天忍穂耳尊の子。天照大神の命によってこの国土を統治するために、高天原から日向国の高千穂峰に降り、大山祇神の女、木花之開耶姫を娶り、火闌降命・火明尊・彦火火出見尊を生んだ。天津彦彦火瓊瓊杵尊。
神武天皇 じんむ てんのう 記紀伝承上の天皇。名は神日本磐余彦。伝承では、高天原から降臨した瓊瓊杵尊の曾孫。彦波瀲武��草葺不合尊の第4子で、母は玉依姫。日向国の高千穂宮を出、瀬戸内海を経て紀伊国に上陸、長髄彦らを平定して、辛酉の年(前660年)大和国畝傍の橿原宮で即位したという。日本書紀の紀年に従って、明治以降この年を紀元元年とした。畝傍山東北陵はその陵墓とする。
タカクラジ 高倉下。日本神話に登場する人物。夢で見た神託により、神武天皇に霊剣布都御魂をもたらした。
崇神天皇 すじん てんのう 記紀伝承上の天皇。開化天皇の第2皇子。名は御間城入彦五十瓊殖。
仁徳天皇 にんとく てんのう 記紀に記された5世紀前半の天皇。応神天皇の第4皇子。名は大鷦鷯。難波に都した最初の天皇。租税を3年間免除したなどの聖帝伝承がある。倭の五王のうちの「讃」または「珍」とする説がある。
成務天皇 せいむ てんのう 記紀伝承上の天皇。景行天皇の第4皇子。名は稚足彦。
允恭天皇 いんぎょう てんのう 記紀に記された5世紀中頃の天皇。仁徳天皇の第4皇子。名は雄朝津間稚子宿祢。盟神探湯で姓氏の混乱を正したという。倭の五王のうち「済」に比定される。
天武天皇 てんむ てんのう ?-686 7世紀後半の天皇。名は天渟中原瀛真人、また大海人。舒明天皇の第3皇子。671年出家して吉野に隠棲、天智天皇の没後、壬申の乱(672年)に勝利し、翌年、飛鳥の浄御原宮に即位する。新たに八色姓を制定、位階を改定、律令を制定、また国史の編修に着手。(在位673〜686)
黄帝 こうてい 中国古代伝説上の帝王。三皇五帝の一人。姓は姫、号は軒轅氏。炎帝の子孫を破り、蚩尤を倒して天下を統一、養蚕・舟車・文字・音律・医学・算数などを制定したという。陝西省の黄帝陵に祭られ、漢民族の始祖として尊ばれる。
文王 ぶんおう (ブンノウとも)周王朝の基礎をつくった王。姓は姫。名は昌。武王の父。殷に仕えて西伯と称。勢い盛んとなり紂王に捕らえられたが、許されて都を豊邑に遷した。その人物・政治は儒家の模範とされる。生没年未詳。
元明天皇 げんめい てんのう 661-721 奈良前期の女帝。天智天皇の第4皇女。草壁皇子の妃。文武・元正天皇の母。名は阿閉。都を大和国の平城(奈良)に遷し、太安万侶らに古事記を撰ばせ、諸国に風土記を奉らせた。(在位707〜715)
禹 う 中国古代伝説上の聖王。夏の始祖。鯀の子で、舜の時、治水に功をおさめ、天下を九州に分けて、貢賦を定めた。舜の禅譲を受けて位につき、安邑(山西省)に都し、国を夏と号し、禹の死後、世襲王朝となったという。大禹。夏禹。夏伯。
湯王 とうおう 殷(商)王朝を創始した王。殷の祖契より14世目。夏の桀王を討ち滅ぼす。亳(河南偃師とする説が有力)に都し、伊尹などを用いた。商湯。成湯。武湯。大乙。
推古天皇 すいこ てんのう 554-628 記紀に記された6世紀末・7世紀初の天皇。最初の女帝。欽明天皇の第3皇女。母は堅塩媛(蘇我稲目の娘)。名は豊御食炊屋姫。また、額田部皇女。敏達天皇の皇后。崇峻天皇暗殺の後を受けて大和国の豊浦宮で即位。後に同国の小墾田宮に遷る。聖徳太子を摂政とし、冠位十二階の制定、十七条憲法の発布などを行う。(在位592〜628)
ヒコナギサウガヤフキアヘズの命 彦波瀲武��草葺不合尊 ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと
→ うがやふきあえずのみこと
��草葺不合尊 うがやふきあえずのみこと 記紀神話で、彦火火出見尊の子。母は豊玉姫。五瀬命・神日本磐余彦尊(神武天皇)の父。
ウマシアシカビヒコジの神 可美葦牙彦舅神。記紀神話で、国土がまだ出来あがらず天地混沌の時、アシカビ(葦の芽の意)のように生まれたとされる神。
アメノトコタチの神 天常立神。古事記で、天地開闢の時、現れたという神。
クニノトコタチの神 国常立尊。日本書紀の冒頭に記されている、天地開闢とともに最初に現れた神。国底立尊。
トヨクモノの神 豊雲野神・豊斟渟神。天地開闢の時、国常立神に次いで高天原に出現したという神。天神七代の一つ。
ウイジニの神 宇比邇神。男神。
スイジニの女神 須比智邇神。女神。
ツノグイの神 角杙神。男神。
イクグイの女神 活杙神。女神。
オオトノジの神 意富斗能地神。男神。
オオトノベの女神 大斗乃弁神。女神。
オモダルの神 淤母陀琉神。男神。
アヤカシコネの女神 阿夜訶志古泥神。女神。
水蛭子 ひるこ 蛭子。日本神話で、伊弉諾・伊弉冉二神の間に最初に生まれた子。3歳になっても脚が立たず、流し捨てられたと伝える。中世以後、これを恵比須として尊崇。ひるのこ。
淡島 あわしま 日本神話で伊弉諾尊・伊弉冉尊が生んだという島。
イイヨリ彦 飯依彦。讃岐国の擬人名。
オオケツ姫 大宜津比売。(「け」は食物)食物をつかさどる女神。古事記で、鼻・口・尻から種々の食物を取り出して奉り、穢らわしいとして素戔嗚尊に殺されたが、死体から五穀が化生した。日本書紀では保食神。
タケヨリワケ 建依別。土佐国の美称。現、高知県。
オオタマルワケ 大多麻流別。大島の別名。
エ姫 えひめ 愛比売。伊予国の別名。
アメノサデヨリ姫 天の狭手依比売。対馬の別名。
オオコトオシオの神 大事忍男神。
[家宅六神]
イワツチ彦の神 石土毘古神。
イワス姫の神 石巣比売神。
オオトヒワケの神 大戸日別神。
アメノフキオの神 天之吹男神。
オオヤ彦の神 大屋毘古神。
カザモツワケノオシオの神 風木津別之忍男神。
オオワタツミの神 海神・綿津見。海の神。
ハヤアキツ彦の神 速秋津比古。神水戸の神。
ハヤアキツ姫 速秋津比売神。
アワナギの神 沫那藝神。
アワナミの神 沫那美神。
ツラナギの神 頬那藝神。
ツラナミの神 頬那美神。
アメノミクマリの神 天之水分神。
クニノミクマリの神 国之水分神。
アメノクヒザモチの神 天之久比奢母智神。
クニノクヒザモチの神 国之久比奢母智神。
シナツ彦の神 級長津彦神。風をつかさどる神。竜田神・竜田風神と同神ともいう。級長戸辺神。
ククノチの神 久久能智神。日本神話で、木の神。木の守護神。
オオヤマツミの神 大山祇神。山をつかさどる神。伊弉諾尊の子。
カヤノ姫の神 鹿屋野比売神。野の神。またの名をノヅチの神(野椎神)。
アメノサヅチの神 天之狭土神。
クニノサヅチの神 国之狭土神。
アメノサギリの神 天之狭霧神。
クニノサギリの神 国之狭霧神。
アメノクラドの神 天之闇戸神。
クニノクラドの神 国之闇戸神。
オオトマドイコの神 大戸惑子神。
オオトマドイメの神 大戸惑女神。
トリノイワクスブネの神 鳥之石楠船神。またの名を天の鳥船。
鳥磐樟船 とりのいわくすぶね 鳥のように速く、岩のように堅固なクスノキで作った船。あまのいわくすぶね。
天の鳥船 あまの とりふね 日本神話にみえる、速力のはやい船。また、それを神として呼んだ称。
オオゲツ姫の神 大宜津比売。(「け」は食物)食物をつかさどる女神。古事記で、鼻・口・尻から種々の食物を取り出して奉り、穢らわしいとして素戔嗚尊に殺されたが、死体から五穀が化生した。日本書紀では保食神。
ホノヤギハヤオの神 火之夜藝速男神。またの名をホノカガ彦の神(火之?毘古神)、ホノカグツチの神(火之迦具土神)。
迦具土神 かぐつちのかみ 記紀神話で、伊弉諾・伊弉冉二尊の子。火をつかさどる神。誕生の際、母を焼死させたため、父に切り殺される。火産霊神。
カナヤマ彦の神 金山毘古神。鉱山の神。金山姫を配する。
カナヤマ姫 金山毘売神。
ハニヤス彦の神 波邇夜須毘古神。土の神。
ハニヤス姫の神 波邇夜須毘売。
ミツハノメの神 弥都波能売神。罔象女。罔象に同じ。水をつかさどる神。
ワクムスビの神 和久産巣日神。穀物・養蚕の神。
トヨウケ姫の神 豊宇気毘売・豊受姫。豊受大神。伊弉諾尊の孫、和久産巣日神の子。食物をつかさどる神。伊勢神宮の外宮の祭神。豊宇気毘売神。とゆうけのかみ。
泣沢女の神 なきさわめのかみ 古事記神話で、伊邪那岐命が伊邪那美命の死を嘆いた涙から成ったという神。
イワサクの神 石析神。
ネサクの神 根析神。
イワヅツノオの神 石筒之男神。
ミカハヤビの神 甕速日神(みかはやひのかみ)。
ヒハヤビの神 樋速日神(ひはやひのかみ)。
タケミカヅチノオの神 建御雷之男神・建御雷神。またの名をタケフツの神(建布都神)またの名をトヨフツの神(豊布都神)。
クラオカミの神 淤加美神。闇�。(「くら」は谷の意)高�と共に、水をつかさどる神。古来、祈雨・止雨の神として有名。京都の貴船神社の祭神。
クラミツハの神 闇御津羽神。雨をつかさどる竜神。水神。
マサカヤマツミの神 正鹿山津見神。迦具土神の頭から生まれる。
オトヤマツミの神 淤縢山津見神。胸に出現した神。
オクヤマツミの神 奥山津見神。腹に出現した神。
クラヤマツミの神 闇山津見神。御陰に出現した神。
シギヤマツミの神 志藝山津見神。左の手に出現した神。
ハヤマツミの神 羽山津見神。右の手に出現した神。
ハラヤマツミの神 原山津見神。左の足に出現した神。
トヤマツミの神 戸山津見神。右の足に出現した神。
オオカムヅミの命 意富加牟豆美の命。イザナギが桃に与えた名。
黄泉津大神 よもつおおかみ イザナミの命。
道及きの大神 ちしきのおおかみ 道敷大神。イザナミの命。
黄泉の入口の大神 黄泉戸の大神。
衝き立つフナドの神 つきたつふなどのかみ 衝立船戸神。
道のナガチハの神 道之長乳歯神。なげすてる帯であらわれた神。道中の安全を守る。
トキハカシの神 時量師神。なげすてる袋であらわれた神。
煩累の大人の神 わずらいのうしのかみ 和豆良比能宇斯神。なげすてる衣であらわれた神。
チマタの神 道俣神。岐の神。なげすてる褌であらわれた神。
アキグイの大人の神 飽咋大人神。なげすてる冠であらわれた神。
オキザカルの神 奧疎神。なげすてる左の手につけた腕巻であらわれた神。
オキツナギサビコの神 奧津那芸佐毘古神。
オキツカイベラの神 奧津甲斐弁羅神。
ヘザカルの神 辺疎神。なげすてる右の手につけた腕巻であらわれた神。
ヘツナギサビコの神 辺津那芸佐毘古神。
ヘツカイベラの神 辺津甲斐弁羅神。
ヤソマガツヒの神 八十禍津日神。
オオマガツヒの神 大禍津日神。
禍津日神 まがつひのかみ 災害・凶事・汚穢の神。伊弉諾尊のみそぎの時、黄泉の国の汚れから化生したという。
カムナオビの神 神直毘神。
オオナオビの神 大直毘神。凶事を吉事に転ずる神。
イヅノメ 伊豆能売。
ソコツワタツミの神 底津綿津見神。
ソコヅツノオの命 底筒男命。
ナカツワタツミの神 中津綿津見神。
ナカヅツノオの命 中筒男命。
ウワツワタツミの神 上津綿津見神。
ウワヅツノオの命 表筒男命。
安曇氏 あずみうじ/あづみし 古代日本の氏族で、海神である綿津見命を祖とする。安曇氏とも表記する。阿曇族、安曇族ともいう。
ウツシヒガナサクの命 宇都志日金拆命。阿曇氏の祖。
月読尊・月夜見尊 つきよみのみこと (古くはツクヨミノミコト)記紀神話で伊弉諾尊の子で天照大神の弟。月神。「夜の食す国」を治めたという。
タケハヤスサノオの命 → スサノオの命
ミクラタナの神 御倉板挙之神。
タギリヒメの命 多紀理姫命、田霧姫。またの名はオキツシマ姫の命(瀛津嶋姫)。
イチキシマヒメの命 市寸島比売命。またの名はサヨリビメの命。
タギツヒメの命 多岐津姫命。
マサカアカツカチハヤビアメノオシホミミの命 正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命。
アメノホヒの命 天之菩卑能命、天穂日命、天菩比神。日本神話で、素戔嗚尊と天照大神の誓約の際に生まれた子。天孫降臨に先だち、出雲国に降り、大国主命祭祀の祭主となる。出雲国造らの祖とする。千家氏はその子孫という。
アマツヒコネの命 天津日子根命。凡川内の国の造・額田部の湯座の連・木の国の造・倭の田中の直・山代の国の造・ウマクタの国の造・道ノシリキベの国の造・スハの国の造・倭のアムチの造・高市の県主・蒲生の稲寸・三枝部の造たちの祖先。
イクツヒコネの命 活津日子命。
クマノクスビの命 熊野久須毘命。
タケヒラドリの命 建比良鳥命。出雲の国の造・ムザシの国の造・カミツウナカミの国の造・シモツウナカミの国の造・イジムの国の造・津島の県の直・遠江の国の造たちの祖先。
出雲の国の造 いずものくにのみやつこ 出雲の国を支配した豪族。律令制成立以後は大社の神官を世襲し、のち千家・北島の両家に分かれた。
ムザシの国の造 むさしのくにのみやつこ 无邪志国造。
カミツウナカミの国の造 上菟上国造。上菟上は現、千葉県市原市。
シモツウナカミの国の造 下菟上国造。のちの下総海上。
菟上 うなかみ → 海上郡
海上郡 うなかみぐん 上総国にかつて存在した郡。現在の市原市のうちの養老川左岸を領域としていた。
イジムの国の造 伊自牟国造。上総国夷隅郡を本拠とした国造。氏姓は春部直か。(日本史)
津島の県の直 つしまのあがたのあたえ 後の対馬。(p.28上)
遠江の国の造 とおつおうみの くにのみやつこ (p.28上)
凡川内の国の造 おおしこうち/おおしかわち- 凡河内、大河内とも。
額田部の湯座の連 ぬかたべの ゆえの むらじ
木の国の造 きのくにの みやつこ
倭の田中の直 やまとの たなかの あたえ (p.28下)
山代の国の造 やましろの くにのみやつこ 山城国におかれた国造。姓は山背直。のち連、忌寸。(日本史)
ウマクタの国の造 馬来田(まくた)。上総国望陀郡を本拠とした。(日本史)
道ノシリキベの国の造 みちのしりのきえ- 道尻の岐閇。
スハの国の造 周芳(すおう)か。のちの周防。(p.28下)
倭のアムチの造 やまとの あむちの みやつこ 大和の淹知。(p.28下)
高市の県主 たけちの あがたぬし 大和国高市郡を本拠とした。(日本史)
蒲生の稲寸 かもうの いなき
三枝部の造 さきくさべの みやつこ
オモヒガネの神 思金神。タカミムスビの神の子。知恵者。
アマツマラ 天津麻羅。天目一箇神。天照大神が天岩屋戸に隠れた時、刀・斧など、祭器を作ったという神。後世、金工・鍛冶の祖神とする。天津麻羅。
イシコリドメ 伊斯許理度売命、石凝姥命。記紀神話で、天糠戸神の子。天照大神が天の岩戸に隠れた時、鏡を作った神。鏡作部の遠祖とする。五部神の一神。
タマノオヤの命 玉祖命。古事記神話で、天岩屋戸の前で玉を作ったという神。五部神の一神。玉屋命。
アメノコヤネの命 天児屋命・天児屋根命。日本神話で、興台産霊の子。天岩屋戸の前で、祝詞を奏して天照大神の出現を祈り、のち、天孫に従ってくだった五部神の一人で、その子孫は代々大和朝廷の祭祀をつかさどったという。中臣・藤原氏の祖神とする。
フトダマの命 布刀玉命、太玉命。日本神話で天照大神の岩戸ごもりの際に、天児屋根命と共に祭祀の事をつかさどった神。忌部氏の祖。五部神の一神。
アメノタヂカラオの神 天手力男神。
アメノウズメの命 天宇受賣命、天鈿女命。日本神話で、天岩屋戸の前で踊って天照大神を慰め、また、天孫降臨に随従して天の八衢にいた猿田彦神を和らげて道案内させたという女神。鈿女命。猿女君の祖とする。
保食神 うけもちのかみ 五穀をつかさどる神。食物の神。うかのみたま。
アシナヅチ 足名椎命。オオヤマツミの子で、出雲国の肥の川の上流に住む。スサノオからイナダの宮主スガノヤツミミの神の名を与えられる。
テナヅチ 手名椎命。
クシナダ姫 櫛名田比売。奇稲田姫。(クシイナダヒメとも)出雲国の足名椎・手名椎の女。素戔嗚尊の妃となる。稲田姫。
イナダの宮主スガノヤツミミの神 稲田宮主須賀之八耳神。
オオトシの神 大年神・大歳神。穀物の守護神。
ウカノミタマ 宇迦之御魂神。宇迦御魂・倉稲魂・稲魂。食物、殊に稲をつかさどる神。「うかたま」「うけのみたま」とも。
ヤシマジヌミの神 八島士奴美の神。スサノオとクシナダ姫の子。
カムオオチ姫 神大市比売(かむおおいちひめ)。オオヤマツミの神の女。スサノオの妻となりオオトシの神とウカノミタマを生んだ。
木の花散る姫 このはなちるひめ 木の花知流比売。スサノオの子・八島士奴美神の妻となり、フワノモジクヌスヌの神を生む。
フワノモジクヌスヌの神 布波能母遲久奴須奴の神。淤加美神の女ヒカワ姫を妻として、子にはフカブチノミヅヤレハナの神がいる。
オカミの神 淤加美神。ヒカワ姫の父。
ヒカワ姫 日河比売。淤加美神の娘。日は霊(ひ)の意で、霊的な川に仕える巫女という。(神名)
フカブチノミヅヤレハナの神 深淵之水夜礼花神。
アメノツドヘチネの神 天の都度閇知泥の神。
オミヅヌの神 淤美豆奴の神。
フノヅノの神 布怒豆怒の神。
フテミミの神 布帝耳の神。
アメノフユギヌの神 天の冬衣の神。
サシクニオオの神 刺国大の神。
サシクニワカ姫 刺国若比売。
◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)、『日本人名大事典』(平凡社)、『日本史広辞典』(山川出版社、1997.10)、『日本神名辞典 第二版』(神社新報社、1995.6)、『古事記・日本書紀』(福永武彦訳、河出書房新社、1988.1)。
*書籍
(書名、雑誌名、論文名、能・狂言・謡曲などの作品名)
古事記 こじき 現存する日本最古の歴史書。3巻。稗田阿礼が天武天皇の勅により誦習した帝紀および先代の旧辞を、太安万侶が元明天皇の勅により撰録して712年(和銅5)献上。
帝紀 ていき 天皇の系譜の記録。帝皇日嗣。
本辞 ほんじ 皇族や氏族の伝承、また、民間の説話などを書きとどめたもの。旧辞。
◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。
*難字、求めよ
神代七代・神世七代 かみよ ななよ 天地開闢のとき、別天神五柱につづいて出現した国之常立神以下伊邪那岐神・伊邪那美神までの7代。古事記では十二神、日本書紀では十一神。天神七代。
鎮火祭 ちんかさい 陰暦6月・12月の晦日の夜、宮城の四方の隅で神を祭り、火災防止を祈った神事。延喜式に祝詞がある。今も各地の神社で行われる。ひしずめのまつり。ほしずめのまつり。
道饗の祭 みちあえのまつり 律令制で、6月・12月の両度、京都の四隅の道上で八衢比古・八衢比売・久那斗の3神を祀る祭事。魑魅・妖物に食物を饗して、その京都に入るのを防いだ。ちあえのまつり。
アメノオハバリ 天之尾羽張。剣の名。またの名はイツノオハバリ(伊都之尾羽張)。
巌石 がんせき 岩石。
天の真名井 あめのまない 高天原にある神聖な井。
沖つ宮 おきつみや 沖の方にある海神の宮殿。
辺つ宮 へつみや 海の岸の方にある宮。
常世の長鳴鳥 とこよのながなきどり (天照大神が天の岩戸に籠もり、天地が常闇になった時、鳴かせた鳥の意)鶏の古称。
ハハカ 波波迦 ウワミズザクラの古名。
真拆の蔓 まさきのかずら 真拆の葛。テイカカズラの古名。一説にツルマサキの古称。上代、神事に用いた。
八俣の大蛇 やまたのおろち 八岐大蛇。記紀神話で、出雲の簸川にいたという大蛇。頭尾はおのおの八つに分かれる。素戔嗚尊がこれを退治して奇稲田姫を救い、その尾を割いて天叢雲剣を得たと伝える。
草薙剣 くさなぎのつるぎ 三種の神器の一つ。記紀で、素戔嗚尊が退治した八岐大蛇の尾から出たと伝える剣。日本武尊が東征の折、これで草を薙ぎ払ったところからの名とされるが、クサは臭、ナギは蛇の意で、原義は蛇の剣の意か。のち、熱田神宮に祀られたが、平氏滅亡に際し海に没したとされる。天叢雲剣。
◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。
*後記(工作員日記)
川崎利夫『出羽の遺跡を歩く』(高志書院、2001.2)読了。こちらは旧石器捏造事件発覚後の著述。安田喜憲、阿部正己、喜田貞吉らの名前も出てくる。本書によれば、西日本にみられる青銅の銅鐸や銅剣や銅鉾が県内で発掘された例はないらしい。ところが、鳳凰の頭を柄にもつ鉄製の環頭太刀(かんとうたち)、十八振の蕨手刀(わらびてとう)、そして羽黒山鏡ヶ池から六〇〇面近い銅鏡が出土している。
『ず・ぼん』16号(ポット出版、2011.1)読了。シジュウカラの初鳴き。
*次週予告
第三巻 第三一号
現代語訳『古事記』(二)上巻(後編)
武田祐吉(訳)
第三巻 第三一号は、
二月二六日(土)発行予定です。
月末最終号:無料
T-Time マガジン 週刊ミルクティー* 第三巻 第三〇号
現代語訳『古事記』(一)武田祐吉(訳)
発行:二〇一一年二月一九日(土)
編集:しだひろし/PoorBook G3'99
http://www33.atwiki.jp/asterisk99/
出版:*99 出版
〒994-0024 山形県天童市鎌田2丁目1−21
アパートメント山口A−202
販売:DL-MARKET
※ T-Timeは(株)ボイジャーの商標・製品です。
T-Time マガジン 週刊ミルクティー**99 出版
第二巻
第一号 奇巌城(一)モーリス・ルブラン 月末最終号:無料
第二号 奇巌城(二)モーリス・ルブラン 定価:200円
第三号 美し姫と怪獣 / 長ぐつをはいた猫 定価:200円
第四号 毒と迷信 / 若水の話 / 麻薬・自殺・宗教 定価:200円
第五号 空襲警報 / 水の女 / 支流 定価:200円
第六号 新羅人の武士的精神について 池内宏 月末最終号:無料
第七号 新羅の花郎について 池内宏 定価:200円
第八号 震災日誌 / 震災後記 喜田貞吉 定価:200円
第九号 セロ弾きのゴーシュ / なめとこ山の熊 宮沢賢治 定価:200円
第十号 風の又三郎 宮沢賢治 月末最終号:無料
第一一号 能久親王事跡(一)森 林太郎 定価:200円
第一二号 能久親王事跡(二)森 林太郎 定価:200円
第一三号 能久親王事跡(三)森 林太郎 定価:200円
第一四号 能久親王事跡(四)森 林太郎 定価:200円
第一七号 赤毛連盟 コナン・ドイル 定価:200円
第一八号 ボヘミアの醜聞 コナン・ドイル 定価:200円
第一九号 グロリア・スコット号 コナン・ドイル 月末最終号:無料
第二〇号 暗号舞踏人の謎 コナン・ドイル 定価:200円
第二一号 蝦夷とコロボックルとの異同を論ず 喜田貞吉 定価:200円
第二二号 コロポックル説の誤謬を論ず 上・下 河野常吉 定価:200円
第二三号 慶長年間の朝日連峰通路について 佐藤栄太 月末最終号:無料
第二四号 まれびとの歴史/「とこよ」と「まれびと」と 折口信夫 定価:200円
第二五号 払田柵跡について二、三の考察/山形県本楯発見の柵跡について 喜田貞吉 定価:200円
第二六号 日本天変地異記 田中貢太郎 定価:200円
第二七号 種山ヶ原/イギリス海岸 宮沢賢治 定価:200円
第二八号 翁の発生/鬼の話 折口信夫
月末最終号:無料
第二九号 生物の歴史(一)石川千代松
定価:200円
第三〇号 生物の歴史(二)石川千代松
定価:200円
第三一号 生物の歴史(三)石川千代松
定価:200円
第三二号 生物の歴史(四)石川千代松
月末最終号:無料
第三三号 特集 ひなまつり
定価:200円
雛 芥川龍之介
雛がたり 泉鏡花
ひなまつりの話 折口信夫
第三四号 特集 ひなまつり
定価:200円
人形の話 折口信夫
偶人信仰の民俗化並びに伝説化せる道 折口信夫
第三五号 右大臣実朝(一)太宰治
定価:200円
第三六号 右大臣実朝(二)太宰治 月末最終号:無料
第三七号 右大臣実朝(三)太宰治 定価:200円
第三八号 清河八郎(一)大川周明 定価:200円
第三九号 清河八郎(二)大川周明
定価:200円
第四〇号 清河八郎(三)大川周明
月末最終号:無料
第四一号 清河八郎(四)大川周明
定価:200円
第四二号 清河八郎(五)大川周明
定価:200円
第四三号 清河八郎(六)大川周明
定価:200円
第四四号 道鏡皇胤論について 喜田貞吉
定価:200円
第四五号 火葬と大蔵/人身御供と人柱 喜田貞吉
月末最終号:無料
第四六号 手長と足長/くぐつ名義考 喜田貞吉
定価:200円
第四七号 「日本民族」とは何ぞや/本州における蝦夷の末路 喜田貞吉
定価:200円
第四八号 若草物語(一)L. M. オルコット
定価:200円
第四九号 若草物語(二)L. M. オルコット
月末最終号:無料
第五〇号 若草物語(三)L. M. オルコット
定価:200円
第五一号 若草物語(四)L. M. オルコット
定価:200円
第五二号 若草物語(五)L. M. オルコット
定価:200円
第五三号 二人の女歌人/東北の家 片山広子
定価:200円
第三巻 第一号 星と空の話(一)山本一清
月末最終号:無料
一、星座(せいざ)の星
二、月(つき)
(略)殊にこの「ベガ」は、わが日本や支那では「七夕」の祭りにちなむ「織(お)り女(ひめ)」ですから、誰でも皆、幼い時からおなじみの星です。「七夕」の祭りとは、毎年旧暦七月七日の夜に「織り女」と「牽牛(ひこぼし)〔彦星〕」とが「天の川」を渡って会合するという伝説の祭りですが、その「天の川」は「こと」星座のすぐ東側を南北に流れていますし、また、「牽牛」は「天の川」の向かい岸(東岸)に白く輝いています。「牽牛」とその周囲の星々を、星座では「わし」の星座といい、「牽牛」を昔のアラビア人たちは、「アルタイル」と呼びました。「アルタイル」の南と北とに一つずつ小さい星が光っています。あれは「わし」の両翼を拡げている姿なのです。ところが「ベガ」の付近を見ますと、その東側に小さい星が二つ集まっています。昔の人はこれを見て、一羽の鳥が両翼をたたんで地に舞いくだる姿だと思いました。それで、「こと」をまた「舞いくだる鳥」と呼びました。
「こと」の東隣り「天の川」の中に、「はくちょう」という星座があります。このあたりは大星や小星が非常に多くて、天が白い布のように光に満ちています。
第三巻 第二号 星と空の話(二)山本一清
定価:200円
三、太陽
四、日食と月食
五、水星
六、金星
七、火星
八、木星
太陽の黒点というものは誠におもしろいものです。黒点の一つ一つは、太陽の大きさにくらべると小さい点々のように見えますが、じつはみな、いずれもなかなか大きいものであって、(略)最も大きいのは地球の十倍以上のものがときどき現われます。そして同じ黒点を毎日見ていますと、毎日すこしずつ西の方へ流れていって、ついに太陽の西の端(はし)でかくれてしまいますが、二週間ばかりすると、こんどは東の端から現われてきます。こんなにして、黒点の位置が規則正しく変わるのは、太陽全体が、黒点を乗せたまま、自転しているからなのです。太陽は、こうして、約二十五日間に一回、自転をします。(略)
太陽の黒点からは、あらゆる気体の熱風とともに、いろいろなものを四方へ散らしますが、そのうちで最も強く地球に影響をあたえるものは電子が放射されることです。あらゆる電流の原因である電子が太陽黒点から放射されて、わが地球に達しますと、地球では、北極や南極付近に、美しいオーロラ(極光(きょっこう))が現われたり、「磁気嵐(じきあらし)」といって、磁石の針が狂い出して盛んに左右にふれたりします。また、この太陽黒点からやってくる電波や熱波や電子などのために、地球上では、気温や気圧の変動がおこったり、天気が狂ったりすることもあります。(略)
太陽の表面に、いつも同じ黒点が長い間見えているのではありません。一つ一つの黒点はずいぶん短命なものです。なかには一日か二日ぐらいで消えるのがありますし、普通のものは一、二週間ぐらいの寿命のものです。特に大きいものは二、三か月も、七、八か月も長く見えるのがありますけれど、一年以上長く見えるということはほとんどありません。
しかし、黒点は、一つのものがまったく消えない前に、他の黒点が二つも三つも現われてきたりして、ついには一時に三十も四十も、たくさんの黒点が同じ太陽面に見えることがあります。
こうした黒点の数は、毎年、毎日、まったく無茶苦茶というわけではありません。だいたいにおいて十一年ごとに増したり減ったりします。
第三巻 第三号 星と空の話(三)山本一清
定価:200円
九、土星
一〇、天王星
一一、海王星
一二、小遊星
一三、彗星
一四、流星
一五、太陽系
一六、恒星と宇宙
晴れた美しい夜の空を、しばらく家の外に出てながめてごらんなさい。ときどき三分間に一つか、五分間に一つぐらい星が飛ぶように見えるものがあります。あれが流星です。流星は、平常、天に輝いている多くの星のうちの一つ二つが飛ぶのだと思っている人もありますが、そうではありません。流星はみな、今までまったく見えなかった星が、急に光り出して、そしてすぐまた消えてしまうものなのです。(略)
しかし、流星のうちには、はじめから稀(まれ)によほど形の大きいものもあります。そんなものは空気中を何百キロメートルも飛んでいるうちに、燃えつきてしまわず、熱したまま、地上まで落下してきます。これが隕石というものです。隕石のうちには、ほとんど全部が鉄のものもあります。これを隕鉄(いんてつ)といいます。(略)
流星は一年じゅう、たいていの夜に見えますが、しかし、全体からいえば、冬や春よりは、夏や秋の夜にたくさん見えます。ことに七、八月ごろや十月、十一月ごろは、一時間に百以上も流星が飛ぶことがあります。
八月十二、三日ごろの夜明け前、午前二時ごろ、多くの流星がペルセウス星座から四方八方へ放射的に飛びます。これらは、みな、ペルセウス星座の方向から、地球の方向へ、列を作ってぶっつかってくるものでありまして、これを「ペルセウス流星群」と呼びます。
十一月十四、五日ごろにも、夜明け前の二時、三時ごろ、しし星座から飛び出してくるように見える一群の流星があります。これは「しし座流星群」と呼ばれます。
この二つがもっとも有名な流星群ですが、なおこの他には、一月のはじめにカドラント流星群、四月二十日ごろに、こと座流星群、十月にはオリオン流星群などあります。
第三巻 第四号 獅子舞雑考/穀神としての牛に関する民俗 中山太郎
定価:200円
獅子舞雑考
一、枯(か)れ木も山の賑(にぎ)やかし
二、獅子舞に関する先輩の研究
三、獅子頭に角(つの)のある理由
四、獅子頭と狛犬(こまいぬ)との関係
五、鹿踊(ししおど)りと獅子舞との区別は何か
六、獅子舞は寺院から神社へ
七、仏事にもちいた獅子舞の源流
八、獅子舞について関心すべき点
九、獅子頭の鼻毛と馬の尻尾(しっぽ)
穀神としての牛に関する民俗
牛を穀神とするは世界共通の信仰
土牛(どぎゅう)を立て寒気を送る信仰と追儺(ついな)
わが国の家畜の分布と牛飼神の地位
牛をもって神をまつるは、わが国の古俗
田遊(たあそ)びの牛の役と雨乞いの牛の首
全体、わが国の獅子舞については、従来これに関する発生、目的、変遷など、かなり詳細なる研究が発表されている。(略)喜多村翁の所説は、獅子舞は西域の亀茲(きじ)国の舞楽が、支那の文化とともに、わが国に渡来したのであるという、純乎たる輸入説である。柳田先生の所論は、わが国には古く鹿舞(ししまい)というものがあって、しかもそれが広くおこなわれていたところへ、後に支那から渡来した獅子舞が、国音の相通から付会(ふかい)したものである。その証拠には、わが国の各地において、古風を伝えているものに、角(つの)のある獅子頭があり、これに加うるのに鹿を歌ったものを、獅子舞にもちいているという、いわば固有説とも見るべき考証である。さらに小寺氏の観察は、だいたいにおいて柳田先生の固有説をうけ、別にこれに対して、わが国の鹿舞の起こったのは、トーテム崇拝に由来するのであると、付け加えている。
そこで、今度は管見を記すべき順序となったが、これは私も小寺氏と同じく、柳田先生のご説をそのまま拝借する者であって、べつだんに奇説も異論も有しているわけではない。ただ、しいて言えば、わが国の鹿舞と支那からきた獅子舞とは、その目的において全然別個のものがあったという点が、相違しているのである。ことに小寺氏のトーテム説にいたっては、あれだけの研究では、にわかに左袒(さたん)することのできぬのはもちろんである。
こういうと、なんだか柳田先生のご説に、反対するように聞こえるが、角(つの)の有無をもって鹿と獅子の区別をすることは、再考の余地があるように思われる。
第三巻 第五号 鹿踊りのはじまり 宮沢賢治/奥羽地方のシシ踊りと鹿供養 喜田貞吉
月末最終号:無料
鹿踊りのはじまり 宮沢賢治
奥羽地方のシシ踊りと鹿供養 喜田貞吉
一 緒言
二 シシ踊りは鹿踊り
三 伊予宇和島地方の鹿の子踊り
四 アイヌのクマ祭りと捕獲物供養
五 付記
奥羽地方には各地にシシ踊りと呼ばるる一種の民間舞踊がある。地方によって多少の相違はあるが、だいたいにおいて獅子頭を頭につけた青年が、数人立ちまじって古めかしい歌謡を歌いつつ、太鼓の音に和して勇壮なる舞踊を演ずるという点において一致している。したがって普通には獅子舞あるいは越後獅子などのたぐいで、獅子奮迅・踊躍の状を表象したものとして解せられているが、奇態なことにはその旧仙台領地方におこなわるるものが、その獅子頭に鹿の角(つの)を有し、他の地方のものにも、またそれぞれ短い二本の角がはえているのである。
楽舞用具の一種として獅子頭のわが国に伝わったことは、すでに奈良朝のころからであった。くだって鎌倉時代以後には、民間舞踊の一つとして獅子舞の各地におこなわれたことが少なからず文献に見えている。そしてかの越後獅子のごときは、その名残りの地方的に発達・保存されたものであろう。獅子頭はいうまでもなくライオンをあらわしたもので、本来、角があってはならぬはずである。もちろんそれが理想化し、霊獣化して、彫刻家の意匠により、ことさらにそれに角を付加するということは考えられぬでもない。武蔵南多摩郡元八王子村なる諏訪神社の獅子頭は、古来、龍頭とよばれて二本の長い角が斜めにはえているので有名である。しかしながら、仙台領において特にそれが鹿の角であるということは、これを霊獣化したとだけでは解釈されない。けだし、もと鹿供養の意味からおこった一種の田楽的舞踊で、それがシシ踊りと呼ばるることからついに獅子頭とまで転訛するに至り、しかもなお原始の鹿角を保存して、今日におよんでいるものであろう。
第三巻 第六号 魏志倭人伝/後漢書倭伝/宋書倭国伝/隋書倭国伝
定価:200円
魏志倭人伝/後漢書倭伝/宋書倭国伝/隋書倭国伝
倭人在帯方東南大海之中、依山島為国邑。旧百余国。漢時有朝見者、今使訳所通三十国。従郡至倭、循海岸水行、歴韓国、乍南乍東、到其北岸狗邪韓国七千余里。始度一海千余里、至対馬国、其大官曰卑狗、副曰卑奴母離、所居絶島、方可四百余里(略)。又南渡一海千余里、名曰瀚海、至一大国〔一支国か〕(略)。又渡一海千余里、至末盧国(略)。東南陸行五百里、到伊都国(略)。東南至奴国百里(略)。東行至不弥国百里(略)。南至投馬国水行二十日、官曰弥弥、副曰弥弥那利、可五万余戸。南至邪馬壱国〔邪馬台国〕、女王之所都、水行十日・陸行一月、官有伊支馬、次曰弥馬升、次曰弥馬獲支、次曰奴佳�、可七万余戸。(略)其国本亦以男子為王、住七八十年、倭国乱、相攻伐歴年、乃共立一女子為王、名曰卑弥呼、事鬼道、能惑衆、年已長大、無夫壻、有男弟、佐治国、自為王以来、少有見者、以婢千人自侍、唯有男子一人、給飲食、伝辞出入居処。宮室・楼観・城柵厳設、常有人持兵守衛。
第三巻 第七号 卑弥呼考(一)内藤湖南
定価:200円
一、本文の選択
二、本文の記事に関するわが邦(くに)最旧の見解
三、旧説に対する異論
『後漢書』『三国志』『晋書』『北史』などに出でたる倭国女王卑弥呼のことに関しては、従来、史家の考証はなはだ繁く、あるいはこれをもってわが神功皇后とし、あるいはもって筑紫の一女酋とし、紛々として帰一するところなきが如くなるも、近時においてはたいてい後説を取る者多きに似たり。(略)
卑弥呼の記事を載せたる支那史書のうち、『晋書』『北史』のごときは、もとより『後漢書』『三国志』に拠りたること疑いなければ、これは論を費やすことをもちいざれども、『後漢書』と『三国志』との間に存する�異(きい)の点に関しては、史家の疑惑をひく者なくばあらず。『三国志』は晋代になりて、今の范曄の『後漢書』は、劉宋の代になれる晩出の書なれども、両書が同一事を記するにあたりて、『後漢書』の取れる史料が、『三国志』の所載以外におよぶこと、東夷伝中にすら一、二にして止まらざれば、その倭国伝の記事もしかる者あるにあらずやとは、史家のどうもすれば疑惑をはさみしところなりき。この疑惑を決せんことは、すなわち本文選択の第一要件なり。
次には本文のうち、各本に字句の異同あることを考えざるべからず。『三国志』について言わんに、余はいまだ宋板本を見ざるも、元槧明修本、明南監本、乾隆殿板本、汲古閣本などを対照し、さらに『北史』『通典』『太平御覧』