M-Tea*6_01-美しい村(一)堀 辰雄

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M-Tea*6_01-美しい村(一)堀 辰雄

2013.7.27 第六巻 第一号

美しい村(一)
堀 辰雄

  序曲 / 美しい村



月末最終号:無料  p.137 / *99 出版
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(c) Copyright this work is public domain, 2013.

赤毛のかぐやひめ! 週刊ブラックポーク!

 御無沙汰をいたしました。今月のはじめから、ぼくは当地に滞在しております。前からよくぼくは、こんな初夏に、一度、この高原の村に来てみたいものだと言っていましたが、やっと今度、その宿望がかなったわけです。まだ誰も来ていないので、淋しいことはそりゃあさびしいけれど、毎日、気持ちのよい朝夕を送っています。
 しかし淋しいとは言っても、三年前でしたか、ぼくが病気をして十月ごろまでずっと一人で滞在していたことがありましたね。あのときのような山の中の秋ぐちのさびしさとはまるで違うように思えます。あのときは籐のステッキにすがるようにして、宿屋の裏の山径などへ散歩に行くと、一日ごとに、そこいらを埋めている落ち葉の量が増えるいっぽうで、それらの落ち葉の間からはときどき無気味な色をした茸がチラリとのぞいていたり、あるいはその上をアカハラ(あの、なんだか人をバカにしたような小鳥です)なんぞがいかにも横着そうに飛びまわっているきりで、ほとんど人気はないのですが、それでいてなんだかそこらじゅうに、人々の立ち去った跡にいつまでもただよっている一種のにおいのようなもの、ことにその年の夏がひときわはなやかで美しかっただけ、それだけその季節の過ぎてからのなんともいえぬ佗びしさのようなものが、いわば凋落の感じのようなものが、ぼく自身が病後だったせいか、いっそうひしひしと感じられてならなかったのですが、(もっとも西洋人はまだかなり残っていたようです。ごくまれにそんな山径で行き逢いますと、なんだか病みあがりのぼくの方を胡散くさそうに見て通りすぎましたが、それはぼくに人なつかしい思いをさせるよりも、かえってへんな佗しさをつのらせました……)そんな佗しさがこの六月の高原にはまるでないことが、なによりもぼくは好きです。(略)

6_1.rm
(朗読:RealMedia 形式 356KB、2:53)

堀 辰雄 ほり たつお
1904-1953(明治37.12.28-昭和28.5.28)
小説家。東京生れ。東大卒。芥川竜之介・室生犀星に師事、日本的風土に近代フランスの知性を定着させ、独自の作風を造型した。作「聖家族」「風立ちぬ」「幼年時代」「菜穂子」など。

◇参照:Wikipedia 堀辰雄、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。

底本

底本:「風立ちぬ・美しい村」新潮文庫、新潮社
   1951(昭和26)年1月25日発行
   1987(昭和62)年5月20日89刷改版
   1987(昭和62)年9月10日90刷
初出:「美しい村」は「序曲」「美しい村」「夏」「暗い道」の四篇より成る。
   序曲:「大阪朝日新聞」(「山からの手紙」の表題で。)
   1933(昭和8)年6月25日
   美しい村:「改造」
   1933(昭和8)年10月号
   夏:「文藝春秋」
   1933(昭和8)年10月号
   暗い道:「週刊朝日」第25巻第13号
   1934(昭和9)年3月18日号
初収単行本:「美しい村」野田書房
   1934(昭和9)年4月20日
※初出情報は、「堀辰雄全集第1巻」筑摩書房、1977(昭和52)年5月28日、解題による。
http://www.aozora.gr.jp/cards/001030/card4812.html

NDC 分類:913(日本文学 / 小説.物語)
http://yozora.kazumi386.org/9/1/ndc913.html

難字、求めよ

ベニガラ板 -いた
マイ・ミクスチュア
お天狗様 おてんぐさま

むしとりホイホイ

帰って釆る → 帰って来る 【来か】
悪戯《いらずら》 → 悪戯《いたずら》 【た?】

スリーパーズ日記*

書きかえメモ。
ラジイゲ → ラディゲ
レエノルズ → レイノルズ

「(略)一体にわれわれは、平生あまりに現在の脆弱な文明的設備に信頼しすぎているような気がする。たまに地震のために水道が止まったり、暴風のために電流やガスの供給が絶たれて狼狽することはあっても、しばらくすれば忘れてしまう。そうしてもっとはなはだしい、もっと長続きのする断水や停電の可能性がいつでも目前にあることは考えない。」(寺田寅彦「石油ランプ」より)

「しかし、困ったことには「自然」は過去の習慣に忠実である。地震や津波は、新思想の流行などには委細かまわず、頑固に、保守的に執念深くやってくるのである。紀元前二十世紀にあったことが紀元二十世紀にもまったく同じようにおこなわれるのである。科学の法則とは畢竟、「自然の記憶の覚え書き」である。自然ほど伝統に忠実なものはないのである。」(寺田寅彦「津波と人間」より)

「わが国のように、こういう災禍の頻繁であるということは、一面から見れば、わが国の国民性のうえに良い影響をおよぼしていることも否定しがたいことであって、数千年来の災禍の試練によって、日本国民特有のいろいろな国民性のすぐれた諸相が作り上げられたことも事実である。
 しかし、ここで一つ考えなければならないことで、しかも、いつも忘れられがちな重大な要項がある。それは、文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその劇烈の度を増すという事実である。」(寺田寅彦「天災と国防」より)

「文明が進むにしたがって人間は、しだいに自然を征服しようとする野心を生じた。そうして、重力に逆らい、風圧・水力に抗するようないろいろの造営物を作った。そうして、あっぱれ自然の暴威を封じ込めたつもりになっていると、どうかした拍子に檻をやぶった猛獣の大群のように、自然があばれ出して高楼を倒壊せしめ、堤防を崩壊させて人命を危うくし、財産をほろぼす。その災禍をおこさせた元のおこりは、天然に反抗する人間の細工であるといっても不当ではないはずである。災害の運動エネルギーとなるべき位置エネルギーを蓄積させ、いやがうえにも災害を大きくするように努力しているものは、誰あろう文明人そのものなのである。」(寺田寅彦「天災と国防」より)


 東日本大震災の三月一一日、そのときでさえ山形や天童は断水することなかった。電気とガスは翌土曜日の昼すぎに復旧。初日は市役所ロビーに五〇人ぐらい、TVニュースを見ながら一晩をすごし、翌日は社会福祉協議会の用意する避難室に二〇人ぐらい。原発事故のニュースにうんざりして、FMの音楽番組を聞きながら横になった。配給の即席ごはんとサンマの缶詰、インスタントのホットコーヒー、チョコレートビスケット、それに蛍光灯と暖房、毛布。底冷えのするタイル張りの固い床をのぞけば、いたれりつくせりの経験をした。

 今回の断水は、二四日(水)朝のNHKニュースによれば、前日の段階で六自治体、五万世帯が断水とのこと。復旧の見込みがたっていなかったことと、その後の天候もあやしそうだったので、二四日と二五日にそれぞれ一〇リットル前後の給水を受ける。どちらも中部公民館前の駐車場で、二〇~三〇人ぐらいの行列。一〇分も待つことなかった。
 銭湯とコインランドリーが使えなかったこと、トイレの用水が確保できなかったので、スーパーや書店をはじめ、図書館や駅ビルの学習室が使えなかったこと。個人的にはそのくらいのダメージですんだ。今回、大きな実害があったとすれば、報道にあったように農業用の田畑、病院の人工透析、ホテル旅館・温泉業あたりだろう。水道復旧の前後から、スーパーには仕入れた飲料水ペットボトルが山積みに残った。

 大震災と今回の断水を経験したことで、天童市や村山市、寒河江市、上山市、河北町、大江町などの五万世帯の住民は、停電と断水とガソリン不足と食料難を体験したことになる。国道112号の土砂崩れ寸断に続いて、JR各線の運休トラブルも加わった。
 やろうと思ってもできるものではなく、この経験を得たことは悪くないと思ってる。自分たちの住む土地の強さなり弱みなりを直接あじわうことができた。もともと天童市は降雪量の少ないところで、郷土史を読むと水不足で難儀したことや、幕末の頃にしばしば雨乞い祈祷をしていたことがわかる。そのかわりに積雪が比較的少ないので冬の生活は他地域よりも楽。よほどでなければ屋根の雪下ろしをすることもない。

 災害は、なければそれにこしたことはないが、寺田寅彦もいうようにそういうわけにはいかない。むしろ大小の自然災害の可能性はつねに存在するわけで、すべての自然災害を防御できるような完璧な守備ができるという思いこみのほうが安直。
 さて、大型ヘリのチヌークに救助された人びとがこれまで少なくないように、オスプレイもまた自然災害の現場で人命救助に飛ぶ日が遠くないのだろうか……。



2013.8.1 公開 スズムシ。杞人の憂い。
2013.9.9 更新
目くそ鼻くそ、しだひろし/PoorBook G3'99
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