M-Tea*5_20-日本歴史物語〈上〉(五)喜田貞吉

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M-Tea*5_20-日本歴史物語〈上〉(五)喜田貞吉

2012.12.8 第五巻 第二〇号

日本歴史物語〈上〉(五)
喜田貞吉
 四十一、地方政治の乱(みだ)れ(一)
 四十二、地方政治の乱れ(二)
 四十三、地方政治の乱れ(三)
 四十四、地方政治の乱れ(四)
 四十五、武士・僧兵・海賊のおこり(一)
 四十六、武士・僧兵・海賊のおこり(二)
 四十七、武士・僧兵・海賊のおこり(三)
 四十八、武士・僧兵・海賊のおこり(四)
 四十九、平安朝の仏教



【週刊ミルクティー*第五巻 第二〇号】
http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/215404
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(952KB)

定価:200円  p.168 / *99 出版
付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(91項目)p.749
※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。

※ 現代表記版に加えてオリジナル版を同時収録。
※ JIS X 0213・ttz 形式。
※ この作品は青空文庫にて校正中です。著作権保護期間を経過したパブリック・ドメイン作品につき、引用・印刷および転載・翻訳・翻案・朗読などの二次利用は自由です。
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けんちゃなぺこぽん。週刊おきゅぱい宇宙軍。

 じっさい平安朝時代には、貴族と平民とのあいだにはたいそうな隔(へだ)たりがありました。貴族たちが京都で好き勝手な栄華にふけっているあいだに、平民は地方で国司らにいじめられていました。そこで平民らは、自分で国民たるの権利を捨てて諸国に浮浪するというようなありさまでしたから、世の中の人気もしだいに荒くなります。活きるに困っているものは、活きるためにはやむを得ず悪いこともします。どうでこの世の中に活き長らえていたからとて、その末がよくなるという見込みがあるではなし、またすでに悪いことをしている身であれば、死んだのちには地獄へ落ちると仏教は教えています。こうなってはどんなものでも、自然やけになってくる。(略)
 このような気の毒な人たちを救うて、たといその日その日の暮らしは苦しくても、せめては心だけにでもゆっくりした安心をあたえて、無暗(むやみ)にやけにならぬようにと親切に教えをひろめたのは、念仏の宗旨(しゅうし)でした。口に南無阿弥陀仏ととなえて、阿弥陀如来にすがりさえすれば、どんな罪の深いものでも、死んだのちにはみな必ず極楽へ行くことができるという教えです。
 はじめてこの教えを民間に説きすすめたのは、空也上人でありました。東には平将門、西には藤原純友(すみとも)の謀反があったのち、世の中がますます騒がしくなり、食うに困るような浮浪民がそこにも、ここにも、うようよしているというころに、空也は盛んにその仲間に説いてまわったものですから、いたるところに信者がたくさんにできました。平民らはこれがために、ひどくやけにもならず、救われて安心を得たものがはなはだ多かったのです。
 そののち平安朝も末になり、源平二氏の戦争が長いあいだ続いて、武士は多くの人を殺し、その罪のむくいがおそろしくなる。また一般の民衆は、多年の戦争に苦しんで、ますます貧乏のどん底に落ちこむというように、多数の人がひどく悩んでいるころに、法然上人が出て、盛んにこの教えをひろめました。(略)(「四十九、平安朝の仏教」より)

5_20.rm
(朗読:RealMedia 形式 484KB、3:55)
milk_tea_5_20.html
(html ソーステキスト版 224KB)

喜田貞吉 きた さだきち
1871-1939(明治4.5.24-昭和14.7.3)
歴史学者。徳島県出身。東大卒。文部省に入る。日本歴史地理学会をおこし、雑誌「歴史地理」を刊行。法隆寺再建論を主張。南北両朝並立論を議会で問題にされ休職。のち京大教授。

◇表紙:恩地孝四郎 おんち こうしろう
◇図版:小村雪岱 こむら せったい

◇参照:Wikipedia 喜田貞吉、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)、『日本人名大事典』(平凡社)。

底本:『日本歴史物語(上)No.1』復刻版 日本兒童文庫、名著普及会
   1981(昭和56)年6月20日発行
親本:『日本歴史物語(上)』日本兒童文庫、アルス
   1928(昭和3)年4月5日発行
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1344.html

NDC 分類:K210(日本史)
http://yozora.kazumi386.org/2/1/ndck210.html

難字、求めよ

非人法師 ひにん ほうし
西船東馬 せいせん とうば

むしとりホイホイ

一且《いつたん》 → 一旦《いったん》 【旦か】
主從《しゆうじゆう》 → 主従《しゅじゅう》 【う】
釆《さい》 → 采《さい》 【采】双六の采
燒《や》き討《う》き → 焼き討ち 【ち】

以上4件。底本は左辺のとおり。

スリーパーズ日記*

 十六日(日)晴れ。天童駅までひさしぶりのダッシュ。村山市、甑葉(しょうよう)プラザ。県埋蔵文化財センター発掘調査速報会。参加者二〇〇名ぐらいか。
 縄文時代、高畠町押出(おんだし)遺跡。ネフライト(ひすい)製のケツ状耳飾り、縄紐、彩漆土器など。彩漆土器は片手のひらにおさまるくらいのかわいらしい浅鉢・椀状で、ふちまわりに穴が点々と一周あけられている。赤漆。内側には木のけずりくずのような繊維がつめられている。漆保存のため、水につけられた状態で展示。
 口の周りに孔が一周する彩漆土器……という解説を聞いた瞬間に思い浮かんだのは、小林達雄『縄文の世界』(朝日選書、1996.7)が紹介している有孔鍔付土器。栽培作物の種子壷説(藤森栄一)、果実酒の醸造器説(武藤雄六・長沢宏昌)などあるらしいが、山内清男は土器太鼓説をとなえ、打楽器奏者の土取利行や小林達雄らがその説を支持している。
 「穴にひもを通して皮をはって太鼓をつくったとする説を読んだことがあるが……」と、若い展示員に話をふってみたところ、にがい顔で首を横にふった。「太鼓として使うには小さすぎる」との返答。たしかにそのとおり。口径一〇センチほど、深さが五センチぐらい。けれども、小さいことは太鼓説を否定する条件になりうるだろうか。
 大太鼓のような野太く、遠くまで大音量が響きわたる音量はないだろうけれども、甲高く、携帯に適し、小集団が陶酔するにはふさわしいような気もする。タヌキ、キツネのような小動物の皮を使える利点もある。鼓(つづみ)説。

 青空。白くなった葉山が西側に大きく見える。はるか南に陽がおちる。おだやかな夕暮れ。



12.7(金)17:18 青森・岩手・宮城、震度5弱。津波警報。
 震源三陸沖。震度、村山4、天童3、東京4。M7.3(=阪神大震災)。
 県内、停電なし。
12.13 「製本かい摘みましては」四釜さんって、山形そだちだったのか。。。
12.15 13:30、天童弱震。

ブラックおきゅぱいの、7つのおきゅぱいな習慣。
マイライフ・アズ・ア・ブック。
2012.12.15:公開 おきゅぱい迷人。
目くそ鼻くそ、しだひろし/PoorBook G3'99
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