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M-Tea*5_16-校註『古事記』(八)武田祐吉

2012.11.10 第五巻 第一六号

校註『古事記』(八)
武田祐吉
 古事記 下つ巻
  一、仁徳天皇
   后妃(こうひ)と皇子女
   聖(ひじり)の御世(みよ)
   吉備の黒日売
   皇后石(いわ)の比売の命
   八田の若郎女
   速総別の王と女鳥の王
   雁(かり)の卵(こ)
   枯野(からの)という船
  二、履中天皇・反正天皇
   履中天皇と墨江の中つ王
   反正(はんぜい)天皇

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【週刊ミルクティー*第五巻 第一六号】
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(456KB)

定価:200円 p.148 / *99 出版
付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(29項目)p.110
※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。

※ 現代表記版に加えてオリジナル版を同時収録。
※ JIS X 0213・ttz 形式。
※ この作品は青空文庫にて校正中です。著作権保護期間を経過したパブリック・ドメイン作品につき、引用・印刷および転載・翻訳・翻案・朗読などの二次利用は自由です。
(c) Copyright this work is public domain.

れ~ろ~め~じん400ねん。週刊、屁のつっぱりはいかんぜよ♪

 子(みこ)伊耶本和気(いざほわけ)の王〔履中天皇〕、伊波礼の若桜の宮にましまして、天の下治(し)らしめしき。この天皇、葛城の曽都毘古(そつびこ)の子、葦田の宿祢が女、名は黒比売の命に娶(あ)いて生みませる御子、市の辺の忍歯(おしは)の王、つぎに御馬の王、つぎに妹青海(あおみ)の郎女、またの名は飯豊(いいとよ)の郎女〈三柱〉。
 もと難波の宮にましましし時に、大嘗にいまして、豊の明(あかり)したまうときに、大御酒にうらげて、大御寝ましき。ここにその弟墨江の中つ王、天皇を取りまつらんとして、大殿に火をつけたり。ここに倭の漢(あや)の直の祖、阿知(あち)の直、ぬすみ出でて、御馬に乗せまつりて、倭にいでまさしめき。かれ多遅比野(たじひの)にいたりて寤(さ)めまして詔りたまわく、「ここは何処(いづく)ぞ」と詔りたまいき。ここに阿知の直白(もう)さく、「墨江の中つ王、大殿に火をつけたまえり。かれ率(い)まつりて、倭に逃るるなり」ともうしき。ここに天皇歌よみしたまいしく、

 丹比野に 寝んと知りせば、
 防壁(たつごも)も 持ちて来ましもの。
 寝んと知りせば。

 波邇賦(はにふ)坂にいたりまして、難波の宮を見放(さ)けたまいしかば、その火なお炳(も)えたり。ここにまた歌よみしたまいしく、

 波邇布坂 吾(あ)が立ち見れば、
 かぎろいの 燃ゆる家群(むら)、
 妻が家のあたり。

 かれ大坂の山口にいたりまししときに、女人(おみな)遇えり。その女人の白さく、「兵(つわもの)を持てる人ども、多(さわ)にこの山を塞えたれば、当岐麻道(たぎまじ)よりめぐりて、越え幸(い)でますべし」ともうしき。ここに天皇歌よみしたまいしく、

 大坂に 遇うや嬢子(おとめ)を。
 道問えば ただには告(の)らず、
 当岐麻路を告る。

 かれのぼり幸でまして、石(いそ)の上の宮にましましき。(「二、履中天皇・反正天皇」「履中天皇と墨江の中つ王」より)

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(朗読:RealMedia 形式 404KB、3:16)
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(html ソーステキスト版 212KB)

武田祐吉 たけだ ゆうきち
1886-1958(明治19.5.5-昭和33.3.29)
国文学者。東京都出身。小田原中学の教員を辞し、佐佐木信綱のもとで「校本万葉集」の編纂に参加。1926(昭和元)、国学院大学教授。「万葉集」を中心に上代文学の研究を進め、「万葉集全註釈」(1948-51)に結実させた。著書「上代国文学の研究」「古事記研究―帝紀攷」。「武田祐吉著作集」全8巻。

◇参照:Wikipedia 武田祐吉、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)、『日本人名大事典』(平凡社)。

底本:「古事記」角川文庫、角川書店
   1956(昭和31)年5月20日初版発行
   1965(昭和40)年9月20日20版発行
底本の親本:「眞福寺本」
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1349.html

NDC 分類:164(宗教 / 神話.神話学)
http://yozora.kazumi386.org/1/6/ndc164.html
NDC 分類:210(日本史)
http://yozora.kazumi386.org/2/1/ndc210.html

難字、求めよ

葛城の三諸
檳榔の島 あじまさのしま 所在不明。アジマサは、檳榔樹。
佐気都島 さけつしま 所在不明。
八田部 やたべ
山部の大楯の連 やまべのおおたてのむらじ
伊波礼部 いわれべ
課役 みつきえだち
入りまさず
いしけ
いしき遇《あ》わん
強き おずき
みおすいがね
岩かきかねて
大御酒の栢 おおみきのかしわ
炳え もえ
語らわじ

むしとりホイホイ


スリーパーズ日記*

 一〇日(土)天童市民会館、震災復興祈念講演、谷川浩司「これから私たちにできること」。聴衆200名ぐらい。10~60代ぐらいまでの世代がまんべんなく。女性は一割ぐらい。
 十七年前の一月十七日、谷川さん(当時32才、将棋歴18年)は神戸、六甲アイランドの16階建マンションで阪神淡路大震災にみまわれる。建物の被害はほとんどなし。当時、ケータイはなく情報源はラジオのみ。大阪や京都の震度は伝えられるが、神戸の情報がなかなか入らない。震源に近いことを確信。当日中に市内在住の両親と連絡がつく。軽いけがですむ。
 十八日、島を徒歩で出る。途中、LPG タンク近くを通る。「ガスもれか?」との声を聞く。おにぎり1個、ペットボトル飲料1本。十九日、神戸から大阪へ。車で30km弱のところを朝から夕方まで一日がかり。二十日、大阪にて米長邦雄氏と対局。「自分は将棋をやるしかない」「将棋をすることができる幸せ」。初心。
 五月のはじめあたりまで、生活が張りつめて将棋によい傾向が見られた。連帯感、高揚感。その後、現実が見えてくる。被災者のそれぞれの差が見えてくる。被害の差。「答えが出ない問題を考え込む」→「答えが出ない問題は考えないようにする」。
 復興祈念扇子の揮毫は「ガンバリすぎないでください」(羽生さんは「少しずつ前に進む」)。

 一一日(日)曇天。雪の月山見える。将棋の日。NHK-BS 収録。将棋文化検定 in 天童。永世名人トークショー。次の一手名人戦、森内俊之 vs. 羽生善治。



えーせーめーじん、へーせーめーじん、
れろれろめーじん。
めーじん3兄弟、そろいぶみ。
らーめんひとすじ400年、
たにぐくめーじん、もりぐくめーじん、はぶ軍団。
さかたさんしち、てんどー一家。
さんしちでんでんゆめのなか。
一二三しち、あきらくん。
やけのかんぱち、うにいくら。
はうす、えすびー、ぼんくれーず。
われ、はぶれたり。
わたし、はぶりましたわ。
へろへろめーじん、やすみつくん。
あやや~
はぶりはぶられ、さらまんだー。

2012.11.11:公開 おきゅぱい迷人。
目くそ鼻くそ、しだひろし/PoorBook G3'99
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最終更新:2012年11月30日 18:11