M-Tea*5_15-日本歴史物語〈上〉(四)喜田貞吉
2012.11.3 第五巻 第一五号
日本歴史物語〈上〉(四)
喜田貞吉
三十一、奈良の都(上)
三十二、奈良の都(下)
三十三、奈良朝仏教の隆盛(上)
三十四、奈良朝仏教の隆盛(下)
三十五、奈良時代の行きづまり
三十六、平安遷都
三十七、藤原氏の全盛(一)
三十八、藤原氏の全盛(二)
三十九、藤原氏の全盛(三)
四十、藤原氏の全盛(四)
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定価:200円 p.199 / *99 出版
付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(180項目)p.1116
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※ 現代表記版に加えてオリジナル版を同時収録。
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そんな勢いですから宇多天皇は、こう藤原氏ばかりにすべての政治をおまかせになりましては、ますますそのわがままがひどくなることをご心配になりまして、菅原道真をお引き上げになり、藤原氏の勢力をおさえようとなさいました。かくてつぎの帝(みかど)第五十九代醍醐(だいご)天皇の御代には、基経(もとつね)の子時平(ときひら)は左大臣、道真は右大臣というぐあいに、あいならんで政治にあずかることになりました。
しかしながら菅原氏はもと学者の家で、むかしから大臣になったことなどは一度もなかったのであります。されば、いかに天皇のご信任がお厚かったとは申せ、この藤原氏のさかんな時代に、そんな家から出た道真が大臣となって藤原氏とならぶということは、時平にとっては不平でたまりません。その他のものも、道真がその家柄の低いのにかかわらず出世があまりにひどかったので、自然それをねたむようになります。そんなしだいで道真は、のちに太宰府にうつされまして、せっかくの宇多天皇の御心も、かえって藤原氏の勢力をいっそう盛んならしめる結果となりました。
道真が退けられましてのちは、もはや藤原氏と張りあってその勢力を分かとうというほどのものもありません。これからのち藤原氏の人々は、ご幼少の天皇をお立て申しては自身摂政に任ぜられ、天皇がご成長あそばしますと関白に任ぜられるというふうに、おそれ多いことではありますが、天皇はただ尊く上にましますばかりで、政治はすべて藤原氏まかせというような、ひどい御ありさまになってしまいました。(「三十八、藤原氏の全盛(二)」より)
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喜田貞吉 きた さだきち
1871-1939(明治4.5.24-昭和14.7.3)
恩地孝四郎 おんち こうしろう
1891-1955(明治24.7.2-昭和30.6.3)
小村雪岱 こむら せったい
1887-1940(明治20.3.22-昭和15.10.17)
◇参照:Wikipedia
喜田貞吉、
恩地孝四郎、
小村雪岱、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)、『日本人名大事典』(平凡社)。
難字、求めよ
国分僧寺 こくぶん そうじ
むしとりホイホイ
藤川 → 藤原 【原か】
スリーパーズ日記*
11.3(土)晴れのちくもり。天童、わくわくランド道の駅にて震災パネル展、ビデオ鑑賞。パンフ『忘れない。』国土交通省、東北地方整備局。路上に堆積した地震や津波のがれきをかたずけてルート確保することを「啓開」というらしい。切り開くこと。たぶん、軍事用語っぽい。
東北自動車道と国道4号を縦に、そこから沿岸地域へ横にのびる15本の国道を確保。さらに、沿岸沿いの国道45号・6号を縦に確保。「くしの歯作戦」。
パネルとパンフの最後に、「巨大地震の今後の可能性」として、過去の巨大地震の連動関係が明瞭にまとめてある。過去2000年間、M8以上の東日本太平洋側の巨大地震は869年、1611年、1896年、1933年の4つあって、その4つとも10年以内で首都圏直下型地震と連動。さらに4つのうち3つが18年以内で東海・南海・東南海地震と連動。
山形産の柿、1箱Sサイズ36個入りで1000円を購入。
2012.11.8:公開 玲瓏迷人。
目くそ鼻くそ、しだひろし/PoorBook G3'99
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最終更新:2013年01月31日 14:56