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M-Tea*5_1-校註『古事記』(一)武田祐吉

2012.7.28 第五巻 第一号

校註『古事記』(一)武田祐吉
 古事記 上つ巻 序并わせたり
  序文
   過去の時代
   『古事記』の企画
   『古事記』の成立
  一、伊耶那岐の命と伊耶那美の命
   天地のはじめ
   島々の生成
   神々の生成
   黄泉の国
   身禊
  二、天照らす大神と須佐の男の命
   誓約(うけい)
   天の岩戸

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月末最終号:無料 p.192 / *99 出版
付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(128項目)p.461
※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。

※ オリジナル版に加えて、ミルクティー*現代表記版を同時収録。
※ JIS X 0213・ttz 形式。
※ この作品は青空文庫にて校正中です。著作権保護期間を経過したパブリック・ドメイン作品につき、引用・印刷および転載・翻訳・翻案・朗読などの二次利用は自由です。
(c) Copyright this work is public domain.

鼻から生まれたハナたろう! 週刊あなにやし、あまつまら*

「吾は子を生み生みて、生みの終に、三柱の貴子(うづみこ)を得たり」と詔(の)りたまいて、すなわちその御首珠(みくびたま)の玉の緒ももゆらに取りゆらかして、天照らす大御神にたまいて詔りたまわく、「汝(な)が命は高天の原を知らせ」と、言依(ことよ)さしてたまいき。かれその御首珠の名を、御倉板挙(みくらたな)の神という。つぎに月読の命に詔りたまわく、「汝が命は夜の食(おす)国を知らせ」と、言依さしたまいき。つぎに建速須佐(たけはやすさ)の男(お)の命に詔りたまわく、「汝が命は海原を知らせ」と、言依さしたまいき。
 かれ、おのもおのもよさし〔寄(よ)さす。おまかせになる〕たまえる命のまにま知らしめすうちに、速須佐の男の命、依さしたまえる国を知らさずて、八拳須(やつかひげ)心前(むなさき)にいたるまで、啼(な)きいさちき。その泣くさまは、青山は枯山なす泣きからし、河海はことごとに泣き乾しき。ここをもちて悪(あら)ぶる神の音(おと)ない、狭蝿なすみな満ち、万の物のわざわいつぶさに発りき。かれ伊耶那岐の大御神、速須佐の男の命に詔りたまわく、「なにとかも汝は言依させる国を治らさずて、哭(な)きいさちる」とのりたまえば、答え白(もう)さく〔申すには〕、「僕は妣(はは)の国根の堅洲(かたす)国に罷らんとおもうがからに哭(な)く」ともうしたまいき。ここに伊耶那岐の大御神、大(いた)く忿(いか)らして詔りたまわく、「しからば汝はこの国にはな住(とど)まりそ」と詔りたまいて、すなわち神逐(かむやら)いに逐いたまいき。かれ、その伊耶那岐の大神は、淡路の多賀にまします。(「身禊」より)

5_1.rm
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(html ソーステキスト版 284KB)

稗田の阿礼 ひえだの あれ
?-? 生没年不詳。7世紀後半から8世紀初頭の人
天武天皇の舎人。記憶力がすぐれていたため、天皇から帝紀・旧辞の誦習を命ぜられ、太安万侶がこれを筆録して「古事記」3巻が成った。

太の安万侶 おおの やすまろ
?-723 (?-養老7.7.6)
奈良時代の官人。民部卿。勅により、稗田阿礼の誦習した帝紀・旧辞を筆録して「古事記」3巻を撰進。1979年、奈良市の東郊から遺骨が墓誌銘と共に出土。

武田祐吉 たけだ ゆうきち
1886-1958(明治19.5.5-昭和33.3.29)
国文学者。東京都出身。小田原中学の教員を辞し、佐佐木信綱のもとで「校本万葉集」の編纂に参加。1926(昭和元)、国学院大学教授。「万葉集」を中心に上代文学の研究を進め、「万葉集全註釈」(1948-51)に結実させた。著書「上代国文学の研究」「古事記研究―帝紀攷」。「武田祐吉著作集」全8巻。

◇参照:Wikipedia 稗田阿礼太安万侶武田祐吉、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。

底本:「古事記」角川文庫、角川書店
   1956(昭和31)年5月20日初版発行
   1965(昭和40)年9月20日20版発行
底本の親本:「眞福寺本」
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1349.html

NDC 分類:164(宗教 / 神話.神話学)
http://yozora.kazumi386.org/1/6/ndc164.html
NDC 分類:210(日本史)
http://yozora.kazumi386.org/2/1/ndc210.html

難字、求めよ

典教
杖矛 じょうぼう
大糜 おおがゆ?
軒后 → 賢后か?
賢后 けんこう (「后」は君主)賢い天皇。
周王
化熊 ばけくま?
訓仮字 よみがな?
一木 ひとつけ
殺さえたまいし
殿内 とのぬち
殿の縢戸 とのの くみど
殿の騰戸
身禊
御帯
おもほさく
取り佩ばし
営田の畔 みつくたの あ
然すれども しか すれども?
天の金山 あめのかなやま
天の日影 あめのひかげ
天の真拆 あめのまさき
麻楮 まちょ?
高千の巓 たかちのたけ
高倉
坂本 さかもと
夜の食国 よの おすくに
明日香川
香山の畝尾 かぐやまの うねお
湯津石村 ゆついわむら
天の両屋 あめのふたや

スリーパーズ日記*

 綿津見、わだつみ、……あわ(泡)たつ(立つ)み(水)?

 七月一四日(土)県立博物館。講演会、小林達雄「縄文人の祈りと土偶」。聴衆一〇〇名超。若い女性が多い。縄文の女神。よしよし。以下、敬称略。
 縄文時代に定住がはじまったという説には同意。大きくて壊れやすい土器をかついで移動したとは考えられないし、墓をつくって親しい人を埋葬した形跡があるということは、置き去りにして移住するのにしのびない。
 小林はさらに「縄文時代にコトバを獲得した」「縄文人は農耕に見向きもしなかった」という持論を展開する。この二点に関しては疑問。狩猟時代、コトバなくして集団で狩りをすることが可能だったろうかといえば、そうは思いにくい。「農耕とは、少ない品種に時間と労力を費やすこと」と小林は定義するが、彼の論敵である佐々木高明がいうように、それでは基礎的な畑作農耕が存在しないまま、弥生時代に突然、高度な技術を要する水田稲作農耕が列島に普及したことになってしまう。(佐々木高明『稲作以前』)
 土偶について。カオナシや抽象的な表情にとどまるのは、具体的なヒト(=自分たち)を表現することが目的ではなかったせいで、ヒトにあらざるもの、目に見えない何か、気配、精霊、スピリットだったからだと推理する。この小林のスピリット説、かなりいい線いってると思う。

 土偶については星野之宣も『宗像教授シリーズ』で独特な説を展開しているが、ぼくはひそかに「まれびと」の可能性を考えている。スピリットとまでは飛躍しないものの、自分たちとコトバや習俗が異なる、めったに遭遇することのないヒトたち。たとえば自分が雪山で遭難したとする。疲労困憊で動けなくなりあきらめかけていたところへ、変なサングラスをかけて、獣皮で体をすっぽりおおった、ズングリムックリの異形の者(たち)が、干し肉と飲み水をあたえ、帰り道を案内してくれたとする。
 自分を助けてくれた異形の者たちのことを家族や仲間に伝え、命の恩人でありかつ、家族にとっても救い主だった者たちのことを語り伝えたい、ときっと思ったにちがいないと。



2012.7.31:公開 玲瓏迷人。
得意技、カミカゼ・アッタク、後家みさご。
むくげの花。
目くそ鼻くそ。しだひろし/PoorBook G3'99
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最終更新:2012年08月01日 03:34