M-Tea*4_46-東洋歴史物語(一)藤田豊八
2012.6.9 第四巻 第四六号
東洋歴史物語(一)藤田豊八
一、東洋とその文明
二、黄河と黄土(こうど)
三、三皇(さんこう)五帝(ごてい)
四、尭舜(ぎょうしゅん)
五、大洪水
六、酒のとが
七、夏(か)王朝
八、殷(いん)王朝
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※ 地図:縄文海進。
定価:200円 p.126 / *99 出版
付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(68項目)p.331
※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。
また逢う日まで! 週刊ミリクティー*
聖書にノアのとき大地が全部かくれてしまうほどの大洪水があって、ノアだけは箱船に乗ってたすかったが、あとの人類はみんな亡んでしまったという話があります。こういう大洪水の話は、このヘブライ民族〔ユダヤ民族〕の間だけではなく、世界じゅうの方々の民族の間に伝わっていますが、シナにもやはり大洪水の話があるのです。
この大洪水のおこったのは、尭(ぎょう)のときからだというのです。鯀(こん)という人が選ばれて、この洪水をしずめる役にあたったのですが、なかなかうまく行きません。鯀が役に立たないので、舜(しゅん)はとうとう鯀を免職して、鯀の子の禹を挙げて治水のことにあたらせました。
禹は親の不名誉を回復しようという肚(はら)もあったのでしょうが、とにかく一しょう懸命になって治水につとめました。その骨折りは非常なもので、十三年の間も外にいて活動して、たまたま自分の家の門の前を通っても、うちには入らなかったというのです。(略)そして方々の山々を切り開いてみなぎっている水を落として洪水をしずめたのです。とにかくこの禹の非常な骨折りで、この大災難も免れたので、舜は禹を非常に嘉(よみ)しまして〔ほめること。〕、禹を挙げ用いて舜の死んだあとは禹がかわって天子になるようにしたのでした。
(略)この禹が治めるのに成功した洪水というのは、黄河の洪水であったのです。(略)この川は実にしばしば大氾濫をひきおこす川なのです。そしてこの川が氾濫したら最後、せっかくの農作物はみな押し流されてしまいます。ですからシナの国ではずっと後の世まで、どうして黄河の洪水を防ぐかということが、歴代の王さまの重要な問題であったのです。(「五、大洪水」より)
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藤田豊八 ふじた とよはち
1869-1929(明治2.9.15-昭和4.7.15)
東洋史学者。徳島生れ。号は剣峰。東大教授をへて台北帝大教授。著「東西交渉史の研究」「剣峰遺草」。
恩地孝四郎 おんち こうしろう
1891-1955(明治24.7.2-昭和30.6.3)
版画家。東京生れ。日本の抽象木版画の先駆けで、創作版画運動に尽力。装丁美術家としても著名。
水島爾保布 みずしま におう
1884-1958(明治17.12.8-昭和33.12.30)
画家、小説家、漫画家、随筆家。本名は爾保有。東京都下谷根岸生まれ。父は水島慎次郎(鳶魚斎)。1913年、長谷川如是閑に招かれて大阪朝日新聞において、挿絵を描き始める。長男の行衛は、日本SF界の長老、今日泊亜蘭。
難字、求めよ
むしとりホイホイ
おいしいもだ → おいしいものだ 【の、か?】
後《のち》にには → 後《のち》には 【に、不要か】
姐已 → 妲己 【妲己】2か所
以上3件。底本は左辺のとおり。
スリーパーズ日記*
尭舜禹湯文武。ぎょうしゅんうとうぶんぶ。
尭のときに大洪水がおこって、舜は鯀を免職して、鯀の子の禹を黄河の治水にあたらせる。禹は、夏王朝の創始者。尭舜禹は五帝のうちの三人。
そういえば、三皇のうちの伏犠(ふっき/ふくぎ)と妻(あるいは妹)の女※[#「女+咼」、第3水準1-15-89](じょか)も洪水をおさめる神だったはずと思い出す。本書中では記していないが、Wikipedia に記述がある。伏犠・女※[#「女+咼」、第3水準1-15-89]ともに蛇身人首で、雲南省、苗(ミャオ)族に由来する伝説らしい。
『淮南子』だったろうか、『抱朴子』だったろうか。愛嬌のある顔をした男女の蛇がからだをからみあわせているアイコンが印象的。
建国、洪水をおさめる、カップル……。
6.5 レイ・ブラッドベリ死去。91歳。
6.8 微震、ときおりつづく。
2012.7.3:公開 玲瓏迷人。
無為《むい》にして化《か》す。
目くそ鼻くそ。しだひろし/PoorBook G3'99
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- うがあっ、、ソース版、見なかったことにする。 -- しだ (2012-07-03 15:06:39)
最終更新:2012年07月03日 15:42