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M-Tea*4_44-震災の記 / 指輪一つ 岡本綺堂

2012.5.26 第四巻 第四四号

震災の記 / 指輪一つ
岡本綺堂

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月末最終号:無料 p.129 / *99 出版
付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(17項目)p.81
※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。

※ オリジナル版に加えて、ミルクティー*現代表記版を同時収録。
※ JIS X 0213・ttz 形式。
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つゆだく海峡冬景色。週刊雲のむこう、約束の5ミリシーベルト*

 なんだか頭がまだほんとうにおちつかないので、まとまったことは書けそうもない。
 去年七十七歳で死んだわたしの母は、十歳の年に日本橋で安政〔一八五五年〕の大地震に出逢ったそうで、子どもの時からたびたびそのおそろしい昔話を聴かされた。それが幼い頭にしみこんだせいか、わたしは今でも人一倍の地震ぎらいで、地震と風、この二つを最も恐れている。風の強く吹く日には仕事ができない。すこし強い地震があると、またそのあとにゆり返しが来はしないかという予覚におびやかされて、やはりどうもおちついていられない。
 わたしが今まで経験したなかで、最も強い地震としていつまでも記憶に残っているのは、明治二十七年(一八九四)六月二十日の強震である。晴れた日の午後一時ごろと記憶しているが、これもずいぶんひどい揺れ方で、市内に潰れ家もたくさんあった。百六、七十人の死傷者もあった。それにともなって二、三か所にボヤもおこったが、一軒焼けか二軒焼けぐらいでみな消し止めて、ほとんど火事らしい火事はなかった。多少の軽いゆり返しもあったが、それも二、三日の後にはしずまった。三年まえ〔一八九一年〕の尾濃震災におびやかされている東京市内の人々は、一時ぎょうさんにおどろき騒いだが、一日二日と過ぎるうちにそれもおのずとしずまった。もちろん、安政度の大震とはまるで比較にならないくらいの小さいものであったが、ともかくも東京としては安政以来の強震として伝えられた。わたしも生まれてからはじめてこれほどの強震に出逢ったので、その災禍のあとをたずねるために、当時すぐに銀座の大通りから、上野へ出て、さらに浅草へまわって、汗をふきながら夕方に帰ってきた。そうして、しきりに地震の惨害を吹聴したのであった。その以来、わたしにとって地震というものが、いっそうおそろしくなった。わたしはいよいよ地震ぎらいになった。したがって、去年四月の強震のときにも、わたしは書きかけていたペンを捨てて庭先へ逃げ出した。
 こういう私がなんの予覚もなしに大正十二年(一九二三)九月一日をむかえたのであった。――(「震災の記」より)

4_44.rm
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milk_tea_4_44.html
(html ソーステキスト版 156KB)

岡本綺堂 おかもと きどう
1872-1939(明治5.10.15-昭和14.3.1)
劇作家・小説家。本名、敬二。東京生れ。戯曲「修禅寺物語」「番町皿屋敷」、小説「半七捕物帳」など。

◇参照:Wikipedia 岡本綺堂、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。

綺堂むかし語り 震災の記
底本:「綺堂むかし語り」光文社時代小説文庫、光文社
   1995(平成7)年8月20日初版1刷発行
http://www.aozora.gr.jp/cards/000082/card1306.html

指輪一つ
底本:「異妖の怪談集 岡本綺堂伝奇小説集 其ノ二」原書房
   1999(平成11)年7月2日第1刷
初出:「講談倶樂部」
   1925(大正14)年8月
http://www.aozora.gr.jp/cards/000082/card43547.html

NDC 分類:913(日本文学 / 小説.物語)
http://yozora.kazumi386.org/9/1/ndc913.html
NDC 分類:914(日本文学 / 評論.エッセイ.随筆)
http://yozora.kazumi386.org/9/1/ndc914.html

難字、求めよ

三井邸 みついてい
横町 よこまち?
国民図書刊行会

むしとりホイホイ

笑いながち → 笑いながら 【ら、か?】
以上1件。底本未確認。

スリーパーズ日記*

「震災の記」    「火に追われて」
国民図書刊行会   図書刊行会
ばさばさ      ぱさぱさ
第一回の震動が   第一回の震動は
ようやくに     ようやく
花筵        花莚
だんだんに     だんだん
そこも       そこにも
くる。(改行)うっかり  くる。うっかり
おてつ       お鉄《てつ》
小林蹴月君     K君
小林君       K君
笑いながち     笑いながら
光文社時代小説文庫 「岡本綺堂随筆集」岩波文庫

 同じ作品ながら、微妙に異なる。岩波版が「K君」とイニシャル書きのところを光文社版は「小林蹴月君」と書いているので、今回は光文社版を採用。

 思えば、震災日記のたぐいが少なからず集まってきた。以下、これまで『週刊ミルクティー*』でとりあげた作品をならべてみる。題して「震災日記アンソロジー」。

  • 第二巻 第八号 震災日誌 / 震災後記 喜田貞吉
  • 第三巻 第四〇号 大正十二年九月一日よりの東京・横浜間 大震火災についての記録 / 私の覚え書 宮本百合子
  • 第三巻 第四五号 ヴェスヴィオ山 / 日本大地震(他)斎藤茂吉
  • 第三巻 第四七号 地震雑感 / 静岡地震被害見学記(他)寺田寅彦
  • 第四巻 第三六号 台風雑俎 / 震災日記より 寺田寅彦
  • 第四巻 第三九号 大地震調査日記(一)今村明恒
  • 第四巻 第四〇号 大地震調査日記(二)今村明恒
  • 第四巻 第四一号 大地震調査日記(続)今村明恒
  • 第四巻 第四四号 震災の記 / 指輪一つ 岡本綺堂

 東日本大震災直後、「ニッポン人」をたたえる海外の報道が多数あったということを、NHKはじめ民放でも連日伝えていた。礼儀正しさ、冷静沈着さ、美談のたぐい。なんだか歯が浮くくらい異様なほど。うがった見方をすれば、なんだか何かを隠したがっているかのような。
 そういう「他者からの眼」を報道することの目的は、たしかにわかる。これがもしATMやコンビニの盗難やら、空き巣強盗、待ち列への割り込み、避難所でのいざこざなど逐一報道することは、メンタルな面でも治安の面でもあまりよい方向には働かないだろう。

 でも、これもまた「現実を曲解」した報道であって、関東大震災当時に流布した噂やデマとは裏返しの、じつは表裏一体の現象なんじゃないだろうか。
 異国へユートピアを切望したがる傾向というのは、ちょっと考えてみただけでもいろいろ出てくる。マルコ・ポーロのジパング黄金伝説、イザベラ・バードの桃源郷、そこにゆけばどんな夢もかなうという天竺ガンダーラ、新大陸のゴールドラッシュ、明治の北海道開拓や、昭和の満州建国、奥州藤原・平泉、沖縄や北欧、秋葉原もしかり。

 それは結局、形を変えた流言蜚語であって、原発推進というのも現実的の皮をかぶったユートピア論が出発点にあったんじゃないだろうか。同様のユートピア幻想がクリーンエネルギーの推進にも、ひそんでやいやしないだろうか。
 ……とまあ、こんなことを、旧石器捏造事件とひきあわせて考えているところです。



5.21 鹿児島桜島、やや大きな噴火。降灰。
2012.5.31:公開 玲瓏迷人。
レボリューションの西洋近代、輪廻の古代東洋。
目くそ鼻くそ。しだひろし/PoorBook G3'99
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最終更新:2012年05月31日 18:06