M-Tea*4_41-大地震調査日記(続)今村明恒

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M-Tea*4_41-大地震調査日記(続)今村明恒

2012.5.5 第四巻 第四一号

大地震調査日記(続)今村明恒


【週刊ミルクティー*第四巻 第四一号】
http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/195938
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(588KB)

定価:200円  p.157 / *99 出版
付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(63項目)p.407
※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。

※ オリジナル版に加えて、ミルクティー*現代表記版を同時収録。
※ JIS X 0213・ttz 形式。
※ この作品は青空文庫にて入力中です。転載・印刷・翻訳は自由です。
(c) Copyright this work is public domain.

ぼくらは、アトムのこどもさ。週刊、かっぷんこ*

十月一日
(略)あの有名な被服廠をおそった旋風は、一番最初に気づかれた位置は東京高等工業学校前の大川の中であって、時刻はちょうど午後四時ごろ、旋風の大きさは国技館くらい、高さ一〇〇メートルないし二〇〇メートル(略)時針の反対の向きにまわり、川に浮かんでいる小舟を一間あるいは二間〔一間は六尺、約一・八メートル〕の高さにすいあげてははね飛ばし、当時さかんに燃えつつあった高等工業学校の炎と煙とを巻き込み、まもなくそれが横網河岸に上陸して、北の安田邸と南の安田邸との間をかすめ、被服廠の中心から北の方を通り、たちまちの間にそこに避難しておった群集の荷物に延焼し、同時に避難者の着物にも点火して、一面に煙と炎の浪になり、またたくひまにこの一郭にて、三万八〇一五人の生命を奪ったものであるらしい。
(略)さいわいに被服廠において助かった人たちは、合計二〇〇〇人もあろうとのことであるが、それは多くは被服廠の中央から以南に避難しておった人たちであった。しかし、いずれもわずかな水を土にひたしてそれを皮膚に塗りて火気をよけたとか、あるいは地面にはって地に向かって呼吸をしてようやく助かったという人たちであった。これらの人が目撃した話によれば、この火災をうずまいた旋風に出会った人は、見る間に黒こげとなり、あるいは立ち上がったかと思うとそのままたおれて、たちまち絶息をするというように見受けた。この後の場合は、窒息によったものか、あるいはかかる際に発生する有毒なガス(一酸化炭素のごとき)にでもよるのか、研究すべき問題であるように考えた。
 いまひとつ書きつけておきたいのは、新大橋の交通を無難にした警察官、橋本政之助・古瀬猪三郎両氏の殊勲である。橋本氏は深川方面よりの避難者の携帯せる荷物を危険と看てとり、しいてこれを遺棄せしめようとしたが、当時、同氏は平服であったがために市民がなかなかいうことをきかない。それで橋向かいの制服警察官を応援にたのんで右のことを励行し、ついで古瀬巡査の応援を得、ついには制しきれずして抜剣までもなし、荷物を河中へ投げ込んだとのことである。(略)

4_41.rm
(朗読:RealMedia 形式 540KB、4'23'')
milk_tea_4_41.html
(html ソーステキスト版 184KB)

今村明恒 いまむら あきつね
1870-1948(明治3.5.16-昭和23.1.1)
地震学者。理学博士。鹿児島県生まれ。明治38年、統計上の見地から関東地方に大地震が起こりうると説き、大森房吉との間に大論争が起こった。大正12年、東大教授に就任。翌年、地震学科の設立とともに主任となる。昭和4年、地震学会を創設、その会長となり、機関誌『地震』の編集主任を兼ね、18年間その任にあたる。

◇参照:Wikipedia 今村明恒、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。

底本:『手記で読む関東大震災』シリーズ日本の歴史災害 第5巻、古今書院
   2005(平成17)年11月11日 初版第1刷発行
初出:「大地震調査日記(続)」『科学知識』科学知識普及会
   1923(大正12)年11月号
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1578.html

NDC 分類:453(地球科学.地学 / 地震学)
http://yozora.kazumi386.org/4/5/ndc453.html

難字、求めよ

地動計 地震計に同じか。
本間 長野県知事 → 本間利雄か
科学知識普及会
日本科学協会

むしとりホイホイ

尾久《おく》 → 尾久《おぐ》 【「ぐ」では?】 2か所
宮の下 → 宮ノ下 【ノ?】 地名か。
葦の湯 → 芦之湯 【芦之?】 地名か。
己《すで》に → 已《すで》に 【已?】
象潟《きさかた》 → 象潟《きさがた》 【「が」では?】 浅草の地名。

以上5件。底本は左辺のとおり。

スリーパーズ日記*


くにつかみ千代の巌《いわお》もゆりすえて
  動かぬ御代のためしにぞひく

 底本、武村雅之『手記で読む関東大震災』シリーズ日本の歴史災害、第5巻(古今書院、2005.11)。p.20、「大地震調査日記」本文中「市政調査会・後藤子爵」は後藤新平のこと。「ジャッガー博士」はトーマス・A ・ジャッガー、ハワイ火山観測所長の創始者。

 以下は、当時の震災予防調査会メンバー。

 加藤武夫。帝大地震学教授。
 中村清二。東京帝国大学理学部教授。
 (以上、「大地震調査日記」より)

 志田順(とし)。京都帝国大学理学部、地球物理学講座教授。
 中村左衛門太郎。気象庁の前身である中央気象台の地震掛。
 井上禧之助(きのすけ)。農商務省地質調査所所長。
 岡田武松。中央気象台長。
 寺田寅彦。東京帝国大学物理学教授。
 佐野利器(としかた)。東京帝国大学建築学教授。
 物部長穂。内務省土木局技師、東京帝国大学土木工学助教授。
 末廣恭二。東京帝国大学地震研究所の初代所長。
 (以上、底本 p.60 より)

 以上一〇名はまず確定とみる。以下五名は、姓と生没年と担当分野を手がかりに『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)と Wikipedia からの推定。

 内田祥三(よしかず)。建築学。
 笠原敏郎。建築学、都市計画。
 渋沢元治(もとじ)。電気工学。
 古市公威(ふるいち こうい)。土木工学、都市交通。
 内藤多仲(たちゅう)。建築学。



5.5 21:00、厚い黒雲の合間、スーパー望月。
2012.5.31:公開 玲瓏迷人。
♪かーねーしょん、白いかーねーしょん。
目くそ鼻くそ。しだひろし/PoorBook G3'99
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