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M-Tea*4_2-日本昔話集 沖縄編(二)伊波普猷

2011.8.6 第四巻 第二号

日本昔話集 沖縄編(二)
伊波普猷
 六、島の守り神
 七、命の水

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【週刊ミルクティー*第四巻 第二号】
http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/154241
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(608KB)

定価:200円 p.115 / *99 出版
付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(13項目)p.83
※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。

※ オリジナル版に加えて、ミルクティー*現代表記版を同時収録。
※ JIS X 0213・ttz 形式。
※ この作品は青空文庫にて入力中です。転載・印刷・翻訳は自由です。
(c) Copyright this work is public domain.

パッシブ、パッシブ! 週刊ミルクティー*


 むかし、大里村の与那原(よなばる)というところに、貧乏な漁師がありました。この漁師は、まことに正直な若者でした。
 あの燃えるようにまっ赤な梯梧(だいご)の花は、もうすでに落ちてしまって、黄金色に熟(う)れた阿旦(あだん)の実が、浜の細道に匂う七月ごろのことでした。ある日のこと、その晩はことに月が美しかったものですから、若い漁師は、仕事から帰るなり、ふらふらと海岸のほうへ出かけました。(略)
 暑いとはいえ、盆近い空には、なんとなく秋らしい感じがします。若い漁師は、青々と輝いている月の空をながめながら、こんなことをいうてため息をついていましたが、やがて、何かを思い出したらしく、
「ああそうだ。盆も近づいているのだから、すこし早いかもしれぬが、阿旦の実のよく熟れたのから選り取って、盆のかざり物に持って帰ろう」
とつぶやいて、いそいそと海岸の阿旦林のほうへ行きました。
 そのときのことでした。琉球では、阿旦の実のにおいは、盆祭りを思い出させるものですが、そのにおいにまじって、この世のものとも思えぬなんともいえない気高いにおいが、どこからとなくしてきます。若い漁師は、
「不思議だな。なんというよい匂いだ。どこからするんだろうな」
と、ふと眼をあげて、青白い月の光にすかして、向こうを見ました。すると、白砂の上にゆらゆらゆれている、黒いものがあります。若い漁師はすぐに近づいて行って、急いでそれをひろいあげました。それは、世にもまれな美しいつやのある、漆のように黒い髪で、しかもあの不思議な天国のにおいは、これから発しているのでした。 (「命の水」より)

4_2.rm
(朗読:RealMedia 形式 396KB、3'12'')
milk_tea_4_2.html
(html ソーステキスト版 160KB)

伊波普猷 いは ふゆう
1876-1947(明治9.3.15-昭和22.8.13)
言語学者・民俗学者。沖縄生れ。東大卒。琉球の言語・歴史・民俗を研究。編著「南島方言史攷」「校訂おもろさうし」など。

◇参照:Wikipedia 伊波普猷、『広辞苑 第六版』(岩波書店)。

底本:『日本昔話集(下)12』復刻版 日本兒童文庫、名著普及会
   1981(昭和56)年8月20日発行
親本:『日本昔話集(下)』日本兒童文庫、アルス
   1929(昭和4)年4月3日発行
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person232.html

NDC 分類:K913(日本文学/小説.物語)
http://yozora.kazumi386.org/9/1/ndck913.html

難字、求めよ

平良 ぴさら? ひらら。地名。
小舟 さばね

スリーパーズ日記


聴く → 聞く
訊く → 聞く
はいる → 入る
風《かぜ》 → 風邪《かぜ》
焔《ほのお》 → 炎《ほのお》

 以上、変更しました。平良(ひらら)・大里村(おおざとそん)の村名の読みは底本のまま「ぴさら」「おおさとむら」としました。

 六、島の守り神 ……宮古島、平良、裕福、子宝、漲水嶽、
  大蛇(恋角)、三人の女の子。
 七、命の水   ……大里村、与那原、貧乏、若い漁師、黒髪、乙女、
  一夜妻、三人の子、龍宮、杖と瓢のみやげ、帰郷、変貌。

 ニライカナイの登場を期待して入力作業をはじめたものの、伊波普猷は今回、ほとんどの表現をきれいな標準語におきかえてしまっている。「ニライカナイ」という語は皆無だった。唯一「七、命の水」に「龍宮」がでてくる。
 漁師が潮に流されたり、沖で悪天候にあって漂流し、ついぞ村へ帰らなかったということはしばしばありえたろうが、それだけではなかなか昔話に発展しそうもない。逆に漁師の側を主体とするばあい、遠くの漁場から村へ帰ってきてみたら、家も家族も何もかもが消え去ってなくなっていた、まるで自分だけが時間に取り残されたような実感をあじわった経験が、この話の原点ではなかろうか。

 海の彼方、沖合いに死者の魂が集まるというニライカナイの伝説は、氷河期の大きな海面降下現象(海退)と、その後の海面上昇(海進)に起因しているのではないかと考える。海面が低い時代、村はそのぶん海の沖合いのほうへ作られる。温暖期に入って海面が上がるにつれて、かつての沖合いの村は海底へ沈むことになり、人々はより内陸部の高地へと移動する。沖合い海底には親しい人の住んでいた痕跡も、ほうむった墓地も存在するという記憶が伝説の発端ではあるまいか。

 「六、島の守り神」はまるで『古事記』の三輪山説話の引き写しのような話なのだけれど、本歌が三輪山で本歌取をしたのが宮古島なのか、あるいはその逆か。あるいは同じ伝承を両方が引き継いだのか。仮に宮古島の神と三輪山の神が同一だと曲解してみると、宮古島の祖と大和の祖はニアリイコールということになる。伊波や折口、柳田國男の見解やいかに。



2011.8.7:公開 八面玲瓏。
一切皆苦、受け身系。パッシヴ・シンキング。
目くそ鼻くそ。しだひろし/PoorBook G3'99
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最終更新:2011年08月07日 20:44