M-Tea*3_13-倭女王卑弥呼考(一)白鳥庫吉

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M-Tea*3_13-倭女王卑弥呼考(一)白鳥庫吉

2010.10.23 第三巻 第一三号

倭女王卑弥呼考(一)
白鳥庫吉








【週刊ミルクティー*第三巻 第一三号】
http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/97078
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(804KB)

定価:200円  p.161 / *99 出版
付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(68項目)p.395
※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。

※ オリジナル版に加えて、ミルクティー*現代表記版を同時収録。
※ JIS X 0213・ttz 形式。
※ この作品は青空文庫にて入力中です。転載・印刷・翻訳は自由です。
(c) Copyright is public domain.


飛び出せ! 週刊ミルクティー*


 倭人の名は『山海経』『漢書』『論衡』などの古書に散見すれども、その記事いずれも簡単にして、これによりては、いまだ上代における倭国の状態をうかがうに足(た)らず。しかるにひとり『魏志』の「倭人伝」に至りては、倭国のことを叙することすこぶる詳密にして、しかも伝中の主人公たる卑弥呼女王の人物は、赫灼(かくしゃく)として紙上に輝き、読者をしてあたかも暗黒の裡に光明を認むるがごとき感あらしむ。(略)
 それすでに里数をもってこれを測るも、また日数をもってこれを稽(かんが)うるも、女王国の位置を的確に知ることあたわずとせば、はたしていかなる事実をかとらえてこの問題を解決すべき。余輩は幾度か『魏志』の文面を通読玩索(がんさく)し、しかして後、ようやくここに確乎動かすべからざる三個の目標を認め得たり。しからばすなわち、いわゆる三個の目標とは何ぞや。いわく邪馬台国不弥国より南方に位すること、いわく不弥国より女王国に至るには有明の内海を航行せしこと、いわく女王国の南に狗奴国と称する大国の存在せしこと、すなわちこれなり。さて、このうち第一・第二の二点は『魏志』の文面を精読して、たちまち了解せらるるのみならず、先輩すでにこれを説明したれば、しばらくこれを措(お)かん。しかれども第三点にいたりては、『魏志』の文中明瞭の記載あるにもかかわらず、余輩が日本学会においてこれを述べたる時までは、何人もかつてここに思い至らざりしがゆえに、また、この点は本論起草の主眼なるがゆえに、余輩は狗奴国の所在をもって、この問題解決の端緒を開かんとす。

3_13.rm
(朗読:RealMedia 形式 428KB、3'29'')

白鳥庫吉 しらとり くらきち
1865-1942(元治2.2.4-昭和17.3.30)
東洋史学者。上総茂原生れ。東大教授。近代的東洋史学を確立し、北方民族および西域諸国の研究を開拓。東洋文庫研究部を創設。著「西域史研究」など。

◇参照:Wikipedia 白鳥庫吉、『広辞苑 第六版』(岩波書店)。


底本

底本:『白鳥庫吉全集 第一巻 日本上代史研究 上』岩波書店
   1969(昭和44)年12月8日 発行
初出:『東亞之光』第5巻第6・7号
   1910(明治43)年6・7月
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person603.html

NDC 分類:210(日本史)
http://yozora.kazumi386.org/2/1/ndc210.html


難字、求めよ

日本学会
舶柁師
船発きせし
彼処 かしこ、か。
大養徳国
聞こゆめれど
兵部式諸国駅伝馬 『延喜式』巻28兵部省「諸国駅伝馬条」か。
噌唹城
薩摩潟
大谷文学士
小市国造
子致命
『氏族志』神別
越智玉興
越智玉澄 玉興の弟。河野に住居。
尸 姓(かばね)か。
石板嶺 集安県。
秦旦・張群・杜徳・黄疆 呉国の使者。
檀石
速後上命 〓 敷桁彦命の息子か。


スリーパーズ日記


 ミミズ、一度に五、六個の卵。寿命二年。
 円周率5兆桁、3か月。
 ヤマボウシ。
 ヤマト、山門、アナト、穴門、ミナト、水門、セノト、瀬戸、セマト、狭門、カハト、川門、ナガト、長門、シマト、島門、ナルト、鳴門。

 前回のつづき。
 雲仙英彦山も見たことがない。高さはあっても外海から距離がありすぎて、日常的に航海の目印にするには頼りにならないかもしれない(雲にかくれて見えない)。

 考古学講座、金子昭彦「東北地方の縄文時代」によれば、国内で発掘された土偶の総数は1万8000〜2万点。遮光器土偶屈折像土偶、縄文のビーナスなど立体的なものが有名で耳目を集めやすいが、平面的で手のひらサイズ、小型で携帯して持ち歩きやすそうな板状土偶のほうが割合は多い……比率は未確認。
 欠損したものや乳房や女性器をもつ土偶の印象から、身代わり説、豊饒祈願説、儀礼用という見方が主流だが、「一般的な女性が平時持ち歩き、にぎりしめて祈るもの」だったのではなかろうかと強調。定説を疑って板状土偶に着目したことに好感。
 いくつか気になる。出土場所と数にかたよりがあること。三内丸山山梨釈迦堂佐倉吉見台、熊本など一つの遺跡から300〜2000点が出土。ということは、今後、同規模の遺跡があらたに見つかれば、時代や場所のかたより分布はかんたんに書き換えられる可能性もあるはず。とりわけ青森・岩手に多い理由。沖縄に出土しない理由。東北北部に位置する十和田湖(=十和田火山)との関係。

 坪井正五郎「コロボックル風俗考」、浜田青陵「博物館」に土偶への言及あり。喜田貞吉「著作目録」によれば、独立した考察はないが、大正12年から昭和9年にかけて通算5回ほど日誌や随筆・図版説明の見出しに「土偶」の文字がある。

 寒河江慈恩寺、東根乱川、熊出没。(2010.10.25) 



2010.10.26:公開
2010.10.28:更新
チームうんこ。
耳うんこ、鼻うんこ。PoorBook Gee3'99
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