MT*2_14-能久親王事跡(四)森 林太郎 2

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MT*2_14-能久親王事跡(四)森 林太郎

2010.7.10 第二巻 第一四号

能久親王事跡(四)
森 林太郎
第四回 明治三年(一八七〇)十月〜
    明治二八年(一八九五)六月



【週刊ミルクティー*第二巻 第一四号】
http://www.dl-market.com/product_info.php?products_id=76421
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(732KB)

定価:200円(税込)  p.234 / *99 出版
※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。
付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(83項目)p.480


飛び出せ! 週刊ミルクティー*


〔明治三年(一八七〇)〕十月二十七日、京都を立たせ給いて、東京におもむかせ給う。これより先、聖上、ふたたび東京に幸せさせ給いて、皇居と定めさせ給いぬれば、宮、天機をうかがわせ給わんため、かくは思し立たせ給いしなり。閏十月二日、東京に着かせ給いて、東伏見宮の邸 浜町にあり。後、小松宮邸となりぬ。に入らせ給う。二十五日、東伏見宮、欧州にゆかせ給うにより、勅によりて有栖川宮の邸に移らせ給う。二十八日、書を弁官にいたして、欧州にゆかんことを願わせ給う。十一月二日、勅によりて名を能久(よしひさ)に復せさせ給い、伏見満宮(みつのみや)と称せさせ給う。七日、プロシア国に留学して、年金五千円を受けさせ給うこととなりぬ。二十五日、参内して告別せさせ給う。(略)随行員は寺田平之允・井上省三・田阪虎之助・熊沢善庵・丹羽淳一郎・松野※[#「石+間」]の六人なり。〈寺田・井上・田阪は各支度料銀千ドルを拝領す。丹羽・松野は家従にせられ、支度料各銀七百ドルを拝領す。東久世通輝・岡田助・山崎橘馬は同行を命ぜられぬ。〉
 十二月三日、宮、舟にて横浜を発せさせ給う。森有礼・池田謙斎、同乗す。二十八日、米国 San Francisco に着かせ給う。四年(一八七一)正月二日、汽車にて San Francisco を立たせ給う。九日、New York に着かせ給う。十一日、New York を立たせ給い、Washington に着かせ給う。十二日、大統領 Ulysses Sidney Grantと会見せさせ給う。華頂宮博経親王・森有礼、同行す。十四日、New York に帰らせ給う。十五日、舟にて New York を発せさせ給う。種島某、訳官として随いまつる。二十五日、英国 Liverpool に着かせ給う。二十六日、Liverpool を立たせ給い、London に着かせ給う。二月十五日、London を立たせ給う。十八日、プロシア国 Berlinに着かせ給い、Hotel de Rome に投ぜさせ給う。

2_14.rm
(朗読:RealMedia 形式 540KB、4'22'')


森 林太郎 もり りんたろう
1862-1922(文久2.1.19-大正11.7.9)
森鴎外。作家。名は林太郎。別号、観潮楼主人など。石見(島根県)津和野生れ。東大医科出身。軍医となり、ヨーロッパ留学。陸軍軍医総監・帝室博物館長。文芸に造詣深く、「しからみ草紙」を創刊。傍ら西欧文学の紹介・翻訳、創作・批評を行い、明治文壇の重鎮。主な作品は「舞姫」「雁」「阿部一族」「渋江抽斎」「高瀬舟」、翻訳は「於母影」「即興詩人」「ファウスト」など。

◇参照:Wikipedia 森鴎外、『広辞苑 第六版』(岩波書店)。

底本

底本:『鴎外全集 第三巻』岩波書店
   1972(昭和47)年1月22日発行
初出:『能久親王事蹟』東京偕行社内棠陰會編纂、春陽堂
   編集兼発行人代表者 森林太郎
   1908(明治41)6月29日刊行
NDC 分類:288(伝記/系譜.家史.皇室)
http://yozora.kazumi386.org/2/8/ndc288.html


難字、求めよ

兵弁
中条湾 中城湾か?
背負嚢



2010.7.10:公開
目くそ鼻くそ。ジョビジョバ、ケロンパ/PoorBook G3'99
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